空の高みから:帰路編

 今年(2023年)の9月、カミさんのお供で空路広島を訪れたことは前回の記事でご紹介しました。その時に機体前方の窓際のシートに座れたと書きましたが、10年ほど前にはカミさんのような楽器を演奏する音楽家が飛行機に搭乗する際に何件ものトラブル事案がありました。地方巡業などで楽器を携帯して飛行機に乗る時に機内持ち込みの手順が問題になったのです。

 皆さんご存知のとおり、狭い機内に乗り込む場合、楽器に限らず大きめな手荷物は他のお客様に迷惑がかかることがあるし、ハイジャック防止の観点からも保安上の問題が生じる。当初ほとんどの航空会社は杓子定規に他の一般手荷物と同じ扱いにしようとしましたが、値段があってないような芸術品に近い楽器を取り上げられて乗務員に保管されたために破損してしまった事例なども発生したし、チェロやコントラバスはともかく、バイオリン程度のサイズの楽器でも1席分余計に運賃を徴収するとなれば、プロの音楽団体の地方公演などは経費がかさみ過ぎて事実上実行不可能になってしまう。

 最近では各航空会社の担当者の方も理解して下さることが多くなり、カミさんのようなバイオリニストは事前にお願いしておくと、楽器を優先的に頭上の棚に格納できるように2人掛けの前方座席を割り当てて下さったうえに、一足先に機内に誘導して頂けるようになりました。

 そういうわけで広島行きではお供の私も機体前方窓際に座らせて頂いたわけで、帰りの飛行機も同様、行きと同じく雲の多い気象状況ではありましたが、まさに眼下を過ぎる日本列島の姿を楽しむことができました。やはり帰路の最大のスポットは富士山でしたね。列島に覆い被さった分厚い雲を突き抜けて威風堂々とそびえ立っています。こういう時は新幹線の車窓から富士山は雲に隠されているんだろうなと、列車の乗客にちょっぴり同情…(笑)。

 太平洋沿岸に沿って飛行中、私にとってお馴染みの愛知県や静岡県はかろうじて海岸線は望めるものの、名古屋や浜松の内陸部はほとんど雲の絨毯に隠されていましたが、東京に機首を向ける大島三原山上空あたりから急に雲が少なくなりました。

 青い海に浮かぶ緑の伊豆大島の北端が見下ろせました。ほぼ南北方向に伸びる長細い平坦な施設が大島空港の滑走路で、約40年前に小児科医だった私は東京島嶼部の乳児検診のため、あそこに降り立ったわけです。あの時診察した赤ちゃんたちも今ではもう立派なオジサン・オバサンになってるってことか。

 最近も何回か大島の障害者施設や老人福祉施設の健診に伺いましたが、ある施設はこの空港に近く、滑走路北東の牧場に隣接した店で昼休みに食べたソフトクリームは美味しかった、写真原版を引き伸ばしてよ〜く探すとその店もかすかに見えます。空の高みにいる現在の自分と、地上でソフトクリームを写メしていた過去の自分、その2つが同時に写っているような不思議な感覚の写真です。

 島の北端に防波堤のように突き出しているのが岡田港です。昔から島の主要港だった元町港はこの画面の下方になりますが、元町港が西風を受けて船が入港できない時でも使えるように建設されたのが岡田港、2019年には新しいターミナルも開設されました。右の写真は健診で訪れた時に岡田港の突端で撮影したもので、飛行機から見下ろした写真原版を拡大して検索すると、やはりこの白い灯台が識別できます。

 飛行機が東京湾内に入ってくると、お馴染みの場所が次から次へと目に入ってきます。やっと着陸して地面に足を付けられるという安心感と共に、ああ、この絶景のパノラマも間もなく終わってしまうのかという名残惜しさ、二律背反というか、この身が空を飛んでいることの恐怖と悦楽の矛盾を感じるひとときですね(笑)。

 残念ながら横須賀軍港は雲の下でしたが、大きく広がった雲の切れ目に横浜港が遠望できました。雲の向こう側の陸地に池のように見える海面が横浜港です。海面の左側にはみなとみらいの高層ビル群が、右側には横浜ベイブリッジが判別できると思います。

 横浜は仕事でも学会でも観光でもグルメでも数えきれないほど訪れた街です。足を棒にしてかなり歩き回った思い出もありますが、空の上から見るとまるで箱庭みたいな場所なんですね。たくさんの思い出がギュッと詰まった不思議な感覚を抱いているうちに、飛行機は千葉県内房上空をグルリと周回して無事に羽田空港に着陸しました。


         帰らなくちゃ