神戸異人館
2010年11月下旬、学会で神戸に行って来ました、と書くとちょっとお洒落な感じですね。そう言えば、ズバリそのままのネーミングのお菓子もあったような…(笑)。
2泊3日の出張で、しかも学会の合間ですからそんなに時間は無かったのですが、長年こんな旅行ばかりやっていると、1時間でも2時間でも空いている時間を見つけて、めぼしい観光スポットまで足を伸ばす習性ができてしまっています。
最終日の朝は、学会の朝一番の前に早起きして、神戸市の北西に位置する北野の異人館をひと回りして来ました。異人館は開国間もない明治時代初期に外国人が住んだ西洋式の邸宅の総称のようで、外国との玄関口であった神戸や長崎には“異人”(今風に言えばエイリアンか)という地名や観光スポット名が多く残っています。横浜あたりでは“外人墓地”が有名ですが、こちらにはあまり“異人”という名称は多くありません。童謡の“赤い靴”の歌詞くらいか…。
そういうことは他の方々のサイトなども参照して頂くことにして、まだ早朝だったため異人館付近にはほとんど人通りもなく、たまに犬を散歩させる人とか、ご夫婦で散歩される年配の方などとすれ違うくらい、もちろん各建物内の公開時間でもありませんし、お店も開いていません。
夜の雨が上がって閑散とした異人館の道を歩いていると、かつて四半世紀以上も昔にここを訪れた時のことが、いろいろと思い出されました。
あれも1984年(昭和59年)の晩秋の頃だったと思いますが、私が小児科医を辞めて病理学に転向した年のことです。神戸市で未熟児新生児研究会があって、それに出席した時にまだ結婚2年目だったカミさんも一緒について来ました。あの頃はまだ私の方が忙しく、カミさんが私の地方出張について来ることが多かったのですが、その後カミさんの方が売れっ子になって、私がカミさんの演奏旅行について行くことが多くなり、ついに今では2人とも忙しくなって、どっちもついて行けない状態になってしまいました。実は今回も私が神戸にいる間、カミさんは何と宮崎に演奏に行っていたのです。
あの時カミさんと歩いた異人館は、まるで都会の雑踏のように混雑していました。再びカミさんと一緒に旅行できるのは、今度は2人ともヒマになった時かと思うと、そういう時が早く来て欲しいような、来て欲しくないような…。夫婦といえども一期一会ですね。
26年前は厳しかった小児科医勤務から解放されて、本当にのんびりした気分でした。それでも「未熟児新生児研究会」などに参加する気になっていたのですから、完全に未練がなかったと言えば嘘になります。
あのまま小児科医を続けていたら今頃どんな人生が待っていたのか、雨上がりの早朝の坂道を登りながら考えました。最悪の場合は過労死してもうこの世にいなかったでしょうが、そういうことになってさえいなければ、病理学一般をさらに深く修行する機会はなくとも、それでも未熟児や新生児の超ベテランになっていたでしょう。
26年前に北野の異人館を訪れた時は、人混みの中で風見鶏の館(上の写真)とか、その隣の萌黄の館などを見て回りましたが、有名なウロコの家には行けませんでした。壁や丸屋根がちょうど魚のウロコのようになっているので“ウロコの家”なのですが、これは風見鶏の館などよりもさらに丘の上の方にあり、急峻な坂道を登り詰めなければならない。
でも連れのカミさんはヒールの高い靴を履いていてかなりお洒落な服装をしていたし、もう疲れてこれ以上は歩けそうもなかったので、あの時はウロコの家の見学はあきらめたのです。
今回は身軽だったので坂道をずっと登ってみました。まるで西洋の鎧を被ったような洋館の向こうに、ポートタワーなど神戸の市街地が見渡せて、曇り空でしたが素晴らしい眺望でした。
これがあの時、あのまま坂道を登り詰めていれば見ることのできた風景だったのかと思いました。
あの時、あのまま小児科医としての道を登り詰めたとしても、たぶん今と同じように素晴らしい人生を送ることができたでしょう。それは自信をもって断言できます。
確かに見える景色は違ったかも知れないが、自分が果たすべき役割は何なのか、自分が守るべき者は誰なのか、それをしっかり見極めてさえいれば、どの道を歩んだとしても絶対に後悔することはないはずです。
ところでこのウロコの家の屋根にも風見鶏があるように見えますが、あれはカラスが止まっているだけです(笑)。
私が東大病理学教室に移った時の師匠は浦野順文教授でしたが、神戸大学の病理学教室から東大に着任されて2年目のことでしたから、神戸の事情にも大変くわしく、私が神戸に行きますと報告したら、いろいろ美味しい店とか観光地とか教えて下さいました。後に昭和天皇の病理診断を担当されたことで有名な教授ですが、ご自身は天皇より1年早く昭和63年に癌で亡くなられました。私もいつの間にか浦野教授の亡くなられた年齢をはるかに超えていることに気づき、これを書きながら愕然としています。
私が初めて神戸を訪れて異人館を歩いた日から、私自身にも、私の周りの人々にも、そして何より神戸の街にもいろいろなことが起こった26年間という長い歳月でしたが、ついこの間のことのように鮮明に思い出されます。
異人館のある北野の街を西に抜けて、カミさんと2人で元町で中華料理を食べました。いわゆる神戸の中華街です。あの頃は若くて食い道楽が好きだったし、東京に比べて割安感があったのものですから、メニューを次々と指さしていくうちに、テーブルの上にお皿がズラリと並びました。店のコックさんたちまでが表に出てきて、興味深そうに私たちのテーブルを見つめていたのが印象的です。きっと料理を残されちゃ大変だと心配していたのかも知れません。
でも全部食べました。まさに驚異の胃袋でした。まさかあんな細身の夫婦が2人だけであれだけの料理を食べきったのかと、店のスタッフも呆れた顔でお勘定してくれました。あんな事ができたのも若かったからですね…。