道頓堀クルーズ
道頓堀と言えば大阪屈指の歓楽街、法善寺横丁を近くに控えて日夜大勢の人々が集まる大阪最大の観光地の一つですね。大阪の人たちは大阪駅のある梅田あたりを「キタ」と言うのに対して、ここ道頓堀あたりを「ミナミ」と呼ぶようですが、東京人の私には大阪の「南北」はいまだにあまりピンときません。
道頓堀の地名の由来は中心を流れる道頓堀川ですが、道頓堀は江戸時代初めの1612年(慶長17年)に、掘削が止まっていた東横堀川南端と西横堀川を開通させるべく、安井道頓が私財を投じて掘削を始めた運河だそうです。道頓は1615年(元和元年)の大坂夏の陣で豊臣方の恩顧に応えて大阪城で戦死しますが、その事業は従弟の道卜らによって受け継がれ、同年秋に完成しました。その安井道頓の名前を取って道頓堀と呼ばれるようになりましたが、よく江戸幕府が大阪方に味方した道頓の名前で呼ぶことを許したものですね。道頓はもともと武将ではない商人だったせいもあるでしょうが、豊臣を滅ぼした徳川方には、やはり大阪の民衆の反感を買いたくない事情もあったと思われます。
さて私は大阪に用事があって出張するたびに、道頓堀は必ず訪れて法善寺横丁で飲み食いをし、毎回食い倒れの大阪を堪能していますが、しばらく前から道頓堀を往来する黄色い遊覧船が気になっていました。たぶん道頓堀を川面から眺める観光船だろう、いつか1度は乗ってみたいものだと思っていましたが、一昨年(2017年)の学会の折に、ついに念願かなって約20分間の“船旅”を楽しむことができました。
ここ道頓堀はプロ野球の阪神タイガースが優勝すると、昔はよく阪神ファンが常軌を逸したバカ騒ぎを繰り広げたものです。ケンタッキーおじさんのカーネルサンダース人形を川に投げ込むだけでは飽きたらず、ファン自らが徒党を組んで水面にダイビングすることもあったらしい。警察のお世話になったんでしょうが、医者や坊さんのお世話にならずに済んだことを感謝するべきでしょうね。
(この記事更新直後、元号が平成から令和に変わる日に、やはり警察の厳重な警備をかいくぐって戎橋から道頓堀に飛び込んだ馬鹿or阿呆がいたそうです。しかも1人はこの遊覧船上に落下し、あわや船客を死傷させる恐れもあったそうで、せっかくの改元にシャレにもなりません。厳しく処罰して欲しいものです。)
そういう呆れた愛すべき阪神ファンたちの視点から道頓堀の街を眺めたのはとても素敵な体験でした。お馴染みグリコの看板もちょっと新鮮な感じ、大阪人以外の大部分の人間にとって道頓堀で一番有名な橋である戎橋(えびすばし)も船で下を通ると意外に低いんですね。これなら飛び込んでも大丈夫か(笑)。でも絶対に飛び込んじゃダメですよ。もっと低い橋もあって、船内には『頭をぶつけるな。橋に触るな』という注意書きが英韓中各国語で書いてありました。
そう、この遊覧船はけっこう外国人観光客も大勢乗っていらして、とても楽しそうに見物していましたね。何隻か運行している遊覧船にはそれぞれ、アルバイトか登録ボランティアか知りませんが、元気の良い大阪人のおじちゃんかおばちゃんが案内人として乗っていらして、とても気さくに親切に大阪弁で説明してくれる。外国人も多いので英語も混じるが、私が乗った船のおばちゃんのはとても英語とは思えませんでした。たぶんアメリカ人が乗っていても、あれが英語だとは思わなかったんじゃないかな。
とにかく私のような生真面目な東京人にはあんな痛快な物怖じしない英語は話せません。船のお客さんには大阪弁で立て板に水のような勢いで喋りまくる、ただし1ヶ所だけ周囲に病院や会社の多い一角ではマイクを切って説明も中断するのですが、この暫しの沈黙が新鮮に感じるほど、そこ以外の場所での賑やかな大阪弁はごく自然に耳に溶け込んでくるのですね。外国人が多ければ、日本人にしか通じない“英語によく似た異国の言葉(笑)”も使う。たぶんその言葉を理解できなかったであろう外国人観光客の皆さんも、おばちゃんの元気の良い“解説”を心から楽しんでいるように見えました。大阪人の並外れたコミュニケーション能力を垣間見た思いでした。
しかしあのおばちゃんの英語の解説、どう思い出そうとしてもここに再現できないのが残念です。まあ、もし東京で言えば、「あそこが新宿、新しい宿とかいてシンジュク、ニューホテル、ニューホテルね…」とこんな感じかなあ(笑)。それで思い出したのが先日ネットのニュースで流れた大阪メトロの外国語サイトの誤訳、地下鉄の堺筋線が自動翻訳機で「Sakai Muscle line」と誤訳されたままネットに掲載されてしまったという珍事件です。他にも天神橋筋6丁目を「Tenjin bridge muscle 6-chome」、3両目付近を「near Eyes 3」とか訳してあったそうですが、これはいくら大阪人のコミュニケーションとしても失笑ものですねえ。
アメリカマイクロソフト社の自動翻訳ソフトで翻訳した原稿を、誰もチェックしないままネットに流してしまったといいますが、そんなに機械を信用してはいけません。ネイティブの英語を話せる人がいなくても、少なくとも英作文が苦手でない人が一度はチェックしなければいけなかった。遊覧船の上で案内人の口から川面に消えていくだけの言葉とは違って、世界中で何万人もの人に読まれてしまう文章ですから、言葉の怖さをもっと思い知っておくべきでした。もし外国の日本人向け観光サイトに「新ヨーク」とか「ミナミダコタ」とか「ケン橋」とか「牛フォード」とか書いてあったら、「こいつらバカだな」と思っちゃいますものね。