サイトのお引っ越し
以前から書いていましたが、昨年のハロウィンの夜に舞い込んだ1通の通告で、これまで12年間お世話になったOCNのPageONのサーバーがサービスを停止することを知りました。
その時はもう十分いろいろ書き散らかしたから、サイトが炎上しないうちに、あるいは他人の恨みを買う前に、これを契機にサイトを閉鎖することも考えましたが、何故かこんなサイトでも毎回更新のたびに読んで下さる方が全国で38名くらいいらっしゃることと(別に数えたわけじゃありませんよ・笑)、やはりボケ防止には文章を書きまくるのが良さそうだと思ったので、何とかこちらのさくらインターネットのサーバーに引っ越して来ました。38名の愛読者の皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
それで12年前にサイトを起ち上げた時と、今回サイトを引っ越した時を比べた時に感じたのは、インターネットのシステム自体にそれほど大きな進展も無いということ。さまざまな運営の母体はあるでしょうが、中央の大きなサーバーがあって、個々のサイト主は自分が作成したファイルをサーバーに送ると、それを全国のインターネットユーザーが各自の端末機器で閲覧することができる、この作業過程自体は12年以上まったく変わっていないのですね。
こういう電子機器の場合、例えばコマンドで動くコンピュータがアイコンで動くようになった、フロッピーディスクにメモリーを蓄えていたのがUSBメモリーになった、こういう変化が普及すると古い機種は使えなくなりますが、インターネットを利用してサイトを公開する手順にはそんなに劇的な変化が起こっていない、私のホームページ作成ソフトも12年前のバージョンのままです。
コンピューターが20世紀後半以来、物凄いスピードで進化を遂げてきたことを考えれば、12年間変わらぬ操作手順があるということは信じられないことなのですが、ほとんどの人はそれに感づいていないのではないでしょうか。
それは逆に言えば、インターネットシステム自体が、すでにこれ以上変更する余地もない人類の完成された文化になっているということです。むしろ人類の“生物学的な形質”になっていると言ってもよい。
動物の中には自然界にある物を使って住み処を作ったり、餌を捕食したりする種族がいますが、人類にとってのコンピュータはもはやそれに近いのではないでしょうか。木が無くなればビーバーは巣を作れなくなるが、インターネットが無くなれば人類はたぶん種族としての存続が危うくなると思います。
さてあとは私事ですが、昨年まではけっこう律儀に毎月4回ずつ更新を続けていましたが、今回の引っ越し作業で1月と2月はそれぞれ2回ずつになりました。これからはまた1ヶ月に4回の更新を自分に課したいと思っているのですが、ここでまた気付いたことがある。
これは私の教え子の学生さんたちにも言いたいことなのですが、人間は1度気を抜いて楽をしてしまうと、もう一度立ち直るのが非常に難しいということです。スポーツなどでも一生懸命身体を動かしているうちは疲れもそれほど感じないが、一度休憩を取ってしまうと急にガクッと全身の力が抜けてしまう。
オリンピック出場クラスの名選手でも、一度引退を考えてしまうと気持ちが萎えてしまって、もう一度オリンピックに挑戦しようという闘志を高めるのがとても難しいと聞きました。
芸能界でも同じです。もう20年近く前になりますが、タレントで映画監督でもある北野武さん(ビートたけし)が印象に残ることを書いていたのを覚えています。当時人気絶頂だったタレントの萩本欽一さんが1年くらい完全休養して、テレビなどの仕事に出なくなってしまった、ご本人は新たな芸のための充電期間と説明していたが、北野武さんはこれを批判したわけです。
「欣ちゃんはあのまま走り続けなければいけなかった、あそこで充電と称して休んでしまったためにせっかくの才能が頭打ちになった、芸人は走りながら休まなければいけないんだ」
北野武さんはバカを売り物にしてますが、その言葉は非常に味がある人です。
走りながら休まなければいけない、皆さんも「芸人は」の部分を「○○は」と自分のことに置き換えて、この言葉を噛みしめてみて下さい。
私もサイト移転中は北野武さんの言葉を思い出して、何とか月2回ずつの更新を維持してみましたが、これを元のペースに戻すのが先ず当面の目標ですね。
天地競艶
世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
という在原業平の和歌が古今和歌集にあります。桜さえなければもっと気楽に春を過ごせるのに〜という逆説的な歌で、桜の見頃は本当に短い、しかも天候は変わりやすく、夜半の嵐で翌日にはもうせっかくの桜も散ってしまうかも知れない、早く桜の花を愛でなければ…と気が急いてしまって、春のこの時期をのどかに過ごすことができないという意味なのですが、今年(2015年)に限って言えば、寒の戻りの後に急に暖かくなって東京都内の桜が一気に満開になった、しかも穏やかな好天が2日も続いてくれた、もう絶好の花見日和の年でしたね。在原業平ももう少し長生きしていれば…(笑)
今年はまたこの見事な夜桜の季節に、天空では月齢10日前後の月が木星と並んで光を競うという天体ショーが繰り広げられていました。我等の地球唯一の衛星である月と、惑星の王者木星を背景に咲き誇る桜、まさに一幅の襖絵を見るようです。
これだけの風物に心を揺り動かされるのが、私たちに近い老齢世代ばかりとすれば寂しい限りです。前回の皆既月蝕の時も申し上げましたが、せっかく天空では月と地球と太陽が一大イベントを繰り広げているのに、次の時代を担う子供たちが空を見上げている姿が少なかった、そのことが気になっています。
月蝕の原理も知らない者が増えた若い世代、また昔から日本人に愛されてきた桜の花を愛でるよりも、ゲーム機で遊んでいたいと思う者が多くなった若い世代、いったい次の時代の日本人はどうなってしまうのか。
月や星を見て、桜を見て、自分なりの感性を得られなくなってしまえば、あとは為政者にとって都合の良いステレオタイプの思考だけが吹き込まれやすくなってしまいます。今回の上弦の月が満ちていって次の満月の晩、もう一度月蝕が起こるそうです。桜吹雪の中で暗くなっていく満月を見上げながら、日本人は何を想うのでしょうか。
精神の異常と人権
今年も無事に卒業生を送り出すことができたが、我々のような医療専門職を育成する学部や学科では、国家試験に合格して晴れて医療人になった卒業生たちは、大学の卒業証書とは別に、厚生労働省が認定する医療従事者資格の免許を申請することになる。
こういう医師免許だとか、看護師免許だとか、臨床検査技師の免許を申請するに当たって、医師の署名した健康診断書が必要になるが、私も卒業していく教え子たちから頼まれて書いてあげることも多い。ところがこの診断書、実は以下の3項目しかない。たぶん私自身が医師免許を申請する時もそんなものだったと思う。
●目が見えない ●精神に異常がある ●大麻や覚醒剤を常用する
正確な文面は忘れたが、この3項目に該当しないことだけを証明してやれば良いのだ。手間のかかる血液検査だとかレントゲン検査だとか心電図検査なんかする必要はない。
たったこれだけの項目だから、卒業生たちがどこか別の医療機関で初対面の医師に書いて貰うよりも、4年間教室や実習室で教えてきた医師の教員が書いてあげた方が絶対正確に決まっている。だから私も比較的気楽にこれまで書いてあげたのだが…。
視覚に異常がないのは、音声の補助が無い国家試験受験場で試験を受けたのだから、会ったことのない厚生労働省の役人だって簡単に分かるはずだし、大麻や覚醒剤に関して警察のお世話になるような学生など合格できるような試験ではない。
ところがこの第2項の精神の異常があるかないか…、これが無いという欄にチェックしてあげる時は私は何となく違和感を覚えていた。いったい何をもって精神の異常と呼ぶのか、というより正常な精神とは一体どういうものなのか?また精神科医や心理カウンセラーに受診した経歴のある学生に精神に異常があるという判定を下して、医療人としての資格申請に「待った」を掛けて良いのか?
おそらくほとんどの医師が、こういう専門職への道を志した若者たちの前途を覆しかねない判定を記入することはまずないだろう。私の書いた診断書で免許を申請して医療の現場で働いている者はもう何百人もいる。
しかしこういう情況に一抹の不安を感じさせるような“事件”が突発した。2015年3月24日にドイツの航空会社ジャーマンウィングスの旅客機が墜落し、乗客・乗員150名全員が死亡した“事故”は、実は副操縦士がコックピットで1人になった機会に、故意に機体を急降下させて山に墜落させた可能性が高いと報じられている。
「死人に口なし」で、墜落事故の責任を全部“精神異常”の乗務員におっかぶせようという魂胆も感じられなくもないが、ボイスレコーダーやフライトレコーダーの解析、副操縦士の知り合いなどからの事情聴取やパソコンの検索履歴の調査、精神科医の受診記録などは、いずれも副操縦士の故意を裏付けるものばかりのようだ。
パイロットになりたいと志願する青年の診断書に、精神異常ありとの判断を記入できる医師は果たしてどれくらいいるのか。それで目の前にいる青年の職業選択の自由を奪ってしまう可能性もあるのだ。しかし自殺念慮が異常に強く、他人の人生への責任感が異常に希薄な人間が旅客機の操縦装置を1人で操作する機会を与えられれば、今回のような事件が起こり得ることは、以前から航空関係者や精神医療関係者の胸の中には漠然とあったに違いない。現に1982年2月9日には日本航空の旅客機が羽田空港滑走路手前で機長が故意に逆噴射をかけたため失速して墜落した事件も起こっている。
これは我々の医療現場も他人事ではない。過去にドイツやイギリスなどで看護師による毒物混入で患者が死亡するような事件も起こっており(その後2016年には日本でも発覚した)、こちらは自殺の巻き添えにするのではなく、明らかに殺人であり悪質性は高い。旅客機の墜落で一挙に150人もの乗客・乗員が死亡するというセンセーションは少ないので、今のところはあまり共通性が認識されにくいが、“精神の異常”がある者を人命を預かる職場に配置する危険性という視点からはまったく同質である。
世界は非常に厄介な問題を抱え込んでしまったという印象が強い。交通機関とか医療機関とか、あるいは原子力を扱う施設など、高度に人命と関わる職種の志願者をどこまで“精神的に”選別して良いのか?志願者や従事者の職業選択の自由を侵害する結果にもつながる問題であるが、しかしだからといって飛行機に乗ったり医療機関を受診する利用者の運命が、良い相手に当たるかどうかのウン次第…というわけには行かないだろう。
考えてみれば自動車の運転免許も同じである。パイロットや医療従事者に比べてはるかに多数の人たちが免許を許されているから歯止めは利かなくなっているが、運転者の心理的不適正の犠牲になった交通事故などはいつでもどこでも起こり得る。こちらも難しい問題である。
スマホやめますか
平成27年度の信州大学入学式で山沢清人学長が新入生への挨拶の中で、「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」と述べたことがちょっとした話題になっている。一部のマスコミや若いネットユーザーたちはこのフレーズだけをセンセーショナルに取り上げて、まるで山沢学長がスマホや携帯電話という新時代の情報機器を全否定したかのように受け止めて反発する者も多いようだが、全体像の中からワンフレーズだけ切り取って論じてみても始まらない。そういう単純な思考態度こそがスマホ時代の弊害でもある。
山沢学長の挨拶全文を読んでみると、スマホや携帯電話の普及によって、アニメやゲームなどで無為に時間を潰す機会が増えてしまい、これに依存することで知性、個性、独創性を伸ばすことができなくなりつつあると言っているだけである。そしてスマホのスイッチを切って、本を読み、友人たちと話し、自分で考える習慣をつけろと述べている。決してスマホを使うな、携帯電話なんか捨ててしまえと言っているわけではない。
スマホに依存していると脳が取り込む情報が低下するから、スマホの使用は最低限度にした方が良い、私も山沢学長の意見に全面的に賛成である。
まあ、「信大生やめますか」の部分がちょっと過激で、スマホに依存し続けるなら信州大学をやめなさいというように聞こえるから、若いネットユーザーや考えの浅いマスコミ記者は過敏に反応したんだろうが、私なんか今年の新入生に「勉強する気がなけりゃさっさとやめちまえ」とまで訓示しているから、新聞記者に嗅ぎつけられたらえらいこっちゃ(笑)。
ところで山沢学長の挨拶の「スマホに依存すると脳の取り込む情報が低下する」という部分、これを読んで、あまりにもピッタリした情景を思い出したので書いておく。
昨年(2014年)の11月5日はミラクルムーンという名月だった。太陰暦では何と171年ぶりに「十三夜」が2度あるとのこと。太陰暦では8月15日の「十五夜」と、9月13日の「十三夜」に名月があって、昔の人々は1年に2度お月見を楽しんだらしい。
ところが太陰暦でも1年の長さを調節するために3年に1度「閏月」を入れる(太陽暦の閏年のようなもの)、その閏月は毎年何月と決まっているわけではなくて、月の運行によりたまたま9月を閏月として2回入れるのが171年ぶりとのこと、太陽暦に慣れた我々には分かりにくいが、とにかく2014年は太陰暦の9月が2回あったから、9月13日の「十三夜」も2回ある、だから太陽暦で2014年11月5日の月は1年で2度目の十三夜(「後の十三夜」というらしい)だった。
別に我々の太陽暦では「十三夜」が2回あろうと月は月だろうが…と思ってしまうが、そこで昔の人は月を基本にした暦を使ってたんだな、と思いを巡らせることができるかどうかこそ、山沢学長の言う脳の情報取り込み量の差として表れてくるのであろう。
まあ、太陰暦のこととか、後の十三夜のこととか、単に知識として知るだけなら、それこそスマホからネットに接続すればいろいろなサイトで調べることができるが、その月を実際に見ることができれば、我々の脳に刻みつけられる情報はより強いイメージを伴うようになるはずだ。
ところが171年ぶりの「後の十三夜」の夕方から夜にかけて、東京は曇天で空は厚い雲に一面覆われていた。これはもう名月も望みなしだなと半ば諦めて、仕事を終えて大学を出た時、まさにミラクル=奇跡が起こったのだ。大学の玄関ホールを出て何気なく空を見上げると、全天を覆った雲の一部が明るく光っている、あれよあれよと見ているうちに、やがてそこだけ雲が切れて、綺麗な十三夜の月がポッカリと顔を出したではないか。このまま晴れ間が広がれば良いなと思ったが、その奇跡はほんの10数秒しか続かなかった。大学の玄関から正門ゲートまで着いた時には月は再び雲間に隠れ、その夜のうちにもう一度見ることはできなかったのである。
もう一生のうちに二度とないミラクルムーンを、こんな劇的なワンチャンスで見ることができた、そりゃ確かにただの月ではあったが、太陰暦の時代の人々とわずかでも心を通わせることができた、そういう思いは確実に私の脳に情報として取り込まれた。
しかしあの時、私の近くには他の学科の男子学生も1人歩いていたが、彼はいかにも最近の若い男の子という感じでスマホを片手に持ち、真剣な表情で画面に見入りながら歩いていた。たぶんいつものようにフェイスブックかツイッターで友人たちからの情報を確認していたのだろうが、彼はミラクルムーンが奇跡的に見えたことも知らず、自分がそれを見逃したことにも気付かず、昨日も今日も明日も絶え間なく流れ込んでくるネットのいつもの情報をチェックして自己満足したのだろう。
171年前の名月イベントを楽しんだ昔の人に心を通わせられなかった、スマホにさえ依存していなければ脳に取り入れることができた情報、そんなもの何の役にも立たないよと負け惜しみを言うのだろうか、友人たちとの刹那の情報にしか価値を見出せなくなったのだろうか。
スマホ依存やめませんか。
東京の地震と鉄道の対応
2015年5月29日の土曜日、午後8時24分に東京や神奈川など首都圏を震度5強の地震が襲った…らしい。「らしい」というのは、私はちょうどその時刻、小児科医時代の恩師の先生を囲んで食事会をした帰り道、二子玉川駅前で恩師の先生とタクシーを待っていたのだが、揺れも何もまったく感じなかった。近くを大型トラックかバスが驀進したほどの振動もなかったのである。
不思議なことだが、大地の振動も地盤の揺れが互いに打ち消し合って消失する部分があるらしい。4年前の東日本大震災でも、まだ旧校舎だった私の大学で、建物の中央にあった私の部屋ではほとんど物も崩れ落ちなかったが、建物の両端では重い食器戸棚が数センチも躍り上がり、壁が一部崩落するという情況だった。
恩師の先生を無事にご自宅にお送りした直後、徳島へ演奏旅行に出かけるカミさんから、今の地震でまだ羽田空港に足止めされていると電話があって、初めて震度5強の地震があったことを知らされたが、最寄りの小田急線駅に行くと、確かにすべての電車が時速25キロ以下の徐行運転をしている。万一線路や架線の異常があった時にさらなる二次的な大事故に至らないように、手探りでソロソロと走らせていたのだろう。その露払い的な列車だった。
しかし車内でfacebookなど見ていると、私鉄各線は何とか運行を確保しているらしいが、JR山手線は内回り外回りとも運転見合わせで、振り替え輸送などで大変なことになっているという情報が飛び交っていた。やっぱりね、どうもJRは雪が降っても、台風が来ても、地震が来ても、止めた電車を他社線のようになるべく早く動かすつもりはないらしい。
確かに昭和29年の“洞爺丸台風”では、青森側で出航を見合わせていた連絡船は暴風圏に突入することなく難を免れたが、何でもかんでも同じように船や列車を止めて様子を見てれば良いというものではない。特に都内の山手線が止まると、私鉄各線で周辺から都心に到着した乗客がターミナル駅のプラットホームに溢れて、却って二次的な人身事故を誘発する恐れがあると懸念している。
JRの危機管理意識は何でもかんでも行動停止、思考停止なのだろうか。先日は災害ではないが、こんなことがあった。私の勤務先の最寄り駅はJR埼京線の十条駅だが、下り列車はバス通りを横切る大きな踏切を通過してプラットホームに入っていく。ところが電車が緊急停止信号を受信したとかで、最後尾の車両2両が踏切にはみ出したまま停止してしまった。当然踏切は閉まったまま。
ところがこの踏切で緊急のサイレンを鳴らしている消防庁の救急車までが遮断機を通れずに立ち往生している。しかし電車の方の非常停止信号はどうやら十条駅での非常事態ではないらしい。もしあなたが十条駅の駅員や踏切警手だったらどうしますか?
何と信じられないことに、電車は救急車を5分以上も立ち往生させたまま動こうとしなかった。もしあの救急車が心筋梗塞の患者さんを搬送していたら、患者さんは死亡するか、後遺症を残しただろう。たまたまその電車に乗り合わせていた私は、降車後すぐに駅の助役らしい立派な制服を着た人に抗議したが、そのお偉いさんは無愛想な表情でけんもほろろに「仕方ないです」と一言ぶっきらぼうに宣っただけだった。
あとホームの先端まで10メートルそこそこであれば、車掌や踏切警手の情況判断を聞き、運転士の目視で安全を確認して、列車を完全に駅構内に引き入れて救急車を通すべきであっただろうと私は思う。規則どおり、マニュアルどおりの対応を墨守して、自分の責任が問われることになる判断や指示は行わない、それがJRの体質なのだなと改めて思った次第だった。いずれ来るべき大災害では、JRは助かるはずの多くの被災者を危険に晒すことになろう。
私は新宿からのJR線は諦めて(混雑するプラットホームから線路に転落する恐れがあるから)バスで途中まで行って、西武池袋線に乗り換えたら、小田急線の徐行運転さえ恨めしくなるほどの定時運行を続けていた。いったいJRはどうなってるの?何かあるとそんなに用心深く電車を止めてしまうくせに、先日の4月12日のように、何で何にも無い時に架線の支柱が倒れて何時間も電車が不通になるような事態が発生するのか、JRという鉄道の危機意識が今ひとつよく分からない。
大自然の気まぐれ
2015年5月29日の小笠原諸島西方沖の地震の原因について、翌日の新聞やネットには右のような説明図が付けられていた。(これは毎日新聞のサイトから)
私は地震学者でもないし、地質や大陸プレートなどについてもそんなに知識があるわけではない。しかし私はこの図を見た時、素人ながら一瞬背筋が凍るような恐怖を感じ、無事に翌日の朝を自分のベッドで迎えられたことを神様にも感謝したい気持ちになった。
この図によれはフィリピン海プレートの下へ潜り込んでいく太平洋プレートの深部590キロメートルのあたりに、観測史上2番目の巨大な震源があったということだが、たぶん太平洋プレートの硬い岩盤がそのあたりで割れて崩落した…そんな事が起きたのだろう。
これで太平洋プレートに蓄えられていた歪みのエネルギーはかなり解放されて、再び太平洋プレートが小笠原諸島あたりで崩落する危険は、素人の目にはちょっと先に延びたのではないかと思うが、私がギョッとしたのは、もし今回の地殻の歪みのエネルギーがもっと浅い場所で解放されていたら、たぶん1000万東京都民は無事に今朝を迎えられなかったのではないか。
もしもっと浅い場所で岩盤が崩れれば、その膨大なエネルギーは海底を揺り動かして巨大な津波を発生させ、南関東一円の海岸に襲いかかったに違いない。特に入口の狭まった東京湾に侵入した津波は10メートル20メートルという高さに達したかも知れないが、そうなれば死者・行方不明者は数万人規模に達したであろう。もしかしたら私が食事をしていた二子玉川あたりも、多摩川を遡った津波で壊滅した可能性だってある。
もちろん日本だけではない、中国、韓国、東南アジア、オーストラリア、ニュージーランド、ハワイあたりにも甚大な被害をもたらして、世界経済などは一挙に崩壊に向かったかも知れない。
本当に我々が今日を生きていられる平穏な日々も、大自然の気まぐれ一つで簡単に暗転してしまうのだ。我々は単に大自然の懐(ふところ)でかろうじて生存を許されているだけのちっぽけな生き物に過ぎない。そういう謙虚さを忘れ、自分こそ世界の運命を支配するほどの権力を手にしていると自惚れている輩が、この地球上に溢れているのはどうしてであろうか。
背が伸びた
先日職場の定期健康診断があって、私の身長が今まで思っていたよりも3センチほど高いことが分かりました。確かに身長を測定する時は、誰でも胸を張って一生懸命背筋を伸ばそうとするから、普段の戯れで背比べする時よりも多少は伸びますが、それにしても3センチとはね(笑)。
それで先日結婚式の引出物で頂いたタニタのヘルスメーターで、今回の身長に修正して測定したところ、BMIは22.3、体脂肪率15.4%、内臓脂肪やや過剰、筋肉54.7kg、骨量3.0kg、基礎代謝1566kcalで、体内年齢48歳と出ました。干支一回り以上若返ったか、よしよし(笑)。
ところで私もこれまで自分の身長には無頓着でした。今回は性能の良いヘルスメーターを頂いたので、ちょっと正確に測定してみようと思い立ったわけですが、何で私がこれまで身長に無頓着だったか、その理由をお話しいたしましょう。
私は昔から背が高い方で、必ず友人・知人たちから羨ましがられていました。バスケットボールやバレーボールの部活動に勧誘されるほどではありませんでしたが(運動神経もそれほど良くなかった)、それでも背が低い友人たちから見れば贅沢なほどの上背はありました。しかし私には自分の身長が高いことに対する一種のトラウマがあったのです。
小学生時代はクラス内の生徒の並びは身長順で決められます。つまり生徒たちは学年最初の身体検査で身長が低い順番に並べられて、朝の朝礼でも、運動会や遠足などの学校行事でも、常に背の低い順に並べられて行動させられる。背の低い子供たちの中には屈辱的な思いを感じた者もいたでしょう。
これは最近でも同じらしいですね。大学の学生さんたちに聞くと、小学校の頃は名簿の氏名順ではなく、私たちの時代と同じように身長順だったという子が多いようです。
「前へならえ」の時は私はいつも両手を腰に当てていたよ、と小学校時代を回想していた子もいました。皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか、生徒が一列に整列した時に先生が「前へならえ」と号令を掛けると、生徒たちは一斉に両手を前方へ差し出して、自分の肩を前に並んでいる者の肩の線に合わせるわけですが、クラスで一番背の低い生徒は誰も前にいませんから、両手を腰に当てるのですね。
確かに背の順に並んだ方が、後ろの者も列の前方がよく見えるから合理的と言えば合理的、しかしいつもいつも腰に両手を当てさせられていた子たちは、自分ももっと背が高ければ…と自分の身長を恨んだかも知れません。しかし私にも自分ももう少し背が低ければ良かった…と恨めしい思いを残した出来事がありました。
私が小学生だった頃、大体学校の1クラスは50余名の生徒からなっていました。6年生の時の私のクラスは男子32名、その中で私は一番背が高かった。羨ましいですか?もちろん私もその後の人生では自分の身長が高かったことを感謝こそすれ、イヤだと思ったことなど一度もありませんでしたが、この小学校の修学旅行に関してだけは、背が高かったばかりに受けた少年時代最大の屈辱を忘れることはできません。修学旅行は日光でしたが、華厳の滝も東照宮も男体山も何にも記憶がありません。
宿舎に到着して夕食前の入浴時間、例によって身長順に風呂場に集合させられました。しかも男の子は部屋で衣服を脱いでパンツ1枚の素っ裸で風呂場に来るよう命じられました。引率の教師にすればその方が生徒の管理の手間も省けたのでしょう。
そして身長順に10人ずつ浴室に呼び入れられる、入浴中に万一の事故などないように教師の監視下に10人ずつ身体を洗って一定時間湯船につかるわけですね。まあ、これも教師の立場から言えば安全管理上やりやすい方法だったと思います。しかし…、
クラスの男子32人、10人ずつ入浴、32人÷10人=3余り2人
そう、一番背の高かった私ともう1人の大柄な男の子だけがたった2人、パンツ1丁の素っ裸で風呂場前の廊下に取り残されました。最後の組だけは12人くらい一緒に入れてくれるだろうと期待していた私の目の前で引率の教師は無情にも風呂場の扉をガラガラっと閉めてしまったのです。
仕方なく待つこと10分ばかり、悪いことに廊下の向こうから入浴を終えた女の子たちの歓声が近づいてきました。パンツ1丁の素っ裸で女の子と鉢合わせ、こっちも数が多ければ問題ないが、図体のでかい男の子がたった2人でモサッと風呂場前の廊下に立たされている、もっと年頃になっていれば私も“肉体美(笑)”を見せつけてジョークの一つも言えただろうが、まだ思春期前のウブな少年にとってこの情況は屈辱以外の何物でもなかった。女の子のグループの中には好きだった子も1人いました。
「キャー、田中君、パンツ、パンツ〜」
女の子たちがキャッキャと囃しながら廊下を遠ざかっていく笑い声を今でも覚えています。
私はあの修学旅行の時の教師を、はっきり言って現在も恨んでいます。やっと私もこんな話をサイトに上げて笑い話にできる年齢になりましたが、生徒管理のためとはいえ、何で脱衣所まで着衣のままではいけなかったのか、何で最終の組だけ12人ではいけなかったのか(最後の2組を11人ずつでもよい)。
たぶん今でも私にはこの時のトラウマが残っているように思います。杓子定規、マニュアルどおりに人の場所や順番などを指図しようとされると理由もなくカッとしてしまう。札幌のYOSAKOIソーラン祭りでも祭りの実行委員が観客が立ち止まっただけで排除するのにムッとしましたし、他に席が空いているのに相席を要求した飲食店からは食わずに出て二度と行きません。まあ、店としても2人席や4人席を1人の客に占められたら“管理上”困るのだろうと思いますが、最初に入った1人客を相席に押し込めて、次にまた1人客が入って来たら、今度は相席が無くて4人席に座らせることになるのだから、人の出入りの“管理”は確かに難しい。しかしそこであまりにも融通の利かない対応をされると、私はあの時の小学校教師を思い出して、許せなくなってしまうようです。
まあ、こういう話をサイトに書けば私のトラウマも少しは治り、融通の利かない飲食店も許せるようになるかと思って、皆さんにも昔の話にお付き合いいただきました(笑)。
これぞ日本だ?新幹線事故対応
2015年6月30日午前11時40分頃、東海道新幹線の東京発新大阪行きの「のぞみ225号」車内で、71歳の男が列車に放火して自殺する事件が起こった。年金暮らしが楽でなかったという不満があったらしいが、死にたきゃ他人に迷惑を掛けずに一人で死ね、という街の声は正しい。確かに我が国の年金政策も問題山積みだが、それに対する抗議の焼身自殺という理屈は通らない。
全身火だるまになった男の体を布で叩いて火を消そうとしていたらしい女性が巻き添えで死亡しているのだ。しかも男が自殺を図った場所を考えれば、いつかのドイツの旅客機の副操縦士のように、多数の乗客を道連れにしてやろうと企てていた可能性がある。男は先頭車両の最前部でガソリンを撒いて火をつけたのだ、時速250キロ超で走行する高速列車の最先頭に放火すれば、炎はたちまち後部へ燃え広がって多数の乗客が焼死する、新幹線の車両構造に詳しくない素人の拗ねた頭脳には、そういう歪んだイメージがあったと思う。
それはともかく、今回は列車乗務員の適切な判断と機敏な処置のお陰で被害は最小限に抑えられたと、ネットなどでも新幹線の乗務員の対応ぶりに賞賛の声が上がっている。特に運転士はトンネルを避けて避難誘導しやすい場所に列車を緊急停止させ、消火活動により自身も火傷を負ったのに、さらに小田原駅まで運転して責務を果たした…とか、車掌や他の乗務員の消火活動や乗客誘導などの処置が適切だった…とか、関係した駅員たちの対応も素晴らしかった…とか、少し褒めすぎじゃないかと思われるくらい賛辞が過熱している。
確かにこれが他国であれば、緊急停止した列車に後続の列車が追突してさらなる大惨事に発展したかも知れないし、運転士が真っ先に逃げたかも知れない。そういうことを報道せず、新幹線の安全管理だとか事件の防止対策の不備に苦言を呈して記事にしようとするマスコミへの批判も強い。まったく安倍政権の暴走への批判は恐くて控えるくせに、新幹線でこういう事件が起こるや、まるでハイエナのように食いつこうとするマスコミも情けない。そう言えば事件の第一報の時、新幹線にはスプリンクラーが無いなどとわざわざ書かんでもいいことを書いた新聞記事も見受けた。何十年に一度起こるか起こらないかという車両火災のために、天井裏にスプリンクラー用の大量の水を積んで走る列車があるとでも思ってるんだろうか。
しかし今度の事件における新幹線乗員の適切な対応に、おそらく中国や韓国への当てつけであろうが、これぞ日本人だと言わんばかりの手放しの賞賛ぶりには違和感を覚える。確かにJR東海の新幹線乗務員の緊急対応は素晴らしかった。私も賞賛を惜しむつもりはない。たぶん中国や韓国ではこうは行かなかっただろうという意見も私は肯定する。
では私が感じた違和感は何なのか。今回の新幹線乗員の素晴らしい対応を見たら、日本人なら第一に疑問に思わなければいけない事がある。2011年3月11日のあの時、何で福島の原子力発電所では同じくらい適切な処置がなされなかったのか?今回の新幹線の乗務員の適切な対処を見たなら、日本人ならばまずそれを疑問に思うべきではないのか。
原子力発電所の職員も日本人だった。それがなぜ今回のJR東海の職員のように適切に行動できなかったのか。これに関して私は、どちらの事故/事件にも日本人の職務観がよく表れていると思う。
まず事前にあらゆることを想定しない、という日本人の欠陥が浮き彫りになったのが原子力発電所の事故、あれだけの津波は想定外だったという言い訳がなされたのは記憶に新しいが、対策を考えるのが面倒な事項は想定しない、とりあえずやってしまえ、という日本人の杜撰な思考態度が取り返しのつかない過ちを招いたのが東日本大震災における原発事故だった。「地震だ、火を消せ!」という標語は一般家庭や職場でも行き渡っているのに、とりあえず“原子の火”を消すという咄嗟の緊急対応は、今回の新幹線の運転士があの現場で原子炉を運転していたとしても、おそらく思いつくことはなかったであろう。
なぜか?そんなマニュアルは無かっただろうから…。
一方、世界各地でテロが多発している現在、新幹線など交通機関では当然テロや災害に対する各種の想定の下に、さまざまな訓練マニュアルができているだろう。男が1人でガソリンを撒いて放火するなどという情況は、訓練の中では初歩中の初歩の想定だったと思われる。だから訓練どおりに体が動いた。しかし原子力発電所には「地震だ、火を消せ」という緊急対応マニュアルは無かったのだ。
想定された範囲内での職務対応ならば日本人はおそらく世界一流だろう。今回の新幹線火災でも3時間後に運転再開した列車で著しい予定の遅延を余儀なくされた多数の乗客に対して、各駅での駅員のお詫びの応対が素晴らしかったらしい。自分のせいでもないのに普通の駅員が頭を下げて謝罪する、これも日本人全体にサービス精神が行き渡っているためであり、日本の至るところでのサービスに関しては日本を旅行した中国人や韓国人観光客からさえ賞賛の言葉がネットに書き込まれているのを見てもわかる。
最後に一言、今回新幹線の改札口で乗客に心から頭を下げていた駅員たち、私が先日このコーナーに書いた十条駅のお偉いさんと同じJR職員とは思えない。どこの駅から発せられたか分からない緊急停止信号を受信した際、あと10メートル電車を前へ進めれば踏み切りが開いて救急車を通せるのに、上層部から運転再開の指令が来るまで電車を動かそうとしなかった駅長だか助役だか、とにかく偉そうな制服を着た駅員だった。救急車は一刻を争う病人を運んでいるかも知れないことは幼稚園の子供でも常識で知っていることなのに、頑なにマニュアルを守って自分の責任で電車を進める命令を出さない。彼も日本人だった。
もし今回の新幹線の運転士が将来偉くなって駅長に昇進してこの情況になったら、彼はどういう判断を下しただろうか。残念ながら立場が下の職員ほどさまざまな事態への対処が優秀だというのも日本人の特徴である。出世して肩書きも偉くなるにつれて、日本人はさらなる出世と上層部からの評価が気になって臨機応変に動けない。ヘタに融通と機転を利かせて余計なことをすると、上役から睨まれるかも知れないと戦々恐々となる人間も多いのだ。
日本人は下の立場ほど優秀、偉くなるとボンクラ、どうやら世界的な評価でもそういうのがある。このコーナーで以前も触れたが、日本人の兵隊は世界最強だが、日本人の参謀は世界最弱だそうだ。ところで日本の国民は勤勉で優秀だが、日本の大臣や議員は…(笑)。
ディベートのできない国民
2015年の8月も気温が摂氏35度を越えて人の体温に迫るような暑い日々が多く、このサイトの更新も少しは涼しげな記事にしたいのだけれど、今年は例の安全保障関連法案を巡って国論を二分する論争が起きており、それと関係の無い更新記事を書くのが何となく気が引ける感じ…。Facebookなども最近政治的な投稿が多く、もっと友人たちからのホンノリした記事が読みたいのに〜とぼやいている方の投稿もあった。
ただ“国論を二分する論争”と書いたが、facebookなどを読んでみても本当の意味で我が国の安全保障に関する議論になっていない、日本人は子供の頃からディベートの訓練を受けていないと昔から言われたものだったが、まさにその弊害がここへきて露呈されているように思われる。
いろんな人たちの“意見”と称するものを読んでいるが、その9割以上(これでも過小評価だと思うが)が他の権威からの受け売りをネットなどに投稿して、自分の意志を表明したように思っているだけのように見える。
「先生がこう言っているから正しい」
「教科書にこう書いてあるから正しい」
子供の頃からそういう論争態度に慣らされてしまっているのが日本人。世の中にはそれと正反対のことを言う“先生”もいるし、違うことが書いてある“教科書”もあるはずなのに、その対立ポイントを客観的・科学的に検証しようとする姿勢が身についていない。先生の方も子供たちから自分だけが正しいと思われていた方がやりやすいので、子供たちに敢えて自分と違う論点を提示して教育しない、私はそんな人間を教師とは呼びたくない、上級者に都合の良い権威と秩序を体現しただけの輩でしかないのだから。
だから我が国の国民は最初に吹き込まれた思想だけが正しいと思い込む傾向がある。こういう人間はいったん別の思想で“上書き保存”(洗脳)されれば、今度はそれだけが正しいと思い込む。せっかく2つの思想に触れる体験をしながら、両者を比較することなど思いも寄らず、既存の思想はすべて誤りと決め込む。だから洗脳者にとってこんな御しやすい国民はない。
こうして他の権威から与えられた情報、知識、意見がすべて正しいと信じ込んだ人間は、今度は自分と違う立場の者たちを感情的に排斥する以外になくなってしまう。今回の安全保障関連法案の議論も同じである。SNS上の多くの文章を開いてみれば、そこに憎悪、痛罵、侮蔑などが容易に読み取れるであろう。そういう感情に訴えて相手を否定する言葉を投げつける以外に自分の“立場”を表明できない、それが幼い頃からディベートの訓練を受けてこなかった日本人の最大の欠点ではないのか。
典型的な例では、俳優のつるの剛士さんが「安保関連法案に賛成の人の意見も聞きたい」とブログか何かに書き込んだところたちまち炎上、「憲法違反だと知らないのか」「法案に賛成したいから賛成意見も聞きたいんだろ」などとさんざん罵倒されたらしい。罵倒した人間たちは、現時点では優勢な反対派の論調を受け売りしているだけ(尻馬に乗っているだけ)であるが、反対派の意見をできるだけ客観的・科学的に封じ込めて、自分の意見を補強することがディベートの技術であり、目的であるということを、幼い頃から教えて貰っていないのだ。これは日本の学校の教師の責任である。
とにかく多数派についていれば安心(寄らば大樹の陰)、自分が少数派だと思えばダンマリを決め込んで、正しいと思っても見て見ぬふり、自分が多数派ならば数を恃んで相手をサディスティックに罵倒し放題、一般国民がそうだから、政界の多数派がこれまで議席の数を恃んでやりたい放題してきたのも当然である。
安倍が立憲主義も知らず、自分の発言は“表現の自由”、批判的な報道は検閲を掛けて潰す、そんな人間が国家の最高権力者になれる国、おそらく自前でミサイルを作れるような国々の中で、そんなのは日本列島と朝鮮半島と中国大陸にしか存在しないだろう。シベリアあたりのはどうなったか。
立憲主義こそは、安倍をはじめとする日本の歴代首相も得々として出かけていくG7先進国首脳会議の諸国では自明の理となっている近代政治の理念である。しかしジャパンでは、それを平気で否定するような幹事長や副総裁が偉そうにふんぞり返り、挙げ句の果ては餌に釣られて一晩でコロリと自民党に宗旨替えした30歳代そこそこの若い代議士までが「基本的人権が日本精神をダメにした」などとヒトラーも驚くような暴言を吐いて自分のブログを炎上させたりしている、こんな低劣な政権しか持てないのも、元を糺せば日本人が民主主義の原動力であるディベートの訓練を受けていないせいである。
多数派になれば驕りたかぶる、少数派になれば後難を恐れてダンマリを決め込む、主権者たる国民がそうならば、そこから誕生する政治家どもも同類項だ。今さら初等教育・中等教育からディベートの訓練を、などと言ってももう遅いのではないか。そもそも学校の教師自体がディベートのできない人間、教師以外の大人も多数派ならば有頂天、少数派ならば卑屈になるという日本人の典型的欠陥を克服できていない人間。それが今回の安保関連法案で賛成派も反対派もお互い相手に憎悪と痛罵と侮蔑をぶつけ合う情況になっている。
もう戦争など起こらなくても、この国が先進国G7のメンバーとして一目置かれる存在であり続けることは難しいのではないか。幸い今回の安保関連法案の反対運動の中で、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)という学生組織を背景に、おそらく幾つかの野党系の政党の支援もあるだろうが、これまでそういう政治色の無かった学生までもが“自分の意見”を述べられるようになってきている。こういう若者が将来の日本を、現代世界でも恥ずかしくないディベートのできる民主主義国家として指導していって欲しいと思う。
なおSEALDsには2つ要望がある。
一つ目は本来の議会活動もまともにできない共産党や民主党のような無能な既成野党が、自分の拙劣な反与党戦略に彼らを利用しないで欲しいということ。
二つ目はSEALDsに共鳴する若者たちは一時の熱情だけで多数の仲間の尻馬に乗るなということ、私たちの若い頃はかなり暴力的な反米・反戦・反政府学生運動の盛んな時代であったが、あの時代の熱烈な“反戦活動家”やそのシンパどものうち、与党への義理や目先の利益に駆られて、今では安倍のやり方を容認している者を何人か知っている。
見た目って大事ですね
サン・テグジュペリの『星の王子さま(Le Petit Prince)』は知らない人もないくらい有名な童話ですが、あの王子さまの故郷の星はどこだか覚えてますか。大きさがやっと1軒の家くらいのB-612という小惑星(asteroid)でしたね。日本の惑星探査機はやぶさが着陸したイトカワ(1998SF36)と同じような小天体ですが、イトカワは長い方の径が500メートルほどあるので、王子さまのB-612はそれよりはるかに小さいことになります。
童話の中の星ですが、一軒家くらいの大きさしかない王子さまの故郷の星の様子は可愛らしい挿絵を思い出して頂くことにして、このB-612は1909年にトルコの天文学者が発見したことになっています。その天文学者は自分が発見した小天体を万国天文学会議(国際天文学会ですね)で発表しますが、誰も相手にしない。なぜならその天文学者はトルコの民族衣装を着ていたからです。
そこで1920年にトルコの王様の命令でヨーロッパ風の背広を着て発表したら、今度は皆が受け入れた。トルコの民族衣装って、シンバルの話の記事に写真を載せたトルコ軍楽隊のような衣装をサン・テグジュペリは念頭に置いていたかも知れません。すごく立派な衣装ですが、科学に関しては自分たちが一番と自惚れていた当時のヨーロッパ人たちから見れば、中東や極東の人種などに天文学がわかるかという偏見があったことを、サン・テグジュペリは指摘したかったのだと思います。
本当は我々日本人だってヨーロッパ人など足元にも及ばないほどの高い科学的能力があることを、私も別の記事で書いておきましたが、それはともかく…(笑)。
サン・テグジュペリが指摘したように、大人たちは見た目で手っ取り早く物事を決めてしまいがちなのは事実ですね。人物評価でも見た目で決められてしまうことが多いので、若者たちも就職活動に際してはほとんど全員が均一な良い子ぶった就活スーツなど着て行くことになるのです。見た目だけで判断するのはいけないことと、頭ではよく分かっているつもりなのですが、つい最近も見た目ってやはり大事だなあ…と思わせる出来事がありました。
この写真、覚えてますか。2015年9月9日、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の大学生、奥田愛基さんがフジテレビの『みんなのニュース』という番組に出演して、安保法制賛成派から血祭りに挙げられた、例の一件です。現政権の提灯持ちとも腰巾着とも言えるフジテレビの本丸に堂々と乗り込んだのは良いが、フジテレビ側のアナウンサーや解説者の男性は全員がスーツを着て待ち構えており、そこへTシャツとジーンズとスニーカーでノコノコ出かけて行く、大人の狡猾な悪知恵をなめている身の程知らずな若者だな、と私は思ったことでした。
大体あの番組は「星の王子さまのトルコの天文学者効果」を狙ったフジサンケイグループの悪辣な演出であったことは明白です。あのアナウンサーや解説者の浅薄な人相からそのくらいは読み取れなければいけない。奥田さんも良い勉強になったと思います。
…などと思っていたら、それから1週間も経たない参議院で法案審議中の9月15日、安全法制特別委員会の中央公聴会で意見陳述した奥田さんは、まるで別人かと思われるような服装でした。例のフジテレビ出演などでの経験も踏まえて自分の論点を補強した陳述内容をきちんとメモにして、多少緊張気味でしたが堂々と安保法制に反対の論陣を展開しており、安保法制賛成派の何人かの私の知人たちですら思わず賛嘆したほどです。
これがまたTシャツなどで現れたら世間は何と言ったでしょうか。たぶん言論の府である国会をバカにしているという声が上がっただろうし、フジサンケイグループやネトウヨはそれをネタにしてさらなる攻撃を仕掛けてきたと思います。
本当は主張が正しければTシャツで来ようが作業服で来ようが、憲法を無視した権力者を擁護する人間たちからとやかく言われる筋合いは無いはずですが、やはり見た目は大事なのだなと改めて感じた出来事でした。奥田さんの意見陳述はYouTubeなどいろいろなサイトで閲覧できます。我が国の民主主義にとって掛け値なく歴史的なスピーチだと思いますから、これらの画像が権力者側からの検閲によって削除されるような世の中だけは絶対に阻止しなければいけません。
フィルムカメラの時代
先日、古い家電品等回収のチラシが入っていたので、家の中を探してみたら、故障したり新しい製品に交代してホコリを被っているゲーム機や健康機器などが出てきた。ありがたいことに古いパソコンも回収してくれるとのことだったので、ハードディスクが壊れたノートパソコンとか、Windows 95の時代のデスクトップパソコンまで回収して貰えた。
古いカメラなども回収するとのことで、私の部屋に何年も眠っていたフィルム時代の一眼レフもあったが、これは現在の職場にこういう古い機種のカメラに熱心な興味を示す職員がいるのを思い出して、その検査技師の方に差し上げることにした。
廃品回収に出してしまうと、たぶんボディやレンズなどの素材まで解体してリサイクルされてしまうだろうが、こういう愛好家なら機械の寿命が切れるまで大切に扱って貰えてカメラも幸せだろうと思ったからだ。
それが上の写真左のNikon F-801という1988年に発売された機種、考えてみればもう27年も昔のカメラである。昭和63年、私が小児科医を辞めて病理に移って4年目、東大病院の助手になって病理部に勤務していた時に新しくカメラを買い替えたのだった。
それまでは弟から譲り受けたお古のCanon FX(上の写真右)を使っていて、オーストラリアへの初めての海外独り旅やヨーロッパへの新婚旅行、小児科医時代の職場のイベントなどを撮影したものだったが、やはり写真撮影が面白くなってきたこともあって新しいカメラが欲しくなり、メーカーの人に商品情報など教えて貰って当時Nikon最新鋭のF-801を購入した。
何しろ病理は光学顕微鏡とは切っても切れない職場、そういう光学機器類の保守点検などにメーカーの方々がずいぶん出入りされていた。顕微鏡といえば、現在では日本の製品はおそらく世界最優秀、中でもNikon(ニコン)とOlympus(オリンパス)がシェアを二分していると言ってよい。
今年(2015年)の春先、我が国の国産顕微鏡100年展が上野の国立科学博物館で開催され、1914年に初めて日本で工業的に製作されたエム・カテラという国産第1号の顕微鏡も展示されていた。製作はいわしや松本器械店(現在のサクラファインテックジャパン株式会社の前身)だが、その技術が現在のニコンやオリンパスに受け継がれている。
しかし戦前から堅牢な工業製品技術を誇ったドイツ製品に太刀打ちできるようになったのは戦後しばらく経ってからのこと、だからもし戦争中の日独の新戦艦大和とビスマルクが戦っても光学機械の性能の差で大和は勝てないと、別のコーナーに私も書いたことがある。
ついでに国産顕微鏡第1号のエム・カテラは写真左である。国立科学博物館の一般展示の時は当然手に触れさせて貰えなかったが、展示も終わった5月の日本病理学会の企業展示会場に、何とそのエム・カテラが飾られていて、自由に取り扱いさせてくれていた。私もこの機会に病理学会会員の余得を十分堪能させて頂いたが(写真右)、100年前の製品とは思えぬほど保守も行き届いており、現在でも普通の病理診断になら使用可能なように思えた。
ちょっと不思議だったのは、このエム・カテラは100年前の工業技術水準としてはたぶんドイツ製品にもそんなに見劣りするものではなかったと思われるが、戦艦大和の時代から戦後の一時期までの間、どうしてドイツ工業製品にあそこまで水を開けられてしまったのか。
戦前の日本工業製品は粗悪品の代名詞であったとも聞く。第一次世界大戦によりヨーロッパ方面で不足していた衣類で、日本からの輸出品はシャツのボタンがきちんと縫い付けられておらず、糊で貼り付けられていただけだったともいう。金儲けのためなら工業製品にも手抜きやごまかしをする、そういう日本人の不誠実な態度が招いた自業自得だったかも知れない。
その反省を踏まえて戦後新たにスタートした日本のさまざまな製品は再び世界を席巻するに至ったが、バブルの時期を経てまた日本人の小ずるい悪い癖が出てきているのではないか?同じ轍を踏んでいるような気がする。
さて本題からだいぶ離れてしまったが、新しいカメラが欲しくなって当時の東大病院の病理部に出入りしていたメーカーの方の勧めに従ってF-801を購入した。東大病院に限らず、同業者たちの職場の顕微鏡はどこでも国内シェアを反映してニコンとオリンパスがほぼ同数ずつあるのが普通だが、何で私はニコンの人に相談してF-801を選んだのか。
詳しい事情は覚えていないが、オリンパスは顕微鏡も優秀だが、こちらは内科や外科で使う内視鏡を世界で最初に開発した会社でもある。内視鏡開発に関しては吉村昭氏の小説『光る壁画』をお読みになっていただくのが良いが、オリンパスのメーカーの人は内視鏡関係で内科や外科の医局に出入りすることが多かったのではないか。内視鏡ほど稼ぎの上がらない顕微鏡のために病理部に出入りしてくれるのはニコンの人の方が多かったと思う。
私が新しいカメラが欲しいと言ったら、ニコンの人が幾つかのパンフレットを持って来て下さって、申し訳ないことにお顔やお名前は失念してしまったが、診断室の隣にある資料室で“商談(笑)”が成立したことは印象に残っている。
以上が私とNikon F-801の出会いである。それまでのCanon FXは絞りも距離も手動で設定し、1枚シャッターを切るごとにやはり手動でフィルムを巻き上げていたが、Nikon F-801では完全自動撮影モードが完成の域に達していて、被写体にレンズを向けただけでカメラが自動的に調節してくれて、シャッターを切った後はこれも自動的にモーターがフィルムを巻き上げてくれる。たまに変なところにピントが合ってしまって被写体がボケるのが不満といえば不満だったが(これは現在のデジカメも同じ)、まあ使っているうちにこの撮影モードに慣れていった。
もう残りの人生で二度と使うこともないだろうNikon F-801、次に大切に使ってくれるであろう現在の帝京大学病院の病理部の技師さんに持って行ったら、さっそく新しい電池を装填して撮影してくれた。シャッター半押しで距離を微調節するチャチャチャチャッという音(これは今のデジカメも同じ)、そしてカシャッとシャッターを切る音に続いてジャーッとフィルムを巻き上げるモーター駆動音を何年かぶりに聞いた時、カメラのメカは私に見捨てられた後も律儀に次の出番を待っていたんだなと、ちょっと愛おしい気持ちになった。
私がデジタルカメラに乗り換えた正確な時期は覚えていないが、2006年(平成18年)の春先くらいからデジタルの画像ファイルが保管されているから、それまで18年近くもNikon
F-801で撮り続けたことになる。現時点でのデジカメ歴の約2倍だ。
この間にオーストラリア、スペイン、香港、ハンガリーの国際学会出張や、オーストリアやトルコ旅行もこのカメラがお供してくれた。使いやすくて良いカメラだったが、やはりデジカメ全盛の現在から考えると、フィルムのカメラにはおのずから限界があった。
まず当然のことながら、フィルムをいちいち詰め替える手間が掛かる。一般的に使用するフィルムには1本24枚撮りと36枚撮りがあって、これを撮りきったら新しいフィルムに詰め替えなければいけない。これが面倒だった。カメラ本体に残っているフィルムの残り枚数は常に意識しておかねばならない。次の撮影予定地に向かって移動中のバスや列車の中で詰め替えができれば良いが、運が悪いとせっかくのシャッターチャンスに遭遇した時にカメラ内に残りフィルムが無いということもある。これで悔しい思いをしたことは1度や2度ではなかった。
もうひとつの限界は、フィルムのカメラだと撮影した写真の構図やピントなどは現像が終わるまでチェックできないことである。あの頃はそれが当然だったから不満も感じなかったが、最近のデジカメのように撮影直後にモニター画面ですぐに写真を見られるようになると、もうその便利さを手放すことはできそうもない。
最近ではカメラショップなど行っても、昔のようにフィルムの10本セット、20本セットなどの包装が山積みされている光景にはお目にかからない。そう言えば毎年お正月になるとしつこいくらいテレビから流れていたお馴染みのコマーシャルソング
『お正月を写そう♪ きれいな晴れ着を写そう♪ フジカラーで写そう♪』
もあまり耳にしなくなった。時代は移り変わるものだなと痛感する。
病理は顕微鏡だけでなく、カメラなど他の光学機械とも切っても切れない職場である。病変の肉眼像や顕微鏡画像などの形を記録する必要性が高いからだが、病理の医者は最初の頃はデジタル画像をまったく信用していなかった。いろんなメーカーの方々が新しく開発したデジタル画像装置を売り込みに来て、汗をかきかき懸命に宣伝するのだが、病理の先輩の医者たちは決して首を縦に振らないのだ。
まだフィルムの感光面の粒子を光に反応させた写真の方が解像度も高かった時期が長いこと続いたからでもあるが、私がNikon
F-801を買った頃は、まだ東大病院の病理部でも病理検体の画像記録や顕微鏡写真の撮影にはフィルムのカメラを使っていた。しかし世紀が変わる頃までには光学技術の進歩のお陰で、画質にうるさい病理の医者どもを納得させられるほど鮮明なデジタル画像を撮影できるカメラが開発されてきたわけで、メーカーの技術者の人たちの努力は並大抵ではなかったであろうことを付け加えておく。
席を譲られた…
先日、朝の埼京線の電車の中で初めて席を譲られそうになりました。昔の同級生などに聞くと、もう何回も譲られてるという人も何人かいますが、私は初めてでした。私は普段からよく歩いており、普通の人なら電車や車に乗る距離でも徒歩で平気です。足腰は丈夫な方だと自負していましたから少しショックでしたね。
私は電車に乗ると、座席が広々と空いていなければ座りません。両隣にすでに他の乗客が掛けていて、真ん中に1つだけ空いている席に座るのは男の恥だと思っています。
別に男が…女が…という話ではなくて、女の人は大体かなりふくよかに見える体型の人でも骨盤が広くなっていて、お尻が入るだけの余裕があれば腹部や肩が隣にはみ出すことはあまりありませんが、男はよほど引き締まった体型でない限り、腹部の皮下脂肪や肩甲部が両隣の人を圧迫してしまうのです。自分のケツの小ささも知らずに(上半身の肥大を知らずに)無理やり座席に腰を割り込ませて、出っ腹で隣に窮屈感をもたらすような男は恥さらしと言っているだけです。
まあ、それはともかく、私は電車の中で立っているのはまだ一向に構わないのですが、時々電車の揺れに合わせて無意識に自分の身体を左右に振りながらバランスを取って遊ぶことがあるんですね。これを見て近くに座っていた大学生くらいのお兄さんが、たまりかねて私に席を譲ってくれたみたいなのです。
申し訳ないことをしました。お年寄りに(…って俺のことか)座席を譲るのは、けっこう若い人の方も気を遣うことが多いですからね。勇気をふるって席を立っても相手から(邪険に)断られたりすると却って気まずい思いになってしまうことは自分にもありましたし…。
どうせ次の駅で降りるところだったので、お礼だけ言ってその日はそのままになりましたが、まだ日本にもこういう心優しい若者がいるんだなと頼もしくなると同時に、やはり自分自身にも来たるべき日が近いことを改めて実感させられる体験でした。私自身はまだあと数年は身体の方はそれほど衰えないと思いますが(…たぶん…)、頭脳の方はそれほど自信がありません。突然漢字や英単語や人の名前が思い出せなくなったり、2つの仕事がいつの間にかダブルブッキングになっていたり…、そんなことが増えています。定年まであと1年ちょっと…ミスを犯さないように気をつけて励みたいものです。
エレベーターの怪
皆さんはお気付きでしょうか、エレベーターの内側と外側では時間の流れが違うことを…。エレベーターの内側では時間は早く流れ、外側では逆にゆっくり流れます。最初のうち、私はアインシュタインの特殊相対性理論で説明できると思っていましたが(笑)、よく考えてみると相対性理論とは反対の結果ですね。
相対性理論では亜光速で飛行する宇宙船の内部では時間がゆっくり流れ、宇宙飛行士が地球に帰還してみると双子の兄弟がずっと年寄りになってしまっている、日本では例の昔話から“ウラシマ効果”とも呼ばれる現象です…って別に誰も経験したわけではないんですが、光速に近い速度で宇宙から飛来する素粒子では相対性理論が実際に成立しているらしいですよ。
ところでエレベーターの“相対性理論”では、エレベーターに乗って1階から6階まで登る時間は比較的早い、しかし1階にいるエレベーターが登ってくるのを6階で待っている時間は限りなく遅い、皆さんも経験したことがあるのではないですか。
エレベーターが来るのを待つ時間は手持ちぶさたですから、「さっさと来いよ、このウスノロのクソエレベーター野郎が!」とさんざん毒づきたくもなりますが、エレベーターに乗ってしまうと、「ああ、これで階段をエッサエッサと登らずに済んだ」と何だか得したような気分になります。まあ、これはアインシュタインの偉大な理論とは関係ないことで、人間の主観的な心理的時間の経過の問題でしょうね。
最近ではエレベーターという異次元の乗り物に対して感じる“怪異”はこの程度のものですが、子供の頃はもっと不思議なイメージを感じていました。
私がまだ幼稚園や小学校低学年の頃は、エレベーターがある建物はデパート(百貨店)くらいでしたかね。オフィスビル(昔は事務所ビルジングなどと言った)などはせいぜい3階か4階建てだったし、マンションなどというものも無かったし、一部の高級ホテルなどは一般庶民が滅多に立ち入るような場所ではありませんでした。一般庶民が階段を使わずに機械の力でフロアを上下するするような場所は、7階建てか8階建てのデパートくらいしかなかったわけです。
当時のデパートのエレベーターには“エレベーターガール”というお姉さんが必ず乗り組んでいて、お客さんの要望に応じてフロアのボタンを操作していました。そんなエレベーターに大人に連れられて乗っていると、何も知らない子供の目には実に不思議な世界が見えたものです。
デパートのいろいろなフロアで買い物をする、3階の婦人服売り場、5階の子供服売り場、6階の玩具売り場、7階の食堂、そして最後に地下の食品売り場、当たり前の話ですが各フロアごとにさまざまな売り場があって、それぞれ異なる光景があるわけですね。しかし子供にとっては、そういうフロアを自分の足で上下に移動したという実感がない、それにもかかわらずデパートから帰るとそこには自分の家がある、これは不思議でした。
デパートの4階から帰っても、5階から帰っても、6階から帰っても、どのフロアから帰っても自分の家がある、私は自分の家が1つしかないということの方を疑いました。デパートの4階に相当する自宅、5階に相当する自宅、6階に相当する自宅、それぞれに同じように自分の居場所があって、自分の家族がいて、それぞれの自宅は別々に存在しながらも何らかの因果関係を保っている、まだ5〜6歳だった頃の私の、自宅とデパートに関する世界観でした。考えてみれば、これはSF小説(空想科学小説)の分野では多元宇宙(パラレルワールド)というモチーフであって、我々の世界には同じような無数の世界が平行に存在しており、隣り合った世界にはまた別の自分がいて、その自分はこの世界の自分とは少しずつ違った人生を送っている…ということになっています。
子供というのは実に不思議な突拍子もないことを考えるものだと、先日エレベーターをイライラして待ちながら、ふと何十年も昔に感じた幻想を思い出しました(笑)。
知覚の無駄遣い
2015年11月13日の金曜日にフランスの首都パリで同時多発テロが発生、多数の市民や観光客が犠牲になった事件を受けて、先日発行の週刊プレイボーイ誌に、テロから身を守る心得…とか何とかいう記事があった。さすがに還暦過ぎて『プレイボーイ』でもないから買わなかったけれど(苦笑)、電車内の吊り広告によれば、銃声や爆発音がしたらどういう行動をとるべきか…などということを元傭兵だった方が解説しているらしい。
ダッダッダッダという銃声(聞いたことないが)やダ―ンという爆発音(似たような音は聞いたことあるが)が聞こえたら、急いで近づいていってテロリストの姿を撮影する…などと書いてあるはずはない、どうせただちに身を低くして周囲の状況を確認、余裕があれば脱出経路を探して全力で逃げる…などごくごく当然の事がもっともらしく解説されているだけだろうが、私はそういうプロの戦闘員だった方々が語るより先に、最近の若い人たちに言っておきたいことがある。これはつい最近、学生さんたちに講義で話したことだ。
「銃声や爆発音がしたらどうするか」ということよりもっと大事なのは、「常に銃声や爆発音を即座に聞き分ける身構えを取っていろ」ということではないのか。最近では若い人に限らず、老いも若きも男も女も、電車やバスの中はおろか人通りの多い雑踏の中を歩く時ですらヘッドフォンやイヤフォンで聴覚を遮断して自分の世界に浸りきっている者が多い。大体車内では5人から10人に1人、雑踏の中でさえ10人から20人に1人くらいはこういう電子機器で耳を塞いでいる人間がいる。これでどうやって銃声や爆発音を聞き取れるというのか。
我々人間をはじめとする動物たちが進化の過程で聴覚や視覚、嗅覚や味覚や触角などの知覚を獲得したのは快楽を追及するためではない。聴覚も楽しい音を聞いてリラックスしたり、そんなに慌てる必要もない情報を収集したりするために発達したものではない。もしかしたら一瞬の後に身辺に襲いかかるかも知れない切迫した危険を未然に察知し、それに対処して生き延びるために動物たちに備わった機能なのだ。
以前もこのコーナーに書いたが、視覚と聴覚は差し迫る危険を比較的遠距離で探知できる知覚である。海中に棲息していた太古の生き物たちは、光も差し込まない海底で視覚は使えなかった、音速が秒速1500メートルにも達する水中では聴覚器官も発達が追いつかなかった、だから彼らは最も古い知覚として先ず嗅覚を発達させた。海水の匂いで天敵の接近を知り、環境の激変を感じ取ったのである。
その後、陸上に生活するようになった動物たちは嗅覚だけでなく、視覚や聴覚を発達させて身に迫る危険をできるだけ早く察知するようになった。もちろん食物や水の場所を捜し出すためにもこれらの知覚が有効に働いているが、これとて生存に必要な糧を得るという切羽詰まった必要に応じるためであって、現代人のように美しいものを眺めて楽しんだり、音楽を聴いてリラックスしたりするのとは緊急性のレベルが違う。
ところがここ10年か20年ばかりの間にウォークマンだとかスマホだとかいう電子機器が急速に普及して、人前だろうが雑踏だろうが場所も構わず、家庭=巣という本来安全な自分のテリトリー以外でも音楽を聴いたり画像を楽しんだりすることが可能になった。我が国の人々の中にも、知覚とは元々危険を察知して対応するために生き物たちが何億年もかかって身につけてきた“警報装置”であるということを忘れ、こういう文明の利器で目一杯楽しむことが当たり前と思う者たちが増えてきた。
さらに不幸なことに、これまでは比較的安全と信じられていた我が国もテロリストにとって攻撃する意味のある国の一つにランクされたらしい。もう聴覚や視覚を完全に閉じたまま表を歩いても絶対に大丈夫だと言い切れる情況ではなくなった。
本当はこれまでだってそんなに安全だったわけではない。歩きながらスマホに熱中していたために駅のホームや踏み切りで列車に巻き込まれた者もいる、異常なエンジンの爆音を轟かせて暴走する自動車に突っ込まれた者もいる、そういう生命の危険がさらに何%か増加しただけである。
安全な自分のテリトリーから表へ出歩く人間たちの中に、聴覚や視覚といった“危険探知機”のスイッチをわざわざオフにする者が増えた。そんな能天気な者たちに、「もし銃声や爆発音が聞こえたら…」などと忠告したって何の役にも立たない。ヘッドフォンで音楽を聴きながら歩いている人間は、前方で爆発があってもなお10歩くらいは気付かずに歩き続けるだろう、そして前方から逃げて来る群衆に気付いてもすぐには情況を呑み込めずにさらに10秒くらいは呆然と立ちつくすだろう。この10歩の距離のロス、10秒の時間のロスが生死を分けることもある。それが戦場となる可能性が増した市街地で日々を送る教訓である。
うますぎる話
今年(2015年)になってしばらく経ったあたりからだろうか、時期ははっきり覚えていないが、最近パソコンをネットに接続していると、こんなポップアップが頻繁に表示されるようになった。私の使っているパソコンのOSはWindows
7だが、互換性がある機種なので新しいOSのWindows 10に無償でアップグレードしてくれるというのだ。
これまでは新しいOSが開発されるたびにマイクロソフトやアップルなどの会社は何万円もの価格で販売してきたものだったが、今回のWindows
10は期間限定で無料…!会社もこれまでさんざん儲けてきたから、その利益をユーザーにも還元しようというのだろうか。
Windows 10にアップグレードすると、幾つかのアプリケーションが動作しなくなるなどのトラブルも報告されてはいるが、いずれこの新OSの時代が来るのだから、すぐにでも飛びつきたくなるような旨い話ではある。
しかしちょっと待て、昔の人は言いました、「タダほど高いものはない」。
マイクロソフト社ってそんなに良心的で慈善の心に満ちた会社なの?Windows 10を無償で配れば、その新OSでしか動かない新しいアプリケーションが大量に売れるというなら話も分かるが、これまでどおりの動作と使い勝手が保証されているようで、そんな付帯アプリケーションの売り上げが期待できるような情況でもなさそうだ。
Windows 10を定価で販売すれば全世界で数千万ドル以上の利益が見込まれるであろう、にもかかわらずマイクロソフト社が無償で新OSにアップグレードする真の目的は何なのか。速やかにWindows
10のユーザーを増やすことにより、会社もしくは背後の巨大資本、もしくはさらに背後にいる政治的権力者や黒幕にとって何らかの利益があると勘繰るべきであろう。
背後の人間たちにどんな利益があるのか、そういう方面の世界の実情をまったく知らない私には推測のしようもないが、思い出すのは同じくマイクロソフト社のブラウザのインターネットエクスプローラが危険だから使用するなという通報が全世界を駆け巡った昨年春の例の事件、あれも大多数のユーザーにとっては何が何だか事情がよく呑み込めないままに終わってしまい、かなりのユーザーのパソコンでインターネットエクスプローラよりもGoogleの使用頻度が増したのではないか?
インターネットエクスプローラからGoogleへの追い出し、Windows 7や8からWindows
10への追い出し、何となく誰かに知らないうちに操られているようで薄気味が悪い。まさかWindows
10でGoogleを使うことにより、何か決定的な個人情報が世界の黒幕の手に渡りやすくなるとか、ネット検索で権力者に都合の良い暗示的な情報をユーザーに送り届けやすくなるとか…。
とりあえず私はWindows 10への無償アップグレードは行わないし、なるべくインターネットエクスプローラを使うようにはしているが、それでもネット社会の利便性の陰で何か得体の知れないプロジェクトが進行しているような気がする。
ついでにこんなバージョンも…、Microsoftのお勧めだそうです(笑)。
人生の春秋
春秋戦国時代といえば、古代中国の周王朝の紀元前770年から、紀元前221年に秦の始皇帝が中国を統一するまでの時代、そのうち特に紀元前403年までを春秋時代というそうです。この時代に孔子が『春秋』という歴史書を編纂したことに由来しますが、そういう中国史を勉強しなくても、一般的には春秋とは1年間の歳月を指すことが多いですね。確か我が国の鴨長明が残した方丈記にもそんな使い方があったように記憶しています。
あまり難しい話をするとボロが出るので止めておきますが、なぜ1年の四季のうち、春と秋だけをとって“春秋”と呼んだのかは何となく分かるような気もします。春と秋は四季のうち、厳しい暑さ寒さから解放されてホッと一息つく季節、私も若い頃は夏は旅行やプール、冬はスキーと夏冬の方が楽しい思い出も多かったですが、この年齢になって初めて春と秋の深さに思いを巡らせることができるようになりました。
やはり年齢と共に体力・気力の衰えはごまかしようがなく、学生時代に夏休みのプールや旅行、冬休みのスキー合宿を楽しみにしていたように、最近では身体が楽になる春と秋を待ち焦がれながら1年を過ごすようになってしまいました。四季の豊かな日本では春の訪れを告げる桜、秋の深まりと共に色づく紅葉、いずれも過ぎ行く1年の道標です。
今年(2015年)もやがて暮れようとしており、私もいつの間にか物心ついて以来60余の春秋を数えるようになってしまいました。思い起こせばこの間、さまざまな人生の場面があり、幾つもの学校や職場を渡り歩き、数えきれないほどたくさんの人々との出会いと別れがありました。
来年はいよいよまた大きな春秋の区切りである定年を迎えます。普通なら「お疲れ様」と言って貰って後進に道を譲る時期なのでしょうが、まだ先年の震災からの復興もままならない日本、先進的な民主主義国家とは言えなくなって封建時代に逆戻りしそうな日本、そんな時代にあってまだ私でもお役に立てるのであれば、新たな春秋を乗り越えて行こうと思っています。
コウノドリからフラジャイルへ
今年(2016年)の1月13日からフジテレビ系列で『フラジャイル』というドラマを放映しているが、これは病理医を主人公にした漫画のドラマ化ということで、私の同業者たちの間ではかなり話題になっている。これまでも『白い巨塔』などで病理学講座の教授がかなり重要な役どころだったことはあるが、概して外科や内科といった臨床医に比べて知名度も低かった病理医に脚光が当たったということで、私と同業の病理医たちもちょっと胸のすく思いなのかも知れない。
確かに病理医あるいは病理検査というものに対して、一般の方々の認識はそんなに深くなく、「私は病理をやってます」というと、「えっ、お医者さんが料理をやるのですか?」と聞き返されるというのは、あながち冗談とは言えなかった。“料理”とまでは聞き返されずとも、「はあ?」と気のない受け答えをされて、それ以上仕事の内容に踏み込んだ会話が弾んだことは一度もない。
考えてみれば、私は1977年(昭和52年)に医師免許を取得して以来、そんなに医学・医療の主流を歩んできたわけではなかったなあ…と思い返している。東大病院で1年間の小児科研修が終わる頃、ほとんどの研修医仲間は小児循環器とか小児神経とか小児代謝疾患とか小児血液疾患とか、当時大学で小児科のメインテーマを扱う診療・研究グループの先輩医師たちから誘われて主流のグループに所属するようになっていたが、私にはどこからも声は掛からなかった。そんなに嫌われていたわけではなかったと思うが…(苦笑)。
それで当時の大学病院の片隅で細々と外来を続けていた遺伝・染色体外来の先生方が私を拾って仲間に加えて下さった。このグループは中込先生、日暮先生という立派な先生方が率いておられたが、他大学出身だったため当時の東大小児科の中ではしょせん傍流、しかしその後の小児科医としての生活中、三島の国立遺伝学研究所にもたびたび出入りさせて頂いて有益な経験を積むことができたし、病理医になった現在でも例会などに呼ばれて楽しい思いをさせて頂いており、“傍流”などという意識は微塵も感じたことはなかった。まあ、私はどちらかというと権力・権勢欲とか自己顕示欲が強い方ではないみたいだから…(笑)。
あと小児科研修終了後の配属病院も、染色体異常などやるんだったら、ということもあって、最初から都立築地産院の小児科に配属された。築地産院は未熟児医療など周産期医療の当時最先端の施設であって、ここに勤めたら未熟児専門になってしまう。
当時は東大病院ですら未熟児室は病棟の片隅にあって、医局の医師が半年か1年くらいずつ持ち回りで片手間に担当しているようなありさまで、未熟児医療が将来こんなに発展するとは思えない状況だったから、あの時の正直な私の気持ちを今にして初めて言わせて貰えば、せめて1年か2年くらい一般小児科(未熟児・新生児を診ている医師に対して、もっと年長児を扱う医師をたぶん今でも一般小児科医と呼んでいる)で診療できる病院に配属して欲しかった。
しかし主流・傍流そんなに関係ない私のことだから、特に文句も言わず都立築地産院に勤務、ここで産科の先生方とも親しくなって妊産婦診療や分娩介助をかなり本格的に勉強させて頂き、次に勤務した遠州総合病院では、一般小児科も少しは担当したが、ほとんど産科医に近い業務をこなして、築地産院で学んだ未熟児医療と合わせて当時日本でも最高峰の周産期医療の診療成績を残すことができた。
それから東京の都立母子保健院に戻ってきたが、その昭和58年頃になってもまだ未熟児・新生児医療の実態は全国的に理解されているとは言いがたかった。未熟児などのハイリスク新生児は産まれる前の産科的管理が手厚ければ手厚いほど後遺症なく救命できる確率も高くなるのに、当時の産科医にはさっさと分娩させて産科としての診療報酬はゲットして、生まれた子供は未熟児センターに引き渡して産科としての義務も幕引きしてしまおうという意識が強かったし、そうやって救急医療同然に送り込まれてくる病的新生児の診療は俺には関係ないという意識が一般小児科医にも強かった。
周産期医療という統一した概念が乏しかったわけだが、周産期医療に関しては『コウノドリ』という漫画があって、これも昨年(2015年)10月にTBS系列でドラマが放映された。つまり私は医師になってから、『コウノドリ』の周産期医療から『フラジャイル』の病理診断へと渡り歩いた。まるでドラマのような、というか漫画のような我がドクター人生だったな。
都立母子保健院では別の記事でも書いたが、あまりに心身の折れるような思いに耐えかねてついに転進を決断したのだったが、恩師の先生から「それじゃ病理をやりなさい」と言われた時は、今にしてこれも正直な気持ちを初めて言わせてもらえば、何だか都落ちみたいな情けない心境だった。
何しろ病理と言えば、先に『冥府の鬼手』の記事でも書いたが変人が多いと言われ、病院の中でも傍流中の傍流というイメージが強かったからだ。当時はまだ病理イコール病理解剖、つまり病死された患者さんのご遺体を解剖させて頂いて死因を検討する分野、だから冥府(死者の国)の鬼手(医師)というタイトルがふさわしい時期が続いていた。
放射線や超音波診断が劇的に普及、発展して病理解剖しなくてもある程度体内の様子が解明できるようになり、さらに生体内から人体組織のサンプルを採取する検査技術が飛躍的に発達してくると、病理解剖は一挙に減少して、病理医はあの『フラジャイル』のようにまだ病気と闘っている患者さんの診療に、ある意味で臨床医と同等またはそれ以上の役割を果たすようになった。
私が病理に転向したばかりの頃は、私1人で病理解剖を年間30件以上担当したこともあったが(私より上の世代の病理医は50件60件ということもあったらしい)、最近では大学病院全体でもそれくらいの件数しかないそうだ。
とにかく病理医が、亡くなった患者さんの死後の検索だけでなく、まだ通院・入院されている患者さんたちの受持医と同じくらい重要な役割を果たすようになった、それが『フラジャイル』という漫画が描かれ、さらにその漫画がドラマ化までされる時代の医学的背景である。
まあ、私はドクター人生の節目ごとに、『コウノドリ』の周産期医療にしろ、『フラジャイル』の病理診断にしろ、何だか海の物とも山の物ともつかない分野に踏み込む羽目になったが、結局は私が歩んだ道は後から脚光を浴びることになった。もしドクター人生の分岐点で、どうしても主流の分野でなければイヤだなどと駄々をこねていたら、これほど痛快な思いもできなかったに違いない。
さて10年ほど前に3回目の分岐点が訪れた。現在の臨床検査技師を養成する臨床検査学科の教員への道である。看護師や臨床検査技師など医師の手助けをしてくれる職種をコメディカルと総称するが、こういうコメディカルスタッフの養成に熱心な医師は残念ながら非常に少ない。医学部の教授になら尻尾を振ってなりたがる医師は多いが(つまりそれが医学教育の主流)、コメディカルの学科の教授だと尻ごみする奴が多い。私が臨床検査学科の教授への就任を引き受けた時、「何で医学部の教授じゃないのに」と怪訝な顔をした人は何人もいたが、10年経過した現在、私にとって最高の道だったと思っている。
『フラジャイル』の中にこんなことが書いてある。臨床医はせいぜい20種類くらいの疾患を扱っているだけだが、病理医はその何十倍、全身の領域を相手にしなくてはいけない。
私も未熟児新生児相手の小児科医だった頃、確かに妊産婦さんの病気まで入れても全部で20種類くらいしか知らなかったが、病理に転向してからは、内科、外科から皮膚科、泌尿器科、婦人科、耳鼻科、眼科などほぼ臨床全科の基本的な疾患については、その臨床症状と肉眼的・顕微鏡的な形態について一通り勉強することになった。
本当はそこまででも良かったのだが、しかしコメディカル養成の学科となるとそういう病理学だけ知っていても埒があかないこともある。それで臨床症状や病気の形態の背後にある生化学や生理学、これを勉強したいと思うようになった。病理医だけやっていたらこんな気持ちにはならなかっただろう。やはり若い学生さんたちの新鮮な好奇心に触れているうちに自分の中でも学生時代のような勉学の心が蘇ったのだった。
だから例えばこんな疑問、「なぜ肉食獣は炭水化物を食べなくてもエネルギー代謝を維持できるのか」とか、「中性脂肪はどうやって代謝されるのか」とか、「なぜ心筋梗塞の時の心電図でこういう変化が見られるのか」とか、「悪玉コレステロールは本当にただの悪玉なのか」とか、普通に医学部を出ただけの医師ならろくに突き詰めて考えもせずに、素人相手にいい加減な言説を振りまいているような事項について詳しく説明できるようになった。たぶんどんな臨床医も病理医も、人体内で起こる現象を私ほどには知らないだろうという自信はある。とにかく医師という職種は主流になるためにどんどん専門分化していくものだから、総体的な事項まではなかなか目を向けようとしないものなのだ。
『コウノドリ』から『フラジャイル』へと流れてきた私の傍流ドクター人生、最後の大逆転でせっかく身につけた人体の知識を他の誰にも書けない医療の教科書にして出版してみたい。私の最後の夢である。
よだかの星
今年(2016年)の1月になって、カレーチェーン店のCoCo壱番屋から廃棄を依頼された冷凍食品が不正に転売されて、一部は消費者の手に渡った可能性があり、またこの不正に食品を転売した食品卸売業者『みのりフーズ』は他の賞味期限切れの食品についても同じように横流しした可能性があると報じられているが、こういうニュースを聞くと私はちょっと複雑な気持ちになる。
賞味期限切れの食品を販売するのは特に違法というわけではない。食品衛生法には以下の条文がある。
第六条 次に掲げる食品又は添加物は、これを販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む。以下同じ。)、又は販売の用に供するために、採取し、製造し、輸入し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列してはならない。
一 腐敗し、若しくは変敗したもの又は未熟であるもの。ただし、一般に人の健康を損なうおそれがなく飲食に適すると認められているものは、この限りでない。
二 有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは付着し、又はこれらの疑いがあるもの。ただし、人の健康を損なうおそれがない場合として厚生労働大臣が定める場合においては、この限りでない。
三 病原微生物により汚染され、又はその疑いがあり、人の健康を損なうおそれがあるもの。
四 不潔、異物の混入又は添加その他の事由により、人の健康を損なうおそれがあるもの。
つまり今回の『みのりフーズ』を処罰する法的根拠はない。人の健康を損なう恐れがなく、また有害物質が含まれていなければ、これを販売してはいけないという限りではない、と法律的な持って回った言い方だが、要するに法律的には別に悪いことではないのである。多くの一般の人たちもマスコミも誤解している。『みのりフーズ』に落ち度があるとすれば、食品の賞味期限だとか消費期限に過度に敏感な世間を欺いて、大手チェーン店からの“廃棄依頼物”であることを隠蔽して販売したことくらいか。要するに商道徳の問題である。
また実際に賞味期限切れのこれら転売食品を口にした消費者はかなりの数に上っていそうだが、何ら医学的な問題が発生したということは報道されていない。『みのりフーズ』が“不正に”(“不法に”ではない)転売した食品が原因で集団食中毒でも発生したことが明らかになった場合には法的処分が問題になるが、今のところそういう段階ではない。つまり消費者もマスコミも大騒ぎする賞味期限とか消費期限には、これを人が食べたら健康を害する恐れが高いという科学的根拠(最近では我々の業界ではエビデンスという)も乏しいのである。
どうも日本のマスコミは、憲法を踏みにじる政治家には寛大で甘いくせに、こういう問題になると、まるで該当業者が極悪人であるかのごとき記事を書きまくるが、もっと法律というものを冷静に勉強して貰いたいと日頃から思っている。
しかし今回の記事ではそういう法的な問題を論じようと考えたわけではない。賞味期限または消費期限の問題は、まさに人類の存亡にもかかわる重大な生物学的問題だと言いたいのだ。
皆さんは太古の昔以来、地球上で最も冷酷な生き物は何だと思いますか。どうせこういう問題は『人類こそ最も冷酷で凶暴』という答えに行きつくに決まっているわけだが、その理由もまた考えて下さい。
5億年前のアノマロカリスも、6500万年前のティラノサウルスも、現生のライオンや虎も、他の生き物を殺して生きる肉食動物だが、彼らは自分と自分の一族の生存に最低限必要な獲物だけを殺して食うだけだ。決して目に触れる“食品”を片っ端から殺しまくっているわけではない。
人類はどうなのか。金が儲かると思えば食品として売れる動物は皆殺し同然に殺戮、さらに草食動物たちの餌となる植物も商品化のために根絶やし同然に伐採、それで売れずに余れば期限切れとして“廃棄物”にしてしまう。肉食獣も草食獣も植物までも“商品”として値踏みはするが、命に対する畏敬も憐憫もない。こんな種族が価値観の違いや欲得の衝突から同族同士殺し合って戦争するのも当然だと思う。
昔の日本人には、我々のために死んでくれた生き物たちは食べてあげるのが供養という考え方があったが、今では賞味期限とやらが1日でも切れれば捨ててしまえということか。何のために生き物たちは死んでくれたのか、一部の商人たちに金を儲けさせるためだけか。
自然の摂理である食物連鎖の中で生きていた過去の肉食動物たちも地球環境の大変動でいずれは滅亡の運命をたどった、しかし人類はこの自然の摂理さえも破壊して獰猛に経済活動を推進しつつあり、地殻や気候の大変動が起こるまでは生存を許されたかも知れない人類の命脈を、人類自身が断ち切ってしまうだろう。
日本人のような自然の摂理にも合わず、科学的根拠(エビデンス)も乏しい食品の“期限”にこだわって、命から作った食品をむやみに廃棄するような食生活を全世界のすべての人間が行なったら、地球上の耕地面積は一挙に不足して、それこそ同族殺し合う戦争になるに違いない。
宮沢賢治の『よだかの星』を思い出す。よだかは自分が生きるために毎晩たくさんの虫を殺さなければいけないことを悲しみ、弟のかわせみにも必要な時以外は余計な魚を採らないように言い残してから空高く登っていって、ついにカシオペア座の近くの星になってしまうという短編の物語だった。他の命を奪いながら生きる自分の醜さ、罪深さに気付くこともできないくらい、人類はあまりにも生物としての摂理を踏み外してしまったのかと、食品の消費期限の社会問題が起こるたびに暗い気分になる。
脂肪の燃焼って何だ?
近年ある種のお茶を飲んだり、サプリメントを摂取するだけで、肥満の大敵である中性脂肪が“燃焼”してくれるかのごとき幻想を振りまくコマーシャルがやたらに目につくようになり、素人さんたちはさぞ過剰な期待を抱かせられているんだろうなと思っている。
素人さんたちと書いたが、人体の健康のプロであるはずのドクターたちでさえ、正確な脂肪の代謝について素人さんたちの知識とどれほどの差があるのか、実はこれも本当は疑問である。中性脂肪の分解というのは、糖質や脂質の代謝を正確に知っていなければ答えられるような問題ではないのであって、本来ならこういう問題のプロ中のプロであるはずの糖尿病学会所属のドクターたちも半数以上はあやふやな知識しか持っていないのではないかと私は睨んでいる。そうでなければ飲み続けるだけで脂肪が“燃焼”してくれるような飲料が、医師のお墨付きで“健康食品”などに指定されるはずがない。
そもそも燃焼という言葉がくせ者である。燃焼とは本来は可燃物が大気中の酸素の中で光や熱を放って急激に酸化される反応を指す。もっとも最近では生体内での糖質や脂質の酸化反応を指すこともあるということだが、健康増進を強調するために、大気中で火花を散らして炎が燃えるようなイメージを人々に植え付けるような宣伝文句はフェアでないし、科学的でもない。
お茶の成分のカテキンが脂肪酸のベータ酸化(β酸化)を促進するデータがあるという一見科学的なエビデンス(科学的根拠)を示した文献も挙げられているが、ベータ酸化の意義を正確に理解しているドクターは果たして何パーセントくらいいるのだろうか。
動物が動くためにはエネルギーが必要で、エネルギーを作るために燃料の糖質(炭水化物)を酸化していることは別の記事に書いたが、今回はその続きである。
動物は餌の糖質(炭水化物)にありつけない飢餓タイムに備えて、グリコーゲンと中性脂肪という補助燃料タンクを持っているが、この中性脂肪はどういう情況の時に、どういう形で利用されるのだろうか。これを知っていれば、飲み続けるだけで中性脂肪が消えてくれるような奇跡の飲料などあり得ないことがお分かり頂けるだろう。
食事から得られた基本的な糖質であるグルコース(ブドウ糖)は、細胞内に取り込まれると『解糖系』という一連の化学反応によってピルビン酸という物質にまで酸化される。この過程でもスズメの涙ほどのエネルギーは産生されるが、それだけでは到底動物が動き回るために消費する莫大なエネルギーを供給することはできない。
そこでピルビン酸はミトコンドリアという細胞内の構造に入り、アセチルCoA(コエンザイムA:コーエイと発音)という物質に変換されてから『クエン酸回路(TCA回路)』という一連の化学反応を回るうちに水素原子を引き抜かれ、この水素原子が『電子伝達系』というまるで発電機のような化学反応で莫大なエネルギーを産み出す。
これら解糖系、クエン酸回路、電子伝達系という3つの酸化反応だけが動物のエネルギーを供給するのであって、ここには中性脂肪も脂肪酸もベータ酸化も関係ない。
このエネルギー産生に脂肪がどう関わってくるのか。中性脂肪は糖質が無くなった時の予備燃料タンクだと書いたが、中性脂肪はグリセロールに脂肪酸が結合した物質、化学に強い人ならグリセロールという3価のアルコールの3個のヒドロキシ基(昔は水酸基と習った)に炭素原子が直列に連結された脂肪酸がエステル結合した物質と言ってもお分かり頂けると思う。
別に分からなくても良いので先へ進むと、糖質の補給が無くなって、肝臓や筋肉に貯めていたグリコーゲンも使い果たすといよいよ中性脂肪の出番、中性脂肪はグリセロールと脂肪酸に分解され、脂肪酸の方が先ほどのベータ酸化という化学反応で炭素原子が短く切り出されてアセチルCoAに分解される、それでこのアセチルCoAが『クエン酸回路』に入って『電子伝達系』まで進む過程でエネルギーが産生されるわけだが、この後半部分は糖質の代謝と同じ、つまり中性脂肪が糖質枯渇時の予備燃料だということがお分かり頂けたかと思う。
動物は動き続けるためのエネルギーを常に補給しなければいけないので、糖質が十分にあればそれを利用する、余った糖質は中性脂肪にして貯蔵する、糖質が欠乏すると中性脂肪を分解した脂肪酸のベータ酸化でアセチルCoAを補給して『クエン酸回路』と『電子伝達系』の化学反応を維持する。
この因果関係をきちんと把握していれば、飲むだけで中性脂肪が“燃焼”する魔法のような飲料など幻想に過ぎないことが分かる。ああいう広告のフェアでないところは、まるで飲んでいるだけで中性脂肪が消えていくような誤ったイメージを消費者に植え付けようという魂胆が丸見えなことである。
食事を変えずに過剰な糖質は食べ続け、運動もせずにエネルギーを使わないような生活習慣にドップリひたっていれば、仮に多少はベータ酸化が促進されるようなエビデンスがあったとしても、一方で次々と過剰に摂取される糖質からは予備燃料である中性脂肪がどんどん産生されて体内に蓄積されていくのである。
あとついでに言えば、消化管からの脂肪の吸収を抑えるという飲料の宣伝もあるが、これも糖質を過剰に摂取し続ければ焼け石に水、とにかく必要以上に食べ過ぎた糖質は、動物の体が飢餓タイムに備えて中性脂肪の形に変えて長期的に保存しようとするからである。(短期的な保存にはグリコーゲン)
とにかく甘くて美味しいものは食べ続けたいが、苦しい運動や減量はやりたくないという現代人の甘ったれた根性につけ込まれてはいけない!
サラブレッドはまぐさを食って走る
このコーナーで前回脂質代謝について、さらに以前糖質代謝について書いたので、ついでに今回は栄養3部作の完結編としてタンパク質代謝について書いておく。今回は前に比べてほんのちょっとだけ化学の知識が必要になるかなと思うが、どうせろくに勉強しないお医者さんたちもよくご存知ないことなので、あまり気にせず読み飛ばして下さい(笑)。
ろくに勉強しないとは何事だ…と激怒するお医者さんがいたら、次の質問をしてやって欲しい。もしスラスラ答えられたお医者さんたちには申し訳ありません。
●なぜ肉食獣は炭水化物をほとんど摂取しないのにエネルギーを産生できるのか?
これは糖質代謝の記事でも少し触れたが、今度はこの反対、
●なぜ馬は草しか食わないのに走れるのか、なぜ草しか食わない牛の肉が美味しいのか?
確かに豆類などには良質のタンパク質が豊富に含まれているが、本当はそれだけではない。この質問は次のように言い替えることもできる。
●人間は必須アミノ酸を食事で補給しなければいけないが、なぜ必須でないアミノ酸(非必須アミノ酸)は食べなくても大丈夫なのか?
「人間が生きていくための3大栄養素は何ですか」
と聞けば、たぶん理科の大好きな子供たちならば、
「ハイ、デンプン(炭水化物)と油(脂肪)と肉(タンパク質)です」
と答えるだろう。少し気の利いた子供たちなら、
「あとミネラルとビタミンと水が必要です」
と付け加えるかも知れない。
3大栄養素とは炭水化物と脂質とタンパク質、これは小学校の理科の時間に習ったとおりで間違いないし、これらをバランス良く食べることが健康な生活に大切なことも言うまでもない。
しかし一部の糖尿病学会のお医者さんたちでさえ知らない、あるいは故意に無視している重要な生化学的事実がある。それはこれら3大栄養素は人間の体内で相互に変換しうるということである。
動物の体は炭水化物(糖質)の摂取が途絶える飢餓タイムに備えて、余剰の糖質をグリコーゲンの他に中性脂肪に変えて体内に貯蔵することはすでに書いた。つまり糖質と脂質は相互に変換可能なことはお分かり頂けたと思うが、ではタンパク質に関してはどうなのか。この件に関しては世間でずいぶん誤解があるように思う。
スポーツ選手が筋肉を作るために肉を食べなくちゃ…とか言う、ではサラブレッドの馬はどうなのか?大量の草ばかり食っているくせに、実にしなやかな筋肉を発達させて競馬ファンに時々配当金をプレゼントしたりしているではないか。そうかと思えば、試験前の学生さんたちが徹夜の猛勉強に備えてガッツリ肉を食っておかなくちゃ…などと言っている。試験勉強に先ず必要なのは筋肉ではあるまい。
また脳などは良質の糖分を摂取しなければ働かないと勘違いして砂糖をたくさん食べながら、炭水化物を断つと筋肉が分解されて“燃えて”しまうので痩せ細ってしまわないかと、半分正しいことを知っているばかりに余計な心配をしている人も多い。
では小学校の頃に肉を食べてタンパク質を補給しましょうと習った、そのタンパク質とは何なのか?生物や化学を少しでも勉強した人なら、タンパク質とはアミノ酸が一列に結合した物質だと知っている。また人間の体を作っているタンパク質は全部で20種類のアミノ酸があれば合成できることも知っている。
その20種類のアミノ酸のうちの1つの化学構造式の例を挙げる。化学構造式など持ち出されると“化学アレルギー”が…などと言って敬遠される方も、これだけだからちょっと見て欲しい。
COOH
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CH2
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CH2
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H-C-NH2
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COOH
これはグルタミン酸というアミノ酸だが、赤で示した部分はすべてのアミノ酸に共通な構造、青で示した部分がいろいろな化学構造式に置き換わるのでアミノ酸一族の種類は豊富にあるのだ。
では次の化学構造式を見て欲しい。上のグルタミン酸とどこが違うか?
COOH
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CH2
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CH2
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C=O
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COOH
上から4段目のH-C-NH2がC=Oに変わっているだけで、残りの構造はまったく同じ。実はこれはアルファ(α)ケトグルタル酸という物質で、糖質代謝の記事にも書いたクエン酸回路(TCA回路)という一連のエネルギー代謝経路の中の重要な物質の一つである。
別に私の教え子の学生さん以外は無理に覚えなくて結構だが、上のグルタミン酸から-NH2とH-を引っこ抜いて、代わりに=Oを付ければαケトグルタル酸になることだけ分かって頂けるとありがたい。
アミノ酸の一種であるグルタミン酸から-NH2(これはアミノ基という構造)を引っこ抜いて、あとちょこちょこっと小細工すれば、αケトグルタル酸というエネルギー代謝経路の一角をなす炭水化物に化けるということである。
ここで大事な復習、
アミノ酸からアミノ基を引き抜くと炭水化物になる。
逆もまた真なり、炭水化物にアミノ基をくっつけるとアミノ酸になる。
これを覚えただけでも、勉強しない生半可な医者よりもよっぽど大切な真理を理解したことになる。これで炭水化物とタンパク質も体の中で相互に変換しうることが分かったであろう。動物の体内にはこういう炭水化物とアミノ酸を橋渡しする化学反応が幾つか存在している。
肉食動物が炭水化物を食わなくてもエネルギーを産生できるのもこの反応のおかげ。
馬が草ばかり食っていながらしなやかな筋肉で走れるのもこの反応のおかげ。
必須でないアミノ酸もこの反応で炭水化物から作ることができる。
飢餓に苦しんだ人の筋肉が無くなって骨と皮ばかりになるのはこの反応が関与する。
過度のダイエットもまた同じ、ハイ、本日の講義はこれでおしまい。
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