大谷康子の部屋


本物の公式サイトはこちら をクリック 

経歴


3歳で西崎信二氏についてヴァイオリンを始める。
その後、兎束龍夫、福元裕、ジャン・ローラン、海野義雄、田中千香士の各氏に師事。
東京芸術大学、同大学院博士課程修了。
1981年から1994年まで東京シティフィルハーモニーのコンサートマスター、この間、1988年に日本の女性ヴァイオリニストとして初めて一夜に3曲のヴァイオリン協奏曲を演奏して話題となる。
1990年、ウィーン、ベルリン、ケルン、ローマでリサイタル。
1995年より東京交響楽団のコンサートマスターに就任して現在に到る。現在東京音楽大学教授として後進の指導に当たっているほか、各地でのリサイタル、オーケストラとの共演、テレビやラジオへの出演、日本音楽コンクール審査員を務め、さらに病院や施設でのボランティア活動も行なっている。
(写真は堀田正矩さん)



大谷康子の医学論文

驚いたことに大谷康子は医学雑誌に論文を書いたことがあります。ちょっと旦那も真っ青ですね。「医学のあゆみ」というれっきとした立派な医学雑誌で、日本の医者なら誰でも知っています。その185巻8号、1998年5月23日の502〜503ページに掲載されています。その全文を引用しておきました。
     
ここをクリックして下さいね



オーケストラの名演とは

大谷康子がオーケストラの演奏について綴った文章があります。NHK交響楽団が発行しているPhilharmony(フィルハーモニー)という雑誌の2002/2003 Vol.3(第75巻第1号:2003年3月30日発行)で、「オーケストラの名演が生まれる時」という特集に書かせて頂いたものです。他にも在京オーケストラの4人のコンサートマスターが文章を寄せられていて、演奏家にとっては大変参考になるものです。ちなみに他の4人とは、N響の山口裕之さん、東京都交響楽団の矢部達哉さん、東京フィルハーモニー交響楽団の荒井英治さん、読売日本交響楽団の藤原浜雄さんです。この雑誌のバックナンバーは過去5年分は揃っているそうなので、編集部までお問い合わせ下さいとのことです。(NHK交響楽団「フィルハーモニー」編集係 電話(03)5793-8107 住所〒108-0074東京都港区高輪2-16-49)
      ここをクリックして下さいね



東京交響楽団 川崎へ

 東京交響楽団の本拠地が川崎へ移るに当たって、神奈川新聞の2004年(平成16年)1月18日の日曜版、「VIPかながわ印象派」のコーナーにインタビュー記事を掲載して頂きました。その記事の全文を載せておきます。
     ここをクリックして下さいね



華麗なるコンサート・ミストレス

 2005年(平成17年)2月4日、東京交響楽団の第522回定期演奏会で、ラロの「スペイン交響曲」のソロを弾かせて頂きました。その時のプログラムに、当時の楽団長で、入団以来いろいろお世話になった金山茂人さんが一文を寄せて下さいました。
     
ここをクリックして下さいね



中野 稔さんのCD発売にあたって

 2005年(平成17年)5月、中野 稔さんのCDがミッテンヴァルトから発売になりました。中野さんは9歳の時から筋ジストロフィー症という難病と戦いながら作曲を続けておられます。中野さんのことはこのページの私の医学論文の中にも書いてあります。
 今回のCDに収められた「バイア・デ・ロス・アンヘレスへの祈り」は、〜亡き弟と研究者達に捧ぐ〜という副題が示すとおり、亡くなった弟さんへの鎮魂の曲なのですが、その弟さんとは2000年3月27日、メキシコのバハカリフォルニア州沖で日米の研究者たちと共にボート転覆事故に遭い、37歳の若い命を落とされた京都大学助教授 中野 繁さんのことです。中野助教授はサケ科魚類を中心に生態学を研究していた若手ホープの一人だったので、ご記憶の方も多いでしょう。共に御冥福をお祈りしたいと思います。
 このCDのジャケットの中に私が書いた一文がありますので、ご紹介しておきます。
     
ここをクリックして下さいね




クァトロ・ピアチェーリ

 2005年、私たちは念願の新しい弦楽四重奏団「クァトロ・ピアチェーリ」を結成いたしました。ご声援よろしくお願いいたします。
     
ここをクリックして下さいね




ソリストとコンサートマスター

 たまにはカミさんのことを書きます。一昨年前後から私の教え子たちの結婚のお知らせがチラホラ舞い込むようになり、何人かは結婚披露宴にも呼んで頂いたりしていますけれど、新婦の年齢を考えると、私もあの時こんな妙齢の女性と式を挙げたのかとちょっと驚いたり照れたりしています(笑)。

 あの時、新婦だったカミさんは確かまだ東京芸術大学の大学院に在籍していたと思いますが、演奏活動ではすでに東京シティフィルのコンサートマスターに就任しておりました。私も結婚当初はオーケストラの実態など何も知らず、コンサートマスターって何さ?…というド素人状態でしたが、コンサートマスター(コンマス)とは客席から見て指揮者の左側の一番先頭に座っている第一バイオリン奏者のことです。
 指揮者の好みや感性、あるいはさまざまな時代の作曲家の意図に合わせて、第一バイオリンパートだけでなく、管弦打すべての音をリードして音楽を演出していく役目を果たしているんだそうで、まあ、オーケストラ演奏の現場監督とでも言えるでしょうか。クラシック音楽ド素人だった私は迂闊にも大編成の楽団を仕切るそんな物凄い女と結婚してしまったわけで…(笑)。

 ところでその後カミさんは東京シティフィルから東京交響楽団のコンサートマスターに移籍して所属は変わったものの、私との結婚生活中はずっとコンサートマスターの肩書きが付いてまわったわけですが、この2016年3月をもって東京交響楽団との契約を満了してソロ活動に専念することになりました。オーケストラの演奏ホールに聴きにいらして下さった皆様には私からも厚く御礼申し上げますと共に、ソロに専念することになったカミさんの演奏活動を今後とも応援どうそよろしくお願い申し上げます。

 さて私のサイトがこんな私事で終わるはずはありません。今回のコンマス契約満了からソロ活動専念に際して、カミさんやその周囲の方々から実に不思議な話、しかし私の業界にも何か関係のありそうな話を聞いたので、書き止めておこうと思った次第です。

 カミさんはこれまで全然ソロをやっていなかったというわけではない、むしろ、身内の私が言うのも宣伝みたいで変だけれど、一晩で3曲のバイオリンコンチェルトを演奏したなんて大それたことを1度ならずやっているし、普通のソリストとしての演奏回数は数知れず、聴く耳をお持ちの方々やプロの同僚の演奏家の方々からは高い評価を頂いておりました。

 自分の身内を褒めることに慣れていませんからカミさんのことはここまでにしますが、これまであの業界の方々がカミさんをソリストとして宣伝する上で何が最大の障害だったか、それを聞いた時、私はびっくり仰天しました。カミさんがソリストとして活動するのに一番邪魔だったのは、旦那ではありません(笑)、何とオーケストラのコンサートマスターの経歴だったそうです。

 先ほども書きましたが、コンマスはいろんな指揮者の下でいろんな作曲家の音楽を演奏して、現場で音を作り上げていくプロフェッショナルなわけです。言ってみれば音楽全般の酸いも甘いも知っているわけですね。その経歴はソロ活動のプラスにこそなれ、決してマイナスにはならないはずなのに、エエ〜ッ、何故なの〜って感じでした。

 しかしカミさんに言わせると、オーケストラのコンマスはしょせん演奏家の大所帯の頭領でしかない、それよりは独りで演奏するソリストの方が偉いというのが普通の方々のイメージなのだそうです。だから時々はソロもやるけど、本業はオーケストラの頭領じゃないかと思われて、これまでずいぶん損をしたそうです。

 これって私の業界にも似たようなことがあります。論文を書いて自分の名前を医学界に残した医師をソリスト、たくさんの患者さんを診断・診療して現場経験を積んだ医師がオーケストラの団員で、それを統括するのがコンサートマスターと例えると話が分かりやすい。
 皆さんはもし病気になったら、論文を書いて有名になった医者と、現場で腕を磨いている医者と、どちらに診て貰いたいですか。私の業界ではこの2つを完璧に両立させるのは難しいですが、やはり論文を書いていようと書いていまいと、現場の腕がある程度高い医者でなくては困りますね。できれば現場の腕も確かで論文もそこそこ書いている医師が理想的です。現場経験を論文に活かし、論文執筆で得た知識をまた現場に還元する、そんなサイクルが確立しているからです。論文だけ書いて偉くなった大学病院の医者がとんでもない誤診をしでかした話は別の記事に書きました。

 カミさんは音楽の世界でソリストとコンサートマスターを両立させてきたと、私は自分の業界と比較してそう思います。現場での経験を人一倍積み上げてきたカミさんが今後どんな“論文”を書くのか、私も楽しみにしています。

ドクターブンブンの休憩室に帰る