一応、言ってみました

 ついに私のサイトも成人向け指定になったのか!でも「18歳未満入場禁止」と書いたからといって、これで未成年者の閲覧を防止できると思っている人はおそらくいないでしょう。ネット上にはよく「18歳未満は退場して下さい」とか「18禁」(18金からの連想か)などと書いてあるページがありますが、好奇心の強い男の子ならば普通は必ず入りますね。女性はそういうページに興味を示さない方が圧倒的に多いようですが、男性の場合、何かを検索していてこういうページにブチ当たれば、これはもう圧倒的多数が入ります。こんなことを言ってると、「ブンブン、お前もか」などと言われそうなので、そろそろ止めておきますが、確かに「18禁」のページを開けてみたら男性ヌードの画像満載の女性向けサイトだったなんてことは絶対にありません。これは男女の思考(嗜好)の生物学的な差によるものですね。

 では何故そういうサイトの管理者はわざわざ形式的な年齢認証を行なっているのでしょうか。これは不思議な現象です。パソコンを動かせる人なら大人でも子供でも誰でもアクセスできるページであることを知りながら、いかがわ楽?しい内容を載せておくことに、やはり一種の後ろめたさを感じているのかと言えば、実はそういうわけではなさそうです。むしろ一言こうやって断っておけば、あとは「お宅のお子さんがウチのサイトの画像を見て色気づいても、それは管理者の責任ではありません、閲覧者の側の自己責任ですよ」と主張するためのアリバイではないでしょうか。

 考えてみれば、成人向けのサイトに限らず、こういう責任転嫁のアリバイは他にもあります。例えば電車の駅のホームのアナウンス。
「ドアが閉まりま〜す。駆け込み乗車はお止め下さ〜い。」
こう言われて電車に駆け込むのを諦める人はどれくらいいるでしょうか?普通、このアナウンスがあってから実際にドアが閉まるまでの平均時間は12〜13秒あります。これなら陸上競技の選手でなくても数十メートル先から駆け込む時間的余裕は“十分に”あります。しかも中には一度閉まりかけたドアをもう一度開けてくれる“親切な”車掌さんも多いですから、そこまで見越して危険な駆け込み乗車のタイミングに賭ける人は跡を絶ちません。

 「駆け込まないで下さい」というアナウンスは、万一事故が起こってしまった場合、「だからあれほど注意したでしょ?あんた(乗客)のせいでしょ?」という鉄道会社の自己弁護のアリバイに過ぎません。しかしドアに挟まれた乗客が受傷したような場合、日本では乗客の自己責任ということにはなりません。2004年にイラクで起こった日本人人質事件の時、大部分の日本国民は無謀なイラク入りをした人質たちの自己責任だと言い張りました。しかし電車に駆け込もうとしてドアに挟まれ、大怪我をした乗客に対してお前の自己責任だと言う人はほとんどいないはずです。
 人質事件の時は、勇敢な行為(時には無謀でもあるが)で危地から生還して世間の注目を浴びるに至った人質たちへのジェラシーから自己責任論が巻き起こりましたが(出る杭は打たれるというヤツです)、電車への駆け込みという自分も日常やっているような行為に対しては、安全管理義務違反という鉄道会社側の責任になるわけです。

 ではポルノグラフィー満載の成人向けサイトの場合はどうでしょうか?子供がアクセスするに決まっていることを知りつつポルノ画像を載せた管理者の管理責任か、好奇心に負けてついボタンをクリックした子供(男の子)の自己責任か、子供のパソコン使用を制限しなかった親の監督責任か?
 結局、こういう責任論は堂々巡りをして、「18歳未満は退場」とか「駆け込み乗車は止めて下さい」などという空虚な言葉だけが飛び交う世の中になってしまいました。これは世界各国共通の現象と思われますが、責任観念の希薄な日本では事態はさらに深刻かも知れません。何しろ太平洋戦争開戦について責任のあった閣僚が戦後も首相をやったり、靖国神社で神様になったりするお国柄です。何に関しては誰の責任かを厳然と区別しない国民にとって、どこまでが管理責任でどこまでが自己責任かという判断など、おそらく自分の頭で考えたことすらないでしょう。
 成人向けサイトの件は、ポルノを見て色気づいた子供が性犯罪に走りやすいというような因果関係がまだ定まったわけでないので議論にはなりませんが、つい最近、児童ポルノは所持しただけでも処罰の対象にしろという当然な要求をアメリカから突き付けられるという醜態を演じてしまいました。自分で何の判断もできない年頃に暴力的に撮影された画像について、誰にどういう責任があって誰に被害が及ぶか、そういうことを厳密に考える習慣のない国民の倫理的な脆さを感じました。

       
ここは病理医の独り言の番外地です。  元へ戻る