伊豆七島−神津島
昭和58年の6月、東京都の検診事業の一環として、当時都立母子保健院(現在は廃止)に勤めていた私は、伊豆七島の乳幼児検診で島回りをしました。伊豆七島は地図を御覧になれば判るとおり、静岡県の伊豆半島に続く島嶼群ですが、行政としては東京都に属しています。
ところで皆さんは伊豆七島って、どの島々のことだかすぐに答えられますか。辞典なんかを引くと、大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島の七島を指すとありますが、歴史的に厳密に言えばさまざまな複雑な事情があるようです。大体、もう少し詳しく地図を見れば、あの辺の海にはこれら七島以外にも島があり、無人島ならともかく、式根島や青ヶ島のように住民が定住している島も数えられていないし、さらに八丈島の遥か先にも、ダイバーに人気の小笠原諸島や、太平洋戦争の激戦地だった硫黄島までが日本の領土であって、その先のマリアナ諸島へと連なっているのです。
だから最近では伊豆七島と数を限定せずに伊豆諸島と呼んで、小笠原諸島と並び称することが多くなりましたが、実は伊豆諸島と呼ばれる島々も行政的には3つの管轄に分かれています。つまり大島支庁(大島、利島、新島、神津島)、三宅支庁(三宅島、御蔵島:三宅島は2000年の噴火に続く火山活動のため、2005年まで全島避難が続いていました)、八丈支庁(八丈島、青ヶ島)の3つですが、交通の便も一部分断されていて、例えば大島支庁の神津島からは三宅島がすぐそこに見えますが、神津島から三宅島へ船で行くためには、一旦東京湾の竹芝桟橋まで行ってから乗り換えなければならないそうです。
さて私が乳児検診で回ってのは大島支庁で、大島を始点に新島、式根島、神津島の3島です。式根島は正式には新島村の一部なので、伊豆七島の1つとしては数えられていないのですね。海に浮かんだ箱庭のような小さな可愛らしい島でした。式根島には東海汽船の大型フェリーが着岸できる岩壁が無かったので、新島からは村のモーターボートで式根島へ連れて行って貰いましたが、島を出る時は沖合いに停泊するフェリーまで小さな艀(はしけ)で連絡するのです。
さて羽田空港で都区内の他の保健婦さんたちと合流、YS11という双発のプロペラ旅客機に搭乗して出発、先ず大島の保健所で打ち合わせのあと1泊、新島で2泊、式根島1泊、神津島は日曜日の休日を入れて2泊の予定でしたが、全日程が終了した頃に来襲した低気圧の関係で海が荒れて東海汽船の定期船が欠航したために、神津島でさらに2泊という強行軍でした。
私的な話で恐縮ですが、私はこの年の2月に結婚したばかりの新婚でした。新婚早々のカミさんを置いて1週間も島巡りをして、カミさんが気の毒だという声も聞こえそうですが、その時はカミさんはカミさんで私を置いてきぼりにして九州へ演奏旅行に行ってました。
大島の保健所で打ち合わせの時に言われたことで今でも大変印象に残っていることが一つだけあります。とにかく1週間もの間、小人数で島から島へと“巡業”するわけですから、人間関係が悪くならないように皆で気をつけて下さい、とのことでした。確かに医師は私ともう一人、大島保健所の年配の女医さんの2人、保健婦さん数名、薬剤師さん1名、事務員2名と10名前後の小所帯ですから、一旦、あの人は変な人だ、気に食わない、となったら修復不能な事態になりかねず、医療のチームワーク自体もガタガタになってしまいます。
きっとそれ以前の検診活動の際に、そういう深刻な事例があったために、あらかじめ事務の方が気を利かせて最初に注意してくれたのだと思います。幸いにして私は今までそういう事態に遭遇せずに済んでいますが、同じようなことは、団体スポーツ競技の遠征だとか、カミさんたちの演奏旅行だとか、テレビ番組のロケだとかにも言えるのでしょう。独りでやる職業に就いているなら構いませんが、それでない場合、人間関係を円滑に保つ訓練はとても大切です。
さて乳幼児検診は、各島の公民館とか旅館の一隅に設けられた特設会場で順調に行なわれていきましたが、都区内での診療と大きな違いがあることに気付いたのです。
都区内で小児科をやっていると、幼児がちょっと鼻水を垂らしただけでも夜中に救急車を呼んで来院される若いお母さんが多かったのですが(核家族化の進んだ都市部で若いお母さんが育児に神経質になる気持ちは判ります)、島の検診では、多量の鼻水を垂らしている子のお母さんに「お薬は必要ですか」と訊くと、ほとんどが「すぐ治りますから要りません」という笑顔のお返事でした。
島の大自然の中ではちょっとした風邪なんかすぐに治ってしまうだろうし、育児経験者のお祖父さんお祖母さん世代との交流のある社会なので、子供の自然治癒力への信頼を持てるのでしょう。都市部に比べて逞しい子供が育つのではないかと思ったものでした。
これは神津島の写真↑で、港に面した前浜から撮ったものです。神津島の中央には天上山という山が聳えていて、標高574メートルの山なのですが、御覧のように見るからに堂々としています。
神津島とか天上山という地名の由来は、元々静岡県三島市の三島大社に祭られている三島神が最初にこの島に降臨して、他の島々の神様たちとこの山の上で話し合いをしたという伝説にあります。
神津島の日程では日曜日が合間に入って、この日は検診も休みだったので、皆と天上山に登山しましたが、頂上はかなり広々していて、噴火口に雨水の溜まった不動池↓もあって、ちょっとした別世界、まさに神々の住む島でしょうか。
1日の検診が終わると島の温泉で汗を流して、毎晩名物のクサヤの干物と島焼酎で酒盛りをしてました。クサヤは昔から各島に伝わる“クサヤ汁”というタレ(?)に魚の切り身を漬け込んだ保存食ですが、その名の通り凄い匂い(臭い)で、最初は誰でもウッと顔をしかめます。しかしこれが焼酎の肴には最高で、毎晩食べているうちに病みつきになるのですね。
東京都区内に戻ってからも、よく検診の御礼と言って、島焼酎と一緒にクサヤを送って下さることがありましたが、当直の時に医局で焼いて食べて、臭い臭いと大騒ぎになったこともありました。皆さんもクサヤを焼く時は換気に気をつけましょう。
その年の検診も終わって島を去る時の写真↑です。中央遠方が神津島、その右手前が式根島、右端に新島の一部が見えています。
さらばラバウルよ〜、また来るまでは〜♪
なんていう歌の一節が思わず口をついて出てきそうです。この検診の5年前に、神津島で生まれた未熟児を迎えにヘリコプターで飛んで来た話は別のページに書きましたが、あの時は慌しくて歌なんか歌っている場合ではありませんでした。
ところで毎晩クサヤと焼酎で酒盛りをし、天上山登山まで楽しませて貰いながら、こんな事を言うのも気が引けますが、事情通であれば何であんたが島の検診に駆り出されたわけ…?とお尋ねになると思います。当時私が勤めていた都立母子保健院の未熟児・新生児担当の医師は、私を含めて3人、他に研修の若い先生方が2人いらっしゃいましたが、手薄なことに変わりありません。その中の医長格の私が1週間も島回りで職場を空けなければならないほど、東京都の医療体制は貧弱なものでした。
今ではその母子保健院すら廃止してしまって、東京都区内ですら、特に小児科に関しては次第に無医村的な地域が広がりつつあります。今のうちに対策を考えておかなければ将来大変なことになると思いますが、お役人の考えるような小児診療費の部分的な手直し程度の策では、もはや如何ともなしがたいというのが現実のような気がします。
ページを閉じるに当たって、この写真を載せるべきかどうか迷いました。式根島では海岸に温泉が湧き出していて、地元の方々が“入浴”にいらっしゃるのですが、その中にお孫さんを連れていたお爺さんの姿に、我々検診一同の目が止まり、心和む思いをさせて頂きました。御了承も得ていない方の写真を無断で掲載する御無礼は重々承知ですが、あまりにほのぼのした懐かしい光景なので使ってしまいました。
あれからもう20年以上、お元気でお過ごしでしょうか。一緒にいらしたお孫さんも美しい女性に成長されていることと思います。もしご本人が御覧になっていて御連絡を頂ければ、この写真をご本人確認のうえプリントして差し上げたいと思います。