東京オリンピック再び

 確か昭和天皇はハレー彗星を2度、幼少時と晩年にご覧になったという話で、76年に1度巡って来る彗星に生涯2度出会うというのも珍しいことだと思っていたが、東京オリンピックに生涯2度も出会う世代というのは、おそらく人類史上、私たちを最年少として20〜30歳年上の人たちまでかも知れない。
 2013年9月7日にブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会総会で、2020年夏季オリンピック・パラリンピックの開催都市が東京に決定した。思えば49年前、1964年の東京オリンピック大会を私たちの世代は中学1年生で迎えた話はこのサイトにもう何回も書いているが、あの東京大会を一定の感慨をもって回想できる人は限られており、職場の少し若い人たちでさえ、もうそんな昔の事は知らない、記憶にないと素っ気なく言われてしまう。

 あの東京オリンピックを知らない若い世代の人たちには、ぜひ2020年の東京オリンピックを楽しんで貰いたいし、日本人としての誇りと自信を深めて欲しいと思うが、2度目の私たち爺さん世代から見るとちょっと釈然としないものがあるのも事実…。
 1964年の東京オリンピックは、このサイトに何度でも書くが、子供心にも本当に夢のような世紀の祭典だった。戦争に負けた日本の大人たちが、採算も何もかも度外視して、純粋に夢中になってオリンピックを招致して、東京の街を新しく作り上げ、競技場などの設備を建設し、プログラムを盛り上げていた、そんな熱気が子供の目からも嬉しかった。

 そんな時代の輝きが今回もあるのだろうか。
 オリンピック目当ての公共事業が無ければ立ちゆかなくなった日本経済、1964年の時は国際イベントをやるような施設が何も無いところからのスタートだった、そういう意味から言えば、まだ都市として東京より未熟なイスタンブールに発展のチャンスを与えるのが公平だったのではないか。

 原発事故の汚染水はコントロールされている、と日本の新聞記事を見慣れている国民から見れば、まるで大本営発表のような嘘八百を安部首相自らがプレゼンテーションして各国委員にアピールしたのもフェアではない。しかし言った以上はきちんと責任を果たして頂きたいが、さて歴代の日本政府にそういう意味での責任を全うした政権があっただろうか。

 そして極めつけは7月24日開会、8月9日閉会というその日程、これを見て何とも思わない人は一体どういう神経をしているのか。広島・長崎の原爆の日を含んで核兵器廃絶をアピールする絶好の機会になることは別として、この時期が関東地方ではどういう気候であるか知らないわけではあるまい。
 1964年のオリンピックは10月10日が開会式、爽やかなスポーツの秋たけなわだった。しかし今度は真夏である。気温が35℃を越す炎天下の東京のアスファルト道路でマラソン競技などやらせるのか。若人の祭典などと言いながら、プロスポーツの邪魔にならない夏場に大切な若人たちを競わせるのか。そんな大人の都合で日程を決めたオリンピックに昔ほどの意味があるのか。1964年の時は王や長島などのスタープレイヤーを擁した日本プロ野球でさえ日程を前倒ししてオリンピックを優先したのだ。

 もっともこれは今度の東京大会に限らない。どうも共産圏がボイコットして資本主義国だけで開いたロサンジェルス大会あたりからオリンピックが商業主義に毒されてきたように思うが、開催国の気候が最も良い時期を選んで開催するのが本来のオリンピックの意義ではないのか。

 オリンピック大会に限らない、大人の都合を若者に押し付けて歴史を作っていく、そんな汚い面が国政にも社会にも教育にも、1964年当時よりずっと目立つようになっているのが心配であるが、これも2度目ゆえの気の迷いであることを念じつつ…。

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皇族の政治利用

 2013年9月7日のブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会総会で、2020年東京大会開催が決定したことは前項のとおりだが、その席上、安倍首相が招致演説で原発の汚染水はコントロールされていると胸を張って公言した、その舌の根も乾かぬうちに放射性物質を含んだ水の貯蔵タンクが傾いていた、少し余計に貯めすぎた、いろいろあって汚染水の一部が海に流出した可能性があると報道された。

 安倍首相は自らの国際的言動に責任を取る覚悟はあるのだろうか。いや、我が国では安倍首相に限らず、平安・鎌倉時代の昔より日本列島の最高責任者は自らの言動や政策に責任を持ったことなどほとんどなかったのではないか。
 為政者たちはもし自分の言動に齟齬が生じた場合、その責任の一端を他に押しつけることが出来るように、あらかじめ朝廷(皇族)によるお墨付きを貰っておくのが常套手段であった。宣旨、詔勅というヤツである。天皇の裁可を受けたというこれらの文書を楯に、自分の政策や陰謀を押し通す、もしそれが失敗しても責任の一端は裁可した天皇に帰すことが出来る。日本列島の為政者たちは連綿としてこの卑劣な手段を使い続けた。

 いや、為政者たちだけに非ず、日本民族は全体にこの卑劣な血が流れていると言ってよい。自分が所属する集団内で物事を決定する局面を考えてみれば明らかだ。完全に自分一人が泥をかぶる覚悟で物事を決められる人物は非常に少ない。
 最下級者は下級者の了承を得ておけば責任を免れる、下級者は中級者のお墨付きを貰っておけば責任を免れる、中級者は上級者の意を汲んで動けば責任を免れる、上級者は最上級者の顔色を窺って言うとおりにすれば責任を免れる、それで最上級者はどこへ最後の責任の一端を持っていくかと言えば、それが朝廷であり、天皇であり、皇族なのである。

 そうやって政治家が皇族を利用するのは好ましくないという観点から、戦後は皇族の政治利用は一見禁止されてきたように見えるが、実は日本の為政者が自分の責任をなすりつけることの出来るこんな便利で美味しい制度を簡単に手放すはずがない。
 現在でも日本国憲法第7条、天皇の国事行為には国会の召集、衆議院の解散が定められている。国家の最高議決機関であるはずの国会が、法律上は天皇によって動かされていることになっている。あの2005年の小泉純一郎の郵政民営化に関連する衆議院解散も天皇が国事行為として行なったものなのだ。

 では郵政民営化が失敗したら天皇の責任か?おそらく現在の日本人でそんな風に考える人はほとんどないだろう。しかし進歩的論客を気取る人たちの中には、日本の歴史における朝廷の本質的な在り方に気付かず、いまだに太平洋戦争は昭和天皇の責任だと主張する人がいる。
 しかしあれも大日本帝国憲法に明記された主権者たる天皇への忠誠を巧みに利用した当時の為政者たちの責任なのであって、最後の責任の一端を天皇(皇族)に押しつけた為政者の責任、さらにはその為政者から順次一段ずつ下級の者たちの顔色を見ながら自分の責任を放擲していった国民全体の戦争責任に目を向けない限り、日本民族に流れる卑劣な血を浄化することは出来ない。

 今回のブエノスアイレスの国際オリンピック委員会総会には天皇や皇太子は出席しなかったものの、皇族のお一人である高円宮妃の久子さまが演説を行ない(官邸は“ご挨拶”と言っている)、本会議以外のレセプションなどでも大活躍されたと言われている。高円宮妃がいらっしゃらなければ招致は出来なかっただろうという声も、意図的にか非意図的にか流されている。つまり安倍首相が原発汚染水に関して大本営発表まがいの嘘八百をプレゼンテーションするまでもなく、皇族のご威光で招致できたと言わんばかりだ。

 官邸は今回の高円宮妃の“ご挨拶”について、国民全体が望むオリンピック招致なのだから皇族にお出まし願っても差し支えないという見解だと思うが、そんなことを言うのであれば、前の戦争だって不況に喘ぐ日本国民が活路を開く手段として期待していたとさえ言えるのではないか。
 
また前回のロンドンオリンピック招致に当たって英国王室の関与も大きかったとか、今回の招致のライバルであったスペインは皇太子が出席されたとか言うけれど、先にも述べたとおり、これらヨーロッパ諸国と日本では皇族(王族)の存在意義がまったく違う。日本の皇族は為政者どもの責任逃れのために存在させられてきたとさえ言えるのだから・・・。

 為政者だけでなく、国民全体も皇族の方々ご自身も、今後の新しい日本における皇室の在り方を本当に考えていくべき時が来たのではないかと思う。



世界最強の軍隊

 世界には国籍ジャンルの笑い話(エスニックジョークというらしい)があって、けっこう笑える。エスニックジョークとは、こんな状況でA国人はこうする、B国人はこうする、C国人はこうする…、といった類の笑い話で、笑い物にされた国の人はちょっとムッとするかも知れないが、何となく真理を突いているようなものもあって面白い。

 例えば沈没する客船から乗客をスムースに海に飛び込ませる時のセリフ;
アメリカ人には「飛び込めば英雄になれるぞ」
イギリス人には「紳士なら飛び込みたまえ」
ドイツ人には「規則だから飛び込んで貰います」
フランス人には「海に飛び込まないで下さい」
イタリア人には「海で女の子が泳いでいるぞ」
日本人には「もう皆さん飛び込みましたよ」
韓国人には「日本人はもう飛び込んだぞ」


 この韓国人のところは初めて知ったが、なかなかツボを突いている。その韓国でのアジアンエスニックジョーク…;
韓国諜報部が不審な日本人のトランクを改めたら、パンツが7枚入っていた。
「何でお前はパンツを7枚も持っているのか?」
「はい、これが月曜日のパンツ、これが火曜日のパンツ、これが…。」
翌日、韓国諜報部が不審な北朝鮮人のトランクを改めたら、パンツが12枚入っていた。
「何でお前はパンツを12枚も持っているのか?」
「はい、これが1月のパンツ、これが2月のパンツ、これが…。」


 ちょっと間違えば民族蔑視にもなりかねないが、自分自身をも俎板に乗せて各国の国民性を比較するエスプリとして楽しむならば、自国のことも客観的に見えて面白い。国際学会に関するジョークにもこんなのがある。
インド人を黙らせ日本人を喋らせるのが国際学会の名座長だ。

 こういうエスニックジョークで軍事的なものを紹介しておく。
世界最強の軍隊は、アメリカ人の将軍、ドイツ人の参謀、日本人の兵隊…
というもの。
 ちなみにこれとまったく反対のジョークもある。
世界最弱の軍隊は、中国人の将軍、日本人の参謀、イタリア人の兵隊…
ということらしい。

 中国の諸葛孔明や日本の織田信長やフランスのナポレオンなど個々の事例を引き合いに出せば異論もあるだろうが、総体的に見たら比較的よく各国の特徴を捉えているような気がする。
 ドイツは第一次世界大戦の敗北から20年も経たないうちに、再びヨーロッパ諸国を相手に大規模な戦略を展開したが、おそらくドイツ人参謀の緻密で明晰な頭脳あったればこそ、お調子者の日本人参謀が余計なことさえしなければ、もしかしたらヨーロッパはナチスドイツの領土になってしまったかも知れない。
 そんなところが上のエスニックジョークの出所だろうが、戦いの旗色が悪くなってからも、日本人参謀は戦艦大和を無謀な特攻作戦にしか使えなかったが、ドイツ人参謀は戦艦ティルピッツをフィヨルドに温存して連合軍の一部戦力を釘付けにした。

 無能な参謀に使い捨てにされた日本の兵隊が優秀だったのも世界の軍事的常識のようだ。現在でも国際共同演習などで若い自衛隊員は相手国の賞賛の的になるらしいし、2001年に発生した日本海での不審船追跡事件で示された海上保安庁の射撃も、洋上で人員を殺傷せずに不審船の動力部にだけ弾丸を集中させる見事な腕前だった。

 第二次大戦後、ドイツ人が日本人を見かけると「今度はイタリア抜きでやろうぜ」と声を掛けてくるという話は、まんざらジョークだけではなさそうで、“世界最弱”のイタリア兵に対してはドイツ人も愛想を尽かしたのかも知れないが、この話を聞くと思い出すのがイタリア戦争映画の『砂漠の戦場エル・アラメン (la Battaglia di El Alamein)』、北アフリカ戦線でロンメル将軍の部隊の撤退を援護して、イタリア軍部隊が最後まで徹底的に抵抗するのだが、もうこれ以上の戦闘は必要ないとなったところで投降した生き残りの兵士たちの傍らを、敵将モントゴメリー将軍が敬礼しながら通り過ぎて行くラストシーンが印象的だった。
 イタリア兵もそんなに弱くなかったよというイタリア映画界の意地を見るような戦争映画だったが、日本の戦争映画ならたぶん生き残った兵隊が全員最後の玉砕突撃をして終わりだろう、「もう使命を果たしたから戦わなくていいぞ」という伝令の言葉に、胸を張って連合軍に投降する、こういう兵士たちを誇りとして讃美する映画を制作するような国のためなら生命を賭けて戦おうという気持ちになるのではないか。

 無能な参謀と優秀な兵隊という図式は、無能な政治家・官僚と優秀な国民という図式に置き換えることも一昔前頃までは可能だったが、最近この日本人の国民性が劣化してきているという話もよく耳にする。
 戦後日本の自動車が欧米を席巻した背景には、当時の日本人工員は欧米人工員に比べて、自動車部品をネジ止めする時に必ず“最後の一締め”をする素質があると言われたものだった。もうこれで大丈夫というところからさらに念を入れてネジをもう一締めするということだが、悲しいことに最近の日本人にはこの習性が失われてしまったのではないか。

 当時の欧米人工員だって、もし自分が家族を乗せる車だと思えば、最後の一締めも二締めもして念には念を入れたことだろう。どうせ他人が乗る車だと思えば念を入れた仕事はしない、ところが昔の日本人工員はどこの誰が乗るか分からない自動車の作業工程にも丁寧な仕事をしたということである。

どうせ自分の乗る車ではないからいい加減な仕事をする、
どうせ自分の食べる食品でないから偽装でも何でもする、
どうせ自分の住むマンションでないから手抜きをする、
どうせ自分の任期中には何も起こらないだろうから適当にごまかす…、
これが最近の日本の風潮ではないのか。



政治音痴の日本人

 2013年11月26日、強行採決で特定秘密保護法が衆議院を通過したことに関して、俄然多くのマスコミや団体をはじめとする国民の間から大反対の声が上がっているが、この国民がいったい何を考えているのか、何も考えていないのか、私にはよく分からない。

 昨年(2012年)暮れの第46回衆議院総選挙で自民党に過半数にあり余る議席を与えたのはあなた方でしょう、その自民党の総裁である安倍晋三という男は、前回首相をやっていた時から『美しい国』などというスローガンを掲げて戦前回帰の国家造りを推進しようとした、憲法改正草案では下位法律への白紙委任という恐るべき禁じ手で時の政府が恣意的に軍隊を動かせるようにしようと目論んでいた、こういう男があのドタバタ退陣劇から息を吹き返してまた自民党の総裁になった、それを総選挙で大勝させればこうなることくらい予想できなかったのか?

 かつての小泉純一郎の郵政民営化解散の時もそうだったが、この国の国民はリーダーの何を見て選挙に投票しているのか。その政治的方向感覚の無さにはただただ呆れるしかない。安倍首相の経済政策が中国や韓国を出し抜いたなどという記事が出れば快哉を叫び、その両国と万一事を構えることにでもなれば我が国の外交・軍事上の機密は決して漏洩させてはならないはずなのに、ただ“秘密”という言葉の響きにだけ敏感に反応して、トンチンカンな反対論に終始している。

 国家から個人に至るまで秘密にせざるを得ない事項は存在する。家庭のヘソクリの隠し場所を第三者(機関)と協議するバカなどいるだろうか。秘密の指定に関して、完全に中立な第三者機関などあり得ない。しかしそのあり得ない物を何とか他の物で代用しなければ国民の基本的人権が損なわれる恐れがある、その点に関しては審議が十分なされなければいけないのに、今回は拙速に事が運ばれてしまった。それが後世禍根を残すことになるかも知れない。国民が総選挙で安倍自民党を大勝させたからである。
 そもそもネットで“総選挙”を検索すると、某アイドルグループの“総選挙”が真っ先に引っ掛かってくる、こんなバカな国が世界で他にどこかあるのだろうか?

 冷静に考えれば、秘密保護法の類は必要悪である。例えばイプシロンロケットの機密が仮想敵国に漏洩した場合、その国はより効果的に我が国を攻撃する手段を入手することになる。その機密を金で売り渡した、あるいは色仕掛けで提供させられた、そういうことをした人間までを我々は守る必要があるのか。
 法律の罰則をもって保護しなければいけない秘密があることだけは冷静に見つめなければいけない。国民の多くがただヒステリックに反対しているだけという状況を、安倍はむしろほくそ笑んでいるだろう。むやみやたらの反対論などいずれ沈静化するだろうと…。



東洋の科学力

 西洋と東洋を比較した場合、西洋文明イコール科学と技術、東洋文明イコール神秘と瞑想、といったイメージが広く定着していると思われるが、決して東洋も科学力の点で西洋に負けていたわけではないと、よく学生さんの講義で話すことがある。
 西洋が科学技術の点で東洋を凌ぐようになったのは、前のミレニアム(千年紀)の後半以降、ヨーロッパにルネッサンスが勃興し、大航海時代が到来してからのことに過ぎない。知的好奇心と航海技術の進歩に導かれて全世界に乗り出して行った西洋人は、地球上の富を独占すべく、必然的に軍事力を増大させて東洋を圧倒していったが、この世界史の流れの中で西洋vs東洋を考えていくと、多くの人々が見逃していることが一つだけある。

 東洋の科学は果たして西洋に劣っているかというと、実はそんなことはないのであって、前のミレニアムの前半においては東洋の文明は西洋を凌駕していたのである。その象徴的な事件は、13世紀にアジアに興ったモンゴル帝国が文字どおり中世の世界を席巻したことであり、当時のキリスト教国もイスラム教国もモンゴル帝国に立ち向かうことはできなかった。
 しかし東洋の科学の神髄は、そんな戦争や大航海への応用とはまったく別物であると私は思う。東洋では正確な事実の記載と洞察が発達しており、これは西洋では古代ギリシャやローマの衰退と共に失われ、ルネッサンスまで取り戻すことのできなかった科学の基本的精神である。

 東洋では科学的な記載力と洞察力が前のミレニアムを通じて失われることはなかった。少なくとも中世のヨーロッパ(当時の西洋)のように広範な地域で長期にわたって暗黒時代が続いたことはなかった。
 もう一つ前のミレニアムにおけるインドでゼロの概念が発見されたことは、東洋にも深い科学的洞察力があったことを示す好例であるし、また中世に出現したハレー彗星や超新星に関する中国〜朝鮮〜日本の天文学的記載は西洋など問題にならぬほど精密なものであり、現代の最新のデータとリンクさせることが可能だという。何しろ中世ヨーロッパでは彗星は箒に跨がって空を飛ぶ魔女と信じられていたから、ロクな観察記録が残されていないのだ。

 また時間の流れの相対性を洞察したかのような『浦島太郎』や、月が地球とは別の天体であることを洞察したかのような『かぐや姫』などの昔話は、日本人の先祖の科学的洞察力の高さを示すものと思っているが、私の専門分野でも日本人の科学的記載力の高さを示す事例があることに最近気づいたので、ここにご紹介しておく。

 西欧の一つ目巨人族の神話、日本の一つ目小僧の昔話、このモデルになったと考えられる病気に単眼症という先天異常がある。顔の真ん中に目が1個しかできない奇形だが、もともと人間の目は胎児期に1個発生して、それが2個に分かれて左右に移動していく、そして左右に分かれた目と目の間を通って鼻が額から顔面中央へ下がってくる。
 だが単眼症の胎児では目が真ん中に居座るので鼻が下へ降りて行けず、本来の位置に鼻が形成されない。つまり一つ目小僧は鼻無しでもあるのだ。

 日本人の先祖はこれを正確に記載していた。日本の一つ目小僧の絵で鼻が描いてあるものは、私の知る限り1つも無い。ところが西洋の一つ目巨人の肖像では、ほとんどのものに鼻があるのだ。
 私もかつて産科・小児科をやっていた時、単眼症の子供の出生に2例ほど立ち会ったことがある。最近では出生前の超音波診断で早期に診断がつくので、予定日まで気付かなかったということはあまりないだろうが、こういう赤ちゃんが生まれてくると医療人でも思わずギョッとなってしまう。しかし我々日本人の先祖はそんな時でも冷静な科学的観察態度を忘れなかった。このことは誇っても良いのではなかろうか。
 日本人の科学的精神と一つ目小僧の肖像については、これまであまり誰も言っていないことなので簡単にご紹介した。



日本史の転回ポイント

 2013年12月26日の安倍晋三首相の靖国神社参拝と、それに対する米国政府の失望の表明をめぐり、国内外に波紋が広がっている。私などは自分自身がいつか靖国神社に祀られることを夢見て若かりし日々を送ってきた人間であるが、自分は国のために死ぬことなど一度も考えたこともないような人間たちまでが、国に生命を捧げた人たちに一国の首相が参拝して何が悪いと、中国や韓国はもとより、今回の首相参拝に失望の意を表したアメリカ合衆国にまで、八つ当たり気味の反発を見せていることに呆れてしまう。

 首相参拝に関する私の意見はこのコーナーの7年前の記事とまったく同じであり、小泉を安倍に代えればそのまま通用する。尖閣諸島に暗雲たち込める現在、米国としては日本が余計なことをして軍事的緊張を増大させることを懸念しての表明であることくらい、一読すればすぐ分かるはずなのに、与党政治家や右傾マスコミに煽られた国民たちも、今度は反米感情まで募らせかねない雲行きになっている。
 ロシアコサック騎兵もバルチック艦隊も撃滅して夜郎自大になった日本国民が、講和を斡旋した米国にまで反感を抱き始めた110年前と同じことを繰り返す気か?日本は中国に対して高飛車に出ながら、それを諫めた米国のメンツまで潰しても平気でいられるほど強大な国だと自惚れているのか?国民こぞって夜郎自大になっていった1世紀前の歴史の帰結として起こった対米戦争で犠牲になられた方々こそ、靖国神社に祀られている英霊のうちで最大多数を占めているのではないのか?

 アメリカ合衆国は日本が同盟国として頼りないと思えば、尖閣沖の石油資源を確保するために日本を見捨てて中国と結ぶ外交上の選択肢だって必ず持っているはずだ。それに対して我が国は再び対米・対中同時戦争をやれる見込みがあるのか?
 綺麗事ばかり言うのもいい加減にしろ。我が国には『負けるが勝ち』という諺があり、さらに中国の故事を引いて『韓信の股くぐり』という言葉も昔はよく使われた。これは小さなメンツが潰されたと思うとカッと頭に血が上って周囲の状況が見えなくなる我が国民性を諫める先人の教えではないのか?一国の首相までがメンツにこだわって国の進路を見誤る、ここに我が国の歴史の輪廻を感じる。

 確かに今回米国が安倍首相の靖国参拝に失望を表明したことは内政干渉と取れぬこともない。本来ならば米国は韓国の李明博大統領が昨年8月に竹島に上陸した時にこそ失望の表明を出すべきだった。
 韓国大統領の竹島上陸で日本国民のナショナリズムに火がつき、それが尖閣諸島国有化につながり、中国の領土的野心を刺激した、ここ1年半ばかりの東アジア情勢を追っていけば、李明博こそ万死に値する極悪人である。それを黙過しておいて今回の安倍首相にだけ失望を表明すれば、カッとなりやすい日本国民が今後どんな暴走をするか、アメリカ政府はそれを見抜けなかったのか。

 アメリカ政府はたぶん日中韓を含む世界各国の政府や国民の分析は念入りに行なっているだろう。今回アメリカが失望表明を出したのは、おそらく1941年の対米開戦の経緯を踏まえている可能性がある。
 1940年代の日本は、当時快進撃を続けていたナチスドイツとの同盟を背景に思い上がって、自らの国力も顧みずに対米開戦に踏み切った。この歴史的事実からかなりの確度で類推できることは、現在の日本はアメリカとの同盟を背景に思い上がって、自らの国力も顧みずに対中開戦に踏み切る可能性がある、少なくとも最近の安部首相の政治手法を見ればそのリスクは高い、アメリカ政府がそのリスクを回避しようとしていることは、今回の声明から読み取れなければいけない。

 日清戦争後の三国干渉に対して臥薪嘗胆をスローガンに堪え忍んだ時代に回帰するのか、日露戦争後の夜郎自大に堕していった時代に回帰するのか、日本国民は今こそ歴史の転回点にいる。



想定外の火災で新幹線止まる

 2014年1月3日早朝、JR有楽町駅の線路沿いで火災が発生、東海道新幹線の東京〜品川間が不通になったため、ダイヤが夜まで大混乱になった。年末年始を関西方面で過ごした大勢の人たちにとっては帰京の足を奪われたと言ってもよいだろう。

 ここで誰でも考えることは、東京〜品川わずか7キロ足らずの区間の火災で何で東海道新幹線全線が止まってしまうのかということであろう。この点はその後いろいろ新聞やネットなどでもJR側の釈明が出ていたが、何となく釈然としないものがあるのは事実。

 今回なぜ品川〜新大阪間での営業運転に臨機応変に切り替えできなかったのか。JRの説明によれば、火災発生後に品川駅に到着した上り列車をそのまま下り列車として運行したが、品川駅はホームが2つしかなく、また乗務員や整備員は東京駅にしか待機していないので、30分に1本程度が限度だったとのことである。

 今回はJRも品川駅で折り返しを試みたとのことであり、その点は評価できるとしても、私が腑に落ちないのは、JR新幹線は“平時”にはこのような事態を想定していなかったという弁明である。
 テロで線路が爆破された、震災で広域にわたって列車の運転が困難になった、などというような本当の非常事態ならばともかく、今回のような事故や災害で一部区間が不通になったことは、これまで何度もあったことだ。私も20年以上昔、台風で小田原〜新横浜間が土砂崩れで不通になり、復旧まで一晩以上も新幹線内に閉じ込められたことがある。

 あの時思ったのは、何で小田原以西にいる車両をやりくりして小田原〜新大阪間で臨時営業運転をするプログラムを組んでおかないのかということだった。関西方面からの帰京客は小田原まで到着できれば、在来線や小田急線などに振り替えて東京に戻ることができる。

 確かにそういう臨時プログラムを組むことは非常に煩雑であり、場合によっては不可能であろう。私のような素人でも以下の2つの問題点があることは理解できる。
 第一に、列車の整備は本来のターミナル駅でなければ出来ない、だから品川や小田原で折り返すとゴミ箱やトイレが満杯になって使えない恐れがある。
 第二に、復旧の予測が立たないのに臨時に列車を折り返してしまうと、復旧した時にその列車を元のダイヤに戻すのが困難になる。

 ざっと考えただけでも問題が生じるのは分かるが、私が一番問題だと思うのは、我が国のさまざまな組織でこういう問題を平時から想定しておく訓練が出来ていないということである。
 例えば新幹線の○○駅と△△駅の間が不通になった、その事態でもどうすれば最大限の輸送力を確保できるか、そういう命題を常に考えておくことが日本人は苦手ではないのか。いわば頭のトレーニングである。

 ○○駅と△△駅の間が不通になった時に、東京〜○○と、△△〜新大阪の駅間でそれぞれ折り返し運転をするには、事態発生時に路線上にあった列車をどのように動かせば良いか、また1時間で復旧した場合、2時間で復旧した場合、と所要時間によって復旧時に路線上にある列車をどのように戻せば、臨時運転によるロスを最小限に抑えられるか、そういったシミュレーションは普段からコンピュータ上で試行していなければいけない。
 その上で、この駅には臨時のトイレタンクの交換設備を増設しておくとか、臨時運転要員の駅間移送手段を確保しておくとか、いろいろな対策を講じておくことが出来るようになる。しばらく前に“危機管理”という言葉がよく言われたが、こういう細かいことの積み重ねが危機管理につながっていくのではないか。

 今回は有楽町沿線の火災で東海道新幹線が全線混乱した事件から
日本人の危機管理術の拙劣さを思ったが、これは何もJRだけに限ったことではない。物事がすべて順調に行くことしか想定していない、何か突発事態が生じたらどう対処しようという思考回路ができていないし、作ろうともしない。
 そういう日本人の思考・行動パターンが最悪の事態を招いた歴史的事件が、ミッドウェイ海戦であり、津波による原発事故である。



ロッキード事件の謎

 ロッキード事件と言われてピンと何か感じるのはずいぶん年配の人ばかりとなった。首相の犯罪とまで言われ、ピーナッツを食べるたびにそれが賄賂を意味していたことが念頭を過ぎる時代であった。

 ロッキード事件とは1976年に発覚した疑獄事件で、アメリカのロッキード社による航空機売り込みに関して、オランダ、イタリアなどと共に我が日本の政財界を巻き込むスキャンダルに発展した。ロッキード社は民間旅客機の分野ではボーイング社やダグラス社に大きく出遅れており、新鋭旅客機L-1011トライスターの売り込みに関しては各国の政府首脳や財界要人に露骨な賄賂攻勢を行なったとされ、我が国でも当時の田中角栄首相が、賄賂を意味していた“ピーナッツ”を「よっしゃ、よっしゃ」と気前よく受け取っていたらしい。

 “ピーナッツ”も“よっしゃ、よっしゃ”も当時の流行語になったし、国会の喚問に呼ばれた関係者が肝心なことになると「記憶にございません」を連発し、これも流行語になった。「記憶にございません」は最近の政治家もよく使うが…。

 もうあれから38年も経つのか(2014年現在)と思うと、歳月の流れの早さに愕然とする。田中角栄元首相も1985年に脳梗塞で倒れ、1993年にロッキード事件の刑事被告人のまま亡くなった。事件当時は“Tanaka”という名前は全世界的に有名で、私なども事件翌年オーストラリアを旅行中、どこでも名前を言うと「総理大臣(Prime Minister)の親戚か?」と聞かれたものである。

 ところでロッキード事件の謎と書いたが、私が当時からどうしても腑に落ちないことが1つだけあった。ロッキード事件が発覚したのは、アメリカ上院の外交委員会多国籍企業小委員会に賄賂の存在を示す資料が段ボール詰めになって送られてきたからだというが、これは誰が何の目的で送ったのか、あまり納得のいく解説がされていない。

 そもそも賄賂の領収書みたいな自分の贈収賄容疑の証拠となるような物件を所有する人物が、それを箱詰めして議会の委員会に送るなどあまりにも不自然である。そんな物騒な物を移送する必要があるなら、必ず他人の手を借りずに自分でやるはずだ。
 では誰かが関係者から盗み出して委員会に送ったのか。いやいや、自分の弱みをそんな簡単に敵に盗まれるような場所に保管しておくバカがいるものか。

 ロッキード社は旅客機の他に対潜哨戒機P3Cオライオンの売り込み工作も仕掛けてきており(オライオンは星座の“オリオン”、期せずしてかどうかロッキード社が売り込んだ旅客機のトライスターは“三つ星”)、オランダではF104戦闘機、イタリアではC130輸送機など広く西側諸国の軍用機売り込みにも事件の影が迫っていたから、私はこれは共産圏のスパイの仕業ではないかと思っていた。疑獄事件で軍用機の配備が1年でも2年でも遅れれば共産陣営にとっての戦略価値は大きいと思う。

 また田中角栄が対中国接近したり、エネルギー政策でソ連やアラブ寄りに転換するのを妨害するためにアメリカが仕組んだ陰謀だという説もある。いずれにしても尋常かつ順当な経路ではあの贈収賄の証拠資料が流出するはずはない。
 こういう事件を考えるときには、表に出てきた事象だけを見るのではなく、何故この経過を辿ったのかという背景も見ることが大事である。そこに事件の核心が隠されていることも少なくないが、裏で行なわれた人間の欲望だとか智略だとか勇気などの内面が垣間見えるようで興味深い。

 歴史には何でこんな資料が陽の目を浴びるに至ったんだろう、何でこんな言葉が公開されたんだろうという不思議なことが往々にしてある。ロッキード事件のことはもうこのくらいにして私の業界の例も1つ、1999年に起こった都立広尾病院事件である。
 手術終了後の患者さんが血液凝固阻止剤と間違えて消毒液を点滴されて死亡した、最初のうち病院側は死因を認めたがらなかったが、広尾病院での病理解剖の結果、誤点滴以外に原因は考えられないということになり、以後全国の病院でもこういうヒューマンエラーによる医療事故の防止努力が広く行なわれるようになった。

 …と言うが、広尾病院で医療ミスが起こり、広尾病院で解剖が行なわれたのである、いくらでももみ消し可能だ。普通の日本の組織なら、病院幹部と病理解剖執刀医が結託して所見を隠し、心筋梗塞などと死因を捏造することも多いのではないか。何故この病理解剖所見が陽の目を浴びて、以後の医療事故防止の原動力となり得たのか。考えてみればやや不思議な話である。

 実はこれは広尾病院の病理医が所見を曲げなかったからである。病院上層部からの圧力や、病院への帰属意識との板挟みもあったろうが、解剖所見を証拠隠滅のために曲げることはしなかった。それが後の医療事故防止の努力へつながる結果になった。
 私も事件後何年もしてこの経過を聞いたが、この病理医は私の従兄である。従兄と同窓の病理医たちから、お前があの先生の従弟かと感心されるまで事件の真実の経過を知らなかった。私もこの従兄に恥じるような生き方はしたくないと思っている。



原発再稼働を許した東京都民

 ロシアのソチで開催されている冬期オリンピック大会のニュースに湧く中、2014年2月前半の東京は、時ならぬ2度にわたる大雪に加え、その1度目の積雪と重なって行われた都知事選で何となく慌ただしく過ぎていった。
 ソチの男子フィギュアスケートでは日本の19歳の羽生結弦選手が金メダルを獲得し、しかも2位は中国系カナダ人のパトリックチャン、3位がカザフスタンのデニステンと表彰台が全員東洋系男子という実に痛快な勝利だった。

 その中でこれまで日本の男子フィギュアスケート界を引っ張ってきた高橋大輔選手も6位と健闘した。高橋大輔選手といえば、今回のソチ大会でショートプログラムの演技に使う音楽『ヴァイオリンのためのソナチネ』が佐村河内守氏の作曲とされていたが、実は別のゴーストライターが作曲していたことが一連の雑誌や新聞の報道で明らかになり、氷上の演技への影響が懸念されていた。しかしそういう世の中の雑音に惑わされず立派に滑りきり、翌日のフリーと合わせて見事6位入賞を果たし、まさにスポーツマンシップの真髄を見せてくれた。

 さて一方の佐村河内氏であるが、雑誌ではペテン師とまで呼ばれ、さんざんな叩かれようである。普通の感覚ではもう二度と世間の表舞台に
出て来れるとは思えないが、私に言わせれば3年も我慢して逼塞していれば、この国の多くの人々はすべての事を許すだろう。この国の人々は目の前にいる当面のバッシングの対象が欲しいだけであって、3年経ってから「反省しました、禊ぎも済みました」と言ってシャアシャアと出てくれば、またいくらでも活動のチャンスはある。

 原子力発電を推進する政治家や経済団体がまさに良い見本だ。佐村河内氏もああいう鉄面皮な人間たちを手本として、とにかく3年間はおとなしくしていなさい。必ずまた陽の目を見る日はやってくる。

 2011年の3月までは原子力村の人間どもは金の欲しい無知で強欲な政治家や経営者を抱き込んで、1億国民をペテンにかけ続けてきた。アメリカのスリーマイル島、ソ連(現ロシア)のチェルノブイリは事故を起こしたが、日本の原発は米ソよりも安全で優れているから絶対に事故を起こしません、だから安心して任せなさい、と言い続けてきたのである。ペテンだった。
 地震のせいでした、津波のせいでした、地震も津波も来なければ絶対に大丈夫ですと、また目先を変えた言葉で国民をペテンにかけようとしている。しかし以前から我が国は地震の多い災害国だから原子力発電には不安があるという慎重論もあったが、我が国の技術は万全ですと言い続けてきたのだ。佐村河内事件と似たところがある。報道によれば本当は聞こえてるんじゃないかという疑惑もあったらしいが、全聾ということで世間は押し切られてきたのだ。

 我が国民はこういうペテンに弱いということを図らずも示した佐村河内氏の事件だったが、原子炉に関する政府のペテンにまたしても国民は引っ掛かることになる。今回の東京都知事選で原子炉が争点になるのはおかしいと、原発推進派の政治家どもが後押しする陣営は言い続けてきた。しかし電力を大量消費する東京都から国政のペテンを打ち砕いていかなければいけないのに、東京都民は原発推進派に大量得票を許した。

 我が国は2発の原爆を落とされても不屈の国民性で立ち直ったが、2基の原子炉の爆発には耐えられないと思う。福島県の事故で、東京あたりの選挙民からはそれほど大きな健康被害が起きていないように見えるのは浅はかな思慮である。福島の原発は日本列島の東端にあり、大気中に放出された放射性物質は大気の流れによって東方の太平洋上へ拡散するから、白血病や奇形児の発生に現在のところ結びついていないだけだと私は思っている。御前崎や柏崎あたりで事故が起これば東京都民は大量の放射能を浴びるだろう。当然我が国を攻撃しようとするテロリストはここを狙ってくる。

 ドイツは与野党一致して脱原発に転換した、しかし我が国の政財界は再び原発に依存しようと目論んでいる。この構図は半世紀前にもあったこと、1950年代から睡眠剤・鎮静剤として使用されたサリドマイドは当初安全な薬と信じられていたので妊婦にも投与された、ところがサリドマイド服用した妊婦から上肢欠損する奇形が出産する危険性が高いことが分かった。最初の警告が発せられたのが西ドイツ(当時東西分断中)だった。
 しかしドイツから発せられた警告を日本の政財界は無視してサリドマイドの販売を継続した結果、多数の奇形の子供が生まれることになった。世に言うサリドマイド事件である。ドイツが真っ先に警告を発したのに、この薬は安全であるという日本政財界のペテンに日本国民、特に妊婦たちが引っ掛かったのである。

 まあ、音楽家がゴーストライターに曲を書かせて自分の作品として発表するペテンなど可愛いもの、裏でさんざん資金援助を受けた政治家が原発は安全として政策を掲げてくるペテンこそ、国民もマスコミも見抜いて叩き潰さなければいけないのに…。



太平洋戦争と大東亜戦争

 このサイトを比較的丹念に読んで下さる方はたぶんお気付きと思うが、第二次世界大戦で日本が参戦したほぼ東半球に限定される戦いを、私は常に『太平洋戦争』と呼んでいる。終戦直後の一億総懺悔の時代からかなり長い間、日本人はあの戦争を太平洋戦争と呼んできて、もちろん学校の日本史の教科書にも太平洋戦争と記述されていた。

 しかし太平洋戦争とは太平洋方面の対米豪戦のみを指す言葉であって、大陸から東南アジアにおける対中・対英蘭戦が含まれない印象を受ける、さらに当時の日本での国策上の呼称は『大東亜戦争』であって、戦後極東軍事裁判で否定されたからといってすべて日本だけが悪いのではない、という主張から再び大東亜戦争と呼ぶ人も最近では増えている。

 歴史上の実体は変わらないので、私はどちらでも構わないと思っているが、確かに『太平洋戦争』では大陸方面の戦闘が含まれない。しかし『大東亜戦争』でも我が国が有史以来最大の犠牲を出した太平洋方面の対米戦闘が含まれないのではないか。『アジア太平洋戦争』という呼称が最も実体に即しているとは思うが、一部の人たちが提唱しているだけであまり一般的ではない。

 私が敢えて『太平洋戦争』の呼称にこだわるのは、太平洋の対米戦はまるで幕下力士が横綱・大関にぶつかり稽古をしたような情けない戦争であり、特攻だ玉砕だバンザイ突撃だと、我が国の人命軽視・個人軽視のとんでもない民族の汚点が顕在化した歴史として後世に伝えなければいけないと思うからである。理由はそれが最も大きい。

 『大東亜戦争』というと、一応中国軍を中心とした連合軍相手に何とか格好のつく勝負にはなっていたという気休めを感じる人もいると思うし、何より日本が米英蘭など白人相手に戦争したお陰でアジア各国が独立できたじゃないかという“大日本帝国善玉論”をブチ上げることが出来る、これは日本人の自尊心をくすぐる耳障りの良い論調である。

 だがこの大東亜戦争における“日本善玉論”は非常に危険な認識であると思う。日本が白人国家の抑圧に喘いでいたアジア諸国民を解放してあげたって?まるで中国共産党の人民解放軍と同じ論理ではないか。
 大日本帝国は東南アジアの人々を抑圧から解放するために戦争したのか。米英蘭をアジアから駆逐したなら自分は日本列島に帰って、独立したアジア各国の自治を暖かく見守り続ける気があったとでも思っているのか。大日本帝国もそんな他人の独立を援助するためだけに一肌脱ぐようなお人好し国家ではなかったはずだ。

 たまたま良い時期に太平洋方面で負けが込んできたためにアジアに全力を注ぐことが不可能になり、結果的に緒戦の勝ち戦がアジア諸国の独立に貢献しただけである。もし日本が対米戦に勝利していたら日本が米英蘭に取って代わり、インドのチャンドラボースもビルマ(ミャンマー)のアウンサン将軍も自国の独立のために今度は対日蜂起を決行せざるを得なかったに違いない。

 『大東亜戦争』は東南アジア方面ではインドやビルマ(ミャンマー)やインドネシアやフィリピンなどの独立を“結果的に”助ける格好になったが、東アジアではもう一つの侵略国家を蘇生させる結果となった。阿片戦争で英国に敗北した中国(清)は起死回生を狙った日清戦争でも日本に敗れ、古代以来の侵略国家たる牙を抜かれた形になっていたが、第二次世界大戦後は再び共産党政権の下で帝国主義的領土拡張に奔走している。チベット問題など好例である。

 現代の中国における反日は、被害者ヅラを装ってはいるが、実は“同族の侵略国家たる日本”に対して敵意と対抗心を燃やしているのだと私は思っている。『大東亜戦争』という呼称を使うことによって、聖戦とまでは言わなくても、何となく日本がアジア国家の独立を助けたなどという善玉論に酔っていると事の本質が分かりにくくなる。

 大日本帝国が中国にも東南アジアにも戦争を発動したのは、それらの国の経済を自国に従属させて、まず自国の繁栄を優先的に図りたかったからであり、それ以外に言い逃れの余地はない。複数の諸国が相互発展のために経済を統合するのは、最近のヨーロッパを見てもわかるとおり非常な困難を伴う。ヨーロッパでさえ困難だった経済統合への道を、日本が大東亜共栄圏構想で歩む覚悟があったとは思えない。おそらく力ずくで押さえ込むしか出来なかったであろう。

 この構想が途中で挫折したために、東南アジア各国は日本も欧米もいない空白地帯に恵まれて独立への弾みがつき、中国は阿片戦争以来の面目を復活させることが出来た。米英蘭は日本を叩き潰した後から再びアジアに君臨しようと戻って来たが、今度はそうは問屋が卸さなかった。
 要するに18世紀以来の帝国主義的領土拡張政策華やかなりし時代に、日中米英蘭という侵略国家の群れがアジアで繰り広げた乱闘騒ぎの最後の幕だったのであり、その最後の幕を切って落としたのが日本だった。そして中国は幕が下りた今でもまだ領土拡張を夢見続けている。

 私の歴史観はそういうことであり、こういう事件を記述する適当な言葉は『太平洋戦争』でも『大東亜戦争』でもない、しかし他に言葉がない以上、私は今後も太平洋戦争と呼ぶことになると思う。日本民族の欠陥が最大に露呈された対米戦争を忘れてはいけない、日本善玉論に毒されて現在の中国共産党の本質(それはかつての大日本帝国の本質と同じなのだが)を見失ってはいけないという理由からである。



『永遠の0』の時代

 百田尚樹氏の原作をほぼ忠実に映画化して、昨年暮れ(2013年)に封切られた『永遠の0』は原作小説と共に今や一大ブームになっている。多くの有名人や評論家、ネット上の書き込みや、映画の主題歌を歌ったサザンオールスターズの桑田佳祐や、果ては完成した映画を観た原作者の百田氏までが号泣したのしないのと大騒ぎ。

 私は百田氏が原作を書くに当たって参照したと思われる文献はほぼすべて目を通しているので、よく取材した小説だなと思っているし、映画のCG(コンピューターグラフィクス)シーンも『聯合艦隊司令長官山本五十六』をはるかに凌ぐ出来映えで、史実に反するシーンも無くて感心しているが、ストーリー自体は失礼だがそんな号泣するほど感動的とは思っていない。

 あの映画を観て、あるいは小説を読んで泣く人は、単に平成のメロドラマに感動しているだけであって、昭和のあの戦争の時代への共感を持ち得ていないのだと思う。
百田氏まで映画を観て号泣したと宣伝されていたのを見て、この人はいったいどういう人なのか戸惑った。単なる軍事オタクのメロドラマ作家なのか?

 平成の感覚であの映画を観るから泣けるのであって、戦争の時代を生きた人々にそのような視点から感情移入するなら、『永遠の0』は国を誤らせる遠因となるだろう。またあの映画を批判する人も平成の感覚でしか作品を見ていないのではないか。宮崎駿氏などは自分自身も零戦設計者のアニメ『風立ちぬ』を作っておきながらよく言うよと思う。

 さて『永遠の0』のブームもそろそろピークを過ぎたと思うので、ネタバレ覚悟で私の意見を書いておく。これから初めて映画を観る、初めて原作を読むという方は、ここから先は読まないで下さい。

 『永遠の0』のあらすじをざっとまとめておく。太平洋戦争中の零戦の搭乗員である宮部久蔵は、その右に出る者はいないと言われるほどの技量を持ちながら、愛する家族の元へ生きて帰ると公言して憚らず、海軍一の臆病者と罵られていた。その宮部もついに特攻隊に選ばれたが、出撃直前にエンジン不調の飛行機を交換することで、特攻出撃から生き残るチャンスを若い搭乗員に譲ってしまう。宮部と飛行機を替えて貰った若い搭乗員は、その少し前に宮部機に迫る敵戦闘機を身を挺して叩き落として宮部の窮地を救ったことがあった。しかしあれほど生に執着した宮部がなぜ生還できるチャンスをその若い搭乗員に譲ったのか、それを平成に生きる宮部の孫が解き明かしていくというストーリーだ。

 おそらくこの原作を読んだり映画を観て泣く人は、特攻で死んだ主人公に感情移入しているだけであって、主人公の“素敵な若者”が特攻で死ねば、愛する者への未練を断ち切って出撃した心情だとか、残された者が逝った者を偲ぶ心情を思いやって、ああ悲しい悲しいといって泣く、まあ、多くの物語の読者に見られるカタルシス作用と言ってよいのではないか。その意味ではもう10年以上も前にブームになった『ホタル帰る』の物語と大して変わりはない。

 その他にも今回の『永遠の0』についてネットの書き込みなどを見ていると、やはり我々平成人は平成時代の視点でしかあの戦争を見られなくなっていることを痛感する。
 平成時代の視点とは何か。それはあの戦争は昭和20年8月15日に終わることを歴史上の事実として知っている、そして戦争が終わっていずれ平和が来ることを知った上であの戦争中のことを考えていく、まさにそれこそが平成の視点=“戦後”の視点である。

 太平洋戦争、当時の人たちの呼称でいえば大東亜戦争は昭和20年8月15日に日本の敗戦で終わることを、主人公の宮部は知らなかったし、他の大多数の日本人も知らなかった。もうこの戦争はダメだと思っている人は多かったろうが、それでも戦争が終われば日本人は皆殺しにされるか欧米人の奴隷にされると漠然と思い込んでいたに違いない。連合軍の進駐によって、こんなに個人が大切にされる世の中が来るなどとは、当時の日本人は誰一人として夢にも思わなかったはずだ。

 宮部も特攻出撃から生還すれば愛する人の元に帰れて幸せな戦後の時代を迎えられたのに、何でそのチャンスを若い搭乗員に譲ってしまったのか…、それが『永遠の0』の原作を読んだ、あるいは映画を観た平成人の最大のこだわりであり、そこから感情移入していくから号泣もする。しかしあの作品の背景となった時代に、そんな前提はあり得なかった、そのことを平成時代の読者や観客は気がつかないし、場合によっては原作者も制作者も気がついていない。だから安易な“オナミダ頂戴”になってしまった。

 主人公の宮部が出撃から生還するために飛行中は常に見張りを厳にし、空戦中も局外から冷静に戦局を観察して油断している敵機を狙う、これは日本海軍の実在のエース坂井三郎さんの『大空のサムライ』など各種の空戦記に書いてあることだ。
 しかし坂井さんは家族の元に生きて帰るためにこのように行動したのではない、次の戦いに出るために生きて帰ろうとしたのだ。坂井さんは空中戦の結末には4通りあり、敵を落として自分は生き残るのが最善、自分だけが敵に落とされるのは最悪なのは当然だが、敵を落として自爆する相討ちは負けと同じ、敵を落とせなくとも自分も生きて帰ればまた次の戦いに出ることができると書いている。

 坂井さんをはじめとする当時のパイロットたちは愛する人の元に生きて帰るために戦ったのではない。愛する人の面影を抱いて飛んだのは、特攻第1号と言われる関行男大尉のエピソードを適当に混ぜたのではないか。関大尉は新婚間もない新妻を残して神風特攻敷島隊の隊長として出撃した。『永遠の0』では坂井さんの空戦記と関大尉のエピソードをミックスさせて、平成人の涙腺を刺激することを意図していると感じている。

 そもそも特攻出撃直前、この飛行機はエンジンがおかしいから途中で引き返すことになることが鋭い勘で見抜けたとして、その飛行機を譲られた若い搭乗員が首尾よくその日は帰還できたとしても、そのまま戦後の時代を迎えることができるなどとは神ならぬ身の知るところではなかったはず、戦艦大和の沖縄特攻から九死に一生を得て生還した吉田満さん(『戦艦大和の最期』の著者)も、再び生きて日本に帰ったからといって、これで助かったとは思わなかった、どうせいつか死ぬ身、ただその日が延びただけと思っていたと書いている。

 あの時代の軍人たちが、「戦後の時代を生きる」ことを実感したのは8月15日正午の終戦の玉音放送を聞いた時、しかも「戦後の時代は個人が大事にされる」ことまで分かったのは日本国憲法発布後さらにしばらく経ってからのことだったに違いない。特に特攻隊員などは戦犯として処刑されるかも知れないと思っていた者もいた。特攻隊員として敵艦体当たり直前まで行って奇跡的に救助された鈴木勘次さんはそう書き残している。

 『永遠の0』は大変よく取材研究された作品だと思うが、その使い方を誤り、平成の読者や観客を“号泣”させることだけを目的としたために、時の政府にとって都合のよい愛国心を煽る絶好の道具となってしまった。“こんな美しい愛の物語が存在しうる素晴らしい時代への憧憬を募らせているばかりで本当に良いのか?

 ところで『永遠の0』鑑賞後にネット上で最も熱く議論されている部分、宮部が若い搭乗員に生還のチャンスを譲って自分は死んでしまった理由、その搭乗員がかつて身を挺して自分を救ってくれた御礼だったのか?原作者も制作者も暗にそのように意図しているように見受けるが、私の答えは違う。その場の出撃を生き延びさせてやったところで、その搭乗員が“戦後の時代”を迎えるかも知れないなどという可能性は、当時の大日本帝国の国民には夢想だにできなかった。
 宮部はそれまで絶対の自信を持って数々の戦場を生き抜いてきたが、たまたま1回だけ不覚を取ってしまい、しかも自分が守ってやるべき若い搭乗員に救われてしまった、そのことを勝負師として恥じ、もはやこれまでと覚悟を決めた、当時の軍人としての宮部久蔵の身になってみればそれ以外にないように思う。



船長は船と共に

 2014年4月16日に韓国珍島付近で韓国旅客船セウォル号が横転沈没、修学旅行中の高校生など多数の乗客が行方不明になっている。その後、救助された生存者などからの取材で、特に高校生乗客の大半が行方不明になっているというのに、船長、機関長、航海士ら船の幹部クラスの乗員は最初の救命ボートで全員が脱出したという信じられないような状況が明らかになった。しかも乗客に対しては、船内アナウンスで救命胴衣を着けて船室で待機するよう指示しておいて、自分たちだけさっさと船を捨てて逃げたという。多数の乗客を預かる船長として確かにひどい話に違いない。

 修学旅行中の高校が反日教育の総本山的な学校だったこともあり、日本のネットではそら見たことかとばかり、韓国人の職業モラルの低さを嘲笑するスレッドが幾つも立ち並んだが、韓国のネットも怒りに燃え上がっている。乗客を見捨てて自分たちだけ逃げ出した船長以下幹部乗務員に対する怒りだ。
韓国人の利己主義は認めるところだが、今回の事件はあまりに酷すぎる
日本だったら船長は最後まで船に残って一緒に海に沈んだだろう
いずれも韓国人の書き込みとして紹介されている文章だが、「お前は親日か」とか「なりすましの日本人め」といったお決まりの罵声は見られない。おそらく彼らには彼らなりの日本に対するコンプレックスがあるのだろう。
 また韓国のある大手メディアも、朝鮮戦争勃発時に当時の李承晩大統領が北朝鮮軍の侵攻の前にソウルからさっさと逃げ出した事例なども引き、韓国にはこういう船長のような人間が多数いると論じているらしい。

 私も韓国人の利己主義は認めるが、彼らのために一言だけ弁護してやるとすれば、2001年1月の東京山手線の新大久保駅乗客転落事故で、ホームから転落した酔っ払いを助けようとして、日本人カメラマンと韓国人留学生が線路上に飛び降り、全員が電車に轢かれて死亡した。いくら人命救助のためとはいえ、至近距離にまで接近していたであろう電車の前に身を曝すなど、私は当時も今も無謀な行為であったと惜しんでも余りある思いであるが、少なくとも利己的な人間に咄嗟に取れる行動でないことは確かだ。

 利己的かどうかは韓国人日本人を問わず、その場に居合わせた個人の属性の問題であるが、確かに日本人には韓国人よりも利他的な職業倫理を備えた人間の比率は高いかも知れない。もちろんすべてではないが…。特攻作戦を指揮しながら作戦終盤になって生命惜しさに許可もなく戦線を離脱した将軍とか、突然理由にならない理由で国会に対する義務を放擲した総理大臣とか、韓国人からすら犬畜生呼ばわりされて当然な人間もまた同じ日本人である。

 今回の韓国人船長の逃亡は明らかに犯罪行為であり、乗船している旅客への責任を放棄して多数を死亡させた罪は大きい。また2012年1月に地中海で座礁したイタリア客船コスタ・コンコルディア号の船長も同様な行為をしたらしい。
 1月13日の金曜日、ちょうど船内には映画『タイタニック』の主題歌が流れていたらしいが、座礁して総トン数11万トン以上の豪華巨大客船が横転沈没した。この時の船長も乗客を見捨ててさっさと救命ボートで島に避難しており、沿岸警備隊員から「船に戻れ」と指示されたにもかかわらず従わなかった。傾いた船の上で転んで偶然救命ボートの上に落ちたなどと、子供騙しの言い訳もしたというから呆れる。今回の韓国人船長は何と申し開きするのか。

 そこへいくと長年世界を股にかけた海洋国家として栄えた大英帝国の船乗りは立派なもので、1912年4月に北大西洋で氷山に衝突して沈んだタイタニック号のエドワード・ジョン・スミス船長は最後まで船に残って運命を共にした。しかし英国人がすべて立派なわけではなく、タイタニック号の船会社ホワイト・スター・ラインの社長ブルース・イズメイ氏は処女航海に同乗していたが、最後の救命ボートに隠れるように乗り込んで助かっている。タイタニック号の救命ボートを増設する案を社長として却下した人間であるから、後世も卑怯者、臆病者の汚名を着せられたままであるのは当然であろう。

 船や艦と運命を共にした英国人といえば、日本の海軍航空隊に撃沈された戦艦プリンス・オブ・ウェールズに座乗していたトマス・フィリップス提督とジョン・リーチ艦長は部下からの退艦の勧めを「ノー・サンキュー」と断って艦と共に沈んだのを思い出す。ただし僚艦レパルスの艦長は駆逐艦に救助されている。

 キャプテン(船長・艦長)は沈みゆく船と運命を共にする、それは英国の海の男の伝統と誇りであったが、英国海軍に範をとった日本海軍もその伝統を踏襲する。緒戦の勝ち戦でプリンス・オブ・ウェールズを旗艦とする英国東洋艦隊を撃滅した日本海軍の将官たちは、この敵将の天晴れな行動に賛辞を惜しまなかったであろうが、やがてその運命は自分たちのものとなる。
 半年後のミッドウェー海戦では、開戦後初めて菊のご紋章を付けた大型艦多数を失う事態となったが、トマス・フィリップス提督と同じ状況になった空母蒼龍の柳本艦長は、総員退艦命令を下した後、力づくでも艦長を救出しようとする部下を殴りつけて炎上する艦橋に留まり、艦と運命を共にした。
 気の毒だったのは空母赤城の艦長で、いったんは自分の身体を縛りつけて艦と共に沈むつもりだったがなかなか沈まず、結局は説得されて退艦している。他の3空母と巡洋艦三隈の艦長は全員この海戦で艦と共に戦死しているから、赤城艦長だけが生き残っていろいろ言われたらしい。生還後は懲罰人事で閑職に回されたが、終戦直後にソ連軍の迫る朝鮮北部の飛行場から部下を置いて自分だけ先に飛行機で脱出したと非難する人もいるようだ。
 空母飛龍で最後まで戦った山口多聞提督も加来艦長と共に艦上に残ったが、「誰かが(この敗北の)責任を取らねばならんだろう」と洩らしたとされ、これは機動部隊の総指揮官でありながら燃える空母赤城を捨てた南雲忠一提督に対する強烈な面当てであったと思う。

 艦長が戦闘によって沈没した艦艇と運命を共にすることについてはいろいろ批判はある。国家が命じた作戦を勇敢に戦い抜いた後、力尽きて最期の時を迎えた艦から生き残った乗組員の脱出を見届けたら、艦長自身も最後に退艦すべきではなかろうか。韓国のセウォル号やイタリアのコスタ・コンコルディア号の船長のような卑怯な振る舞いでは決してない。
 まるで海の男の美学のような伝統のために、英国海軍も日本海軍もあたら有為の人材、後任の養成に何年も何十年もかかるような貴重な人材を海に沈めてしまったのではないか。戦艦大和の沖縄突入を護衛した軽巡洋艦矢矧の原艦長が、無為に死に急ぐなと訓示して自らも生還した話も別のコーナーに書いた。

 あと私が個人的に思い出すのは、まだ大学受験を控えた高校3年生の時、したがって商船大学への未練が消え残っていた頃、1970年2月に総トン数34000トンの巨大な鉱石運搬船かりふぉるにあ丸が千葉県野島崎沖で荒天のため沈没、乗組員は駆けつけた船舶に救助されたが、住村船長だけは「みんな行ってくれ」と言って自分は船に残り、そのまま船と運命を共にした。
 今回の韓国人船長に爪のアカでも煎じて飲ませたい気分であるが、当時もその海軍軍人のような行為に多少の批判はあった。乗組員の退去を見届けたのだから、何故わざわざ死ぬ必要があるのかという論調だ。しかしあの頃の私は何となくこの船長が羨ましいような気がしていたことを思い出す。



医師は病院に留まるべきか

 前回、韓国旅客船の沈没に際して船長が真っ先に逃げた話を書いたが、それと似た話、あるいは似て非なる話は私たちの業界にもあり、私たち医師も普段から覚悟しておかなければいけない状況がある。以下は私が先日ちょっと小耳にはさんだ話であり、正確な情報かどうかは判らないが、特に同業者の皆さんはどうお考えになるか伺ってみたい。

 2011年3月、東日本大震災に続いて東京電力の福島県原子力発電所が事故を起こした。放射性物質が環境中に漏れ出して、近隣の住民の避難が相次ぐ中、その地域の病院の医師はどうすべきだったかという話である。
 強制避難でない場合に話が深刻になるのであって、地域にまだ多くの住民が生活しているのに、患者さんの健康を守るべき病院の医師は患者さんを置いて避難してよいかどうか。

 原発事故について医師は、船長と乗客のような責任関係にはないが、患者さんの求めに応じて診療する義務はある(応召義務)。放射能の危険があるからといって、住民や患者さんを残して自分は避難してもよいのか。
 しかし医師も特にまだ若手の場合、ここで自分の健康を犠牲にしてまで応召義務を果たさなければいけないのか、しかも地域には自分の家族も生活している場合が多い。

 電力会社の幹部や原発を誘致した政治家たちが逃げてはいけないのは当然である。しかし電力行政に何の責任も無い医療関係者までが同じ職業倫理を要求されるのか。
 あの時、福島県の原発近隣に赴任していた医師たちは真剣に悩んだらしい。そしてある者は地域に踏みとどまって診療を継続し、ある者は後ろ髪を引かれる思いで地域を離れた。皆さんはこの状況に関してどうお考えですか。まあ、安全地帯にいて軽々しく論評を下すことはできないが、似たような状況はどんな職業の人にもいつ降りかかってくるか予測はできない。

 そして1年経ち2年経ち、状況もやや落ち着いて住民も戻り始めた地域に、二度と帰って来れない医師たちがいた。自分は患者さんを見捨てて逃げたという罪の意識が、元の職場に復帰することを躊躇させるのである。愛着のある地域、信頼関係を築いてきた患者さんたちが生活している地域であっても、罪悪感からもう顔を向けることができないのだ。こうして地域医療に亀裂が入ってしまった病院が幾つもあるということを聞いた時は私もショックだった。

 ただあの大震災に続く原発事故を経て、また元通りの医師たちによる診療を再開することのできた病院の話も聞いたが、そこには2通りの状況があったらしい。
 1つは原発事故の後、リーダーである院長が「皆で残ろう」と医師を含む職員一同を督励した病院、もう1つはやはり院長が「残るも離れるも各自の判断に従って良し」と明確な指示を出した病院、いずれも院長自身は地域に踏みとどまってリーダーシップを発揮した。
 このリーダーの明確な指示が無かった病院では、医師を含む医療スタッフは自分の判断で避難を決断せざるを得ず、患者さんを置き去りにした良心の呵責を自分1人で受け止めていかなければいけなくなったのであろう。非常に重い話であるが、リーダーの資質について考えさせられる話ではある。



「三丁目の夕日」の頃の学校給食

 自宅の近所に公立の中学校があるが、私が毎朝通勤でその通用門の前を通ると、食肉卸店や生協のトラックが校内へ入って行くのに出くわすことが多い。今まで何気なく見過ごしていたが、先日はたと気が付いた。ああ、あれは学校給食の食材を毎朝配達している業者さんなんだなと…。

 私も最後の学校給食を食べてからちょうど50年も経っており、校門を入って行く食材トラックと学校給食のキーワードがなかなか結び付かなかったが、それにしても給食であまり楽しい思い出はなかった。本当はそんなことを言っては罰が当たるわけで、私たちが生まれ育ってきた昭和20年代から30年代にかけては日本も貧しく、アメリカ合衆国をはじめとする諸外国からの食料援助が無ければ、育ち盛りの児童・生徒に充分な栄養を供給することが出来なかった。つまり戦後の当初の頃の学校給食は欠食児童の救済が最大の目的だった。
 私が生まれた頃(1950〜1951年)は妊婦でさえ十分な栄養補給を受けられない時代であり、母子手帳などは母子の健康をチェックする…などという綺麗事の前に、妊婦や新生児に砂糖を加配するための切符という差し迫った切実な目的があったことは以前このコーナー書いた

 さて私たちが小学校に上がる頃になると、戦後間もない時期の深刻な食料事情は改善され、学校給食は教育の一環と位置づけられるようになったが、しかしお世辞にも美味しいとは言えなかった。料理というよりは餌という感じ…。だから私はどんな不味い食物を出されても人前では黙って文句を言わずに食べる習慣が身についたが、これこそまさに当時の学校給食の最大の教育効果だったかも知れない。

 確かに動物の餌ではあった。当時の給食には必ずミルクがついてきたが、それはアメリカが敗戦国民の児童を援助するため、自国では家畜にしか与えないという脱脂粉乳、それが太平洋をはるばる越えて戦争で負けた国の子供たちの胃袋に流し込まれていたわけだ。
 そもそも美味しい料理の基本は油と塩である。飽食の現代でこそ健康の大敵とされているが、調味料としてこの2つが欠けていると料理はパサパサで味気なくなってしまう。牛乳からその油を完全に抜いた粉末が脱脂粉乳、これを熱湯で溶いた白い液体をバケツに入れて給食室から教室に運んで来て、それを児童1人1人に取り分けたものを“ありがたく頂く”のであるが、これも熱いうちならまだ何とか飲める、それなのに食事前に担任の教師が長々と説教することもあり、そうやってぬるくなった脱脂粉乳ほど不味いものはない、飲んでいて吐き気がするほどだった。

 配られた脱脂粉乳が冷めていくのを見ながら説教を聞かされている時ほど、担任教師が憎らしく感じたことはなかった。殴れるものなら殴ってやりたかったが、当時は教師が体罰で児童や生徒を殴ることはあっても、その逆はあり得ない、今でもそうか(笑)、とにかく最近の児童・生徒はただでさえ不味い脱脂粉乳を、教師のせいでさらに不味くされた液体を飲まずに済むだけ幸福だと思う。

 アメリカも本来家畜の餌として余っていた脱脂粉乳で敗戦国民の子供たちを救済したのだから、何とも安上がりな慈善活動と言えたが、さらに彼らは戦勝国としての食糧戦略まで考えていたのである。終戦までの日本は米食中心、日本人にパン食の味を教え込んで、将来的にはアメリカ産の小麦を買わせようと、学校給食をほぼ完全なパン食にしたのである。
 確かにパンはそれなりに美味しいし、第一合理的である。戦時中は大変な苦労をして前線に食料を輸送したが、主食が米ではそれをもう一度炊飯しなければ食うことはできない。ところが戦地で炊飯のために火を起こすことがどれほど危険か、それはどんな軍事素人でも理解できるであろう。1561年の川中島合戦では、武田信玄は妻女山に陣を張る上杉謙信に奇襲を掛けようとしたが、兵糧米を炊く煙で手の内を知られてしまい、逆に上杉軍の奇襲を招いてしまう。謙信が信玄に斬りかかったのもこの時だ。

 それはともかく学校給食は完全なパン食だった。と言っても現在のように美味しいパンが出たわけではない。コッペパンがたった1個である。コッペパンとはフランス語で切られたパンという意味らしいが、ちょうど児童1人分の栄養価の小麦を水でこねて丸めて焼いただけのものだったろう。

 しかも最近の美味しいコッペパンなら上質の小麦粉を牛乳やバターやマーガリンをふんだんに使用して焼き上げるに違いないが、私たちが給食で“頂いた”コッペパンはただのコッペパンだった(笑)。それもジャムやマーガリンなどは、たぶん予算の関係で1ヶ月に1回つくかつかないか、マーガリンは2センチ立方くらいの小さな塊が1個、ジャムは児童1人あたり大さじ1杯分程度を給食当番がすくって配るだけ…、隣の席の友だちの方が少しでも多いと羨ましかった。
 とにかくお陰で私たちはパン食に何の抵抗も無くなったが、これだけは戦勝国のアメリカさんに感謝しなければいけないだろう。私は25歳の時に3週間以上オーストラリアを独りで旅行して回ったが、その間1度も米の飯を食わなくても平気だった。最近の若い人たちの中には米を食べないと淋しいなどと言うのがいるが、これは今では学校給食に米を利用した献立も出るようになり、日本人本来の食生活に戻ってきたためか。

 さて「三丁目の夕日」の昭和30年代の学校給食と言えば目に浮かぶのが、50センチ×30センチくらいの真鍮のお盆に(トレイなどという洒落た単語ではない)、コッペパンの乗った平皿、脱脂粉乳の入った小さめのお椀ともう1つ、おかずの入った大きめのお椀の3点セットである。いずれも真鍮製であった。これに大きめのスプーンがつくが、このスプーンの先端は3つに割れていてフォークの代用にもなった。
 コッペパンに一汁一菜というか、一乳一菜が学校給食の基本だったが、このおかずも決して美味しいものではなかった。飢饉寸前だった空襲下の国民、玉砕した太平洋の島々の軍人や民間人のことを考えれば、どんなに不味くても文句を言ってはいけなかったが、最近の子供たちだけでなく大人たちでさえ、当時の学校給食の献立を出されたら、あれを完食する人は皆無であろう。人間なんて贅沢に慣れればいくらでも贅沢になるものである。

 その中で1つだけ当時の学校給食で自慢できる献立は鯨肉である。最近では捕鯨に対する国際的な風当たりからよほどのグルメでもなかなか口に入らないらしいが、当時の日本は世界でも有数の捕鯨大国、だから豚や鳥に比べて鯨肉は安かったのだろう、1ヶ月に2回か3回は鯨の竜田揚げが出て、これは私は美味しかった。今になって考えるとあれはかなりの贅沢だったなと思う。
 それにしてもグリーンピースとかに共感するような白人(特にキリスト教徒)はずいぶん身勝手なエゴイストだと思う。自分たちはヒンズー教の人たちが神聖視する牛を殺して食うくせに、鯨は知的で可愛いから食っちゃいけないだと…?絶滅危惧の根拠もなく感情的に捕鯨国と対立しているだけである。そもそもペリーが日本に開国を迫った理由の1つは、当時世界最大の捕鯨国だったアメリカ捕鯨船の寄港地を確保するためだったと言われている。しかも彼らは捕らえた鯨から照明用の鯨油だけ抜いたら残りの肉は捨てていたのである。

 まあ、あまり学校給食に関係ある話ではないが、私にとって給食の思い出は、口の中がパサパサになるコッペパンと、冷めて表面に膜が張ったような不味い脱脂粉乳と、美味しい鯨の竜田揚げ…(笑)。中学は私立だったので学校給食はなく、家庭で持たされる弁当に変わった時は何だかホッとした。



近代日本の不始末

 思えば21世紀に入ってからもアメリカ・ロシア・中国の3大国が絡む国際紛争は、イラク戦争、アフガン戦争、グルジア問題、ウクライナ問題、チベット問題、ウイグル問題、東シナ海や南シナ海の領土問題と跡を絶たず、国際間の緊張が高まる一方の日々が続いているが、この米露中3大国が現在のような姿に変貌するに当たっては、明治維新から20世紀にかけての日本が果たした作用が意外に大きいことに気付くと愕然とする。まさに近代日本という劇薬が3匹のモンスターを生み出したとさえ言えるのではないか。

 先ず1904年の日露戦争で日本は帝政ロシアを破ってロシア革命勢力を側面支援した。この時期にヨーロッパから極東までの広い領土を占める広大な地に共産党政権が誕生したことは、その後の世界史に大きな影響を与えたと思う。もっと小さな国が共産化したところで、欧米の資本主義国家群に対抗しうる勢力にまでは育たなかったであろうし、もう20年か30年ほど後の時代だったら、世界の思想史の上からも自由主義に対抗できなかったのではないか。つまり中ソ蜜月時代に芽生えた中国の人権問題も現在ほど深刻ではなかったであろう。

 その中国の共産党政権だって近代日本のせいで誕生したようなものだ。かつて毛沢東も日本社会党の訪中団に対して、半分皮肉混じりのジョークで「お陰様で…」と礼を言ったとか言わないとかいう話もあったが、日本は第二次世界大戦末期に大陸打通作戦(一号作戦)を敢行、南方資源を陸路日本本土に運び込むルートを確保しようとした、まさにこのお陰で毛沢東が政権を取れたのは事実である。

 大陸打通作戦は中国本土にある米空軍基地を覆滅する目的もあり、航空援護の無い日本陸軍部隊はよく敢闘して初期の目的をかなりの程度達成した。いまだに日本人は第二次世界大戦で中国に負けたわけではないと強がりを言う人が多いが、確かに当時の中国軍は単独では日本陸軍の敵ではなかったらしい。

 しかしこの中国軍は蒋介石の国民党である。後に日米陣営側につく台湾政府であるが、この国民党軍のあまりの不甲斐なさに同じ連合国だったアメリカも業を煮やし、日本打倒のためには国民党は頼りにならずと見切りをつけた。そして代わりにソ連の参戦もやむを得ずということで悪名高いヤルタ会談に至ったとされる。また国民党が日本軍に手を焼いている政治的空白を突いて毛沢東の共産党が中国大陸に勢力を占めてしまった。

 ということは、日本が大陸打通作戦などしなければ、大陸に国民党政府が残って戦後は日米中同盟が成立した可能性が高い。そうすれば朝鮮戦争で北朝鮮も生き残れず、東アジア情勢も現在とはまったく違った様相を呈したであろう。中国共産党というモンスターも近代日本が生み出した産物であったし、北方領土問題も日本自らが招いたとさえ言える。もしあの時、アメリカと国民党だけに大陸の戦火を収めさせていれば…。

 そして極めつけはアメリカというモンスター、アメリカも第一次世界大戦ではドイツ潜水艦に撃沈されたルシタニア号でアメリカ人船客も殺されたことで参戦したが、もともと太平洋と大西洋に挟まれた広大な大陸で孤立主義を取る傾向の強い国であった。それを世界の警察官を自称するがごとく、世界中の紛争地域に兵力を派遣して自由主義を守ろうとするようになったのは、あの真珠湾攻撃以来である。
 今でもアメリカ国民の考え方が非戦の方向へ動くことを阻止しているのは、油断すれば不意打ち攻撃を食らうぞという歴史的教訓ではないか。「真珠湾を忘れるな」の合い言葉はいまだに生きている。

 もし近代日本がいなかったら現代世界はどうなっていたか、考えてみるのも面白い。もちろんいろいろ予測不可能な状況が出現したとは思うが、共産主義がこれほど深く根付くことはなく、今よりは国際緊張が少なかったような気はする。歴史に「もしも…(if)」はないが…。
 歴史は我が国に何をさせたのか?



集団的自衛権の前に

 横浜の山下公園からみなとみらい地区の方へブラブラ歩いていくと、海上保安庁横浜海上保安部の専用埠頭にひときわ大型の巡視船が係留されているのが目に止まる。海上保安庁(Coast Guard:沿岸警備隊)所属の船としては世界でも最大級のこの船は“しきしま”という名前で、最近では2013年に竣工した姉妹船“あきつしま”にその定係位置を譲ったが、長らく横浜港のお目付役的な勇姿を見せていたものだった。

 ところで巡視船しきしまが1992年に建造された経緯を覚えておられる方はいらっしゃるだろうか。
 これは高速増殖炉に使用するための核燃料プルトニウムを1992年にフランス・イギリスから日本に運び込む輸送船“あかつき丸”を護衛するためにわざわざ新造した巡視船である。当時から国内でも議論があったが、何で立派な海上自衛隊の護衛艦があるのに、海上保安庁(諸外国では沿岸警備隊に相当)の船を使うのか、今でも釈然としない思いは残る。
 海上保安庁の巡視船は基本的に船体の構造などが軍艦(護衛艦)仕様ではないため、テロリストなどの攻撃に対して脆弱な面があることは否めない、だから従来の巡視船とは異なるコンセプトで建造されたのが“しきしま”だった。

 1991年には海上自衛隊がペルシャ湾掃海に出動していたから、その流れでプルトニウム輸送船の護衛なども、当時の原子力政策の是非はともかくとして、当然海上自衛隊(海軍)の護衛艦(軍艦)を派遣すべきではなかったのか。他の国々なら迷わず海軍艦艇が護衛するだろう。こんな自衛隊(軍隊)の存在意義が曖昧な国が集団的自衛権をいともあっさりと決定してしまった。

 結局、憲法第9条の解釈問題、国内護憲勢力への配慮などによって、自衛隊(軍隊)の使い方に関する国民的コンセンサスを作る努力もないままに、イラク戦争、インド洋給油行動、ソマリア沖警備行動などを経て、今回一気に集団的自衛権が法的整備を伴って明文化されることになった。まさに安倍内閣は国民がサッカーのWカップに熱狂している隙を突いて、一気呵成に事を推し進めたとさえ言えるタイミングだった。

 国民もつい半年ばかり前に特定秘密保護法で反対したこともケロリと忘れていたところへ今度の集団的自衛権、どうせこれも半年経てば忘れてしまうに違いない。戦艦大和の生き残りだった吉田満氏が「一兵士の責任」の中で、国民の戦争責任は政治への無関心にありと述べた痛恨の警告も結局は歴史に埋没して風化していくのだろう。

 日本人はこれまで集団的自衛権どころか、個別的自衛権すら真面目に考えてこなかった。自分が殴られても相手に殴られるままになっていれば誰か(アメリカ)がきっと助けてくれる、だから面倒なことは考えずに毎日楽しくお金を使って暮らそうよ…、極論すればそれが日本人の総意であると見られても仕方ないようなことをしていた。

 それが誰か(アメリカ)が殴られていたら自分も必ず加勢すると誓いを立てた、まあ、今の世の中でアメリカを殴るような国はいないだろうし、仮に殴る国があったとしても日本が助けなければやられっぱなしになるアメリカでもあるまいから、むしろ現在の集団的自衛権は日本がどこかの国(中国)に殴られた時に誰か(アメリカ)が助けに来てくれる同盟の絆を強固にした効果は大きいと思われる。

 しかし何年か、何十年か後、例えばアメリカがイラク戦争などの時のように多国籍軍の派遣を求めてきたらどうするのか。アメリカが俺だけじゃ無理だ、助けてくれと頼んでいるわけである、これをイラク戦争時のイギリスのようにNoと言えるだけの強い議会を我々は持てるのか。Noと言えなければ自衛のための権利ではなく義務になってしまう。

 また我が国と密接な関係のある国はアメリカに限らない。もし韓国が北朝鮮に侵攻されたらどうするのか。多くの韓国人は日本になど助けて貰いたくないと思っているだろうが、有事の危地に立たされれば藁をも縋るかも知れない。

 日本人はそんな複雑な国際的背景まで合わせて集団的自衛権を考えられるような国民なのだろうか。自分の身ひとつ守る覚悟のなかった人間が、他人と組んでタッグマッチを戦えるのか。
 どこかの国が攻めてきたら戦わずに降伏すれば良いなどという惚けた議論もあった。我が国の勤勉な国民を含む世界でも有数の工業基盤を無傷で敵に渡すことがどれほど世界平和を乱すかということすら考えていない、おめでたい議論である。
 スイスは永世中立国だからと何も知らずに崇拝していた、スイスには兵役もあり、民間人の自宅の庭にも大砲が隠してあり、アルプスの山肌を掘った戦闘機用の滑走路があり、空港のロビーには戦車や戦闘機の絵葉書を販売して訪問者を威嚇しているのに。

 先ず日本人は個別的自衛権を真面目に考えろと言いたい。殴られたらどこまで殴り返したら良いのか、相手が拳を振り上げたら、それが振り下ろされるまで手出しをしない方が良いのかどうか、そういうことを全然考えずに第二次世界大戦後の世界を生きてきた先進国は、おそらく日本だけであろう。そんな国がこれから集団的自衛権に巻き込まれることになる。

 思い返せば国内護憲勢力の最左翼である共産党の偽善がすべての悪の根源であろう。憲法第9条に真っ先に反対したのは共産党であった。1946年の衆議院本会議で共産党の野坂参三議員(その後スターリンによる粛正に日本人同志を売ったことで除名)は憲法改正案の戦争放棄条項に真っ向から噛みついた、民族の独立と繁栄のために自衛権を放棄するのは反対であると述べたのである。
 これに対する自由党の吉田茂大臣が、今考えると実に可笑しいのだが、国家の自衛権による正当防衛を認めることが戦争を引き起こすから戦力を放棄すべきだと答弁している。おそらくアメリカとの戦後世界での構想を共有する覚悟があったから、憲法第9条を擁護したのであろうが、共産党にしてみれば、戦後日本をソ連など共産圏に売り渡すに当たっては、それを妨害するアメリカを排除するために“自衛力”が必要であった。だから講和条約が成立して日本が自由主義陣営側に身を置くや、今度は一転して自衛力を否定するようになり、共産主義国家が日本列島を乗っ取りに来る日に備えて日本の牙を抜こうと、恥も外聞もなく護憲勢力に変身した、そう考えなければ戦後共産党の変節は矛盾だらけである。

 そんな共産党が全教組(日教組の共産党バージョン?)などを通じて日本の子供たちに自衛隊は悪だと教え込み続けたし、他の左翼勢力も結局は同じ路線を取った。その結果、国家の自衛と安全について考えられる国民が少なくなった。そしてその虚を突くように集団的自衛権が決定された。
 安部首相も戦後生まれである。太平洋戦争を生き抜いて戦後日本を再出発させるべく奮闘した吉田茂氏や、憲法第9条の草案を作った人々の悲願など考えようともしていないのではないか。右も左も混沌とした中で決定した集団的自衛権がどうなって行くのか、私は不安を感じずにはいられない。



若者たちの靖国参拝

 私は若い頃から、いつか自分も靖国神社に祀られることを望んでいたことは別項に書いたとおりだが、もちろん私が高校時代、大学時代を送った昭和40年代から50年代にかけて、そんなことを一言でも口にしようものなら、たちまち同世代の左翼活動家やらそのシンパたちに厳しく吊し上げられることを覚悟せねばならなかった。当時の大学生や一部高校生など若者世代にとっては、毛沢東革命を讃美し、マルクス主義を掲げて“労働者階級”と連帯して革命を目指すというのが、流行の思想的ファッションだったからだ。

 そう、まさに流行である。流行に乗り遅れて自衛隊など志望しているような人間は、糾弾とまでは行かないまでも、軽蔑と嘲笑の対象でしかなかったが、流行にはやりすたりがあるように若者たちの思想もここ30〜40年ばかりの間に180度変わってしまった。
 私の思想的な立ち位置は20歳代くらいの頃までは、間違いなく同世代の者たちの間でかなり右翼に近かったが、最近では相対的に左翼へシフトしてきているのを感じる。自分と同じ世代の者に関して言えば、そりゃ気楽なことを考えていられた学生時代と、社会経験を積んだ大人になってからでは思想もどんどん右へ傾くのも仕方ないが、あの頃の私と同じ若者世代の思想的ファッションまでが180度引っくり返っているのはどうしたことか。

 最近カミさんが乗ったタクシーの年配の運転士さんが嘆いていた話を聞いた、最近は靖国神社へ参拝する若者が多いが、自分たち(年配の)人間から見ると、国のために死ぬことの意味を理解しているとは思えない、カッコつけて流行に乗ろうとしているだけではないのか、と仰っていたそうだ。その運転士さんがそういう方向の考え方をする人だったのだろうが、確かに同世代の間で右から左へシフトしてきた私の目から見ても、ネットなどの書き込みなどから窺える今時の若者世代の思想的価値観には奇異な感じがする。

 今の若者たちの間で“マルクス主義とか労働者と連帯などと口走ろうものなら、この左翼かぶれめ、お前は中国共産党の手先か、などと嘲り罵られるのがオチだろう。かつて私の世代の左翼活動家たちが憧れていた共産主義の中国や北朝鮮など社会主義革命の失敗が明らかとなったせいもあるだろうが、首相の靖国参拝『永遠の0』などの右翼作品に煽られて、若者たちの思想的ファッションが急速に右方移動したことは間違いない。

 その失敗した中国や北朝鮮を自衛隊が米軍の支援を受けつつ撃破する、何となく勇ましいしカッコイイ、そういう若者たちの思想の変化に巧みに乗じて安倍政権もいよいよ臨戦態勢を築きつつあると感じる。私でさえ感じるのだから、アメリカ政府機関の専門家も現在の日本を同じように分析したのだろう、昨年暮れの安倍首相靖国参拝に遺憾の意を表明して釘を刺した。

 確かに私も靖国神社に祀られることを夢見た人間であった。しかしカッコイイと思って自衛隊を志願していたわけではない。戦争することは勇ましくもないし、カッコよくもないことは、太平洋戦争の戦記を読んでよく知っていた。
 ナチスドイツの快進撃に便乗して始めた対米戦争で、乗り組んだ艦を撃沈されて海上を漂流中、足にすがりついて助かろうとする同僚の頭を蹴りながら泳いだ話、浸水した区画に取り残された乗員の「水が足まで来ました」「腹まで来ました」「胸まで来ました」「首まで来ました」という悲痛な声がそこで途絶えた話、誤射された味方の飛行機が翼を振りながら恨めしそうに墜ちていく話…、戦争になればそんな不条理な光景が当たり前の日常茶飯事になることは理解していた。
 これらはいずれも私が初めて触れた戦記、佐藤太郎さんの『戦艦武蔵の最期』のラジオ朗読番組でずっと印象に刻みつけられた挿話である。ただしこの生々しい描写は昭和42年に河出書房から出版された単行本では削除されていたが、こういうことが後々の戦争美化につながっていったのかも知れない。

 一部の雑誌や論客は中国軍や北朝鮮軍など自衛隊の手にかかれば鎧袖一触だと言い切るし、国のために戦うことは素晴らしいとまで言う人間もいる。どうかしているんじゃないかと疑いたくなるが、こんな風潮に洗脳されて靖国に参拝するのだとしたら、最近の若者たちは気の毒である。
 北朝鮮もそうだが、特に中国軍と戦えば、装備が優秀なので最初は勝ち戦だろう。しかし必ず長期戦になって苦戦が続く、ちょうど前回の対米戦みたいなものだ。私は高校の頃から戦争とはそんなものだと思っていたが、万一の時にその苦境を引き受ける人間が国の後ろ盾にいなければいけないとも思っていたから自衛隊を志望していた。(だから同世代の右側)

 しかし今の若者たちはイケイケドンドンになっているように見える、戦争はイケイケドンドンでやって良いものではないし、政府要人の靖国参拝など将来の戦争につながる挑発行為もやってはいけない。(だから今では同世代の左側)
「私たちがいつまでも日陰者でいた方が良いんです。」
私が自衛隊を志望していた頃、まだ日陰者で税金泥棒と罵られていた現場の自衛隊員の言葉が思い出される。



覚せい剤と基本的人権

 覚せい剤取締法違反で逮捕されていた芸能人ASKA被告の初公判が開かれたことを機会に、今朝(2014年8月30日)の朝の報道番組で、今回の日本における報道について、何人かの外国人特派員がコメントしていたのが興味深かった。朝の忙しい時間に横目で画面を眺めただけだったので、TV局名や特派員名などはチェックできてなくて申し訳ない。

 先ず最初に登場したのがフランスの女性特派員で、ASKA逮捕以来この3ヶ月間の日本の報道は異常に過熱している、人間は誰でも1度や2度の過ちは犯すもの、それを執拗に報道機関が追い回して記事にするのは解せないとコメントしていた。

 これに対して次に出てきたのが中国の女性特派員で、麻薬や覚せい剤は殺人と同等の罪だから、中国では1度でも薬物の持ち込みや運搬をやれば死刑、それを買ったASKAも無期懲役が当たり前、日本の処罰は甘すぎるとコメントしている。

 日本人の皆さんはどちらに共感しますか。どちらもちょっと極端だね、というのが大多数の日本人の感覚だろうが、フランスと中国というコントラストが私の興味を惹いた。
 フランスと言えば1789年のフランス革命、世界的にも歴史的にも人権の最先進国と言われる。現在では普遍的な価値となっている西欧流の基本的人権の源流はフランスにあり、殺人のような罪を犯した人間にも人権を最大限に配慮しましょう、まして1回くらい覚せい剤に手を染めた人間をそんなに皆でバッシングする必要はないでしょうというのが、このフランス人特派員の言わんとすることだったと思う。
 確かにもう20年近くも前だったと思うが、麻薬常習者がAIDSに感染しないように、ヨーロッパ諸国では麻薬の注射針を国家がわざわざ供給してやっているという報道があった。確かに麻薬常習者が一般市民に病気を媒介するのを防ぐのは大切だが、麻薬常習者を取り締まって隔離するのではなく、まず彼らの健康を守るという姿勢にはいささか驚いたものだった。要するに健康を壊さないように麻薬でも何でもやりなさいと言っているようなものだから…。

 これに対して西欧流の人権の概念から最も遠い国の一つが中国である。犯罪は峻烈に処罰する、殺人はもちろん今回のような麻薬や覚せい剤犯罪、さらには売春した女性までも死刑、それも並みの処刑ではない、因果応報の見せしめ的な公開処刑だそうで、そんな映像がネット上にはたくさん流れている。
 国家の上層部には自由とか民主主義という概念は微塵も感じられない。天安門事件では民主化を要求するデモ隊を戦車で容赦なく轢き殺した、押し潰されて原形をとどめない犠牲者の遺体の映像もネットで公開されている。日本では交通違反のバイクがパトカーに追跡されて事故を起こしただけでも警察に対する批判的な報道がなされるのに…。

 さて日本人の皆さんはASKAの事件に対する2つの国の特派員の意見、どちらも素直に共鳴できないとは思うが、強いてどちらか一方を選べと言われたら、フランスと中国どちらを選びますか。

 どちらかと言えばフランスと答える日本人の方が多いと私は予想しているが、日本人の本来の思想的ルーツは東洋系、つまり根幹では中国に共鳴する部分の方が多いはずである。その証拠に、西欧流の人権思想の真髄である三権分立と基本的人権を謳った近代憲法の精神について日本人は理解できていないではないか。
 十分な国会論議を尽くさずに内閣の理論ゴリ押しで国防方針を転換させ、間尺に合わなければ憲法の方を変えるとまで放言する内閣の存在を許す国民は、私の目には遣隋使の古以来、中国における権力の在り方を受け入れているようにしか見えない。



ゴジラ再来

 2014年夏休み、ハリウッド版『ゴジラ』が日本で公開された。いよいよあの松井秀喜選手に続いて本家本元のゴジラがアメリカ上陸を果たしたわけである。アメリカでいわゆるゴジラ映画が制作されたのは今回が初めてではないが、熱心なゴジラファンならご存知のとおり、1998年制作の作品は名前はゴジラでも、実は日本人に“ゴジラ”と呼ばれているだけの古代生物として描かれており、本家ゴジラとは似ても似つかぬ姿をしていたため、世界中のゴジラファンから大ブーイングを浴びてしまった。

 そこで今回のハリウッド版ゴジラは日本のゴジラシリーズの原点に立ち返り、巨大な背びれを輝かせながら口から熱線を吐き、あの独特の声で咆哮しながらあらゆる物を破壊し尽くす文字通り怪獣の姿で戻って来た。ゴジラ、英語で書くとGodzilla、最初の3文字はまさにGod=神である。私はこれまでゴジラは大きな動物であるゴリラとクジラを合わせて命名されたという俗説をうっかり信じていたが…。
 今回も人類に害をなす別の怪獣MUTO(ムートー)と戦って結果的には人類を救う、破壊神でもあり守護神でもある存在として描かれていて、日本にいた頃にキングギドラなどと戦ったストーリーを彷彿とさせるものであった。おそらく今回のギャレス・エドワーズ(Gareth Edwards)監督は日本のゴジラシリーズの大ファンであり、怪獣の良き理解者であろうと想像するが、日本のゴジラファンばかりでなく、全世界のゴジラファンを納得させるべく、非常に丁寧に映画を作ってくれたと思う。

 しかしその割に本家の日本でそれほど話題にならなかった、この手の作品ならもうちょっとマスコミが取り上げても良かったんじゃないかとも思うが、日本で誕生したヒーローがせっかく里帰りしたというのに物足りない反響ではあった。それは何故か、私も今回『Godzilla』を観たが、日本で今ひとつ盛り上がらなかった理由が何となく分かったような気がする。

 ストーリーは冒頭、日本の原子力発電所が事故を起こして爆発するところから始まる。ムートーという怪獣のせいらしいのだが、原発事故という舞台設定は今の日本人にとっては古傷に触れられるようなもの、特に原発再稼働を目論む一部政財界の者たちは、迷惑な映画を持ち込んでくれたものと渋い顔をしていたに違いない。しかも映画の中では津波がハワイを襲うシーンまである。

 ストーリーに登場する原子力発電所はジャンジラ市(雀寺羅市?)とかいう奇妙な名前の日本の架空の都市に隣接して建設されているが、このジャンジラ市の風景がまた異様なもので、富士山をバックに高層ビルと日本家屋の住宅地が建ち並び、さらに巨大な原子炉が併設されている。富士山はどうやら富士市か沼津市あたりから見たような形なのだが、その麓にあるジャンジラ市の光景は幻想的でさえあった。
 原発事故という忌まわしい記憶を呼びさます事態が日本国内で発生するという舞台設定ではあるが、そのシーンがどことなく現実離れした違和感を伴っている、そんな点も日本人観客が心から映像に馴染めなかった理由の一つではなかろうか。

 しかし私はこのジャンジラ市で原発が爆発するという異様で幻想的な映像を見て思い出した映画がある。K澤明監督が晩年近くの1990年に制作した『夢』という映画だ。たぶんギャレス・エドワーズ監督もこの映画を観たことがあるのではないか。
 K澤監督の『夢』
はオムニバス形式で語られる幻想的な映画だが、その中に原発爆発のシーンがある。富士山の噴火という大自然災害によって引き起こされたというストーリーだったと思うが、やはり幻想的な姿で聳える富士山の周囲で爆発が起こり、放射性物質がまき散らされるのである。子供を抱いた若い母親が「自分たちはどうなってもよい、子供たちはどうなるんだ」と半狂乱になって叫んでいる。

 ジャンジラ市の原発爆発のシーンを観て、私はK澤明監督が心に抱いていた恐怖の映像を描いた『夢』を思い出したが、その一部はすでに現実のものとなってしまった。ジャンジラ市の光景がまたどこかで現実化するのではないか、今回よみがえったゴジラは我々に一体何を告げているのだろうか。
「子供たちの世代はどうなってもいいのか?」
K澤監督の作品に登場した若い母親の叫びは現代の日本人に届いているのだろうか。



ゴジラ再来part 2

 ところで前回のゴジラ再来の記事で、2014年夏の『Godzilla』の映画に出てくる日本の原子力発電所がジャンジラという奇妙な名前の都市にあると紹介したが、台湾で公開された字幕では“雀慈羅”となっていたそうである。私の当て字“雀寺羅”は1文字違い、惜しい…(笑)

 さらにGoogle Earthで検索すると、Janjilaという地名がボスニア・ヘルツェゴビナにある。景色は丘陵の田園地帯のようだ。もちろん原発など無い(笑)。しかし今回のGodzillaのあらすじを英語のサイトで読むと、ジャンジラはJanjiraと表記されている。なるほど、日本人は“L”の発音ができないから“R”か…(納得)。それでこちらも検索したら、今度はインドの西海岸にJanjira Fort(ジャンジラ砦)という場所があった。まあ、いずれにしてもこんな地名は日本にはあり得ないが…。

 それにしても思うのは、今回のハリウッド版ゴジラも最近ではお決まりのCG技術をフルに活用しての制作だが、もう10年以上も昔の東宝特撮技術陣が現在のCG技術に引けを取らない素晴らしい緊迫感のある映像を作っていたことである。ゴジラシリーズの中でも私が特にお勧めなのは、2001年に制作された『ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃』で、これは大映のガメラシリーズも手掛けた金子修介監督が制作に当たっている。この監督は人間の目線で捉えた怪獣の姿を描くに当たって、地上の電線だとか、建物や自動車の窓ガラス越しに見た映像を取り入れる技法を用いており、これはCG技術もふんだんに取り入れたに違いないが、着ぐるみの怪獣が最新のコンピュータ映像にしっかり溶け込んでいたものだった。

 そうすると最後は物語(ストーリー)であるが、日本のゴジラシリーズを見慣れた日本のゴジラファンから見ると、今回のハリウッド版『Godzilla』には重大な違反、というか寅さんが聞いたら「そいつを言っちゃおしめーよ」と嘆くに違いない禁句がある。
 たぶん予告編映像にもあったと思うが、映画の冒頭、「1950年代から1960年代当時の水爆実験の真相はアレを殺すためだった」というセリフ、米ソの核実験をゴジラにまさに濡れ衣を着せて自らを正当化してしまっている。日本人からすれば、アレは水爆実験の結果生まれたんでしょう、と言いたくもなる。

 また概して言えば、欧米の映画やドラマでは核による被害の描き方が甘過ぎる。こんな認識だったら、そのうち誰かがいつか核兵器を使用してしまうのではないかと危惧してしまう。1983年のアメリカのTVドラマ『The Day After』(日本では1984年劇場公開)は、米ソ冷戦がエスカレートしてアメリカのある都市がソ連の核攻撃を受けたとの設定、核爆発後の放射線障害による市民の恐怖を描いたとされるが、核爆発の翌日に市内の救護所に列をなす市民はせいぜい頭に包帯を巻いているか、腕に添え木を当てて布で吊っている程度の外傷しかない。
 1961年に公開された東宝の特撮映画『世界大戦争』では、核攻撃を浴びた兵士が瞬時にして灰となり、人の形をした白い灰の塊がサラサラと風に崩れていく生々しいシーンが世界中で物議を醸したという記事もあったように記憶しているが、核兵器の被害はどれだけ無残に描いてもやり過ぎということはない、それを当時の日本の映画スタッフは十分に知りつくしていた。

 また核戦争ではないが、1960年代にイギリスで放映された人形劇による人気特撮番組『サンダーバード』の中に、オーストラリア内陸の原子力発電所がテロリストの攻撃で核爆発を起こし、放射能がメルボルンに迫るというストーリーがあった。さすがの国際救助隊もこの危機には手を下せまいと思っていたら、何と風向きが変わってメルボルンは救われたというオチになっていたが、一体全体この甘さは何なのか。原発へのテロ攻撃、核爆発の危険に対する認識の甘さは、最近の日本人も当時の欧米並み、むしろ近頃では原発の危険性に関する認識は欧米諸国の足元にも及ばないかも知れないが…。

 ところで核兵器の認識の甘さやご都合主義は今回の『Godzilla』にも典型的に見られる。ジャンジラ市の原発から現れたMUTO(ムートー)という怪獣を退治するために核ミサイル使用が決定される、渡辺謙さん演じる日本人科学者の芹沢博士は、広島の原爆で止まったままの時計を父親の形見と言って司令官に見せるが(このシーンは象徴的だが、今回の芹沢博士の年齢が広島で亡くなった父親とは合わない)、結局博士の抗議も虚しく核攻撃の準備がされる、しかしここから先が何ともマヌケな話で時限装置をセットした核ミサイルをムートーに奪われてサンフランシスコ市内の巣へ持ち去られてしまう、市街地で時限装置が作動したら大変、そこで主人公たちがムートーの巣へ核ミサイルを取り返しに行くが、首尾よくミサイルを取り返したものの時限装置の作動時刻は30分を切っている、それからエッサエッサと重たいミサイルを港まで人力で運び、無人の船に乗せて港外へ送り出す、この時点で残り時間はほとんど無いはずだが、サンフランシスコ沖で閃光がピカッと光って映画はめでたくハッピーエンド…、何だい、これは?…という割り切れない気持ちで映画館を出た。メガトン級の水素爆弾が船で数分の距離で爆発したら、サンフランシスコ市は消滅するじゃないですか。

 映画に限らず、核爆発の惨害に関する認識は、唯一の被爆国であるはずの日本も含め、全世界で確実に風化してきている。生き証人がいなくなれば歴史は必ず風化する宿命にあるとはいえ、核爆発はまた誰かがどこかで体験して歴史的記憶を新たにするというわけには行かない以上、第二次大戦後に生まれた世代に対する核の疑似体験をさせるような映画、ドラマ、アプリケーションの制作・開発が必要なのではないか。
 前述のアメリカドラマ『The Day After』もあまりにも無残な犠牲者の映像化は自粛したというし、核をモチーフにした絵画、演劇、音楽も、色彩や閃光やシンバルの音などで核爆発を象徴的に描いているに過ぎない。こんなものでは核の記憶の風化は止められまい。やはり1961年の東宝映画『世界大戦争』のような、核爆発現場の生々しい映像や音響の追体験、疑似体験のみが辛うじて核の実像を次の世代に伝えうる唯一の手段ではないのか。



文明の利器と個人の技

 今回は空想科学小説(SF小説)の中で印象に残っているもの2題。
1つ目はSFの始祖とも言われる英国のHGウェルズの『陸の甲鉄艦』というあまり有名ではない作品、確か私もこのサイトの別のページで取り上げたことがある。
 第一次世界大戦を待たずに新兵器である戦車の出現を予言したような作品で、キャタピラーのような作用をする車輪制御装置で陸上の地形を安定して走行できる巡洋艦のような兵器ということだが、この新兵器が戦場に投入されるや、従来の歩兵や騎兵などがいとも簡単にバタバタと倒されてしまう。
 甲鉄艦内で射撃をしているのは青白いインテリのような線の細い青年たち、彼らが照準器の十字線を敵兵に合わせて引き金を引くだけで、彼らよりも何倍も逞しい肉体を持ち、何倍もの訓練をこなしてきたであろう歩兵や騎兵たちが簡単に殺されてしまうのだ。ウェルズは19世紀末から20世紀初頭の時代に、これから起こる未来の戦闘では、兵士個人の肉体的資質を凌駕する文明の利器を応用した兵器が物を言うようになるだろうと予言したわけだが、まさに太平洋戦争でのアメリカの機械化部隊と日本陸軍の肉弾攻撃の戦いがそうだったし、また現在もパソコンの画面を見ながらイラク国内を無人機で爆撃するアメリカ兵(これを兵といってよいのだろうか)がそうである。

 さて2つ目のSF小説は作者も題名も忘れてしまったのだが、あらすじは次のようなものであった。時は何百年も未来の宇宙空間、地球軍の大艦隊と異星人の大艦隊が互いの生存を賭けて、まさに決戦の火蓋を切ろうとしている。これを見ていた宇宙の主みたいな存在(絶対者)は、無益な戦闘で2つの文明が双方とも傷つくのを防ぐため、両方の艦隊から生身の個体を1人(1匹?)ずつ抽出し、競技場のような場所(確か砂漠のような世界)にワープで呼び出して決闘させるのだ。無益な戦闘で2つの種族が2つとも疲弊しないように、この個人の決闘に勝った方の種族を適者生存で生き残らせると、この絶対者は宣言する。
 おいおい、そんな傷つかないように配慮してくれるなら2つの種族を平和的に仲裁しろよ、と言いたくなるが、宇宙はそんな甘いもんじゃない。かくして絶対者から素っ裸で決闘場に呼び出された地球人代表の兵士は、奇怪で醜悪な姿をした異星人代表と砂漠で格闘することになる。たぶん異星人代表からは地球人の姿が奇怪で醜悪に映ったことであろうが、それはともかく、この地球人代表は辛うじて異星人代表に勝って味方の艦隊に戻って来ると、目の前のスクリーンに映し出されていた敵の大艦隊が次々に粉砕されて、地球艦隊は戦わずして勝利を収めたのであった。
 絶対者は互いに宇宙船という文明の利器に乗って戦おうとしている両文明の勝敗を、それぞれの個人の肉体的優劣によって選別しようとしたわけである。こういう絶対者がもしいたら、日本の歩兵とアメリカの戦車兵、イスラムの兵士とアメリカの無人機操縦者、はたしてどちらが勝っただろうか。

 文明の利器を操るようになると、個体に備わる能力は確実に減退する。これも別のコーナーで触れたことだが、自動車の運転でも徒歩の移動でもナビゲーターという便利な機械を使うことによって、個人の土地勘などを鍛える必要もなくなった。これは良いことなのか悪いことなのか、考えてみると恐ろしいことだ。もし世の中の状況の変化でナビゲーターのような機械が使えなくなれば、人類は見知らぬ土地で自分の居場所を認識できなくなり、適者生存という絶対者は人類の存続を許さなくなるだろう。

 医療の分野でも似たような話はある。例えば手術をする時、出血を止めるために昔の外科医は針と糸だけで確実に血管を縛って出血を防いだが、最近ではステープラー(“ホチキス”)のような便利な手術器具で切除した断端の血管を塞いでしまう。確かに便利で安全確実な止血装置だが、こういう器具に慣れてしまった最近の外科医は針と糸だけで確実に手術ができるだろうか。こういう便利な器具の無い途上国などで手術ができるだろうか。
 また例えば逆子(骨盤位)の赤ちゃんの分娩にしても、最近は安全確実な帝王切開手術が多用されるけれど、もし大災害の現場などで突然逆子の妊婦さんが産気づいた時など、帝王切開しか経験したことのない最近の産科医はお腹を切らずに分娩させることができるだろうか。

 もっと恐いのは人間同士のコミュニケーションである。特に最近の若い人たちは面と向かって相手にメッセージを伝えるのが苦手である。電子メールやフェイスブックやラインなど非常に便利で使いやすいコミュニケーション手段だが、もしこれらの機器がわずか1週間でも止まってしまったら、我々は相手と潤滑な意志の疎通を保つことができるだろうか。
 私たちの世代が子供の頃と言わず、つい10年か20年前までは我々は相手に何か伝えなければいけないと思ったら、先ず相手といつ会えるか、いつ電話を掛けられるか、相手の都合や心境を考慮したうえで、どのような物の言い方をするか、どのような順序で伝えるかなどいろいろ考えてから直接肉声で伝えることがほとんどだったはずだ。我々先進国の人間は現在このコミュニケーションスキルを次第に失いつつあると感じるのは私だけだろうか。もし人類に何か災厄が降りかかって地球の環境が激変したら、未来の世界に生き残る資格があるのは、まず間違いなく先進国の国民であるはずはない。



与謝野晶子は反戦詩人か

 与謝野晶子については以前に軽く触れたこともあったが、今回はこの人の生き方にふと現代日本人に通じる疑問を感じたので書いてみる。
 与謝野晶子と言えば、日露戦争の旅順攻城戦に出征した弟を詠んだ「君死にたまふことなかれ」が有名で、これがために反戦詩人と呼ばれることもある。長い詩なので一部抜粋して引用すると、

 
あゝおとうとよ、君を泣く
 君死にたまふことなかれ
 末に生まれし君なれば
 親のなさけはまさりしも
 親は刃をにぎらせて
 人を殺せとをしえしや
 人を殺して死ねよとて
 二十四までをそだてしや


と、戦争は人殺しという激しい糾弾で始まるこの詩、現代の感情的、情緒的な反戦活動家も顔負けであるが、こんな詩を発表しても与謝野晶子が無事でいられたということは、明治という時代は意外に言論の自由もあったということなのか。それはともかく、弟よ、そんな戦争で死んでくれるな、と詠んだ与謝野晶子の詩は後段に向かってさらに激烈を帯びてくる。

 
君死にたまふことなかれ
 旅順の城はほろぶとも
 ほろびずとても何事ぞ


大日本帝国が国家を挙げて大国ロシアに挑んでいる最中に、弟さえ死なないでくれれば旅順要塞なんかどうだっていいじゃないか、と言っている。さらに、

 
すめらみことは戦ひに
 おほみずからは出でまさね
 かたみに人の血を流し
 獣の道で死ねよとは
 死ぬるを人のほまれとは
 おほみこころのふかければ
 もとよりいかで思されむ


天皇自身は戦いに行かないくせに、国民には獣のように殺し合いをさせるのか。これはもう完全に皇室批判である。やはり当時の日本にはおおらかな言論の自由を享受する余地があったとしか思えない。

 この詩はこの後、家で弟を待つ親や新妻の嘆きへと移っていくのであるが、まあ、とにかくこの詩を書いた与謝野晶子は現代風に言えば反戦活動家と言える。だが驚いたことにこれが太平洋戦争の時代になると、海軍大尉として出征する四男に対して好戦的な和歌を詠んでおり、その変節ぶりは呆れるほどだ。

 
水軍の 大尉となりて我が四郎 み軍(いくさ)にいく たけく戦へ

自分の息子には海軍大尉として勇敢に戦えと鼓舞しているのである。息子より弟の方が大事だったのか。弟は堺の由緒ある商家の跡取りだから死んじゃダメ、でも取るに足りない与謝野家の息子などは戦って死になさいということなのか。

 与謝野晶子のこの一貫性の無さ、矛盾に満ちた詩歌の内容については、現在に至るもいろいろ批判があり、またさまざまな解釈も試みられているが、確かに第一次世界大戦の頃から与謝野晶子の書く物は非常に好戦的になってきている。

 私はこの変化は与謝野晶子の年齢と関係があると思う。日露戦争の頃の晶子はまだ20歳代後半、それが太平洋戦争の頃は60歳代になっている。人間40歳から50歳になると若い頃の反権威的な思考は影をひそめ、保守的な体制順応を示すようになるが、結局は与謝野晶子もそういう経過をたどったのではないか。

 若い頃に学生運動を支持して反戦とか、反米とか、反帝国主義とかいうスローガンに共感していた現在の多くの日本人も、40歳50歳60歳の坂を越えて妙に物の分かったような大人の顔になり、今度の総選挙(2014年12月14日)では圧倒的に安部の自民党を勝たせるのではないか。そういう典型的な日本人の原型を与謝野晶子に見る思いがする。

 与謝野晶子は、その後半生の好戦的な言動で支持した大日本帝国の国策が破綻するのを見ずに、1942年に亡くなっている。この人が1945年の終戦以降まで存命だったら、いったいどんな詩歌を残しただろうか。



やっぱりね、総選挙

 2014年12月14日の衆議院総選挙では自民党が291議席と、前回から4議席減らしただけで圧勝した。これはこれで民意の結果なのだから良いのだが、自民党を勝たせた日本国民の政治的資質には多少の疑問が残る。
 自民党は小選挙区では約48%の得票率で223議席、約75%の議席を獲得しているが、これが比例代表では約33%の得票率で68議席、約38%の議席に留まる。日本国民はこういう政治的な事項に関してかなり無知なのではないか。
 今回の日本人の投票行動を推測するに、秘密保護法だとか集団的自衛権に関する安倍首相の強引な手法や憲法9条改正への危惧から、とりあえず比例代表では自民党以外の政党に投票した、しかし小選挙区では地域や集団のしがらみで、少しでも金回りが良くなりそうな自民党の代議士先生に投票する。

 今回の得票率と獲得議席のアンバランスを見れば分かるとおり、小選挙区制は現実に政策決定権を握っている現与党が圧倒的に有利な選挙であり、頼りになりそうな自民党代議士のオッサン、オバサンも一旦国会に送り込んでしまえば安倍首相の手先になって、憲法改正のゾンビとなって襲いかかってくる、そういう理屈にまったく無知な人が多いような気がする。

 ま、どこの国も国民の政治的資質のレベルにふさわしい政権しか持てないから仕方ないが、何でも経済や金でしか物を考えない、こんな国は行き着く所まで行って壊れてしまえばよいと、某芸人が暴言を吐いていたのもむべなるかな…という感じ。



歴史のグラデーション

 明け方の東の空の風景、地平線から朝の光に照らされて1日が始まる。こうして見ると、夜は決して突然明けるのではない。東の空が夜から昼へ、色彩のグラデーションを作って徐々に明けていく。
 夕方も同じ、西の空が茜色に染まって徐々に夜の帷が降りてくる。昼から夜へのグラデーションだ。日の出や日没は太陽の縁が地平線に差しかかったかどうかで時刻が正確に決まるが、日常の生活の感覚ではいつからが朝で、いつからが夜か、判然としない。

 歴史も同じだろう。維新とか革命とか言っても、ある日を堺に突然何もかもガラリと変わってしまうのではない。何年もの歳月の経過を経て、時代が動いていって、やがて歴史を区切る事件が勃発する。

 戦争と平和、ある日突然サラエボで皇太子暗殺の銃声が轟いたわけではない、何の脈絡もなく機動部隊から真珠湾へ攻撃隊が飛び立ったわけではない。年単位でのさまざまな状況の積み重ねが徐々に進行した結果、歴史を動かす大事件が起こる。ちょうど徐々に朝が明けていって、人々がある時刻を堺にその日の昼間の活動を開始するがごとく、徐々に夜が更けていって人々がある時刻に眠りの床に就くがごとく…。

 平和な時代が突然戦争の日々になるのではない。平和を享受している知らない間に徐々に事態が積み重ねられていって、もう個人1人1人の力ではどうしようもない状態に至る。戦争責任は一見平和に見える日々に、こういう事態の積み重ねに気付こうとしなかった国民すべてにある…と、戦艦大和の生存者の1人吉田満さんは回想している。



表現の自由について

 今年(2015年)の1月7日、フランスの風刺週刊紙「シャルリ・エブド」編集部がイスラム過激派に襲撃されて、編集長や画家など12名が殺害されるテロ事件が発生し、年明け早々の全世界を震撼させた。この新聞はさまざまな風刺画を掲載してフランス国民の多くに愛されているらしいが、中でもイスラム教やその預言者ムハンマドを風刺する漫画がイスラム過激派の怒りを買ったのは間違いない。

 これを機にして、宗教を過激に風刺する漫画が『表現の自由』に当たるかどうかが再び世界中で議論になっているようだが、何の題材をどのように面白可笑しく描こうが、それは表現の自由であるとする人が、特にフランスなどの自由主義先進国には多いようだ。しかし同じ自由主義国家の国民であっても、表現の自由とは決して他人を侮辱する自由のことではない、という慎重な意見を述べる人も多く、私もこれにまったく賛成である。

 襲撃された「シャルリ・エブド」はこれまでもイスラム教だけでなく日本への風刺も対象にしており、例えば2020年の東京オリンピック開会式に選手団が放射能防護マスクを被って参加している漫画や、もっとひどいものでは、原子力発電所の廃墟を背景にして手足に大きな奇形を持った裸の力士が大相撲の土俵に立っている漫画まである。私はフランス語を読めないが、絵を見ただけでこれはひどいということが分かる内容である。
 これを『表現の自由』と言って日本人は笑って許せるのか?もちろん日本人には銃剣爆弾を持ってパリに殴り込みをかけるような不届き者はいないはずだが、あまりに露骨な表現を見せつけられれば、やはり不愉快なものは不愉快ではないのか。

 私は以前、正義とは困っている人を助けること…と書いたが、もしそうだとすれば人を困らせることは悪である。「お前の国も放射能汚染で手や足が3本ある子が生まれてきて、そういう男が力士になったら凄い決まり手が使えるよなあ、手が3本ある男と足が3本ある男はどっちが強いだろうなあ」などと、例えばパーティーの席上などで笑いながら話しかけられたら、あなたはどう切り返すのか?

 こちらも自由主義国家の国民である以上、『表現の自由』を大上段に振りかぶられてはムキになって反論もできず、困ってしまうだろう。人を困らせることは決して正義ではない。まあ、私だったら「お前の国も昔ムルロア環礁あたりで水爆実験やっただろ、海の中を調べてみれば尻尾が2つある鮫がきっと猛スピードで泳いでいるだろうよ。ヤツらはフレンチ(French dishes)が好物なんだってさ」くらいは言い返してやるが…。

 しかし広い世界には、自分たちの崇拝する絶対者を侮辱されたらどんな仕返しをしても良いと信じる思想や宗教があり、これも『思想の自由』『信教の自由』である。そしてこれらの自由が衝突して死傷者が出た場合、それは人の生命という法益が侵害されたとして刑法で裁かれるというのが、現代の普遍的な法体系ではないのか。しかし今回のようにイスラム過激派側が“聖戦”=戦争と位置づけている以上、相手側にとっては事件の“犯人”は犯罪を犯した人間ではなく、讃えられるべき“英雄”となる。

 まあ、フランスという国は風刺にかけては世界一級の国、フランスの文豪の小説など読んでいると、仲の良いはずの登場人物同士が時々まるで喧嘩でもしているような皮肉を投げつけ合う情景が描写されているが、彼らはもしそれで他人を傷つけたとしても、それはすべて自分が責任を負う覚悟でやっているに違いない。『自由』には『責任』がついていることも彼らはおそらく先刻承知のことなのだろう。
 襲撃された「シャルリ・エブド」編集長も過激派と対決したとき、「跪くより立って死ぬ」と言って毅然と銃弾を浴びたと報道されていた。それもまた立派な見上げた態度ではある。

 表現の自由とは、本来国家権力に対する個人の意見の“表現の自由を指すものと私は理解しているが、我が国においてこれまで『表現の自由』が問題になった事例と言えば、「猥褻か芸術か」が問われるようなことばかり、女性の肉体の一部を“毅然と”描いて国家権力を挑発することもまた芸術家にとっては大切なのかも知れないが、この人たちは日本国民の政治的自由が脅かされる局面に至った時に、立ったまま銃弾を浴びる覚悟があるのだろうか。

 日本人も表現の自由などと一人前に口にする人が多いが、これは相手が自分に何も危害を加えてこないことが前提となっている時だけであって、そうであれば相手の気持ちや感情など何らお構いなく、自分さえ楽しく満足できればよいという姿勢もあからさまに、書いて描いて発表しまくる、以前このサイトで、タイの王宮で宗教的見地から撮影禁止と掲示されている謁見の間の写真を平然と自分のサイトやブログに掲載している人がいると書いたことがあるが、日本人にとって表現の自由などはその程度のもの、単なる自己満足の身勝手でしかない。

 そう思っていたら、あろうことかパリでのテロ騒動から間もない1月20日、イスラム国に拘束された2人の日本人男性の身代金を要求する動画がネットに公開され、砂漠に跪かされた2人とその背後に立つ黒服のイスラム国の男の動画が合成の疑いあり、と報じられるやいなや、自分は中東に活動しに行ったり銃弾を浴びる場所に出る覚悟さえないバカな日本人どもが、イスラム国が流した動画を逆にネタにして合成写真を作ってネットに続々と公開し、イスラム国を挑発する行為に及んでいる。
 これなども日本人が本当の意味での表現の自由に対する責任を知らず、関係者の感情や気持ちに配慮せずに単なる自己満足で浮かれているに過ぎない。イスラム国挑発によって人質に危害が及んでも自己責任だと居直って道義的責任すら感じようとしないだろう。
 人質の家族や友人が胸が張り裂けそうなくらい心配していることも考えようとしないし、日本政府が何とかイスラム国との交渉のパイプを掴もうとする努力が水泡に帰すかも知れないとも考えない、単なる身勝手なネットユーザーに過ぎない。

 我が国も今後は軍事力重視の方向に国防方針を転換しようとしているのなら、こうやって勝手に面白半分に相手を挑発して国家の行動に危険を及ぼす恐れのある輩をきちんと割り出しておいて(尖閣海域での中国漁船のビデオを投稿した海上保安官を割り出したように)、将来段階的に兵員を動員する場合には真っ先に徴兵して根性を叩き直しておかなければ、国家の安全保障にとって重大な脅威となるだろう!



「Remember KENJI」と「I am not ABE」

 イスラム国の人質となっていた2人の日本人男性、湯川遙菜氏と後藤健二氏の殺害ビデオがネット上に公開され、日本国内が騒然となっているが、これまでの例えば2013年のアルジェリアのエネルギープラントで多数の技術者が武装勢力に殺された事件や、1991年のペルーの農場で3人のJICA技術者が過激派に殺された事件の時と比較して、明らかに異なる過剰な反応が見られる。人体で言えばアレルギー反応と言ってよい。

 まさにこの事件を奇禍として日本の国論を結束させ、我が国も国民の生命・財産に危害が及んだ場合には海外で軍事力を行使できるように法制を整備しようという動きである。官邸寄りの産経新聞のコラム産経抄には、同胞2人を殺されても憲法の制約で報復もできない日本人の優しさを自嘲する文章が掲載され、ガチガチの護憲派ばかりでない多くの国民がネット上で危惧を表明している。

 同胞を殺されて黙って我慢するのが歯がゆいというのなら、先ず広島と長崎で数十万人もの無辜の市民を殺害したアメリカの罪を糾弾するのが先だと思うが、それはともかく、私は今回の安倍首相の動きには1941年のアメリカのルーズベルト大統領と同じ臭いを感じる。
 すでにヨーロッパや中国大陸で戦争が始まっていたのにアメリカ国内は非戦気分、そのアメリカ国民を一致団結させたのが日本の真珠湾攻撃に対する「Remember Pearl Harvor(真珠湾を忘れるな)」のスローガンだった。これがあまりにも効果的だったために、実は真珠湾攻撃はルーズベルトの陰謀だったという説まであるくらいだ。

 戦後日本の戦争に対する世論は、1941年頃のアメリカと同じ、今回の日本人殺害事件は真珠湾攻撃と同じくらい効果のありそうな、まさに“奇禍”であった。安倍首相は「Remember KENJI」を合い言葉にして国論を統一し、海外でも軍事力が行使できる国家への変貌を画策したと思われる。これは日本の官邸ばかりではない、米英などイスラム国に対して軍事介入する有志連合諸国にとっても、世界有数の装備を誇る自衛隊が重い腰を上げようとしないことへの苛立ちもあるだろう。

 安倍首相は、日本人が拘束されている情報を知りながら、あろうことかイスラエルまで含む中東諸国を歴訪して、イスラム国を敵視する演説を行ない、イスラム国と戦う国々に人道援助として資金拠出を表明した。この挑発行為が官邸や米英など有志連合諸国のシナリオだったかどうかは分からない。真珠湾攻撃がルーズベルトの陰謀だったかどうかという謎と同様、永久に歴史の闇に閉ざされることであろう。

 しかし事実はこうなった。安倍首相は「Remember KENJI」のスローガンの下に日本国民の世論が統一されると信じたと思う。しかしここに幾ばくかの誤算があった。
 殺害された湯川氏はともかく、もう1人の後藤健二氏は中東事情に詳しく、人道的立場からヨルダンなどの中東情勢を報道してきたベテランのジャーナリストで、アラブ諸国の友人や理解者も多い。その後藤氏を殺させるなとばかり、「I AM KENJI」のカードを掲げた写真をFacebookやTwitterに投稿する運動の輪が広がった、カードを掲げたデモもあったそうだ。

 その祈りも空しくなり、安倍首相はスローガンが「Remember KENJI」に変わるのを期待したであろう。ところが元経済産業省の官僚である古賀茂明氏がテレビ朝日の番組に出演して、安倍首相の「テロに屈するな」の美辞麗句を黙認していて良いのか、我々日本人は「I am not ABE」のカードを掲げて世界にアピールすべきではないかと発言して、これが一時期ブームになりかけた。激怒する安倍首相の顔が目に浮かぶ。
 この動きが官邸の逆鱗に触れ、「I am not ABE」運動を封じ込めにかかったフシがあり、大部分の官邸の御用マスコミも一斉にこれを黙殺した経過は、ネット上の動きを見れば明らかだ。

 そんなこんなで日本の歴史も動いていくのであろう。ある日突然、日本の戦闘機が他国の空でミサイルを発射するのではない、それは最近も私が別の記事に書いたとおりである。最近のネットでの不特定多数の投稿を見ていると、安倍首相の対テロ戦争への軍事加担の道を危険視する発言が目立つが、誤解を恐れずに言えば、本当にバカなのはお前たちだと言いたい。
 そんな安倍首相を総選挙で勝たせたのはお前たちだろう。安倍が小泉の後を受けて初めて首相になった日以来、この男はこういうことをする人間だと簡単に見抜けたはずではないか。見抜けなかったとすればお前らの目は狂っているのか、それとも怠慢と言ってよいほどの政治への無関心に毒されているのか。
 もし見抜いていたと言うなら、きちんと総選挙で投票したのか?比例代表だけでなく、小選挙区でも安倍の手先にはNoの1票を突き付けたのか。それを今さらのように安倍政権を批判して、自分は戦争する日本には反対ですと自己満足しているだけの日本人ネットユーザーが何と多いだろうことか、何とも情けない思いである。



安全地帯

 やはり連続してこのコーナーを更新することになってしまった。どう考えても、今回のいわゆるイスラム国(ISIL)による日本人人質殺害事件は日本史の転回点だったと共に、世界史の中でも特異点として記憶される事件になる可能性が出てきた。

 世界各国の比較的一般と思われるネットユーザーから今回の事件に寄せられた投稿を翻訳してくれるサイトを見ると、イスラム国(ISIL)を支持する者はもちろん皆無で、こうやって世界中の国々を次から次へと敵に回していくイスラム国(ISIL)の愚かさを指摘する声が多かったが、中でも気になったものが1つあった。

 自分は大勢の日本人と働いて素敵な人たちばかりだったから今回の事件はとても悲しいと言って下さる書き込みは割に多くて嬉しいが、
犠牲者が日本人ということで次のような書き込みが1件あったのはちょっと驚いた。
 イスラム国(ISIL)は日本人を本気で怒らせたら大変なことになることを知らないのか、神風特攻隊の恐ろしさを分かっていない、彼らを怒らせたら自分の身を犠牲にして確実に相手を倒しに来るのに…。
 何か複雑な気持ちである。
投稿者は太平洋戦争の当事国の人ではなかった。

 こう書くと、百田尚樹の『永遠の0』など読んで無条件に感動するような人は、ホラ見ろ、やっぱり特攻隊は素晴らしいと手放しで賛嘆するだろうが、ちょっと待てと言いたい。
 確かにイスラム国(ISIL)が日本の首相と日本の国民を怒らせたのは大変まずいことであった。しかしイスラム国(ISIL)ごときに対して特攻隊まで出してまで戦うことはあるまい。何しろ軍事力も経済力も日本とイスラム国(ISIL)では比べ物にならない。それが米英などの有志連合諸国の一員として参加するのだから、国際的にも“勝ち組”に入るだろう。

 ところでこの架空の近未来史を読んで何か感じる人はいないだろうか。
日本が米英主導の有志連合諸国=連合軍の一員に参加して、世界の脅威になっている勢力に立ち向かう、または立ち向かわされる。

 昔の日本史の教科書や副読本にはこんな風刺画の挿絵が載っていたものだ。最近の教科書ではどうなのだろうか。20世紀初頭の世界の顔役とも言うべき米英が、小柄だが律儀そうな日本兵をそそのかして当時の厄介者だったロシアに立ち向かわせる、当時の教科書などには「日本兵に火中の栗を拾わせる米英」というような説明があった。絵の左端で火をおこしているのは当時世界最強と謳われたロシアのコサック騎兵である。

 もし最近の日本の歴史教科書からこの挿絵が削除されていたとしたら、それは再び米英の同盟国となるための日本政府の策謀である。“連合国”に参戦した日本がまるで使いっ走りか鉄砲玉のように見えるこんな風刺画を学童の目に触れさせてはならぬはずだから…。

 対イスラム国(ISIL)戦闘に日本を加えたいのは決して安倍首相だけではない。世界でも屈指の装備と兵員の練度を誇る自衛隊の軍事的増援を望んでいるのは有志連合諸国の司令部も同じであろう。
 自衛隊ももし対イスラム国(ISIL)戦闘に加わって「勝ち組」に入り、日本の国際的貢献への評価も米英並みに得られたとして、その後の歴史の教訓まで踏まえている人はどれくらいいるのか。

 米英にそそのかされてロシアを叩いた大日本帝国は、その後も日英同盟に従って第一次世界大戦では極東ドイツ軍の青島要塞などを攻略し、大西洋方面では船団護衛でドイツのUボートから連合国船団を守り、太平洋でもドイツの仮装巡洋艦追撃戦に加わった。
 そして第一次世界大戦後、世界三大国と賞賛されるまでに軍事的にのし上がった日本は、増長してついに米英と戦端を開くまでに至る。神風特攻隊が出たのはこの時である。

 今回の対イスラム国(ISIL)戦はもし安倍首相や米英など有志連合諸国の思惑どおりに事態が進行したとしても大事には至るまい。それよりもむしろ日本国民の軍事的アレルギーが消滅して、自然の流れで憲法第9条を変更して世界中の紛争地へ“日本軍”が頻繁に出撃する時代が来るだろう。
 背後の中国、朝鮮半島への対処をおろそかにして太平洋方面、今回は中東方面へ軍を動かそうという政策も1世紀前と同じ歴史の過ちである。おそらく今回の安倍首相の中東での空爆作戦に加担しようという企図を最も歓迎しているのは中国であろう。

 日本国民が歴史の教訓を何一つ学ばず、今回日本人がイスラム国(ISIL)に殺害されたことで一挙に中東への派兵を容認する国内世論が形成されかかっていることを憂慮する。そして何より危惧するのは、国民も政治家も安全地帯でしか物を考えていないことだ。
「今後日本人には指一本触れさせない」
と安倍首相は勇ましく豪語したとも聞くが、厳重に警備された官邸の一室でこんなこと叫んだところで新たな挑発でしかない。中東のラッカあたりに単身乗り込んで言ってみろよ。

 そんな安倍首相を内心カッコイイと思っている支持者たちも、自分は安全地帯にいて何を言っているのかと思う。対イスラム国(ISIL)戦闘は過去の歴史で言えば第一次世界大戦、その後の日本が世界相手に戦争しても、どうせ自分の子や孫の時代、だから関係ないという気持ちもあるのだろう。

 私は安全地帯にいて物を言う人間は基本的に信用しない。
特攻隊が出たのは景気の良かった勝ち戦の時期ではない。上記の外国人ネットユーザーが投稿したように、日本人は自分を犠牲にしても確実に相手を倒しにくる…というのは間違いだ。日本人は体当たりでも何でも普通の国なら(イスラム国は別かも知れないが)決してやらないようなムチャクチャな戦法を平気で上層部が命じ、国民は黙って従う、そういう精神的土壌があるという意味で恐ろしいのである。安倍の支持者諸君、文句があるなら死ななくてよいから、自分を犠牲にして他人のために何かやってみろよ。


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