アジアとヨーロッパの境



 ブダペストからウィーンへ向かう途中、列車で国境を越えた話は書きました。島国の日本では陸路で国境を越える必要は絶対ないので、ちょっと珍しい体験でした。都道府県境は越えても、別にパスポートが必要なわけではありませんから、まったく意識に上りませんね。でも今回はアジアとヨーロッパの境界線を陸路で越えた話です。

 私はトルコ旅行中、アンカラからイスタンブールまでバスで移動しました。かつてシルクロードを旅した東洋の商人たちの旅路も終わりに近づいたアナトリア平原を横切り、バスはボスポラス海峡(the Bosporus Strait)を越えてイスタンブール市街地へと入って行きます。
 上の写真はボスポラス海峡の洋上からアジアとヨーロッパの境界を眺めた風景で、向かって右側がアジア、左側がヨーロッパです。海峡にかかっているのが第一ボスポラス大橋、もちろん現在は橋のどちら側もトルコ領ですから、渡るのにパスポートの提示は必要ありません。

 しかし1453年にコンスタンティノープル(イスタンブール)がトルコ帝国に陥落するまでの約1世紀半の間、この海峡を挟んで対峙したトルコ軍とキリスト教連合軍は、互いに残虐な争いを繰り広げました。この海峡の奥にある黒海沿岸諸国との交易のため、ここを通過する商船を拿捕して、捕らえた船乗りたちを岸に並べて片っ端から見せしめに首を斬り落としたなんていう血なまぐさい歴史もあったそうです。
 黒海沿岸諸国との貿易のための航路の安全を確保するために、当時地中海に覇を競ったベネツィアやジェノバなどイタリア海洋国家群をはじめとするキリスト教国は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを防衛しようとしますが、やはり自国の利益が優先して足並みが揃わず、結局はトルコ帝国に奪われてしまいます。
 キリスト教国側にとって唯一の勝利の機会は1402年。すでに全盛期を過ぎて分裂していたモンゴル帝国の末裔であったティムール帝国の軍団とトルコ帝国がアンカラで一戦に及び、トルコ軍は壊滅状態になります。そんな時代でもトルコ軍を寄せつけなかったのだから、日本に来襲した頃のモンゴル帝国はよほど強かったんでしょうね。
 とにかくそれまで無敵を誇ったトルコ帝国もモンゴル帝国に完敗して宮廷は上を下への大騒ぎ、しかしキリスト教国はこの好機に対トルコ防衛の努力を怠り、再興してきたトルコ帝国にむざむざとコンスタンティノープルを奪われてしまったのでした。

 こういう歴史から何を教訓として引き出すかは皆さんそれぞれ考えて頂きたいと思いますが、このボスポラス海峡は米ソ冷戦時代にも国際的に大変な注目を浴びた舞台でした。何しろこの海峡を30キロほども奥へ入っていけばそこは黒海、沿岸には旧ソ連の重工業地帯や造船所が密集しています。ソ連海軍は黒海沿岸の造船所でかなりの数の主力艦を建造していますが、中でも航空巡洋艦ミンスクの名前はある程度の年配の日本人ならば記憶のどこかに残っているのではないでしょうか。

 ソ連は1970年代から1980年代にかけて、キエフ級と呼ばれる航空巡洋艦を相次いで竣工させました。その2番艦がミンスクで1978年に竣工しています。満載排水量41,400トン、全長273.1メートル、最大速力32ノット、長大な飛行甲板を有して垂直離着陸攻撃機12機、ヘリコプター16機を搭載する軍艦で、その性能から言えば航空母艦と呼ぶのが正しい。
 しかし航空母艦と呼べなかった理由がこのボスポラス海峡です。いくらソ連が黒海の奥の造船所で強力な軍艦を建造しても、この海峡を通過しなければ外洋には出られません。しかしトルコにしてみれば領土を貫く国際海峡を勝手に軍艦が往来するのは困る、そこで商船の通行の自由は保障するが、軍艦の通過には制限を設けるということで、1936年にモントルー条約が締結されました。
 この条約ではボスポラス海峡からマルマラ海を抜けてダーダネルス海峡に至る航路が対象になりますが、ソ連は黒海で建造したキエフ級の軍艦を敢えて航空母艦と呼ばず、この海域を通過させるためにトルコ政府に配慮して航空巡洋艦と呼んだようです。

 ところで航空巡洋艦ミンスクが何で日本人の記憶に残っているかというと、1979年6月に日本で初めて開かれた先進国首脳会議(当時はロシア抜きのG7)に時期を合わせるかのように、この新鋭艦が対馬海峡を通過して日本海のウラジオストックに入りました。明らかにアメリカを中心とした西側世界に対する軍事的威圧です。
 ボスポラス海峡を抜けて外洋に出た『空母ミンスク来襲』の記事は連日のように日本のマスコミを賑わわせていたような記憶があります。バルチック艦隊の来航を待ち受けた明治日本の朝野もかくあったであろうと思わせるほどの論調でした。
 日本海へ回航中のミンスクの写真は一般の新聞にも掲載されましたが、とにかく当時のソ連の軍艦は駆逐艦までが甲板上をハリネズミのようにミサイルで武装していて一見すごく強そうに見える。それに対してアメリカ海軍や海上自衛隊の軍艦は、表に見えるのが華奢な大砲が2つか3つなので、どうしても素人は「こいつは大変だ」ということになってしまいます。本当は仰々しくミサイルを林立させていても、管制システムなんかの性能は西側諸国に到底かなわなかったようですが(笑)。

 このアジアとヨーロッパを隔てる海峡を初めて目にした時、米ソ冷戦時代のそんな出来事が私の頭の中をよぎりましたが、そう言えばあのミンスクはその後どうなったのだろうと思って調べてみたら、初めての東京サミットに浮かれる日本人の胆を冷やした後は鳴かず飛ばずで、火災を起こして全焼したり、中国に売却されて軍事テーマパーク(って一体どんな公園なのか)になったり、あんまり幸せな艦歴の軍艦ではありませんでした。

                 帰らなくっちゃ