東京の地下鉄

 東京都内周辺を網の目のように走る地下鉄には、旧帝都高速度交通営団が2004年に民営化された東京メトロ(東京地下鉄株式会社:旧営団地下鉄)9路線と、東京都交通局が運営する都営地下鉄4路線があり、東京都区内の移動には地下鉄の路線図を頭に入れておくと大変便利になった。

 ところで東京の“地下鉄”とは何かという定義は意外に難しい。例えば我が家の最寄り駅である練馬は、都営12号線(通称:大江戸線)にも乗れるし、西武有楽町線でメトロ8号線(通称:有楽町線)やメトロ13号線(通称:副都心線)にも乗り入れられ、前者の大江戸線は正真正銘の都営地下鉄である。

 しかし練馬駅から新桜台駅を通ってメトロの小竹向原駅につながるまでの西武有楽町線の2.6キロ区間は、練馬駅のプラットホーム以外すべて地下の軌道を走っているが、西武鉄道が経営しているため、これを“地下鉄”と呼称するかどうか、私もよく分からない。この写真は練馬駅を出発した電車が、地上の西武池袋線と別れて地下のトンネルにもぐっていくところである。

 ま、そういうマニアックな事は他のサイトで調べて頂くか、鉄道ファンにお任せすることにして、私たちが子供だった昭和30年代前半くらいまでは、東京には営団の銀座線と丸ノ内線の2系統しか地下鉄は無かった。電車の車体の色から、銀座線は“黄色い地下鉄”、丸ノ内線は“赤い地下鉄”と呼んでいたが、地下鉄と言えば凄まじい轟音を立ててトンネルの中を走っていたものだった。

 最近の地下鉄は静かなので若い人たちは信じられないだろうが、昔は地下鉄に乗ったらお互いの会話はます無理、電車のモーターの音、車輪が軋む音、さらに古い地下鉄はトンネルの掘削費用を軽減するために電気の架線をレールの脇に敷いているので、そこを電気を採取する部品が摩擦する甲高い金属音などが入り混じってトンネルの壁に反響し、耳を聾するばかりだった。
 私は小学生だった頃、試しに好きだった女の子の名前を大声で叫んでみたが、周囲の乗客たちは誰も気付かなかった(笑)。

 あの頃はJRもまだ国鉄と呼ばれていて、ご存じのように東京都区内は山手線(当時は“やまてせん”と呼んだ)がグルッと一周していたが、この山手線の内側に入り込む私鉄は無かった。山手線のサークル内部を走る電車は、営団地下鉄と都電だけだったのである。
 地上の自動車の渋滞が激しくなるにつれて路面電車の都電が次第に姿を消し、代わりに地下鉄が東京都民の足として山手線内部の電車ネットワークを形成するようになり、さらに私鉄各線や一部ではJR(旧国鉄)の車両も、地下鉄のトンネル内に相互乗り入れするようになった。

 先にも書いたが、西武有楽町線をはじめ、京王新線や東急田園都市線や臨海高速鉄道りんかい線などかなり長い区間を地下で走り、地下鉄だか地下鉄でないんだかよく分からないような電車も増えてきた。小田急線も都心では一部地下にもぐるらしいし、そう言えばJRの横須賀線や京葉線、東北・上越新幹線の上野駅周辺なども地下だった(笑)。
 かつて都電の路面電車を追いやった自動車道路でさえ地下に建設される世の中である。やがて東京都心部の交通ネットワークはほとんどモグラになってしまうのではないだろうか。

 余談だが、私が子供の頃、西武鉄道はオーナーがケチだったから、他の日本の鉄道の規格よりさらに軌道の間隔が狭く、安上がりに作られていると噂されたものだったが、上の写真で見る限り、西武線内を走って来た車両が、そのまま他社線の軌道を共有できているので、あの噂はウソだったようだ。うっかり信じてしまって、堤さん、ごめんなさい。

          帰らなくっちゃ