行動停止の国民

 日本の鉄道はJR、私鉄を含めて、本当によく定刻に正確・確実に列車を動かしてくれると日頃から感謝しているが、まるでその平時の勤勉さをもっと認識してくれと言わんばかりに、気象警報が発令されたり、地震が起こったりすると徹底的にダイヤが混乱してしまう。

 特に国鉄時代のお役所体質が残るJRは、大雪だ、台風だ、地震だというと、前日くらいから運行の安全確保を口実にして列車の運休や間引き運転をあらかじめ決めてしまい、最近ではそれを「計画運休」などともっともらしく呼称しているが、とんでもないことである。そんなのはJR(旧国鉄)の独り善がりであって、周辺私鉄各線は1本でも多くの列車を1つでも先の駅まで…と、おそらく鉄道マンの誇りにかけて必死に運行しようとしているから、私鉄で都心のターミナルまでやっと辿り着いた郊外の乗客が、動いていないJRのホームや改札に足止めされて非常に危険な状況になっていることが多い。

 JRの職員はそんな状況は見て見ぬふり、私鉄の諸君もそんな鉄道マンの意地や誇りなど捨てて、大変な時にはちょっと休みましょうよ…というわけか。その方が普段いかに我々が列車の運行に努めているか、その有り難さを乗客の皆さんにも分かって頂けるし〜。

 その気持ちは私たち医療職員も分からぬでもない、いや、とても良く分かる。医療事故が起こった時ばかり医者や病院を責め立てるくせに、普段は時間外だろうが何だろうが自分の都合ばかり主張する患者さんもいる。ただしそれをあらかじめ仕事を“手抜き”する口実に使う不届きな医療関係者は今の時代に見たことがないし、おそらく計画運休を決定するJRの幹部もそんなことを考えているわけではなかろう。しかし実はもっと根深い日本人の国民性の欠陥が隠されている可能性もある。

 2019年9月8日深夜から9日未明にかけて、大型台風15号が関東地方を通過した。九州・四国地方には時々襲来する規模の台風らしいが、関東地方では近年初めて経験するほどの強烈な暴風を伴った台風だった。この台風襲来の予報に、首都圏のJR各線は翌日午前8時までの“計画運休”を前日のうちに発表した。台風は夜明けまでに通過するとの予報だったから、午前8時まで電車を動かさないのはちょっとどうかなと思ったものだ。

 しかし首都圏があまり想定しない風速60メートル級の暴風に襲われた鉄道各線のダメージはきわめて大きかったのである。“鉄道マンの誇り”にかけてできるだけ列車の運行を保とうとしていた多くの私鉄路線でさえも、ようやく運行再開できたのが午前8時前後であった。その意味ではJRの“計画運休”にも正当な根拠があったと言える。

 私もその日は横浜市の港南台(JR根岸線)で仕事があったので、午前8時過ぎにようやく動き出した東急東横線経由で横浜駅まで辿り着いた。しかし午前11時過ぎに横浜駅に到着してみると、まだJRの運行は再開されていない。左側の写真はJR横浜駅の地下コンコースの様子、列車の運行を待つ多数の乗客があふれかえっている。本当にこういう光景を見ると、日本人は辛抱強くて我慢強い国民だなと感心してしまう。約束の時間を3時間以上もオーバーしているのだから、他の国なら暴動が起こっても不思議ではないだろう。

 ところが右側の写真は京急線の改札止めによる乗客の列、横浜を発着するJRの通勤路線は私鉄の京急線と併走する場所が多いので、京急線に振り替えようとする乗客の長蛇の列が、横浜駅コンコースからいったん外へ出た隣の横浜SOGOまで伸びているのだ。京急では危険防止のために改札止めをしていたのだが、ようやく再開したばかりでダイヤも混乱している京急線の車両はおそらく乗客ですし詰めになって走行していたことだろう。もしあの踏切事故がこの日に起こっていたら大惨事になっていただろうし、乗客すし詰めのまま線路上に立ち往生した多数の列車内では深刻な医学的状況も発生しただろう。国鉄…ではないJRが独り善がりな安全基準で列車の運行を止めてしまうと、周辺私鉄の乗り継ぎや振り替えの乗客が行き場を失って却って危険な状況になっているのは、こういう非常事態の際によく目にする光景である。

 さてJR予測の午前8時という運行再開の目処はおおむね私鉄各線が達成しただけだった。始発から何とかダイヤを守ろうと奮闘していたからこそ午前8時にようやく運行再開に漕ぎ着けたのではないか。8時までは休むと早々と運休を宣言していたJRが一部で運行再開したのは正午近くになってからだった。私鉄とJRの運行再開の時間差はおよそ4時間あったが、この4時間でJRは何をしていたのか。何もしていなかったとしか言えない事態が発生した。

 正午近くに動き出したJR根岸線で港南台に向かったが、車内で突然アナウンスがあった。先行する電車が線路上に倒れた竹に接触したので、竹の撤去作業のために再び運転見合わせになるとのこと。多くの乗客の皆さんは気付いたかどうか知らないが、これほどの状況判断の甘さと怠慢が許されるのか。

 百歩譲って“計画運休”の言い分も認めるとしよう。8時までは列車を運休しますということは、8時からは予定どおり列車を走らせますという宣言ではないのか。本来なら列車を動かすべき時間ですが、万一の事態までを想定した対策を取るための時間の余裕を下さいということだ。しかしJRの運行再開は私鉄から4時間も遅れていながら、その間ノホホ〜ンと何もしていなかった、ただボ〜ッと休んでいただけとしか思えない。“計画運休”している間に路線を見回って試験列車を走らせ、台風で損傷した箇所の有無を確認して補修を完了しておけば、こんな醜態は晒さずに済んだはずだ。

 昨年の台風の時は近くの横須賀線が倒木のために運転再開が大幅に遅れた前例があるのに、何の教訓にもなっていない。あの時は横須賀線不通の情報を大船駅まで伝達されなかった不備を指摘したが、同じことは今回も繰り返されていた。根岸線は横浜〜大船間を結ぶ路線だが、根岸線が途中区間不通になってしまったので仕方なく途中下車した根岸駅で、信じられない誤報をアナウンスしているのを聞いたのである。
倒れた竹の撤去に時間がかかります、大船方面にお越しのお客様は横浜まで戻って東海道線下りをご利用下さい…とのこと。
しかし私が横浜駅を出発した時はまだ東海道線下りは運転再開していなかった。私は駅長らしき偉そうな制服を着た駅員に、東海道線下りは再開したのかと尋ねたところ、「私は東海道線の運転状況は知りません」との無責任な回答だった。いったいアナウンスを信じて横浜駅に戻った乗客はどうなったの?

 要するに日本の鉄道、特にお役所体質のJRが感心するくらい正確・確実に動くのは平時だけということ、そのことを台風や大雪や地震などの自然災害が発生するたびに痛感させられる。何か異常事態が起こった時に、業務に対する支障をいかに最小限に食い止めるかという工夫が足りない。考えてみれば鉄道だけではないだろう。日本人は勤勉であると自他ともに認めているところがあるが、それは平時のみのこと、正常に動いているシステムを止めずに守り続ける能力は世界有数のものであろうが、何か起こった時には先ず役所体質の強い部署から順に行動停止してしまう国民であるとの認識も必要であろう。オリンピックも心配じゃ…。



台風と観艦式

 今年(2019年)の10月14日は令和初の海上自衛隊観艦式が予定されていて、そのリハーサルを兼ねた事前体験航海も12日と13日に行われることになっており、私も13日の分の乗艦券を頂いていました。観艦式本番ではありませんが、護衛艦に乗って一日中相模灘の展示訓練を見学させて頂く、もし実現すれば2009年2012年に続く3回目の洋上観艦式関連行事のはずでした。

 ところが1週間前くらいになって、時期外れの巨大台風19号が南鳥島近海で発生、ちょうどこの観艦式のタイミングで関東地方を直撃する予報が次第に決定的になっていきました。そしてハギビスと命名されたこの大型台風は10月12日の夕刻、物凄い雨雲を伴って伊豆半島に上陸、我が家のある東京23区の西部を通過して翌日には三陸の太平洋に抜けました。

 もちろんその日に予定されていた事前体験航海1日目は中止、当然の処置ですね。戦闘艦艇が台風ごときで行動を制約されるとは何事かという意見もあるかと思いますが、1935年(昭和10年)には三陸沖で演習中だった帝国海軍の臨時編成の第4艦隊が中心気圧960ミリバール(ヘクトパスカル)の台風に遭遇、当時の新鋭駆逐艦を含む多数の艦艇が損傷を受けるという事故(いわゆる第4艦隊事件)が起こっていますし、1944年(昭和19年)にはフィリピン近海でアメリカ駆逐艦3隻が台風で沈没しています。

 それから半世紀以上時代が過ぎて造船技術も進歩していますから、まさか今回の台風の中に乗り出しても護衛艦隊が損傷を受けるとは考えられませんが、何しろ観艦式関連行事では各艦に一般人の見学者が数百人ほど乗艦しています。激烈な波浪と暴風の中で事故が起こるのは必至、さすがに艦キチの私でも乗艦はご遠慮申し上げます(笑)。

 翌13日(私の乗艦予定日)は一転して台風一過の晴天、しかし横須賀軍港までの交通機関は混乱しているし、この日の挙行も無理でしたね。さらに今回の台風19号で関東地方が甚大な水害を蒙ったことで自衛隊は災害出動に備えるため、本番14日の観艦式も中止されてしまいました。これも当然でしょうね。大型台風直撃に対する備えの弱かった関東、東北など東日本各地で河川の氾濫や堤防の決壊が相次ぎ、多数の死者・行方不明者が出たし、さらに多くの人々が住む家を失って避難所生活を余儀なくされた事態を考えれば、海上自衛隊だけが艦艇を並べてお祭り騒ぎの海上パレードなど、私としてもやって欲しくありません。

 さてそんなわけで台風19号(ハギビス)にメチャクチャにされた令和最初の観艦式でしたが、ちょっと残念だったのは、今回私が乗せて頂く予定だったのが護衛艦ふゆづき(DD-118)だったことです。5年前に就役した新鋭護衛艦であるだけでなく、これは太平洋戦争中に戦艦大和を護衛した駆逐艦冬月を襲名した艦だから、できればぜひ乗りたかったし、姿だけでも見ておきたかった。この艦は舞鶴所属だから、あまり横須賀あたりでは見かけないのです。

 駆逐艦冬月といえば、このサイトでも幾つか記事を書いていますが、艦長の山名寛雄中佐は部下から慕われる名リーダー、その山名艦長が指揮した駆逐艦と同じ名前の(仮名書きだが)護衛艦に乗るというのは、私にとって特別な意義のある光栄なことだったのです。山名艦長は戦後は海上保安庁巡視船の船長として老朽船が60度以上も傾くような猛烈な波浪に突っ込んで行って台風観測にも従事しておられた。奇しくも“台風”というキーワードでつながった今回の観艦式中止と乗艦予定だった「ふゆづき」、残念ながらふゆづきには乗れなかったけれど、何だか山名艦長とお会いできたような気がしました。

 国を護るのは戦闘部隊だけではない、台風など自然災害に対処するのも国民を守る使命の一つなのだ、山名艦長はご自身の生涯をかけてそのことを実践されたのではなかったでしょうか。それにつけても思い起こされる人がもう一人、これもこのサイトで何回か記事にしていますが、荒川放水路(現在の荒川)の工事を指揮した青山士さんです。もし荒川放水路が無かったならば、今回の台風19号はもちろん、これまで来襲した幾つもの台風のたびに東京下町から官庁街は何度も洪水で水没したはずです。

 今回の台風では東京の多摩川も氾濫しましたが、長野県の千曲川や福島県の阿武隈川で大規模な氾濫が起こったことを考えれば、多数の河川が集中する下町に洪水が起こらなかったのは奇跡に近い。これも青山技師の時代からしっかりした荒川水防工事を施しておいてくれたお陰であるとも言えるし、逆に河川氾濫対策に潤沢な予算を当てられない地方ではいまだに堤防が決壊して住民の生命・財産が危険に晒されてしまう原因になっているとも言える。

 国を護る、中国や朝鮮の軍事力も脅威ですが、台風などの自然災害も現実の脅威です。護衛艦を航空母艦に改造する予算も私は大事だと思っていますが、それと同じくらいの予算を地方の河川管理にも投じて欲しい。オリンピックなどという必ずしも開催しなくても良い国際行事を招致する予算が組める国家なのだから、国民も納税の義務をきちんと果たし、耐えるべきところは耐えて、外敵ばかりでなく自然災害に対しても世界有数の防衛力を誇れるような国造りを目指さなければいけませんね。台風19号の暴風雨で“自宅謹慎”してニュース番組を見ながら過ごしている間に、いろいろ考えることも多かったです。



三国志・連環の計

 『三国志』(正確には『三国志演義』)を読むと、中国人が戦争や商売や交渉で使うであろうさまざまな計略が登場してくるので、娯楽の読み物としてはとても興味深くて面白いですね。中でも“連環の計(連環計)”というのが全編で2回出てくるのですが、これが実に油断ならない。中国の兵法書『兵法三十六計』によれば、幾つもの複数の計略を鎖のように連続して用い、敵がそれによって欺瞞され、混乱し、弱体化したタイミングを捉えて攻撃を仕掛けることだそうです。

 最初に出てくる箇所は専横を極める相国(最高の臣位)の董卓を討伐する場面、豪傑の呂布を側近とする董卓にはなかなか手が出せないので、討伐軍の大将の王允は連環の計を用いるわけです。まず絶世の美女を董卓と呂布のもとに送り込み、どちらをも恋の虜にして夢中にさせた上で互いを対立させる、たまりかねて離反した呂布を寝返らせて董卓を成敗したというのが最初の連環の計、要するに色仕掛けと仲違わせを合体させた複合計略というわけですが、これはそんなに計略を連鎖させたというほどのものではないように思いますね。

 ただし現代世界で中国にこの計を使わせるような愚を犯してはいけません。私は韓国における度を越えた反日教育は実は中国のアジア戦略の一環ではないかと疑っています。朝鮮半島が38度線で分断された現状で、中国としては盟友の北朝鮮を尖兵として、日米同盟軍と対峙しなければいけないというのが至上命題、しかし北朝鮮の先にさらにもう一つ韓国という障害がある、この障害を除去するために韓国人に幼少時から徹底的な反日教育を施行させ、ついに日韓の離反に成功しつつある、董卓討伐が連環の計なら、これも立派な連環の計です。この計略が成功した暁には韓国は北朝鮮に併呑され、韓国民は自由も民主主義も奪われて金政権の支配下に置かれることになるでしょう。

 三国志演義に登場するもう一つの連環の計は物語前半最大の山場、呉・蜀連合軍が強大な魏と対戦する赤壁の戦いの場面です。赤壁の戦いは2008年に米中日台韓合作の『レッドクリフ(Red Cliff)』という映画にもなりましたね。この戦いで連環の計を進言したのは蜀の劉備将軍の名参謀、ホウ統という人(ホウの字はワープロで変換できない)、諸葛孔明と並ぶ不世出の軍師だが、孔明と比べて影が薄い悲運の英雄だったことは別の記事でもちょっと触れたことがあります。

 それはともかく、この時に呉・蜀連合軍が用いた連環の計は次のようなもの。赤壁の大河を埋めつくす魏の大艦隊に乗り組む将兵は船が苦手、そこで敵陣に潜入したホウ統が船酔い防止策として軍船同士を互いに鎖で繋いで揺れないようにすることを建言して認めさせる、これが第一の計略。

 次に自陣に潜入している魏のスパイを利用して、味方の武将である黄蓋を敵陣内に送り込むことを画策する、ギリシャならトロイの木馬ということになりますが、中国では黄蓋を偽りの棒叩きの刑に処すところをスパイに見せつけ、その偽計に引っ掛かった魏の陣営に黄蓋の偽りの投降を信じ込ませる、これが第二の計略。

 こうしてまんまと敵陣に潜り込んだ黄蓋は味方の攻勢に合わせて、鎖で繋がれて身動きできなかった敵艦隊に火を放ち、連合軍を大勝利に導きました。まさに連環の計が成った瞬間ですが、吉川英治の『三国志』など読んでいると、この連環の計が非常に分かりにくい。魏の軍船を互いに鎖で繋ぎ合わせて動きを封じたこと自体が連環の計であったように勘違いしかねません。

 さて、その勘違いしやすい方の“連環の計”を彷彿とさせるような光景を先日横須賀で目の当たりにしました。これは台風で中止になった令和初の幻の観艦式から3日後のことですが、JR横須賀駅の目の前の自衛隊の岸壁に6隻の護衛艦が密集して係留されていたのです。私はこれを見た瞬間、赤壁の川面に鎖で繋がれた魏の艦隊を思い浮かべてしまいました。諸葛孔明がこれを見たら欣喜雀躍でしょう。

 海上自衛隊のこの岸壁はJR横須賀駅前のヴェルニー公園からわずか150〜160メートルしか離れておらず、ドローンとか手製のロケット弾でも十分攻撃可能です。いくら観艦式で全国の基地から護衛艦が多数集結していたとはいえ、観艦式の日程から3日以上もそんな危ない場所に護衛艦を密集して並べておいたのかと驚いた次第です。

 日本の領土を海から攻めようとする仮想敵国にとって、日本の護衛艦を撃沈する必要はありません。電子機器のかたまりとも言える現代の艦艇は、その精密な機械をちょっと破損されるだけで当面の作戦行動に重大な制約を受ける、手製のロケット弾やドローンで新鋭護衛艦に1週間や2週間足止めを食わせる程度のダメージを与えることは決して不可能ではないし、そういう破壊工作を行なった犯人を厳重に処罰できる法体制は我が国ではまだ整備されていないと考えるべきでしょう。日本に対して海上から紛争を挑む国にとっては、大した犠牲も払うことなしに我が国の海上兵力を一定期間封殺することができるのです。この写真のような護衛艦の密集状態は、私のような艦キチには嬉しい光景ですし、仮想敵国に対して我が国の海の護りを誇示するには絶好と思われますが、やはり隣の長浦港とか横浜港などに分散しておくべきではなかったかと思います。(長浦港にも2隻入っていたが、まだ停泊の余裕はありそうだった。)

 そもそも昭和時代には、JR横須賀駅の目の前にあるこの岸壁に海上自衛隊の主力艦艇が係留されていることはほとんどありませんでした。補給艦とか練習艦ばかりで、第一線の作戦用艦艇は軍港の奥の方に係留されているだけ、しかし最近では航空母艦に改装予定の護衛艦いずもまでが堂々と係留されているし、さらにヴェルニー公園の対岸200メートルには常に海上自衛隊の潜水艦が2〜3隻係留されています。日本の潜水艦隊の練度は世界でもトップクラスとされていて、噂によれば中国の機動部隊どころか、世界最強のアメリカ機動部隊の航空母艦を雷撃できる距離まで隠密に接近できるそうですが、そんな虎の子の潜水艦も手製ロケット弾で外殻に損傷を与えられればたちまち行動不能になります。

 まあ、そんな破壊工作はないよというのが海上自衛隊幹部を含む大多数の人たちの意見でしょうが、「そんなことはないよ」という事態がもし現実に起こった時はもう取り返しがつきません。海上自衛隊は近年膨張の一途をたどる中国海軍に対抗するという名目で装備を拡張していますが、中国が海上自衛隊の第一線兵力と真っ正面から衝突するような戦術を使うとは思いません。日米・日韓・米韓を離反させ、軍事スパイ・産業スパイを潜入させて情報収集や現場混乱を図るなどさまざまな連環の計を使いながら、ある日突然我が国の領土に素知らぬ顔で中国国旗を立てる、そんな時に護衛艦や潜水艦が一般人の手に届くような場所に係留されていれば、まるで壊して下さいと言っているようなものです。

 それでもまだ「そんなことはないよ」と一笑に付している人たちは、今回のJR東日本の例も考えてみて下さい。先日の台風19号の折、千曲川の堤防決壊によって長野新幹線車両センター(車両基地)が浸水し、北陸新幹線の車両10編成120両が水没してすべて廃車になったそうです。この車両基地を建設した時にはまだ水害のハザードマップは無かったが、その後洪水の場合には浸水の可能性も指摘されていたにもかかわらず、E7系と呼ばれるスマートな新幹線車両は普段どおりきれいに並べられたまま水没しました。

 JR東日本の幹部はスーパータイフーンの19号が来襲すると言われても、「まさかここが水没することはないよ」と多寡を括っていたのではないか。どうせ台風の当日から翌日は早々と計画運休することに決めていたのだから、少しでも高い場所にある駅のホームや待避線に一部の車両でも分散避難させておけば、被害をもっと限局できていたと思うのですがね。高崎までは上越新幹線と共通だから避難に使えないが、安中榛名、軽井沢、佐久平、上田の駅だけでも10編成程度の車両を停めておけたのではないでしょうか。

 「まさかそんなこと…」が本当に起こったら一大事だし、実際に起こる確率は限りなくゼロに近いわけですが、もしそれが起こっても大丈夫なように想定しておくのが責任者の勤めです。事前の周到な対処が空振りに終わって杞憂と笑われることの方が圧倒的に多いでしょうが、国防上の手抜かりはミッドウェー海戦の結果を見るまでもなく、国家にとって致命的となります。兵法の要点はとにかく敵が思いも寄らない戦術を使って意表を突くこと、そして敵が使うかもしれない戦術を予測して対抗することに尽きます。三千年の戦乱の歴史を持つ中国を仮想敵国と考えているのであれば、こんな護衛艦の係留方法はちょっと私には信じられません。



環境問題、世代間闘争へ

 2019年12月、スペインのマドリ−ドでCOP25(国連気候変動枠組条約第25回締約国会議)が開かれていますが、温室効果ガス排出削減を目指すパリ協定からアメリカ合衆国が離脱を表明した直後のこの国際会議で、環境問題はいよいよ世代間闘争の色彩を帯びてきたことに皆さんはお気付きでしょうか。

 今年9月にニューヨークで行われた国連気候アクション・サミット2019で居並ぶ世界の政治家たちを前に、あなた方は経済の話ばかり夢中になって地球の環境を守ろうとしないと、激しい演説をして勇名を馳せた16歳のスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさん、アメリカのTIMR誌の表紙にPerson of the Year(今年の人)に歴代最年少で選ばれました。ただちに行動が必要なのに、世界の政治家たちは何もしてくれない、気候変動の犠牲者は若い世代なのに、大人たちは何も具体的な対策を立てようとしない、そんなにお金が大切なのか、という演説に心を動かされた大人たちも少なくありませんが、未来の世代を守るために何を行動して良いか、誰もちっとも理解していないのが実情です。

 ツゥーンベリさんの大人社会への痛烈な批判に同調して、世界各地で環境保護、温室効果ガス排出規制を訴える若者たちの動きも盛んになる兆しがあります。今回のCOP25の開催都市マドリードでは、ゾゾ(Zozo)さんという8歳のドイツ人少女も参戦しました。政治家たちが空虚な言葉で時間を失う間に、世界では人々が死に家を失うと街頭で訴えたそうです。

 そういう若者たちにもっと経済を教えろ、世界はもっと複雑なものだと諭してやれと、文科系バカの大人たちは批判しますが、では理科系の発想によって地球環境の破局を間近に見据えることのできる能力を持った大人たちにしても、人類を救うために具体的に何か主張・行動できるかといえば答えはNOです。まず現在の自分たちの生活を徹底的に切り詰めて、経済的にも文化的にも今よりもっとずっと低い生活に甘んじる覚悟もないし、もし覚悟を決めて世界に何か訴えて行動を起こしたところで,、今回のツゥーンベリさんと同じく罵声を浴びせられ、嘲笑されるのが関の山でしょう。

 19世紀の産業革命以来、人類の機械文明は先進国による自然との闘いで幕を開けました。石器時代から使いこなしてきた火のエネルギーを最大限に活用して自然を押さえつけ、人間の思うがままの環境に改造してきたわけです。そしてそのエネルギー資源をめぐって先進国同士が互いに争う国家間闘争の時代を経て、ついに今度は世代間闘争の時代を迎えたというのが私の感想です。

 環境倫理学という学問分野があります。簡単に言ってしまうと、地球に存在する限られた資源を現世代だけで消費してしまって将来の世代を窮乏に追い込むことは倫理的かという命題に象徴される分野です。将来の世代にきちんと資源を残してやるためには、現世代は生活を切り詰めなければいけないし、福祉も制限しなければいけなくなる、例えば現代ではどんな弱者もあらゆる手段を講じて救済しなければいけないという生命倫理が至上命題と考えられていますが、資源を徹底的に節約するとなれば、治癒の見込みのない病者への治療はしないというヒポクラテスの言葉が現実のものになります。

 今回の環境問題では、限りある地球の資源だけでなく、人類の生存基盤である地球環境そのものも環境倫理学の対象になりうることが明らかになりました。子供は大人の言うことを聞いておとなしく勉強していなさいという論理でツゥーンベリさんたち若者世代の声を封殺するのは、実際の権力と経済力を持つ大人世代にとって簡単なことです。世代間闘争の第一段階は現在の大人世代の圧勝ということですね。

 しかし20年後30年後、地球の気温上昇を抑えることのできなかった我々現在の大人世代は、世代間闘争の敗者として惨めなツケを払わされることになっても文句は言えません。もう若返って世のために働く見込みのなくなった我々の世代の福祉のために、限られた二酸化炭素排出枠を浪費することはできないと今の若者世代が決定すれば、権力も経済力も失った我々老人世代は、大人になった今の若者世代に従わざるを得ません。トランプも安倍も文字どおり“お払い箱”としての扱いを甘受しなければならないのです。

 まさか今の子供たちがそんな非人道的で残酷な決定をするわけないよと考えるかも知れませんが、本当に地球環境が逼迫して全人類の生存さえが危ぶまれる事態になれば、緊急事態として誰が優先され、誰が切り捨てられるのか、火を見るより明らかです。今の大人世代が見届けられる限りの世代間闘争の結末として、我々は『楢山節考』(深沢七郎)に描かれたような姥捨伝説の復活を見る可能性もあります。



『いだてん』の時代

 今年(2019年)の師走も半ばを過ぎ、NHKの大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』も完結しました。今年は出演者のコカイン騒動などもあって関係者は大変だったと思いますが、俳優陣や制作陣の皆様、大変ご苦労さまでした。今回の大河ドラマは私にとって、自分の生きた時代までがドラマの舞台になるという興味も大きかったです。この番組は平安時代、源平時代、戦国時代や幕末などを舞台とした歴史ドラマという認識がありましたから、自分も生まれていた昭和39年(1964年)という舞台がすでに歴史の一部になったということで感慨深いです。

 定年退職後は私もいろいろな施設で職場健診などしていますが、受診者の方々の生年月日を拝見して、1951年4月〜1952年3月が誕生日の人がいらっしゃると(つまり私の“同級生”)、東京オリンピックが中学1年生だったでしょうとつい声を掛けてしまいます。すると「エッ、そうだったっけ?」と迷う方は1人もいらっしゃいません。すべての方が「ええ、そうです、そうです」ととても懐かしそうな顔をされますね。私たちの世代にとって1964年の東京オリンピックは、それほど強く思春期の記憶と結びついているんだなと感じます。

 さて大河ドラマ『いだてん』を見ていて、あの年の夏場は水不足で給水制限があったこととか、開会式の前日は大雨で式典の進行が危ぶまれるほどだったことなど、すっかり記憶から失われていることに気付きました。代々木の国立競技場上空に五色のスモークで五輪を描いたブルーインパルスの演技も、雨天なら当然中止で私たちの記憶にも残らなかったでしょう。ドラマの中では隊員たちが前日の雨で、もう当日の飛行はないと決め込んでヤケ酒を飲んでいたというストーリーになっていました。(史実か創作かは不明)

 そこでせっかく私の生きた時代が大河ドラマの舞台になったのだから、ちょっと自分なりに時代考証を楽しもうと思い、ホコリの山の中から1964年の日記帳を探し出してみました。博文館の『横線中学日記1964』という定価240円でB6版の日記帳に、けっこうマメに日々の出来事が綴られています。

 まず給水制限のこと、確かに8月15日(土)に「
昼はまったく水が出なかった。夕方になってやっとチョビッと出るようになった。」という記載があります。当時の私の日記など、せいぜいこの程度の記載ですが、それでも何十年も経って読み返してみると、それなりの“資料的価値”はありそうですね(笑)。ゴジラやモスラや零戦の落書きも多いですが…。夏場の水不足で東京都に給水制限が敷かれていたことは正しいようです。

 ついでに当時の夏場の気温も眺めてみましょうか。夏至の6月21日から学校行事で軽井沢へ出発する7月20日までと、部活動の合宿から帰京した8月9日から秋分の9月27日までの気温をグラフにしてみました。たぶん真昼の気温を几帳面に計測して日記帳に記録しておいたデータです。



 この年は8月の上旬から中旬にかけて太平洋高気圧が強くて高温が続き、東京も渇水に見舞われたのかも知れません。こういうのが本来の“異常気象”であって、最近のように7月から9月まで連日気温が30度を越える日が続くのは、人間の生存にとって危険と認識されるようになったのだから、“終末気象”とでも呼ぶべきでしょう。ご覧のように当時は30度を越える日はひと夏に10日程度しかありませんでした。

 次に開会式前日の雨についてですが、確かに10月9日(金)は雨で気温25度と記録されています。そして翌日の開会式当日は晴で気温27度、絶好の秋晴れだったのですが、そういう天候に関する感慨は記されていません。しょせん中学1年のガキですから、関係者がどれほど空模様を心配していたかなんて思い及ばなかったのでしょう。ただしブルーインパルスの描いた五輪については具体的に記録していて、高度8000メートルに直径1800メートルの円を描き、都民200万人が見られるそうだと書いてありました。

 さて『いだてん』の“時代考証”をしていたら、ちょっと学校給食を思い出させる記載もありました。この年に私は中学に入学したわけですが、3月までは当然小学生でした。小学校といえば学校給食、中学校は私立で給食はありませんでしたので、私の人生最後の学校給食について書いている部分があったのです。
1月29日、給食は袋入りの黒パン2個とミカンと牛乳だった。いつもこんなだと良いと思った。
ン…?ずいぶん質素な給食…!しかもいつもこんなだと良いとは…!

 おそらくこれは卒業を間近に控えた6年生に対する給食室のオバサンたちの心づくしのメニューだったんだろうと思います。何しろ給食に牛乳が付くことなど1年に1回あるかないかでした。この写真は両国の江戸東京博物館の昭和時代コーナーに展示してあった学校給食の食品サンプル、私が小学生だった昭和30年代の給食は左上の赤枠で囲ったような感じでした。コッペパンとおかずが1品、それにアメリカでは家畜の餌だった脱脂粉乳ですね。これが不味いこと…不味いこと…、給食室のオバサンたちが熱湯に溶いて作るのですが、給食を前に担任教師の説教を長々と聞かされて冷めた脱脂粉乳などとても飲めたものではなく、吐き気を我慢して無理やり喉に流し込んだものでした。



 他の3つの時期の給食サンプルを見て下さい。きちんと牛乳がついてますね。それだけでも羨ましい。だから卒業間近になって1回だけ牛乳の給食が出た時は日記に書くくらい嬉しかったのでしょう。あと私たちの時代のこの食品サンプルでは主食が砂糖をまぶした揚げパンになっていますが、そんな結構なパンは1学期に1回出るか出ないか、いつもは味気ないパサパサのコッペパンでした。しかも1ヶ月に1回か2回程度、1センチ角のマーガリンか大さじ1杯のジャムが配られるだけ、他の日は不味い脱脂粉乳と質素なおかずだけでパサパサのコッペパンを食べるわけです。日本がまだ貧しかったあの時代、給食を食べられるだけでも感謝しなければいけないことは分かっていましたが、やはり給食が美味しかった思い出はほとんどありませんでした。黒パンとみかんのデザートと牛乳に感激した昭和30年代の小学生だった私…(笑)。



 さて来年(2020年)はまた東京オリンピックが開催されるわけですが、学校給食ひとつ取っても前のオリンピックの時代に比べてこんなに豊かになっています。副都心方向を眺めれば林立する高層ビルの手前にビッシリと建ち並ぶ住宅、マンション、事務所ビル。あの時代にはそもそも“副”都心など無かったし、これと同じアングルで写真を撮れば、平屋か2階建ての住宅の面積と同じくらいの畑や雑木林や公園の緑地が残っていたと思います。1961年に封切られた東宝の怪獣映画『モスラ』では、モスラが通過するこのあたりは一面の畑の中に送電線が何本か立っているだけだったはず…。

 まあ、オリンピックを開催する財力とか設備といった要素に関しては心配ないと思いますが、都市が巨大化してネットワークも複雑になっていることを考えれば、万一の災害やテロに対する脆弱性は増しているように思います。確かに建造物の耐震化と不燃化は進んだが、その分ガソリンを積んで走り回る自動車は増えたし、人々の生活がデリケートな電子機器の制御にオンラインで依存する比率も圧倒的に増えている…。来年のオリンピックを今さら返上することもできませんから、期間中に万一の事態が発生しないことを切に祈ります。



「まさか」と思ったんでしょ?

 先日の記事の中で、JR横須賀駅前の岸壁に海上自衛隊の主力護衛艦を係留しておいて破壊工作の目標にされる可能性もあると指摘しましたが、まだ多くの人たちは「まさか、そんな事は起こらないよ」と思っていることでしょうね。スーパー台風が来たって
まさか車両基地が水没するような事は起こらないよと油断していた隙を突かれて、北陸新幹線の車両が千曲川堤防の決壊に巻き込まれて廃棄処分になった件にも言及しましたし、さらに日本にとって痛恨の極み、まさか津波で原子炉が爆発するような事は起こらないよという慢心がどういう結果を招いたか、まさか(笑)お忘れではないですよね。

 そういう「まさかそんな事…」が、2019年から2020年にかけての年末年始でまたしても起こりました。保釈中の刑事被告人がまさかの海外逃亡です。一昨年(2018年)11月に役員報酬過小記載や会社資金不正利用などの金融商品取引法違反で逮捕された日産自動車のカルロス・ゴーン前会長が、いつの間にか日本を密出国して、国籍を有する中東のレバノンに現れたとのこと、検察や裁判所はおろか、被告弁護団ですらまったく寝耳に水の脱出劇だったそうです。

 どうやらアメリカの特殊部隊経験者の手助けにより、保釈中の住居を抜け出して新幹線で新大阪へ、さらに関西空港からプライベートジェット機に乗ってトルコ経由でレバノンに逃亡したらしいですが、日本の当局は、まさか四面海に囲まれた日本から逃亡できるはずはないよと油断していたのは明らかですね。福島原発、北陸新幹線車両、ゴーン被告は、まさに現代日本の『
三大まさか』と言ってもよい。

 ゴーン被告が誰の協力を得て、どうやって日本を脱出したかなんていうアクション映画もどきの逃走劇にも多少は興味ありますが、私が一番驚いたのは、一昨年11月に逮捕されていながら、1年以上もまだ公判日程さえ決まっていなかったという一件です。その間ゴーン被告はずっと自由な行動も許されないカゴの鳥、何でさっさと早く裁判で決着をつけなかったのか。ゴーン被告は1954年生まれの65歳、私も同じ60歳代ですからよく理解できますが、まだ寿命が差し迫ったわけでないと言っても、もうこれからの1年1年は若かった時代以上に取り返しがつきません。一刻も早く裁判で白黒決着させて、仮に有罪ならばさっさと服役でも何でもして罪を償ってしまいたい。

 そんな高齢に差しかかった被告人に無為に1年を棒に振らせるようなことをすればどうなるか。検察も裁判官もそういう想像力が不足しています。津波をかぶった原子炉がどうなるか、河川の堤防が決壊したらどのくらい水位が上がるか、そういう最悪の事態に対する想像力不足と一脈通じるものがあるのではないでしょうか。

 もし刑事事件で逮捕されて1年以上も裁判が始まらず、有り余る財産を所有していて、海外に逃亡できる安住の地の国籍や市民権を持っていれば、誰だって今回のゴーン被告のようにイチかバチかで日本脱出に賭けますよ。もしかしたら日産自動車側に何らかの便宜を図るためにゴーン被告の拘留をわざと長引かせる目的だったかも知れませんが、そうだったらなおのこと自宅の出入りの監視を厳重にしなければいけなかったはずです。

 しかも中国や北朝鮮のような一党独裁の国家ならともかく、裁判の被告人は「推定無罪」が自由主義国家の原則のはず、「どうせこいつは悪人なんだから四の五の言わさず閉じ込めておけ」と言わんばかりの封建時代さながらの人権無視を国際的に晒す羽目になってしまいました。ネットなどの投稿を見るとゴーン被告の保釈を請求して結果的に逃亡を手助けすることになった弁護団への批判が多いようですが、それより前にさっさと速戦即決の裁判で被告と対決しなかった検察や日産自動車側の読みの甘さこそ非難されるべきだと思いますね。



左右歴史篇

 先日別のコーナーで、鏡で左右が反転するのはなぜかという話題に関連して、医学的には上下と前後が決まって初めて左右も決まるという話を書きましたが、右と左は歴史的にもちょっと面白いことに気付きました。そもそも事の発端は先日北鎌倉駅のすぐ近くにある古民家ミュージアムで『おひなさまとつるし飾り展』を開催しており、せっかくなので少し覗いてみようと思ったことでした。

 築100年以上という割に広い古民家を利用した展示スペースのあちこちに赤い毛氈を敷き詰めた雛壇がたくさん並べられており、主に江戸時代から明治・大正時代のお雛さまがズラリと勢揃いしていて圧巻だったのですが、その解説板のひとつにお雛さまの歴史が述べられていました。

 昔から内裏雛の男雛と女雛の並び方は男が左、女が右だった、これは左の方が偉いという考え方からきているが、昭和初期より右を偉いとする諸外国に倣って、男雛を右に並べるようになったとのこと。まあ、男を偉いとする男尊女卑の考え方が根底にありますから、当然現代では受け入れられないと思いますが、左の方が右より優位であるとの歴史的な考え方にはとても面白いものがあります。

 確かに古民家ミュージアムのポスターに掲載されている各時代の内裏雛はすべて男雛が左側に座っている、こちらから見れば右側ですが、天皇を表す男雛の右側に女雛が控える形ですね。京都では今でも昔の風習を守って男雛を左に座らせますが、いわゆる関東雛では男雛を右に座らせます。諸外国の風習と合わせないと、国賓を迎えたり国際会議を開催する時にいろいろ不都合が生じることもあったので、昭和時代に左右の格式を逆転させた、それにつれて内裏雛の左右も逆転したようです。

 諸外国ではなぜ右が優位なのか、そして日本古来の考え方ではなぜ左が優位なのか。半世紀近く昔に『裸のサル』という本で一世を風靡した動物行動学者のデズモンド・モリス(Desmond Morris)は『マンウォッチング』(1980年)の中で、人類には右利きが圧倒的に多いことと関連づけて考察しています。左利きは大体どの民族・国民でも全体の10%前後という少数派であり、欧米の言語では“左”に相当する単語にあまり良い意味はないらしい。そもそも“右”はright、これは“正しい”という意味もありますね。右が正しければ左はどうなる…?

 ラテン語からきた英語のsinisterは“不吉な”、フランス語のgaucheは“ぶざま、不器用”、イタリア語のmancinoは“ひねくれた”、ポルトガル語のcanhotoは“弱い、有害”、スペイン語のzurdoは“うまくいかない”などが列挙されており、さらにヒンズー教、仏教、イスラム教でも右手は清浄で左手は不浄とされていることも指摘されていました。

 むしろ日本では、左利きの比率も西洋と大して変わらないのに、なぜ左を優位とする考え方があったのでしょうか。それは遣唐使の時代に中国からもたらされた考え方のようです。古代中国では「天子は南面する」、つまり帝は永久不変の北極星(北辰)を背にして南を向いて立つ、すると太陽は左手から昇って右手に沈むから、左の方が偉いのだそうです。

 では中国も左が優位かというと、中国では王朝が革命で変わるごとに左右の優位もさまざまに変動したので、日本だけが律儀に左が偉いという考え方を貫いてきたとのことでした。

 しかし古来日本では左の方が偉いからといって、諸外国からのお客様を左側に立たせたりしたら失礼になることもある、だから昭和以降は内裏雛の世界も欧米化して男雛が右(向かって左)に座るようになりました。これは関東地方のホテルのロビーに飾られた雛壇ですが、ちゃんとそうなってます。

 結婚式の新郎新婦も男が右(向かって左)に座りますが、これは新郎が右手で剣を持って左手で新婦を守るという欧米の考え方が基本になっているらしいので、たぶん京都の結婚式でも新郎は右に座るんじゃないでしょうか。まだ京都人の披露宴に招待されたことないので、よく分かりません(笑)。

 もうひとつ、内裏雛より3段下がった場所に左大臣と右大臣が控えていますが、これも左大臣の方が位が上です。この写真でも黒い衣を着た老人が左大臣で、緋の衣を着た若者が右大臣です。衣の色も身分や官位を表すのですね。昭和以降も左大臣と右大臣の立ち位置は変わりませんが、これはあくまで男雛から見て陽の昇る左側にいるのが偉い左大臣ということです。

 こうやって書いてくると、何となく日本では左の方が偉かったんだなと思えるのですが、しかし日本語の中にはこの考え方と矛盾する言葉がけっこう見られます。

 例えば「右に出る者がない」とは、最も優れた者という意味で、右と左を比べると右の方が優れているということになります。左は偉いけれど、本当に優れているのは右ということか。世間を見渡すと、大して優れてもいないのに自分は偉いと思っている人間が多いですけれど、まさかそういう皮肉をこめた言葉とも思えません。

 また「左前」という言葉は、着物の左側を右側の上に重ねて着ることですが、運が悪くなるとか、衰えるとか、家計が苦しくなるなどという意味もありますし、「左巻き」とはちょっと狂った人を指した時代もありました。やはり中国古典の理屈ではない部分では、実際に言葉を使う人々の感性が反映されて、少数派の左利きへの差別などもあったことが窺えるように思います。



コロナ感染症と日本政府

 昨年(2019年)暮れに中国武漢で発生した新型コロナウィルス肺炎は収まるどころか、今年(2020年)の2月以降いよいよ全世界的感染(パンデミック)に発展する様相を呈してきたが、いまだこのウィルス感染症の実態が完全に究明されていないので、楽観論・悲観論が入り混じったさまざまな憶測に振り回されて人々の間にパニックが起こっている。国内の薬局やコンビニからマスクが品切れ、アルコール系の手指消毒剤も品切れ、さらにマスク増産の報道が流れるやマスクに使用する紙が払底してトイレットペーパーが不足するとのデマに惑わされて(マスクの材料は多様な材料から作られる不織布だから関係なし)、1970年代のオイルショックの時とまったく同じように多くの消費者がトイレットペーパー買い占めに走った。

 このような混乱に輪をかけたのが2月下旬に相次いだ政府の発表で、大規模イベントの自粛要請に続いて全国一律の小中学校・高等学校・特別支援学校の一斉休校を要請したことにより、混乱と混迷が一気に高まった。学年末試験ができず成績がつけられない、卒業式ができない、コンサートやライブの中止やテーマパークの閉鎖などというのは序の口、直前になっていきなり児童生徒に家庭で過ごすよう要請したって、共働きや一人親の家庭では子供を世話するために家計の収入が途絶える、イベント業者や観光業者など大手は事態を乗り越えられても、中小業者の中には資金繰りが滞って倒産も多く出るだろうと予測されるに至っている。それに第一、学校は休校でも、多数の児童を預かる学童保育は認めるなど対応が場当たり的ではないかとの批判もある。

 今回のコロナウィルス感染症では高齢者や持病持ちの人などが重症化して死の転帰を取ることが多く、そういう医学的弱者を守るために、今度は中小企業などの経済的弱者を追い詰めるというジレンマをきたしてしまった。安倍首相は自分の責任でしっかり救済策を講じるとパフォーマンスを打ち出したが、何ら具体策を示さないことへの批判は各自治体からも強い。

 今回の政府の要請は遅きに失した、私も先月の記事で少し書いたとおり、母屋が燃え上がっているのに隣家からの延焼を恐れていつまでも塀の放水を続けるようなクルーズ船の隔離策を継続し、貴重な防疫・検疫要員と資材を市中感染対策に振り向けるタイミングを逸したと思っているが、そういうことは外野でニュース報道だけ見ている私たちのような人間の岡目八目と後知恵だけで批判すべきではないだろう。結局はミッドウェイの戦訓から何も学べない日本人の欠点を改めて突き付けられたというだけのことだ。

 今の時点で現在も進行中の政府の失策が一つだけあるとすれば、大型クルーズ客船ダイヤモンドプリンセス号の乗員乗客隔離の後始末である。すでに乗員乗客の全員が下船したとのことであるが、なぜ高齢者や子供連れまで含めて14日間も閉じ込めておく必要があったのか。それは香港で下船した乗客の1人がコロナウィルス感染を確認された、一緒に乗っていた他の乗員乗客にも感染した疑いがあり、ウィルス潜伏期を過ぎても発症しないことが確認できないまま港に下ろすわけにはいかない、世界保健機関(WHO)も潜伏期は最長12.5〜14日程度と発表していたのだから、それは十分に合理的な判断であり、不自由を耐えた乗員乗客の皆さんにはただただ頭を下げるしかない。

 しかしダイヤモンドプリンセス号の隔離は失敗したのである。14日間の船内隔離を終えてウィルス陰性を確認された乗客の中から、下船後に感染が確認された方が何人も現れたこと、また船内検疫作業に関わった検疫官や厚生労働省職員も何人か感染したとのこと、これらは船内隔離中に感染した、あるいは感染させられたということである。この件に関して安倍首相を筆頭とする政府関係者は一様に口を閉ざしている。

 諸外国はダイヤモンドプリンセス号から下船した自国民の乗客を、帰国後さらに14日間隔離して観察するとのこと、ダイヤモンドプリンセス号はウィルスの培養器になっていた、日本人乗客を下船後ただちに公共の交通機関で帰宅させたとは、日本には防疫の概念さえ欠如しているのか。諸外国のメディアからは痛烈な批判が噴出したが、なぜかあまり日本のマスコミでは報道されなかった。

 日本政府が下船した乗客を陸上の施設でさらに14日間経過観察しなかったのはなぜか。そんなことをすれば、船内隔離政策が間違っていたことを日本政府自ら認めるようなものだからであろう。自らの過ちを認めない、それは日本に限らず、世界中の権力者共通の狡猾な心根に違いない。

 ダイヤモンドプリンセス号の乗員乗客は、まさに日本本土にコロナウィルスを広めないために我が身を犠牲にして不自由に耐えて下さったのだ。中には船内の劣悪な環境にいたために病状を悪化させて亡くなった方もおられる。国策に協力し、国難に殉じたそういう乗員乗客の皆さんに、なぜ日本政府はもっと頭を垂れようとしないのか。

 かつて特攻だ玉砕だと死をもって国を護ろうとした方々に、感謝しなさい、崇拝しなさいと国民に要求した自民党指導者どもの言葉、あれな単なる口先だけのキレイ事だったのか。自分の政権のために都合が良ければ利用する、都合が悪ければ知らぬ存ぜぬで国民やマスコミが忘れてくれるのを待つ、何と卑劣で狡猾な…。

 今回の隔離失敗を教訓として活かす努力を怠っている、それが現在進行中の日本政府の失態である。神戸大学感染症内科の岩田健太郎教授が隔離中のダイヤモンドプリンセス号に乗船して、船内の感染危険区域と清潔区域の区別が厳密になされていないと動画で告発、政府寄りの人間たちからは岩田教授を危険人物視する動きもあった。そして現在も岩田教授をコメンテーターに招くマスコミさえ皆無だが、では岩田教授は本当に間違った告発をしたのか。

 14日間の隔離後に下船した乗客や船内作業に関わった各種職員の感染が相次いだことは、まさに岩田教授の告発が正しかったことを意味していると思われるが、もし岩田教授が国民を惑わして国策を妨害する危険な告発をした人物なら、自らの正当性を国民に訴えるために日本政府は公の場で正々堂々と対決すべきである。岩田教授に痛いところを突かれたと逆恨みしているだけに見える政府が、今後の国難に向けて強いリーダーシップを発揮していけるはずがない。

 また某週刊誌の記事によると、首相補佐官とも懇ろで強大な権力を握る厚生労働省の女性幹部が、船内の飲食禁止区域でスウィーツやコーヒーを飲食していたらしいが、この記事の真偽はどうなのか。もし虚偽ならばそういう国民の不信感を煽るフェイクの情報を垂れ流した出版社には厳重に抗議して断罪すべきであるが、もし真実ならばそういう緊張感に欠けた官僚の行動に象徴される日本政府の対応方針が誤っていたということで、“泣いて馬謖を斬る”必要があるのではないか。嘘つき出版社を断罪するか、泣いて馬謖の厚労官僚を斬るか、いずれかを速やかに実行しない限り、やはり今後の国難に向けてリーダーシップの発揮は難しくなるだろう。



コロナ感染症と危機管理

 今年(2020年)の3月になって、やっと世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長が、新型コロナウィルスは世界的大流行(パンデミック)に移行する恐れが強いなどと言い出しているが、今さら何を言ってるんだよという感じ。本来ならまだ感染が中国の武漢に限局されていた段階で、世界的大流行(パンデミック)の可能性を指摘して各国の対策準備を促しておけば、こんなことにはならなかったのではないか。

 現実にパンデミックにならなければパンデミックの警告を出せない、対策も打ち出せない、何のための世界保健機関か。一つには別のコーナーでも少し述べた現代医学のエビデンス至上主義がもたらした弊害という側面もある。科学的な証拠(エビデンス)が揃わなければ結論を出せない、何も決断できない。一般的にはそうでなければ困るのだが、感染症の流行のような非常事態には、まさに「兵は拙速を尊ぶ」でなければならない。エビデンス至上主義の足枷に世界中の医学界がグズグズしている間に、敵のウィルスの電撃作戦を許してしまった。

 ただ医学界としては世界の経済界に忖度せざるを得なかったという事情も大きい。仮に初期の段階で世界保健機関(WHO)が強権をふるって中国武漢からの人間の移動を制限するという対策を打ち出していれば、今回のコロナウィルスの世界的大流行は起こらなかったであろう。しかしその結果、この期間に中国人が景気に及ぼした好影響はゼロになるので世界経済は確実に減速したはずだが、そのお陰で破滅的な大流行が回避されたことは誰にも分からないまま終わる。

 つまり初期の段階で中国人の移動の制限を主張した医学界だけが悪者になる。世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長の母国エチオピアなどは中国から何らかの経済的報復さえ受けたかも知れない。それが危機管理の最も難しいところだ。まだ大災厄が起こっていない時点で、それを回避するための小さな災厄に甘んじる決断ができるリーダーこそ望ましいのだが、そのリーダー自身は決して賞賛されることもなく、却って非難の矢面に立たされるだけだ。

 東日本大震災の時の航空自衛隊松島基地の司令官はそういう決断ができた1人だった。ブルーインパルスの基地でもある松島基地には地震後に津波の警報が出された。司令官はパイロットを含む全員に基地外への避難を命令、残された戦闘機などの機材は間もなく襲来した津波で壊滅したが、いまだになぜ航空機を発進させて空へ退避させなかったかという非難を浴び続けている。1機何十億円もする高価な機体をむざむざ水没させたとは何事かというわけだ。非難する人は第二次大戦中の戦闘機がもうもうと土埃を上げながら凸凹の滑走路を離陸する勇壮なイメージを抱いていると思われるが、スクランブルの即応態勢になかったジェット戦闘機を中途半端な整備のまま、地震の大きな揺れで破損しているかも知れぬ滑走路から高速で離陸させれば、パイロットの尊い生命もろとも失われた可能性がある。松島基地の司令官はそういう判断で敢えて機体を放棄したのだ。これが危機管理の咄嗟の判断というものである。

 新型コロナ感染症でいえば、中国人の移動がもたらす経済的利益を惜しんで、さらに大きな経済的代償を払う羽目になった。戦闘機の機体を惜しんで離陸を命令、パイロットもろとも墜落させた状況に例えられる。危機のリーダーは拙速を尊びながら、未来のあらゆる可能性を予測しつつ冷静沈着で大胆な決断を咄嗟に求められるものだから、本当に難しいものだと思う。

 もし東日本大震災のあの日、地震が起きた次の瞬間に、津波襲来を予測して福島原子力発電所の機能をすべて停止させる決断を下した人間がいたとしても、決して救国の英雄としてその判断を賞賛されることはなく、大事な時期の電力供給に支障をきたした人間として非難されたことであろう。その非難をも甘んじて受ける覚悟を持って、自分の信念と判断力に従って、正しいと信じる判断を下す腹の据わった人間こそ、日本や世界のリーダーになって欲しい。現代社会は経済に目の眩んだリーダーがあまりに多すぎる。



コロナ感染症と東京オリンピック

 2020年に予定されていた東京オリンピック大会は、コロナ感染症の世界的拡大に伴って計画通りの時期に開催することが不可能と判断され、ついに開会式の約4ヶ月前になって安倍首相とバッハ国際オリンピック委員会会長との協議により1年程度の延期が決定された。幾つかの国のオリンピック委員会や、幾つかの競技の国際連盟や、何人かのオリンピック選手個人などから上がった年内開催反対論を聞き入れざるを得なくなったようだ。

 過去に近代オリンピック大会が戦争で中止になった例はあるが、戦争以外の理由で中止されたことはないから計画通り開催されるだろうなどという楽観論もあったが、実は感染症のパンデミックの破壊力は戦争より大きいとさえ言えるのだ。1916年のベルリン大会も第一次世界大戦で中止になったが、長期的な国家総力戦となったこの戦争を終わらせるきっかけになったとされる要因の一つが1918年から1919年にかけて世界的に大流行したスペイン風邪である。あの時は戦争の犠牲者をはるかに越える死者が出て、敵も味方も戦争継続どころではなくなってしまった。

 東京オリンピック延期によって、経済面や生活面で大きな損害が出ることは避けられないと思われるが、こんな大災厄の年にオリンピック開催担当国になってしまったことを恨んだり呪ったりしてはいけない。先の見えぬパンデミックの中で国際イベントの仕切り直しができる経済的体力のある国は、我が国を含め数えるほどしかないはずだ。国によってはオリンピック開催国になっていたばかりに財政破綻をきたすかも知れない。そんな非常事態の直撃を受けたのが我が国で良かったと、世界に代わって大試練を受け止める覚悟を決める、それもまた国民の潔さである。

 思えば日本はかつて特攻隊まで出して戦った国である。当時の国の指導者たちは若者たちに二度と帰らぬ出撃を命じ、銃後の国民にも辛酸を舐めさせた挙げ句、自分たちは大手を振って戦後の経済大国に返り咲いた。どうせ今度の指導者たちも国民に大変な負担を強いながら、自分たちの政権を守って姑息に生き長らえていくだろう。そんなことも分かったうえで黙々と営々と粛々と国を護っていける国民が我々日本人、その矜持だけは失ってはならない。

 ところでコロナ感染症に翻弄される東京オリンピックを見ていて思い出した童話がある。1922年に『赤い鳥』に発表された小川未明の『黒い人と赤いそり』で、現在は青空文庫に収録されている。子供の時分に児童向けの本で読んだ最初の時は、ただの不気味な怪談のように思えてゾーッと総毛立ったものだが、今もう一度読み直してみると、ああ、こういう主旨の童話だったんだなと改めて納得できる部分がある。

 物語の舞台はある寒い北の国、ある日人々が氷の上で作業していると氷が突然割れて、運悪くその上にいた3人の人もろとも沖へ流されてしまう、その3人を救出するために5人の者が5台の赤いソリに乗って大地の果てを目指すが、いつまで待っても帰って来ない、さて氷で流された3人と、彼らを探しに行った5人を救いに行かなければいけないと残された者たちは相談したが、もう誰も行きたがらない、氷が割れて流されるなんていう災難はこの国始まって以来の想定外の事件だし、あれは仕方なかったんだと言い訳がましく自分を納得させて、人々はまた何事も無かったかのように日々の生活に戻っていった。何年か経ったある日、海で漁をしていた人々の前に3人の亡霊が現れて船は沈んでしまう、さらに何年か経ったある日、地平線の彼方を5台の赤いソリが走っていく幻影が見えた、人々はあの災厄の日に誰も仲間を助けに行こうとしなかったのが悪かったのだと思い知らされたのだった。

 そういう物語だが、現在の日本政府も国民も何か心の奥に突き刺さる痛みはないのか。“復興五輪”などとにぎにぎしく旗を振り、国内聖火リレーも福島県を出発地にするなどそれなりにお膳立てをしたようにも見えるが、本当に東日本大震災の被災地は復興したのか。あんな巨大で立派な競技場はすったもんだの騒ぎもありながらあっと言う間に完成したというのに、東北の海岸の防潮堤は未完成の部分もあるし、まだ仮設住宅から出られない人もいるのだ。これはおかしいと思わないのか。大震災に見舞われた仲間を忘れてオリンピックに浮かれていた心の痛みはないのか。

 またオリンピックとは直接関係ないが、今回の新型コロナウィルスは高齢者で重症化しやすいが若年者は軽症で済む傾向がある。それを知ってか、世界中の若者の中には外出も集会も自制せず、わざと集団で楽しむ野放図な行動も見られるそうだ。どうせウィルスで死ぬのは高齢者、俺たちには関係ないということらしい。ブーマー・リムーバー(Boomer Remover)という言葉もネット上に飛び交っている。つまり1950年代前後のベビーブームに生まれた高齢者たちを除去(リムーブ)するウィルスという意味だ。

 大部分の年輩者はそういう若者たちの考え方に怒りを覚えるだろうが、ちょっと考えてみて欲しい。今回の若者たちはどうせウィルスで死ぬのは俺たちじゃないから勝手に楽しむぞと言っているわけだが、自己中心的という観点からは高齢者たちもまた若年世代に対してまったく等価のひどい考え方をしていることに気付かなければいけない。

 もはや世代間闘争の様相も見せてきた環境問題、いくら二酸化炭素を排出して地球が温暖化しても、どうせ俺たちは逃げ切るさ、もう人生も残り少ないし地球が温室になっても関係ないから、目一杯エネルギー消費生活を堪能してやるという態度、環境問題に真剣に取り組まない大人世代の怠慢は、ブーマー・リムーバーとまさに表裏一体となる鏡像のエゴイズムである。人生逃げ切りを図る高齢者の前に亡霊のように現れたのが新型コロナウィルスではないのか。

 いずれにしても、1年程度の延期で来年東京オリンピックができれば万々歳、中止でなくて良かったなどと安堵している場合ではない。災害からの復興は本当に進んでいるのか、福島に限らず震災や台風で甚大な被害を受けた仲間たちにきちんと目を向けているのか、環境問題ではこれから何十年も生きる若者たちの世代のことまで考えているのか、それらを再点検した上での東京オリンピック仕切り直しでなければ、新型コロナウィルスはただの災難で終わってしまう。この災いを転じて福となす、それを成し遂げることこそ日本国民の底力というものであろう。



倍々ゲームと新型コロナ感染

 いよいよ2020年4月8日午前0時から東京都など7都府県(東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪、兵庫、福岡)に新型コロナ感染症拡大防止のための緊急事態宣言が発令されることになりました。国民の生命と健康を脅かす事態が急速かつ広範に拡大しているという認識の下に首相が発令し、各自治体の知事によって措置が取られるということです。私はやっと出たかという感じですし、日本医師会なども4月1日の時点で、すでに緊急事態宣言発令を要望していました。医療崩壊の危機が切迫しているとの認識があったからですが、おそらく政府は経済が崩壊しかねないと危惧して発令を見送っていたのでしょう。結局1週間という時間のロスが生まれました。やはり文科系の権力者は指数関数的に増加する曲線の恐ろしさを甘く見ていると思います。

 私は最近では毎日体温を計測していますが、毎朝発熱や咳や鼻水や味覚嗅覚障害などの症状がないと、ああ良かったと胸を撫で下ろし、2週間前の行動履歴などを見直しています。仕事や約束で○○へ行った、電車やタクシーに乗った、人混みを通ったなど、いつ新型コロナウィルスと遭遇してもおかしくない状況をくぐり抜けていますが、無事にクリアしたことを確認するのは冷や汗ものではあります。最近2週間は仕事も外出の機会もめっきり減りましたが、まだ家の近所だとか自宅の中でさえ完全に安全ではありませんから油断はできません。

 新型コロナウィルスに感染してから症状が出て検査で確認されるまで最大2週間ほどかかるようです。つまり今日感染しても新型コロナウィルス陽性者としてカウントされるのは2週間後、逆に言えば今日新型コロナウィルス陽性者としてグラフや表で報道されている数字は2週間前にウィルスに感染した人たちです。

 これは3月下旬頃に専門家会議が発表した各国の新型コロナウィルス感染者数の推移を示すグラフですが、例えば黄色い線で示されるイタリアに続き、2月末あたりから緑・紫・グレーのフランス・スペイン・ドイツの3ヶ国の感染者数がほぼ同時に急峻なカーブを描いて爆発的な増加を始めたのが分かります。しかしこの3ヶ国の感染爆発は2月末に起こったのではなく、実は2週間前の2月中旬に起こっていたことになります。

 このグラフが発表された頃、下から2番目の青い線で示される日本の感染者数はダラダラと緩慢な上昇を示すだけです。これを日本政府は「感染はギリギリのところで食い止められている」と説明していましたが、指数関数的な変化の恐ろしさを実感できる理科系人間の多くは心の中でそれほど能天気に楽観していなかったと思います。

 日本医師会や専門家会議の面々にも一抹の不安はあったでしょうが、もしかしたら経済重視の政権への忖度があったかも知れませんし、やはり悪い事は起こらないと思いたい希望的観測(心理学的には正常性バイアスというやつ)に支配されて誰も口にしなかった、ところが3月末になって感染者数の急な増加傾向が明らかになり、いずれヨーロッパ諸国の後を追って感染が爆発する可能性が理科系人間の目には疑いようのないものになった、それで日本医師会からの緊急事態宣言要望となったのだろうと思います。しかもデータに表れる数字は2週間前の感染ですから、実際にグラフが誰の目にも明らかな爆発を示すようになった時にはすでに手遅れということですからね。

 グラフの一番下の赤い線は新型コロナ封じ込めの優等生と賞賛されたシンガポールの感染者数ですが、これもその後感染爆発の徴候を見せ始めています。新型コロナウィルスというまるでゲリラのように巧妙な見えざる敵の脅威を見くびってはいけません。確かにギリギリ食い止めていると説明して静観できるものならば、経済に及ぼす影響も当面は小さくて済みますけどね。しかし4月1日から8日の1週間で新規感染者数はほぼ2倍になりました。新型コロナ感染者数は大体1週間弱で2倍2倍と増えていくようです。文科系の権力者もさすがに黙過できなくなったのはないでしょうか。

 いわゆる倍々ゲーム、数字が2倍2倍と増えていく恐ろしさを示す物語があります。史実かどうかは分かりませんが、私も小学生の頃に読んだ豊臣秀吉と曽呂利新左衛門の話、ある時秀吉が新左衛門に褒美を取らせようとした際、何を所望するか尋ねたところ、米を1粒と答えた。ただし翌日には倍の2粒、2日後にはさらに倍の4粒、3日目にはさらにそのまた倍の8粒と、倍々に増えていって、30日後に頂きに参りますということだった。文科系権力者の秀吉は、何だ、そんなものでいいのか、欲の無い男だなと、大して深く考えもせずに笑って許したが、30日後には大変なことになっていたという話です。

 1粒の米は1日後には2粒、2日後には4粒、3日後には8粒と、2
nのべき乗で増えていって(nは日数)、30日後には230粒になっていました。米1合は大体6500粒くらいだそうですから、1粒の米が1合に増えるまでに13日かかります(213=8192粒)。10合で1升、10升で1斗、4斗で米1俵なので、1個の米俵には260万粒の米が含まれ、1粒の米が米俵1個分に近づくのは21日後です(221=2,097,152粒)、まだあと10日残っていますが、25日後には約13俵、28日後には約100俵、約束の30日後には新左衛門は米413俵というとんでもない褒美を貰う計算になるわけです。秀吉も代わりの褒美で我慢してくれと新左衛門に泣きついたということになっていました。

 倍々で増えていくものは、褒美の米粒も新型コロナの新規感染者も同じ、数字のセンスを磨いていない者は手遅れになるまで恐ろしい結果に気づけないのですね。新規感染者の場合は累計で利いてくるので秀吉以上のダメージになりますが、米がせいぜい1升か2升の段階で気づけば何とかまだ受け止められる。しかしこれが1俵2俵の規模になってくると、1週間の遅延が致命的な事態を招きます。

 今回の日本政府の緊急事態宣言はやや遅きに失したとは思いますが、まだ米俵に至る前の段階で対処できたものと信じたいですね。何はともあれ、緊急事態宣言が出された以上、日本国民全員が外出行動を自粛して他人との距離を置き、ウィルスという敵に感染の機会を与えないよう意識を変えなければいけません。もし今日ウィルスに感染したとすると発症するのは2週間後、その時に日本の医療が崩壊していればあなたは適切な治療を受けられず、耐え難い呼吸困難のうちに悶死する可能性もあります。

 これまでも自粛要請が出される中、集団で会食後にカラオケまで楽しんで多数の感染者を出した研修医どももいるし(お前らそれでも医者か)、重症化しやすいと言われているくせに寺社の縁日に繰り出した爺婆もいる(神仏まで感染拡大の共犯にする気か)、まさに唖然とするばかりです。去年はラグビー日本チームの大活躍にOne Team(ワンチーム)などと浮かれて感動していたくせに、全員で国を守らなければいけない時に自分の楽しみしか目に入らないとは何事なんでしょうね。自粛要請の中で一国のファーストレディが取り巻きを集めてレストランで花見の飲み会をしてたなんて呆れた報道もありましたが、指導者やその一味がどんなに無責任でも、日本人は粛々と国を守れる国民であることを胸に刻んで耐え抜きましょう!



為政者の望んだ日本

 2020年の5月になっても、依然として新型コロナウィルスが猛威を振るっているが、幸いにして日本では感染者数の推移を示すグラフが欧米諸国のような急峻な起ち上がりを示すことなく、第一波の流行は比較的緩除に終息する様相を見せ始めている。どうやら倍々ゲームの破局的な終末像だけは免れそうであるが、こういう全世界に広がったパンデミックでは第二波、第三波の感染の方が恐ろしいこともあるから油断は禁物だ。事実、知事の俊敏な判断で第一波を抑え込んだ北海道では次の第二波が拡大しつつある。

 日本で現在流行中の新型コロナウィルスは、最初に中国の武漢で発生したものからさらに遺伝子が変化して,、ヨーロッパで蔓延するようになった変異型と見られているが、イタリアやスペインで医療崩壊を招いたものと類縁のウィルスにしては、日本での感染者数が急峻な起ち上がりを免れた理由がよく分からない。日本人は欧米のように強硬な都市封鎖などしなくても、感染防止のために政府や自治体からの自粛要請に従う国民であるとか、ハグやキスなどはおろか握手のような身体的接触さえもしない慎ましい民族であることなども理由の一つかも知れないが、あまりそれを過信・盲信しない方が良い。流行初期に宗教団体における致命的な集団感染があった韓国でも破局的な感染増加は免れた。東アジア民族の遺伝的な背景があるかも知れないし、気候や風土の関係もあるかも知れない。今はとにかく自分だけは、あるいは自分たちだけは大丈夫などと過信せずに、ウィルスに感染しない、周囲に感染させないことを第一に優先して、他人との接触を避けて生活することに努めるべきだ。

 しかし新型コロナウィルスが広まったこの約3ヶ月間、いったい我が国の為政者たちはどんな国造りを目指してきたのか、疑問に思うことが多い。美しい国がどうしたとか気取ったスローガンを掲げた政治家が、極右勢力の支持も受けながら10年以上も政権の座に居座っていたというのに、今回の新型コロナウィルスの直撃を受けて露呈した国家の脆弱さは実に醜悪きわまりないものだった。

 まず医療崩壊に直面している病院について、感染流行がピークに達している今でこそ、医療の最前線で必死に治療に当たる医療スタッフに向けて官民挙げて賞賛と感謝の意を表明しているが、厚生労働省はちょうど1年前の2019年5月、新しい地域医療構想とか何とか称して全国の公的病院や公的医療機関に対する再編統合を含む整理計画案を発表した。単なる病床や人員の削減ではないと弁解しつつも、実態は病床稼働率の悪い病院の規模を縮小するよう求めていたのは明らかだ。そして具体的に再編統合の検証対象となる数百ヶ所もの病院を名指しで公表したのである。

 そんな愚策が実行された後に新型コロナウィルスを迎え撃っていたら、おそらく死者は現在の数倍に上っていたかも知れない。実際イタリアなどはこの種の医療機関の削減を行なった後だったので膨大な死者を出したと言われているし、余剰の病床を保っていたドイツでは新型コロナウィルスによる死亡を最小限に押さえ込めたらしい。

 我が国に牙を剥く可能性のある仮想敵は中国軍や北朝鮮軍だけではない、感染症や震災や台風なども現実的な脅威である。中国軍や北朝鮮軍の脅威に対する想像力は過敏なまでに研ぎ澄まされているのに、感染症の脅威に対しては適切な想像力を欠き、経済効率の視点しか持たない官僚どもが医療機関の病床や人員を削減しようと画策した。まだ北朝鮮から我が国の領土へミサイルが直接撃ち込まれていないからといってイージス艦を1隻でも削減するかって話だよ、バカが…!何が美しい国だ。

 次にギャンブルについて、感染者数が増えれば医療機関への負担が増えて医療崩壊の危険が高まるので、政府の緊急事態宣言を受けて幾つもの業種が自治体から営業の自粛や縮小を要請され、ほとんどの国民は事業主も利用者も、国を守るためならばということで粛々と要請に従っている。太平洋戦争末期に本土空襲下にあった当時の国民の耐乏生活に比べればたぶん物の数ではないだろうとは想像するが、それでも泰平の世の国民にはストレスが溜まって非常に辛い。

 残念ながら政府や自治体の自粛要請に従わず、自分だけは大丈夫だ、コロナに罹るのも覚悟の上だと自身に言い訳して、海へ山へ寺社へ商店街へと繰り出す人間は決して少なくないらしい。話はちょっとそれるけれども、東京や大阪など感染者数の多い都府県から地方へ脱出することを『コロナ疎開』とか呼ぶらしい。空襲下に大都市の学童が地方へ避難した“学童疎開”は敵の爆撃機から身を守るという意味があったが、“コロナ疎開”では地方へ移動した観光客や帰省客自身がウィルス爆弾を抱えているかも知れない“爆撃機”なのだということに気付かないのだろうか。脆弱な医療施設しか持たない地方では、こういう“人間爆撃機”の進入を阻止しようとして、必死に来県しないでくれ、帰省しないでくれと呼び掛けている。来県者からの観光収入が頼りの市町村も多いだろうに、敢えて来ないでくれと叫ぶ人たちの気持ちも分からない人間がいるのかと情けない気持ちになる。

 そんな中でも特に非難を集めたのが一部パチンコ店の営業自粛要請無視、多くの同業者も苦渋の選択をする中で最後まで都府県知事の要請に従わず営業を続けた店もあったようだが、パチンコ店側にしてみれば従業員の雇用や店舗運用の維持費などを払い続けるために営業するという言い分はもっともである。しかしそこへ長蛇の列を作って他県から押しかけるパチンコ客とはいったいどういう人たちなのか。

 家で自粛しててもストレスが溜まる、他にやる事が無いから来た、店が開いてるから来るんだ、コロナ感染しても自己責任だから…、テレビ局の取材に対して悪びれた様子もなくインタビューに答えるパチンコ客たちに怒り心頭の視聴者もおられるようだが、彼らの言い分もまた徹底的に断罪すべきとは思えない。彼らは国の政策によってパチンコというギャンブルの依存症から抜け出せなくなり、パチンコ業界からの献金で潤う現政権のために懐の生活費を搾取されている哀れな犠牲者たちだからだ。

 国民の一定の部分をギャンブル漬けの依存症にしておけば、わずかな景品を餌にして莫大な利益を上げることができる、それが国の政策であることは明らかだ。なぜなら現政権はパチンコだけに飽きたらず、今度は大規模なカジノの誘致まで考えているではないか。カジノ誘致のために贈収賄に手を染めた与党議員や地方自治体幹部もいた。そんな愚かな政策の結果、国を守るためのささやかな自粛さえできない廃人同様のギャンブル依存症をさらに産み出す、どこが美しい国だよ!今回自粛要請に従わなかったパチンコ店名を公表した知事の中には、県内にカジノができれば経済効果が期待できるのでドーンと後押ししたいなどと能天気なコメントをしていた人もいた。

 最後にマスクなどについて、私たち一般市民が普段感染防止に使用するマスクも品薄でなかなか入手困難な事態になっている中、原則として1回使用ごとに使い捨てにしなければいけない医療機関や福祉介護施設で使う高性能のマスクが不足している。こんな手強いウィルスが蔓延している最中に、1人1週間にマスク1枚支給だけで感染症と対峙しているかつての同僚、部下、教え子たちの状況を思うと胸が張り裂けそうだ。異業種も含むさまざまなメーカーがマスク生産に乗り出したり、自衛隊が非常事態に備えていた備蓄を切り崩したり、善意の市民たちの手作りマスクが寄贈されたりしているが、なかなか必要な部署で本来の使い方ができるほどの十分な供給は望めないらしい。

 当然国内生産が間に合わない部分は外国からの輸入ということになるが、驚いたことに我が国の平時のマスク自給率は20%程度だったそうだ。こういう非常事態になって当然輸入業者も中国などからの買い付け増加を計画しているようだが、今まであまりマスクに興味のなかった欧米諸国も新型コロナ対策で買い占めに走っており、相手国企業から足元を見られてなかなか輸入増加も多難らしい。

 思えば我が国はグローバリゼーションなどという世界的なスローガンにちゃっかり便乗する形で、食糧生産も自動車など工業製品の部品生産も外国の安価な労働力に頼りきり、自分はおいしいところだけ取っていまだにバブルの徒花みたいな夢を追っている。マスク不足もその一部だろう。マスクだけでなく将来的に食糧の輸入も思うに任せない事態になったら日本国内はパニックになるに違いない。今回の新型コロナウィルス感染症によって食糧生産国の経済も大きく落ち込んで、他国の食糧まで生産する余裕がなくなる可能性もあるし、アフリカから西アジアの一部地域ではバッタの大群が農作物を食い荒らしているという報道もある。

 我が国は日本国憲法の前文に記された『諸国民の公正と信義に信頼して』第9条では戦争を放棄した。現政権や背後の極右勢力はその点のみを目の仇にして第9条を“みっともない憲法”などと批判するが、同じく諸国民の公正と信義に信頼して食糧や自動車部品やマスクの生産なども外国に依存して、それをグローバリゼーションなどといい気になっている。いざとなればどの国も、アメリカもヨーロッパも中国も韓国もナショナリズム丸出しになって自国の権益のみを守ろうとするわけだから、私はイージス艦で四方の海を護り、戦闘機で緊急発進する自衛隊員たちの労苦に心から感謝する一方で、国家の安全を脅かす過度なグローバリゼーションに胡座をかいている現政権の経済政策に危惧も抱いていた。その危惧がたまたまマスク不足で表面化したわけである。

 国民生活にとって必要な物資も確保できない為政者が愛国心を口にする資格など無い。都合の良い時だけ愛国心でナショナリズムを煽り、金が入って経済が潤うならば諸国民の公正と信義に信頼してグローバリゼーションに耽る、そんな矛盾が新型コロナウィルスのパンデミックで露呈されつつあるのではないか。一国の指導者が動画に合わせて自宅の居間で犬と戯れる暇があったら、さっさと国の将来を憂えて新しい政策を決定していくべきではないのか。今回のパンデミックを契機として、短期的にも中長期的にも職を失う人々が続出することは目に見えているので、私はそういう方々が一次産業に活路を見出せるような制度上・税制上の改革が必要だと思う。非常事態が生じれば不要不急と切り捨てられてしまうような業種への依存度を下げ、食糧自給率や製品調達率を上げてある程度国家的に持久籠城戦が可能になるような体力を養う、それができたら“美しい国”とやらも全面的に評価しよう。



心のない政治

 新型コロナウィルス感染症の流行第一波も夏場に向かってやや峠を越した感じがあり、国民性のなせる業か、東アジア民族の遺伝的背景のなせる業か、日本海を囲む地域の気候風土のなせる業か、はたまた単に幸運の女神が微笑んだだけの話かは分からないが、幸いにして我が国と隣の韓国はそれぞれに紆余曲折を経ながらも欧米諸国のような極端な感染爆発(オーバーシュート)を間一髪でかわしたように思われる。国政の中枢である各担当省庁関係者の方々への評価は後世の歴史的検証を待たねばならないであろうが、さまざまな国内・国外からの批判にもさらされながら、次々に起こる危機的状況に対応してきた御苦労には率直に頭を下げたい。

 しかしせっかく第一波の感染オーバーシュートを免れたこの段階にきて、何でこんな事をするのかというのが、例の検察庁法改正案である。政権を担当する内閣が認めれば検事長の定年を延長できるという法改正で、反対派は政権が検察を恣意的に動かし得るとしているが、安倍内閣は検事長も公務員であり、国家公務員の定年を65歳に引き上げるのと一緒にまとめて審議するのだから問題ないとして強行採決も辞さない構えのようだ。

 国家公務員法と検察庁法、この2つには一般法と特別法の関係とか、制定・施行時期の後先の問題とか、法律的になお議論の余地がある問題だが、今それをやらねばならない、あるいはやっても構わないという朝野の人々の神経が分からない。現在日本における新型コロナウィルスの流行は医学的にはトンネルの出口が見えてきたわけだが、この2ヶ月ないし3ヶ月間、政府や自治体の要請を受け入れて営業を停止してきた飲食業、接客業、観光業、イベント業などの関係者たちが青息吐息の状態であることも見えないのだろうか。

 もうすでに倒産した中小企業の数は急速に増加しているし、感染終息後も客足が戻らずに倒産に追い込まれる企業も続出するだろう。御国を守るために経済的に困窮するに至った人々、緊急事態宣言解除後はおろか今月の維持経費捻出さえ危ぶまれる人々がどれほどいらっしゃるか知れないというのに、そういう人々の目の前で検察・非検察を問わず、普段から手厚い保護を受けている国家公務員の定年を延長しましょうなどという法案改正の審議がよくできるものだ。

 人の心が欠如しているとしか言いようがない。飢えて空腹を抱えた貧しい人たちの前で、たらふく肥えた金持ち同士がパンを独占して互いに分配しているような醜悪な光景にしか見えない。国民1人あたり一律10万円の給付金も出す、困窮した事業主にも手厚い助成金を出すことも決めたなどと大見得を切っているが、経営者や従業員たちが御国を守るために蒙った経済的損失に比べたらまさにスズメの涙、しかも支給時期が遅れに遅れたうえに、支給を受けるための手続きもかなり煩雑なようだ。

 まあ、安倍首相にしてみれば、金はくれてやる、ありがたく思え、だから俺たちが国家公務員の定年を延長するのも文句言うなということだろうが、本来ならば国家公務員の定年延長に伴う人件費の増加分は、コロナ感染終息までの間の経済復興に向けるというべきであろう。かつて日本が美しかった頃、仁徳天皇が民のかまどに煙が立つようになるまで、つまり民衆の衣食が足りて日々の生活に困らなくなるまでは宮中の華美を慎んだという故事もある。幕末に天皇のいらっしゃる御所に大砲を撃ち込んだ長州賊の末裔ではやっぱり無理か。

 戦争で生命を落とした将兵の御霊が鎮まる靖国神社に参拝して、国を護るために犠牲になった英霊に感謝しろと国民に説教を垂れる政権が、ウィルスから国を護るために困窮し、場合によっては生活の基盤すら失うかも知れない人々の前で、これ見よがしに国家公務員の定年延長を語る、まさに自分に都合の良いことしか言わない人非人ですな。


補遺1:この記事の更新翌日(2020年5月18日)、安倍内閣は検察庁法を含む国家公務員法改正を今次国会で断念したと発表した。安倍首相は、国民の理解が得られなければ前へ進むことはできないと述べたらしいが、そんなことを言ったら、これまでも国民の理解も得られず、十分な説明もないままに強行採決した法案はいくらでもあったのではないか。

補遺2:上記補遺の件はさらに呆れた顛末になっている。そもそも安倍政権が国家公務員法に絡めて検察庁法改正までをゴリ押ししようとしたのは、加計学園認可問題や森友学園国有地払い下げ問題、さらに官邸主催の桜を見る会における選挙違反などが大々的な政治疑獄事件に発展するのを恐れて、忠実な番犬として尻尾を振るであろう黒川検事長の定年延長を異例の閣議決定、それを後付けで正当化するために検察庁法改正を目論み、黒川氏を次期検事総長に据えようとしたと憶測されている。ところが5月20日になって当の黒川検事長が新型コロナウィルス流行で緊急事態宣言が発令されて外出自粛が要請される中、事もあろうに新聞記者の自宅で賭け麻雀という賭博行為をしていたことが週刊文春に報道され、翌21日に辞意を表明、22日に辞任した。安倍政権を多くの国民が支持しているうちに、日本という国は“美しい国”どころか“恥ずかしい国”になってしまった。



責任を負わない公式記録

 今回の新型コロナウィルス感染症に関連して、感染症専門家による専門家会議の議事録が作成されていないことが問題になっているらしい。閣僚による対策本部会議や、感染症専門家に経済学者を加えた基本的対処方針等諮問委員会などは発言者を明示した議事録を作成しているが、感染症の専門家会議は発言者が記載されない議事概要にとどまっているとのこと。

 新型コロナウィルス感染症は、欧米諸国のように手に負えないほどの感染爆発を起こしてしまえば取り返しがつかないが、かといってウィルスを恐れて徹底的に人々の活動と交流を封印してしまえば今度は経済が立ち行かなくなってしまう。感染防止か、経済維持か、新型コロナウィルスとの戦いは、この微妙で難しいバランスの上に戦略を立てなければいけない。もし対策を決定するうえでバランスが崩れれば、医療崩壊して1日に何百人何千人もの死者を出す大惨事になるか、倒産企業への救済が行き詰まってやはり膨大な数の自殺者を出す経済恐慌になるか。

 そんな国家の進路と国民の生命に重大な影響を及ぼす会議であるから、政治的素人の感染症専門家たちに過度なプレッシャーを与えないように、発言者の名前を明記した議事録は作らず自由に討論して貰おうというのも一理あるし、もう少し穿った見方をすれば、感染症の専門家は経済活動の再開についてはかなり慎重な提言をするだろうから、早く経済を元に戻したい政治家にとっては、そんな提言の書かれた議事録が残っていると、万一自分たちの経済回復政策が失敗して医療崩壊をきたした場合に責任を取らされる、だから議事録を残さないということも考えられる。

 まさに日本にとって100年に一度の歴史的国難、その経験を後世に正しく客観的に伝えるために専門家会議も正式な議事録を作成するべきではないかとの声が野党やマスコミや国民世論から上がった。しかしそんなことを言ったら、議事録に限らず、我が国の政府や官僚などが作成する公式記録など後世の歴史的審判に耐えられる真実が記載されているのか?官邸が主催する『桜を見る会』とやらに国税を使って招待した客の名簿が異様に速やかに廃棄されたり、ナントカ学園に異様に安く払い下げられた国有地に関する事項が改竄されたり、およそこの国に残された公文書(的な書類)はすべて現世の為政者や政策実施者の責任を糊塗するために手が加えられていると言ってよいのではないか?

 以前に読んだ信じられないような“改竄事件”を紹介しておく。これは森 史朗さんという戦史研究家が2012年9月号の『歴史通』という雑誌に『定説「運命の五分間」を暴く』と題して寄稿しておられ、同氏が新潮選書から2012年に出版した『ミッドウェー海戦』の内容の一部、また他に澤地久枝さんも文藝春秋社から1986年に出版した『記録ミッドウェー海戦』で指摘しているらしいが、とりあえず『歴史通』の中の森 史朗さんの記事で紹介しておく。

 ミッドウェー海戦といえば戦史マニアとまではいえない人々にも、太平洋戦争の分岐点となった海戦として有名と思われる。1942年6月5日に日米機動部隊が激突した海戦で、日本の連合艦隊としては真珠湾で撃ち洩らした米空母を誘い出して撃滅するために立案された作戦だった。

 さまざまな書物や記事や映画によって我々日本人が理解している戦闘の経過は以下のとおり、
午前1時30分、友永丈市大尉の率いる第一次攻撃隊がミッドウェー島空襲に向かった。日本軍としてはこの攻撃に“驚いて”ノコノコ出てくる米機動部隊を一気に撃滅する計画であった。
午前2時20分、「敵状特に変化なければ、第二次攻撃は第四編制を以て本日実施の予定」との予令が発せられる。本来の命令ではノコノコ出てくる米機動部隊に備えるべきところ、ミッドウェー島への第二次空襲を計画していた。
午前4時、第一次攻撃隊の友永大尉より、「第二次攻撃の要あり」との無電が入る。
午前4時15分、「第二次攻撃隊本日実施待機攻撃機爆装に換え」との命令。米機動部隊出撃に備えて雷装(魚雷装備)していた攻撃機を、ミッドウェー陸上基地空襲のため爆弾装備に転換しろとの命令である。
午前4時28分、重巡洋艦利根を発進した水上偵察機の4号機から「敵らしきもの10隻見ゆ」との報告が入る。従来の記事ではこの利根4号機の発進が予定時刻を超過したうえ、“敵らしきもの”などという不正確な言葉を使ったことがミッドウェー海戦の敗因であったと戦後長く信じられている。
午前4時45分、「敵艦隊攻撃準備。攻撃機雷装準備そのまま」との命令。
午前5時20分、「敵はその後方に空母らしきもの1隻を伴う」との報告が入る。
午前5時30分、「艦爆(艦上爆撃機)隊二次攻撃準備、250キロ爆弾揚弾」の命令。

 日本機動部隊の情報の錯綜と混乱ぶりが手に取るようだが、
午前7時20分、旗艦赤城より「第二次攻撃隊、準備でき次第発艦せよ」との信号。ミッドウェー海戦を描いた戦争映画や戦記物ではまさに手に汗を握る場面、あと5分…あと5分あれば日本海軍の精鋭航空部隊は米機動部隊を目指してまっしぐらに突進するはずであった。ところが…、
午前7時24分、赤城から1番機の戦闘機が飛び上がった次の瞬間、雲間から襲いかかったアメリカの急降下爆撃機によって赤城、加賀、蒼龍の3空母被弾炎上、最初の攻撃を免れた空母飛龍は攻撃隊を発艦させて米空母ヨークタウンに一矢報いたが、やがて敵の反撃を受けて沈没、日本海軍はこの1日だけで4隻の空母を失って大敗、以後の戦局を挽回することは不可能な致命傷となった…というのが戦後日本人の大部分が思い描いてきたミッドウェー海戦の“真相”。

 私も小学生の頃から当時の『少年マガジン』やら『少年サンデー』といった少年週刊誌にも時々掲載されたミッドウェー海戦の物語を読みながら切歯扼腕したものだった。あと5分あれば勝てたのに…勝てないまでも空母4隻までも全滅することはなかったのに…。しかしこれが防衛庁(現在の防衛省)に残る戦闘詳報という“公文書”に記録された“史実”なのだから仕方がない。

 しかしこの公文書に虚偽記載があったという。かつて少年時代の私も漠然と違和感を抱いていたし、前記の澤地久枝さんも疑念を抱いたわけだが、この時間経過が妙に合わない。4時に「第二次攻撃の要あり」で魚雷を爆弾に換装する作業を始める、30分後には偵察機から敵艦隊発見の報告が届く、ここで作業手順を元に戻し始めれば少なくとも倍の1時間を見積もっても5時30分には攻撃隊を発艦できたのではないか。空母を伴うと知ったのが5時30分だったとしても、見敵必戦は日本海軍の伝統、敵艦隊よりも島の陸上基地空襲にいつまでも全力を割いていたはずはない。

 森 史朗さんはついにこの戦闘詳報を書いた張本人にインタビューして虚偽の記載を認めさせたという。この戦闘詳報(第一航空艦隊戦闘詳報)を書いたのは第一航空艦隊航空乙参謀の吉岡忠一少佐で、海戦後に戦艦伊勢の一室にカン詰めになって極秘裏に書かされたものらしい。

 吉岡少佐によると、上記午前2時20分の予令
「敵状特に変化なければ、第二次攻撃は第四編制を以て本日実施の予定」
の前文に「本日敵出撃の算なし」という徹底的に油断して弛緩しきった一文が付けられていた。この一文は吉岡少佐が戦闘詳報という公文書から意図的に削除したものだそうだ。
「そんなみっともないこと書けますかいな。」
森さんのインタビューに対して吉岡少佐はこう答えたという。要するに旗艦赤城の司令部は海戦当日、今日は敵は出て来ないと朝から油断していたということだ。

 さらに森さんは、7時24分に被弾直前の赤城から辛うじて発艦した戦闘機の搭乗員 木村惟雄一飛曹にもインタビューしていて、アメリカの急降下爆撃機の急襲を受けた時は赤城の飛行甲板上におり、敵機を認めた次の瞬間、咄嗟に目の前にあった零戦に飛び乗って、艦の急回頭に振り回されて海面に墜落しそうになりながら発艦したという。また第二次攻撃隊で艦爆指揮官を務めるはずだった後藤仁一大尉からも、その時はまだ飛行服に着替えずのんびりと赤城艦上にいたとの証言を得ている。つまり赤城、加賀、蒼龍が相次いで被弾した時、日本空母艦上はあと5分で発艦が完了するかどうかというような緊迫した状況にはなかったということ、完全に不意を突かれた不手際を隠蔽するために“運命の5分間”という虚構が捏造されたと森さんは結論する。

 すべては司令部の油断、それも信じられないような弛みきった油断が原因の敗戦だったが、それが後世に有効な反省材料として公文書に書きとめられることもなく、単に運が悪かったということで当事者たちの責任が問われないような歴史が刻まれていく。ミッドウェー海戦の敗戦の責任を一手に押し付けられたのは、索敵の発艦が遅れた利根の4号機、あれがきちんと出発していれば勝てたのに…、あいつらが“敵らしきもの”などという曖昧な報告をしなければ空母全滅などという悲運は避けられたのに…。

 『ミッドウェー戦記ーさきもりの歌ー』(昭和49年 光人社)を書いた亀井 宏さんは、利根の飛行長だった武田春雄大尉にインタビューしていて、戦時中は司令部から大目玉を食い、戦後に出版された戦記物でもさんざんな書かれようだったことに立腹の由だったそうである。武田大尉は海戦後内地の基地を視察にきた吉岡忠一参謀と会った際、利根4号機の不手際を詫びると、吉岡参謀は「君らの責任じゃないよ。司令部の判断も悪かったんだ」と慰めたという。性格のサッパリした良い人ですなあと武田大尉は感動していたらしいが、戦闘詳報という公文書に虚偽記載してまで司令部の責任を握り潰した当人としては、まあ、他に答えようがなかったのではないか。

 太平洋戦争の致命傷となった海戦の公文書でさえ虚偽の記載で上層部が守られる国である。パンデミックに関する公文書の信憑性がいかほどのものになるのか。まして国有地払い下げや、国税を使った花見の宴会ごとき、上層部に不利になるような記載が書かれているとは思えない。


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