練馬の仁王様

 2021年(令和3年)も明けましたが、依然として新型コロナウィルス流行は収まる気配すらありませんね。早く感染が収まって一昨年までの普通の日常生活が戻ってくることを神仏にも祈りたくなる気分ですが、今年は明治神宮でも大晦日から元日にかけての終夜参拝を中止するなど、各地の主要神社では初詣の参拝客による混雑が生じないよう対策が取られたようです。まあ、新年に当たっては大きな神社で参拝しなければ気が済まないという方々も日本には多いでしょうが、自分の気が済んでスッキリしたいという個人的な欲求を満たすために、感染のさらなる拡大の責任を神さま仏さまに負わせてはいけません。今年だけは近場の神様やネット上の神様に参拝して、ウィルスの終熄をお願いしましょう。

 ということで、これは我が家と同じ練馬区の神社、光が丘近くの高松という町内にある御嶽神社です。新型コロナウィルス感染拡大の影響で不要不急の外出や旅行は控えましょうという自粛ムードの中、昨年5月には《近場で旅気分シリーズ》と題して愛染院蕎麦喰い地蔵をご紹介しましたが、今回はいわばその3部作の第3弾ということになります。

 関係ない話ですが、古代ギリシャ演劇以来、何かのシリーズ物は3つ続けると落ち着くようですね。トロイア戦争の悲劇を描いた古代ギリシャの悲劇作家アイスキュロスによる『オレステイア3部作』とか、中世のダンテによる叙事詩『神曲』の地獄篇・煉獄篇・天国篇の3部作とか、音楽だとレスピーギのローマの噴水・ローマの松・ローマの祭の『ローマ3部作』とか、芸術の香り高い3部作がたくさんあります。

 現代作品でも私が印象に残っているのは佐々木譲さんの小説『第二次大戦秘話3部作』で、零戦をドイツに空輸する『ベルリン飛行指令』、開戦前夜の日本機動部隊を監視する『エトロフ発緊急電』、終戦に関する連合軍の極秘情報を日本に伝えようとする『ストックホルムの密使』は、いずれも微妙な国籍を持つ主人公が登場して祖国とは何かを問いかける雄大な3部作でした。

 あと物語が連続していて厳密には3部作と言えないと思うのですが、本来3連作となるはずだった映画『テルマエ・ロマエ』もちょっと気になってます。ヤマザキマリさん原作の漫画で、2012年に公開された第1作では古代ローマの温泉技師ルシウス(阿部寛)が現代日本のさまざまな浴場に何度もタイムスリップして山越真実(上戸彩)と知り合って物語はコミカルに展開していく。さらに第2作は2014年に公開され、いずれも風呂好きな日本人とイタリア人の類似点と相違点を見せてくれる時空を越えた奇想天外なストーリーでした。

 実際の映画はこの2作で終わっているのですが、実は第2作の中に日本側のヒロイン真実が古代イタリアの書物の中に、ルシウスは温泉工事中に行方不明になるという記載を見つけてしまうのですね。これだけコミカルで明るいストーリーが主人公の死で終わるはずはない、これはルシウスが古代ローマで温泉工事中に最後のタイムスリップで現代日本に飛んできてしまい、真実と末永く一緒に暮らすというハッピーエンドの伏線としか考えられません。そう思って私はずっと完結編の第3作を期待して待っていたのですが、ついにこの映画は中途半端なまま終わってしまいました。思い当たるのは、この間に映画会社が原作者の権利を不当に買い叩いているという報道があったことです。『テルマエ・ロマエ』もあれだけヒットしながら、漫画の原作者であるヤマザキマリさんにはわずか数百万円しか支払われないとのこと、映画会社にも言い分はあるのでしょうが、原作者の頭から生まれたアイディアで映画を作らせて貰ったという意識が足りないのではないでしょうか。日本は知的創造物の権利をもっと大切にしなければいけませんね。

 おっと初詣の途中でした。《近場で旅気分シリーズ》3部作最後の御嶽神社ですが、練馬区北西部の閑静な住宅地にある外見上は何の変哲もなければ境内もそんなに広くない神社ではありますが、ここには2体の仁王様の立像があるのです。仁王様は金剛力士ともいい、普通は仏敵から寺院を護持するために寺の山門の近くにいらっしゃることが多いのですが、御嶽神社の仁王様ももともとは付近にあった高松寺というお寺にいらっしゃった、しかしおそらく明治薩長賊政府によるクーデターと宗教弾圧であった廃仏毀釈の影響でしょう、高松寺は廃寺となったので明治初年にこちらへ引っ越してこられたようです。

 向かって右側が怒りの形相で口をクワッと開けた阿形像、左側が怒りを秘めて口を結んだ吽形像です。2つ合わせて“阿吽(あうん)”というわけですが、私たちも世代を越えた阿吽の呼吸で新型コロナウィルスを抑え込んでいかなければいけません。若い者は自分は重症化しにくいと思ってあちこち動き回るからウィルスを広めてしまうと愚痴をこぼす高齢者、爺さん婆さんは重症化しやすいくせに結構外出して楽しんでるじゃないかと苛立つ若年者、どちらも仁王様の怒りとは程遠い低級な感情です。ウィルスを必要以上に軽んじたり怖がったりする自分の無知、自分の不用意に対しては見苦しく言い訳し、他人の落ち度だけは声高に責め立てる、そういう自分の心の弱さを阿吽の怒りで押さえつけて、人類に降りかかった今回の災厄に皆で正しく向き合いましょう。

 ところでこの御嶽神社の仁王像、宝永3年(1706年)に服部半蔵が奉納したとされる銘があります。昭和30年代に横山光輝さんの漫画『伊賀の影丸』など読んで育った世代にとっては服部半蔵は有名ですね。伊賀忍者の総帥として不思議な術を使う忍者軍団を指揮して徳川将軍家を守護したとされますが、現在でいえば秘密警察や特殊部隊的な組織ですから、その真実の姿がどんなものであったか、おそらく正確には書き残されていないでしょう。

 さらに服部家は代々“半蔵”を名乗ることになっていたようで、この仁王像を奉納した宝永3年には服部半蔵正秀から服部半蔵正輔に家督相続が行われており、このどちらかが高松寺に仁王像を奉納したと思われますが、いずれにしても東京練馬は伊賀衆との関わりが深い地であったことを示す歴史的資料です。一説によれば天正10年(1582年)本能寺の変の直後、堺で報せを聞いた徳川家康は少数の手勢しか引き連れていなかったが、一行の中の服部半蔵正成(2代目)が集めた伊賀や甲賀の忍者たちに警護されて伊賀を越えて三河に落ちのびた、江戸幕府を開いた家康はその功績に対して服部半蔵に江戸近くの領地を与えました。その一つが練馬だったわけですね。

 さて身近な場所にもいろいろ由緒ある史跡はあるものだと思いながら歩いていると、御嶽神社のすく近く、わかみや公園という小さな公園内に不思議な建物(?)を見つけました。愛染院のところでも書きましたが、練馬といえば練馬大根、これは斗桶(とうご)と呼ばれる巨大な桶で、練馬大根の沢庵漬けを作る時に使用されるものだそうです。昭和10年頃から昭和40年頃まで実際に使われており、一度に4000本以上の大根を漬け込むことができたらしい。

 思えば新型コロナウィルスに翻弄された2020年でしたが、不要不急の外出を避けて遠方への旅行もできなかったこの自粛期間、自分が生活している近場を歩いてみて、いろいろ新しい発見のあった時間でもありました。まさかあの服部半蔵がねえ…と伊賀の忍者たちまでが身近に感じられるようになった。

 実際に三重県の伊賀の里には確か高校の修学旅行で訪れています。しかしあの時はクラスメートたちと一緒に観光バスに乗せられて、先生方の立案した予定表に従って旅行しただけ、せいぜい忍者屋敷みたいな資料館で“伊賀の影丸ごっこ”をしたくらいしか記憶がありません。資料館前の庭で落ち葉をばらまいて“忍法木の葉隠れ”とか…(笑)。

 飛行機や新幹線に乗って、ホテルや温泉宿に宿泊しに行くだけが旅ではありません。自分の感覚と好奇心を研ぎ澄ましていれば日常空間のすぐ近くにも旅はあります。また少し旅の極意に近づけた気がしました。


         帰らなくっちゃ