湯島天神の石段
東京都文京区にある湯島天神(湯島天満宮)の石段です。学問の神様である菅原道真公をお祀りする場所ですが、私の大学のすぐ近くにあるにもかかわらず、天神下の天ぷら屋さんに美味しい天ぷらを食べに行ったことはあっても、この年齢になるまでお参りしたことは一度もありませんでした。太宰府天満宮のところでも書きましたが、こんなことだから私の学問は大成しなかったわけです。
境内には来春の受験合格祈願の絵馬がたくさん奉納されていましたが、みごと合格したならば必ずお礼参りにきて、生涯学問の志を忘れないようにして下さいね。念のため言っておきますが、私だって亀戸の天満宮にはきちんとお参りしたんですよ(笑)。
ちなみにこの石段は急な男坂、隣に少し楽な女坂があります。
ところで湯島天神を紹介するページに、何でこんな変哲もない石段の写真を載せたのか。実は先日久し振りに湯島を訪れる機会があった時に、中学校時代のある読書の記憶が鮮やかに甦ったからなんです。
中学1年生の時、ある授業の副読本として吉野源三郎氏の『君たちはどう生きるか』を読まされました。何だかずいぶん道徳くさい名前の本ですが、今になって思い返してみると、下村湖人氏の『次郎物語』と共に私の生き方にかなり強烈な影響を与えてくれた本でした。
主人公は中学生の少年で、お父さんを亡くしてお母さんと住んでいるが、お母さんの弟である叔父さんが人生を導いてくれる。あだ名は“コペル君”、これは叔父さんと一緒に街を見下ろした時に、人間は自分1人では生きられないことに気付かされ、まるで自分中心の天動説から地動説へ移行したコペルニクス的転回に相当するということで、叔父さんから“コペル君”と呼ばれるようになったのです。
このコペル君と叔父さんと学校の友達を中心に物語が淡々と進んでいくのですが、その中に叔父さんがコペル君に語り聞かせるニュートンとリンゴの話や、ナポレオンの話や、ガンダーラの仏像の話なんかもあります。
貧しい家の友達が遊びに来た時に、その子は家の手伝いなんかもするので服が汚れている、その服の汚れがうっかりソファについたのに目ざとく気付いたコペル君が払おうとすると、叔父さんがその手を押さえて目で制止する、何故だか分かりますね。自分の家が貧しいこと、自分の服が汚れていること、それを相手に気遣いさせてはいけない、それが相手に対する思いやりです。
そんなことをさりげなく語りながら物語は進行するのですが、ある日、読者にとってはとても印象的な事件が学校で起こります。学校には番長みたいな不良の上級生グループがいて学校でも問題になっているのですが、コペル君の仲の良い友達の1人がそいつらに目を付けられている、コペル君たちはもしその不良グループに理不尽な因縁を付けられたら、皆でその友達を守って立ちふさがろうと約束していたが、実際にある雪の日に不良グループがその友達を取り囲んで暴力沙汰に及ぶ事件が起こる、コペル君の他の友達はその友を守って不良グループの矢面に立ったのですが、コペル君だけは上級生が怖くてその場に出て行けない、逡巡しているうちについに友達を見殺しにしてしまったのです。
約束を破って友達を助けなかった、理不尽な上級生に対して正しいことを主張できなかった、自分の心ではやらねばいけないことを分かっていたのに、恐怖のためにそれをやれなかった、そのことでコペル君は後悔し、悩み、自分を責め続けます。だけどもう済んでしまったことは、どんなに言い訳しても取り返しがつかない。
コペル君は思い余って叔父さんに打ち明けます。叔父さんは黙って聞いていただけでした。しかし何日か後のこと、たぶん叔父さんから話を聞いたお母さんがコペル君に話しかけてきました。
お母さんがまだ女学生だった若い頃、湯島天神の石段を大儀そうに登って行くお婆さんを見かけた、お母さんはお婆さんに近づいて荷物を持ってあげようと思ったが、何だか気恥ずかしくて出来ない、何度もお婆さんに早く声を掛けなければ…と焦っているうちに、とうとうお婆さんは石段を登り終えて、何事も無かったかのように歩き去ってしまった。
それだけのことだったんだけれど、お母さんの心の中には何十年も後悔として残った、何であの時もっと勇気を出してお婆さんに声を掛けてあげなかったんだろう、お母さんはそのことをずっと悔やみ続けてきたと、コペル君に何気ない感じで語ったのです。
別にそれ以上のことは物語には書かれていません。あとは読者が自分で考えなさいということでしょう。
「君たちはどう生きるか」
もう半世紀近くも昔、私は吉野源三郎さんからそう問いかけられました。そして私は良くも悪くもこう生きてきてしまいました。共感してくれる人もいるでしょう、バカにする人もいるでしょう。恨んでいる人も怒っている人もいるに違いない。
しかし今さら自分の生きてきた道を変えることは出来ませんが、吉野源三郎さんには「ありがとうございました」と申し上げたい。湯島天神の石段を見て、ふと昔に読んだ本を思い出しました。