シドニー (Sydney)



 私が初めてパスポートを作ったのは昭和52年(1977年)のことでした。大学も卒業して、一応医師免許も貰って、小児科の研修医として走り始めたばかりの最初の夏休みです。目的はオーストラリア独り旅でした。
 その年の3月、横須賀で知り合って三笠公園を案内して差し上げたオーストラリア人John Self氏の家を訪問することになっていたのです。Johnさんはメルボルン(Melbourne)にお住まいだったので、先ずは羽田空港を夜中に発って早朝のシドニーに降り立ち、次いでキャンベラ、メルボルンとオーストラリア東海岸を徐々に南下して行ったわけです。(当時はまだ成田空港は開港していませんでした。)
 Johnさんはオーストラリア陸軍の退役軍人で、日本進駐時代に知り合った日本婦人と結婚しておられ、2人のご子息も陸軍士官学校に入学しておられました。日本人と結婚しているくせに、日本語は意外にヘタクソで、私の前でこの方が喋った日本語は「私、三笠、見タイデース」だけだったと記憶しています。横須賀で出会った時は、Johnさんは単身来日して英会話講師をしながらブラブラしておられましたが、いろいろご夫婦の事情もあったようです。私の訪問が良い結果をもたらしたようですが、まあ、昔のことなので私もよく覚えていません。

 上の写真
は昭和52年当時のシドニーの風景。有名なハーバーブリッジ(The Harbour Bridge)の向こう側に貝殻デザインのオペラハウス(The Opera House)が見えます。よく見るシドニーの観光ポスターとはちょうど反対側からの景色で、地元のシドニーっ子以外はあまり目にすることのないアングルです。最近ではこのアングルから撮影するとニューヨークや東京と同じような摩天楼がニョキニョキ建っているのが写るはずです。
 ここが私が初めて訪れた外国の都市で、最近でこそオーストラリアも新婚旅行客をはじめ日本人もよく出かけるようになっていますが、昭和52年頃は観光で赤道を越える日本人はほとんどいませんでした。費用も米国西海岸やハワイ、西ヨーロッパなどに比べてかなり割高でした。そんな地域へ海外独り旅などさらに物珍しかった。(旅行費用は親に借金して行きました。)

 日本語のヘタクソな外人と意気投合して、半年後には独り旅でその国を訪問したなどと書くと、いかにも私が語学が達者なのを自慢しているように聞こえるでしょうが、実はそんなことはありません。まったく逆です。今回は語学と海外旅行のお話です。

 外国旅行の楽しみの一つは、まったく言葉の通じない環境に我が身を置くことです。これはよく考えてみれば子供時代に戻るようなものですね。子供の頃はバスや電車の行き先表示の漢字が読めなかったり、かろうじて読めてもそれがどこにあるのか判らなかったりしたもので、独りで街に出るということは大きな冒険でした。しかも周囲の見知らぬ大人たちとは話ができない。少なくとも街で出会う大人は子供とは対等に話をしてくれませんでした。
 外国へ行くとそれとほとんど同じ状況になるのです。ワクワクするような冒険です。日本にいればこそ医者だ、先生だとチヤホヤしてくれるが、言葉の通じない外国へ放り出されれば幼児も同然。日頃思い上がって傲慢になりかけた心もボロボロと剥がれ落ちていくようで、爽快このうえもありません。
 しかしこの時は生まれて初めての海外旅行。12年以上も勉強してきた英語がどのくらい通じるのだろうかという腕試しの気持ちも多少はありましたが、当初予想していた以上にまったくダメでしたね。「私、三笠、見タイデース」だけで日本を歩いていたJohnさんと少しも変わりません。オーストラリア英語は訛りが強いことで有名ですが、そんなことで言い訳できるレベルではありませんでした。

 私の世代の日本人は一応中学生の時から英語教育を受けていますが、日本の英語教育の最大の欠陥は会話がまったく出来るようにならないことです。文法だとか単語のスペルだとかを几帳面に反復練習させられるばかりなので、日本人は英語の文章を読んだり書いたりすることは何とか出来るようになるのですが、厳密に意味を取ることばかりに気を取られて、相手が喋ることを途中で聞き取れなくなる、自分が何か言おうとしても、発音や文法が正しいかどうか不安になって思うように喋れない、したがって会話が成立しないということになります。
 正直に告白しますが、私の英語もまさにこのレベルです。日本の英語教育は試験で点数を取ることが目的化していたために、“真面目に”学校で勉強してきた大多数の日本人は英語は出来るが、英会話は出来ません。英語がペラペラ喋れる人を見ると羨ましいと思いますが、しかし喋れなければ喋れないなりに幼児に戻った気分を味わえるので、別に外国の街の独り歩きは今では面白いと思います。
 しかし初めての海外の地シドニーではそんな気持ちの余裕があるはずもありません。Johnさんとはメルボルンまで1週間も会えません。しかもただでさえ英語の聴き取りが悪いところへもってきて、先ほども言ったようにオーストラリア英語は訛りが強い。“What's your name?”という基本的な中学英語も、“ネーム”が“ナイム”になるから最初は戸惑います。また何かの会話の席で、“Maybe(メイビー)”と返事をしたら、人の良さそうなおばちゃんに“マイビー”だよとケラケラ笑われる始末。

 まあ、言葉の通じない外国へ行ったら、余計な肩の力を抜いて構えないことです。なまじ中学の頃から英語を勉強しているなどという見栄やプライドも捨てることです。相手の言う意味が判らないと恥ずかしい、うまく表現できないと恥ずかしい、というのは、学生時代に英語の試験の成績が悪かったという屈辱の記憶がなせるわざです。あるいは学生時代の英語の成績が良かったのに会話ができないとみっともないという誤ったプライドのなせるわざです。考えてみれば、我々は日本人同士の会話でも相手の話し言葉を完璧に聴き取っているわけではないし、こちらが話す時も支離滅裂な単語を並べているだけの場合も多いです。

 学生時代の英語の成績は忘れて自然に構えてさえいれば、コミュニケーションは何とかなるものです。私が初めてオーストラリアを訪れたこの時の旅行で、イヤなことも幾つかありました。例えばシドニーの街角では、俺はhorseracer(騎手)だと称する若者に付きまとわれました。若者といっても当時の私も若者ですから、ちょうど同年輩です。たぶん私が英語もロクに喋れないカモだと値踏みしたのでしょう。最初は親切に市内を案内してくれていましたが、最後に場外馬券売り場みたいな場所に連れて行かれて、「俺の馬に100ドル賭けろ。3倍にしてやる。」としつこくからみ始めたのです。さあ、困りました。相手が日本人でも窮地という場面です。私も“No”を連発して防戦一方でしたが、相手は私が英語を喋れないと思って腕をつかんで一方的に絡んできます。
 しかしこの時、私も思わず学生時代の英語の成績は忘れてしまいました。すると突然、舌が回り始めたのです。相手が「俺の馬は強いから絶対大丈夫だ」と言った言葉尻を捉えて、私の口からスラスラと切り返しの言葉が出てきたのです。それも強い剣幕で…。
“Why can you say that? Every horse racer says the same thing!”
「何でそんな事が判る。騎手なんてみんな同じ事を言うじゃないか」というわけですが、あの場にふさわしい言い回しだったかどうか判りません。しかし相手もさすがにタジタジとなって退散して行きました。

 今になって考えてみれば、あのHorseracer氏は私の生涯最高の英会話の先生だったわけですが、やはりちょっと悪いヤツですね。でも大部分のオーストラリア人は、私が英語を喋れなくても誰もが親切に接してくれました。オーストラリア国内航空の一部の女性客席乗務員を除いて…。
 とあるオーストラリア国内線で移動した時、飲み物サービスに来たその乗務員、“coffee or tea?”と注文を聞いてきましたが、私の返事の発音が悪かったとみえて、いきなり怖い顔になり、「あなたはどこから来たか?」とか「あなたは何歳か?」とか、まるで英会話学校の初歩のような関係ない質問を幾つも出してくるのです。そして“coffee”を何度も言い直させた後、やっとコーヒーをカップに注いで行きました。私の隣に座っていたオーストラリア人の紳士が気の毒そうな目で私を眺め、さらに非難がましい目でその乗務員を見ていましたから、あれはやはり乗客に対してあるまじき無礼な振る舞いであったことは確かでしょう。
 日本の飛行機で客室乗務員が、特に有色人種の外国人乗客に対して同様な“会話教育”をやっているのを見たとしたら、私はきっと航空会社に通報します。まあ、オーストラリアは白人支配国家としては唯一、国土に日本軍の空襲を受けた国ですから、特に航空会社のエリート女性には反日感情の高い人も多かったのかも知れません。
 しかし2度目に国際学会でオーストラリアに行った時に一矢報いてやりました。1992年のことです。その頃にはオーストラリア各地も日本人観光客で溢れていました。あの時と同じ航空会社の飛行機に搭乗して離陸を待っていると、後方から回ってくる女性客室乗務員が日本人観光客1人1人に妙な質問をしているのです。別に聴き取らなくっちゃ、と構えていたわけではなかったので、却ってよく聴き取れました。
“What's Japanese for thank you?”
こうやって書いてしまえば大体の意味が判る人は多いと思います。「日本語でthank youは何?」というわけですが、こんな数語の短い文章をいきなり乗務員から問いかけられた日本人たちはしどろもどろになって“Thank you!”とか会釈しているようです。
 あいつらまたやってるのか。15年前の女性客室乗務員の“口頭試問”が脳裏に閃きました。「日本語でthank youはサンキューだって。キャハハッ!」彼女らが控え室に戻って笑う姿が目に浮かぶようです。そもそも日本人観光客も増えてきたのだから、日本人にサービスしたいと心から思っているのであれば、日本語のできるスタッフにあらかじめ聞いておけば済むことです。それをわざわざあんな簡略化した言い方で日本人乗客に聞いて回るとは…。聞くにしたって、“What is the Japanese greeting word…?”とか、“What do you say…?”とか聞けばいいじゃないか。
 「アリガトウだ」と即答してやったら、彼女は最初きょとんとしていましたが、聞いた手前それを使わなければならないので、それからは“Arigato”、“Arigato”と言いながら日本人におしぼりを渡していました。もし私が「バカヤロだ」と答えたら、“Bakayaro”、“Bakayaro”と言いながらおしぼりを渡したのでしょうか。そう考えると可笑しくてたまりませんでしたが、紳士はどんな高慢な女性に対してもそういうことはしません。
 そう言えば聞くところによると、東南アジア諸国などを訪れる日本人男性観光客どもの中には、一生懸命に接客しようとしている何も知らない現地の女性スタッフに対して、とんでもない4文字語を教え込んで喜んでいる心無い輩がいるそうです。まったく日本の恥です!

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