仏寶山西光院 無量寺
桜の花も満開をやや過ぎた雨の土曜日、東京都北区西ヶ原の無量寺を訪れてみました。無量寺というお寺は全国各地に何ヶ所もあり、東京都内だけでも世田谷区や江戸川区にもあるので、仏寶山西光院無量寺と正式に書いておきます。
山門を入って、よく手入れされた庭園を見ながら本堂の前まで来ると、2頭の愛嬌のある狸の置物がお迎えしてくれます。ああ、ここは空海上人ゆかりの真言宗のお寺なんだなと気付きますが、何でタヌキが空海上人ゆかりなのかと言うと、四国・屋島のところでも書きましたが、弘法大師空海が道に迷った時に道案内をして助けたのが狸だったそうです。空海と狸の因縁はずいぶん深いものがありそうなので、私のように宗派が違う者でも、こんなタヌキがいれば、背後に空海上人を感じますね。タヌキのライバルは昔からキツネと相場が決まっていますが、空海上人はタヌキの肩を持ったみたいです。タヌキの方がキツネより人が好さそうですしね(笑)
空海上人は昔々四国からキツネを全部追い出したと言われています。だから四国人は人が好いのかも知れませんが、空海は次のように予言したとも伝えられています、未来の世で本州との間に黒金(鉄)の橋が架かる時、再びキツネは四国に戻って来るであろうと…。
架かっちまいましたよ(笑)…って笑っていいかどうか知りませんけれど。
狸の置物、近くで見るとなかなか愛嬌のある顔をしています。こうして眺めると左右とも同じ格好をした置物ですが、数珠の持ち方が微妙に違い、向かって右側の狸は托鉢の鉢を抱えている。
空海上人はこんなタヌキ一族をこよなく愛したんでしょうか。四国の人に聞くと、確かにそう言えば地元にはキツネの御稲荷さんはあんまり見ないな〜と言ってますが、本当でしょうか?今度私も四国を訪れる機会があったら気をつけて探してみることにします。
ところで私が何で北区西ヶ原の無量寺を訪ねる気になったかというと、一つは大学からちょっとした散策に適当な距離にあること、まあ、健康のためのウォーキングですが、実はもう一つ大きな理由がありました。
無量寺を訪ねる前日、東京のとある場所で、日本文学研究家のドナルド・キーンさんのお話を伺う会に招待されました。その何ヶ月か前にアメリカ大使館の会に行った時に同じテーブルにいらして、ほんのちょっとだけご挨拶させて頂きましたが、何しろドナルド・キーンさんといえば私にとって学生時代、というかたぶん受験生時代から憧れの人でありましたから、もっと話したかった〜とブツブツ言っていたのを知ったからか、ある人からこういう会をやるからと誘われて、しかも会食の席はキーンさんの真っ正面にして下さいました。こりゃもう生涯の感激(笑)
この日の会のキーンさんのお話は『私と日本語』という題で、まだティーンエイジだったキーンさんがいかにして日本語と出会って興味を持ったか、日米戦争が始まり海軍に入隊したキーンさんが何をしたか、戦後日本に留学したキーンさんが永井荷風や三島由紀夫や川端康成などの文豪たちと知り合って何を感じたか、という内容でした。
特に太平洋戦争中の日米の暗号戦、語学戦は私も興味を持っており、その中でキーンさんが果たしていた役割などもいろんな本を読んでよく知っていました。日本軍から押収・捕獲した文書の翻訳もキーンさんの配属部署の主な任務の一つだったが、同僚たちがいやがって手を付けようとしない“文書”の山がある、戦死した日本軍将兵が身につけていた手帳で、血のりや屍臭がついているわけです。
そういう手帳を翻訳していくと、部隊の移動だとか装備など戦略上重要な内容も少しはあるが、大部分は所有者の本当の心情、故国や家族への想いが日記形式で書かれていて、日本人も当時アメリカで宣伝されていたような冷酷な鬼のごとき人種ではないことが分かった、それで同僚たちがいやがる戦死者の手帳を次々に手に取ったキーンさんは、彼らこそ自分にとって最初の日本の友人だったとおっしゃっていました。
キーンさんのこういう戦時中のエピソードも私はすでに知っていましたが、ご本人の口から直接お聞きすると、キーンさんの心の暖かさに触れるようで胸が熱くなりましたね。また日本兵の日記の中には、わざわざ英語で「この手帳を拾ったアメリカ人は戦争が終わったら日本の家族に届けてくれ」と書いてあったものもあり、実際にそうするつもりで保管していたが、上司に見つかって没収されてしまったと残念そうに語っておられました。
戦死すれば手帳を奪われて敵に情報が洩れる恐れがあるので、アメリカ軍は兵士に日記をつけることを禁じたが、何で日本はこんな手帳を兵士に持たせていたのか、たぶん日本軍はアメリカ人は日本語を読めないと思っていたんでしょうね、とキーンさんはユーモアたっぷりにおっしゃってました。
キーンさんの日本語は、本人も言ってましたが、ほとんどアメリカ軍の勝利の役には立っていない、むしろ戦後も日本と日本人を理解するために、神さまはキーンさんに日本語を勉強させたように思います。震災後、キーンさんは生涯をかけた日本への想いを実現させるかのように、日本に帰化されたことは皆さんよくご存知のこと、日本人以上に日本を知り、日本を愛してくれた人でしょう。
さて北区の無量寺からいきなりドナルド・キーンさんの話になって、あまりに唐突と感じられたと思いますが、日本に帰化されたキーンさんのお住まいは北区にあり、先日の会食の最中にキーンさんは、この無量寺は観光客はあまり来ないけれど、日本で一番きれいなお寺だと思うとおっしゃってました。それでこの日本人以上に日本的な人がこのお寺で何を感じるのか知りたくて訪ねてみたわけです。ただのチャーミングなタヌキの置物だけではないと思いますよ。皆さんも近くに立ち寄られたら是非キーンさんのお気に入りの場所を訪れてみて下さい。
私は、何でもかんでも金儲けで客寄せするようになった日本の俗塵をまるで感じさせず、静かな住宅地の中にひっそりと佇んでいるその風情に心が洗われるようでしたが…。
補遺:ドナルド・キーンさんは2019年2月24日に96歳で亡くなられ、今はこのお寺に眠っておられます。