国立西洋美術館
東京の上野公園にある国立西洋美術館です。実業家の松方幸次郎氏が戦前にヨーロッパで収集した近代ヨーロッパの絵画や彫刻、いわゆる松方コレクションを中心に4500点以上の美術品が収蔵されている我が国有数の美術館ですが、戦時中にフランス政府に接収されていた松方コレクション返還の条件の一つが、日本政府がコレクション展示のためのこのような美術館を建設することだったそうです。
まだ戦後復興も緒に就いたばかりの昭和20年代から30年代にかけての日本は本当は美術舘どころではなかったと思いますが、文化の重要性を認識していた多くの関係者の熱意が大きかったのでしょう、近代建築の三代巨匠の1人であるスイス出身の建築家ル・コルビュジェ(Le
Corbusier)の基本設計により、1959年6月に本館がオープンしました。
ル・コルビュジェの原案に含まれていた劇場ホールの併設はさすがに財政難で見送られましたが、これは東京開都500年記念事業の一環として、ル・コルビュジェの弟子の前川國男氏の設計により、国立西洋美術館の向かいに東京文化会館が1961年に完成して、上野公園は一躍戦後日本文化の中心地として脚光を浴びることになり、ル・コルビュジェの意図は形を変えて実現したわけです。
私はどちらかと言うと美術よりは音楽の方にやや縁のある人間で、東京文化会館では婚約したばかりのカミさんのソロ(ビバルディの『四季』だった)を初めて聴きましたし、エッと驚くサプライズ、高校時代には高校音楽連盟の演奏会でブラスバンドの一員としてステージで演奏したこともありました。
また同じ上野公園にある国立科学博物館には理科系人間の興味もあって何度も足を運んでいますが、国立西洋美術館の方はたぶんこれまでの長い人生の中で1回でも入館したことがあったかなかったか、というレベル、せいぜい前庭に陳列されているロダン(Rodin)の彫刻、『考える人』や『地獄の門』などを目にして美術の香りのおこぼれにあずかるだけでした。
ついでですが、美術の香りと言ってもロダンと言えば思い出すのが弟子のカミ―ユ・クローデル(Camille
Claudel)との一件、女たらしのロダンとの不倫の愛に翻弄された末に精神を病んでしまい、後半生を精神病棟に幽閉されて過ごさざるを得なかった悲運の美しい天才女性彫刻家です。
1989年頃に『カミ―ユ・クローデル』というフランス映画が公開され、カミさんと一緒に観に行ったのですが、カミ―ユの過酷な人生を描いたそのストーリーに激しく心を動かされたカミさんが上映終了後も客席で泣き続け、映画の内容が内容なだけに映画館を出て行く他の観客たちが怪訝な顔で私たちを覗き込むので、何ともバツの悪い思いをしました。もう二度とカミさんとはこういう“重たい”映画は観ないと心に決めて、以後は『ジュラシックパーク』のような作品しか一緒に観ませんが(笑)、やはり私もロダンのような男は軽蔑しますね。男女間のドロドロは芸術家や芸人にとっては“芸の肥やし”なのかも知れませんが、自分の欲望次第で相手の心を傷つけるような輩は男であれ女であれ、医学的には人間として正常ではありません。
小学校時代の何かの教科書に『考える人』が出ていて、ロダンと言えば彫刻家、彫刻と言えばロダン、と単純に刷り込まれていたのですが、あの映画を観て以来、ロダンに対する嫌悪感もあって、そんな輩の作品が前庭にズラリと並んでいる国立西洋美術館にはますます足が遠くなったわけですが、つい先日のこと、上野駅公園口改札で少し時間があった折に入館までしてみる気になったのは、今年(2016年)7月に世界遺産に登録されたというちょっと野次馬的な興味からでした。国立西洋美術館本館が世界遺産に登録されたのは、建築の巨匠ル・コルビュジェの作品だったからで、フランス国内にある他のル・コルビュジェの建築などと合わせてフランス政府が強力に推薦してくれたお陰だそうです。
美術にも建築にもド素人の私でしたが、そんな私でも入館してみれば勉強になることの1つや2つは必ずあるものです。例えばこの絵画、エドワールト・コリール(Edwaert
Collier)というオランダの画家の作品、『ヴァニタス−書物と髑髏のある静物』が展示されていましたが、ここに描かれた髑髏を見て例の解体新書を思い出しました。
1774年に刊行された『解体新書』の頭蓋骨の絵には眼窩の下の穴(眼窩下孔)が描かれておらず、いったいこれはどうしたことかと不思議に思っている話は別のコーナーに書きましたが、何と1663年に描かれたこの絵画にはきちんと眼窩下孔が描かれていてびっくりした次第です。
解体新書の偉業にケチをつけるわけではありませんが、同じ江戸時代の浮世絵師も、100年以上も昔のオランダ人画家も正しく描いていた頭蓋骨の穴を、医学者の杉田玄白や前野良沢が描いていなかったということは、医学チームは絵画チームに完敗したということです。
医学的に正しく物を観察することの難しさを改めて身にしみて感じました。