光の国

 私たちの世代が子供だった頃、東京都心部でも夜は暗かった。新宿や池袋でさえ、最近のように豪華なネオンサインは無かったし、ましてそれが一晩中ずっと灯っているなどということはなかった。
 夜の住宅街などに一歩入れば真っ暗で、各家庭の玄関先と、100メートル間隔くらいで立っている電信柱に点灯している50ワットくらいの裸電球だけが頼りだった。電信柱の電球などは、今のように日暮れ時になると自動的に点灯する仕掛けなどないから、夕刻に一番早く通りかかった人がスイッチを入れ、早朝通りかかった人が消していくだけで、たまたま誰もスイッチを入れなかったり、電球が切れていたらその周辺は漆黒の闇となった。
 しかも、お祭りなどでもない限り、午後10時を過ぎたら開いている店もほとんど無く、通行する人も車もほとんど見かけなかったと思う。

 最近では特に東京などの大都市は光の洪水と言ってよい。しかもそれが夜更けまで続くし、明け方まで灯っているイルミネーションも多い。上の写真、左側は後楽園界隈、右側は六本木界隈であるが、もし子供時代の私がタイムスリップしてこんな場所にやって来たら、たぶん絵本の中の魔法の国に迷い込んだと思っただろう。

 夜の街が明るいことは豊かさの証しなのだろうか?2001年のことだが、トルコのイスタンブールの空港に到着したのは夕刻だった。日本や西欧諸国のように、空港は夜でも煌々と照明が灯っているのが当たり前と思っていた私にとって、イスタンブールの国際空港は侘しかった。そこから国内線を乗り継いで到着したアンカラの空港はさらに暗かったし、アンカラ市街地も照明は地味、というより日本人の目には心細げだった。
 空港に出迎えてくれていたトルコ人のガイドさんが流暢な日本語で、
「これがトルコ共和国の首都です、ずいぶん暗いでしょ?」
といかにも寂しそうに呟くように言ったのが印象に残っている。何年間か東京で暮らしたことがあるというそのガイドさんにとって、日本人の私に夜のアンカラ市街を見せるのは気が引けている様子が窺えて気の毒だった。

 しかし夜が明るいことは本当に幸せなことなのか、ふと考えてしまう。夜の街には安全と防犯に必要最小限の照明があればそれで十分なのではないか。よく立派なイルミネーションを眺めれば心が癒されるとか、夢や希望があふれてくるとか言うけれど、それは逆に言えば、豪華なイルミネーションが無ければ心は癒されないし、夢や希望も持てないということなのか。
 不景気でイヤな事件も多く、暗い世相の中でもせめて豪華なイルミネーションで心を暖かく、などとマスコミも持て囃すことが多いけれど、大都市の夜の華美なイルミネーションを明るい口調で紹介したTVキャスターが、一方で地球温暖化防止などと深刻な顔で報道しているのを見ると、何だかこの国は発想が逆転しているのではないかと思ってしまう。

 私たちが幼かった頃の東京、華美な電飾は無かったが、治安は良かったし、子供たちは夢や希望を持てた。テレビ番組だって同じだ。最初の頃は夕方くらいから放送が始まって、宵の口には終わってしまったように記憶している。少なくとも深夜12時を過ぎてから娯楽番組などはなかった。
 24時間テレビなどという地球環境にとって最悪の企画など思いつく人もいなかったのではないだろうか。出演するキャスターやタレントが、徹夜でどこまで寝ずに頑張れるかというような根性だけが頼りの見世物がどうしてあんなに流行するのか?テレビ界の人たちならば十分に休息を取って完璧な芸を見せて欲しい。
 確かに24時間テレビはチャリティー企画の側面もあるが、昔の日本人はあんなことをしなければ助け合いの精神も生まれない国民ではなかった。華美なイルミネーションや24時間テレビなどを見て、何か最近の日本は違っているんじゃないかと思うのは私だけなのだろうか?

 私が訪れた2001年のトルコでは夜の街は暗かったが、人々が日本より不幸には見えなかった。食べ物はそんなに高価でなかったし、乞食がいれば市民たちは自分の財布からお金を渡していた。今の日本人よりも心は豊かに見えた。


 あんまりこんなことばかり言っていると、口うるさい奴だと思われるから、少しだけ別の話題。

 私が子供の頃、実家の雨戸は板張りだった。最近のように綺麗なアルミサッシやステンレス板の雨戸など無かったから、当時はどこの家庭でも雨戸は板張りだった。木の板だから枝を払った部分には節穴がある。子供の指1本も通らないようなその小さな節穴は、どれも黒い紙を貼り付けて目張りしてあったが、何のためだかお判りだろうか?
 戦時中、そういう雨戸の節穴から室内の灯が外に洩れると、夜間空襲に来るアメリカ軍機から爆撃目標にされる、と本気で信じた人々が、町内会で一致団結して灯火管制のために行なったのだそうだ。あまりに馬鹿げた話で、今でも思い出すたびに可笑しくて仕方がない。

 そんな時代よりは現在の華美なイルミネーションの方がもちろん良いに決まっているが、それでもやはり地球温暖化を心配するなら少しは考え直した方がいいし、泡沫のような幻影よりはもっと実体のある生活を取り戻すことに力を注ぐべきだと思う。

             帰らなくっちゃ