メルボルンの電車たち

 人生も半ばをとっくに過ぎて、還暦などという“赤いチャンチャンコ”が目の前にちらつくようになってくると、ふと若かりし頃の旅路の思い出がよみがえることが多くなる。
 この写真は初めて独りで訪れた異国の古都メルボルンの電車たちである。左は確かフリンダース・ストリート駅(Flinders Street St.)というメルボルン市中央にあるターミナル駅付近の電車基地、郊外のベッドタウンを結ぶ通勤電車の車両がたくさん停まっていた。
 右はメルボルン市街を縦横に走る路面電車で、風格のある重厚な車両がポールから電気を取って走っている姿が嬉しかった。何しろ私が初めてメルボルンを訪れた昭和52年頃には、もう東京では路面電車(都電)は荒川線以外すべて撤去されてしまっていたのだ。

 ところで私が最近よく思い出すことが多いのはこの電車である。セント・キルダ(St. Kilda)というメルボルン南東の海岸に面した町へ向かう電車で、この写真ではよく判らないのが残念だが、3両編成の車両の各側面には8〜10個の扉がズラリと並んでいる。各ボックス席ごとに扉が1つずつあるという珍しい構造で、乗客は手動で扉を開けて電車に乗り込み、各扉ごとのボックス席に座る。

 何でこんな電車に乗ったかと言うと、私が初めて訪れる異国をオーストラリアに選んだ理由は、横須賀三笠公園で知り合ったJohn Selfさんを訪ねることの他に、ネビル・シュートの小説『渚にて』の舞台になった土地を見たかったからだと別項に書いたが、アメリカの潜水艦が最後に出航して行った海に近づくには、セント・キルダ行きの電車に乗るのが良いのかな、と単純に考えただけ……(笑)。

 呆れるほど単純な理由で、本当に今になって思い出しても笑える。

 それはそれで良いのだが、メルボルン滞在中のある午後を利用してセント・キルダに行き、ボケーッと独りで1時間ほど海を眺めて、また同じ電車でメルボルン中心街へ帰って来た。その時も普通なら、往きはターミナルのフリンダース・ストリート駅から乗ったから、帰りも電車に揺られていれば、また同じ駅まで戻って来れると誰でも思うじゃないですか。
 でも違った。フリンダース・ストリート駅の一つ手前の駅で、他の乗客たちはそれぞれ自分のボックス席の扉を開けて1人残らず電車から降りてしまったのだ。さすがにちょっと変だなとは思ったけれど、まさか新宿から三鷹あたりまで行って、また帰りの電車に乗ったら新宿の一つ手前の大久保が終点だったなんてことは、普通は考えないじゃないですか、日本では…。

 ところが大久保が終点だったんです!私はてっきりこの電車も間もなくフリンダース駅に向けて発車するとばかり思って、そのまま座席に座っていたら、何の前触れもなく再びセント・キルダ方向へ逆戻りし始めたのだ!発車前に何一つ駅員や車掌のアナウンスなどは無かった。まあ、アナウンスがあっても私の英語ヒアリング力では意味が判らなかっただろうが…(笑)

 日本の駅員さんや車掌さんはよく喋る。最近、あまりに長々と電車内や駅構内のアナウンスを聞いていると、私は逆にあのセント・キルダ行きの電車を思い出して可笑しくなってしまう。
 特に朝の通勤・通学時の乗客の何人があのアナウンスを真剣に聞いているかと思うと、一生懸命喋っている車掌さんが気の毒になる。
「次は〜終点、池袋〜」(
誰も新宿だとは思ってない
「傘などのお忘れ物の無いよう…」「足元に注意して…」「どなた様も押し合いませんよう…」(
ハイハイ、分かりました
できれば終点では右と左のどちらの扉が先に開くかは、もっと早めにアナウンスして欲しいが、この日本の車掌さんや駅員さんの親切の1割でもあの時のメルボルンの駅員さんにあれば、私も次の駅まで戻されてホテルまで歩く羽目にならずに済んだものを…(笑)

          帰らなくっちゃ