水族館
日本各地にそれぞれ特徴のある水族館がいくつもありますが、どこも楽しいですね。地球上の生き物すべての故郷だからでしょうか、水中を彩るサンゴや海草の間を縫ってたくさんの水棲生物が泳ぎ回る姿は、単調な光景のはずなのにいつまでも見飽きることがありません。心が癒される人も多いのではないかと思います。
水族館はアクアリウム(aquarium)で水(aqua)に関する場所(-arium)という意味だそうです。園芸植物や小動物を飼育する場所はテラリウム(terrarium)で陸地(terra)に関する場所という意味、そう言えば昔『テラへ(地球へ)』というSF漫画があったような気もする。あと星(planet)に関する場所がプラネタリウム(planetarium)ですね。
私はプラネタリウムも好きですが、アクアリウムもかなりよく行きます。『海底二万里(リーグ)』に登場するノーチラス号のネモ艦長たちはこんな世界を探検していたのかと思うと胸が躍ります。アクアリウムといい、プラネタリウムといい、そこは生身の人間が絶対に棲息できない空間なのに、何でどちらもこんなにまで私たちの興味を惹きつけるのか、本当に不思議です。
しかし水槽の中の魚たちを見ていると、何だか人間みたいに思えることがありますね。上の写真は横浜の八景島シーパラダイスの水族館ですが、巨大なエイが悠然と泳ぐ傍らを何万尾ものイワシたちが群れをなして舞っています。とても綺麗ですが、私はこんなシーンを見ると吉川英治の『宮本武蔵』の最後の文章を思い出します。
波騒は世の常である。
波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を、水のふかさを。
佐々木小次郎との決闘を終えて立ち去る武蔵の挙動をあれこれ詮索する口さがない一般大衆の軽薄さを、吉川英治は最後の“魚歌水心”の章であざ笑うかのようです。世の大衆は自分より実力も人望もあって足元にも及べないような人、自分がなし遂げられそうもないような壮大なことのできる人について、何だかんだとイチャモンをつけてこき下ろそうとする、一人だけじゃ心細いから衆を募って皆でこき下ろそうとする、みんなで言えば恐くない…というところですか。でもそんなのは所詮は雑魚の歌、もっと深い水の心はそんな雑魚どもをも広く広く包み込んでいます。
また別の水槽では大きなジンベエザメの腹の下に雑魚が何匹もくっつき回って泳いでいます。大きなヤツにくっついていれば天敵も怖がって近づいて来ませんから安全なわけですね。寄らば大樹の陰、偉いヤツにお世辞タラタラ並べてうまく世渡りしていこうとする輩は人間界にも多いです。魚たちは自分の命がかかっているから、大きいヤツと一緒にいたくなるのも当然ですが、人間界では上になってるヤツがそれで威張っているから滑稽です。ジンベエザメみたいに強くて大きいわけでもない、本当は雑魚みたいで取るに足らないヤツなのに、たまたま経営者だとか管理者だとか○○長だとかいうチーフの座に座っているというだけで自分は偉いと思っている、少しはジンベエザメの爪のアカでも煎じて飲めばいいのに。
ところでジンベエザメに爪のアカってあったっけ?(笑)
人の世は 大魚が雑魚に 媚びを売り