広島県呉市は、横須賀、佐世保、舞鶴と並んで、昔から海軍の鎮守府が置かれた軍港の町として有名で、現在でも海上自衛隊の花形である護衛艦隊は、この4つの軍港を基地として、第1(横須賀)、第2(佐世保)、第3(舞鶴)、第4(呉)の各護衛隊群が展開しています。ちなみに各護衛隊群は大型護衛艦8隻とヘリコプター8機よりなり、新八八艦隊と呼ばれているのは、navy fanには周知のとおり。
 もともと八八艦隊というのは戦前の対米海軍戦略に必要とされた戦艦8隻、巡洋戦艦8隻よりなる膨大な艦隊建造計画のことで、ワシントン海軍軍縮条約の発効で頓挫しなければ、戦前の日本の財政は戦わずして破綻したであろうと言われているシロモノです。
 しかしその名前のゴロの良さから、海上自衛隊にはこの八八艦隊が4つも誕生しましたが、これは戦後の新生日本の工業力を背景にして、おそらく世界でもアメリカやNATO海軍に比肩しうる戦闘能力(テクノロジーと乗員の連度)を持った有力な海上兵力と思われます。

 呉は新八八艦隊の一つが基地とする軍港で、戦前から呉鎮守府(呉鎮)が置かれ、また最大の海軍工廠があって戦艦大和をはじめとする連合艦隊の多くの艦艇が誕生した故郷でもあり、navy fanにとっては憧れの地名でもありました。
 しかし、ようやく最近(2005年4月)になって大和ミュージアムが完成するまでは、呉というのは造船所以外に何もこれと言って観光スポットがあるわけでもなく、一般の人は「呉」ってどこにあるの?という程度の認識でした。私事で恐縮ですが、私は新婚の年にたまたま広島市で学会があってカミさんもついて来た折りに、せっかくだからと初めて呉に行ってみたわけです。ところが見るべき所が何も無く、当てもなく乗ったバスの窓から造船所を眺めて、ああ、この辺の海面で戦艦大和が生まれたんだな、と思っただけで帰って来ました。きっとカミさんは変な男と一緒になったと後悔したに違いありません。

 呉市は広島市から瀬戸内海沿いに江田島を眺めながら呉線の快速電車で約30分、フェリーで45分(ジェットフォイルだと23分)、南東方向に行ったところにある港町で、陸側はすべて山々に囲まれています。こういう地形(横須賀とも似ている)が防諜上有利だったこともあって、昔から“海軍”の町でした。今でも休日などは海上自衛隊員のセーラー服(女子高校生ではない!)を街中でよく見かけるようです。平成の“海軍さん”は携帯メールを打ちながらトロトロ歩いていたり、ティッシュ配りの若い女性に声を掛けたりして、かつての帝国海軍時代なら決してあり得ないような自由な雰囲気で、却って心強かったです。


呉の造船所に隣接する海上自衛隊の埠頭


 やはりこういう“軍艦”を見ると、いまだに私は血が騒ぎますね。中央正面の艦は「あさぎり」型の護衛艦で、護衛艦隊の花形でしたが、艦首に4桁の番号が付けられているのを見ると、「たかなみ」型新鋭艦の就役に伴って練習艦に艦種変更された「あさぎり」のようです(護衛艦の艦番号は3桁)。昭和63年に就役した艦ですから、16年間を無事に勤め上げたことになるわけです。戦艦大和(3年4ヶ月)、戦艦武蔵(2年2ヶ月)など薄命だった旧海軍の軍艦に比べてずいぶん長生きをしていますが、自衛隊の“軍艦”にはどれも長生きして、天寿を全うして欲しいものですね。

 ところで、呉(くれ)というと、三国志の魏・呉・蜀のうちの呉(ご)の人々が日本にやって来て住みついたような地名ですが、実は船造りに必要な榑(くれ)という材を切り出した場所だから、とか、九つの嶺(九嶺)に囲まれているから、といういずれかの説が正しいようです。

              帰らなくっちゃ