六本木

 六本木といえば都内屈指のプレイタウン、昼も夜も人々の喧騒が絶えることはありません。最近では外国人の姿を見かけることが非常に多くなりましたが、東京に来て夜遊びしたい外国人観光客の大半は滞在中1回は必ず六本木を目指すんじゃないかと思うくらいです。

 六本木には粋な姿の東京タワーが似合います。どっしり構えた東京スカイツリーでは六本木の繁華街を彩るにはちょっと地味かな。それに高さがこの2倍近くあるのですから、街並みとのバランスが取れませんね。ちょっと下の写真の東京タワーの高さを2倍に引き伸ばした光景を想像してみて下さい。

 私も六本木の外苑東通りの東正面に聳える東京タワーの姿が好きで、いかにも六本木に来たなあって感じになります。カミさんを初めて紹介された日、東京タワーを見ながらこの外苑東通りを右折した所にある国際文化会館で初めて一緒に昼食を食べて、その後タクシーで銀座に出て初めて一緒に夕食を食べたことなども思い出します。国際文化会館あたりから見た東京タワーは下りの坂道の向こう側に聳えていますが、六本木って意外に起伏の大きな土地なのね…。

 というわけで最近出会った面白い本を紹介します。皆川典久さんがお書きになった『東京スリバチ地形散歩』という本(洋泉社)で、それによると地図、とくにプレイマップだとかグルメマップみたいな観光地図で見ると平坦な東京都区内も、武蔵野の洪積台地を6本の主要な川の水系が浸食して7つの台地に分割した複雑な地形が基礎にあるとのこと。
 確かに東京の地名には「谷」の付くものが多く、著者は他の都市と比較しているわけではありませんが、山手線内だけでも渋谷、四谷、千駄ヶ谷、市ヶ谷、茗荷谷、神谷町、谷中を挙げておられ、山手線外側(とくに山の手側)でも富ヶ谷、幡ヶ谷、碑文谷、祖師谷、雪谷、阿佐ヶ谷、世田谷などを挙げておられます。

 その『東京スリバチ地形散歩』のトップバッターが六本木でした。六本木は渋谷川が北から流れ込む支流の笄川
(こうがいがわ)と合流して、白銀分水も南から流れ込むあたりで古川と名前を変え、それがいったん北へ蛇行した後に再び東へ向きを変える、この複雑な水系によって浸食された地形の上にあるとのことです。詳しい記載ははしょりましたから、興味がある方はぜひ本を買ってお読み下さい。

 あまり正確ではありませんが、本の記載をgoogle mapに当てはめてみると大体この図のようになります。六本木の繁華街というのは、こういう川に浸食されてできた台地の尾根にあるのですね。道理で尾根伝いに東京タワーの方へ伸びる外苑東通りからは何本もの坂道が谷間へ続いているわけです。

 まず外苑東通りと六本木通りが交差する六本木交差点から真南に分岐する芋洗坂が一番目立ちます。今では都営大江戸線が麻布十番へ向かう道筋に一致していますが、その昔は六本木の高台から古川の谷へ下る道だったんですね。六本木の地名は6本の松の木が立っているのが品川沖からでも見えたことに由来するとする説があるそうですが、それくらい目立つ台地だったらしい。他にも“木”の名前の付く大名の屋敷が6軒あったという説もあるようですが…。
 ずいぶん前になりますが、病院のスタッフたちと六本木で食事した時に芋洗坂を下りながら、「洗ってあげようか」などとふざけあったことなども今は懐かしい。

 私がカミさんと初ランチした国際文化会館が面する道路も、鳥居坂として古川の流れに向かって降りて行きますが、古川の流れ(六本木トンネルに続く大通り)を越えると。今度は対岸の元麻布の台地に登る坂道になります。これが昼なお暗い暗闇坂で、オーストリア大使館はこの坂道沿いにありますが、ここをさらに登ると頂上で狸坂や一本松坂や大国坂と交差しています。

 しかしこれまで何十年間も、芋洗坂で若い女性たちとキャアキャアふざけたこともあったにもかかわらず、東京都区内は平面の街としか捉えてこなかった、これほど立体の高低差があることなど意識に上ったことさえなかった、ずいぶんもったいないことをしたものです。東京は江戸時代以降、世界的な大都市として開発が続けられてきましたが、結局は何本もの河川がおそらく何万年もかけて台地を削って作った起伏の上に存在しているのです。我々が生活している東京の大地は、いかに人間が手を加えて開発しても、太古の面影を完全に消し去ることはできなかったのだなと改めて感じました。


         帰らなくっちゃ