コウノトリの里

 2018年の4月26日から5月1日にかけて、カミさんの仕事に便乗してにっぽん丸でのクルーズを楽しみました。その5日目に兵庫県の日本海側に位置する城崎に入港、ここには大型船が横付けできる桟橋がないのでにっぽん丸搭載の通船(非常時には救命艇になる小型船)での上陸となりました。そして港からさらに観光バスで20キロほど内陸にある出石
(いずし)へのツァーに参加、ここは“但馬の小京都”とも呼ばれる旧出石藩の城下町で、2005年までは出石町でしたが、現在はかつての豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、但東町と合併して、新たな豊岡市となっています。

 出石城は天正2年(1574年)に山名祐豊・氏政親子が築城したが、天正8年(1580年)に羽柴秀吉に攻められて落城、その後さまざまに城主が替わり、関ヶ原の合戦後はしばらく小出氏が治めます。元禄9年(1696年)に断絶した小出氏に代わって松平忠徳が城主となり、さらに宝永3年(1706年)以降は明治維新まで仙石氏の居城となりましたが、6代目仙石政美の文政7年(1824年)に江戸時代の「三大お家騒動」の一つ、仙石騒動の舞台になりました。

 仙石政美が参勤交代の途中28歳で病没、逼迫していた藩の財政立て直しのため筆頭家老の仙石左京は産業振興策を進めようとしたが、藩主の跡継ぎ問題も絡んで質素倹約派との間にお家騒動が勃発、裁きの結果仙石左京は獄門になったそうで、これを伊達騒動、加賀騒動と並んで三大お家騒動に数えることもあるようです。ただこの仙石騒動の代わりに黒田騒動を三大に入れることもありますが、いずれにしてもお家騒動の舞台となった城の石垣など眺めていると、人間の権力欲の儚さを思い知らされますね。

 私も在職中は、上司に取り入り、息のかかった部下に肩入れし、謀議を凝らし計略を巡らして自分の権力に固執した人間を何人も見てきましたが、周囲の人々に煮え湯を飲ませたような輩も今では鳴かず飛ばすの後期高齢者、人の世の移ろいは権謀術策を弄した人間に対しては、より残酷に思えます。

  さて上の石垣の写真の隣り、ちょっといかめしい建物は出石のシンボル辰鼓櫓(しんころう)で、かつては辰の刻(午前8時)に藩士の登城を告げる太鼓が打ち鳴らされたのが名前の由来だそうです。明治14年には時計台に改造されました。

 まさに治世と乱世の時の流れを見てきた出石城の空を優雅に舞うのがコウノトリです。出石藩主の仙石氏の時代にはコウノトリの狩猟を行なったとか、桜尾山に営巣するコウノトリを瑞兆と喜んだなどという記録が残されていますが、コウノトリはここ但馬一帯に限らず全国に広く生息していました。しかし田植えの後の稲を荒らすために害鳥として駆除され、乱獲によって数を減らしていきます。ただ出石藩では7代目藩主が桜尾山のコウノトリを吉兆として保護した歴史があり、明治時代になっても保護対象になっていたため、但馬地方では比較的多数が生息していました

 明治37年(1904年)には出石桜尾の鶴山に営巣していたコウノトリが4羽のヒナを産み、翌年日露戦争に勝利したことから再び瑞鳥と持て囃され、京阪神地方からも大勢の見物人で賑わったらしい。その流れからか、明治41年(1908年)に狩猟法改正でコウノトリは保護鳥に指定、大正10年(1921年)にコウノトリ繁殖地として出石の鶴山は天然記念物に指定、いったんは隆盛になりかけたが、太平洋戦争末期に航空燃料の松根油を採るために住み家の松の木が伐採されたため出石のコウノトリたちは四散してしまった。さらに戦後は全国で里山が開発され、強力な水銀系農薬の使用が拡大したため餌と住み家が無くなって、コウノトリの個体数は激減し、昭和25年(1950年)には文化財保護法の保護対象となり、昭和28年(1953年)にはついにコウノトリの種自体が天然記念物に指定されました。

 こうして見てくると、コウノトリ一族にとっては“お家騒動”どころではない死活問題なのですね。人間にとっても年貢の取り立てに苦しみ、飢饉の恐怖と戦っていた時代に、田植え後の田圃を荒らされたのでは死活問題、両者の対立は必至でした。そしてコウノトリは銃や弓矢などの飛び道具を駆使する人間に駆除され、さらに農地改良(コウノトリなどにとっては改悪)や農薬の開発など、大自然の生物進化が人間に与えた知能という能力が産み出すさまざまな状況の前に一方的な敗退を強いられたわけです。これを自然界のお家騒動と言わずして何と言うのか。

 これまで圧倒的な頭脳の力で自然界に対する“侵略戦争”を展開してきた人類ですが、やっと遅まきながら自らの過ちに気づいた…、というより一方的な論理で“侵略戦争”を押し進めれば因果が巡り巡って結局は自分自身の首を絞めることになるということを学んだのですね。どこかの大国の大統領にも早く気づいて欲しいものですが、人間は自分たちの営みのために壊してきた自然を少しでも元に戻そうと頭脳の知恵を絞り始めています。

 コウノトリが巣作りを好む松林などが減少しているため、昭和34年(1959年)に豊岡市に初めて人工巣塔を建設、これは天敵の侵入を防いでコウノトリが安心して子育てできるように建てられた高さ12メートル前後の塔のことですが、その後中国地方や北陸地方に設置が広がりました。

 私の住む関東地方にも何ヶ所かコウノトリの人工巣塔が設置されている場所があり、これは栃木県の渡良瀬遊水池のもの、春を感じようと菜の花や桜に彩られた生井堤を訪れたところ、番
(つがい)のコウノトリが子育てをしていました。自然界には子孫を増やすために、子供が生まれた後はオスはさっさと次のメスに求愛する種族も多いですが、コウノトリは死別するまで相手を変えないとのこと、そういう一家が暮らす人工巣塔の一つです。

 なお日本でコウノトリと呼ばれている鳥はCiconia boycianaという東アジアにのみ分布する種ですが、これに対して赤ちゃんを運んでくるという伝説の鳥は同じコウノトリでもCiconia ciconiaというヨーロッパ・アフリカに棲息するシュバシコウという種だそうです。

 渡良瀬遊水池の人工巣塔は見物人が近づけないように生井堤の桜並木から数百メートル離れた場所に設置されているので、私のカメラでは望遠レンズの倍率を最大限に上げても、親鳥が豆粒くらいにしか写りません。しかしネット上ではyoutubeのライブ映像の動画配信があって、親鳥に餌をねだるヒナ鳥たちの姿まではっきり捉えられています。昔は里山の木々で行われていたコウノトリの営みをこんな形で見るなんて、果たしてこれを文明の進歩と言うべきかどうか…。


         帰らなくちゃ