屋島
香川県高松市から東方を望むと、まさに日本のテーブルマウンテンとでも言うような台形の山が見えます。ここが源平合戦の古戦場として有名な屋島で、現在は高松市と地続きだが、合戦当時は狭い水路で隔てられていて、一応は“島”だったようです。
屋島の台地に登ると、眼下には瀬戸内の青い海が広がり、かつて源氏と平家の水軍が行き交った島影が見渡せます。福原の都を落ちた平家は安徳天皇を奉じて屋島に立てこもったが、1185年に源義経の急襲を受けて、この屋島の海に華やかな合戦絵巻を繰り広げました。しかし今では倉庫や住宅が立ち並んで、那須与一が扇の的を射落としたという情景を偲ばせる面影はありません。
源氏は海上兵力の点では平家の敵ではありませんでしたが、屋島攻めを命じられた義経は摂津と熊野の水軍を味方につけて、淡路島の南東を迂回して屋島の背後に上陸、得意の騎馬戦法で陸上から平家に襲いかかりました。この奇襲に平家はたまらず洋上へ退避して西国へと落ち延び、やがて壇ノ浦合戦へとつながっていくわけですが、この屋島合戦の経過は後の1452年のトルコのマホメッド2世によるコンスタンティノープル(イスタンブール)攻略と非常に類似していて、戦史マニアとしては興味を覚えます。この戦いでは、平家のように海軍兵力でトルコ軍を圧倒的に凌駕していたキリスト教国軍は、軍艦を陸揚げして陸路迂回させたマホメッド2世の大胆な作戦の前に敗北したのでした。
ところで頂上が平坦になった台地状の屋島には、屋島寺という鑑真和上が開いた寺があり、その境内には(寺でありながら)ご覧のように鳥居がズラリと立ち並び、雌雄の巨大な狸の像が祀られています。これは蓑山大明神こと屋島の大三郎狸(左)で、右の雌はその愛妻です。
たかが狸と侮ることなかれ。これはその昔、弘法大師が霧の中で道に迷われた時、蓑を付けた老人の姿に化けて道案内したという立派な狸で、佐渡の団三郎狸と淡路の芝右衛門狸と共に、日本三大狸に数えられているそうですから。
日本では昔から狸は狐と共に妖術を使って人を化かすと信じられていて、さまざまな童話や小話の主人公になっていますが、美女に化けて人間に馬糞を食わせたりする意地悪な狐とは違って、狸の方はちょっとユーモラスで憎めないところがありますね。お札に化けても尻尾が生えていたとか、何かドジなところがあります。「カチカチ山」の話のように、婆さんを騙して撲殺し、その肉を爺さんに食わせた残虐非道な狸もいますが、あの「カチカチ山」の狸のキャラクターには他の狸たちとは何か決定的に異なった違和感を感じます。民俗学的にも「カチカチ山」の狸のキャラクターは謎が多いという話も読みました。やはり狸には、助けて貰ったお礼に茶釜に化けて綱渡りの芸当を見せるような愛嬌のあるキャラクターがお似合いですね。
このように物語ではどちらかと言うと愛嬌のある狸ですが、実際の人間に対して使われる時はそれほど愛すべきキャラクターとはなりません。
「あいつは狸だ。」
それは煮ても焼いても食えない奴、という意味ですが、実際の狸は食えないというわけではなさそうです。私は食べたことはありませんし、食べたくもありませんが、先ほどの「カチカチ山」の物語、爺さんは生け捕りにした狸を“狸汁”にして食べようとしていたのですから…。
狸と呼ばれる人は権力を持っていて、部下の前では物わかりの良い顔をしておきながら、すぐに掌を返すようにその期待を裏切って、自分の都合の良いように物事を運んでしまう人であることが多いようです。つまり美女に化けて人に心地よい思いだけさせておいて、後で元の姿に戻って陰で舌を出しているといったイメージですが、それでは「あいつは狸だ」と言うのに、何で「あいつは狐だ」と言わないのか、私は常々不思議に思っていました。
もしかしてそれはただ単純にその人の肉体的特徴を表わしているだけなのでしょうか。狸と言えば腹も出て堂々とした風格、一方の狐は痩せぎすでちょっと陰険な風貌。堂々たる体躯の人の方がどちらかと言えば人が良さそうで、太っ腹で、部下の言うことを何でも聞いてくれそうな雰囲気がある。そんな外見に騙された人が悔しまぎれに「あいつは狸だ」と言うのはよく判りますね。狐のような風貌の人がどんなに愛想の良い事を言っても、部下たちは最初から多少の警戒心を持つでしょうから、期待を裏切られたという感覚にはなりにくいのかも…。