羽田発、東京上空
最近、職場の帰り道などで空を見上げていると、ジェット旅客機が飛んでいるのを見る機会が多くなりました。2010年10月21日に羽田空港国際線ターミナルが開業した頃から、東京から西へ向かう便の航空路が変更されたようです。
以前は世田谷の方へ行った時に、西へ向かうジェット旅客機が何機も飛んでいて、たまたまカミさんが九州や四国で公演する日だったりすると、あの飛行機かな、なんて思ったものでしたが、今ではその空路が練馬や豊島や板橋など、私の“棲息区域”上空に移動してきました。
この写真は東京の板橋区にある私の職場の窓から昼休みに空を見上げて撮影したものです。白銀の機体が真っ青な夏空に溶け込むようで、とても綺麗でした。
飛んでいる飛行機は何であんなに綺麗なのか、ちょっと不思議ですね。戦時中には空襲に飛来したアメリカ軍のB29爆撃機が綺麗だったという記載さえあるくらいです。本来ならば鳥か雲にしか許されていない聖域に、人間の手の加わった物体が飛んでいる、そのことが見上げる人間の精神を高揚させるんでしょうか。
細かいルートは分かりませんが、地上から見ている限り、羽田空港を北向きに離陸した飛行機は板橋から池袋を巻くようにして緩やかに左へ旋回、ここらへんで大体3方向へ散って行き、その一部が練馬の上空を横切っていくようです。
夏休み中は陽も長いし、学生さんの講義も少なく早めに帰宅することが多かったので、板橋から池袋まで歩く途中、ジェット旅客機が何機も何機も西を指して飛んで行くのが見えました。西に傾いた太陽の光をキラッと反射させ、夕焼け空の彼方へ飛んで行く飛行機は本当にとても綺麗でしたが、空を見上げながら歩くうちに、1985年8月の御巣鷹山日航機墜落で亡くなった坂本九さんの歌など思い出しました。不自然な事が多く、真相解明などとはとても言えない惨事でしたね。
私は飛び立って行く飛行機を見るよりは、本当は降りて来る飛行機を見る方が好きです。空港などの展望デッキにいても、着陸してくる飛行機を見ると何かホッとしますが、カミさんや学生さんなどに聞くと、飛行機が離陸して行くのを見るとワクワクするなどと言います。普通はその方が夢や希望があるのでしょうが、どうも私の前世は戦争中の航空隊と深く関わっていたのではないかと思えるほど、降りて来る飛行機を出迎えることに喜びを感じてしまいます。
東京上空で翼を翻して西へ飛んで行く飛行機の数は思ったより多い。本当に事故だけは起こして欲しくないですね。人口の密集した市街地上空での管制ミスによる事故は、地上にも大惨事をもたらします。
「起こり得ない事故はない!」
ということを、我々は2011年3月11日に身に沁みて思い知らされました。
私は7年も前にこのサイトの別のコーナーの記事の中で、医療や交通機関や原子力など高度な技術を必要とする職場におけるベテラン・中堅・新人の人員構成のバランスが狂って、いずれ大事故を招きかねないと予言しましたが、不幸にしてその最大級の事故が的中しました。
航空機の運航と管制の現場は大丈夫でしょうか。蒼穹に溶け込んでいく飛行機の姿はとても美しいものですが、本来そこは雲と鳥にしか許されない領域であることを、関係者の方々は常に心に銘じておいて頂きたいと思います。