イスタンブール(Istanbul) 金角湾

 イスタンブールの金角湾(Golden Horn Bay)を臨む一角です。旧市街、すなわちかつてのコンスタンティノープル側から見た光景で、対岸の小高い部分が新市街に当たります。中央に見える円錐形の屋根を持った塔はガラタ塔(Galata Kulesi)で、コンスタンティノープル攻防戦の頃はジェノヴァ人居留区がありました。画面右の大きな橋は新市街と旧市街を結ぶガラタ橋で、これを越えるとボスポラス海峡からマルマラ海の外洋へとつながっているのですが、橋の上は魚釣りを楽しむ大勢の人たちが朝から晩まで釣り糸を垂らしていました。別のページで紹介した城砦は、画面で言うと左の方向へ数キロ行ったあたりです。手前のバスターミナルのあたりに人だかりしていますが、毎日多数の露天商が店を出して、とても賑わっていました。昔、久保田早紀さんの「異邦人」という歌がありましたが、イスタンブールの街角を歩いているとこの歌の雰囲気がピッタリです。
 ついでに言うと、あの歌の歌詞の中に、
  
祈りの声 ひづめの音 歌うようなざわめき
という一節がありますが、あの祈りの声はキリスト教徒の礼拝でもなければ、仏教徒の念仏でもなく、あの歌にはコーランが最もふさわしいのです。私はどこの国でも道を歩いていて、アーメンとか南無阿弥陀仏とか耳にしたことはありませんが、トルコではどこにいてもコーランが必ず聞こえてきました。トルコにはいたるところに尖塔を備えたモスクが建てられていますが、モスクの尖塔(Minaret:日本の辞書や案内書にはミナレットとありますが、トルコ人はミナーレと発音していたようです)には必ずスピーカーが取り付けられていて、ここから朝・昼・夜とコーランの祈りを流すのです。異邦人の耳にも必ずコーランが聞こえるわけです。私は尖塔に取り付けられたスピーカーを最初に見た時、災害時の緊急放送に使うのだとばかり思っていました。(トルコも日本と同じ地震国ですから…。)

 さて1452年、トルコのマホメッド2世はコンスタンティノープルを征服するために大軍をもってこの都市を包囲します。陸側の攻防の拠点には城砦が築かれていたわけですが、大砲という新兵器を持ったトルコ軍に対して、コンスタンティノープルに立てこもったキリスト教国軍の騎士団は大変な苦戦を強いられました。ちなみにあの有名なトプカプ宮殿(Topkapi Sarayi)のトプカプとは大砲という意味だそうです。
 キリスト教国軍は金角湾では、対岸のガラタの塔の麓との間に太い鎖を渡して、船の出入りが出来ないように湾を封鎖します。普通は海上封鎖は攻める側が行なうことが多いのですが、キリスト教国軍にとってはここにトルコ軍を上陸させては致命傷になるからです。トルコ海軍には、イタリア海洋国家群を主力とするキリスト教国の海軍と戦って、この封鎖を突破する実力はありません。そこでトルコのマホメッド2世は破天荒な作戦を実行しました。画面右手奥のボスポラス海峡沿岸から軍艦を陸揚げして、正面の高台の裏側を陸路迂回させ、画面左手から金角湾内に一挙に進攻させたのです。これで勝敗は決しました。
 軍艦の陸揚げという荒業がどれほどキリスト教国軍を恐怖に陥れたか。それは我が国の歴史に当てはめて考えてみれば判ります。もしも1904〜05年の日露戦争で、ロシアがバルチック艦隊の戦艦を陸揚げして分解し、シベリア鉄道でウラジオストックに運んで再び組み立て、日本海に進攻させたとしたら(もちろん近代の巨大な軍艦ではそんな事は出来ませんが)、当時の日本中が大パニックになったでしょう。
                帰らなくっちゃ