政治のリーダーシップ

 今年(2022年)の夏は3年振りに行動制限の無い夏休み・お盆休みとのことで、全国的に人の移動も増えたようですが、たちまち第7波が猛威をふるい始めたせいもあって、観光地や交通機関への経済的効果は期待したほど大きくはなかったかも知れません。しかしいずれにせよ、パンデミック初期の頃のように何が何でも感染を抑え込むために緊急事態宣言も辞さず…的な発想をいつまでも続けるわけにはいきません。どこかで経済回復との折り合いをつけなければいけないので、今年は第7波が来たにもかかわらず行動制限なしということになったのでしょうが、どうもその過程があまりにもお粗末で日本的です。政治家は国の大事な決定への責任から逃げ回っているようにしか見えません。

 まずこの夏、行動制限は行わず経済を回すことを重視するという決定、政治家の中には医学の専門家の先生も大丈夫だとおっしゃっているというような発言をする人がいた。医学の専門家が、行動制限を解除しても大丈夫だなんて口が裂けても言うはずがありません。これからは経済を回すことの方を重視すると政治が決めたのならば、政治家自ら国民に対してそう説明すべきだと、医学の専門家の間からは不満が洩れたそうです。

 行動制限を解除することによってもし感染が拡大しても、それは政治の責任ではないという予防的な伏線を張ったとしか思えません。そう言えばコロナ感染第1波で緊急事態宣言が初めて発令された時の記者会見で、もっと強力なロックダウンまでせずに万一感染封じ込めに失敗した場合の
“責任”を問われた安倍元総理、最悪の事態になっても政治の責任ではない、それは医学の専門家が必要だと言わないからです、とイケシャアシャアと答弁したことに私は唖然としたが、結局日本の政治家はすべて他人のせいにして責任を逃れるのが常套手段なのですね。

 それで第7波が第6波を大きく上回る巨大な波となって医療現場の逼迫が差し迫ってきた8月下旬になって、今度はコロナ患者の全数把握を見直すと言い始めました。それでも一応コロナ陽性になった人数や年齢だけは報告して貰うようですが、細々とした事務作業を伴う医療機関の届出義務に関しては重症者や重症化リスクを伴う人に限るということにしたかったらしい。それで確かに医療現場の事務的負担はなかり軽減されると思いますが、万一軽症と判断された若年者が突然重症化した場合の対応などに問題が生じる恐れがある。

 政治家はそれで何と言ったかと思えば、全数把握の見直しに関しては各自治体の決定に委ねるということになった。当然各自治体は反発して、自治体に丸投げするな、やるなら全国一律でやらなければ隣県との対応の違いで問題が起きる可能性があると指摘したところ、さすがに政府も全国一律でやるように考え直すことになったようです。

 要するにこれも全数把握を見直すことによって何か問題が起こった場合、政府ではなく自治体の責任にしてしまおうという魂胆ですね。何でこんな無責任な連中が国政を動かしているのか。リーダーシップのかけらもない。少し前の記事にも書きましたが、大日本帝国憲法では外交の責任でさえ、条約締結も宣戦布告も政治家は責任を取らない、すべて天皇の責任であるかのように条文をでっち上げてある。

 実際に太平洋戦争中も、なぜ特攻作戦など始めたかと問われた旧軍人の中には、フィリピンで最初の特攻隊が戦果を上げた時に昭和天皇が「そこまでせねばならなかったか、
しかしよくやった」とおっしゃったから止められなくなってしまったと言い逃れした者もいますし、戦艦大和もなぜ特攻に出したかと問われた時には、昭和天皇が「もう日本には艦は無いのか」とご下問されたので出撃させざるを得なかったと答えた者もいます。

 これが戦争だろうがコロナ禍だろうが、日本の政府や軍部の指導者どもの姿なのです。リーダーシップなど微塵もありません。私は日本のリーダー教育の失敗が今も昔も変わらないことに愕然とする思いですが、私はリーダーに必要な資質の二本柱は実務能力と責任感だと思っています。そのうちの責任感がまったく無いのですね。国民や部下に対しては偉そうに振る舞うばかりで、もし自分の施策が失敗した場合は誰か他の人間のせいにする、高貴なる義務(noblesse oblige)などはたぶん言葉さえ知らないんじゃないか。

 普段人民・国民・部下の上に君臨して、身分も保障され優遇されている者は、いざという危機的な状況に際しては自らが先頭に立って責任を全うするのが当たり前です。しかし昔から最終的な責任をすべて天皇や皇族になすりつける風習があった日本に生まれた者は、そういう見識も希薄なまま高等教育を受けて国家の要職に就くからこういう体たらくになるんだと思いますね。



大怪我なのに乱痴気騒ぎ

 今年(2022年)の8月最後の週末、あの東日本大震災からまもなく11年半になる福島県を訪れました。私は震災後は福島県相馬市でいくつかのイベントに加わっていることは時々このサイトにも書いていますが、コロナ禍以降それらの活動も制限されるようになりました。泊まりがけのキャンプはできない、子供たちに玩具で遊ぶ機会を提供する“おもちゃの広場”のイベントも公立相馬病院の小児科外来スペースを利用していたので当然できない。

 しかし少しずつ世の中も平静を取り戻し、「ウィズ・コロナ」に舵を切るようになってきたので、これらのイベントをより安全に行える施設がないか、相馬市内や近郊の視察に行ったわけです。

 私にとっては3年ぶりに関東地方から外に出ることになりました。嬉しかったのはJR常磐線が全線再開通していたこと。コロナ以前に相馬を訪れた時は、いったん東北新幹線で仙台に出てからバスを使う、常磐線の一部区間が開通した後は仙台から相馬まで乗車する、しかし2020年3月にやっと津波被害や原子力災害から立ち直って全線が一本につながりました。品川発仙台行きの特急ひたちで途中乗り継ぎもなく都心から相馬に到着した時は鉄道ファンとして感無量でしたね。

 しかし帰京の列車まで時間的余裕があり、途中の双葉駅で降りて東日本大震災・原子力災害伝承館を見学した時、愕然としました。双葉町は東京電力原子力発電所を抱えていて、2022年8月までほぼ全域が帰還困難区域に指定されたままだったこともあり、双葉駅も常磐線全線再開まで鉄道駅としての営業はありませんでした。駅の東口(海側)には瀟洒な新駅舎が完成していて、バス・タクシー乗り場もあるのですが、人の往来はほとんどなく、コンビニは誘致に応じる店もないそうです。西口(山側)に至っては工事関係車両や重機が集結して、現在も何かの施設の建設が進行中なだけ…。

 これでは地域が活性を取り戻して復興するまで何年かかることやらと暗澹たる気持ちで伝承館を見学、日曜だったせいもあってか予想以上に見学者の人数は多かったのですが、隣接する双葉町産業交流センター(F-BICC)屋上から見渡した風景は寂寞たるものでした。ここは2年前の令和2年10月に開所した施設ですが、周囲には伝承館以外にめぼしい建物はほとんどない。

 山林の向こうには原子力発電所の施設が見え、除染土と思われる土嚢の山が一部に残っており、11年前まで人々の賑わいがあったはずの街路は消滅して、残った平地は雑草で覆われ復興の重機の数もまばら、そして彼方に目を転ずれば灰色の海が広がっているだけ、信じられない気持ちです。

 コロナで私が3年間逼塞していた東京では、この間オリンピックが開催されました。競技場の近くを夜間タクシーで通り過ぎるだけでも、煌々と照明された工事フェンスの奥で何台もの重機が唸りを上げて動き回っており、開会式までに立派な施設が幾つも完成、航空自衛隊のブルーインパルスも飛んでオリンピックとパラリンピックの夏季大会が賑々しく開催されたが、終わってしまえば元の木阿弥どころか、巨額の資金を投入して建設した競技場の大会後の利用計画は杜撰で、年々膨大な維持費による赤字が見込まれる有り様だそうです。

 オリンピック目当ての公共事業が無ければ立ち行かなくなった日本経済を救うためのカンフル剤でしかなかったことは東京開催が決定した頃の以前の記事で予想したとおりですが、終わってしまえば政治家や大商人どもは次のカンフル剤として神宮外苑の大規模再開発計画などに飛びついている。外苑の樹木を伐採するのしないの、新しく建設される球場のフェンスが銀杏並木に影響を与えるの与えないのと、東京では大問題になっていますが、もう日本経済は薬物中毒状態と言ってよいのではないか。

 国が健康なら、11年前に被災した地域の傷が治癒しないまま次から次へと刺激の強い劇物に手を出してカラ元気を絞り出すなんて絶対あり得ない。昔の怪我の傷口が化膿して治りきらないうえに、無駄なぜい肉が付いて肥満した身体を奮い立たせるために、酒は飲むわ、薬は打つわ、このサイトの初期の頃の記事群に書いたとおりの病状の進行ですね。

 あの時はまだ肥満だけだったが、今は福島県だけでなく全国各地に震災や水害による外傷が残り、おまけに新型コロナ感染症などという疾病が国自体をも疲弊させているし、地球環境の二酸化炭素濃度も上昇して産業も回せない窒息状態が近づいている。

 日本経済にとって今はどういう健康状態を目指して、どういう治療を行うべきなのか。もう多少の経済の後退は覚悟のうえで官民挙げて徹底的な療養と大手術が必要と思いますが、やはり政治家にとっても商人にとっても一般国民にとっても、目先の安穏を与えてくれるカンフル剤に頼りがちになってしまうのが難しいところです。
 良薬口に苦し
昔の人が言った諺のとおり、良薬を処方する医者がいても、その効能を信じて全国民に服用を無理強いできるような政治家は、民主主義の下では存在し得ないでしょうね。治りきらない日本の傷口を目の当たりにして、予後不良が想定される日本の現状に暗澹たる思いでした。目先の利益の追求を止め、オリンピックの次は神宮外苑の再開発だなどと言う前に、傷ついた被災地の国土を治癒させることを考えなければ、日本の未来は確実に暗いと思います。



女王陛下の豪華客船

 2022年9月8日、イギリスのエリザベス女王が崩御されました。1952年に25歳で即位してから何と歴代最長の70年にわたってイギリスの王位にあったそうです。1952年(昭和27年)の2月に即位というから、私がまだ5ヶ月の乳児だった頃、つまり私が物心ついて以来イギリスはずっとエリザベス女王が統治する国だったということ、これは大多数のイギリス国民にとっても同様です。思えば私たち日本国民が1989年(昭和64年)に経験したのと同じことを、現在のイギリス国民も感じ取っているのではないでしょうか。

 私も生まれた時からずっと日本の天皇は昭和天皇だった、皇太子殿下(現上皇さま)もいらしていずれ次の天皇になられる方だと理屈では分かっていたけれど、そういう時代が来るという実感はまるでないまま37歳まで過ごしました。それが突然昭和天皇が崩御されて、年号は“平成”で数えるようになった。あの空漠たる喪失感というか虚無感は“ロイヤルファミリー”のいらっしゃる国に生まれた者でなければ共有できないかも知れませんね。

 それにしてもイギリスは女王の国と刷り込まれて育ってきた割には、いくら地球の反対側の国とは言っても、あまりにイギリス王室について無知だったことに反省しきりです(汗)。まずエリザベス女王はロンドンを首都とするイギリス本土だけの女王ではなくて、英連邦とも称されるコモンウェルス・オブ・ネイションズ(Commonwealth of Nations)のうち、イギリスと同じ君主を戴く英連邦王国15ヶ国(2022年現在)すべての女王であり、この中にはオーストラリアやニュージーランドやカナダも入っているというから驚きです。陽の没することなき帝国と謳われた帝国主義全盛時代の植民地支配の名残が今も続いているわけですね。そういえばオーストラリアやニュージーランドの国旗にはユニオンジャックが入っている…、でもカナダ国旗にはないか…。

 エリザベス女王の崩御を受けてにわか勉強に精を出した私ですが、高校時代は世界史が苦手で、地理と日本史で大学受験をしたような者には“大英帝国”を語ることは到底不可能です。そもそも何でヨーロッパの王様は同じ名前が多くて1世とか2世とか呼ばれる方が多いのか。フランスなんかルイ14世とか15世とか…、それが私が世界史が苦手になった最大の理由です(笑)。

 今回崩御されたエリザベス女王も実際はエリザベス2世(Elizabeth the Second)です。前のエリザベス1世の治世は1558〜1603年、特にエリザベス朝と称されたイギリス黄金期の女王でした。ちなみにエリザベス1世の前のメアリー1世(在位1553〜1558年)は異母姉、さらにその前のエドワード6世(在位1547〜1553年)は異母弟、どうです、これでもう世界史から逃げた私の気持ちがお分かりでしょう。これがイギリスだけでなく、フランスにもスペインにもあるのですから…(笑)。日本史なら室町時代末期から江戸時代に至る激動の時代です。

 エリザベス2世の父君はジョージ6世(在位1936〜1952年)、ジョージ5世の息子ですが、イギリスでは王や女王の第一子が王位を継ぐことになっているので、最初は長兄がエドワード8世として即位した。しかし彼は離婚歴のあるアメリカ人シンプソン夫人との恋愛を貫いて王位を離脱、その瞬間に第二子がジョージ6世として王になり、さらにその第一子の女性が将来エリザベス2世として王位に就く運命が決まってしまったとのこと。

 エドワード8世がシンプソン夫人との結婚を諦めていれば、ジョージ6世が王位を継ぐこともなく、エリザベス女王も普通の王族として生きることになったわけですが、エドワード8世が“王冠を賭けた恋”を貫いたのも立派、エリザベス2世が期せずして降りかかった運命を受け入れて70年にわたるイギリス国民への献身を貫いたのも立派。イギリス王室は男系女系も関係なく、第一子が王位を継承する決まりを守っていることは今回初めて知りました。

 さてこういうイギリス王室の系譜を勉強すると、私のような艦船マニアにはピンと来ることがいくつかあります。まずエリザベス女王の父君ジョージ6世の戴冠式(1937年)の祝賀行事として、ポーツマス軍港の港外スピットヘッドで国際観艦式が盛大に挙行され、日本からも重巡洋艦足柄が参加しました。この艦は補助艦の保有制限を定めた1930年のロンドン海軍軍縮条約に基づいて建造された妙高級4隻のうちの1隻で、列強の海軍関係者はその強力な武装を“飢えた狼”と評したと言われています。あるイギリス海軍軍人は、「あれこそ軍艦だ、ウチの巡洋艦などホテルシップに過ぎない」と言ったとか…。

 このロンドン海軍軍縮条約、日本海軍は巡洋艦など補助艦の保有では対米7割を要求したが、当時の浜口雄幸内閣は建艦競争を避ける道を選んで妥協したため、野党であった政友会の犬養毅と鳩山一郎がこれは軍備を決定する天皇の大権を侵害するものだと内閣を攻撃、いわゆる“統帥権干犯問題”を引き起こして日本のシビリアンコントロール崩壊の糸口を作ってしまった、そんな時代にエリザベス女王の父君ジョージ6世は即位したのでした。ロンドン海軍軍縮条約は戴冠式前年の1936年に失効しています。

 ところでジョージ6世の父、エリザベス女王の祖父に当たるジョージ5世はイギリス海軍の戦艦にその名を残しています。海軍軍縮条約が失効したいわゆる“無条約時代”に各国とも条約に縛られない新鋭艦の建造に乗り出しましたが、イギリスで建造が始まったのがキング・ジョージ5世級の5隻でした。

 イギリスに限らず欧米列強では、戦いの場に送り出す海軍艦艇に貴族や王族、さらに提督など高級軍人の名を命名することが多く、これは高貴なる義務(noblesse oblige)の表れではないかと書いたこともありました。エリザベス女王の名を冠する軍艦もあります。1912年度に計画され、第一次・第二次世界大戦を通じて活躍したクイーン・エリザベス級戦艦5隻ですが、これはもちろん16世紀後半のエリザベス1世ですね。あと2017年にクイーン・エリザベスという大型の航空母艦が就役しました。特に資料が見当たりませんが、エリザベス女王2世の御世に就役した空母ですから、たぶん2世を意識した命名かと思います。

 軍艦も良いですが、何と言ってもクイーン・エリザベスといえば20世紀後半を代表する豪華客船にも命名されていて、私などにとっては鮮明な思い出の残る船です。キュナード・ライン社の保有したクルーズ客船で1969年竣工、総トン数70,327トンの当時としては世界最大級の客船の1つでした。

 1975年3月7日の初来港以来、2004年3月1日までに計19回横浜港を訪れていますが、この写真は2回目、1977年(昭和52年)3月12日午前8時に横浜港大桟橋に着岸する時のものです。

 正確に言えば、この船の名前はクイーン・エリザベス 2(The Queen Elizabeth 2)、実は同じキュナード・ライン社で1940年に就航した先代の客船クイーン・エリザベス(総トン数83,673トン)があり、2隻目だからクイーン・エリザベス 2(The Queen Elizabeth two)だということだそうですが、1967年の進水式に臨席したクイーン・エリザベス2世陛下が、
「この船を
クイーン・エリザベス2世号と命名する。神が本船と本船で航海するすべての人々の上に祝福を与え給わんことを(I name this ship Queen Elizabeth the Second. May God bless her and all who sail in her.)」
と宣言したことがBBCで放送されています。つまりエリザベス女王はご自分の名前を本船に命名されたとも考えられるのですね。船マニアは思し召しに従ってこの船をクイーン・エリザベス2世号、または親しみを込めてQE2(キューイーツー)と呼んでいました。

 今でこそ世界中に総トン数10万トンをはるかに越えるメガシップが数えきれないほど就役していますが、当時は7万トンのQE2の船体がとてつもなく巨大なものに見えました。この2回目の寄港の時は、私は医師国家試験受験を終えて人生で最ものんびりしていた頃、QE2が入港するというので朝5時に家を出て横浜山下公園に出かけました。岸壁には多くの見物人がカメラを持って待ち構えているし、上空には新聞社のヘリコプターが飛び回っている、あの雰囲気は今でも思い出せますね。

 QE2の船体は濃紺と純白のツートンカラーで、同系統色の煙突(船マニアは“ファンネル”と呼ぶ)周囲のちょうど女王の衣装の襟元みたいなスロープだけが赤く塗られていて、何とも言われぬ優美な船でしたね。当時のカメラでもその雰囲気は撮し取れているのではないでしょうか。

 この後、私は大桟橋まで行って間近にこの女王陛下に拝謁し、それからまだ国鉄だった横須賀線で横須賀へ、そこで偶然知り合ったオーストラリア陸軍退役軍人のSelfさんと三笠公園へ、その縁で初の海外旅行メルボルンへと、あの頃のいろいろな思い出が一本につながりました。クイーン・エリザベス2世号(QE2)も2008年に引退して、現在はドバイに繋留されて“The Queen Elizabeth 2 Hotel”という海上ホテルとして営業されているとのことです。

 何はともあれ、今回崩御されたエリザベス女王陛下のご冥福を心よりお祈りいたします。



専制国家は自由主義に勝てるか

 今年(2022年)10月、中国で5年に1度開かれる中国共産党大会で、習近平総書記の3期目続投がほぼ決定的との報道ですが、権力の集中を防止するために任期を2期に制限した慣例をいとも簡単に破棄する異例の人事に、いよいよ独裁国家としての本性を剥き出しにした中国の恐ろしさを感じますね。中国国内でも北京市内に習近平の独裁を批判した横断幕が掲げられたようですが瞬時に撤去されたようです。

 安倍元首相の国葬に反対するデモ行進に遭遇した日本在留の中国人が、警官隊が反対派のデモ隊を右翼系のデモ隊から守っているのを見て、国家権力が反対派の言論を護っている、これこそ成熟した国家だと羨ましがっている小さなネット記事を見ました。国家権力が反対派の些細な言論や行動までを圧殺しながら一丸となって突き進む自分の祖国と比較して、おそらく溜め息をついていたのだと思います。

 アメリカもまた民主主義を奉じる自由な国家ですが、今年は中間選挙を控えてバイデン大統領の民主党政権は国内の物価高や移民問題、ヨーロッパで起きているロシアのウクライナ侵略など国内外の重要課題に思い切った手を打つことができずに混迷の状況を呈しています。安倍氏国葬反対デモを羨んだ中国人は、こういうアメリカをどういう風に見るでしょうか。

 現在アメリカと中国はさまざまな国際問題や人権問題や貿易問題で抜き差しならない対立状態にあり、特に台湾問題では戦後最も危険な一触即発の状況に踏み込んでしまったように思います。もしアメリカと中国が偶発的に一戦交える状態になってしまったら、自由主義は専制主義に勝てるのでしょうか。

 選挙など考慮せずに最高権力者の一存だけで国家の行動を決定できる中国と、多数の選挙民の支持を得なければ国策を決定できないアメリカ。反対者など投獄してでも国家の威信を押し通せる中国と、民主党と共和党に代表される国民の深刻な分断を乗り越えるのに苦悩するアメリカ。しかも20世紀までは世界一と自他ともに認めていたアメリカの軍事力も、最近では中国がこれに追いつき、さらに追い越そうとしている。

 どう見ても米中もし戦わば中国に軍配が上がりそうですが、私は政治体制や軍事力だけによる単純比較はできないと考えています。確かに現在の中国は巨大な岩石のような存在感を示すに至っていますが、これに対するアメリカなど自由主義国家群は森林のような柔軟な存在です。何万トンもある巨大な岩が森林にのしかかろうとした時、剛と柔いずれが勝つのか。

 中国は“人民の海に浮かぶ王朝の船”であるという比喩を読んだことがあります。古代の隋や唐の王朝から現在の共産党に至るまで、巨万の人民を従え、巨万の人民に支えられた権力者集団、これが世界史的に見た中国だというのですが、私は実に見事な比喩だと思っています。

 人民が選んだわけでもない王朝、人民の生活から孤立している権力者、人民は歴代王朝や国民党・共産党の存在とは無関係に自分たちの生活を繰り広げている、それが古代から連綿と続く中国の姿。人民は自分たちの生活が保証されている限り権力者の存在を黙認して共存するが、不満が蓄積してくれば群雄割拠して革命が起こる、それが中国の歴史。

 第二次世界大戦で中国に陸軍軍医として従軍した父も手記の中で、「彼らは民を大切にしない権力には自国であれ他国であれ決して頭を下げない民族性を持っている」と記していますし、海軍のパイロットとして日中両軍が対峙する前線上空を飛んだ坂井三郎さんの見た光景はさらに象徴的です。日本軍と国民党軍が陣地を構えて撃ちあっている場所から数キロしか離れていない場所では、中国の農民たちがのどかに田畑を耕していたのだそうです。つまり中国の人民にとっては日本軍が勝とうが、国民党軍が勝とうが構わないということですね。

 中国の権力者にとっては人民は“海”ですから、海が荒れたら船は思い通りに進めない、だから必死になって“海”を鎮めようと躍起にならざるを得ない。なまじ総選挙なんかやって人民の意思を確かめたら船が転覆するかも知れないと戦々恐々としているのが中国の権力者なのですね。そんな国家が自由主義に勝てるのか。

 奴隷みたいに鎮圧された民が自由な民に勝てない戦例もあります。塩野七生さんの『レパントの海戦』は、1571年にイタリア海洋国家群やスペインなどキリスト教国連合軍とオスマントルコ海軍の戦いを描いた作品ですが、キリスト教国軍の軍艦を漕いでいたのは志願した市民などの自由民、これに対してトルコの軍艦を漕がされていたのはキリスト教徒の奴隷たち。トルコ艦隊の船底に鎖で繋がれた奴隷たちが、戦意旺盛なキリスト教国艦隊にかなうはずがありませんし、さらに当時の海戦は敵艦に横付けして兵員が相手の甲板に乗り移り、白兵戦を繰り広げるわけだから、そこでトルコ艦を漕がされていたキリスト教徒たちを解放すればたちまち兵員数は倍になる。こうして最初の勢力は互角だったが、戦いが推移するうちにトルコ艦隊は制圧されていった。

 これと同じことは中国と自由主義国家が戦う時にも起きる可能性が高い。戦争になればウイグルやチベットなど中国国内で抑圧されていた少数民族や、自由の味を知っている香港住民などはまず間違いなく内部蜂起するでしょう。人権が抑圧されればされるほど有事の際の反撥は強くなる、古来中国の権力者はそのしっぺい返しを何より恐れてきた、習近平も例外ではないと思いますが、彼らもなまじ人民に迎合して自由と民主主義を与えるわけにも行かない。彼らなりのジレンマがあるわけです。

 巨大な岩が森林に覆い被さったとしても、やがては表面が風化して植物が芽を吹き、森林に呑み込まれていくでしょう。古来の革命と同じこと、しかし共産党の後にやってくる中国の権力者に自由や民主主義を期待するのは難しいかも知れません。やはり彼らも“人民の海”を渡っていかねばならない“船”に過ぎないのですから。



愛国と売国

 旧統一教会(現 世界平和統一家庭連合)の問題は、高額の寄付や霊感商品で当たり前の生活を破壊された元信者やその家族、さらに宗教二世信者たちの被害の実態が次々と明るみに出て、そういう被害者を救済する法案の制定が緊急の課題になっているが、統一教会とズブズブの関係になっている議員を徹底的に洗い出してウミを出し切ったとは到底思えない自民党や一部野党、さらには自らも強力な宗教母体を持つ公明党などが、本腰を入れて法案成立に取り組むだろうかという疑問は今ひとつ拭いきれない。

 そもそも旧統一教会問題は安倍元首相殺害事件をきっかけに浮上したのであって、もしあの事件が未然に防がれていたら、あるいは安倍元首相が一命を取り止めていたら、国を挙げてのこんな問題に発展することもなく、旧統一教会に票田のお世話になっている議員どもは、未だに信者や信者家族たちの犠牲の上に胡座をかいて、のうのうと政界に君臨していたに違いない。それも恐い問題で、そう考えるとこの問題は一片の法案成立をもって簡単に幕引きできるものでないことは明らかだ。

 なぜ我が国の政界に統一教会という一種のカルト宗教がここまで勢力を張ってしまったのか。それこそが大問題である。私は戦国時代末期に豊臣秀吉がキリスト教の布教を禁じざるを得なかった事情との共通点を見るような思いだ。

 日本に来航したヨーロッパの宣教師たちは、口先では神の祝福を説いて信者を増やし、権力者たちには異国の珍しい品々を献上したりして、着々と日本に拠点を築いていった。しかし一方でヨーロッパの宣教師や商人たちは一部の大名に新しい戦争に不可欠な火薬を供給するのと引き換えに、多数の日本人を奴隷として連れ去ったと言われている。まさに奴隷貿易であり、1582年にヨーロッパへ渡った天正遣欧少年使節の一行は、全裸で鎖に繋がれた日本人女性の悲惨な姿を目の当たりにすることになった。

 ヨーロッパ人が火薬と引き換えに日本人奴隷を買い求めたのか、あるいは大名が火薬欲しさに日本人を売り渡したのか、おそらく両方の一面があると思われるが、まさにこの日本人奴隷売買こそ今回の統一教会問題と瓜二つと言ってよい。

 戦国大名は火薬欲しさに日本人を売り渡した、または連れ去られるのを黙認した。統一教会ズブズブの政治家は選挙支援欲しさに日本人信者が多額の金を搾り取られるのを黙認した。どちらも紛れもない売国奴の行為である。旧統一教会の教義には、日本人信者は献金させるための金ヅルであると同時に、日本人女性には集団結婚で韓国人と結婚させ、できるだけたくさん韓国内に住んで貰うとも明記してあったそうだ。

 一部の戦国大名も、統一教会ズブズブの政治家も売国奴であるが、彼らとて個人的な欲に目が眩んで日本人をヨーロッパや韓国に売り渡したわけではないところが問題の難しいところ。戦国大名も領地を防衛して領民を護るためには鉄砲隊に必要な火薬を早急に手に入れる必要があっただろうし、ズブズブ政治家も戦後の保守政治を貫くためには選挙の際の票田が必要だったはずだ。

 では国や領地を護り、政策を実行するという権力者にとっての“愛国心”のために、一般庶民を外国人に売り渡す“売国奴”の行為が許されるのか。亡くなった人を例に挙げるのは心苦しいが、岸信介氏や安倍晋三氏は保守政治の本流としての政策を実現するために多数の自民党員を政界に送り込む必要があり、そのために統一教会の支援も必要だった。保守的な国民から“愛国者”と讃えられる政策を実行するために“売国奴”の行為を容認したのだ。

 領国防衛に不可欠な火薬のために奴隷を売った戦国大名は愛国者なのか売国奴なのか。戦後の保守政策実現のために日本人統一教会信者を見殺しにしたズブズブ政治家は愛国者なのか売国奴なのか。この点をはっきりさせないままでは、統一教会問題の根本的解決は困難なのではないか。

 豊臣秀吉はなぜ戦国時代末期にキリシタン禁令をなし得たのか。ヨーロッパのキリスト教諸国は火薬に限らず数々の貿易品目の入手先であり、“国益”のためには粗略にしたくない外国であったろうが、奴隷輸出だけは絶対に許せない。そういう状況でも豊臣秀吉は表向きには布教を禁止できた。“統一教会追放”のためには今こそ豊臣秀吉の“英断”を研究するのも有効かも知れない。



新幹線、お久し振り!

 先日、私の所属するある学会が仙台市で開催され、コロナ禍のここしばらくは参加を見合わせることも多く、また参加するにしても特に地方開催の時はリモートのウェブ参加ということばかりでしたが、本当に久し振りに現地へ出かけることになりました。これまで首都圏に逼塞していた私は飛行機はもちろん、新幹線さえもまったく乗る機会が無かったわけですが、何と3年振りに東北新幹線を利用しました。

 3年振りに乗った時速300キロ超の東北新幹線、いや、速かったですね。景色がビュンビュン後方へスッ飛んでいく、相対速度は600キロを超えているから秋田新幹線「こまち」や山形新幹線「つばさ」を連結した全長400メートルを越す対向列車が2〜3秒ですれ違ってしまう。以前の記事で書いた“素晴らしく速い列車”など問題になりません。

 この3年間忘れかけていた新幹線のスピード感に軽く酔いながら、新幹線ってこんなに速かったっけ…と旧国鉄からJRへと受け継がれてきた並々ならぬ卓越した技術に感嘆するばかりでした。しかも日本の新幹線は1964年に営業運転を開始して以来、現在までたった1人の人身事故による死者もないし、秒単位の正確な列車運行は世界中から驚嘆されている。立派なものです。

 1964年に開業した頃は『夢の超特急』と呼ばれていました。時速200キロで安全に営業運転している鉄道など世界中どこにもなく、まさに“夢”だったわけです。当時は客室内に現在速度を表示する電光掲示板があり、その数字が“200”を指すと車内に歓声が上がることもあった、そんな時代でした。

 その後も“新幹線”はさらに進化を続け、2022年現在で最も運転速度が速いのはE5系・E6系と呼ばれる車両を連結した東北・秋田新幹線の「はやぶさ」「こまち」の時速320キロ。あの頃の東海道新幹線「ひかり」よりも5割増し以上の驚異的なスピードというのに、誰も“夢”とは言わなくなった。

 あまつさえ近年では、日本の新幹線よりも俺たちの高速鉄道の方が優れているなどと、過去に大惨事を起こしながらそれを揉み消そうとした某大国がイチャモンを付けているようですね。日本の新幹線は何より安全かつ正確な定時運行が売りなのですから別に気にすることはないし、高速鉄道導入に当たって日本の新幹線技術を買わなかったような国は某大国の経済的植民地に成り下がるのも覚悟の上…なんでしょうね。

 久し振りに新幹線のスピード感に酔いながら、私はふと疑問に思ったことがあります。現在建設中のリニアモーターカー(JR東海のリニア中央新幹線)ですが、超伝導電磁石で車体を浮揚させ、時速500キロで東京・名古屋間を最速40分で結ぶって、果たしてそんな“超”高速鉄道が日本に、いや世界に必要なんだろうか。

 時速200キロ出しても300キロ出しても誰も“夢”と呼ばなくなった、その程度のスピードなら俺たちの国の方がもっと“良い物”を作ってやるぞと根拠もなく威張り散らす国もある、そんな内外からの評価の低下に心安らかでいられなくなった日本の鉄道技術者たちの気持ちはよく分かります。しかしじゃあ今度は時速500キロの営業運転を見せてやると勇むのは少しばかり危険ではないか。私は戦艦大和とリニア新幹線のイメージが重なったのですね。

 以前の記事で、物作りでも商売でも科学研究でも必ずしも過去の延長線上に未来はないと書きました。我々後世の人間は、46センチ主砲を搭載した巨大戦艦大和・武蔵を建造した日本海軍の時代錯誤を歴史の後知恵で笑うわけですが、リニア新幹線も戦艦大和・武蔵の憂き目を見ることはないのでしょうか。

 30.5センチ主砲搭載の戦艦三笠を旗艦とした日本の連合艦隊は日本海海戦で大勝利を収め、以後海上決戦兵力としての戦艦の主砲は35.6センチ(金剛級)、41センチ(長門級)、46センチ(大和級)と口径を増していったが、最後は結局海軍内部からさえも「世界三大無用の長物は万里の長城・ピラミッド・戦艦大和」と揶揄される存在になってしまった。

 新幹線の運転速度も開業時の時速200キロから220キロ、270キロ、285キロと順次スピードアップしていって、ついには320キロで走る列車まである。これを500キロまで上げた時に何が起こるか。JRの運営に当たる方々はそれをよく見極めること、実際に高速鉄道に情熱を傾けるエンジニアに丸投げしていてはいけません。最高運転時速500キロの“超”高速列車が実際に営業運転を始めた時に、JRに何が起きるか、日本に何が起きるか、世界に何が起きるか。

 確かにリニア開業当初は、山手線一周するよりも早く東京から名古屋まで行けるぞと国内外とも驚愕するでしょうが、それも最初のうちだけ。従来の新幹線はリニアと競合する区間でまず間違いなく赤字路線に転落します。現在の新幹線の中でも特に優良な営業成績を誇る東海道新幹線の東京・名古屋・大阪間が赤字路線になったらどうするのか。

 本当に急ぐ乗客たちだけが利用するくらいの運行間隔で営業して、残りは“従来の新幹線”を利用して貰うんだということかも知れませんが、本当に急ぐ人は飛行機を使うんじゃないでしょうか。東海道新幹線が営業開始した1960年代はまだ旅客機の墜落事故が時々起きていて、“飛行機恐怖症”の人もそれなりにいた。そういう人たちは地面に足を付けたまま東京・関西圏を日帰りできるのは有難かったはずです。(私自身もそうでした・笑)

 しかしリニア新幹線も地面から浮き上がって時速500キロで走る、これは旧海軍の零式戦闘機の巡航速度より2倍近く速いんですね。零戦21型の巡航速度は250キロです。そんな物が地表スレスレを飛ぶように走るわけですから、またリニア恐怖症の人が現れるかも知れません。

 リニア新幹線は営業的に飛行機に勝てないと思います。飛行機に沈められた戦艦大和を彷彿とさせるような気もしますけれど、リニア新幹線のライバルは飛行機だけではない。もうずいぶん前から、観光旅行は駆け足で名所巡りをするものという概念が薄れていて、旅行者がそれぞれ好みに合わせてゆったりと非日常の時間を楽しむものというふうに変わってきている。“乗り鉄”の旅行者なら話のネタに生涯に1度か2度くらいリニア新幹線に乗るかも知れませんが、決して常連にはならない。またビジネスの出張旅行もすでにコロナ禍ですたれてきていて、いずれウェブ上のリモートワークに取って代わられる。

 鉄道技術者の方々が精魂込めて開発したリニア新幹線ですが、私は従来の新幹線路線までを赤字に追い込む中途半端なものになりかねないと思います。しかし世界最先端を切り拓いたせっかくの超伝導技術ですから、それを日本の国家プロジェクトの一環として活用しなければいけないのは当然です。物流や郵便事業への支援、工業生産拠点同士の連結、国土防衛への応用など、もっと専門家の方々が知恵を絞れば、発展途上国なども含めて高度な技術の転用先はいくらでも思いつくんじゃないでしょうか。



防衛費増額論議

 2022年も押し詰まった頃になって急に降って湧いたような国防費増額論議、NATO並みのGDP比2%への引き上げを目指すもののようですが、多くの識者をはじめ与党議員さえもが指摘するとおり、あまりにも唐突で急なように思えます。まさに「兵は拙速を尊ぶ」を地で行ったような今回の防衛費増額問題、ロシアのウクライナ侵攻、中国の覇権主義的軍備拡張、北朝鮮の性懲りもないミサイル発射実験など、20世紀には考えもしなかったような緊迫した国際情勢に対応するため、環太平洋や欧米の同盟国と足並みを揃える国家間の協調も必要なのでしょう。

 その防衛費増額分が年間約4兆円、そのうちの約3兆円は支出削減や剰余金などの予算措置で補うとして、残りの約1兆円を増税で賄うとした岸田首相の原案に、野党ばかりか身内の自民党内からも異論が続出して大騒動になりましたが、法人税、たばこ税のアップと、所得税のうち東日本大震災の復興特別所得税の半分を実質流用する形で調達することで党内取りまとめを行なったようです。

 20世紀の頃までなら考えられないほど乱暴な防衛費増額で、野党や世論の反撥ばかりか与党内の波乱も招くことになりましたが、ロシアの極東侵攻や中国の尖閣占領なども現実問題として起こり得ることが誰にも否定できない状況になった以上、このくらいの防衛努力はしておかないと、いざという時に同盟国の支援を受けられるかどうかも覚束ないという判断なのだと思いますし、すでにそういう国際的な相互認識も舞台裏では交わされている可能性が高いと私は思います。

 ですから私は防衛費が現在の2倍程度に膨らむことも、その一部が国債ではなく税金で賄われることも、国民として受忍すべき残念な時代になってしまったと考えますが、東日本大震災の爪跡がまだ生々しく残る東北各地を見聞きしている私としては、震災復興の特別所得税までを切り崩して防衛費に充てる以上、防衛関係者はその使途を決して誤ってはならないと思いますね。

 2021年に開催された東京オリンピックでは、競技場の建設費なども見誤って結局高いものについてしまったばかりか、贈収賄で私腹を肥やした不逞の輩のために国民の“血税”が湯水のごとく使われた形跡があって現在捜査中、我々はこんな情けない上層部の有り様を目の当たりにしたわけですから、こと国防費に関する限り、その使途は厳正な上にも厳正に、さらに戦闘機1機、ミサイル1発といえども無駄な買い物はしないで、最大限有効な配備を目指して貰わなければいけません。

 国防予算で何と何を調達するか、そんなことは“軍事機密事項”ですから、何もいちいち国会やマスコミに逐一細目を公表する必要はありませんが、戦艦大和の過ちだけは繰り返して欲しくない。戦前の日本海軍は大和型の超大型戦艦2隻(大和・武蔵)の予算を計上するに当たり、6万トン級の戦艦として予算を要求すればその金額から内外に概要が露見してしまう、あくまで機密保持のために3万トン級の戦艦として予算を要求し、不足分については架空の駆逐艦と潜水艦として要求した。

 しかしそうやって苦労して予算を捻出した戦艦大和・武蔵も何ら戦局に寄与することなく、当時の国民の血税は空しく海の藻屑と消えてしまったわけです。今回も震災からの復興予算まで流用して捻出することになる防衛予算、いざ仮想敵国が向けてきた矛先を外すことができなかったら、それは戦艦大和の二の舞であって、自衛隊の最高指揮官たる総理大臣以下関係者一同、腹を切って国民にお詫びするくらいの覚悟でやって頂きたい。



災厄の一里塚

 今年(2023年)の1月15日は国内で初めて新型コロナウィルス感染症が確認されて3年目となりますし、1月17日は阪神・淡路大震災から28年目、さらに2月24日はロシアのウクライナ侵攻が始まって1年目、3月11日は東日本大震災と原発事故から12年目です。本当に1年の最初の1/4だけで日本にとって最大級の災厄を思い出させる節目の日が、よくもこう次から次へと3つも4つも重なるものだと驚きますね。

 私の世代の多くの者にとって、こういう歴史的な一里塚は1964年の東京オリンピックが最初でした。私はあの頃の出来事を振り返る時、東京オリンピックの何年前とか何年後という数え方をしますし、西暦と年号(昭和)を換算するときの起点は1964年と昭和39年でした。あの頃、全国民的トラウマとなるような大きな災厄はなかったと思います。

 今にして思えば、昔の記事にも書いたとおり、こういう日本の歴史にとって輝かしい一里塚を持つことができた私たちは、古今東西の歴史の中で最も恵まれた世代だったと思います。「戦争反対」「軍備反対」「自衛隊反対」と能天気な政治的スローガンを叫んでいられるほど日本を取り巻く世界情勢は安定していたし、日本列島の自然も地球の気候も今よりももっと穏やかに優しく日本国民を包み込んでくれていました。

 少年時代から今日まで私の頭にあった日本の歴史の“一里塚”は東京オリンピックだった、そして私は無意識のうちにそれを起点として自分が生きた日本の時の流れを測ってきた。そう気付いた時に私がハッとしたのは、今の若い人たち、中でも30歳代以下の世代にとって日本列島の歴史の一里塚は何なんだろうということでした。

 私たちの一代前、親の世代にとってそういう一里塚はたぶん1945年(昭和20年)の終戦だったことは間違いありません。戦地に召集され、連合軍の砲爆撃に晒され、荒廃した焼け跡の中から立ち上がって私たちの世代を育ててくれた。親たちは常に「戦争が終わって何年」「戦後の苦節何年」と数えてたんだろうと思います。あの世代に見られたある種の恩着せがましさ、苦労して育ててやったんだという傲慢さも、そう考えれば納得もいく。

 では今の若い世代が眺めている日本の歴史の一里塚って何でしょうか。この記事の冒頭に挙げたようなロクでもない災厄ばかりなのか。せっかくの2020年東京オリンピックもコロナで1年延期されたうえに運営面では金まみれ、利権まみれ、スキャンダルまみれになってしまった。あの世代全体の総体的な思考や行動に影響を及ぼしうる大きな歴史的出来事といったら、やっぱり大震災とか新型コロナとか戦争くらいしかないのでしょうか。

 中でも新型コロナは一番深刻かも知れません。私なども身近な友人たちやかつての同僚や部下や教え子たちと一緒に過ごした最近の思い出を振り返った時に、脳裏に浮かぶ面影がマスクをしていなければそれは3年以上前の出来事と断言できてしまうし、最近3年間の面影はマスクで顔の下半分が隠されている。私たちはこの3年間、顔の上半分しか見えない状態で会話をし、散策をしていたわけです。食事の時も食物を口に運ぶ以外はマスクをしていました。

 さらに密を避けるとか言ってあまり大人数で集まることはしなかった。2人よりは5人、5人よりは10人で集まった方が楽しいこともあるのに、この3年間は敢えてそうしなかった。ただ私の場合は70年間生きてきてそれなりに分別も付いた後の3年間のことでしたが、例えば10歳の小学4年生の場合、10年間のうちの3年という物心ついて間もないかなりの時間をそういう異常な状態で過ごしてきたことになります。

 特に今年の新成人くらいまでの若者世代にとっては、人類が生存戦略として選択した集団形成を訓練するべき人生で最も大切な期間を、それぞれの年齢に応じた3年間という比率の分だけ失ってしまったことになる。大人の世代から見ると、自分たちが送ってきたのと同じ幼少期や青春期を経験することができなかった若い世代が気の毒ということもありますが、もしかしたらそういう情緒的な同情だけでは済まない恐ろしい一面も無視できなくなるかも知れません。

 成長期に失ってしまったそういう訓練は、若ければ若いほど後から取り戻すことが困難になります。日本人として若い世代が負ったコロナの傷をこれから癒す方法は、他の災厄を利用するしかないのではないか。東日本大震災以降10年ほどの間に幾つも引き続き、さらに今後も引き続くであろう震災や気象災害、それらに立ち向かう国民的連帯をいっそう強調すること、またウクライナや他の戦乱地域で苦しむ諸国民にも国際的連帯の手を差し伸べる活動も強化すること、コロナで人間同士の連帯を学ぶ機会を大幅に失ってしまった若い世代に、大人世代が率先してそれを実行することは大切かも知れません。

 ボランティア・ベースだけでなく国家の政策レベルで、困難に直面する人々への連帯を強調・強化する国の姿勢を若い世代に印象づけることこそが、彼らがコロナで失った人間の絆を取り戻す希望につながるのではないかと思います。



理念なき古き政治

 今年(2023年)1月25日、都内のあるホテルで行われた日印協会の会合における森喜煬ウ首相の発言が伝えられ、私は自分の耳を疑った。来月で間もなく1年になるロシアのウクライナ侵略、日本政府もさらなるウクライナ支援に力を入れようとする中で、そんなにウクライナに肩入れして良いのかと疑問を呈したらしい。

 森氏の言わんとするのは、ロシアが負けるはずはない、いずれこの侵略戦争の戦後処理が必要になるが、その時にロシアと話し合うパイプを作っておくのが日本の役目だ、これまで築いてきた日露関係を大切にしなければいけないということらしい。

 何の妄言を吐いているのか、日独伊三国同盟の時代から少しも変わっていない日本の古い政治の体質を垣間見るようだ。あの時はナチスドイツの破竹の電撃戦に目が眩んで、「バスに乗り遅れるな」を合い言葉に枢軸国側にホイホイ加担してしまった。今回もロシアという大型バスが無くなることはないから、「バスの指定席は確保しておけ」と言わんばかり。現下の国際情勢でどういう理念を掲げることが重要かという視点がなく、ただ目先の損得だけを考えてどちらの陣営に肩入れするかを決める。そういう国際感覚の欠如が、日独伊三国同盟の時と変わっていないというのだ。

 大国ロシアが敗北することはなく、ウクライナ侵略の戦後処理では少しでも有利な対露関係を築きたい、そんなことはアメリカもNATOヨーロッパ諸国もどこの政治家だって考えているはずだ。ただどこまでウクライナを支援してもロシアの暴発を招かずに済むか、そういうギリギリの選択までを考えながら、ついにイギリス、ドイツ、アメリカは自国の最新鋭戦車をウクライナに供与することを決定した。森喜燻≠フような古い政治家はこれをどう考えるのか。

 日独伊三国同盟の時は、ドイツとイタリアのファシズムがヨーロッパ世界を席巻するように見えた。日本はそんなに熱烈にファシズム国家になる意志は持っていなかったと思われるが、中国大陸の経済市場をアメリカと争ううえで、地理的に隔絶したドイツ・イタリアと結ぶ方が有利という目先の損得勘定が先に立ったのではないか。ファシズムの全体主義か、自由を謳歌する民主主義か、そういう国際理念の選択などは眼中になく、ただひらすらに商業的な目先の損得にこだわって突進したのが大日本帝国だったと思う。

 今回の森喜燻≠フ発言もまったく同じ思考回路の産物である。現在ウクライナ問題を巡って問題になっている国際理念の対立は、人権を蹂躙するロシアの拡張主義を許すか否かということである。ウクライナの国家主権を無視し、女性や子供を含む一般人までを標的にして、領土的野心を遂げるために数々の残虐行為も辞さないロシアを容認するか否かということである。

 ロシアにもそれなりの言い分はあるようでいろいろ理屈をつけているが、オリンピックでさえ国家ぐるみのドーピング違反を平気で行うような国の言うことなど信じられようか。圧倒的な軍事力で他国の支配を目論む国を認めるのか、すべての国家の主権を認め合う国際協調で平和を維持する立場を求めるのか、それが現在国際的に迫られている理念の選択である。かつて一国の宰相まで務めた要人が政府の方針を無視して軽々しく発言すべきことではない。

 もちろんそんな国際理念など裏へ回ればキレイ事に過ぎないかも知れない。アメリカだってベトナムやグレナダやイラクを軍事力で蹂躙しようとした前科があるし、またどの国だって戦後の“ロシア利権”を巡ってうまく立ち回ろうとするだろう。そんなドロドロした舞台裏の事情があることくらい分かったうえで、それをドヤ顔で表舞台の会合に持ち出して得々と持論として述べる、いったいどういう神経の持ち主なんだろうと思ってしまう。

 アメリカの現野党である共和党の中には、ウクライナ支援を今より減らすべきだと述べる議員もいるが、これは二大政党制のアメリカで次期政権を狙う戦略と見ることで納得もできるが、日本でかつて首相を務め、オリンピック組織委員会会長になったものの男女差別発言でクビを切られるなど、何かと注目される政府要人が軽々しく発言した意図は不明だ。アメリカや西欧諸国の価値観をまるで理解していないのではないか。

 西欧世界には軍事力を背景に野望を遂げようとする国を絶対に許さないという歴史的教訓があると思う。そういう国を一時的にでも許せば後々大変な代償を支払うことになるという先人たちの教訓が…。

 一つは第一次世界大戦後、当時のベルサイユ条約で再軍備を禁じられていたナチスドイツがいつの間にか軍備増強、チェコのズデーデン地方を併合しても当時の米英など連合国側は戦争勃発を恐れて静観を決め込み、後の第二次世界大戦につながったと言われる。なおズデーデン地方は親独系住民が多く、ナチスドイツによる併合はまるで今回の親露系住民を口実にしたロシアのウクライナ東部やクリミア占領と同じ構図である。

 またもう一つは中世のビザンチン帝国(東ローマ帝国)滅亡、14世紀にアジアのアナトリア平原に勃興したオスマン・トルコは地中海方面へ西進を始める。しかしジェノヴァやヴェネツィアといった地中海の海洋国家群は互いの内紛からビザンチン帝国の救援を怠り、トルコ軍が蒙古帝国に制圧された好機さえも逸したために、首都コンスタンティノープルは1453年に陥落、現在はイスタンブールと表記されるトルコの首都になっていることはご承知のとおり。

 主にこの2つの歴史的事例は西欧諸国のトラウマになっている可能性があることを、我々島国の国民は洞察しておかなければいけないだろう。現段階でロシアのウクライナ侵攻を見過ごせば、旧ソ連圏だった東ヨーロッパ諸国には、かつてナチスドイツに蹂躙されたヨーロッパ大陸、あるいはトルコに奪われたビザンチン帝国の首都と同じ運命が待っていると感じているはずだ。軽々しくロシア寄りの発言をすることは、この西欧諸国からの信頼を失わせることになる。



ウクライナ侵略戦争と日本の覚悟

 2022年2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻を開始して1年目、戦争はまだまだ終わりが見えない泥沼に突入したままだ。おそらくロシアのプーチン大統領はウクライナなど鎧袖一触で1〜2週間もあれば全土を制圧できると考えていたに違いないが、欧米の軍事・経済支援を受けたウクライナ軍の抵抗の前に苦戦を余儀なくされている。

 ウクライナ各地で伝えられるロシア軍の戦争犯罪や、一般市民や生活インフラを標的にしたミサイル攻撃の報道には目を覆いたくなるが、国際社会や市民社会からの厳しい批判に晒されてもロシアは戦争を止めないだろう。俺の言い分を聞かなければ死なばもろとも…とばかりに核兵器をちらつかせるロシア。世界最高の統治機関であるはずの国連ですら手の出しようがない。

 ロシアなど暴力団のようなならず者国家を国連安全保障理事会の常任理事国にして、拒否権まで与えてしまったために国連が機能しなくなったという批判も一理あるが、その批判の一部は我が国の過去にも返ってくるものだ。日本やドイツなど戦前の主要枢軸国が、俺の言い分を聞かないなら辞めてやるとばかりに国際連盟を脱退し、第二次世界大戦につながっていった歴史の反省から、大国を国際連合の枠組み内に引き止める窮余の策として米・英・仏・中・露には拒否権を認めたのである。当時はスターリンのソ連に大日本帝国のような真似をされたら大変だという思惑も大きかったのだろう。ちなみに満州国独立を認められずに日本が国際連盟を脱退したのは1933年、「
ひどくさみしい国連脱退」と覚えたものだ。

 ロシアによる戦争の論理も、女性や子供に対する残虐な戦争犯罪も到底許せるものではないが、そういう人権とかヒューマニズムの観点からどんなに強くロシアやプーチン大統領を非難しても、彼らが決して戦争を止めようとしないのは、この1年間の経過を見れば分かることだ。「戦争はイヤだ」「残虐行為は止めて」「話し合いで解決しろ」と国際社会が呼びかけても無力である。特に日本人は「それでも何とか根気よく…」と情緒に訴えようとする人が多いが、そろそろ日本人も目を覚まさなければいけない時期が来たように思う。

 いったん戦争を始めた国家がイデオロギーを変えて戦争を止めることなどあり得ない。1904〜1905年の日露戦争だって、バルチック艦隊が完全に無力化されたからロシアは国際社会からの仲裁をいやいや受け入れたのであって、それも最初のうちは賠償金問題や領土割譲には尊大に応じようとしなかったのだ。

 アメリカだってベトナム戦争を止めたのは、インドシナ半島の共産化を防止するための国費や人命の出費が割に合わなくなってきた要因が大きいのであって、国際社会や市民社会からの“反戦”イデオロギーに屈したわけではないし、日本だって大東亜共栄圏構想を放棄したのは陸海軍が完膚無きまでに敗北したからである。

 要するにいったん戦争を始めてしまった国家を止めるためには、その国の軍備を破壊するか、野望を達成するハードルの高さを思い知らせるしかないのではないか。「金さえ出せば世は平和、弾さえ撃たねば事もなし」と戦後の非武装平和主義を決め込んできた日本人も、そろそろ目覚める時期ではないかということだ。

 ロシアに戦争を止めさせるために今すぐ現実に必要なのは、ロシアを非難する言葉でもないし、ウクライナの戦後復興支援の口約束でもない。本当はこんな事は言いたくない、書きたくもないけれど、それは武器である。日本は憲法上の制約から武器の輸出は原則禁止されている。そのことが海外への販路を持たない我が国の防衛産業の基盤を弱くしている問題はこれまでも指摘されていたが、ロシアのウクライナ侵略を巡って事態はもっと別の次元に飛び火する可能性がある。

 スイスは永世中立の政策からウクライナへの弾薬供給を拒んでいるが、軍事支援に消極的だとして西側ヨーロッパ諸国からの圧力が強まっているばかりでなく、永世中立政策がロシアの侵攻を容認しているとしてスイス国内世論も分裂しているらしい。これは日本にとっても他人事ではない。

 まあ、スエズ運河やパナマ運河を通って日本製の戦車や大砲をウクライナへ送るという話には当面ならないだろうが、もし中国が台湾侵攻を開始したり、南シナ海で東南アジア諸国と大規模な軍事衝突を起こした時に、我が国は憲法第9条があるから武器の支援はできませんと言えるかどうか。仮に毅然とそう言い放ったとして、次に中国が東シナ海や日本海で我が国の領土を侵してきた場合に、今度は自国だけで対処できるのか。古来戦争の策略に長けた中国は例えば尖閣諸島を攻略するに当たって、そういう武器支援のジレンマを衝いて我が国を孤立させてから侵攻を開始すると思われる。

 「もう戦争は止めて」と呼びかけ、訴え続けるだけでは大国が戦争を止めない現実を突き付けられた今、我が国は戦後維持してきた平和主義を変化させることも必要になったのではないか。私はずいぶん前に別のコーナーで、日本人は情緒で戦争をすると書いたことがあったが、戦争だけではない、反戦も情緒に頼って来た面がある。誰だって戦争はイヤだし、平和に暮らせるのが一番に決まっているが、我々日本人も大国に戦争を止めさせる冷徹な原理を改めて考え直す覚悟が必要なのではないか。



原発災害の教訓は消えたのか

 また今年(2023年)も3月になり、間もなくあの東日本大震災から12年目を迎えます。ということは現在の小学生は誰一人あの震災の記憶を持っていないということだし、大多数の中学生にとっても物心がつく前の出来事でしかないわけです。太平洋戦争が終わって6年目に生まれた私自身と同じことが、今の小中学生にとっての東日本大震災に相当するということ。

 東北各地に震災遺構の保存が進み、伝承館や記念館が建設され、当時を知る語り部の人たちが被害を語り続けてくれていますが、やがては東京大空襲や関東大震災の生々しい記憶が失せていったのと同じように、東日本大震災もまた、他の大事件や大事故と共に歴史の1ページとしての記載に変貌していくことになります。これを歴史の風化というのであれば、それは誰にも止めることはできません。

 東日本大震災の後も日本は立て続けに震災や豪雨災害に見舞われ、その幾つかの現地を実際に訪れた私の感想を言いますと、風化する歴史から何かの教訓を引き出すならば、災害は人間の都合で待ってくれたり手加減してくれたりすることはないということですね。2011年にあんな大きな災害を経験したんだから、しばらく勘弁して欲しいというのは日本国民の都合でしたが、その後も熊本や北海道や山陰でも震災が起こったし、豪雨災害なんてほとんど毎年のように日本のどこかで起こっている。

 私はこれこそが相次ぐ災害から学んで後世に残すべき教訓だと思います。大自然は人間の都合なんかお構いなしです。2023年2月6日にトルコ・シリア国境地域でマグニチュード7.8とされる大地震が発生し、日本と同様厳しい耐震基準が設けられていたはずのトルコ国内で大量の高層建築が崩壊、多くの犠牲者を出しました。何と、耐震基準は厳しくても金さえ払えば手抜きも許される状況があったそうで、信じられないほど多くの建設業者や行政担当者が“違法建築関与”の疑いで逮捕されたとのことです。

 私も2001年にトルコを旅行した際、アンカラからイスタンブールへ移動する高速バスの車窓から、建設中の高層マンションを何棟も見ましたが、当時から異様な感じを受けていました。当然高層ビルは下層階から上層階へ向けて下から上へと建造されるわけですが、日本の高層ビル建設現場と違って、途上階の天井から上へ連結するはずの鉄筋が見えないし、仮に見えてもせいぜい1棟のビルに数本、それはまるで子供が積み木を高く積み上げていくような異様な光景として、20年余の歳月が過ぎてた今でも私の脳裏に焼き付いているのです。

 トルコ震災で報道されるマンション崩落現場の映像を見ても、瓦礫となったコンクリート片の量に比べて鉄筋として使われる鋼材の量が圧倒的に少ない気がしていますが、基準を満たしていないが、お金払うから目をつぶってくれ、罰金を徴収したからこれくらい許してやるか、そういう人間の都合で建設業者や監督の役人や、場合によってはトルコ政府も金銭的に潤ったかも知れません。しかしそれはあくまで人間の独り善がりな御都合に過ぎず、大自然は決して見逃してくれなかった。

 我が国は果たして大丈夫なのでしょうか。間もなく東日本大震災12年目を控えた3月4日、NHKスペシャルの番組で『南海トラフ巨大地震』を想定したドラマが放映されました。大阪で町工場を経営する一家と、高知に住むその両親、東京で気象庁に勤務する妹という構成の家族を中心として、近々襲来することが確実な南海トラフ地震を描いたドラマです。ホームドラマ仕立てですが、綿密な考証と迫真の映像で、さすがNHKと感心させられる出来映えでした。

 しかしこの天下の国営放送が制作した南海トラフ地震の想定ドラマには、すでにあの東日本大震災の教訓がないがしろにされていた面がありました。和歌山沖に震源を持つ大地震が起こり、多くの建物が倒壊、津波は河川を遡上して大阪梅田にまで至る、そんな起こって欲しくない現実を次々と見せつけながらも、ドラマの中では西日本各地に存在する原子力発電所については一言も触れられていませんでした。

 東日本大震災の被害はどれも最大級のものでしたが、中でも影響が最も長期間続き、これからもさらに続く深刻な被害は福島原子力発電所の事故です。南海トラフ地震を想定するに当たって、まったく無視するという制作態度はいかがなものでしょうか。これはやはりNHKの背後にある日本政府の意向と見るべきだと思います。

 まさかドラマの中で稼働中の○○原子力発電所が事故を起こしたなんて描けないことは分かりますが、では政府や御用学者が主張するように、今後の日本の原子力発電所は震災に対して絶対安心なものであるならば、ドラマの中で「各地の原子力発電所に重大な事故は発生していません」というセリフが、せめて一言くらいはあって然るべきだったのではないか。しかしNHKのドラマ制作者も、背後の日本政府関係者も、架空のドラマの中でそう断言するのを避けていたとしか考えられません。

 原発災害の記憶が国家レベルで風化したと言わずして何と言うのでしょうか。東海地方から四国・九州の太平洋岸にある原子力発電所の安全性は、南海トラフ巨大地震が起こってみないと何とも言えない、日本政府を後ろ盾としてNHKはこういうドラマを作ったわけです。トルコの建設業者や監督行政機関の人間と同じこと、今さえ良ければいい、金が動いて今が潤うのなら未来はなるようにしかならないでいい、まるで宵越しの金は持たない江戸っ子のような能天気にしか思えません。



テレビが伝えた激動の世界

 今年(2023年)は我が国でテレビ放送が始まって70年目の節目、公共放送のNHKと民間放送の日本テレビが共に産声を上げたのが1953年だったそうです。私は当時まだ1歳半の幼児でしたからもちろん何の記憶もありませんが、戦争の痛手もようやく癒えつつあった大人たちだって、まさかテレビ放送がこんなに発展する未来世界を思い描けていたとは思えません。

 今年3月にはNHKと日本テレビによる70周年記念のコラボ企画などもあって、長寿寄席番組の『笑点』(日テレ)にNHK人気番組のチコちゃんが登場したりしていましたが、人形のはずのチコちゃんがCG(コンピューターグラフィック)の技術で生き生きした表情を見せるなんて、70年と言わず10年前ですら想像もできなかった。

 ただこういう映像技術で今も印象に残っているイタリア生まれのトッポ・ジージョ、ブルー画面をバックに撮影された可愛いネズミの指人形が実写画面の中でまるで生きているように演技する映像に初めてビックリしたのは1966年頃のこと、改めて考えてみるとまだテレビ放送が始まって15年も経っていない時代のことなんですね。

 エンターテインメントとしての映像の進化がずいぶん昔から始まっていたことに気付かされますが、ドキュメントとしての映像が現在の原型を確立したのもほぼ同じ頃、国際スポーツ大会の衛星中継による世界同時配信が始まったのは1964年の東京オリンピックの時でした。そして日米衛星回線の試験放送でジョン・F・ケネディー大統領のメッセージが届くはずだったところ、当のケネディー大統領暗殺のニュースが期せずして飛び込んできた、我々一般庶民にとっては外国で起こった重大事件のニュースがほぼリアルタイムで国境を越えて配信された第一歩となったわけです。

 あれから幾つものオリンピックやワールドカップ大会、戦争や災害や混乱、ノーベル賞や宇宙開発や科学技術の進歩など、数えきれないほど多くの重大ニュースが世界各地からテレビを通じてもたらされました。3月30日にNHKで放送された『テレビはどう伝えた?!激動の世界』という特集番組では、それらの中から特に3つの重大事件を例に挙げてテレビ放送の意義や問題点を掘り下げていました。

 この番組で取り上げたのは、
1)天安門事件(1989年6月)
2)ベルリンの壁崩壊(1989年11月)
3)湾岸戦争(1991年)〜イラク戦争(2003年)

 いずれも私が社会人になってから起こった世界史に残る重大事件で、どれも非常に印象に残っていますが、確かにどの事件でもテレビで報道された映像が記憶の主体になっています。番組はそれぞれの事件を現場から報道した記者や特派員の証言を中心に構成されていましたが、私が「アレ?」「おやっ?」と思ったのは、番組内でのこの3つの事件の構成順序でした。

 3つの事件は上記1,2,3の順に起こっていますが、番組冒頭で予告された構成順序は2,1,3の順、さらに実際に構成された番組では2,3,1の順でした。この年代順不同には何かの意味があるのか無いのか、番組制作スタッフに何らかの政治的意図があるのか無いのか。テレビ放送というものは今や全世界の人々の認識や思考や思想までをも左右する力を持つだけに、そういうことまで考えて観なればいけないと痛感した次第です。

 番組本編の構成順に触れていくと、まずベルリンの壁崩壊、ゴルバチョフ体制下のソ連のもとで急速に冷戦構造終結へ向かう歴史的潮流の中の象徴的な事件でした。しかし
半年前の天安門事件より先に記述するべき事件だったのかどうか。中国の学生を中心にした民主化要求運動は東ドイツ市民にも影響を与えていたはずです。

 次に番組本編で触れられていたのは湾岸戦争、アメリカ主導で開始された戦争の大義をアメリカに都合の良いように報道させられた各国メディアの問題点が鋭く指摘されていました。湾岸の原油汚染も油田火災も当時はすべてイラクのフセイン大統領に汚名を着せていたが、どうやらアメリカの謀略だった可能性が高い。そしてさらにイラクには大量破壊兵器があるという偽の口実によって引き起こされたイラク戦争

 改めて当時の映像に見る父子ブッシュ大統領、多少の先入観はあるものの最近のプーチン大統領の人相とずいぶん共通点があるように思いました。強大な軍事力を行使して自国に都合の良い大義を振りかざす独裁者。まさに現下の世界情勢を揺るがすウクライナ戦争とも共通点のある事件で、しかも
3つのうち年代的にも一番新しい事件の順番を入れ替えて2番目に編集した意味は何なのか

 そして番組本編で最後の3つ目に触れられていたのが天安門事件。北京の天安門広場で民主化を要求する学生デモ隊に対して中国人民解放軍が武力行使、多数のデモ隊が死傷した事件です。“人民”の味方であるはずの“人民解放軍”が実は“共産党”という権力者集団の手先だった、私が高校生・大学生だった頃に毛沢東思想にかぶれて「人民」「人民」と狂信的に連呼していた旧友たちの顔を思い浮かべながら、「見ろ、これがお前らの崇拝していた奴らの本当の姿だぞ」と独り叫んだ6月4日の夜を思い出します。

 番組では天安門広場に現れた改革派の趙紫陽が、集結する学生たちを説得する演説の最中に流した涙を取材した記者が証言しており、現在の習近平による一党独裁体制の中国に到る分岐点になった状況を解説していました。ただ番組では学生に同情的だった趙紫陽の涙を取材できたことでテレビが歴史の証言者になれたという点をやたらに強調していたように感じましたが…。

 天安門事件は現在の中国が世界に脅威をもたらす一党独裁国家への一里塚になったという点で重要ですが、なぜ上記
3つの事件の中で最後に持ってくる必要があったのか

 当時世界で冷戦を脱却して民主化へ向かう潮流があって、東ドイツ国民はうまく波に乗れたが、中国国民は乗れなかった、そういう捉え方をするには3つの事件を年代順に取り上げるのが良かった。しかし年代順に取り上げると、最後のトリである湾岸戦争やイラク戦争における大国アメリカの欺瞞がどうしても大きなインパクトとして視聴者に残ってしまう。それを避けたかったんでしょうか。

 3つの事件を年代順に1,2,3ではなく、2,3,1の順に並べた理由、そこには何らかの意図があったとは思います。アメリカの中東における謀略の可能性が相対的に薄められ、中国の民主化弾圧の実態が相対的に強調されたように私は感じましたが、制作会議に出ていない一般視聴者には知る由もありません。ただこれからはテレビの他にインターネットの情報も大きな意味を持ってきますから、テレビであれインターネットであれ、発信されるニュース内容には発信者の意図が隠されている可能性が高いことを常に意識していなければいけないと思いました。


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