妙高山
いきなり護衛艦の写真で恐縮である。この写真は海上自衛隊のHPから拝借した護衛艦「みょうこう」(DDG-175)、桁違いの防空能力を有するイージス艦だ。現在海上自衛隊は「こんごう」級の本艦4隻を保有しており、これら4隻のイージス艦はそれぞれ「こんごう」、「きりしま」、「みょうこう」、「ちょうかい」と山の名前が付けられている。「こんごう」、「きりしま」とくれば、あとの2隻は「はるな」、「ひえい」と続いて欲しかったが、「はるな」と「ひえい」は昭和61年から62年にかけて就役した別のタイプの護衛艦の名前にすでに使われてしまっている。(この辺の話は判る人には判るが、判らない人には興味もないだろうからクドクド書かない。)
しばらく前、ある艦船マニアの雑誌に、なぜ日本の自衛艦の名前はひらがなで標記するのかという議論が載っていたことがあった。「はるな」は女の子の名前みたいだし、「ひえい」に至っては女の悲鳴と間違えそうだ。きちんと「榛名」、「比叡」と漢字で書けというのである。
漢字で標記すれば4隻のイージス艦も「金剛」、「霧島」、「妙高」、「鳥海」であり、やっぱり何となく強そうだ。まあ、日本国憲法下で旧海軍のイメージを払拭したい海上自衛隊としては艦名もソフトに、というところか。
こちらは大日本帝国海軍時代の重巡洋艦「妙高」である。「妙高」、「那智」、「足柄」、「羽黒」と続く「妙高」級巡洋艦で、列強からは「飢えた狼」と仇名を付けられた重武装艦であるが、これも興味の無い人にはどうでもよいことなのでクドクド書かない。ただ海上自衛隊の「みょうこう」よりも大砲の数が多くて強そうだが、兵器の管制システムも発射速度も命中精度も「妙高」と「みょうこう」では比べ物にならず、もし両艦が戦えば海上自衛隊の圧勝に終わることは間違いない。
ここで横須賀三笠公園の記念艦「三笠」を見ても判るとおり、これら旧海軍の戦艦や巡洋艦でも、艦尾などには平仮名標記がしてあったと思われるが、「妙高」はどうだったのだろうか。新仮名遣いではないから、「みょうこう」ではない、「めうかう」だったはずだ。また「妙高」級に続く「高雄」級巡洋艦には「鳥海」があるが、これも「ちょうかい」ではなく、「てうかい」だったそうである。それも右から左への横書きである。
私は「うかうめ」とか「いかうて」とか書かれたネームプレートの写真がないだろうかと思って探してみたが、現在のところまだ見つけていない。考えてみれば戦前から戦中にかけて、主力艦や準主力艦の艦名を写し込んだ写真など撮影すれば、ヘタすればスパイ容疑で投獄されただろうから、そんな危険を冒してまで写真を撮った人は少なかったろう。当時の日本軍の機密保持はかなり厳格で(軍隊であれば当然のことだが)、軍艦の名前なども厳重に秘匿されていた。戦時中の海軍報道班員の記事などでも、国民の前に公表された時には「わが○○艦」としか書かれていない。
(「鳥海」=「てうかい」だったと情報を頂きました。777様、ありがとうございました。)
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さてマニアックな話で前置きが長くなってしまったが、妙高山といえば本格的登山に縁の無い私にとっても非常に思い入れの深い山である。私の好きな戦国武将の上杉謙信(長尾景虎)が、関東地方との往復の折や、信玄との合戦の出陣の際にも仰ぎ見たであろう山だからでもあるが、私がスキーを始めたのがこの妙高山の麓だからでもある。
私がスキーを始めたのは昭和40年、妙高高原の燕温泉である。ここは本州のスキー場の中では積雪量が格段に多く、雪質も良かった。現在のように交通の便も良くなかったから、信越本線の「田口」(現在の「妙高高原」駅)で夜行列車を降りてバスで赤倉温泉へ、さらにリフトで関見峠まで上がり、あとは燕温泉まで2時間ほど雪道を歩いて登ったものだった。
その後も燕温泉の他、赤倉や池の平など妙高山の麓のゲレンデにはよく出かけたものだが、謙信も仰ぎ見たという妙高山の勇姿を目にすることはなかった。上の写真↑は平成5年か6年頃、東大病院病理部時代の職員と一緒に行ったスキー合宿で撮影したものである。朝起きて宿舎の窓を開けると、雲一つない晴天の下、白銀の妙高山が目の前に忽然と聳えているではないか。まだ誰も滑っていない早朝のゲレンデ越しに早速シャッターを押す。と言ってもスキーに持って行くカメラだから、当然レンズ付きフィルム(いわゆる使い捨てカメラ、写ルンです)であった。しかしその割には意外に良い出来栄えの写真で、スキー合宿の思い出を伝えてくれている。なお冬山の天候は変わりやすく、妙高山が見えたのはこの時ただ1回限りであった。
私のように都会に住んでいると、白銀の世界の思い出は他の出来事と違って、何か不思議な夢の中のような気がする。何年も何十年も前のことなのに、つい数日前に見た夢のようにも思えるし、また確かに雪国に行って体験したことなのに、妙に現実感が無かったりする。
若くして逝った友、離れ離れになって何年も経つ友、今は別々の職場で働く同僚たち、そんな懐かしい人たちと雪の中で交わした笑顔や会話が、普段の日常生活とはまったく違った記憶回路の中からいきなり飛び出してきて切なくなることがある。都会で成長して年老いていく者の感傷であろう。韓国ドラマ「冬のソナタ」が日本ではある年齢層以上の世代に大ヒットしている理由は、俳優の人気ばかりでなく、都会と白銀の世界を対照させた舞台効果にもあると思われる。