私の撮り鉄行状記

 鉄道マニアには『乗り鉄』と『撮り鉄』の2種類あることは最近よく知られていますね。実際に乗って車内の様子とか車窓の景色を楽しむのが『乗り鉄』、駅構内や沿線のポイントに陣取って鉄道車両を撮影するのが『撮り鉄』ですが、近頃は『撮り鉄』たちの迷惑な撮影マナーばかりがニュースなどで取り上げられ、私なども各地で電車にカメラを向けていると何だか肩身の狭い思いを感じてしまうことがあります。

 ニュースに登場する『撮り鉄』たちは、自分で撮影した鉄道写真を蒐集するために、運行が終了する車両とか、珍しい編成の列車とかを狙って、良い角度や映える背景の撮影ポイントに何十人も殺到するから、駅のプラットホーム上に人が溢れたり、一部は線路内にまで立ち入って危険な状況を生じたりして、列車の運行を止めてしまう事態になることさえある。もはやマナー違反というより犯罪に近い『撮り鉄』もいるやに聞いています。

 彼らはそうやって他人を押しのけ、身の危険を冒してまでも撮影した写真を報道機関やマニア雑誌編集部に売って利益を上げようというわけでもなく、ただ自分のパソコンやアルバムに保存して独りで楽しむだけの人がほとんどでしょうから、私だったら、その場に居合わせた多数の同好の士たちと同じ写真などはプロのカメラマンに任せて、自分が仕事や旅行で訪れた地の何気ない情景の中を走る鉄道車両の姿を残す方が好きですね。後から見直して、ああ、あの時はこんなことを感じたな、この時はあの人とこんな話をしたなと、客観的には大した価値の無い写真でも自分だけの思い出に浸ることができます。

 ちなみに私は『撮り鉄』か『乗り鉄』かといったら両方ですね。むしろ完全にどっちか片方だけという人の方が珍しいんじゃないでしょうか。鉄道の写真を撮ろうと思ったら撮影地まで“乗り鉄”しなければいけないし、普段あまり利用しない鉄道に乗ったら乗車記念にその車両を“撮り鉄”したくなる。そんなものですね。

 私も定年退職後は健診事業で首都圏各地を西へ東へ南へ北へ、そんなわけでこの1年間(2022年)に小型デジカメで“撮り鉄”しまくった中から4枚ほど御紹介します。なお私は鉄道マニアというよりは艦船マニアの方が重症(笑)ですから、下の写真の説明に書いた車両形式の型番などはもしかしたら間違っているかも知れません。ご容赦を…(笑)。

京成押上線 四つ木−八広間 荒川河川敷を渡る3700系か JR御殿場線 相模金子駅に接近する313系
西武新宿線 武蔵関−東伏見 武蔵関公園近くを走る新2000系 京王井の頭線 駒場東大前駅構内 1000系

 左上の荒川河川敷を渡る京成押上線、この1年間に撮りまくった鉄道写真の中では一番好きですね。葛飾区四つ木方面で仕事がある時は、私は早起きして京成本線の堀切菖蒲園駅で降りて荒川沿いに2キロちょっと歩くんです。朝陽の中を河川敷ランニングする人が私を追い抜いて行った次の瞬間、まだそんなに混んでいない通勤電車がゴーッと音を立てて鉄橋を渡って来た、まさに早起きは三文の得と感じたひとときですね。まあ、少しでも余計に寝てたい人には関係ない話だと思いますが…(笑)。

 
右上のJR御殿場線は神奈川県足柄上郡大井町で仕事があった時のもの。“大井町”の仕事に行ってくれませんかと頼まれて、品川区の大井町だと思って引き受けたところ、神奈川県の大井町だった、確かに“大井町”に違いないわ(苦笑)。行きは小田急線で新宿から約1時間15分、新松田で待ち合わせでしたが、帰りはこれまでまだ乗ったことのない御殿場線の相模金子(仕事の最寄り駅)〜国府津間をこの機会に“乗り鉄”してみようと思ったわけですね。
 御殿場線が
JR東海の管轄であったことを初めて認識しましたが、国府津でJR東日本の東海道線に乗り換える際にSuicaカードが連続して利用できないことに驚きました。SuicaカードはJRと相互乗り入れしている私鉄各線とも連続して清算できるのに、何でJR東海JR東日本の間でいちいち別々に清算しなきゃいけないの?

 
左下は西武新宿線の武蔵関方面で仕事があった帰り、近くの武蔵関公園で撮影したものです。場所は練馬区だったんですが、私の住んでいる西武池袋線の練馬も当然練馬区、しかし西武新宿線が走る練馬区とはちょっと距離があります。路線バスを使わずに西武池袋線の練馬から西武新宿線各駅へ行こうとすると、一度練馬区を出て、都営大江戸線で新宿区の中井という駅を経由するか、埼玉県の所沢駅を経由しなければいけない。練馬区って意外に広いんですね。これが東武東上線の東武練馬駅となると、また全く別方面になります。
 それはともかく、武蔵関公園のすぐ隣を走るレモンイエローの電車、昭和40年代に登場した頃はとても斬新な塗装でした。それまでの西武線は赤とベージュのツートンカラーでしたし、他の関東私鉄には黄色い電車はほとんど無かったし、国鉄の総武線や一時期の山手線の黄色い電車はもう少し柔らかい黄色だったと記憶してます。ややどぎつい西武線の黄色をカラシ色と表現した人もいました。そんなカラシ色の黄色い車両も順次ブルーとシルバーを基調とした車両に置き換わっていくそうで、黄色い電車が西武線から見られなくなる日も近いようです。最後の黄色い電車がお別れ運転する時には、また大勢の『撮り鉄』が押しかけるでしょうから、今のうちに…(笑)。

 
右下は京王井の頭線の駒場東大前です。最近こちらで何回か仕事をする機会があって乗降しましたが、ここは大学教養学部時代の昭和46年から47年にかけて毎日通った駅でした。あの頃は3000系と呼ばれた車両が主力でしたが、現在の1000系と同じく、電車の顔に当たる前面と後面の一部がブルーやピンクやグリーンやイエローなどに塗装されていたんですね。今日は何色の電車が来るかなとホームで待つ楽しみはあの時も今も変わりません。
 私の通学は渋谷から駒場東大前までの短い区間でした。その間に一つだけ神泉という駅があって、ここは一部トンネル内のため当時は駒場東大前寄りの車両2両はドアが開かなかった。しかし平成7年にホーム延長工事が行われたそうで、今では全車両ドアが開きます。時代の流れはこんなところにもあるんですね。

 そんなわけでこの1年間に“撮り鉄”した4つの路線を簡単に御紹介しましたが、私も最近は首都圏のJRや私鉄をほぼ満遍なく利用して津々浦々の駅に仕事に出向いています。まあ、時々は不満や愚痴もあるけれど、日々正確安全に多数の列車の運行を支えて下さっている現場の鉄道員の方々にはただただ感謝の一言です。


         帰らなくちゃ