小児科医ブンブン


Dr.ブンブンは昔は小児科の医者でした。このページは昔のDr.ブンブンの勇姿を特集します。



都立築地産院で、本日退院する赤ちゃんのお母さんが事務に行っている間に、同僚の女医さんや看護婦さんたちと一緒に記念撮影。Dr.ブンブンは未熟児や新生児の医師でした。



遠州総合病院の分娩室のスタッフと一緒に撮影。未熟児を治療するためには、生まれる前からケアして未熟児が生まれないように予防しなければいけないという結論に達して、遠州総合病院では産科の医者として妊産婦さんも診ていました。この方針の下、遠州総合病院は特に大きな専門病院ではないにもかかわらず、ここの産科・小児科チームでは周産期死亡率を全国の半分以下に抑えていました。この分娩成績は今でも私の医師としての生活で最高の誇りです。



こちらは遠州総合病院の小児科外来のスタッフです。私の向かって左側が桜井部長で、最近までここで頑張っておられましたが、2003年の6月、体力の限界を悟って、22年間勤務した病院をお辞めになりました。小児科医というものはいつもニコニコした優しいお医者さんというイメージが世間にはありますが、いつ急変するか判らない子供の病気を診なければならないので、もしかしたら医者の中で一番体力と気力が必要かも知れません。それなのに世間では小児科医の数は減る一方で困ったものです。とても小児科医の個人的献身だけでは間に合いませぬ。



乳児検診をするDr.ブンブン。壁のカレンダーを見ると1982年(昭和57年)の1月ですから、この元気そうな赤ちゃんは前年の暮れに浜松市の遠州総合で生まれた子です。今ごろは成人して立派な大人になっていることでしょう。もしかしたら自分だと気づかずにこのホームページを見ているかも知れませんね。



こういう壁は病理には無いですね。内科にも無いか………(シラ〜)
でも公衆電話が黄色いぞ。



都立母子保健院の未熟児室のスタッフと一緒に。今では東京都の医療政策の一環で都立病院は統廃合が進められ、この都立母子保険院も、一番最初の都立築地産院も無くなってしまいました。どちらも日本の未熟児・新生児医療の草分けとなった伝統ある病院だったのですが、貧困な医療政策のあおりを受けた形となり残念です。この写真がDr.ブンブンの小児科医としての最後の写真となりました。


ところで何で私が小児科を辞めたのか、これまでもずいぶん訊ねられたので、当時の心境などをお話ししましょう。下のスイッチで
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