横浜マリンタワー

 2022年9月に2度目のリニューアルを完了して約3年半ぶりに営業再開した横浜マリンタワーに登ってみました。2006〜2009年にも最初のリニューアルをやってましたが、高さ106メートルのマリンタワーは、当初は世界一高い灯台としても機能していたものの、最近は横浜港のシンボルとして観光スポットの役割がメインのようです。

 とは言っても、106メートルの塔頂にある展望台は、東京スカイツリー東京タワーに比べてそんなに高いわけでもなく、また海面越しにみなとみらい地区にある近代的な高層ビル群も見えるし、横浜港の玄関口に架かるベイブリッジも山下公園から見える、何もわざわざマリンタワーに登る必要はないじゃん…というわけで、もう仕事や学会で横浜を訪れることがあっても、みなとみらいで行事に参加し、大桟橋で船を眺め、山下公園でボーッと過ごし、中華街で食事するといった予定を立てるだけで、ついぞマリンタワーに足を向けたことはありませんでした。

 横浜港近辺にいればどこからでも必ず見えるのに、可哀そうなマリンタワー…(笑)。

昔ながらの港ヨコハマの象徴 氷川丸とマリンタワー 足元に繋留されている氷川丸
山下公園越しにみなとみらいを望む 横浜ベイブリッジ

 というわけで、先日ふと思い立って横浜で時間ができた折にマリンタワーに登ってみました。最後に登ったのはいつだったかと考えてみたら、何と、1961年の開館まもない小学校4年生か5年生の頃、まだ日本が高度経済成長する前のことです。60年以上も昔なのですね。

 「ナントカと煙は高い所に上りたがる」の典型的な“ナントカ”である私ですが、横浜に来ればまず船、次に中華料理の順番ですから、展望台から遠くを眺めるという選択肢は思いつかなかった。しかし今回久し振りに登って見えたものは、富士山や東京都心の遠景ばかりではなく、まさにこの60年間の時の流れだったのです。

 母に連れられて訪れたマリンタワー、山下公園前のバス停で母親のネックレスの紐が切れて街路樹の落ち葉に散らばった水晶玉を慌てて拾い集めた思い出と共に、あの時に展望台から眺めた景色で記憶に残っているのは、山下公園の岸壁に繋留されている氷川丸の姿。

 氷川丸もマリンタワーもずっと同じ位置で動きませんから、60年前に見た時とまったく同じ姿に見えるのは当たり前ですが、レインボーブリッジの記事でも書いたように、俯角をつけて見下ろす船の姿は何となく迫力がありますね。船体の塗装は当時はライトグリーンだったと思いますが、小学生の時に見た景色そのままです(写真上右)。

 さてでは昭和30年代のあの日、氷川丸の他に見えたものは何だったのか。山下公園はありましたが、こんなに綺麗に整備されていたわけではありません(写真下左)。1965年(昭和40年)に開通することになる貨物線の山下臨港線の高架工事が行われていたはずだし(山下臨港線は1986年に廃止)、ランドマークタワーだのインターコンチネンタルホテルだのが建ち並ぶみなとみらい地区など影も形も無かったし、今は飛鳥2やにっぽん丸が停泊している大桟橋も当時は箱形の建物を中心とした古めかしいものでした。

 この60年間に新しく付け加わった風物を一つ一つ消していってみると、当時はほとんど低層〜中層建築ばかりの横浜や桜木町の街路の向こうに富士山が聳える関東平野の風景が一面に広がっていたのではなかったか。

 港口に目を転ずれば、今では当たり前にそこにあると思っていた横浜ベイブリッジ(写真下右)、この橋が開通したのは1989年(平成元年)のことだったようです。えっ?少なくとも昭和年間には完成していたような気がしていたけれど…!

 ということは、横浜に来航した英国客船クイーンエリザベス2(QE2)を私が初めて見たときには、この巨大な橋はまだ無かったってこと?半信半疑で1977年(昭和52年)に横浜港で撮影したクイーンエリザベス2入港時の写真を探してみましたが、確かに橋は無かった。もしベイブリッジがもう完成していれば、巨大客船が橋下を通過する光景など絶好の撮影のタイミングですが、そういう写真はありません。

 まさに小学生時代にマリンタワーに登ったあの時から見た『未来』に、私は今住んでいるんだなと、不思議な実感を体験したのでした。


         返らなくっちゃ