神様たちの通り道

 今年(2015年)ももう11月、2ヶ月めくりのカレンダーは最後の1枚を残すだけになりました。神様たちも出雲からお帰りになられたことでしょう。
 旧暦10月(最近では新暦も)の異称は“神無月(かんなづき)”、本来は「神の月=神な月」が「神無月」になったという説が有力なようですが、実際はどうであれ、現在では日本中の神様が10月になると出雲大社の大国主大神の元に集まって会議をするので、そこらへんには神様が誰もいなくなってしまうから“神無月”という俗説の方が有名です。
 第一、島根県の出雲地方では10月のことを“神在月(かみありづき)”ということもあるようですし、そういう俗説の方が信じていて楽しいじゃないですか。

 さて神様たちはどうやって出雲に出かけるのか。まさか寝台特急サンライズ出雲じゃないですね(笑)。全国の神様たちが到着するのは出雲市駅でも出雲縁結び空港でもなく、ここ稲佐の浜からおいでになるそうです。
 私もこの6月に出雲大社を訪れた時、何と傲岸不遜なことに神様たちと同じ道順をたどりました。天気は曇っており海も煙っていたのですが、この弁天島の丸い岩の玄関口から日本中からお土産を持って(なぜか私にはお酒のイメージ)八百万の神々がワイワイガヤガヤと賑やかに上がってくる光景が目に浮かぶような、そんな雰囲気の浜辺ですね。
 この浜辺は宍道湖のページにも書いた国引き神話で、八束水臣津野命(ヤツカミズオミヅヌノミコト)が海外の4ヶ所の土地に綱を付けて引っ張ってきた、その時の綱がこの稲佐の浜になったということです。そう思ってもう一度よく考えると、実にダイナミックな神話ですね。日韓の領土問題や歴史認識問題さえなければ、最新のCG技術を用いて映画にして欲しいくらいです。
 八束水臣津野命は朝鮮半島の土地を含む海の向こうの4ヶ所に大きな鋤を打ち込んでザックリと土地を切り取り、「国よ来い、国よ来い」と言いながらこの太い綱で曳いてきて出雲の国に縫い付けた、その桁違いなスケールの物語にしては土地を切り取る大鋤の名前が“童女の胸鋤”というのも可笑しい。たぶん童女の胸のように平たいペッチャンコな鋤ということでしょう。このネーミングにも古代人の大らかさを感じます。

 この稲佐の浜の近くには歌舞伎の創始者と言われる出雲阿国のお墓もあり、そのお墓参りをしてから、いざ出雲大社へ…。

 さて人間どもはこの参道を通って出雲大社にお参りするわけですが、これがまた全国でも珍しい下り参道、普通は偉い神様のお社へは坂道や階段を登って行く方が多いのですが、なぜか出雲大社は下って行ってお参りするのです。まあ、私は稲佐の浜から行きましたが…(笑)。
 その理由は諸説あるようですが、古い時代の出雲大社本殿が伝承のとおり、48メートルともその倍の96メートルともいわれる雲突くような高さを誇っていたとすれば、人々が下り参道を通って本殿に近づけば近づくほど神様との落差はいやが上にも大きくなる、私はそういう計算もあったと思いますね。

 我々だって東京スカイツリーの根本まで行って見上げた時のあの圧倒される感じ、古代人だったら神々の権威にもっともっと圧倒されたはずです。もし本当にそんな高い建造物が可能だったなら…。
 現在は小高い山をバックに落ち着いた本殿になっていますが、ここのお参りの方法がまた他の神社とは異なっています。普通の神社なら柏手はパンパンと2回打ち鳴らしますが、ここ出雲大社では2礼のあと、
パンパンパンパン
と4拍手、その後また1礼が作法になっています。
 大国主大神が耳が不自由なので4回拍手するという俗説もあるようですが、出雲大社以外にも4拍手の神社はあるそうです。神社にはそれぞれ独特の作法があって、昔は2拍手、4拍手、8拍手などもあったが、国家神道の時代に全国2拍手に強制的に統一されたというのが真相らしい。出雲大社など幾つかの神社だけは別格で許されたそうですが、神様さえも国家権力が言いなりにしてしまう、イヤな時代でしたね。

 それはともかく出雲大社といえば縁結びの本舗、ここのお守りは何となく強力なイメージもあるので、私も何人かの若い女性たちのために受けて参りました。
 なにぶんにも受けてきたお守りの数量に限りがありますので、皆様の良き御縁が結ばれますよう、こちらに写真を掲載しておきます。
 良い人と良い縁を結びたいと思ったら、良い人を欲しいと思ってはいけない、自分が良い人になろうと日頃から心がけることですね。稲佐の浜にいらした神様からお聞きしました(笑)。

         帰らなくっちゃ