椎名町

 西武池袋線の椎名町駅近くの踏切です。私は実家も現住所も西武池袋線沿線ですから、この駅は毎日のように通って通勤していますが、実は『椎名町』という町名は現在もう残っていません。1966年の町名変更で『椎名町』という町名は消滅し、代わりに『南長崎』と『目白(一部)』になりました。私が中学生の頃までは実家の住居表示も『椎名町』だったわけです。

 戦後間もない1948年に起こった『帝銀事件』の忌まわしい記憶を残さないように町名を変更したと考えている人もいるようです。帝銀事件は帝国銀行(後の三井銀行→三井住友銀行)椎名町支店で、犯人が行員に青酸化合物を飲ませて毒殺した事件ですが、この支店も今は存在しません。その残忍な犯行手口はもちろん、警察の杜撰な捜査と自白強要によって1人の男性を終生獄に繋いでしまった冤罪事件としても人々の記憶に残る事件でした。
 ン、残忍な犯行?杜撰な捜査…?そんなこと言い出したら現在も変えなくちゃいけない地名・町名がゴロゴロ出てくるんじゃないか、終戦直後の時代に比べて物資は豊かになったものの、21世紀になった現在でも凶悪な犯罪は増えていると思います、とにかく恐ろしい時代になったものです。

 ところで椎名町に関する楽しい話題、昨年(2013年)春から、この椎名町駅の電車発車ベルのメロディーが変わりました。初めて耳にした瞬間、すぐに何十年も昔の歌詞が懐かしく甦りましたね。
ドカバカボカボン ドカバカボカボン ドカバカボカボン ドカバカボカボン』(下り線ホーム)
愉快 痛快 奇々怪々の 怪物くん』(上り線ホーム)
 知ってる人は知っている、昭和40年代にテレビで放映していたアニメ『怪物くん』の主題歌です。私が知っているモノクロ版のアニメの他にも、カラー版や実写版が制作された人気漫画で、原作は藤子不二雄さんです。これも知っている人は知っていますが、本当は藤本弘さんと安孫子素雄さんという2人の漫画家コンビで藤子不二雄をペンネームにしていました。
 さらに知っている人は知っている、まだ若かりし藤子不二雄さんが昭和20年代から30年代にかけて漫画を書いていたトキワ荘という木造アパートの最寄り駅がこの椎名町でした。最初に手塚治虫さんがトキワ荘に入居し、その後続々と藤子不二雄さんをはじめ、寺田ヒロオさん、赤塚不二夫さん、石森章太郎さん、園山俊二さんなどといった当時のそうそうたる若手漫画家たちがここで戦後日本の新しい漫画の世界を作り上げていたわけです。私の実家から歩いて数分の距離でしたから、もしかしたら幼年時代の私も、あの偉大な漫画家の人たちとどこかの路上ですれ違っていたかも知れません。

 戦後日本漫画の梁山泊と言われたトキワ荘も今はもうありません。老朽化により1982年に解体されたと聞きました。商店街の幟の旗や、トキワ荘の跡を示す看板がわずかに往時を偲ばせるだけです。しかし本当にあの漫画家たちの作品はよく読みました。漫画週刊誌も相次いで創刊された頃、早く連載漫画の続きが知りたくて、発売日になると遠回りしても本屋さんへ駆けていったものです。今のようにコンビニで雑誌を売ってるなんて時代ではありませんでした。毎月4〜5回発売になる漫画週刊誌を買うお小遣いだけは、きちんと月末まで使わずに取っておいた、懐かしいですね。今では藤本弘さん(藤子F不二雄)、手塚治虫さん、赤塚不二夫さん石森章太郎さんなど多くの方が亡くなってしまいましたが、私もあの世へ行ったらまた作品を読ませて貰いたいものです。あの頃の漫画については別項にも書きました。

 虫プロがあったJR山手線の高田馬場駅で『鉄腕アトム』のメロディー、それと並ぶ椎名町駅の『怪物くん』のメロディー、当時の漫画少年たちがこれらの駅を通ればきっとみんな胸がちょっと熱くなるんじゃないでしょうか。『怪物くん』の主題歌の歌詞を書いておきますね。

 
おれは怪物くんだ 怪物ランドの王子だぞ
 おれの指先1本で 1本で
 大怪獣もでんぐりかえるぞ(オーレ−)
 イチ 二 のサンシーで たたんでノシイカ
 ドカバカボカボン ドカバカボカボン
 ドカバカボカボン ドカバカボカボン
 ドラキュラ(ハイザマス〜)
 おおかみ男(ウォーでがんす)
 
フランケン(ウンガーウンガ−)
 行くぞ3匹ついて来い
 アー愉快 痛快 奇々怪々の 怪物くん


ついでですが、そう言えば私の中学・高校時代のニックネームは“怪物くん”でした。

         毎日通ってます