靖国神社の桜
今年(2017年)はいよいよ在職最後の卒業生を送り出す年になりました。3月21日に日本武道館で晴れの卒業式が挙行され、本当に良い子たちばかりだった最後のクラスもついに巣立って行きました。今年だけでなく、毎年毎年本当に良い子たちばかりでしたが…。
ところで私の勤務した大学の卒業式は日本武道館で行われるのが恒例ですが、私はこれまで震災のあった2011年を除いて計7回の卒業式すべてに臨みました。日本武道館は大通りを隔てて靖国神社と隣接しているので、私は毎年卒業式に行く前に必ず靖国神社には参拝することにしており、今年も早起きして行ってきました。
まだ桜の開花にはほんのちょっと早い時期でしたが、今年は少し時間があったので、参道わきの桜園に足を踏み入れて散策してみました。すると今までは気にも留めなかったのですが、桜の幹には1本1本、写真のようなプレートが結ばれているのに気付き、私は粛然とした気持ちになりました。
ご覧のようにこれらのプレートは、陸海軍のさまざまな部隊や艦艇の同期会や戦友会などから献木された桜であることを示すもので、このような献木は境内に約1000本あるそうです。
左上が人間爆弾と呼ばれた桜花の神雷部隊の戦友会、右上がミッドウェイ海戦で沈没した空母蒼龍関係者の会、左下が陸軍少年飛行兵第15期生(海軍の予科練に相当する制度)の生存者一同、右下が父が軍医として所属した陸軍第27師団の関係者の会、このようなプレートを付けた桜の樹木が参道の両側に何本もありました。
ほとんどの部隊や艦艇の戦記については、少なくとも1度や2度くらいは読んだことがありましたから、あの戦闘を生き延びられた方々や遺族の方々がいろいろな思いを込めて献木された桜なのだと思うと、胸が熱くなります。
「靖国神社で会おう」
と言い交わして死んでいった戦友との約束を、こんな形でしか果たせなかったという後ろめたさはあったと思います。死んだ戦友の無念、生き残った自分への慚愧、そんな思いを交錯させながら戦後の時代を生きたであろう人々の多くもまた、先に逝った戦友たちの許へと旅立って行かれたことでしょう、苔むした桜の幹がその歳月の長さを物語っています。
こうやって歴史は風化していくのでしょう。昨今では、兵士たちが桜のように無念の思いもなく潔く散っていけるような時代の再来を目論む政治勢力を支持する国民が増えています。私は国を護るために死んでいった人々を敬わなければいけないと思いますが、だからこそ国の財産であるはずの国有地を私物のごとく取り引きするような国賊の輩を許してはいけません。教え子たちの世代が“国賊もどき”の犠牲になることなく、祖国を誇りに思えるような時代を迎えることができるよう祈りながら、卒業式会場へ向かいました。