横須賀で空襲に遭う

 毎年毎年猛暑の記録が更新される異常気象の中、今年(2020年)もようやく暑さが収まり、連日のように空を覆っていた雨雲も切れて久々の晴天に恵まれた9月末のある日、私は翌日早くから三浦半島で仕事があったので横須賀に前泊することにしました。例年なら横浜で仕事があれば横浜中華街から横浜港、横須賀で仕事があれば横須賀軍港に寄って潮風に当たるというのが習慣でしたが、今年は新型コロナウィルスによる自粛でなかなかそれもできず、本当に1年ぶり近い横須賀軍港での休日でした。

 前日の神奈川県相模原市での仕事を終え、横浜線と横須賀線を乗り継いでやって来たJR横須賀駅の改札を抜けると、目の前のヴェルニー公園の岸壁にたくさんの人が集まって海を眺めている。何事かと思って私もちょっと離れた場所から海上自衛隊桟橋の方を振り返ってみたら、ちょうど護衛艦隊が出港するところでした。出港する3隻のうち、先頭の1隻はすでに船脚もついてグングンと港口の方へ進んでいくのが見えたので、とりあえず私は手持ちのデジタルカメラを最大のズームにしてその艦影を画像に収めました。そして特徴のある前部マストの形から「あきづき」型だなあと思いながら、さらに次に続く艦の姿を追いました。

 続いて2隻目は「あさひ」型の2番艦「しらぬい」、これはまだ近いところにいたので艦名も読めましたが、これはまだ昨年の2019年に就役したばかりの新鋭艦なので私もまだ素性をよく存じ上げておりません(笑)。そして最後に親分のように出てきた堂々たる体躯の3隻目が空母型護衛艦「ひゅうが」、あれ、この艦は横須賀所属ではないはずだが…、確か舞鶴に所属しているのではなかったか…、舞鶴所属の艦隊がたまたま横須賀に来ていたのか…、そうすると一番最初に出て行ったあの「あきづき」型はもしかして…。

 そう、あの艦こそまさに、昨年10月の台風19号で中止になった観艦式の事前体験航海(予行演習)で私が乗せて頂くはずだった「ふゆづき」なのでした。この艦は太平洋戦争末期、戦艦大和を護衛して沖縄突入を試みたが、大和沈没により作戦は中止、多数の生存者を救助して佐世保に帰投した駆逐艦「冬月」の名前を受け継いでいます。この時、戦艦大和と巡洋艦矢矧を護衛した駆逐艦8隻のうち、無傷または小破程度で帰還できたのは「冬月」「雪風」「初霜」の3隻のみ、艦首を大破された「涼月」もかなり遅れて後進で帰投してきましたが、最初に帰って来た3隻を見て、寒い冬の名前を持った駆逐艦ばかり帰って来たと、今後の日本の運命を暗示されるような思いで暗澹とした人もいたそうです。

 また「冬月」艦長の山名寛雄中佐は「冬月」や前任の「霞」の艦長時代、温厚で沈着、腕は立つが決して部下を叱らず、全乗組員の信望を集めていたといい、戦後は台風観測船の船長として剛胆な観測活動を展開した、絵に描いたような武人であり、その艦長が指揮した艦と同じ名前の護衛艦に乗れないまでも、一目だけでもその姿を見ておきたかったと憧れたその艦の出立にかろうじて間に合ったこと、横須賀までの接続電車の時刻表にまで感謝したいですね。まさに外国へ旅立つ恋人の見送りに間一髪で駆け込むというドラマチックな展開ではありました。



 しかし今回は良いことばかりではありませんでした。翌日の三浦半島の仕事も早く終わったので、前の日の余韻に浸ろうと京急の汐入で途中下車、昼も遅くなっていたのでコンビニで買ったアンパンをかじりながらヴェルニー公園のベンチに座っていたわけです。上空には江ノ島にもいたあのギャングどもが音もなく飛び回っていました。

 もちろん私も油断していたわけではありません。戦時中の駆逐艦長同様、対空警戒に努めていました。トンビは上空から獲物を見つけるとサッと舞い降りてきて一瞬で捕らえてしまう、人間の持っている食物なんかもあっと言う間にかっぱらってしまう、奴らのそういう行動パターンは十分に心得ていたつもりでした。

トンビに油揚(あぶらげ)さらわれる
そんな諺だか成句がありますね。不意に横合いから大切なものを奪われることを例えた言葉で、自分が一生懸命やってきた仕事の成果を、誰か関係ない人にいきなり横取りされてしまうような時に使います。

 私はまさにその言葉どおりのことを体験したのでした。もっとも奪われた物はアンパン一口でしたが…(笑)。繰り返して言いますが、私も厳重に警戒していたのですよ。目の前の数百メートル以内の距離にはトンビはいない、さらに真上を見てもトンビの姿は見えない、私はそれを確認した上でバッグの中からアンパンを取り出し、素早くかじってはまた元のバッグに戻す、そうやって慎重な上にも慎重に食べていたアンパン、だがやはりあと一口というところで多少は気が緩んだのかも知れません。

 ああ、この最後の一口で奴ら(トンビども)に勝てる…、そう思った次の瞬間、一陣の風が吹き抜けたと思ったら左手に持っていた約3センチ大のアンパンのかけらが無くなっていました。何が起こったか咄嗟には分かりませんでしたが、すぐにトンビにやられたことを悟りました。奴はかなり遠くから私の食べていたアンパンを発見した、しかし私があまりにも用心深く食べていたので、私の死角に当たるやや後方でスキを狙っていたが、最後の一口を食べられてしまえばもうチャンスはない、それでついに決断を下した…(大袈裟な・笑)。

 奴らの高い知能と抜群の運動能力には完敗です。アンパンを狙った奴は、何の気配もなく物凄いスピードで私の背後から低空で迫り、右の肩口から絶妙のコース取りで左手に持っていた3センチのアンパンをかっぱらった。私の左前腕に約4センチの掠り傷は残ったが、それ以外の余計な身体部分に当たることもなく、正確に3センチのアンパンだけを掴んで再び空に舞い上がったのです。人の懐中物を狙う老獪なスリにも匹敵する手業ですね。

 いや、驚きました。あれじゃ猛禽類にいったん狙われたら、野ネズミや野ウサギなど小動物は助かりません。自然の中で小動物が生き延びるためには猛禽類などの天敵を先に発見して逃げること、そして盛んに繁殖して、天敵に襲われて食われる分まで見越した個体数を確保すること、そうでないと餌になる小動物の方がみんな賢くなって天敵から逃れるようになれば、今度は天敵の猛禽類などの方が餓死して絶滅してしまいます。自然界の掟の中で生き抜く動物たちの能力の一端を垣間見た貴重な体験でした。


         帰らなくっちゃ