相模湾 波高し
どうも今年の春先頃から小さいけれども嬉しいことが身辺に次々に起こって、これは一体どうしたことかと思っていたら、ついにその極めつけとも言えるビッグイベントが…。ある方のお世話で防衛大臣名で2009年度自衛隊記念日の観艦式に招待状を頂いたのです。何と名誉なこと…。もちろん10月25日には横須賀に行って来ました。
私は最初は防衛大学校が第一志望で、護衛艦の艦長になりたかったとこのサイトにもどこかに書いたと思いますが、視力が悪くて海上自衛隊には適性が無かったのでした。海上保安大学校もダメ、商船大学の航海科もダメ、ということで、今では船乗りにはまったく縁がない人生を送っています。時々フェリーや連絡船などで船旅はしましたが、海上自衛隊の艦に乗る機会は過去1回もありませんでした。
ところで今回ご招待頂いたのは艦番号112(DD112)の護衛艦まきなみ、2004年3月に就役したバリバリの新鋭艦です。排水量4650トン、全長151メートル、全幅14.4メートルは、帝國海軍の誇った5500トン型軽巡洋艦よりわずかに小さいだけ。まさかこんな強力な新鋭艦で、たった1日だけでも航海できる日が来るなんて夢にも思っていませんでした。
もう当日の1ヶ月以上前から病理部の検査技師さんとか、一部の学生さんたちにも自慢して、顰蹙(ひんしゅく)を買ったり、笑われたりしていました。まあ、小学校時代の遠足みたいなものです。乗艦指定時刻が朝7時50分までとのことだったので、電車が事故で止まったりしては大変だと、前日から横須賀に宿を取って泊まりましたが、興奮して全然眠れませんでした(笑)。
前日から雨模様で心配していたところ、当日はやはり悪天候、それでもよほどのことがない限り観艦式が中止されることはないということで少し安心していましたが、相模湾上に出ると雨は止んだものの今度は物凄い強風に、何かにつかまっていないと身体ごと海へ持って行かれそう、何とかカメラを吹っ飛ばされないように必死にシャッターを押しまくり、この一生に何度もない機会を思い出に留めてきました。
大日本帝國海軍が最後の観艦式を挙行したのが昭和15年(1940年)、参加艦艇98隻、航空機527機という膨大な規模のものだったそうですが、ご承知のとおり、翌年に始まった日米戦争で帝國海軍は壊滅し、しばらくは日本で観艦式と呼べる式典は開かれませんでした。
新生日本海軍とも言える海上自衛隊の第1回観艦式は昭和32年(1957年)で、以後石油ショックなどで自衛隊記念日の式典は陸海空で持ち回りになったりして、今回はちょうど25回目です。
その戦力はもはや世界でも有数なはずで、それを今さら“専守防衛”ですから外国領域では使いません、使わせません、では話が通じなくなってきている。理念の話だけではなく、実際の国際情勢が険悪になってきているのも事実です。ソマリア沖の海賊退治に海上自衛隊派遣反対と叫んでいた政党の議員が関与する船舶が、当該海域で海上自衛隊に頼んで護衛して貰ったというバカらしい話もありました。(こういう矛盾を自己批判しないからあの政党は信頼がないのです。)
では憲法9条との折り合いはどうするのかという議論は日本人としては避けて通れません。私は憲法の理念を守るために第9条は変えないまま、現実的な対応をするべきであるとこのサイトの別の場所にも書きましたから、難しい話はそっちを読んで頂くことにして、ここでは今回の観艦式の話題にお付き合い下さい。
観艦式は昔は天皇が“艦を観る”わけでしたが、今は内閣総理大臣が観閲官です。しかし民主党新政権の鳩山首相は外遊中だったので、代わりに管直人副総理が護衛艦くらま(DDH144)から観閲しました。護衛艦くらまは護衛艦いなづま(DD105)に先導され、イージス護衛艦こんごう(DDG173)と護衛艦あぶくま(DE229)を随伴させて観閲部隊を形成します。
一方、私の乗った護衛艦まきなみは4隻の支援艦艇を従えて観閲付属部隊を形成し、一列になった観閲部隊の約900メートル左側を航行します。この2列縦隊のド真ん中を新鋭イージス護衛艦あしがら(DDG178)を先頭に、空母か空母でないかという護衛艦ひゅうが(DDH181)など20隻の艦艇(うち1隻は海上保安庁)が反航して次々と通り抜けて行くわけですから、“軍艦マニア”にはたまらない眺めですね。
上の写真は海賊退治にも派遣された護衛艦さざなみ(DD113)がイージス艦こんごう(右)とすれ違うところ。さざなみは私の乗ったまきなみと同型艦です。
観艦式後、ミサイル発射や航空機による爆雷投下などの訓練展示も終えて港へ帰る参加艦艇群ですが、まさに“艨艟(もうどう)”という言葉がふさわしいと思いました。重厚感がありますね。やはり戦うための船はフェリーなどとは全然違います。
第一、艦内のフロアを上がったり下がったりする階段も、本来の意味の階段ではない、梯子(ラッタル)です。狭くて急峻で、おまけにあっちこっちに突起物が出っ張っている。“乗客”を安全に昇降させるための通路ではありません。足を滑らせて落ちれば自己責任…。
この写真だけでも艦隊の威容がお判りでしょうか。最近の“軍艦”はどこの国でも装甲はチャチです。第二次大戦の頃までのように、近接戦闘で血みどろの殴り合い同然のデスマッチ的な海戦までを想定していない、遠距離で敵味方を電子装置で識別し、誘導兵器で処理してしまうのが現代の海戦ですから、新しい時代の軍艦は別に“浮かべる城”である必要はない。
最近、かわぐちかいじ氏の漫画「ジパング」の中で、太平洋戦争の時代にタイムスリップした海上自衛隊のイージス艦が、ついに巡洋艦の砲弾1発であっけなく轟沈しましたが、実際あんなものでしょう。
そんな薄っぺらな装甲の海上自衛隊でもこれだけの重厚感ですから、帝國海軍時代の聯合艦隊の威容はどれほどだったんでしょうね。艦上を案内して下さった海上自衛官の方々はいずれも気さくで親切でしたが、もし一朝事あれば皆さんこの艦内で生命を賭けた任務を遂行することになるわけです。そういう国の備えは必要ですが、そうならないようにするのが一国の指導者の責任です。民主党の新政権はどうも日米関係がギクシャクしてますが、大丈夫なんでしょうかねえ。他の乗艦者の中にもそんな心配している人がいました。
ま、そういう難しい話はいずれ別のところで…。
観艦式・後日談
2009年度の海上自衛隊観艦式は、私にとっては一生に一度の大きな思い出になったわけですが、その2日後の10月27日夜、観閲艦となった護衛艦くらまが母港の佐世保へ帰投中、関門海峡で韓国籍のコンテナ船カリナスター号と衝突事故を起こしてしまいました。残念なことです。
翌日の新聞の写真を見ると、艦首部分の破損が著しく、これはもう除籍しかないかなと思いました。何しろこの艦は昭和56年(1981年)に就役した古い艦ですから、大金を投じて修理しても、もう残りの就役期間はそれに見合うほど長くないからです。
くらまはしらね型護衛艦の2番艦ですが、このしらね型の姉妹は、戦後生まれの護衛艦隊の中では少し薄幸な印象が拭えません。1番艦しらねは平成19年(2007年)12月に、隊員が艦内に持ち込んだ私物の電気器具から失火、艦の頭脳とも言える戦闘指揮所(CIC)を全焼するという火災を起こして、一時は除籍も考慮されたようです。
しかし昭和48年(1973年)に誕生してすでに退役が決まっていた護衛艦はるな(DDH141)の戦闘指揮所を移設して命拾いしました。まあ、人間で言えば臓器移植ですね。そして修理工事も終わって今年の9月に舞鶴基地に復帰したばかりの10月、今度は2番艦くらまの衝突事故です。どうも海の神様はこの姉妹艦2隻が揃うのをお気に召さないようです。
船乗りはけっこうそういう縁起を担ぐことも多いですが、最近の海上自衛隊や各国海軍はどうなんでしょうか?私が乗ったから祟られた、などと冗談を言う人もいましたが(笑)、私が乗ったのは護衛艦まきなみです。くらまではありません。
でも実を言うと、横須賀の岸壁には、まきなみはくらまを挟んで繋留されていたので、まきなみに乗艦するためには、くらまの甲板を通らなければいけません。だからくらまの前甲板(ちょうど今回ぶつけられたあたり)に、まきなみ乗艦者用の通路が設けられていて、私も乗艦下艦の際にくらまの甲板を歩いたのでした。そのせいでこんな事故になったのなら、海の神様、ごめんなさい。
(この写真の艦番号144が護衛艦くらま、私が乗ったまきなみはこの右舷に接舷して繋留されていました。)
ところで毎日新聞の記事を読むと、護衛艦くらまは5200トン、コンテナ船カリナスター号は7401トンと書いてあるから、護衛艦はひと回り大きな船に突っかけられたことは判るが、実は双方の艦船の大きさの差はこの数値以上であることを実感できない人も多いでしょう。
軍艦の大きさを表わす“トン”は排水量、商船の大きさを表わす“トン”は総トン数で、これらはまったく別の単位です。商船の総トン数の“トン”は、元々は“樽”を意味していると言われ、船客や貨物を積み込める船内の容積が基準になっており、それに対して軍艦の排水量は、文字通り“押しのけた水の重さ”を示しています。
海上自衛隊の護衛艦は、列国海軍艦艇と比べると、ダイエット中のお嬢さんみたいに実際の重さより軽めにサバを読んでいるという話も読んだことがありますが、同じトン数なら商船の方が軍艦よりひと回り大きく見えるし、護衛艦くらまはバイクがトラックに突っ込んだくらいの衝撃だったでしょうね。事故後の両艦船の写真を見ると、くらまの艦首がカリナスターの右舷前部に突っ込んだように見えます。何人かの専門家も指摘してましたが、関門海峡のあの場所でああいう衝突は通常は考えにくい。私も最初は自爆テロ攻撃に遭ったのかと思いました。
敵艦に体当たりすることまで想定していた20世紀初頭くらいまでの軍艦なら、たとえ小粒でも相手の船首を食いちぎっていたでしょうが、何しろ上にも書いたとおり、最近の軍艦は装甲がチャチですから、くらまの艦首は大破という結果になってしまったと思われます。
まあ、今回は護衛艦側に過失はなさそうで一安心だし、事故の原因調査も専門家の手で行なわれるでしょうから、ここではちょっと別の話題…。
先ほど述べた軍艦の重さを測る排水量ですが、何で“水を排する量”なのか?大学生の皆さん、ご存知ですか?それより前に、アルキメデスの浮力の原理を知っていますか?
『物体には自らの体積が押しのけた流体の重量分だけ浮力が働いて軽くなる』、それがアルキメデスの原理で、人類が発見した最初の自然科学の法則と言われています。
つまり水の中に入れば人体は押しのけた水の重さだけ軽くなる、だからプールでの水中ウォーキングは運動しても膝や腰に負担が掛からなくて良いと言われるのですね。同じ水中でも、比重の高い海水に入った方が働く浮力も大きくなる、昔は真水のプールよりも海の方が泳ぎやすいと言われたものです。私自身は真水と海水の浮力の違いをそれほど実感できませんでしたが、例えばオリンピックに出場するくらいのシンクロナイズド・スイミングの選手たちに、海水プールで競技して貰ったら、おそらく演技に微妙な狂いが生じるでしょう。
水中ばかりではありません。我々は陸上にいても地球の大気を押しのけているわけですから、その空気の重さだけ浮力で軽くなっているはずです。これで大体アルキメデスの浮力の原理はお判りになりましたか?
軍艦を海に進水させると、あの巨大な金属塊はその重力で水に沈んでいく、そして水面下に沈んだ体積の分だけ海水を押しのけて浮力が働く、下向きの重力と上向きの浮力が釣り合ったところで軍艦はそれ以上沈まなくなって水面に浮かぶ、そういうことです。応用問題として、潜水艦が潜航・浮上する時の理屈を考えてみて下さい。
さてアルキメデスがこの原理を発見した時の有名なエピソードが、昔は少年少女向けの科学の本には必ず紹介されていて、ちょっと好奇心のある子供ならアルキメデスの原理に多少は興味を示したものです。
紀元前200年代の古代ギリシャのシラクサの学者だったアルキメデスは、ある時、王様の冠の鑑定を命じられる、王様が有名な金細工師に純金の王冠を製作させたのだが、その金細工師が悪い奴で、王様から預かった純金の一部をネコババして銀を混ぜたらしいという噂が立った、王様も面白くないが、かと言って内部に銀が混ぜてあることかどうかを確認するために、せっかくの見事な王冠を壊してしまうのは(破壊検査という)もったいない、というわけで王様はアルキメデスに王冠を壊さずに銀が混じっているかどうかを確かめよと命じたのでした。
毎日毎日この非破壊検査の方法に頭を悩ませていたアルキメデス、疲れを癒そうと街の公衆浴場で湯船に入った時に、自分の体の容積分だけお湯がザバーッと溢れるのを見て、はたと気がついた、金と銀は重さが違う、王冠を水に沈めて体積を測れば、銀が混じっているかどうか判るぞ!
嬉しくなったアルキメデスは服を着る時間も惜しくて、「ヘウレーカ(判ったぞ)、ヘウレーカ」と叫びながら、素っ裸のまま街の中を走って家へ帰ったと言います(ストリーキングという)。このエピソードは子供向けの本に挿絵入りで紹介されていましたが、モザイク処理はありませんでした。アルキメデス先生が手に抱えた衣類で大事な部分は隠れていましたから…。
ところが最近の学生さんたちは、物理学の受験用に丸暗記するだけなのか、アルキメデスの浮力の原理を実感をもって会得していないようです。ましてアルキメデスが素っ裸で街中を走った話など知っていたのは数えるほどしかいませんでした。(この公衆浴場のエピソードは物質の比重の話にしか見えないが、ここから浮力の原理を発見したとされるアルキメデスはやはり天才か。)
事の次第はこういうことでした。解剖学の実習で学生さんたちに実物の脳の標本を見せてあげていた時のことです。人間の脳は生前はまるで豆腐のように柔らかく、手に持つことは困難なので、ホルマリン液の中に漬けて固定しますが(タンパク質を凝固させて硬くすること)、何しろ豆腐のような柔らかさですから、ホルマリン液の容器の壁や底に触れると、そこだけ凹んで固定されてしまう、だから脳が容器に当たらないように紐でホルマリン液中に吊るしておくのです。
1人のよく勉強する好奇心の強い学生さんが、「脳底動脈はどれですか?」と質問してきました。実はこれは脳をホルマリン液中に吊るしておくための紐を掛ける直径1mmほどの細い動脈なのですが、この学生さんはこの質問を聞いただけで、普段からよく勉強していることが判ります。
しかしそれだけ勉強する意欲と素質のある学生さんが、次に発した言葉に私はハッとしました。
「血管がちぎれないんですか?」
それで他の学生さんたちにも訊ねてみたところ、ほとんどの者が浮力の原理を実感をもって理解していないことが判ったのです。
1300〜1500グラム程度の脳を空気中で吊るせば、そんな細い動脈はひとたまりもなく切れてしまいますが、ホルマリン液中に吊るせば1リットル程度のホルマリン液を押しのけるので1000グラム以上の浮力が働くのです。細い血管も200〜300グラム程度の重さには耐えられます。
他のところにも書きましたが、我が国は初等理科教育で失敗している。子供たちに自然科学への興味を抱かせるような教え方ができていない。それを改めて痛感しました。
何で軍艦の話から脳の解剖の話になったんだか…?