すべての条件が整った時のみに起こる感動の名演
“オーケストラの名演”。毎回のコンサートがそうでありたいものです。名演のようなものはたびたび経験しています。しかし、聴衆の方々も大満足、指揮者も含めた演奏者側も納得のいく演奏というものは、すべての条件が備わった時にのみ起こる感動なのです。その条件とは‥‥。
まず、何といっても指揮者(!)です。作品の内容を深く掘り下げてそれを構築する力。楽器間のバランス感覚を持ち、楽員を時に掌握し、時に自由に任せることのできる柔軟さ。強烈な個性。しかもその個性が共感できるものであること。音楽に対峙する姿勢にパワーが感じられ、ついて行きたくなるようなカリスマ性があること。
私たちはこういうすばらしい指揮者に応えられる楽員でなければなりません。どんな音楽的な要求にも対応できる技量を持ち、それがたとえ自分の好みと一致しない場合でも、一度は試してみる度量も必要です。そこから意外な発見があるものです。しかし、ここで大切なことは、楽員が指揮者に対して従順なだけでは、真の名演にならないということです。近現代作品のよほど複雑な楽曲以外は、指揮者がいなくても演奏できます。指揮者なしでそれぞれのセクションが自発的に音楽を発散し、緊密なアンサンブルをすることができる‥‥、そういう状態の上にすばらしい指揮者が方向づけをしてこそ名演となるのです。ですから私が個人練習をする時に、音を出しての練習より、スコアを読んでいる時間の方が長いかもしれません。はっきりした音楽的方向にアンサンブルをリードできるようにスコアを読んでいると、イメージが膨らんで、これがまたとても楽しい時間なのです。
実際にリハーサルが始まって納得のいかない所がある場合は、指揮者やそれぞれのセクションに尋ねることもあります。私自身のやりたいことはすぐに顔に出てしまうようで、東響に入団してすぐ、ヴェテラン楽員の方から、「あなたはわかりやすい人だねえ。顔にすべて書いてあるね」とからかわれました。すべて見破られているようです。
本番のホールの響きがすばらしいと充分歌えて、音色も多彩に変化できて、気持ちの良いものです。またプログラムの得手不得手、聴衆の温かい雰囲気なども、演奏する気分に影響することは確かです。しかし、そのことによって演奏の質が左右されるようではプロではない、といつも戒めて臨んでいるつもりです。
そんな中、忘れられないコンサートがあります。サントリーホールでのオペラで、ダニエル・オーレン指揮の《ナブッコ》。ユダヤ人のオーレンにとって、この題材は彼の祖国への想いと合致するもので、この強烈な個性の指揮者の練習は厳しい要求の連続でした。普段は落ち着いた紳士なのですが、練習中はほとんど猛獣状態。絶対妥協しないしつこい練習です。
第3幕のあの有名な合唱、「行け、わが想いよ、金色の翼に乗って」では、オーケストラもコーラスもなかなか彼の求める音にならない。私も頭ではヘブライ人の故国への万感の想いというものを理解しているつもりですが、そこが悲しいかな、頭の中だけなのです。オーレンは「もっと被せた音にしろ」など技術的な要求を続けましたが、はたと指揮棒を置き、切々と話し始めました。「あなた方日本人には幸せなことに祖国がある。だから私たちユダヤ人のこういう感情は理解できないでしょう。でも、お願いだから、少しでもこの気持ちに近づいて演奏して欲しい」。−それまでライオンのように吠えまくっていた彼が静かにこう話した時、その場の空気が凍ったように静まり返り、彼の強い想いに応えなければ、と皆の気持ちがひとつになりました。すると、それまでに出したことのないような柔らかいpの音が出たのです。本番ではその合唱の途中でオーレンは指揮台で手を合わせて祈り始めました。リハーサルでも聴けなかったすばらしい響きとなり、私も涙が出てきました。感動的な経験でした。これはライヴのCD(ユニバーサルミュージック IDC6072〜3)になりました。
オーケストラの演奏は、それぞれのコンディションもあり、まさになまものです。スリル満点のこともありますが、これからも毎回ホール全体が感動の渦になるような演奏を目指していきたいと思っています。
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