暗闇坂(麻布十番)
花の東京の裏道には、こんな地名もあるんですね。他にも何ヶ所かあるようですが、ここはお洒落な街並みが続く麻布十番から元麻布へ抜けるあたりにある“暗闇坂”で、高台に集まる“狸坂”や“大黒坂”や“一本松坂”と交差しています。
樹木が鬱蒼と生い茂って昼間でも薄暗かったためにこの名前が付いたと言われており、街灯が整備され、自動車の往来の多い現在でも、まだ何となくその由来が判る佇まいを見せています。本郷の東大病院の裏手の坂道も“暗闇坂”だそうですが、あっちはちっとも暗くなかった。
まあ、暗闇と言えば、光の国のところでも書きましたが、私たちが子供の頃の東京は、大通りをちょっと路地裏に曲がればどこでもこのくらいの暗闇でした。
日没の早い冬の日など、学校が少し遅くなると帰り道が真っ暗になり、細々と灯る街灯の光と光の間の暗闇を全力疾走で駆け抜けたものです。
もう少し成長してからは、国語の教科書に載っていた梶井基次郎の文章(確か『闇の絵巻』)を思い出しながら闇の中を歩きました。暗闇の中で自分1人だと思っていると、前方の街灯の光の中に突然人影が浮かび上がって、他にも人が歩いていたことを知る、しかしその人影もすぐにまた再び闇の中へ消えていく、自分の姿も後ろを歩いて来る人の目からは同じように見えるのだろう、人の人生もそんなものではなかろうか、という内容の文章でした。
あの頃は東京でも裏道に入れば暗闇だったけれど、人生の行く先はそんなに暗くはなかった。努力すればそれなりに報われるだろうということは、別に親や教師から説教されなくても、漠然と理解できたし、将来の展望もありました。
それに対して最近では防犯や安全の観点から、全国津々浦々の住民居住区域の照明は完備しましたが、逆に若い人たちの進路はそんなに明るくなりません。むしろ暗くなりました。これから徐々にでも明るくなる兆しすら見えません。
20世紀後半に爛熟期を迎えた先進工業国の、しかもそのトップをきって走った経済大国日本に生まれて、明るい坂道を登りつめてきた私たちの世代の目に映る象徴的な風景が上の写真だと思います。次の世代をここから見送らなければいけない、胸が締め付けられるようです。
何の因果か、若い学生さんたちを専任で教育する職務に就かされて以来、そのことは身に沁みて感じています。しかしこの暗闇坂の下には麻布十番の街並みが広がっているのですから、やはりそれと同じように彼らの前途を信じて送り出してやろうと思っています。