2004.11.26 | コンバット・フライト・シミュレーター |
2004.12.14 | フライト・シミュレーター |
2007.5.20 | フライト・シミュレーターX |
2004.12.23 | 汽車でGO! |
2007.5.20 | 電車でGO!FINAL |
2006.5.5 | サイレント・ハンター2 |
2012.11.4 | フリーセル・1000連勝 |
2013.4.21 | なめこ栽培キット |
2015.4.29 | テンプル・ラン |
Microsoft Combat Flight Simulator
コンバット・フライト・シミュレーター
世の中には自動車の運転だけでは飽き足らず、飛行機の操縦もしたいという男(たまには女)が多いが、なかなか夢を叶えることは難しいのではないだろうか。講習料金も高そうだし、訓練学校もそんなにあちこち数多くあるわけではない。それに第一、練習中に失敗して落ちたら骨折程度では済まない恐れもある。
そんな臆病な人間に、自由に空を飛ぶ感覚を少しでも叶えさせてくれるゲームソフトが、Microsoft社のフライト・シミュレーターである。フライト・シミュレーターとは本来セスナ機やジェット旅客機などの民間機を平和に飛ばすゲームソフトで、これについてはいずれ機会を改めて書くことにして、今回はコンバット・フライト・シミュレーターである。
これは通常のフライト・シミュレーターで平穏に飛んでいるだけでは物足りなくなったマニア向けに開発されたもののようで、実戦さながらとまでは言えないものの、かなりリアルな空中戦気分を味わってストレスを発散できるので、私も数年間ハマっていた。
ハマっている間に、「撃墜数」も軽く1000機を越え、「被撃墜回数」も1000回を越えたので、いくつかのウラ技も披露しながら、この比較的マニアの多いゲームを紹介していこうと思う。
このソフトはもともと民間機用のフライト・シミュレーターを開発ベースとして、最初の空中戦ソフトであるコンバット・フライト・シミュレーターのWWIIヨーロッパ戦線シリーズ(以後CFS-1と略す)が発売されたのが1998年であった。その名の通り、ドイツ軍のメッサーシュミット戦闘機やフォッケウルフ戦闘機、連合軍のスピットファイア戦闘機やムスタング戦闘機の他、多数の爆撃機や輸送機などが入り混じって空中戦を演じるというだけのゲームなのだが、これがまた夢中になると病みつきになって連日「出撃」してしまうのだ。
ヨーロッパ戦線シリーズとはいえ、他社から発売されているアドオンソフトをインストールすれば、日本軍機や太平洋地域の戦場などを再現することも可能であり、ぺんぎんワークス社のトラック島のように優れた風景もあったが、やはり多くのアドオンソフトは、基本ソフトの飛行機や風景よりも画像の質が劣っていた。
特に致命的だったのは、海上に爆弾を投下すると、海面に爆弾の穴があくことで、これはプレイしていて最もシラけることであった。
日本人マニアにとって待望のコンバット・フライト・シミュレーター 2 WWII太平洋戦線シリーズ(以後CFS-2と略す)が発売されたのが2000年。このソフト開発に当たっては、日本海軍の零戦のエース坂井三郎さんもMicrosoft社のスタッフにアドバイスされており、このソフトでの空中戦を楽しみにされていたそうだが、惜しくも完成直前に亡くなられた。
早速CFS-2を起動する。Windows 98以上のパソコンがあれば、インストールしてすぐに動かすことが出来るが、やはりフライト・シミュレーターやコンバット・フライト・シミュレーターなどは操縦桿の役割をするジョイ・スティックという装置が必要である(下の写真↓のパソコンの右側に置いてあるもの)。
飛行機はキーボードだけでも飛ばせるし、私もCFS-1の時代にキーボードだけでスピットファイア戦闘機を撃墜したこともあるが、やはり操縦桿があった方が現実感がある。さらに本物のマニアはゲーム用のフットペダルまで買い揃えるらしいが、私はそこまで熱中はしなかった。(本当は我が家が散らかっていて、足元にフットペダルなど置けなかったせいであるが…泣)
こんな風に飛行機を外から見ていても操縦桿なんか使えないじゃないか、と思われるのはもっともであるが、もちろん視点をコックピット(操縦席)に切り替えれば、下の写真↓のように機内に乗り込んだような気分になるのである。
CFS-1の時代も画像はきれいだったが、まあ、良く出来たアニメーションといったところ。ところがCFS-2になると少々出来の悪い実写映画くらいにまで向上している。特に時刻を夕方に設定しておくと、南の島をバックに夕陽が波間に沈んでいく風景など、機上から眺めていると、ゲームながら感傷的な気分になってしまう。ここまでやったら、ついでに南十字星も見えるようにしておいて欲しかったが、そこまでは無理だったのか。
場所も日米航空隊が激しい争奪戦を繰り広げた南方の島々が何ヶ所も選べるようになっていて、歌で有名なラバウルや、連合艦隊の根拠地だったトラック島、あるいは日本海軍最初の敗北の地であるミッドウェイ島などが基本ソフトに入っている。適当なアドオンソフトをインストールすれば、ハワイ真珠湾や鹿児島湾、大戦末期の帝都上空なども飛ぶことが出来るが、まあ、普通のマニアならそこまでやらなくても十分楽しめると言っておこう。。
ただしゲームメニューから場所を選ぼうとすると、ラバウルやトラック島が見つからず、「アレ?」と思ったプレイヤーは多いと思われる。しかし心配には及ばない。ラバウルの戦闘機隊の主な基地だった東飛行場はラクナイ(Lakunai)として収録されており、場所をここに設定すると、坂井三郎さんがラバウル着任早々、ここは地獄の一丁目と嘆いた火山性の奇怪な地形が再現される。もっとも日本軍が花吹山と呼んだ火山は画面上では噴火していないが、坂井さんたちが活躍した戦時中はモクモクと黒煙を噴いていたという。
その他、ラバウルの西飛行場もブナカナウ(Vunakanau)として収録されている。
また連合艦隊の根拠地だったトラック島についても、エテン(Eten)飛行場とモエン(Moen)飛行場は、それぞれ日本軍が竹島、春島と呼んでいた基地であり、CFS-2にちゃんと収録されている。
さてこれらの基地を巡って空中戦に入るわけだが、基本ソフトではプレイヤーが搭乗できる飛行機は日本機では零戦21型と52型、それに紫電改の3機種、米軍機ではグラマンF4Fワイルドキャット、F6Fヘルキャット、ロッキードP38ライトニング、ボートF4Uコルセアの4機種、合計7機種だが、敵機として設定できる機種は日本陸軍の隼戦闘機なども含む日米の戦闘機・爆撃機・輸送機など多彩である。
自機と敵機の組み合わせ次第では、零戦同士の空中戦や、零戦vs隼戦闘機、零戦vs紫電改などの空中戦も演出できるが、まず初心者の場合は、敵機としてダグラスC47輸送機を設定するのがよい。なぜなら輸送機は絶対に反撃してこないから、照準のつけ方や射撃のタイミングなどを訓練する絶好の練習台になるからである。もっとも実際の戦場ではかなり卑怯な話ではあるが…。
こうして実際に模擬空中戦をやってみて判るのは、敵機にはなかなか弾丸が命中しないということである。よく東宝の特撮空中戦映画で照準機の中を横切っていく敵機に対して、ダダダダッと射撃を加えると敵機がバッと火を噴くシーンがあったが、あれは絶対にあり得ないのだ。こっちが撃った弾丸が敵機の位置に届くまでに、敵機の方も高速で移動しているから、敵機の未来位置に向かって弾丸を射ち込まなければ絶対に命中しないのである。この辺のことは東宝の特撮関係者も気が付かなかったようだ。
このことは戦後、坂井三郎さんもいろいろな本や記事や対談の中で言っている。敵機の真後ろにくっついて、しかも敵機が直線運動をした瞬間に弾丸を送り込まなければ、絶対に撃墜できないと…。CFS-1やCFS-2などの空中戦ゲームソフトでは、そういう実戦経験者の体験をリアルに追体験できる面白さがある。
ここで一つだけウラ技を紹介しておこう。坂井三郎さんの空戦記の熱心な読者なら御存知のことだが、坂井さんは決して空中での派手な格闘戦で敵機を多数撃墜したわけではなく、「据え物切り」と言われたように、敵機を先に発見して気付かれないようにその背後に回り込み、抵抗を受けないうちに機先を制して撃墜することが多かったという。
世良光弘氏は坂井三郎さんを徹底取材して「坂井三郎の零戦操縦」という本(並木書房)を出版しているが(坂井さんはこの本の完成も待たずに他界されたという)、その中でこのCFS-2にも触れていて、このゲームソフトでは敵機に気付かれずに接近して撃墜する坂井さん得意の先手必勝は通じないと断言している。しかし実はそれが可能な場合があるのである。
通常の空中戦プレイモードでは、パソコン側の敵機は必ずプレイヤーの飛行機に襲いかかってきて、格闘戦になってしまうのである。私は何度も空中戦プレイを反復するうちに、日本の戦闘機に乗っている限り、アメリカの戦闘機3機を同時に相手することが出来るまでに上達してきた。日本の戦闘機は運動性能が良いので、すぐにアメリカ戦闘機の背後に回り込めるし、またアメリカ戦闘機に背後につかれそうになっても、すぐに振り切ることが出来るのである。
ところがアメリカの戦闘機に乗って日本の戦闘機3機と同時に戦うことは不可能であった。日本戦闘機は防弾が弱く、一度弾丸を当てればすぐに燃え上がってしまうのだが、何しろすばしこくて背後の絶好の射撃位置につくのが非常に難しい。
さてこうやって3機を同時に相手していると、何かの拍子に(どういうタイミングか判らないが)1機だけが戦場を離脱していくことが時々あるのだ。敵機のうちの1機が戦場を離脱しかけたら、すかさず残りの2機を早々に撃墜して、この逃げていく3機目の敵機を追跡する。するとこの敵機はこちらにはまったく無頓着に巡航速度で真っ直ぐ飛ぶだけで、まったく反撃してこない。つまり坂井三郎さんの「据え物切り」が体験できるというわけだ。
CFS-2は大変よく出来た凝ったゲームソフトで、今言ったようなウラ技まで使いこなせれば、空中戦気分を十分に堪能させてくれること請け合いだ。しかし、将来どんなに良く出来た空中戦ゲームソフトが開発されたとしても、絶対に体験できないことが一つだけある。それは空中戦で負ければ撃墜されて戦死するということだ。ゲームならいくら撃墜されても生命を失うことはない。
坂井三郎さんは、戦後さまざまな本や講演の中で、真剣勝負ということについて何度も述べられていた。練習試合でいくら完璧に技を磨いても、それでも思ったとおりに体が動かないのが真剣勝負だと言うのだ。そりゃ当たり前である。練習試合ならたとえ負けてもやり直しがきくが、真剣試合で負ければ後はないのだから…。まして空中戦のゲームソフトなんてまったく気楽なものだ。
坂井さんが真剣勝負についてこんな比喩を書いておられた。
地面に幅1メートルの間隔で2本の平行線を引いて、その線の間をはみ出さないようにして自転車で50メートル走ることが出来るか。大抵の人は自転車に乗れるならば、そんなことは簡単だと答える。では幅1メートルの板を空中5メートルの高さに張り渡した時、その上を自転車で走れるか。同じ道幅を同じ自転車で走るにもかかわらず、ほとんどの人は足がすくんで渡れないだろう。それが真剣勝負だ、と。
考えてみれば、私の仕事も真剣勝負だ。(軍人の剣が殺人剣なら、医師の剣はまさに活人剣か。)患者さんの身体から切り取った生体の一部を顕微鏡で観察して、癌だとか、癌でないだとか、判定しているのである。癌だと判定すれば手術や抗癌剤投与など大変な治療が開始されるが、癌でないと判定すれば何も行なわれない。後になってから、やっぱり間違ってましたでは許されない仕事なのだ。
坂井さんは真剣勝負に臨むに当たっては、平常心を常に保てるように、普段から心身のたゆまぬ訓練を怠らず、どんな場合にも即応できるように心掛ける必要があると説いておられた。
私だって、空中戦ゲームでただ遊んでいるわけではないのだ。
Microsoft Flight Simulator
フライト・シミュレーター
本当はコンバット・フライト・シミュレーターよりも先に紹介しなければならないゲームソフトである。飛行機は乗りたし生命は惜しし、という人には最適なゲームだが、ゲームだからと言って決してバカにしてはいけない。私はフライト・シミュレーター(以下FSと略す。バージョンによってFS-98、FS-2000、FS-2002など)は98年のバージョンから始めているが、確か最初に買ったマニュアルには、このソフトで飛行機の操縦を覚えても実機を操縦してはいけない、というような注意が書いてあった。
実際にアメリカでは、このソフトで“操縦”をマスターした10歳くらいの男の子が飛行場からセスナ機を盗んで離陸し、上空を一周して無事に着陸したという事件が報道されている。
日本でもジェット旅客機をハイジャックして機長を刺殺した後、操縦装置を操作して乗客に恐怖を味わわせた青年が逮捕され、やはりこの犯人がFSにハマっていたことから、FSはかなりアブないマニアのゲームソフトとして一躍有名になったが、正しく遊ぶ正統派のファンから見れば、まったく迷惑な話である。
さて私もパソコンを買って最初にインストールしたゲームがFS-98だった。ところが大枚1万数千円をはたいて買ってはみたが、なかなか飛び上がれない。場所を羽田空港に設定して練習していると、前方に東京タワーが見えるのだが(もちろんバーチャルな光景である)、滑走路を離れようとするたびにたちまち地面に叩きつけられるように墜落してしまうのである。それがまた墜落するたびに“グワッシャーン”と凄いリアルな衝撃音が鳴り響くので、意気消沈することおびただしい。
これは大金払って大損したかな、と諦めかけていた2週間目くらいのこと、フワッと機体が浮き上がったと思ったら、そのまま東京の上空へ舞い上がることが出来た。ただし完全に着陸できるようになるまでに、さらに数ヶ月の熟練を要したが、別にゲームだからどこに墜落しようと何に衝突しようと痛くも痒くもない。(前項で述べた零戦パイロットの坂井三郎さんも飛行機の操作で一番難しいのが着陸だと述べておられた。)
まさに大空を散歩するような爽快感に気を良くして連日“操縦訓練”に励むうちに、レインボー・ブリッジの下をくぐり抜けたり、新宿副都心の高層ビル群の間をジグザグに縫って飛ぶことなど朝飯前、さらにはハワイ真珠湾軍港に停泊しているアメリカ原子力空母の甲板にセスナ機で着艦することも可能になった。ちなみにゲーム画面上の真珠湾には、日本軍に撃沈された戦艦アリゾナの記念館まで見ることが出来る。
まだ見たこともない外国の景色の上空を飛ぶ(飛んだような気になる)のは絶好の気分転換・ストレス発散である。例えば下の写真↓はニューヨークのマンハッタン島の景色だが、ゲームの画面にしてはとても凝った出来栄えではなかろうか。この設定は快晴の昼間だが、時刻も天候も自由に選べるので、飛行条件の組み合わせは無限大である。
昔のPC98(ピーシーきゅうはち)と呼ばれたパソコンが全盛だった頃にも飛行機の操縦ゲームはあったが、黒い画面の中に滑走路とわずかな街の灯が光点で示されるだけであったことを考えると、パソコンのプログラムソフトは、ゲームソフトに限らず、ここ数年間で飛躍的な進歩を遂げたことが実感できる。
FSで再現される景色は地域によってはかなりリアルで、例えば上のマンハッタン島のシーンはFS-2002のものだが、FS-2000の時は世界貿易センタービルがまだあった。テロリストたちはバーチャル世界の高層ビルまでも破壊してしまったのである。このようにアメリカ合衆国内の主要大都市では、さまざまなランドマークもずいぶん精巧に再現されているが、他の国になるとやや雑になる。
例えばイスタンブールでは有名なトプカピ宮殿やアヤソフィアなども省略され、回教国の各地に点在するイスラム寺院の高い尖塔も見ることが出来ない。
日本はFSファンも多いせいか、日本のシーンでは比較的多くのランドマークを再現してくれているが(例えば安芸の宮島の大鳥居など)、東京などの大都市は中途半端にランドマークが点在しているために、却って散漫な感じがしてしまう。むしろFS-98の頃の方が何となく東京のゴミゴミした感じを伝えてくれていたように思われる。特にFS-98に「東京シーナリー」という航空写真をもとに作ったアドオンソフトをインストールしておくと、何となく山の手線の線路が追えて、皇居や上野公園の不忍池や新宿御苑などをぼんやりと識別することができた。
さて究極のFSでは全世界のすべての地形とすべての建造物が再現されていて、バーチャルの世界で自宅上空を飛ぶなんてことも出来るようになるだろうか。本当は地球の上空に何機もの人工衛星を打ち上げておいて、そこから送信してくる精密画像をもとに、リアルタイムの画面を楽しむことも可能になるかも知れないが、これは各国の軍事関係者が絶対に許可しないに違いない。
やはりそういう究極のFSが開発されない限り、飛行機を操縦して空を飛んだような気にはなっても、本物そっくりの風景を楽しむところまではなかなか行かないのが現状であろう。本当は下の写真↓のような景色が見えたら楽しいのに…。
最近では国内線の旅客機に乗ると、機首のカメラで撮影した離着陸時の光景を客室のスクリーンで見せてくれて、まるで自分が操縦席にいるような気分にさせてはくれるが、所詮ジェット旅客機は高空を飛ぶので、飛行中の大部分の時間は下界の景色を楽しむことは不可能である。
手前の大型ヘリコプターは東京消防庁が昭和40年代に導入したピューマという機種で、「ゆりかもめ」と命名されている。現在この名前は、さらにグレードアップしたスーパー・ピューマという機種に受け継がれているらしい。(この写真はゲームの画面ではない。航空ジャーナル1978年8月号より転載)
実は私はこの初代「ゆりかもめ」に乗ったことがあるのだ。まだ小児科医になって日も浅かった築地産院勤務のある土曜日の午後、神津島で未熟児が出生したとの報告があり、先輩医師と一緒に消防庁のヘリコプターで迎えに行くことになった。当日は風が強く、普通の飛行機(固定翼機)が飛べないので、ヘリコプターで飛ぶとのこと。
私はその頃、大の飛行機恐怖症だった。前年オーストラリアに飛行機で行ったのが初めての空の旅で、それまでの学生時代は北海道も九州もすべて列車しか使わなかったのだ。(もっとも当時は大学生が飛行機で旅をする機会も今ほどは多くなかったが…。)そんな私が、飛行機も飛べない強風の中をヘリコプターで島まで飛べと言われた時の気持ちを察して頂きたい。
産院の未熟児搬送用救急車で土曜の午後の下町を抜けて東雲ヘリポートへ。そこで待機していた「ゆりかもめ」に搭乗する。もちろん未熟児搬送用の保育器や蘇生セット一式も積み込む。
その日は風は強いが視界が良いので消防庁のヘリコプターでも飛べるけれど、夜間や視界の利かない天候では計器飛行の出来る自衛隊のヘリコプターで飛ぶのだそうだ。準備完了して離陸、消防庁の地上整備員が一列に並んで帽子を振っている。何か敵陣に向かう攻撃隊を送り出す時のシーンのようでイヤな感じ…。
しかし東京タワーやオフィス街の高層ビル群を右手に見ながら飛んでいるうちに、何だかとても気分が良くなってきた。ジェット旅客機とは比較にならないほど低い高度をゆっくりと飛んでいるので、地表の景色がまさに手に取るように判るのである。あそこは銀座、あそこは浜離宮、向こうには新宿と池袋が見えるぞ、と地上で馴染みの風景を空から眺めていると、さまざまな思い出が甦ってくるのだ。サン・テグジュペリの小説の心が初めて判った気がした。
ヘリコプターが横浜上空にさしかかった頃、向かいの席に座っていた消防庁の隊員の方が、私に向かって地上を指差してみせた。よく戦争映画で見るような、爆撃機パイロットの敵艦発見の合図のしぐさである。何しろ頭の上では巨大なローター(ヘリコプターの“プロペラ”)を回転させるエンジンが轟々と鳴り響いているので、肉声での会話は出来ないのだ。下界を見ると、ちょうど完成したばかりの横浜スタジアムの真上だった。アンツーカーと人工芝の色の対比が鮮やかだった。
横須賀では海上自衛隊基地も一望のもとに見渡すことができ、数年前に竣工したばかりの新鋭「はるな」型護衛艦も停泊していて、飛行機恐怖症もどこへやら、まったくご機嫌な空の旅だった。もっとも突然の任務による飛行だったので、観光旅行のような写真撮影の準備もなかったのは残念だったが、それは仕方のないことだ。
海上に出ると、普通の飛行機は飛べないというほどの強風のため、海面は昔から船乗りのいう『白兎が走る』状態、つまり波頭が風にちぎれて白く泡だち、無数の兎の群れが走っているように見える。その中を神津島へ到着、島の救急車で診療所に向かい、未熟児を収容して再び東京都心へと帰って来た。
数年後、今度は乳児検診で再び神津島を訪れる機会があったので、島の詳細はまた別に書くことにするが、ある土曜日の午後、兎の走る強風の海上を飛行した数時間、それは非常に不思議な時間だった。
任務を終了して、いつもの地下鉄で週末の街を帰宅する間、あれは現実の体験だったのだろうかと、まるで爽快な夢から覚めたような気分だった。フライト・シミュレーターのゲームソフトは、あの時の不思議な時間をもう一度体験させてくれているような気がする。
Microsoft Flight Simulator X
フライト・シミュレーター・X(ten)
さて本当は私もそろそろ飛行機ゴッコどころではないのだが、2007年にフライトシミュレーターの最新版、フライトシミュレーターX(テン)が発売されてしまった(以下FS-Xと略す)。長年親しんだフライトシミュレーターともFS-2002で卒業しようと思っていたのだが、最新版のFS-Xではアフリカで象が歩いているというので、つい買ってしまった。衝動買いもここに極まれりという感じである。
しかしゲームの画面の中を象が歩いているというのだ。誰だってちょっとは好奇心をそそられるのではなかろうか。それがこの画面…。象の群れが小屋の前をゆっくり歩いて行くところで、4本の足を交互に前に出しながら前進していた。ゲーム画面のリアリズムに関しては欲を言い出せば確かにきりがないのだが、10年前はこれだけの画面を家庭用のコンピューターで自由に動かすことなど考えられなかった。
さらに今回のFS-Xでは、これまでの版にはなかったイスタンブールのブルーモスクやアヤソフィア、オーストラリア内陸のエアーズロック(ウルル)なども詳細に描かれており、ああ、あの道を歩いたっけ、あそこで出会った人は今も元気だろうか、などと思わず懐旧の念にかられてしまうほどであった。
コンピューターの性能が格段に進歩したために、ゲーム画面上でこれほどのリアリズムの追求が可能になったわけだが、これははたして余暇を楽しむ人類にとって幸せなことなのか。今回はもう一つのパソコン・ゲーム・ソフト電車でGO!FINALの欄で考えてみようと思う。
汽車でGO!
乗り物運転シリーズ第2弾というところだが、私はフライト・シミュレーターに完全にハマっているから、鉄道とか自動車などの地上交通のシミュレーション・ゲームには正直言ってあまり興味はない。
「電車でGO!」というゲームが、フライト・シミュレーターに負けないほど多くのファンを持っていることも知っていたが、別にあんなもの、実際に電車の先頭車両に乗って、運転台の後ろに立って景色を見ているのと同じじゃないかと思っていた。
ではそんな私が何で「汽車でGO!」(株式会社タイトー)を購入する気になったかと言うと、これは蒸気機関車(SL)のシミュレーション・ゲームだからである。ただしこのゲームには蒸気機関車で山手線を走る設定(下の写真↓)など多少の物珍しさもあるが、ご覧のとおり、蒸気機関車の巨大な“缶(かま)”に遮られて、前方視界は「電車でGO!」に比べて半分以下になってしまい、画面上でバーチャルな風景を楽しむには不適当なのだ。
では何故このゲームソフトをインストールする気になったか。その理由は汽笛の音である。蒸気機関車(SL)のシミュレーション・ソフトであれば、必ずあの汽笛の音も再現されているに違いないと思ったのである。
インストールして早速、汽笛吹鳴の操作をした。ポーッでもボーッでもない、ブオオオオーンンンという独特の余韻を持った蒸気機関車の汽笛がスピーカーから鳴り響いた時は嬉しかった。
最近では、観光用に蒸気機関車を走らせている幾つかの鉄道沿線に住んでいる人々以外は、滅多に日常的に聞くことのなくなってしまった音である。機械の音というよりは、巨大な獣の咆哮のような、力強く、それでいて何となく物悲しい、何とも郷愁を誘う響きなのだ。
昔は奉公に出された娘たちとか、軍隊に召集されて入営した若い兵隊たちは、夜汽車が鳴らす汽笛の音に故郷を思い出して、寝床の中でひそかに涙したという。
私が子供の頃は、まだ東京都内でも蒸気機関車が時々走っていた。小学生の頃、山手線の目白駅(高架になった目白通りの下を山手線の線路が通っている)で、機関車の吐く黒い煙が橋の下をくぐり抜けて行くのが見えたので、友達と一緒に走って行ったら、たくさんの貨車を牽いた蒸気機関車が新宿方向へ走り去っていくところだった。たぶんそれが私が都内で蒸気機関車を見た最後だったかも知れない。
私の育った東京の実家は国鉄(今のJR)の線路から何キロか離れていたが、それでも夜の風向き次第によっては蒸気機関車の汽笛の音が聞こえてきたものだ。昔は夜になると、自動車もほとんど通らなくなり、現在のように深夜から明け方まで大型トラックやバイクの喧騒が絶えないような時代ではなかった。そんな物音一つしない夜の静寂を破って聞こえてくる夜汽車の汽笛には心を揺さぶるような何かがあった。
しかし蒸気機関車での旅行は、そんな郷愁とは無縁の大変なものでもあった。言うまでもなく、蒸気機関車はあの巨大な缶で石炭を焚きながら走っているのである。当然、煙突からはモクモクと黒煙や石炭ガラを吐き出しているのだ。
蒸気機関車はトンネルが近づくと、必ずブオオオオッと汽笛を長く一声鳴らして合図してくれるが、それは郷愁などという生易しいものではない。トンネルという閉鎖空間に突入したら、あの煙突から吐き出される黒煙や石炭ガラはどうなるか、ちょっと考えてみればお判りだろう。
夏でも車内冷房などなかった昔の客車で旅行している場合、蒸気機関車がブオオオオッと汽笛を鳴らしたら、乗客たちは全員が慌てて立ち上がって、あっちでもこっちでもバタンバタンと窓を閉め始めるのである。そして列車がトンネルを出ると、ホッとした表情で再び窓を開けて涼しい外気を車内に入れる。乗客の誰か一人でもこの作業を怠ると、石炭の黒煙が猛然と車内に吹き込んできて、全員が煤だらけになってしまうから、山間地などを走っていると、おちおち弁当も食っていられないし、うっかりトイレ(当時は便所といった)にも立てないのだ。だから見知らぬ乗客同士の間にも、ある種の連帯感があった。
小学生の頃、福島県の会津若松に実家の親戚があったので、何回か夏休みに遊びに行ったことがある。当時は東北本線も宇都宮までしか電化されておらず、そこから先は蒸気機関車が客車を引っ張っていた。特に会津若松から帰京する時など、窓を開けたり閉めたり大変な思いをしながら蒸気機関車に乗って来て、宇都宮で電気機関車に交代するわけだが、スピードがグンと速くなったのが実感できた。その時はピーッという電気機関車の汽笛の音が実に頼もしく思えたものだが、今となってみれば蒸気機関車の旅が懐かしいなどと言うのだから、人間とはまったく身勝手なものだ。
ついでに言えば、蒸気機関車を走らせる機関士の方々のご苦労も大変だったことは後から知った。毎日毎日大量の石炭を焚く仕事は、高温の環境下で石炭の粉塵に晒されるから健康に良いはずがなく、退職後あまり長生きできない方も多かったという。
考えてみれば、そうやっていつの間にか身の回りから消えていったものはどのくらいあるのだろうか。交通機関だけでも、例えばボンネット・バスなど東京でも幾らでも走っていたのだが、現在のような四角いスマートなリアエンジン・バスが登場するや、あっちの方がカッコ良いやと子供心に憧れているうちに、全部リアエンジン・バスになってしまった。もう一度ボンネット・バスに会いたいと思っても後の祭りである。
青函連絡船も同じである。北海道など飛行機で行くものと誰もが思うようになった時代だったのに、青函トンネル開通で連絡船が廃止になると決まった途端、それまで閑古鳥が鳴いていた連絡船に人々が押しかけたという。
プロ野球でも、球団が合併して消滅するとなると、『合併反対』などと書いたプラカードを持ったファンと自称する人々がドッと球場に押しかけた。SLファン、ボンネット・バスのファン、連絡船のファン、どれも同じ心理かな。そんなファンなら普段からもっと球場に行って入場券を買って応援してやれよ!ホームゲームの日には仕事も放り出して球場に駆けつけて、最前列で声を枯らしていたオッチャンたちだけが本当の親身のファンなんだよね。球団も選手たちも、そういう本当のファンのオッチャンたちには何か報いたんだろうか?
補遺:
まさかと思ったけど、この項にボンネット・バスのことを書いたら、やっぱりボンネット・バスって何ですか、と訊いてきた人があった。時代の流れを感じるね。
ボンネット・バスというのは、婦人用の帽子(bonnet)に形が似ているためか、車両の前方にエンジンが突き出したバスのことをいう。こういうエンジン覆いのことを英語ではbonnetと呼ぶらしい↓。
今ではかなり田舎の方へ行っても、こんな古式蒼然たるバスには滅多にお目にかかれないが、昭和30年代頃までは、東京都内のバスもすべてこの形であった。
ところが昭和30年代後半頃から、下の写真のようなリアエンジンエンジン・バスが登場してきて、いつの間にか全国のバスは全部このスタイルに変わってしまったのである。
エンジンの位置が後部に移ったため、車体の前面が平面になり、「鼻ペチャバス」などと書かれた絵本もあったが、ボンネット・バスに比べて非常に垢抜けてスマートな印象を子供心にも感じたものである。
これは女性には判らない心理かも知れないが、男の子は乗り物に性的なイメージを抱くことが多い。私も今にして当時の心象を思うと、リアエンジン・バスは若い美人のお姉さんだったが、ボンネット・バスは男勝りで頑張っている元気なオバサンだった。
やっぱり子供にとっても美人のお姉さんの方が良いよね〜。だからリアエンジン・バスがやっと導入され始めた頃、この新型バスが反対方向へ走って行くのを見届けると、そのバスが終点で折り返して来るまで何台もボンネット・バスをやり過ごしておいて、リアエンジン・バスに乗って帰宅したことが何度もあった。
でも大人になった現在、私はもう一度、あの元気な頑張り屋のオバサン・バスに逢いたいのである。ツンとオツにすました美人のお姉ちゃんバスにばかり乗っていると、昭和30年代の活気のあった東京の街並みを駈け抜けて行ったボンネット・バスがとても懐かしくなる。
上のバスの写真は、ボンネット・バス、リアエンジン・バスとも小樽中央バスのものである。小樽の街を歩いていた時にふとボンネット・バスがまだ現役で走っている後ろ姿を見かけたので、それから何と2時間近くもバス・ターミナルに陣取ってそのバスが帰って来るのを待ち構えていたのである。こういうマニアックな心理は女性には判らないだろうなあ
電車でGO!FINAL
上記の「汽車でGO!」と同じ株式会社タイトーから「電車でGO!」がFINALと銘打って発売された。私は陸上交通のシミュレーション・ゲームは基本的にあまり興味がないのだが、今回はFINAL(最後)ということだし、私がよく利用する路線(山手線と中央線)が収録されているし、それに何より思った以上に安価であったので(1980円)、店頭で手に取ったままつい買ってしまった。またしても衝動買いである。
これがゲームの運転台からの展望であるが、ゲームとは思えないほどリアルである。(計器類や文字を消しておけば実写と錯覚する人もいるだろう。)左は新宿駅ホームの下り電車から大久保・中野方面を見た景色、右は東中野駅を通過する直前の景色で、対向電車とすれ違うところである。対向線路には通勤タイプの車両の他にも、長距離特急電車が走ってくるし、隣の線路には総武線の車両が走っている。また新宿駅では埼京線の車両も見ることができる。東京にお住まいでない方には分かりにくいかも知れないが、沿線の風景は実物でもまさにこの通り。店舗やビルの看板などはわざと字を違えてあったりするが、そんなことはまったく問題にならない。さらに架線の支柱や枕木もリアルだし、工事用車両や作業員の姿も再現してあるばかりか、運転台が2階にある特急車両を運転する時は、運転台からの視点も高くなるなど非常に芸が細かい。まさにフライトシミュレーターと並ぶファン層を保っているゲームだけのことはあると感心した。
要するにパソコンの性能が許す限り、何から何まで精巧・緻密に再現してあるのであって、大人でさえも知らないうちにハマってしまいそう…。でもこんな素晴らしいゲーム・ソフトのある時代に生まれた子供たちは本当に幸せなんだろうかと、フライトシミュレーターXとも併せてふと考えてしまった。
最近ではヤングアダルトも子供も(特に男子)電車に乗り込んで来ると、一つか二つしか座席が空いてなくても老人や女性を押しのけるようにして腰を掛け、おもむろに二つ折りの携帯用ゲーム機を取り出してゲームに熱中する姿をよく見かけるようになった。画面を覗き込むと、「フライトシミュレーター」や「電車でGO!」などに劣らぬリアルな画像で、主人公が野山を前進したり、敵と戦ったり、障害物と格闘したりしている。
私たちが子供の頃はこんなゲームで遊ぶことなど想像もつかなかった。大掛かりなゲームと言えば、せいぜい大きな玩具店に子供用パチンコ機が置いてあるくらいだったが、何しろ設置台数が限られていたからそんな物で遊んだ記憶はない。あとは遊園地やデパート屋上の遊具であるが、もちろん毎日通って遊ぶというものではない。
その代わり、私たちの子供の頃には「うそこ」という言葉があった。カタカナで書くと「ウ○コ」と間違いそうだから平仮名で書くが、つまり「嘘」+接尾語の「こ」である。「うそこの電車」とか「うそこの飛行機」というように使う。(ただしこれは東京地方の話で、他の地域ではまた別の言い方があったかも知れない。)
「これは“うそこの電車”ね。」
と誰かが言ったら、その場に居合わせた子供たちの間では、目の前にある箱でも紐でも電車になるのである。そして箱や紐の先頭に陣取った“運転手”の子供の目には、いつか大人に連れられて電車の先頭に乗った時の情景が生き生きと展開している。また真ん中に乗った“乗客”の子供たちも仲間たちとの電車の旅を楽しんでいて、そろそろ“うそこの目的駅”が近づいてくると、最後尾の“車掌”の子供に向かって、大人の口真似で「降りま〜す」などと言う。しかし“運転手”の子供がなかなか“うそこの電車”を停めてくれないので喧嘩になったりすることもあった。
“うそこの電車”ばかりでなく、皆で“うそこのご飯”と言えば、そこに何もなくても“うそこの肉”や“うそこの果物”や“うそこのお菓子”が並ぶのである。“うそこの郵便局”では“うそこの切手”を売っていて“うそこのお金”を払って“うそこの手紙”を出す。当時の子供たちにとっては“うそこ”とはとても便利な物であった。場合によっては“うそこの先生”にもなれたのだから…。
ゲームソフト時代の子供たちにはこういう遊び方は出来ないであろう。何から何まで機械の力で本物そっくりにシミュレーションしてくれるから、彼らの脳は自分の内部に仮想空間を形成することが苦手ではないのか。自分の脳の中に仮想空間を作るというのは、必ずしも遊びやゲームに限ったことではない。例えば、自分がこうしたら相手はどう思うだろうか、というような相手の身になって考えることも、脳内の仮想空間での作業なのである。
自分が“うそこの運転手”になったら“うそこの乗客たち”にどう対応すべきなのか、私たちくらいまでの世代は交互に“うそこの役割”を分担することで、相手がどう思うかという仮想空間を自分の脳内に形成する訓練を積んできたように思う。
最近の子供たちの心が荒れていて、若者や未成年者による信じられないような凶悪事件がほぼ毎月のように報じられるようになり、多くの有識者と称する人たちは学校や家庭に問題があると指摘している。だから教育改革を断行すべきだとまで直結させる人もいる。しかし機械の力だけで実物をかなり精密に再現させるゲーム機に想像力も創造力も奪われた子供たちが、学校や家庭をちょっと変えたくらいで立ち直るとは思えない。有効な方策も残念ながら思いつかず、ゲームは楽しいけれど実に困ったことである。
Silent Hunter II
サイレント・ハンター2
コンバット・フライト・シミュレーターに続く“お気楽戦争ゲーム”第2弾。サイレント・ハンター(Ubi
Soft)というゲームソフトは、その名のとおり「静かなる狩人」、それも海底で息をひそめて獲物を待ち伏せる潜水艦のゲームである。プレイヤーはUボートの艦長として、連合軍の艦船を魚雷攻撃する。
念の為に言っておくが、Uボートとはドイツの潜水艦のことである(ドイツ語の潜水艦 Unterseeboot の省略形)。2000年頃、『U-571』というUボートの映画が封切られた時に映画館に観に行ったが、すぐ前の席に座っていた女子大生らしき2人組が互いに話しているのが耳に入った。「Uって何の意味?」「さあ…?」。思いっきりズッコケた。
さっそくゲーム開始。
左側は潜望鏡に捉えられたアメリカの輸送船団、右側は撃沈したイギリスの重巡洋艦で、いずれもかなりリアルなグラフィックスである。見るからに血沸き肉踊る勇壮な場面ではないか。日本の戦時中の「轟沈」という歌の歌詞そのものだ。(作詞:米山忠雄/作曲:江口夜詩)
一)可愛い魚雷と一緒に積んだ
青いバナナも黄色く熟れた
男所帯は気ままなものよ
髭も生えます 髭も生えます 不精髭
二)針路西へと 波また波の
しぶき厳しい見張りは続く
初の獲物にいつの日逢える
今日も暮れるか 今日も暮れるか 腕が鳴る
三)轟沈轟沈 凱歌が上がりゃ
積もる苦労も苦労にゃならぬ
嬉し涙に潜望鏡も
曇る夕陽の 曇る夕陽の印度洋
四)昇る朝日に 十字の星に
思い遥かな緑の基地よ
友も笑顔で待っててくれる
国の便りも 国の便りも待っている
しかし潜水艦戦も上のグラフィクスのような景気のいい場面ばかりなら乗員たちも楽だったろうが、実際に潜水艦に乗ったことのない我々のような者でも、そんなはずはないと想像するに難くない。
実はこのゲームでも上のようなド派手な場面は序盤だけで、たちまち護衛の駆逐艦が殺到してくるから、あとは潜望鏡を下げて深々度に潜航、爆雷攻撃を避けながら、ひたすら耐えて耐えて海底を逃げ回る展開になる。ソナーの探信音がピーン、ピーンと伝わってきて、場所を探知されると駆逐艦のスクリュー音がシャシャシャシャと接近してきて、爆雷を投下しながら通過して行く。
潜水艦側は敵の裏をかいて潜航深度を変えたり、急発進して場所を変えたりして逃走を企てるのだが、やはりこうなっては潜水艦は水上艦艇(特に駆逐艦)には分が悪い。爆雷攻撃、退避、爆雷攻撃、退避、の単調な繰り返しに、ゲームなら「もう止めた」と言えるが、もちろん実戦だったらそんなわけに行かない。生命を賭けた鬼ごっこ、どんなに恐ろしかっただろうか。熟練の潜水艦長でさえ、敵駆逐艦による爆雷攻撃には最後まで慣れることはできなかったと、その恐怖を赤裸々に語っておられたのを読んだことがある。
潜航中に撃沈されれば万が一にも生存の可能性はない。機械がギッシリ詰まった狭い鉄の箱の中で、じっと息を殺して敵の攻撃が終わるのを待つ時の気持ちは、おそらく経験者でなければ判るものではないだろう。至近距離で爆雷を受けて電源が壊れれば艦内は真っ暗、懐中電灯の細々とした光しかなくなる。そして何より浮上して空気を入れかえることが出来ないから、酸素は減って二酸化炭素濃度が上昇する。乗員たちは息苦しさのあまり、机の引き出しやマッチ箱の中に残っているわずかな空気さえも吸ったという。しかもバッテリーが損傷すれば有毒な塩素ガスが艦内に充満する。
敵駆逐艦から一方的に叩かれるだけの、こういう苦しい戦いはゲームではとても再現できない。だからどんなにグラフィクスがリアルでも、所詮は“お気楽戦争ゲーム”なのだ。
ところで第二次世界大戦中、日本の伊号潜水艦が何隻かドイツとの連絡任務に当たった。日本の潜水艦はUボートではなくて、航洋性能の高い大型潜水艦を伊号と呼んだ。中型や小型のものをそれぞれ呂号、波号というが、伊号が主流である。
伊30 | 昭和17年4月10日呉発。4月22日ペナン発。5月から6月インド洋偵察に従事。8月5日ロリアン(フランス)着。8月22日同地発。10月13日シンガポール着。同日シンガポール出港後、機雷に触れて沈没。 |
伊8 | 昭和18年6月1日呉発。6月27日ペナン発。8月31日ブレスト(フランス)着。10月5日同地発。12月5日シンガポール着。12月10日同地発。12月20日呉着。 |
伊34 | 昭和18年10月13日呉発。10月20日シンガポール着。11月11日同地発。11月13日インド洋で雷撃されて沈没。 |
伊29 | 昭和18年11月呉発。11月14日シンガポール着。12月17日同地発。昭和19年3月11日ロリアン着。4月16日同地発。7月14日シンガポール着。7月22日同地発。7月26日フィリピン近海で雷撃されて沈没。 |
伊52 | 昭和19年3月31日呉発。4月23日シンガポール発。6月23日Uボートと会合。6月24日空母機の爆撃を受けて沈没。 |
日本潜水艦関係の書籍や、吉村昭氏のノン・フィクション「深海の使者」から抜粋したドイツ派遣潜水艦の航跡である。こうやって文字で書いてしまうと、「ああ、そうなの、大変ね」で終わってしまうところだが、出発早々に撃沈された伊号第34潜水艦を除けば、どの潜水艦も日本勢力圏とドイツ勢力圏の港の間を、無寄港で片道2ヶ月から3ヶ月かけて走破している。
小さなヨットで世界一周する人も凄いと思うが、これらの潜水艦の場合は連合軍の艦艇や航空機が制圧する海面下を、息をひそめるようにして危険を冒しながら航行したのである。どこかで一つ間違うか、何かの不運に見舞われれば、それまでの長い航海も文字通り水の泡となって、乗員の生命もまたそこで終わりとなってしまう。
艦内で何らかの配置についている乗員は任務に気が紛れるからまだマシかも知れないが、これらの潜水艦は日独間の連絡ということで、技術者なども含む多数の便乗者が乗っていた。これらの便乗者は無事に目的地に到着するまでは何もすることがない。こういう便乗者の状況を想像するだけでも、私は息が詰まりそうだ。
狭い潜水艦のことだから十分な居住空間があるわけではない。日独間を輸送する物資も大量に積み込んでいる。おそらく便乗者1人あたり小さな寝台1個が与えられた程度だったのではなかろうか。しかも1日中何もすることがなく、外気に触れることも出来ず、太陽を浴びることも出来ず、軽く手足の屈伸をする程度の運動しか出来ない。この状態が2ヶ月!それも2ヶ月我慢すれば解放されるという保証はないどころか、当時の戦況を考えれば、いつ海の藻屑と消えるかも知れない可能性の方が大きかった。食事も缶詰のような物ばかりだったろうし、真水は大切だから入浴などとんでもない話。洗面や歯磨きさえ不自由だったことだろう。
無事に目的地に着いた時、艦を降りた乗員や便乗者たちは、2ヶ月以上も太陽を浴びていないために肌は真っ白で垢まみれ、運動不足で足取りも覚束なかったという。こんな苦労をしてまでアジアとヨーロッパ間を往来するなんて、戦争とは何という徒労なのだろうと思う。
我々は当時の潜水艦乗員の苦労をほとんど想像できないが、敵駆逐艦に制圧されたり、潜航中に事故を起こした時の恐怖に思いを寄せるのであれば、例えば地震でストップした高層ビルのエレベーターに何時間も閉じ込められたような状況であろうか。あるいは地下鉄が停電で駅の間に停まってしまったような状況であろうか。こういう都市災害の場合は周囲にいるのが訓練された乗員たちではないので、そのことによるパニック状態も恐ろしいが…。
フリーセル・1000連勝
最近は空中戦どころか飛行機の操縦もしなくなったし、潜水艦もしばらく訓練していない。電車も本物しか乗っていない(笑)。ゲームはWindowsのホームエディションを買うと、最初からインストールされている付録みたいなヤツを細々やっているくらいですが、先日ちょっとエキサイティングな数字に挑戦したので、他愛もないことだが、報告しておきますね(笑)。
実はそのWindowsにインストールされているMicrosoft Gamesの中のフリーセルで、ついに1000連勝を達成したのです。フリーセルとは、ランダムに積み上げられたトランプカード52枚を、4つのフリーセル(フリー・スペース)を使って赤黒交互に積み直していき、エース(A)からキング(13)まで数字の小さい順に、順次4つのホームセルに記号を揃えて移動させるゲームです。
慣れてくると1ゲーム5分から15分くらいで完結するので、パソコン作業中にちょっと気分転換したい時にはお勧めですが、職場なんかで使うプロフェッショナルエディションには普通は標準装備でインストールされていません。もちろん職場でそんなゲームをやっているヒマなんかありませんけど…(笑)。
フリーセルはWindows XPの時代からハマりましたね。XPやVistaの時はカードを全部ホームセルに積み終えると打ち上げ花火のアニメーションが出てきたものでしたが、Windows
7ではご覧のように積み上がったカードが画面の下に落ちてきて砕け散ってしまいます。最初にこれを見た時はちょっと驚きでした。
ところでフリーセル1000連勝を達成したのは、2010年春先から自宅で使い続けてきたWindows 7のマシンですが、2年半かけてこの“大記録”に到達したわけです。前人未踏ではないと思いますが…。
XPやVistaの時は、確か一度ホームセルに積み上がってしまったカードは戻すことが出来なかったが、OSが7に変わってから無制限にゲーム開始時の状態まででも戻せるようになった、だから、これはちょっとダメだな…という時にはやり直しが効くようになり、根気さえあれば、1000連勝でも2000連勝でも夢ではなくなりました。
ここで写真の赤い円の中を見て頂ければ分かると思いますが、連勝記録が1000で、連敗記録が1となっています。つまり途中で1敗してしまった。本当は“無傷の開幕1000連勝”で勝率100%を維持したかったんですがね(嘆)。1度負けてしまうと、もう勝率は99%より上には行きません。あの1敗は、ゲームを戻す操作の手元が狂った痛恨の1敗でした…。1敗した時に成績表を全部リセットしておけば、新たに“無傷の連勝記録”を始めることも出来たはずでしたが、513連勝目を逃した時に完全な諦めムードに取り憑かれたまま、漫然とゲームを繰り返すうちに、またいつの間にか1000連勝となった次第です。
最近ではパソコンゲームに限らす、携帯ゲーム機や携帯電話機(iPhoneだけでない)でも、本当にきれいな画面でゲームが楽しめるようになりました。私たちの世代が学生だった頃、喫茶店の片隅のテーブル兼ゲーム台で、あの懐かしいスペースインベーダーゲームをやっていた頃とは時代が違います。
最初の頃はまだ液晶画面ではなくブラウン管だったように思いますが、タコのような宇宙人が画面の上方から攻めてくる、それを4個の陣地に隠れながらミサイルで倒していく、時々敵の円盤が飛んで来るのでそれを撃つとボーナス点が加算される…。まあ、そんな複雑なゲームではありませんでしたが、当時の若者たちは“神戸撃ち”とか“名古屋撃ち”とかいろんな技を編み出して楽しんだものです。
あとそれより少し前からブロック崩しなんかもありましたね。私はヘタクソでしたが…(笑)
昔は喫茶店やゲームセンターの大きなゲーム台に100円硬貨を投入しなければ出来なかったようなエキサイティングなゲームが、今では家庭のパソコンや手元の携帯ゲーム機などでも手軽に楽しめるようになりました。でもこれは別のページにも書いたように、自分自身の脳が作り出したイメージの世界で遊んでいるわけではない、あくまでゲーム製作者やプログラマーがお膳立てしてくれた仮想空間という舞台で遊ばせて貰っているだけだということは認識しておいた方が良いです。
何年か前に神宮球場で見かけた子供さん、現実のスタジアムに連れて来て貰って、現実のプロ野球の試合が目の前で行われているにもかかわらず、ゲーム機で野球ゲームをやっていた、あの子がその後どうなったか、他人事ながら心配です。
あと最近は一番困るのが、電車の中に限らず、電車を降りてからも朝のラッシュアワーの駅の階段などでゲーム機を手放さない大人や子供、しかも新しいゲーム機はヘッドフォンで音声まで楽しめるみたいですから、完全に自分の仮想ゲーム世界に没頭しきったまま混雑する駅の通路など歩いています。
私は携帯音楽プレイヤーで音楽を聴きながら歩くのだって危険だと思っていますが、聴覚だけでなく、視覚までをゲーム画面に釘付けにしたまま雑踏を横切ることが、自分のみならず老人や障害者など他人にとってもどれほど危険か、彼らは何も考えようとしない。自分さえ楽しきゃ良い、まあ、最近の日本人の風潮ですか。近頃は『携帯電話の通話やゲームなど“ながら歩行”は止めましょう』という駅のアナウンスも耳にするようになりました。実際に現実世界での事故も起こっているようです。
(2013年9月4日、フリーセル1500連勝達成)
(2014年5月6日、フリーセル2000連勝達成)
(2014年6月1日、フリーセル2033連勝で記録ストップ)
こんなゲームでも連勝記録の重圧は凄かった。これからはゲームを楽しみます(笑)
(2017年4月24日、フリーセル2度目の1000連勝達成)
(2017年7月11日、フリーセル2度目の1500連勝達成)
(2017年8月30日、フリーセル2度目の2000連勝達成)
(2017年9月3日、新記録2034連勝達成)
(2017年11月15日、フリーセル2500連勝達成)
(2018年2月15日、フリーセル3000連勝達成 パソコン機種変更により連勝記録ストップ)
なめこ栽培キット
ビーワークスという会社が2011年に開発・発売したiPhoneやAndroid搭載スマートフォン用のゲームアプリケーション『なめこ栽培キット』です。正式には『おさわり探偵 なめこ栽培キット』というらしいですが、元々ニンテンドーDS用のタッチパネルで操作する『おさわり探偵
小沢里奈』ゲームソフトに登場するキャラクターを転用しているので、“おさわり探偵”だそうです。
なるほど、タッチパネルだから“小沢里奈”(おさわりな=お触りな)か。
別にこっちのゲームでは事件を捜査したりするわけではなく、元のゲームでは探偵助手だった“なめこ”をメインのキャラクターにして、それを繁殖させるだけの単純なゲームなのですが、そのキャラクターが何ともユーモラスでチャーミング、しかもそれらにタッチパネルで触れると、ビョビョビョビョビョビョ〜ンという音と共に収穫されて、ピュピュピュピュピュピュ〜ンという音と共にポイントに換金される、その快感がたまらないということで、開発以来たちまち巷の学生やOLの大人気を博したそうです。そのうえ使用料は無料ですから、あっという間にシリーズ通算1300万以上のダウンロードを記録したと発表されました。
私も最近スマートフォンのiPhoneに乗り換えましたが、それまでも学生さんがビョビョビョビョビョビョ〜ン…ピュピュピュピュピュピュ〜ンと音を立てているのを見て(年甲斐もなく)面白そうだなと思っていたので、まだ電話もメールもできないうちから彼らに頼んでダウンロードして貰いました。
このゲームが他の多くのゲームと違う良いところは時間を使わずに済むこと、状況を設定して放置しておけば、あとは勝手になめこが繁殖して、次にスマホを手に取って画面を開いた時には上の写真のようになめこがギッシリ繁殖しているから、あとはパネルにタッチして、ビョビョビョビョビョビョ〜ン…ピュピュピュピュピュピュ〜ンと収穫しておけばよい。私などは朝なめこの原木に肥料(フード)をやっておいて大学に着いたら収穫、学生さんの講義が終わったら部屋に戻ってきて次の収穫、大学を出る時に次の収穫、帰宅したらまた収穫、寝る前に最後の収穫…と、それぞれ時間にして10秒もかかりません。それで何となく幸せな気分になれる…。
電車の中だろうが、人混みを歩きながらだろうが、ところ構わずゲーム画面から目を離そうとしない不注意で無責任な大人や子供が増えていますが、このゲームに限ってはそういう社会的迷惑にはなりそうもありませんね。しかし学生さんたちは私の講義中に“なめこ”が1本1本生えてくるのを眺めて楽しんでいたんでしょうか?(苦笑)
ところで上の写真のなめこたち、あれって“なめこ”…?赤や白や黄色や青や化け物みたいなのばっかりで、あんなのが味噌汁に入っていたら驚いてお椀をひっくり返しちゃいそうですが、あれは収穫数がどんどん増えてポイントが溜まり、栽培設備をグレードアップすると、次々とレアな新種のなめこが生えてくるようになるのです。上の写真のレアななめこたち、白ナメコくらいなら食べてもよいが、激辛なめこ、バナナメコ、なめこんぶ、ねこなめこ、刀を振り回す将軍なめこ、王冠をかぶった王様なめこ、メカニカルなロボなめこ…こんなの食べる気になります…?(笑)
もっともスタンダードなめこもこちらの写真のような連中ですから、こんな顔で味噌汁の中から見つめられたら、せっかくのなめこ汁も食べ残してしまいますね。
まあ、『なめこ栽培キット』のお勧めなところは、ゲームのキャラクターが勝手に増殖してくれるので、プレイヤーはゲームの進行を完全に機械に任せておいて、あとは時間の空いている時に画面の壁紙のような感じで楽しめることです。先ほども書きましたが、人混みの中でもゲーム機やスマホから目を離せなくなるようなゲームは周囲への危険を伴うので、今後は販売やプレイを制限しなければいけなくなるかも知れません。その話はまたいずれどこかに書くとして、『なめこ栽培キット』は従来のゲームの感覚を超えた傑作だと思います。
Temple Run
テンプル・ラン
スマートフォンに替えた当初からダウンロードして、数分間以内の時間潰しや気分転換に楽しんでいるのがTemple Runというゲーム、別にこんなゲーム知らなかったんですが、私がスマホに乗り換えたのを知った学生さん(当時)に強要されてアプリ・ストアからダウンロードしてしまいました。何のことはない、その学生さんは自分がまだガラケー(日本独自の発展を遂げた腰折れの携帯電話、ダーウィン進化論の舞台、ガラパゴス諸島の携帯電話という意味らしい)だったので、私のスマホを借りて自分が遊びたかったらしい(^o^)
Temple Run、文字通りには寺院での逃走…、上の画面のようにある時は古い寺院の回廊のような石畳の道を、ある時は岩だらけの尾根道を、またある時は板張りの道を、ひたすら走って、走って、走り続けるだけ、画面下方にゲームキャラクターの後ろ姿が見えるが、彼らの後ろからは猿人のようなモンスターがギャアギャア叫びながら追いかけてくる、もちろん途中の道で躓いたりすれば追いつかれて食われてしまうし、彼らの前方には木の根っこが張り出していたり、トンネルがあったり、道が壊れていたり、松明が燃えさかっていたり、罠が仕掛けられていたりして、これらに捕まれば即座にゲーム・オーバー、さらに厄介なことにこのキャラクターたちは疲れも知らず、ただ前へ前へと真っ直ぐ走るしか能が無い、だからプレイヤーがスマホの画面を上下左右に指でサッサッとなぞって、右折や左折、障害物の飛び越しや潜り込みを指示してやらなければいけない。
道を外れればワニやピラニアなどが待つジャングルの河へドボン、松明にぶつかれば全身黒こげ、トンネルをくぐり損なえば首がちょん切れてしまう。こうやって走る道の途中に黄色や赤や青の四角い金貨があって、それをゲットすればゲームの点数は加算されて、その金貨でさらに新しいゲームのアイテムを購入することもできる…。
ただ走って逃げるだけの単純なゲームであるが、あの小さなスマホの画面にしては妙にリアルに見える古代寺院やジャングルの画像の中で繰り広げられるゲームのスピード感に、つい魅了されてしまう。
まあ、スマホやめますかなんて書いておきながら、お前がゲームにはまっていては若い者に示しがつかないじゃないか…というお叱りは謙虚に…本当に謙虚に受け止めるとして、このゲームはよほど達人の域に達しなければ、1回のゲーム時間は3分と持たない。私などはせいぜい1分か2分で終わってしまう。前項のなめこ栽培キットと同じで、適度な気分転換にはちょうど良いゲームである…、って何を自己弁護してんだか(笑)
このゲームは上達するとどんどん得点が伸びるようになるが、画面をクリアして上級へ進むとか、何かゲーム上の報償があるとか、そういう到達点は設定されていない、ただひたすら先へ先へと走るだけ、最近このゲーム画面を開くたびに感じるのは、これって人生に似てるなという思い、目先の障害物をひとつひとつクリアしつつ、背後に迫る追っ手から逃れるためにひたすら走る…、そしてある時いきなりゲームオーバー…。
たかがスマホのゲーム一つにこんな感慨を抱くようになったのも、これまで経て来た歳月のなせる業か(笑)。まだまだしばらく走るぞ!
私がハマってしまったのはTemple Runの1というバージョンで、上の画面は2つともそれである。2というバージョンもあるが、私はもうダウンロードするつもりはない。
またこのゲーム、ハリウッドあたりで映画化が決定したとも伝え聞くが、映画の全編、最初から最後までただ走って走って走りまくるだけの映画だと面白いですね。そういう奇想天外なストーリーの映画だったら観に行こうかと思っている。
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