板橋区 加賀

 この『ドクターブンブンの旅日記』のコーナーもいよいよ200個目の記事を書くことになりましたが、今回はそれに因んで(別に因む必要もないが)私がこれまで最も長い期間通った場所、東京板橋区の加賀をご紹介します。

 私が平成4年以来25年間勤務した帝京大学とその附属病院は東京都区内の北西、板橋区の加賀という場所にあります。当初から何となく北陸の加賀をイメージさせるような地名で気になっていましたが、ある時ちょっと思い立って調べてみたら、やはりここは加賀藩前田家にゆかりの地なのですね。

 江戸時代にここは加賀藩前田家の広大な下屋敷があった土地なので「加賀」と呼ばれるようになったそうですが、下屋敷とは各藩の江戸表にある屋敷のうち、江戸城から最も離れた場所にある屋敷のこと、江戸城に近い方から上屋敷、中屋敷、下屋敷といいます。

 加賀藩の上屋敷は今の文京区本郷にあって、現在では東京大学本郷キャンパスになっていることは有名です。私は帝京大学に就職する前は本郷キャンパスの東大附属病院に勤めていましたから、言ってみれば加賀藩の上屋敷から下屋敷に配置換えになったようなものでしたか。ついでに言えば加賀藩の中屋敷は現在の駒込あたりにあったようです。

 ところでこの下屋敷は1679年に5代藩主前田綱紀が6万坪もの広大な土地を拝領したことに始まり、これだけでも東京ドーム約4個分ですが、そんなものに驚いていてはいけない、その後も着々と屋敷は拡張されて最終的には21万8000坪にもなったといいます。あまりの広さに江戸時代末期には軍事教練も行なわれたらしい。

 加賀藩下屋敷跡は現在の板橋区加賀の町名の全域を含んでいるので、私が勤めた帝京大学もその敷地内にあったわけですが、大学の隣を流れる石神井川沿いに下流方向にしばらく歩いて行くと、下屋敷庭園の築山があります。現在では付近は区立加賀公園として整備されており、『加賀前田家下屋敷跡』という石碑が建っていたり、近くの石神井川には『金沢橋』という橋が架かっていたりして、東京にいながらにして何となく金沢気分になる町でした。

 築山に登ると足元に石神井川沿いの遊歩道や付近の住宅街が見渡せます。この築山だけでも他の日本庭園に類を見ないほどの大きさで、たぶん全国でも最大級の築山の一つではないでしょうか。さすが加賀百万石と言われた前田家の下屋敷の壮大さが偲ばれます。

 この築山には戦前は帝国陸軍の東京第二造兵廠関連の施設が置かれていて、火薬の製造や兵器の試験などが行われていたようです。中でもコンクリート製のトンネル構造になった弾道検査管は爆速測定管ともいうらしく、弾丸の速度などを計測する装置で、なかなか珍しい陸軍の遺構だそうで、長年通勤した職場の近くにいろいろな歴史を語る史跡が多かったことに、今さらながら驚いています。

 板橋区加賀は、たぶん私のこれまでの生涯のうちで最も長い時間を過ごした町名になるでしょう。帝京大学在職中に自宅は1回引っ越しましたから、たぶんどっちの自宅の住所にいた時間も加賀にいた時間より短い。また生家も小学生の頃に町名変更があったから、加賀という町名にいた時間の方が長いはずです。

 そんなこんなでちょうど四半世紀、25年間という長い年月をこの町で過ごしたのかと思うと、しみじみ時の流れを感じますね。私が加賀の職場に移った年に生まれた学生さんは、すでに一昨年の春に卒業していきました。それほどの期間なんです。
 確か新幹線のぞみ号が初めて走った年に就職して、その後は香港返還、長野冬季オリンピック、ノストラダムスの大予言、コンピューターの2000年問題、同時多発テロ、日韓ワールドカップ、インド洋津波、東日本大震災などいろいろなことが起こりました。

 在職中は自分の職場の住所を記載することも多く、「東京都 板橋区 加賀」と書いていくと、何だか百万石の殿様になったような妙に高揚した気持ちにもなったものです。住み慣れた思い出の地にも間もなく別れを告げますが、私のような者でも無事に25年間を勤め上げられたことをいろいろな人に感謝したいと思います。


         帰らなくっちゃ