アンカレッジ
最近空の安全の記事を書いて以来、ヒマがあるとFlightradar24の無料アプリを眺めることが多くなり、我が家の上空を比較的低高度で羽田方向へ飛んでいく飛行機がどこから帰って来たのかとか、さらに高空を西へ飛び去る飛行機がどこへ行くのかとか、このアプリで調べては密かに旅気分を味わっています。けっこう羽田発着の国際線も多いし、成田を出てアジア方面へ向かう飛行機も通るし、アメリカから韓国へと通過して行く飛行機もある。
ところで先日、大阪を飛び立って“フラフラと”シベリア平原に向かっていく航跡を画面上に見つけ(上段)、あらあら、ロシア・ウクライナ情勢も厳しい中、何でこんな場所に飛んでいくの?まさかハイジャックじゃないよねとドキッとしましたが、これは大阪発パリ行きのカタール航空588便でした。ロシアとの緊張状態にない国の民間航空機はこうしてロシア領空を飛べるのでしょう。
日本からヨーロッパ方面へ飛行機で行く場合、このシベリア上空を飛行する経路が最短距離なのですね。私も1990年代から2000年頃にかけてヨーロッパの国際学会に出張する時などは、ああ、自分は今シベリアの大地の上を飛んでいるんだなと思いながら、『トロイカ』だとか『バイカル湖のほとり』などのロシア民謡を心の中で思い浮かべていたものです。
ところがロシアによるウクライナ軍事侵攻で、我が国もG7諸国と共にロシアに経済制裁を発動するに至って事情は一変しました。各航空会社は航路や目的地によってロシア領空を迂回するいくつかの空路を選択しているようです。どの航空会社がどの空路を飛んでいるかは詳細には知りませんが、JALやANAはヨーロッパから日本へ帰る時はトルコ、カザフスタン、中国などの上空を通過する中央アジアルート、いわゆる“南回りルート”をとり、日本からヨーロッパへ向かう時はベーリング海峡を抜けて北極上空を通過するいわゆる“北回りルート”をとることが多いようです。
つまり往復で反時計回りに北極を一周するわけですね。このルートだと往路も復路も偏西風に乗れるので燃料効率も良いらしい。とここまで考えたら、小学校時代に教わった社会科の知識を思い出しました。当時の1960年代前半は米ソ冷戦真っ盛り、いつ第三次世界大戦が始まって日本にも水爆ミサイルが撃ち込まれるか分からない、とんでもなく緊迫した時代でした。当然日本からヨーロッパへ向かう飛行機がソ連(ロシア)上空の最短距離など飛べるはずもない。
ソ連上空を飛べないのが当たり前だった時代、小学校の先生は日本からヨーロッパへ行くにはアラスカに立ち寄って燃料補給してから行くんだと教えてくれました。その立ち寄り先がアンカレッジ空港、当時の小学生の頭脳には“アンカレッジ(Anchorage)”という地名は鮮やかに刷り込まれたものです。
日本の小学生が使う世界地図は日本中心に描かれていて、ヨーロッパは左側に、アンカレッジのあるアメリカは右側にあります。つまり地図上で先ず右へ飛んでから次に左へ飛ぶ。この不思議な飛び方も実は地球が丸いので北極を通っていけば南回りより近道になるんだよと言って、今度は地球儀にヒモを当てて北回りと南回りの距離を実測させて下さった。本当にアンカレッジを経由した方が近道で、これは新鮮な感動でした。
当時の南回りは今と違って、ソ連圏だったカザフスタンとか文化大革命直前の中国を通過する中央アジアルートは飛べない。たぶんインドやアラビアの方を回って行かなければいけなかったのではなかったか。
ところでアンカレッジを経由する北極ルートは私も一度だけ飛んだことがあります。米ソ冷戦末期の1983年、新婚旅行でマドリッド、ジュネーブ、パリを回った時のこと。往復ともアンカレッジ空港に給油のため着陸しました。もちろんトランジットだからアメリカ合衆国アラスカ州には入国できませんでしたが、私がこれまでの人生で北米大陸の一角に足を降ろしたただ一度の体験でした。カミさんはそれまでも1回か2回ヨーロッパへ行ったことがあったので、アンカレッジ空港のロビーには大きな白クマの剥製があるのよとか何とか言いながら案内してくれましたが、それ以外では飛行機の窓から見えた雪の大地と黒い森が印象的でした。
さて国際情勢の緊迫化で再びアンカレッジ経由の北極ルートが脚光を浴びているかと思いきや、Flightradar24の画面でヨーロッパ行きの旅客機を追いかけてみると、羽田発ヘルシンキ行きのフィンランド航空62便は北太平洋を北上してベーリング海峡を抜けると北極圏からアイスランド上空を経由してヨーロッパへ向かう(中段)、同じく羽田発フランクフルト行きの全日空203便もベーリング海峡を抜けると北極圏からグリーンランドを越えてヨーロッパ大陸へ向かう(下段)。しかしどちらの北極ルートでもアンカレッジ空港は素通りですね。最近は当時と比べて飛行機の航続距離が格段に伸びたので、わざわざアンカレッジで給油しなくても、日本・ヨーロッパ間をひとっ飛びなんだそうです。隔世の感がありますね。ちなみにあの時の飛行機はボーイング747のジャンボジェットだった。
この写真は北極圏上空を飛んでいる時に窓から地平線に見えた太陽です。さて皆さん、この太陽は朝日でしょうか夕日でしょうか(笑)。時は2月で北半球の冬、本来なら北極の地上(海上)では半年間夜が続いているんですね。
ところがジェット旅客機は成層圏の高みにまで昇り詰めて飛んでいるから、地平線の向こうに隠れている太陽が見えたわけです。つまりあの太陽は遙か南の地の昼間ということになる。
私は機内であの太陽は朝日か夕日かなんてバカなことを考えていました。何しろ北極圏を飛行するなんて初めての体験でしたし、新婚旅行で舞い上がっていましたから…。よせばいいのにCAの方(当時はスチュワーデスと呼んでいた)に、あれは朝日ですか夕日ですかなんて訊ねたりして、今考えるとバカ丸出しの赤面モノです(恥)。CA(スチュワーデス)さんもたぶん困ったでしょうね。
これは長いこと暗い冬に閉ざされる極寒の地から垣間見えた春の光です。希望の光と言えるかも知れません。2024年現在、世界はウクライナでもパレスチナでも、あるいは報道されない地でも戦乱が渦巻き、人々は分断されています。まさに冬の闇に閉ざされたままなので、早く希望の光が見えてきて欲しい。Flightradar24の画面で、シベリア上空にまた飛行機の行列が見られますように。ウクライナ上空にも今は見えない機影が戻ってきますように。
余談ですが、この北極圏の太陽を眺める私たちの座席の足元には、パリの空港で買い込んだお土産の高級酒が置かれていました。別の記事でも書きましたが、当時の海外旅行のお土産の定番は高級ウイスキーのジョニ黒とか、この写真みたいな高級ブランデーのナポレオンですね。
1人3本までは関税がかからずに国内に持ち込めるので、カミさんと合わせて6本。いずれも結婚式の仲人の先生とか、スピーチして下さった来賓の方とかに御礼で配ったので、私の口には1滴も入っていません(笑)。こういう“虚礼”がいつの間にか無くなったことだけは喜ばしいことです。