夢見る自動車
いろいろな所を歩いていると、たぶん自動車解体業者の敷地なのでしょう、思わぬ場所にもう走れなくなった古い自動車が野ざらしになっているのを目にすることがあります。上の写真は東京都清瀬市にあるけやき通りの沿道、下の写真は山梨県富士吉田市の昭和大学富士吉田キャンパス付近で解体を待つ自動車たちです。
昔はこういう光景を見るとうら悲しい気分になったものです。2006年頃にディズニーが配給した『カーズ(Cars)』というアニメ−ション映画がありました。擬人化した自動車を主人公にしたアニメで、私は観てませんが、こういう自動車を主人公にしたアニメ漫画は私が子供の時からけっこうありました。
タイトルや詳しいストーリーは覚えていませんが、そんなアニメ漫画のワンシーン、主人公の若くて赤い自動車が何かの理由でこういう自動車解体場に放り込まれてしまう。するとそこにはちょうどこんな風に年老いた乗用車やトラックやバスが並べられているんですね。
「何であなたみたいな若い子がここへ来たの?」
年老いたバスが若い自動車を心配すると、隣にいたクレーン車が主人公の自動車を吊り上げて解体場の外へ逃がしてやります。
それから主人公の自動車の逃走劇が始まったと思うのですが、私があのアニメ漫画を観た時の感想は、解体場にいた他の年老いた自動車やバスがとにかく不憫で気の毒だったということです。皆で一緒に解体場から逃げりゃいいのに…と思ったものでした。
しかし定年を過ぎて通りかかった自動車解体場で、こういう廃車たちに出会って感じるのは一種の連帯感ですね。自動車としての使命を終えて、次の新しい資源として生まれ変わる時を待つ彼らはいったい何を夢見ているのか。こういう古い自動車ばかりでなく、社会のいろいろな場所から発生するスクラップの鉄資源は、毎日毎日東京タワーが約20本建設できるくらいの量が再生されているそうです。
新たなご奉公を待つ自動車たちは、きっとこれまで走り続けてきた道端の景色を思い出しているに違いありません。幸せな旅路だったのでしょうか。衝突事故で廃車になったりしなかったでしょうか。人身事故など起こさなかったでしょうか。あおり運転や暴走族など危険な運転をするドライバーの“凶器”として使われなかったでしょうか。そんな思いがふと心に浮かびます。
幸せな家族や恋人たちを乗せて何万キロも走った自動車たちには祝福あれ。さまざまな場所で社会の業務を支えてきた自動車たちは御苦労さまでした。そして心ならずも思いどおりの走りを果たせなかった自動車たちは次のご奉公先で人々のお役に立てますように。