旅と旅人

 2022年現在、まだ新型コロナの感染は終熄する気配さえなく、年末から年始にかけては第8波もピークを形成して爆発する様相さえ見せていますが、これからは経済を回すことも重要との政府方針の下、観光需要喚起策である『全国旅行支援』が実施されていて、各地の観光地はそれなりに賑わっているようです。

 ところでこの『全国
旅行支援』、そういうネーミングだから当たり前って言ってしまえば当たり前なんですが、“”の支援ではないし、補助を受けて観光地に出かける方々は“旅行者(旅行客)であって“旅人”ではない。

 そんなのどっちだっていいじゃないか、何でそんなつまらないことを気にするんだ、などとおっしゃらずに、今回は“”と“旅行”の違いに関する私の完全に個人的な見解にお付き合い下さい。そう言えば私のサイトのこのコーナー、普通なら「ドクターブンブンの
旅行記」とすべきところ、わざわざ「旅日記」としているわけですし…(笑)。

 まず最初に2022年に改定された三省堂国語辞典 第8版では両者はどのように定義されているか。
旅:〈自分の家をはなれて/乗り物に乗って〉よその土地へ行くこと。旅行
まあ、最大多数の日本語圏住人が納得できる当然の定義ですね。それで次…。
旅行:〈楽しみや仕事のために〉旅に出ること
さすが伝統ある国語辞典、旅行は楽しみや仕事など、ある意味ポジティブな目的を持って出かけることという説明には全面的に賛成です。クラスメートと最後の思い出を作りながら見聞を広める修学旅行、夫婦が最初に出かけて互いをよく知り合う新婚旅行など、まさにこの定義にピッタリです。学会や出張で出かけるのも“旅行”、人生の失敗や失恋による心の傷を癒すために行くのも“旅行”、コロナ禍の行動制限に倦んだ国民の気晴らしを奨励したり、観光業を喚起して支援するのも“旅行”なわけです。

 では“旅”は何かというと、三省堂の国語辞典によれば、目的の有無にかかわらず、家を離れてよその土地へ出かけることと定義されているように見える、つまり楽しみや仕事のために列車や飛行機で出かけるのも“旅”、何の目的もなくフラリと気の向くままに出かけるのも“旅”、旅行は“旅”という概念に含まれるということですが、私の完全に個人的な見解によれば、“旅”と“旅行”は別々の概念と捉えたい。

 
仕事や学会があるから出かける、政府が費用を援助してくれるから出かける、家族や友人と楽しみを共有したいから出かける、傷心の原因となったものを忘れるために出かける、それが“旅行”ですが、そこには必ず“私”以外の何らかの要素が加わっています。この“私”以外の要素の希薄なものが“旅”、何だか分かったようで分からない定義、大上段に振りかぶって得々とドヤ顔で述べるような定義ではありませんが、何となく漠然とでもそのニュアンスを感じ取っていただければ幸いです。

 三省堂の国語辞典では、〈家を離れて/乗り物に乗って〉という補助的な定義も付いていますが、私の場合それも必要ない。日常生活空間にいても、たとえ自宅に居てさえも“旅”はできます。

 まだ私が中学生から高校生になる1966年前後、加山雄三さんの『旅人よ』という歌が発売されてずいぶん流行しました。私は特にあの歌の2番の歌詞が好きでしたね。

 
赤い雲ゆく 夕陽の草原
 たどる心やさしい 若き旅人よ
 ごらんはるかな 空を鳥がゆく
 遠いふるさとに聞く 雲の歌に似て


 私は赤い夕焼け雲を見ると、ある種の懐かしさを伴ってこの部分を想い出しますが、その時点ですでに私の心は日常空間を離れて、中学高校時代を送った1960年代へと旅立っています。歌という乗り物に乗って私の心は現在とは違う時空を“旅”しているわけです。

 さらにあの頃の友もまたこの夕焼け雲を見ているだろうか、夕陽に照らされた遠い山々の彼方にいる教え子たちの住む土地も天気は良いだろうか、はるか昔の歴史上の人々もこんな夕焼けを見たんだろうか、未来の人々もこんな夕焼けを見るんだろうか。私の心は日頃の生活や仕事を離れて自由奔放に旧知の人々の住む遠い地方へ、さらに会ったことも会うこともない人々が暮らす見知らぬ時代へと“旅”をすることになります。


 “旅行”の途中であっても、旅先の風物に触れて“旅”へと導かれることがある。むしろそういうことの方が圧倒的に多い。私にとって“旅”と“旅行”は微妙に違います。何となく私のいう“旅行”と“旅”の違い、少しは理解して頂けたでしょうか(笑)。

 ところで“旅”をするのが“旅人”で、“旅行”をするのが“旅行者”とすると、旅行者は英語で traveler ですが、旅人も traveler とするのは私はちょっと抵抗があります。と言って wayfarer というのも気取っていて違和感があるし、tourist はもともと観光客の意味合いが強そうだしね…。Wanderer とか
drifter は放浪者とか流れ者みたいな意味合いが強いけれど、私にとって“旅人”の英訳はこちらの方がしっくり来るような気がします。

 Drifter ってあの「8時だョ全員集合」のドリフターズもこの意味だということですが、オードリー・ヘプバーン主演の映画『ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany's)』で歌われる名曲『Moon River』の歌詞の中にもこの言葉が登場します。

 Moon River, wider than a mile.
 I'm crossing you in style some day
 Old dream maker, you heart breaker
 Wherever you're going I'm going your way.

 Two drifters off to see the world
 There's such a lot of world to see.
 We're after the same rainbow's end.
 Waiting round the bend
 My huckleberry friend
 Moon River and me.


中学高校の音楽部時代に合唱班でこの曲を原語で歌いましたが、平易な単語ばかりの割には意味を理解するのが難しい。特にこの広い世界を見るために旅立った two drifters とは誰と誰のことなのか。同じ虹を追いかけて河の曲がり角のところで待っているのはこの2人のうちの1人なのか。

 あの頃より少しは人生経験も積んだ現在、あの映画の内容なども考慮しながら理解するとすれば、お金持ちの男性相手に“パパ活”ばかりやっている娘と、やはりお金持ちの夫人の“ヒモ”になって暮らしている売れない小説家が、お金に目が眩んで物欲にまみれた世界を“旅”して放浪した果てに、やはりお金より愛が大事と気付いて互いに恋に落ちる、今の私はそんな風に解釈したいですね。


         帰らなくっちゃ