世田谷 砧公園
世田谷区に砧公園という大きな公園があります。ちょうど環状8号線から東名高速道路用賀インターチェンジへの入口の交差点に隣接した北側です。昔、浜松に勤務していた頃、所用で車で東京へ戻って来る時など、都内の道路へ下りていく直前の左側の視界に広々した森があることは知っていましたが、そこが東京都の管理する砧公園でした。砧は「きぬた」と読みます、「たぬき」ではありません。
紀元2600年(昭和15年)記念事業の一環として整備されたのが始まりらしく、約39ヘクタールの面積は東京ディズニーランドにも迫るもののようです。東京23区内、それも都内有数の高級住宅地でもある世田谷区の一角に、これだけ広大な自然の緑が残されているのは嬉しいことです。
私は毎週1回、この近くの病院に病理診断のお手伝いをしに通っていますが、砧公園を身近に感じるようになったのは、ここ2年ほどの間のことです。ちょっと散歩がてら歩いてみたらおかしな名前(失礼)のバラが咲いていたりして何だか気分も弾むようだったので、それからはほとんど毎週のように1時間から2時間程度、仕事の終わりに砧公園を訪れて時間を潰すようになりました。
紅梅や白梅が早春を告げる頃から、公園のあちこちでいろいろな花が咲き始め、桜のお花見は本当に見事なものです。桜の樹の下が一面ピンク色のカーペットで敷き詰められる頃からは、広い園内のあちこちの花壇にチューリップやバラやパンジーなどが咲き始め、春の花々が一段落するとやがて紫陽花とともに鬱陶しい長雨の季節、そして梅雨が明けると照りつける真夏の太陽の下、蝉の鳴き声を聞きながら木洩れ日を浴びて、クーラー室外機から排出される熱風とは無縁の夏の風に汗が乾いていく快感、ただし蚊には注意しなければいけません。そう言えば昨年(2014年)は都内のあちこちの公園でデング熱感染が報告され、大規模な蚊の駆除が行われましたが、ここ砧公園は幸いなことに無事に済みました。
昆虫が媒介する感染症予防のために該当する虫を駆除することは大切ですが、例えば蚊を撲滅するために殺虫剤を広域に撒布すると、蚊だけでなく他の“罪のない”昆虫も大量に死滅して、大袈裟に言えば地域の生態系が壊れてしまうのですね。そう言えば先日乗ったタクシーの運転士さんから聞かれました、昔は桜の下に行くとよく毛虫が落ちてきたものでしたが、最近はそういうことありませんね、だからモンシロチョウもあまり見かけなくなったんですかね、と…。
夏の暑さも終わると、秋にもう一度バラの花が咲きますが、やはり春のバラに比べると元気がない。そして木々の葉が色づいてやがて散っていきますが、こんな季節にほとんど人影もない公園内で独り月を眺めていると、昔の人が「もののあはれ」とか「物思ふ秋」としみじみ嘆じた理由もわかります。
日本では月は人の心に最も訴える天体ですが、砂漠などと違って大気が乾燥していない我が国では星よりも月の方が人々の心にいろいろな情緒を感じさせる、だから和歌でも俳句でも月を詠んだものが多いという説を読んだことがありますが本当ですかね。その割には日本人の姓では“星川さん”とか“星野さん”など星の付く人に比べて、“月田さん”など月の人は少ないですね。でもヒーローは“月光仮面”とか“セーラームーン”とか…(笑)
逆に砂漠を持つ国も多いイスラム教では月は重要なシンボルです。キリスト教に影響を受けた我が国では当たり前のように赤十字の病院がありますが、イスラム圏ではキリストが磔になった十字架ではない、「赤新月」です。
私も砧公園の広大な敷地で、人の手でよく整備・管理された自然ではありますが、四季の移ろいを2回りほど見てきたことになります。そして四季折々の花鳥風月いろいろあっても、やはり季節は全身全霊で感じるものかなという気がしました。梅雨の雨で湿った芝と、秋の長雨に濡れた芝は踏んだ時の感触がまったく違う、育ちつつある植物と、枯れつつある植物の違いもあるが、それだけではありません。大気の匂いとか肌触り、日照時間が伸びる時期か減る時期かによる心の弾み具合、そういうすべての因子が総合してそれぞれの季節を作り上げていますし、それを感じ取る人間自身も年々成長し、年老いていきます。
季節は人の生涯にも似ている。未来を夢見る春、すべてが光り輝く夏、実りの秋、そして次の世代を見守る冬…。私はこの世田谷の地で一つの季節を見届けたような気がします。次の年が来て、同じ時期に同じ場所に立っても、季節の感じ方は去年と今年ではまったく違う、そして来年はまた違うでしょう。
誰もいない大雪の公園を歩いて、何か清々しさを感じました。それまで経てきた春、夏、秋の色彩がすべて白一色に塗りつぶされていますが、不思議に寂しさはない。いったん白一色にリセットされた地に、再び去年とはまた少しだけ違った春、夏、秋がやってくる、そんな予感があるからでしょうね。