イスタンブール(Istanbul) 城砦
2001年の9月、私はアンカラからイスタンブールにかけてトルコを旅行していました。カミさんの演奏旅行について行ったのですが、一緒にいたのは2日間だけで、カミさんたちの方がイタリアへ移動してからは、ほとんど独り旅でした。イスラム教国は初めてで、どこに行っても高い尖塔を備えたモスクがあったり、日本や欧米なら赤十字のマークがある場所には赤い三日月マークがあったりして、何を見ても珍しいものばかりだったのですが、ご存知のとおり、2001年9月と言えば米国内の同時多発テロで世界中が大騒ぎになっていた時で、無事に帰国できるものやら心細い思いも強かったです。トルコはNATO加盟国で、しかもイスラム教国だから絶対安全だと思いたい反面、だからこそ逆に危ないかも・・・という考えも浮かんできて不安を打ち消すことは出来ませんでした。
ところでイスタンブールの写真と言えば、普通はボスポラス海峡 Bosphorus
Str. や金角湾 Golden Horn Bay など海側から見た寺院や塔や橋などが有名ですが、これはイスタンブール西方の陸側の風景です。イスタンブールを訪れる観光客は必ず通る場所ですが(空港と市街地の中間にある)、やはり海側の荘厳で美しい景観に圧倒されて記憶に留めている人はほとんどいないのではないでしょうか。
イスタンブールは東側のマルマラ海 Marmara Sea に半島状に突き出した都市で、1453年にトルコのマホメッド2世に征服されるまでは、ビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルとして西欧キリスト教世界の商工の東の中心地でもありました。この写真の城砦はコンスタンティノープルの陸側の防衛拠点で、市街の西側の縁に沿って延々と築かれており、一部は修復されてトルコ国旗が掲げられていますが、大部分は大砲で打ち壊された跡がそのまま残っています。コンスタンティノープル攻防戦の時には、キリスト教国側の騎士団もこの城砦に拠ってトルコの強大な陸軍を防いでよく戦いますが、当時の新兵器である大砲を装備したトルコ軍にかなうはずはありませんでした。
一方の海側では、大陸国のトルコがヴェネツィアやジェノヴァなどイタリアの海洋国家群を中心としたキリスト教国の海軍に勝てるはずもありませんでしたが、勝負の勢いというものは恐ろしいもので、マホメッド2世は軍艦を陸上に引き揚げて陸路山越えさせた後、キリスト教国軍の内懐であった金角湾の奥深くに一挙に侵攻させます。金角湾口を封鎖して海側は絶対安全と思っていたキリスト教国側はこれで虚を突かれて総崩れとなり、コンスタンティノープルは陥落したのでした。日本で言えば義経の鵯越(ひよどりごえ)や信長の桶狭間に匹敵する思い切った戦術の物語がトルコにもあったわけで、イスタンブールの軍事博物館にはこの戦いのパノラマ模型が展示してあります。海側の戦いの場であった金角湾についてはこちらのページをどうぞ。
さて私はあの同時多発テロとちょうど同じ時に、キリスト教対イスラム教の500年以上も昔の戦いがあった地に居合わせたわけで、非常に感慨深い旅でもありました。