日本経済の故郷
今回は和銅黒谷…。エッ、それってどこにあるの?とすぐにはピンと来ない人でも、その駅名の一部は何となく学校時代の日本史の知識を呼び覚ましてくれたんじゃないでしょうか。最初は私もそうでした。
私は定年退職後は首都圏近県のあちこちで健康診断のお手伝いをさせて頂いてますが、年に数回くらい埼玉県の熊谷にもお邪魔してるんですね。そう、日本で一番暑い街として有名になった所、夏の気温も暑いがラグビーも熱い街です。熊谷の仕事に出かける朝は池袋から湘南新宿ラインと高崎線で熊谷まで行きますが、午前中で仕事が終わった日は秩父鉄道で秩父まで来て、そこから西武秩父線と西武池袋線で都心に帰ってきます。
秩父鉄道は羽生から熊谷、寄居、長瀞、皆野、秩父を経て三峰口を結ぶ私鉄で、今も昔も武甲山で産出する石灰石を熊谷方面に運ぶ重要な輸送ルートですが、仕事を終えて熊谷から西武線乗り換えの御花畑という駅まで電車に乗ると所要時間1時間15分程度のちょっとした小旅行気分になれます。時間に余裕があると、渋沢栄一が「天下の勝地」と讃えた長瀞で途中下車したり、さらに次の上長瀞で降りて急流に高々と架かる荒川鉄橋を眺めたりしましたが、秩父の2つ手前、御花畑だと3つ手前に“和銅黒谷”という駅があるのは気になっていました。
ン?“和銅…”?、そう言えば日本史で“和同開珎”って習ったっけ、確か武蔵国秩父郡で銅が発見されて都に献上され、喜んだ元明天皇が元号を「和銅」に改めたとか…。「貨幣になれや日本の銅」というわけで、西暦708年のことです。奈良遷都(なんと美し平城京)の2年前、飛鳥時代末期のことでした。
日本史上そんな大変なエポックメイキングの土地を、仕事帰りの小旅行などと鼻歌交じりに通り過ぎていいわけがない(笑)。それである時この和銅黒谷で途中下車して、1300年前の銅の露天掘り跡を訪ねてみたのです。
銅の露天掘り遺跡にはモニュメントも建っているということで、私は駐車場に観光バスや自家用車が何台も停まっていて、土産物や名産品(銅?)の店や食堂が軒を並べている普通の観光地を想像していたのですが、駅前の国道からすぐに山道に入り、やや急峻な斜面を20分ほども登った先にあった遺跡は…。おそらく飛鳥時代もこんなに鬱蒼と木々が茂っていただろうと思えるような山奥で、きれいな水の流れる小さな沢の近く、ちょっと開けて整地された場所にモニュメントが建っていました(写真左)。
・・・・・・・!
私は山道で思わず独り笑ってしまいましたね。このあまりにも直接的な、何の説明も要らないモニュメントの形、台座には『日本通貨発祥の地』と記されていますが、誰が見たって学校時代に歴史の教科書で見た日本最初の貨幣“和同開珎”にしか見えないよ〜(笑)。博物館でも遊園地でも駅前広場でもないハイキングコースの山中に、こんな直径4〜5メートルもある巨大な貨幣の碑が建っている。その衝撃の光景こそ日本最初の貨幣が日本経済史に与えたインパクトそのものと言ってもよいでしょう。
ところで皆さんは“和同開珎”、学校では「わどうかいほう」と習いましたか、それとも「わどうかいちん」と習いましたか?私が中学高校時代に日本史を勉強する時に使った昭和43年に旺文社発行の『日本史事典』には「わどうかいほう(ちん)」とふりがなが振られていて、たぶんその頃から「かいちん」と呼ぶこともあると変わってきたのだと思います。私の小学校時代は「かいほう」の読み方一本だけでした。この論争は江戸時代以前から行われているとのことで、和同開珎の『珎』の字は、『寶(宝)』の異体字と考えるか、『珍』の異体字と考えるかの違いのようです。
この巨大な貨幣のモニュメントを見ていて、幼かった頃にテレビで放映されていたアメリカのアニメを思い出しました。『原始家族』とかいうタイトルだったと思いますが、毛皮をまとった原始人の男性がちょうどこれくらいの大きさの石の貨幣を転がして買い物に行く場面が面白かった。確かこれと同じシリーズで『宇宙家族』というアニメもあって、そちらでは掃除も食事の支度も何でもボタン一つで機械がやってくれる未来世界の話でした。
ところでモニュメントのすぐ近くを流れる沢に1300年前の銅の露天掘り跡があるのですが、これも本当の昔のまま残っているだけ(写真右)、どれだか分かりますか?と言うより1300年前にタイムスリップしてこの場所に迷い込んだら、水辺に純銅が露出しているのを見つけられますか?
右の写真で白い円で囲った中、小さな小さな札が立っているのですが、そこに『露天掘り跡』と書いてあるだけです。1300年以上も昔に、こんな場所に純銅が露出しているのを目ざとく見つけることができた地質の目利きがいたんですね。しかも都から遠く離れた辺鄙な武蔵国の山奥に…。奈良時代になっても関東地方の一部には縄文時代さながらの竪穴式住居に暮らす人々がいたらしいと別の記事に書いたこともありますが、その時代以前にも純銅の地層を見つけ出す知識と技能を持つ人が武蔵国の辺鄙な山奥を歩いていたということは驚きです。大陸や朝鮮半島から技術を持って渡ってきた渡来人かも知れません。我々現代人は文明の利器を駆使することで昔の人より頭が良いと錯覚しがちですが、昔の人の能力をバカにしてはいけないと別のコーナーに書いたこともありました。
さて露天掘り遺跡から駅の方に戻ってきて国道に出る少し前に聖神社(ひじりじんじゃ)があります。天照大神など4柱の神々と共に元明天皇を祀った神社で、和同開珎鋳造と深い関わりがあったということです。
本殿にはご覧のように和同開珎を模した額が置かれ、この日本最初の貨幣は御祭神でも御神体でもないのですが、平日の昼間から金運を願う善男善女がひっきりなしに参拝していました。
本殿右手に奉納されている絵馬には、一般的な商売繁盛を願う以外にも、「宝くじ当選」「競馬的中」「ロトくじ20億円当選」「米国株上昇」などのお願いが…!ちなみに絵馬も和同開珎の形です。
中には外国人も日本の神々に金運をお願いしたくなったのか、英語で願い事を書いてある絵馬もあったのですが、その書き出しが「Dear
God」と単数形だったのが可笑しかった。この神社だけで元明天皇も含め5人も御祭神がいらっしゃるのだから「Dear
Gods」、いや、天照大神は女神だから「Dear Goddess and Gods」とするべきか。キリスト教徒には不可解な日本の神社…(笑)。
ところで皆さんは“和同開珎クイズ”ってご存知ですか。私もこの記事を書いていて初めて知りました。和同開珎は四角い穴の周囲に4つの漢字が記されている。それを真似て四角い空欄の周囲に4つの漢字を配置して、縦横に4つの熟語を作らせる問題です。私が今ちょっと考えたこの問題が和同開珎クイズと呼ばれるものです。
答えは下の方
答えは「学」でした。(熟語は数学、学者、学費、雑学)