旅先の交通状況

 このコーナーのメルボルンの電車たちの記事で、日本の駅員さんたちは外国に比べてお節介なくらい親切だと書きましたが、実はそうでもない点があることを発見してしまいました。
 先日、都内のある駅でのこと、私がホーム前方で電車を待っていると、近くのベンチで数人の若い白人男性が大きなリュックやキャリーバッグを下に置いて座っている、別に最近では外国人旅行者が都内を歩いている光景など珍しくないから、私も最初は特に気にかけてもいなかった、ところがホームに発車合図のチャイムが鳴り終わった直後、目の前を短い6両編成の特急 成田エクスプレス号(通称NEX)が通り過ぎて行ったのを見たその外人たち、いきなり大騒ぎし始めて駅員を探しにホーム伝いに走り去って行った…。

 ハハア、なるほど…と私は彼らの状況をすぐに理解しました。彼らは帰国だか里帰りだかで日本から故国に戻るため、成田国際空港に向かおうとして、成田エクスプレス号の座席を予約して列車を待っていたのです。ところが発車予定時刻になっても列車は来ない、たぶん彼らの国では列車が10分や20分遅れることなどよくあるので、特に心配もしていなかった、ところが彼らが乗るはずだった特急列車は彼らの目の前を素通りして発車してしまったのです。

 東京都内の池袋や新宿や渋谷の駅では、成田エクスプレス号の乗車ホームは湘南新宿ラインや埼京線の電車と共通です。15両編成の長い列車も停車するこれらのホームに、成田エクスプレス号も到着しますが、短い編制だとわずか6両しかない、こういう成田エクスプレス号はホームの前方には停まりません。不幸にしてあの外人グループはそのことを知らずに列車を待っていたのでした。

 確かに駅のホームには、6両編成の成田エクスプレス号はこの付近には止まりません、ホームの中程でお待ち下さい、と
日本語で書いてあります。しかし“ホーム中程”は駅の階段に遮られて見えませんから、日本語の読めない乗客には列車が到着したことも発車したことも分からない。気が付いた時には目の前を成田エクスプレス号が粛々と走り去っていくということになります。

 
汽車は出て行く 煙は残る 残る煙が癪のタネ

なんていう都々逸だか何だかありましたが、成田エクスプレス号は煙も残さずに出て行くだけ癪のタネも大きいかも知れません。
 30分も経たないうちに次の成田エクスプレス号がありましたから、彼らが国際線の飛行機に乗り遅れたことはなかったと思いますが、確かに英語しか読めない乗客が駅のホームの標示を見ただけでは、ここはナリタ・エクスプレスの乗り場で、全席リザーブ(予約)が必要で、たぶん車内禁煙、そしてこの場所には12両編成の10号車が止まるんだな、ということしか読めません。6両編成の列車があるなどとは、英語では一言も書いていない。これは国際都市を自負する東京から、海外の乗客の利用も多い特急列車の発着駅としてはちょっと不親切でしょうね。

 しかし私に言わせれば、あの若い白人男性グループは旅人として未熟者でしかありません。日本に何日か滞在すれば、日本の大都市の鉄道は日常茶飯事に遅れたりしないということくらい気付くはず、また彼らの旅行ガイドブックにだってちゃんと書いてあるはず、それをチケットの発車時刻も車両ナンバーも確認せずに、ただボケ〜ッとお喋りしながら座っていたのは、旅人としての用心が足りません。
 実際あの時、ベンチで私のすぐ隣に座っていた年輩の白人紳士は数分前くらいに急にソワソワして周辺を窺うような動作を始めたので、私は何か怪しいなと思っていたところ、しばらくしたら立ち上がってホームの中程の方向へ歩いて行きました。おそらくあの若者たちが乗れなかった成田エクスプレス号で一足先に空港に向かったのでしょう。あの紳士の方が旅先での用心が周到だったとしか言いようがありませんね。

 私は海外旅行に限らず、国内旅行でもこういう失敗は旅人の恥と思っています。旅先の交通機関というものは、必ずしも旅人の故郷の常識通りに動いてくれるものではありません。
 私が旅先で列車や飛行機に乗り損なったのはただ一度きり、それも私のミスではなく、航空券を手配してくれた旅行会社の添乗員が、時刻表がサマータイムに切り替わったのを知らずに、いい加減なタイムスケジュールを私に手渡したからです。ザルツブルグの空港で何も知らずに航空券を出すと、搭乗係員のきれいなお姉さんが、
It has left (もう出発した)”
とただ一言、私は思わず左(left)を向いて唖然とした、旅行会社も信用しちゃいかんと胆に銘じました。

 私は旅先の交通機関に関しては妙に用心深いというか、妙に鼻が利くと言うか、そんなエピソードを一つだけ…、大学時代の友人と日本中を旅行して回っていた頃のことです。

 東北地方のある湖で、バスの終点はその湖の観光センターなのですが、ユースホステルは一つ手前の停留所だった。だから宿泊の翌日は“ユースホステル前”の停留所からバスに乗って次の目的地へ向かえばよいと、宿泊者の誰もが考えていました。朝一番のバスは8時頃に観光センターのターミナルを発車するから、その時刻頃までにユースホステル前に出て待っていれば万事うまくいくはずです。

 ところが私は何だか落ち着かない違和感があって、翌日は早く目が覚めてしまった、それで朝の散歩がてら観光センターのターミナルまで数百メートル歩いてバスの時刻表を確認すると、そのバスは“
急行”と書いてある、もしやと思い、再びユースホステル前まで戻って停留所の時刻表を見ると、案の定、該当するバスの発車時刻が書いていない。

 私は慌てて友人を起こし、朝食も早々にユースホステルを後にして、ターミナルまで歩いて急行バスに乗りました。他の宿泊者たちにも一夜の宿の縁で教えるべきだったかも知れませんが、とにかく時間が迫っていたし、普通はそんな間違いやすい時刻表などはユースホステルの経営者(ペアレントさん)から情報があるはず、もし私の勘が間違っていたら皆を急き立てた挙げ句、無駄足を踏ませることになる、だからターミナルから急行バスに乗ったのは私と友人の2人だけでした。

 バスは発車して数十秒後、アクセルを轟然と噴かしてユースホステル前の停留所を通過して行く、停留所には昨夜の宿泊者たちが20人以上も群がって、通り過ぎて行くバスを恨めしそうに見上げている、胸が痛みました。あの時の情景を思い出すと今でも心が疼きます。
 旅先での用心深さが私より足りなかったと諦めて貰うより他に仕方ありませんが、私自身、あの早朝に感じた妙な違和感が無ければ、友人共々バスに乗り損なっていたわけです。似たようなことは他にも何度かありましたから、私は旅人の嗅覚が常人よりやや鋭いのかも知れません。

註:このエピソードは昭和48年8月15日の田沢湖ユースホステルでのことです。もしあの日の宿泊者がこのサイトを読んでいて下さったら、当日の宿泊スタンプを見せて頂いて、お詫びに一杯おごります(笑)。

         帰らなくっちゃ