フシ穴の黒紙
もうずいぶん前の別のコーナーの記事にちょっとだけ書いたことがありましたが、私の生まれ育った実家は昭和20年の東京山の手大空襲でも焼け残った古い家でした。私がまだ幼稚園や小学校の頃、すなわち昭和30年代前半くらいまでのほとんどの住宅にはアルミサッシなどという洒落た窓はなく、木の枠に板ガラスをはめ込んだだけの引き戸でしたから、どこの家でも夜になると防犯・防寒・防水のために外側に板張りの雨戸を閉めたものです。アルミのレールではなく、木の桟（さん）の上を、これまた木の枠に木製の板を打ち付けた雨戸を滑らすわけですから、最近の窓枠のようにスルスルと動くわけではない。建て付けの悪い家だと、この場所にきたら雨戸の左側を少し浮かせ気味にして押す…などと各家屋ごとに雨戸を開閉するコツがあったものです。
さてそんな板張りの雨戸ですから、木材の節目の部分には小さな穴が開いていました。いわゆる“フシ穴”ですね。昔は注意力散漫で物に気付かないボーッとした人がいると「お前の目はフシ穴か！」などと怒鳴ったものです。そんなフシ穴が雨戸１枚につき大体２個か３個ありました。直径せいぜい１センチで子供の指でさえほとんど通らないほどの大きさです。
私の実家にあった雨戸のフシ穴はすべて黒い紙が貼られて塞がれておりました。当時存命中だった祖母が言うことには、これは戦争中、夜間空襲にくる敵の飛行士に家屋から洩れる灯火が発見されると、そこを目標に爆弾を落とされるからだということでした。たぶん実家の隣町まで焼き払われた昭和20年5月25日深夜の東京山の手大空襲直後のことだろうと思いますが、高度数千メートルから一万メートル以上を飛ぶ爆撃機の窓から、直径1センチに満たないフシ穴から洩れる灯火が見えるとは思えません。しかし祖母たちは町内会の人たちと一致協力して自宅の雨戸の穴という穴すべてを黒い紙で真剣に目張りしたのでしょう。
戦後の史料でアメリカの超重爆撃機B29の性能を知り、当時のアメリカ軍の日本本土戦略爆撃の全貌を知ってしまえば何とも滑稽で空しい努力だったと笑うこともできますが、未知の威力を持つ敵爆撃機に対する警戒という面では、現代の私たち日本人もこの先人たちを見習う必要があると思います。我々は2019～2020年に来襲した新型コロナウィルスの第一波と思われる感染を何とかやり過ごしましたが、まだ敵の威力は未知数のままです。こうすれば撃退できるとか防御できるとか、確実に分かっていることは何一つないと言ってよい。
それなのに緊急事態宣言が解除された、あるいは東京都では東京アラートが解除されたと言って、感染流行以前の生活に戻ろうと、ちょっと油断して気が緩みすぎていませんか。経済活動が戻り出してから２週間ほどもしたところで、くすぶっていた炎が燃え上がるように再び感染者数が増え始めています。特に夜の盛り場やカラオケスナックが感染のクラスターになる危険が大きいようですが、緊急事態宣言解除後に居酒屋などで飲み会、会食、コンパに興じる人々の映像がニュース番組などで報道されてました。中心人物らしき人が音頭を取って大声で「カンパ～イ！」、その後もペチャクチャペチャクチャ、ゲラゲラギャアギャア大騒ぎしているのを見て、これは唾液の飛沫が飛んで危ないなと思っていたら案の定です。
せっかくいったんは感染者数が減少傾向を示して、緊急事態宣言も東京アラートも解除されたのだから、そんなに萎縮しきって鳴りをひそめている必要はありませんが、また夜間空襲があるかも知れない、灯火が洩れたら危ないんじゃないかと終始警戒を保っていた昭和20年当時の日本国民の心構えだけは見習うべきだと思います。防空壕に四六時中こもっていたわけではなかった祖母たちも日々の生活はきちんと送っていたわけですが、フシ穴の目張りとか、ラジオで軍の情報を確認したりとか、最低限の注意だけは払っていたと思います。
先日東京と大阪と宮城で無作為抽出した人々の抗体検査をしたら、何と0.1％程度の人しか抗体を持っていなかった、つまりほとんどの日本人が新型コロナウィルスに感染した既往のないことが判明しました。これは欧米で行われた同様の調査で、いずれも10％前後の人たちが抗体を持っていたのに比べて著しく低い結果です。検査キットや検査方法が各国少しずつ違うと思いますが、抗体保有率が２桁以上違っていたのには驚きました。
日本人は新型コロナウィルスに遺伝的な抵抗性があって、感染終息後に抗体検査をしてみたら多数の国民が症状も出ないまま免疫を獲得していたらいいなと思っていたし、実際にそういう予測をしていた人もいましたが、それは夢物語でした。ほとんどすべての日本人は新型コロナウィルスと戦う抗体をまだ獲得していない。したがってこのまま第二波の感染を迎えたら、今度こそ感染爆発という最悪の事態をも招く恐れもある。
ここでもう一度、なぜ日本が第一波で感染爆発を免れたのかを検証する必要があります。もし現段階で日本人の抗体保有率が欧米並みの10％を示すような状態だったとしたら、もしかしたらこの４月くらいには日本の医療機関が崩壊して感染者数は爆発、死屍累々の惨状を呈していたかも知れないのです。
この惨劇を免れたのは、日本人が人種的に新型コロナウィルスに対する遺伝的な抵抗力を持っていたためではありませんでした。日本人がウィルスを寄せつけない生活態度、行動様式を守り続けたことが第一波の感染爆発を辛うじて食い止めたと考えるべきです。
●やたらにキスやハグや握手すらしない。
●手洗いとうがいの習慣を叩き込まれている。
●家屋内では外履きの靴やサンダルを脱ぐ。
●感情を過度に発散させない、大声で喋らない。
●周囲に同調して不本意でも自粛を守る。
こういう慎ましさが第一段階の新型コロナウィルスの流行から日本人を守った可能性が大きいのではないでしょうか。
しかし緊急事態宣言解除、東京アラート解除によって、普段は慎ましい日本人も、長らく自粛で鬱屈していた感情を爆発させてしまった。飲み会だ、カラオケだとつい羽目を外してしまった。周囲に気を遣って自粛要請にも皆で従う気質も逆に作用して、「飲むぞ」「唄うぞ」「酒場に繰り出すぞ」と音頭を取る上司やグループの中心メンバーに同調して、心ならずも感染リスクのある場所に連れ出されてしまった。
東京の新規感染者数が６月も終盤にきて40人50人という高い数字を示しています。日本全国の新規感染者数の半数以上を東京都が占めていますから心配といえば心配ですが、東京の人口は約1000万人、仮に現在1000人の東京人が新型コロナウィルスに感染していて周囲にウィルスを撒き散らす状態だったとしても、そういう感染源となる人は１万人に１人、東京都内に出かけて人混みを歩き回った時に感染源と遭遇する確率はきわめて小さいし、さらにそういう人たちからゴホンと咳の飛沫をかけられる確率はさらに低い。
ただそういう感染源の人たちの飛ばした飛沫が付着する場所を通りかかって、たまたまウィルスの飛沫を触ってしまう可能性はもう少し高いと思いますが、これも外出中は絶対に自分の顔に触れない、帰宅したら必ず手洗いをするなど、自分の指先からウィルスを体内に接種しないよう心がけることでかなりの程度感染予防ができます。さらに近くにいる人が感染している可能性、または自分が感染している可能性も考えて、お互いの距離をとれば今できることとしては万全に近いと思われます。
しかし最近になって再び感染が増加してきているのは、そういう警戒が緩む場所に出入りするからではないでしょうか。大勢で酒を飲む、気心の知れた仲間たちと大騒ぎする、アルコールが入れば判断力が鈍るし、親しい人にこちらから距離をとるとは言いにくい。そうならざるを得ない状況を避けることが大事です。最近の感染者は20歳代30歳代の若年層が多いそうですが、若い人たちほどそういう自制が利きにくいのではないか。
ここにウィルスが付着しているのではないか、あの人が感染している可能性もあるのではないか、自分も周囲に感染させてしまう恐れがあるのではないか。意識の片隅に常にその警戒感を保っておく、それは私の祖母たちが敵の爆撃機から見えるのではないかと雨戸のフシ穴を目張りした行為などよりは、よほど合理性があると思いますね。
生身の人間
相変わらず新型コロナウィルス感染症の話題です。まさか私が最近別のコーナーの記事でちょっと触れたからというわけでもないでしょうが、２度目の感染者数増加に際した医療体制逼迫状況の中で、現場のドクターやナースは精神的に参っているということを報道番組で述べてくれたコメンテーターが何人かいらっしゃいました。第二波の新型コロナウィルス感染拡大に直面している医療関係者にとってはまさに心強い援軍だったと思いますが、その声も長続きせず、７月以降は第一波を上回る勢いになってきた感染増加を前に、緊急事態宣言もアラートも発令するどころか、国民に旅行で景気を刺激して貰おうという“GO TO キャンペーン”なる政策の強行に余念のない政府の無策ぶりに、おそらく集中治療の現場では溜め息に近い怨嗟の思いが渦巻いているものと推察します。
第一波の感染の時に、病院の採算を度外視して正体不明の危険なウィルス感染患者を受け入れ、その結果通常の診療による収益が減って職員に支払うボーナスさえ枯渇している医療機関も多いのです。これからさらに第二波、第三波の感染に立ち向かわなければいけない医療職員の手当さえ満足でないのに、何で不要不急の観光レジャー奨励に１兆数千億円もの金を投入しなければならないのか。
外国人観光客の来日は激減してほとんど皆無になった、都道府県を跨ぐ人々の移動も制限されて観光地には閑古鳥が啼くに至った、そうして苦境に立たされた観光・交通・飲食事業に関わる方々に一刻も早い支援の手をという主旨はよくわかりますが、それでは春先に命を的のコロナ医療に携わった挙げ句、病院の減収を理由に手当をカットされたドクターやナースやその他の医療職の人々、経済振興よりも優先順位を下げられた医療現場の人々が、この夏場から再び文字どおり命を賭けた激務でコロナと戦ってくれるのか。政治や経済の担当者はあまりにも医療従事者の使命感のみに頼りすぎていると言わざるを得ません。
そもそも政府がGO TO キャンペーンによる景気刺激を最優先に据えているのも、小池都知事が一度は東京アラートを出して都民に警戒を促しておきながら、その時定めたアラート発令基準をどうに超えても再度のアラートを発せず、国全体の緊急事態宣言と同様、ただ１回限りの“思いつき”に終わったまま次の感染の波を迎えてしまったのも、為政者たちの口から出た気休めの理屈は、まだ重症者が少なく医療提供体制に余裕があるからだということでした。
冗談ではありません。現在は感染する大部分が若年者で重症化しにくいかも知れませんが、やがて彼らが職場や家庭で高齢者にウィルスを広げていき、重症者が倍々ゲームで増える事態になれば病床数はあっと言う間に逼迫して医療は崩壊します。しかも現場のドクターやナースの心身の疲弊はまだ癒されていないはず、ボーナス減額などの話はさておいて、使命感で働く医療スタッフにしても疲弊したまま次の感染と対峙するのは精神的にかなり辛いものがあるでしょう。人工呼吸器やECMOを装着せざるを得ない生命の危機と闘っている患者さんを治療する時は、ドクターもナースも自分の生命力をすり減らすくらい一緒に闘っているのです。おそらく為政者や、為政者の御用コメントを出す医学者たちには到底理解できないのではないでしょうか。
何度でも書きます。４月５月は家にも帰れずほとんど不眠不休の当直体制だった、また７月８月からあれが始まるのか、もう勘弁してくれよ。それがコロナ患者受け入れを要請された病院の集中治療室に勤務するドクターやナースの偽らざる心境です。
2009年に出版されて日本国民を熱狂させた『永遠の０（ゼロ）』という映画化までされた小説がありました。作品自体に関してはそちらの記事を読んで頂くとして、百田尚樹氏原作のあの小説の中にこんな言葉があります。
宮部小隊長がある時、零戦の翼を触りながら言った言葉が忘れられません。
「自分は、この飛行機を作った人を恨みたい」
（中略）
「８時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。８時間もの間、搭乗員は一時も油断は出来ない。我々は民間航空の操縦士ではない。いつ敵が襲いかかってくるかわからない戦場で８時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。８時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」
この論点は別に百田氏独自のものではありません。太平洋戦争における海軍の作戦は、零戦の並外れた航続力によって搭乗員（パイロット）に過剰な負担を強い続けた結果、優秀な搭乗員の損耗につながったという指摘はかなり多くの著作に見られ、百田氏はそれを作品の中に引用していると思われます。
それはともかく、まだ医療体制に余裕があるからとにかく経済を回せと言う人は、人工呼吸器やECMOは人間が動かすことを想定しているんだろうか。
最近はやりのリモート
新型コロナウィルスが猛威をふるい始めた今年（2020年）になって“リモート”という言葉を聞く機会が増えてきました。これまでも少し離れた場所からテレビのチャンネルや音量を調節したり、エアコンや照明の設定を変更したりする“リモコン”スイッチなる道具は、我々の日常生活に広く浸透していました。もう“リモコン”という単語は、元々は“リモート・コントロール”または“リモート・コントローラー”を縮めた和製英語ということも意識しないくらい完全に日本語化したように見えます。
リモートとは英語でremote、“取り去る”とか“取り除く”という意味のremoveと同じ語源を持っているようですが、まさに２つ以上のものが互いに取り除かれて距離を置くようになった状態を意味しているわけです。これまではせいぜいテレビの前まで行かなくても座ったままでチャンネルを代えたり音量を絞ったり、寝床の中から照明を消したりエアコンを切ったりと、少し離れた場所から家電を操作するリモート・コントロールくらいしか頻繁に日常生活に登場するものはなかったように思いますが、このところ新型コロナウィルスの感染拡大を防止するために、職場に出勤せずに自宅で仕事するリモート・ワークをする人は増えてきました。
要するに社員・従業員・スタッフが集まるオフィスから距離の離れた自宅で仕事をするという意味です。同じ意味でテレワークという言葉もありますが、テレ-は“遠くの”という意味の接頭語。遠くの光景を見る“テレビジョン（テレビ）”、遠くの音を聞く“テレフォン”、遠くを見るための鏡である“テレスコープ（望遠鏡）”などと同じですね。
観客が大勢集まると感染のリスクも増大するので、インターネットを通じて画像や音声を配信するリモート・ライブも企画されるようになったし、私たちの学会なども“リモート開催”が多くなりました。国内学会でも規模が大きくなると、日本全国から何百人・何千人単位の参加者が開催都市に集まり、幾つかの会場となる部屋に分散するとはいっても、会場によっては立ち見まで出てかなり密な状態で意見を交換したりする場面もありますから、特に医療関係者の集まる学会で感染のクラスターでも発生しようものなら、学会関係者は他の分野のイベント以上に世間から責任を追及されることになるでしょう。
この春に横浜で開催される予定だった第61回日本臨床細胞学会の総会もリモート開催に変更され、私が初めてインターネット上で参加した学会となりました。私も特にドクターブンブンの旅日記のコーナーで、「学会で○○へ行った」とか「△△で学会があったついでに☆☆を訪ねた」などとよく書いてますが、学会でもなければ旅行もできないというのが大多数の学会所属会員の本音ではなかろうか。皆さんも時々病院などで、「●●医師は学会出張のため休診」などというお知らせの掲示をご覧になることもあるかも知れませんが、医療関係者は盆暮れでもなかなかまとまった休暇を取れないことが多いものですから、せめて１年に１回か２回くらいの学会出張は大目に見てやって下さい。
しかしリモート開催となると旅行の楽しみは無くなってしまうわけですね。私は手前のノートパソコンでインターネットの学会にアクセスしながら、背後のデスクトップパソコンの画面に横浜中華街の画像を表示して、雰囲気だけでも横浜での学会に参加している気分を味わおうとしましたが、やっぱり何か物足りないというか、味気ないというか…（笑）。
旅行気分云々などという不埒な動機は別としても、１年に１回か２回、全国各地に散らばっている学生時代の同期生とか先輩後輩、昔の同僚や部下、恩師や教え子たちと会場で久し振りに再会を果たして近況確認や情報交換をするというのも学会に参加する醍醐味の一つなのですね。確かに観光もしないし、懐かしい人たちに会って旧交を温めたりもしないから、学術的な内容の講演やレクチャーは無駄なく身に着いて勉強になりましたが、どうしても心のすきま風みたいな寂しさは感じてしまいます。
学会に参加しても人に会えない寂しさを埋めるかのように、奪われた群れのコミュニケーションを取り戻そうといういわゆる“リモート飲み会（オンライン飲み会）”も最近話題になっていますね。元々は遠隔地同士をつなげたテレビ会議用に開発されたものと思いますが、「たくのむ」だとか「Zoom」などというオンライン・ミーティング用のアプリがけっこう手軽に使えるようになっています。
これは「たくのむ」で開催したリモート飲み会、誰か幹事さんがアクセスして会場のサイバー空間を確保、その場所のURL（ネット上の住所）を参加者に通知して、参加者もそこへアクセスするとこんな風に皆で顔を見ながらお喋りができるわけです。実際にいる場所はリモートでも、ネットを通じて時間を共有しているという実感は味わえますから、人とリアルに会えない寂しさを紛らわすことはできます。もちろんお酒のお酌はできませんし、会話の音声もワンテンポ遅れ気味になるのでスピーディーな会話はちょっと難しいですが、もし新型コロナウィルス来襲がこんなアプリの無い時代のことだったら、自宅に逼塞した私のような人間は人恋しさにノイローゼになったかも知れません。リモート飲み会に付き合って下さったキャンプやオーケストラの仲間、教え子たちや昔の職場の皆様にも感謝いたします。
追記：１日も早くまた３密で飲み会やカラオケができる日が戻ってきますように。
マスクの意義は何か
2020年6月に始まった東京都の新型コロナウィルス第二波ともいえる感染の山は、7月末から8月上旬にかけて１日の陽性確認者数が400人を越える日が４日ほどあり（最大は8月1日の472人）、一時はどうなることかと固唾を呑む思いでしたが、8月後半に入ってやっと誰の目にも緩やかにピークが下がってきているのが明らかになりました。
結局最初の波よりも大きな２度目の波でしたが、この２度目の波では致死率が非常に下がっていて、生命を脅かすほど重症化する方々の比率が少なかったため、医療機関もかろうじて救われた面があったと思います。もし最初の波に匹敵するほどの重症化率を示したら、おそらく病床の逼迫度はこんなものでは済まなかったでしょう。しかし油断は禁物です。今回重症化率が低かった理由は、ウィルスが変異して弱毒化したためか、新しい治療法が奏功したためか、あるいは単に夏の気候がウィルスの活動を阻止したためか、まだ何にも分かっていないのです。我々日本人はこの春に新型コロナウィルスによって志村けんさんや岡江久美子さんといった国民的大スターを相次いで奪われたことを忘れてはいけません。
ところで私はこの4月と7月、不正確な直感だけを頼りにいい加減なことを言ってはいけないと黙っていたことがありました。東京都が発表している日々の新規感染者数のグラフですが、7月前半の部分は4月前半の部分と形が違っているように私の目には映ったのです。
まず4月の感染者数のグラフ、4月の第１週には上昇率がやや鈍ってきている、つまり、絵に描いたような後知恵でしかないのですが、緊急事態宣言が出された4月7日には第一波の感染は先が見えてきていたとも言えます。
その１～２週間前から医師会など医療方面からは早く緊急事態宣言を出してくれと悲鳴に近い要請があったのに、政府はいつまでも出し渋って4月7日にやっと出した、それが5月25日に解除された直後の6月初旬から再び感染者数が増加してきても二の矢を放てず、結果的に第二波に対しては手をこまねく結果になってしまった。確かに緊急事態宣言などという大変な手を２ヶ月ほどの間に２度も矢継ぎ早に打つことは難しかったでしょう。こんなことなら4月の段階で緊急事態宣言は伝家の宝刀として6月まで封じておいた方が良かったと、私は後知恵で切歯扼腕していたものです。
というのも、私の拙い見立てでは、7月上旬の段階では第二波の方が第一波よりもはるかに恐ろしいものだったからです。3月末から4月初めにかけての感染者数は次第に伸び率が下がって頭打ちになる傾向が見られましたが、6月末から7月初めにかけては急激に鎌首をもたげるように増えてきている。まさにイタリアやスペインやアメリカなどで見られた倍々ゲームの初期相ではないか。
私は今でも自分の見方は間違っていなかったと思います。たとえ今回は重症者の比率は少なかったとしても、あのまま事態が進行すれば一部欧米諸国のような感染爆発を招いた可能性が高かった。では日本と欧米の明暗を分けた違いは何だったのでしょうか。
私は駅の“みどりの窓口”前を通りかかった時に自分の目を疑いました。例年なら夏休みの旅行やお盆の帰省シーズンを控えて、各種交通機関のチケット予約窓口は長蛇の列でごった返している時期なのに、並んでいる客は窓口担当者の人数よりも少ない、つまりガラガラなのです。再び緊急事態宣言が出されていたわけでもない、しかも経済を回したくてたまらない政府が“Go To トラベル”キャンペーンなる愚策を弄していたにもかかわらす、日本国民は報道などで感染者が増えていることを肌身で感じ取っていたからでしょう、個人の楽しみは控えてウィルスと対峙する選択を自ら進んでしたのだと思います。
それは日本社会の同調圧力としてネガティブな側面もありますし、また全体主義に傾斜しやすい国民性とも言えますが、まさに国難ともいえる事態に直面した時には日本人の底力にもなるものだと驚いた次第です。日本のリーダーや権力者はこの国民性を悪用してはいけないし、先ず自らが率先して個人の損得を捨て、社会全体の利益を追求する先頭に立たなければいけません。国有地払い下げや学校認可問題で甘い汁を吸おうとした権力者一味など本来なら国民に顔向けすらできないはずです。
それともう一つ大きいと思われるのは、日本人の大半が夏の猛暑の中でもマスクをしていたことです。息苦しいし、汗で顔が蒸し蒸しするし、見た目も暑苦しい、それでもほとんどの日本人が外出の際にはマスクを鼻と口から離さなかったことが感染爆発にブレーキをかけたのだと思います。
けっこう長いこと、学校教育や幼児教育の現場でマスクは風邪（ウィルス）を“予防”するためのものと教えてきました。私なども風邪やインフルエンザが流行する季節になると、幼稚園や学校の先生から外へ出る時は必ずマスクをしてウィルスを予防しましょうと言われたものです。つまりマスクは自分自身をウィルスから護るための、すなわちウィルスを感染させられる被害者にならないための道具だったわけです。
しかし新型コロナウィルスの場合は意味合いが違います。新型コロナウィルスは症状が出る２～３日前が最も感染力が強いとされています。だから自分はまだ大丈夫だと思っているうちに喋ったり歌ったり咳払いやクシャミしたりしながらウィルスをばらまき、周囲の人たちを感染させてしまう恐れが大きいわけです。ですから新型コロナウィルスに関する限り、マスクはウィルスを感染させる加害者にならないための道具なのです。
そもそもマスク自体のウィルスから身を護る効果は期待ほど大きくないと言われています。自分の鼻や口の周囲に漂っている数個～十数個のウィルス粒子のうち、１個か２個がガーゼや不織布の繊維の隙間をくぐり抜けるのを完全に阻止するのは不可能、しかしウィルス感染者が１回咳払いか何かした時に飛び散る何千何万個ものウィルス粒子のうち、その90％以上をマスクの繊維で受け止めておけば空気中に漂うウィルス粒子数を確実に減らすことができ、その分だけ他人への感染リスクを減らすことに貢献できるのです。まだ症状が出ていない感染者からのウィルス飛散が問題となる新型コロナウィルス予防に関して、マスクがいかに重要かがお分かりいただけると思います。
連日新型コロナウィルス蔓延がニュースになる世の中でマスクを着用しない人がごく少数いらっしゃいますが、たぶん俺はコロナなんか恐くないぞという空威張りの虚勢なのでしょう。こんな話があります。太平洋戦争（大東亜戦争）の緒戦の頃、勝ち戦に乗じてインドシナ半島を進撃する日本軍に従軍した報道カメラマンの文章を覚えていますが、最前線で敵陣砲撃の指揮をとっている士官がいる、しかしよく見ると彼は鉄兜（ヘルメット）を着けていない、そしてカメラマンを意識すると大袈裟にふんぞり返って敵陣を睨みつける動作をした、このカメラマンは言いようのない嫌悪を感じて写真を撮るのを止めてしまったそうです。
「俺はコロナなんて恐くないぞ」という強がりで“受け身のマスク”を着用していないだけでも、この陸軍士官と同じくらいの嫌悪感がありますが、新型コロナウィルスに関してはそんな空威張りで済む話ではないのです。マスクをしないで他人様の前に出るということは、「もし俺が今コロナにかかっていたらお前にも感染させてやる」という凶悪な意図さえ（ご本人はそう思っていなくても）感じ取られてしまうかも知れないことをよくよくお考えになって下さい。
飛行機はなぜ曲がるか
しばらく前に水中翼船の記事で、列車や船などと一緒になぜ飛行機が曲がる（旋回する）のかについて、門外漢の私が知っている限りの知識をもとに説明しましたが、どうもやはり直感的に捉えるのが難しい人もいらっしゃるようです。
ちょっと復習すると、列車や自動車がカーブする時に内側に傾くのは、遠心力で跳ね飛ばされないように線路や路面に内側への傾斜をつけているからです。オートレース場や競輪場のカーブに傾斜がついていなければ、あのスピードでカーブを曲がるレーシングカーや競輪選手は遠心力で飛ばされて観客席に突っ込んでしまうでしょう。このような陸上交通のカーブのイメージは日常生活の中で経験することが一番多いので、たぶん最も直感的に理解しやすいようです。
線路や路面のように海面に傾斜をつけられない船はカーブする時に遠心力で外側に傾くなどという現象は、船乗りかマリンスポーツ愛好者でもない限り、日常的な感覚としてすんなり受け入れるのは難しいことかも知れません。
さらに空中を飛んでいる飛行機となると話はもっと難しくなります。等速円運動における向心力などという高校時代の物理学の知識が必要になりますが、向心力こそ円運動を引き起こす実際の力であるにもかかわらず、その反作用である遠心力ほど有名でないのは不思議なことです。
それはともかく（笑）、飛行機は翼が産み出す揚力と重力で合成される向心力が引き起こす等速円運動によって旋回することは以前の記事に書いたとおりですが、そうなると実はもう一つ、日常生活（とは言えないまでも）の実感と懸け離れた要素が存在します。
プラモデルの飛行機を何機か作ったことのある方ならご存知と思いますが、ちょっと立派で手の込んだプラモデルだとプロペラや引き込み式車輪などの他に、飛行機の主翼と水平尾翼と垂直尾翼にそれぞれ独立した可動部品があったのを覚えておられると思います。左右の主翼にあるのが「補助翼（エルロン）」、左右の水平尾翼にあるのが「昇降舵（エレベータ）」、垂直尾翼にあるのが「方向舵（ラダー）」とそれぞれ名前が付いていますが、特に垂直尾翼にある“方向舵”がクセ者なのですね。艦船のプラモデルの艦尾（船尾）水面下にも舵があり、これを右に切った状態で浴槽に浮かべてモーターで推進させると艦船モデルは右に旋回して行く、飛行機の方向舵もこれと同じ理屈ではないのか？
飛行機の翼の断面は上面がやや膨らんだ形をしていて、これがエンジンの力で空気中を前進することで周囲に渦が形成されて上向きの揚力が発生する、そんなことも別の記事に書きましたが、翼に当たる空気の流れの角度を変えることで揚力の大きさを変えることができる、空気の流れに対する翼の角度を“迎え角”というそうですが、飛行機は左右の主翼に付いている補助翼の角度（迎え角）を別々に変えることで機体を傾けることができます。左主翼の補助翼の迎え角を大きく取って左側の揚力を増やすと機体は右に傾く、そして機体に働く揚力の方向も右に傾いて、重力との合成によって機体を右に旋回させる向心力が産み出されるというわけです（上の図参照）。
じゃあ方向舵って何なんだよ、と私も高校時代に岩波新書で谷一郎先生の『飛行の原理』を読んで思いましたが、それはしばらく置いておいて、左右の水平尾翼に付いている昇降舵は何をしているか。昇降舵の“迎え角”を大きく取って尾翼の揚力を増やすと、機体のお尻が上がって飛行機は降下していく、逆に昇降舵の“迎え角”を小さくして尾翼の揚力を減らすと機体の頭が上がって飛行機は上昇していく。確かに昇降舵という名称はその機能を表していますが、ではいったい本当に方向舵とは何なのか？
補助翼の操作で左主翼の揚力を増やし、機体を右に傾け、向心力によって飛行機が右旋回を始めたとしましょう。すると当然左の主翼の方が右の主翼よりも速いスピードで旋回するから、その分だけ空気抵抗も大きくなります。左の主翼が受ける空気抵抗の方が右より大きいわけですから、右旋回によって機首は右を向こうとするのに対して、この空気抵抗の差によって機体には機首を反対側へ回そうとする回転モーメントが発生してしまう。右へ曲がろうとすればするほど機首を左に向けてしまうこの不都合な力を打ち消すのが、ザックリ言った時の方向舵の作用です。
右へ旋回する時は補助翼の操作に合わせて方向舵を右へ切る、すると方向舵が右側へ飛び出して機体の右側の空気抵抗を増やすばかりでなく、方向舵の“迎え角”が大きくなって、いわば“横向きの揚力”とでも形容したくなるような力が垂直尾翼に働き、飛行機のお尻を左側へ振って右旋回を助けることになります。おそらく艦尾（船尾）にある船舶の舵も水中で同じ作用を発揮することで艦船を旋回させていると思いますが…。
では飛行機の場合、補助翼を操作せずに方向舵だけ切ったらどうなるか。飛行機は機体を傾けて向心力を作らなければ旋回せずに勢いで直進しますが、方向舵だけ切っていると“横向きの揚力”によって機体はお尻だけ横に振ることになる。つまり機体の進行方向と機首の向きが微妙にずれて横すべりするわけですね。
太平洋戦争中の日本海軍のエースだった坂井三郎さんは敵機に背後に食いつかれたら機体を“横すべり”させると書いておられましたが、まさにこの横すべりは熟練搭乗員が体得した方向舵の絶妙な操作による操縦術だったのでしょう。背後に食いついた敵のパイロットはこちらの飛行機が機首の方向に飛ぶと思ってその方向に銃弾を撃ち込んでくるが、実際は機首の方向とはわずかに違う方向へ飛んでいるのですから、敵の銃弾は見当違いの方向に集中するわけです。坂井三郎さんの空戦記に見られるこの“横すべり”については、百田尚樹も『永遠の０』の中でパクってましたね。
さて航空力学の専門でもない私が何で高校時代に読んだ岩波新書の生半可な知識でこんな記事をドヤ顔でつらつら書いてきたかというと、最近ちょっと気になったハリウッド映画の予告編映像を見たからなのです。2020年公開のローランド・エメリッヒ監督の映画『ミッドウェイ』、太平洋戦争の分岐点となったミッドウェイ海戦を日米双方の視点から描いたとされる映画ですが、私がつい最近の記事でも書いたような“歴史的疑惑”とは関係なく、従来の戦史の記述を踏襲したストーリーのようです。
私はこの記事を書いている段階ではまだ映画を観ていませんから、この際ストーリーはどうでもよろしい、問題は短い予告編映像の中にあるこのシーンです。最近の戦争映画では定番のコンピューター・グラフィック（CG）による映像で、日本の空母赤城に爆弾を命中させたアメリカの急降下爆撃機が海面スレスレで上昇に転じる瞬間、飛行機の右主翼が海面を叩いて飛沫が上がっていますが、果たしてこういうシーンは実際に起こり得るのか。
飛行機は補助翼で機体を傾けて旋回するわけですが、右へ回ろうとすると左右の空気抵抗の違いから機首を左へ回そうとする不都合な回転が生じる、それを打ち消すために方向舵を操作するというのは上に見てきたとおりです。機首の左右への回転はそれほど微妙ということですが、この急降下爆撃機のように片方の主翼が水面に接触する、つまり想定外の強い水の抵抗が機体の一方に加わるわけで、よほど熟練した曲技飛行のパイロットでない限り機体がもんどり打って海面に激突してしまうのではないかと思うのですね。しかもこれは曲技飛行に集中できる状況ではありません。敵空母を攻撃して離脱できるかどうかの瀬戸際で、そんな想定外の抵抗の変化に対応できるパイロットがいるかどうか。
さらにこの飛行機は急降下爆撃を終えて、今度は敵の対空砲火よりも恐ろしい地球の重力から離脱しなければいけない切迫した状況にあるのです。そんな状況下でこの飛行機は機体を右に傾けて右旋回していますが、重力から逃れるための翼の揚力の垂直方向成分は、この記事の最初の図からわかるとおり、機体を傾けた分だけ減殺されます。私は爆撃機のパイロットではないし、曲技飛行のパイロットでもない、ただ昔コンバット・フライトシミュレーターで遊んだことのあるだけの人間ですが（笑）、急降下から急上昇に移る瞬間に機体を左右に傾けるような操縦桿の操作は絶対にしないと思います。
まあ、最近は戦争映画も他のSF映画やアクション映画同様、CG映像が多用されるようになっており、実写かと見違えるほどのリアルなシーンを楽しめますが、ちょっと気をつけて画面を見ているだけで歴史的事実が正しいかどうかばかりでなく、物理学的にもいろいろな疑問点を探す楽しみもあるなと思った次第です。
曼珠沙華の虐殺
年頭から新型コロナウィルスに翻弄された今年（2020年）も、猛暑の夏が去って秋が巡ってきて、10月の初頭に埼玉県の吾野方面で仕事があった際、ふと思い立って高麗郷を訪れてみました。ここは都心方面からは西武池袋線の飯能から２つ先、私が仕事をした吾野の施設はさらに４つほど先の駅が最寄りになります。
ところでこの高麗郷にある巾着田という場所は西武線沿線にある観光地の一つで、秋のお彼岸の頃に咲き誇る数百万株の曼珠沙華の花は全国でも有数の規模、花の盛りには地面に深紅の絨毯を敷き詰めたようなみごとな眺めになります。この巾着田の曼珠沙華に今年は新型コロナウィルスの影響で異変が起きている…とは聞いていましたが、行ってみると……。
巾着田の曼珠沙華は残らず茎の根本から刈り取られ、おそらく刈り取り作業に従事した人々のせめてもの花への手向けのつもりでもあるのでしょうか、開花直後の小さな赤い花が地面の上に一面に撒き散らされていました。巾着田に関する日高市の公式ホームページを見ると、新型コロナウィルス感染症が増加し続けている状況に鑑みて、開花時期に適切な感染防止に支障があるとの判断で、大変苦渋の決断ではあるが、曼珠沙華を開花前に刈り込むこととした…と書いてあります。
確かに例年だと“巾着田曼珠沙華まつり”が開催されて多くの観光客が集まりますから、新型コロナウィルスの感染を広げてしまう危険は決して無視できない。しかし悪いのはコロナウィルスと、感染防止に無頓着で野放図な一部の人々なのであって曼珠沙華の花には何の罪もないのです。ここまで根こそぎ曼珠沙華を滅ぼす必要があったのか。屋外のことであり、祭りの中止は当然として、付近の駐車場を閉鎖して使用できないようにするなどの処置をとれば、かなり人出を抑制できたのではないでしょうか。実際この夏には神奈川県や千葉県で海水浴場の駐車場を閉鎖して、遠方からの観光客をずいぶん減らせているはずです。あまりにも性急で短絡的な処置だったのではないかと思います。
これが毎年秋に咲き誇る巾着田の曼珠沙華です。これだけの花が今年はコロナウィルスから人間様を守るために一網打尽に“虐殺”されたのかと思うと悲しい。太平洋戦争末期、アメリカ軍の本土空襲が激しくなる前に、上野動物園の象や猛獣が餌に毒を混ぜられて殺処分にされた話など思い出しました。爆撃で檻が破壊されて動物が逃げ出せば、付近の住民に危害を及ぼす恐れがあったからだそうですが、戦争を始めた人間様の都合で動物たちが殺されたわけですね。今回も新型コロナウィルスを水際で撃退できなかった人間様の責任を代わりに取らされる形で曼珠沙華が刈り取られました。
動物は可哀そうだが植物なら良いというものではありませんね。ただ一つの救いは、曼珠沙華は三倍体だから花が咲いて受粉が行われなくても“むかご”で繁殖していく可能性があることですが、それもここまで徹底的に刈り込まれた曼珠沙華の繁殖地が来年どうなるかは予断を許しません。
悲しい思いで帰路に着きましたが、西武線の車窓から眺める沿線の景色にハッとしました。西武池袋線も練馬区から埼玉県の方へ入っていくと、まだ武蔵野の面影を残す雑木林や野原が点在しているのが見えますが、私たちの親の世代がまだ子供だった頃、すなわち東京市の人口が増加して市街地が郊外へ伸びていく時代にあっては、雑木林の中に農地や住宅地が点在する状況だったはずです。
江戸の市街地は現在の文京区本郷あたりまで、「本郷も かねやすまでは江戸の内」と言われたように、当時から世界一だった江戸の街もせいぜいその程度の広がりだったが、特に関東大震災を契機として現在の練馬区、杉並区、世田谷区あたりまでが東京の住宅地に呑み込まれていき、さらに戦後の人口増加に伴って外郭に残っていた雑木林も急速に切り開かれていった、おそらく江戸時代から明治時代くらいまでは鬱蒼と樹木が生い茂っていたであろう雑木林はどうなったのか。スタジオジブリの作品『平成狸合戦ぽんぽこ』（1994年）の舞台になった多摩丘陵あたりに住んでいた狐狸や妖怪たちはどこへ行ったのか。
つい100年くらい前までは武蔵野の自然が残る郊外に点在していた小さな集落同士をつなぐため、雑木林を切り開いて何本かの鉄道と道路が建設され、そこに人間様が大挙して住むようになると、大きな樹木も小さな灌木や草花も根こそぎ“虐殺”されて街が発展してきたのです。これも人間様の都合、ウィルス感染防止よりも切実な生活基盤確保という都合で植物たちが滅ぼされ、そこに慎ましく住んでいた狸や狐や蛇などの動物たちも追い払われていった、高麗郷の曼珠沙華の刈り取りなど、人間様の所業の中では小さな小さなできごとの一つでしかなかったのだと気付かされた１日でした。
コロナ第三波来襲
ついに、というか、やっぱりこの事態が訪れました。新型コロナウィルスの第三波と考えられる流行で、2020年11月中旬から下旬にかけて、全国の新規感染確認が2000人を大きく越えて2500人に達し、うち東京都内でも500人を大きく越える日が連続、いずれも11月21日時点で３日続けて大台に乗っているようです。さらに北海道、大阪、愛知、埼玉、千葉など多くの道府県でも過去最大の数字が相次ぎ、この事態を受けて、さずがの日本政府も景気刺激策の目玉として頑なに見直しを拒んできたGo To事業、つまりGo To トラベル（旅行に行きましょう）やGo To イート（食事に行きましょう）などの運用見直しを検討する声明を出したらしいです。１ヶ月遅いわ！
安倍前首相や菅首相の顔色を忖度してか、これまで明確に物を言わなかった専門家会議からも、Go To 事業見直しの英断を求められて渋々決断したようにしか見えませんが、国民の命と暮らしを守る…という白々しく響く言葉とは裏腹に、政治家たちの頭の中には、いかにすれば今回の感染拡大に関する自分たちの作為と不作為の責任を追及されずに済むかというその一事しかない、いかに国民を言いくるめるかに汲々としている印象ですね。
Go To 事業によって感染が広がったという証拠（エビデンス）は報告されていないと言っていますが、電子顕微鏡でなければ見えないウィルス粒子の動きをいちいち見極めることは不可能ですから、そりゃ100％のエビデンスなどあり得ませんよ。そこがまた政治家たちが逃げ込む温床になるわけです。でも例えば北海道の利尻島で新型コロナウィルスのクラスターが発生した、100％のエビデンスで断言することはできませんが、政府が補助金を出してまで推奨したGo To トラベルを利用した観光客が持ち込んだ可能性がかなり高いと判断して、そういう事象に対する備えを強化するのが健全な常識というものであって、今の政治家たちにはそういう責任能力が欠如しているといってよい。
そんなことばかり言っていても始まりませんから、責任感のない政治家のパフォーマンスなどは当てにせず、国民は今回の第三波感染拡大に対して自衛する心構えを新たにしなければいけません。どうも今回の第三波はついに倍々ゲームの終末相に踏み込んだような戦慄を覚えるのですね。前回の第二波も新規感染者数のグラフの起ち上がりが急峻だったので私は危惧していましたが、その第二波が終熄しないうちにさらに今までにない急速な感染者数の増加を認めています。本当は今度も外れてくれれば良いのですが…。
東京都内で連日500人を超える新規感染者が確認されて、しかもそれが漸増傾向にあるということは、まだ症状は出ておらず、自分は元気だと信じているが以後数日以内に感染が確認される潜伏感染者は、都内に2000人ないし3000人ほどいるということです。社会的に行動範囲の広い人の割合を６割と見積もって大雑把に言えば、東京都民1000万人のうち、約7000人に１人が外出先で知らず知らずウィルス粒子を含む飛沫を飛ばしている可能性があると考えられます。
きわめて単純化しましたが、これはある意味で行動を決定する上で一つのモデルになります。例えば都内の新規感染者数が常時500人を超えた時点では、10両連結でかろうじて新聞が読める程度の満員通勤電車では２編成に１人の乗客がウィルス飛沫を拡散させ得るということ。これは行動を決定する上でそれほど恐い数字ではない。つまり多くの人にとって今朝は電車で通勤しようかどうか迷うほどではないと思います。
では東京を発車する16両連結の新幹線に関しても、その５～６編成に１人の乗客がウィルス飛沫を拡散させ得るということになりますが、Go To トラベル事業を継続する上でこれもそれほど恐くない数値と言えるかどうか。通勤電車の中では今ではほとんどすべての人がマスクを着用しており、多くは近くに顔見知りもいないまま黙って孤独に電車に揺られているし、もちろん飲食はおろかお喋りもしていない。しかし新幹線で旅行に出る乗客には日常生活から離れて羽を伸ばすという気持ちの弛緩があります。今日は５～６編成に１人でも、その人が缶ビール飲みながら弁当を広げて、旅の同行者と大声でお喋りする、その結果同行者が感染し、さらに旅先のレストランで隣のテーブルに座っていた見知らぬ人も感染して旅先にもウィルスを広め、その連鎖で１ヶ月後には東京を出るすべての新幹線にウィルス飛沫を飛ばす乗客が１人か２人ずついるようになるかも知れない。つまり人々にとってはウィルス排出者と遭遇する確率が上昇するということで、その感染連鎖の先には恐るべき感染爆発と医療崩壊が待っている…。
Go To イート事業も同じこと。政府や一部の自治体は飲食も４人以下に制限することを検討しているようですが、４人なら安全で５人以上だと危険だという誤解を与える恐れがあります。現在では飲食にかかわる大勢の業者の方々がさまざまな工夫と努力で感染リスクの低減に努めて下さっており、本当に頭の下がる思いですが、会食や宴会をしても絶対安全な状況というのは一つしかありません。たとえ換気の悪い密閉した店内に密集して飲めや歌えの乱痴気騒ぎをしたって、そのメンバーの中にウィルスを持っている人が１人もいなければ感染のクラスターは100％発生しません。
飲み会に参加する１人１人が、“未だ発症していないウィルス感染者”ではないと確信できれば、どんなに大人数でもマスクを外して心ゆくまで酒と食事とカラオケを楽しめばよろしい。しかし私も貴方もあの人もこの人もすべての人が絶対に2020年11月時点で1/7000ではないと言い切れないところが難しいところであり、新型コロナウィルスの厄介なところなのですね。
今年（2020年）7月、巨大な火球として千葉県習志野市のマンションに落下した隕石、もしこれに直撃されていれば確実に即死したに違いありませんが、隕石に当たって死ぬことを心配する人はまずいないでしょう。しばらく前に大ヒットしたアニメ映画『君の名は。』では巨大隕石が大昔とまったく同じ地域を直撃するというストーリーでしたが、そんな事象が起きる確率は微塵もありません。まさに杞憂ですね。
しかし誰かと会食した時に相手が新型コロナウィルスの飛沫を飛ばす恐れがある確率はそれよりはるかにはるかに大きいし、もしかしたら自分の方が飛沫を飛ばしている確率も同じこと…、しかし今日（2020年11月下旬）の時点で、1/7000という確率の数字をどう見るか、それは人によってまちまちかも知れません。
隕石に当たって死ぬ確率よりはるかにはるかに大きな確率、しかしクラスでじゃんけんをして掃除当番をさせられるよりはるかにはるかに小さな確率、だが確率の数字というもの自体は大きくても小さくても、その事象が起こってしまうことは理論的に想定しておかなければいけません。不幸にして隕石に直撃されてしまった人にとっては、それがその人の運命のすべてになるのですから…。
一緒に会食・宴会をした人、あるいは一緒に旅に出て気を許した人が仮に1/7000のコロナ感染者だったとすれば、そのウィルスを吸入してしまう、またはその人の飛沫に触れた指先で自分の目をこすってしまうと、自分も感染する可能性は極めて高い。そうなれば年齢や持病の有無によっては一部の人は重症化し、さらにその一部は帰らぬ人となる、助かったとしても長いこと後遺症に苦しめられる人もいる、そういうリスクと引き換えに1/7000の確率を考えることが大事ですが、さらにウィルスに感染してしまうと、今度は自分が誰か他人様にウィルスの飛沫を浴びせる立場になります。こうして自分がウィルスを媒介すれば、今日は1/7000だった確率を来週は1/5000、来月は1/1000とさらに大きな数字にしてしまう後押しをすることにもなるのです。
20世紀前半にスペイン風邪として人類を襲ったインフルエンザは米国カンザス州の農場で発生し、第一次世界大戦の戦費調達集会で熱狂する人々の間に蔓延し、アメリカの兵士たちの出陣によってヨーロッパから世界中に大流行したことを忘れてはいけません。これまでの二波に比べてかなり大きくなると予想される新型コロナウィルス感染第三波に対して、心ある人々は政府のキャンペーンに右往左往したり、無責任なTVのコメンテーターの威勢が良いだけのコメントに付和雷同するのではなく、人の集合と移動に関しては慎重な上にも慎重に行動を決定して欲しいと思います。それがこの春以来、生身の人間として医療現場で必死に頑張っている医師や看護師を救う唯一の道であることを切に訴えたいです。
コロナ感染症と大学の対面教育
私は３年前の2017年3月をもって定年退職したことはすでに書きました。何で他の多くの大学人たちのように特任教授を拝命して大学に残らなかったのかと不思議がる人もいらっしゃいますが、私のように正論ばかり言う人間は、大学の経営者や管理者にとっては好ましからざる存在（persona non grata）だろうし、同僚の教師たちの中にも小うるさく思う人もいるだろうし、実際大学側が定年を迎える人間に残って欲しいと思うならば“名誉職”的に投げ与えるポストを、私のためには用意してくれている気配は微塵も無かったから、私は大学上層部に“忖度”して、一般の“特任教授”などへの再就職は拒絶して大学を去る道を選んだわけです。
学生さんたちは何とか自分の卒業まではいて欲しいと言ってくれましたが、多くの学生さんたちの希望に沿えなかったのはそういう次第でした。しかし大学構内で私と顔を合わせたことのある最後のクラスも今年（2020年）の春に無事に卒業して、せっかく招待して下さった謝恩会はコロナ感染症で中止になってしまいましたが、これで学生さんたちへの心残りも消滅してヤレヤレと思っていたところ、日本ばかりか全人類を揺るがす新型コロナウィルスの世界的大流行が始まってしまいました。
いやあ、現在も大学の教育現場に残って奮闘されている先生方には申し訳ないですが、あの時“特任教授”などへの未練も断ち切って綺麗さっぱり辞めておいて良かったと胸を撫で下ろしているのが今の正直な気持ちです。私が最後に勤めた臨床検査学科も、全国・全世界の大学と同じように教室での正常な対面講義ができない状況に立ち至りました。この秋口頃までには多くの地域で小中学校や高等学校の授業が再開されて生徒・児童の登校が再開されるようになりましたが、大学の学生たちの登校開始はそれよりかなり遅れました。４月にせっかく憧れの大学に入学したのに、夏休みが終わるまでに１度も学校に行けていない、新しい教員はおろかクラスメートの顔も知らない、部活動もできない、授業や講義はオンラインで孤独な自宅学習…。
正常な講義のカリキュラムが粛々と動いていた時代には、学生どもはそれこそサボリだ、遅刻だ、エスケープだと好き放題やっており、教員の方もいかに学生を教室に縛りつけておくかに腐心して、抜き打ち試験だとか、指名での質問だとか、互いに虚々実々の秘術を尽くしたものでしたが（笑）、そんな時代が懐かしいですね。せっかく地方から出て来て大学の近くに下宿も構えたのに、講義はオンラインだけなので実家に戻って一度も使っていないとか、楽しみにしていたキャンパスライフもいつ再開されるか分からず休学や退学も考えているとか、本当に気の毒な話が幾つも報道されていることに心が痛みます。
大学に残っておられる教員の方々に聞くと、この夏までは対面授業がほとんどなく、オンライン用に作成した講義資料をネットにアップロードするだけだったそうです。それを学生が自宅や下宿などの自分のパソコンで読み取って学習し、次回教員が準備した設問に解答、教員のパソコンに送られてきた学生の解答を採点して単位を認定する…という手順になるのだろうと思いますが、これじゃあ市販の学習教材で勉強するのと変わりないじゃないかということで、授業料返還を求める学生や保護者もいるそうです。特に多くの私立大学では“施設費”の名目で、大学施設の整備・維持のために高額な料金を納入させていますが、たぶんこの費用の徴収は法的にも問題があるかも知れません。
私の講義スタイルはオンライン授業にはまったく馴染まないものでした。だから本当にコロナの時代まで教員を務めていなくて良かったと安堵しているわけですが、私の講義は基本的に約100人のクラスと対面で行う大教室講義で、スライド映写やパワーポイントなども使用せず昔ながらの板書中心でした。たぶん今時の大学教員で黒板にチョークで文字や絵を書いていくだけの講義をする人は他にいないでしょう。
昭和46年から52年までの大学学生時代、私もずいぶんたくさんの教授、助教授、講師などの先生方の講義を拝聴しましたが、すでにあの時代から板書主体の先生は数えるほどしかいらっしゃらなかった、ほとんどすべての先生がスライド投影主体で、黒板はほんのメモ代わりくらいにしか使われませんでした。（パワーポイントはもちろん無かった）
板書の講義で覚えているのは医学部専門に進学した３年次、すぐに始まった山田教授の組織学、非常に丁寧な語り口で人体各臓器の顕微鏡的所見を述べられていくのですが、白いチョーク以外に赤・青・黄・紫などカラフルなチョークを使って人体組織の模式図を精緻に描いていき、さらに各部の名称や機能などの解説を加えていく、こちらも色鉛筆を駆使してノートを取るのが大変で、最初から医学部の講義の物凄さを思い知らされたものでした。
次に４年次に行われた泌尿器科学の小川助教授の講義も板書主体でした。腎臓の出口の腎盂という部分から尿管と膀胱を経て尿道の出口に至るまで各部分の疾患を系統立てて講義して下さったのですが、きちんと項目を立てた上で必要な事項を次々と板書していくのです。書き写すだけでも手が痛くなるほどの分量でしたが、項目立てがしっかりしていたので後々まで理解しやすいノートでした。今でも私の手元に残してありますが、自分の手で必死に書き写したノートの内容は、プリントの束になった講義内容よりも頭に残るものだと痛感しています。
山田教授の組織学と小川助教授の泌尿器科学の講義は系統講義をお一人で担当され、毎回毎回膨大な内容の板書の洗礼を受けたせいか、この２教科に関する知識は半世紀近く経った今でも体が覚えている感じ。だから私も専任の教員になった時は自分の学生さんたちも同じ目に会わせてやろうと、板書主体の講義を続けてきました。そしてそれをやる上でもう一つ、法律の通信講座を受講した経験もプラスしたのです。
ずいぶん以前の記事でも書きましたが、私は昔ちょっと法律を勉強しようと考えたことがあって、その時LEC東京リーガルマインドという学校の伊藤先生の憲法と民法の講座を受講しました。通信講座ですから完全な講義ではないのですが、毎月毎月講義の音声を録音したカセットテープと板書の内容そのままのプリントが送られてきて、それがとても勉強になったわけです。もちろん法律の内容も勉強になりましたが、法律家の経験と論理に基づいた講義の進め方は、後年私自身が医学の講義をする時の良いお手本になりました。
学生に語りかける時の間の取り方とか雑談の入れ方などはもちろん、板書自体が医学部とはかなり違うのですね。例えば医学部（に限らず多くの学部がそうでしょうが）では、
Aという現象が見られたらBである
という内容を板書する時には
A→B
のように書くことが多い。しかしこのノートを後から読み返すと、Aという現象があったら必ずBなのか、Bの可能性が高いだけなのか、Aという現象と同時にBが存在するのか、Aという現象からある程度時間が経ってからBが発生するのか、そういう細かいニュアンスが失われてしまいます。法律家の場合、その辺が曖昧になると大変なんでしょうが、医学や医療でも同様です。だから私は
Aという現象が見られたらBという現象も存在することもあるから、こういう点を見逃さないこと
というように、事項の一つ一つを文章として完結させて板書するようにしました。
講義というのは知識や情報の切り売りではないのです。プリントを配布すればよい、パワーポイントのファイルを投影すればよい、最新の教育機器を使って教科内容をネットにアップロードすればよい、ただ自分の知っていることをベラベラ喋ればよい、そんなものではないと思います。学生や生徒が現在どのくらいの知識を持っているか、そういう学生に自分がこの内容をこういう喋り方で話したら彼らの頭の中でどういう理解が生じるか、彼らが誤った理解をしないよう、あるいは重要な点を洩れなく理解して正しい知識に結び付けて貰うように、何をどういう順序で教えていったら良いのか、そういうことを常に考えながらの講義はオンラインではなかなか難しい。対面で授業してこそ初めて、教員の所有する知識が学生に流れ込んでいくのが分かる瞬間があります。
私は教育は手作りであると信じている古い時代の教師だったと思います。“ルーブリック”だの“ポートフォリオ”だの洒落た名前の付いた教育理論を振りかざし、IT時代の最新教育機器を導入して学生を教育する風潮に抵抗して、最後まで板書中心の講義にこだわってきました。確かに大学の数も増えて多くの学生に均一な教育を施さなければならない時代になった以上、自分で言うのも変ですが私がこだわってきた職人芸的な教育は存在する意義も薄くなったというべきでしょう。新型コロナウィルスによって教育現場の混乱がもたらされた今、もはや私のような古い教師は大学に不要な存在となりました。教師は画一的な専門知識をネットに流し、学生もそれを画一的に受け取って均一な人材として社会に巣立って行く、それが新しい時代の要請なのかも知れません。
新・会食のマナー？
2020年も11月が終わったというのに、依然として新型コロナウィルスの流行は終熄の兆しを見せていない。現在の第三波はすでに第一波や第二波よりも大きな波となっているのに、政府も自治体も何をやっているのか。経済を回したい財界や、心ゆくまで世の中を謳歌したい富裕若年層のご機嫌を窺って、Go To トラベルやGo To イートなどの経済刺激策を根本的に見直そうともしない。そもそも各種Go To キャンペーンは第一波における4月7日の緊急事態宣言の際、感染流行が終熄したら施行すると政府自らが約束した経済刺激策だったのではないか。
感染は終熄しないまま、ダラダラと経済刺激策だけを回し続け、命がけでウィルスと直接戦っている医療現場を見捨てている日本の為政者どもを見ていると、この国は今度もまた本土玉砕一歩手前まで勇ましい掛け声だけで突っ走るつもりなのかと不安しか感じない。あの時は神国不滅だとか国体護持だとか陸海軍のメンツだとか、そういう実体のない面目のために前線の将兵たちが勝ち目のない戦闘に投入されていった。
今回は医療現場が政府や自治体のメンツの犠牲になっている。地域の基幹病院や大学病院までが新型コロナウィルスの重症者ベッドが次々に埋まってきているという報道を聞くと、私は心臓がドキドキして息が荒くなり、わけもなく涙が止まらなくなることもある。もう40年近く前、某都立病院の未熟児室の主任だった時、人工呼吸器の定数を超える人数の重症未熟児の治療に当たっていた“医療崩壊”の記憶がフラッシュバックされるようだ。
緊迫した現場で通常以上の当直体制を組み、睡眠時間も確保できない日々が何日も続く、しかも目の前の患者さんを退院させればそれで終わりではない、いつまた次の重症患者が入院してくるか分からない、そういう出口の見えない現場の肉体的・精神的不安は経験のない者には理解できないのが当たり前だが、現場の従事者にとって一番腹立たしいのは、上の人間がそれを見て見ぬ振りをしようとすること、共感する努力さえしようとしないこと。残念ながら今の政権中枢にはそんな人間しかいないと思われる。
巷では「医療従事者は普段から厚遇されているんだから、こういう時に大変な仕事をするのは当たり前」とか、「コロナなんかただの風邪、インフルエンザや餅の誤嚥の死亡者より少ないのに大袈裟」などと言って、コロナ医療の現場の人間の超人的な苦闘をないがしろにするような意見を言う人間もいると聞くが、これも医師や看護師の心をポキッと折ってしまうだろう。死亡者数だけに注目すると新型コロナがただの風邪のように見えているのは、全国の病院で医師や看護師が人としての限界を超えた苦闘で支えているからだということに、無邪気な国民だけでなく、政治家自身も気付いていないのではないか。
すでに一部の病院では医師や看護師の離職が始まっているらしいし、大阪でコロナ専門病院のベッドを確保したのはいいが、必要な看護師の半分も手配できていないという。すでに医療崩壊は現実に始まったといってよい。敵と戦うための戦闘機は準備したが、それに乗れるパイロットがいない、あるいは近い将来いなくなるということだ。
こういう事態はすでに第一波の頃から予想されていたことだが、手をこまねいてGo To などにのめり込んでいった政府や自治体の責任は大きい。それなのに自分たちの作為（Go To を性急に推進したこと）や不作為（特に人的医療資源の崩壊を予想して対策しなかったこと）の責任を棚に上げて、菅首相が現時点で国民に発している実体性のある唯一のメッセージはマスクを着用しろということだけ。そんなことほとんどの国民が皆やってるわ！しかも人との接触や外出を慎重にしなければいけないのはコロナの御時世ではもう常識なのに、それでも感染に注意して旅行に行きましょうと、まだGo To に未練を示しているからバカとしか言いようがない。このままさらに日本全国で感染が爆発すればもう経済どころではなくなるのは自明の理だ。本土玉砕までするつもりか。
小池東京都知事も、感染防止のために会食では“五つの小”を守れなどと言っている。コロナ時代の新しい会食マナーとのことだが、政治家になるほどの頭の持ち主ならば、ちょっと考えれば無理なことくらい分かるだろうと言いたい。大体あなたは酒を飲んだことがないのですか？
小人数でというのはおっしゃるとおり、ただ目安を５人に置いているようだが、５人以下なら安全だと誤解を与えるメッセージはいかがなものか。たとえ２人の会食でも相手が感染者ならウィルスの飛沫は必ず飛んでくる。
あと小皿に取り分けるというのだけは合理的だが、小声で会話しながら小一時間でというのも会食や飲み会の実体を知らないにも程がある。小さな声でヒソヒソ会話しながら１時間前後のお開きで満足できるような相手とは、そもそも最初からこんな御時世に一緒に飲食しようなんて思わない。さらに小まめにマスクを着脱したり換気したり手を消毒しながら飲食を楽しめる人なんかいるものか？
アルコールが入れば普通の人はすぐに声が大きくなるし、マスクを外したまま声を張り上げたりもする。私も先日自宅でリモート飲み会をやった時のこと、２階にある自分の書斎に籠もってパソコンの前で画面上の人たちの顔を見ながら会話していたところ、後から階下にいたカミさんが言うことには、最初のうちはおとなしく飲んでいたらしいが、時間が経つにつれて次第に声が大きく響くようになってきたのだそうだ。やはり親しい人たちと一緒に飲み食いしていれば、気分が高揚してヒソヒソ話のまま終わることなどできやしない。
小まめなマスクの着脱だって同じことだ。これも気心の知れた相手とランチした時のこと、都知事もああ言っているから話すときはマスクを着ける練習してみようよということにしたが、アルコール抜きだったにもかかわらず、５つか６つのセリフのうち１回はどうしても思わずマスクなしの発声になってしまう。ざっくばらんにマスク会食の練習を言い出せるほど気心が知れていてもこの有り様である。もう少し気兼ねの要る会食だったら小まめなマスク着脱は無理である。
そもそも現政権や東京都知事など今の日本の政治家にはイマジネーションが足りない。こういうメッセージは国民・都民の心にどう届くのか、少しでも想像したことがあるのか。ご自分はアルコールの入る会食になったら“５つの小”なんか守れるのか？酒を飲みながら親しい人と談笑する人間の心が分かっていない。大体ほとんどの人々はこの春先以来、新型コロナウィルスの流行を阻止するために10ヶ月近くも自粛生活を心がけているのだ。10ヶ月間もいろいろなことを我慢して自粛してきた国民が、ここへきてちょっと気が緩むのは当たり前ではないか。人間の心は先の見えない不安の中で半年以上も緊張を持続するのは困難である。
そういう国民の心理を洞察して次の政策へのメッセージを出すのが、政治家をはじめとして人の上に立つ人間に求められる資質ではないのか。先の見えぬ緊張を半年以上も強いれば人の心には緩みが生じることを見越して、そうならないようなメッセージを発しながら次の一手を打っていく、そんな能力もない連中が、感染が広がったのは国民の気の緩みが原因だなどと説教を垂れて国民に責任をなすりつける一方で、自粛に疲れ切って気の緩んだ国民が小躍りして飛びつきそうなGo To キャンペーンを継続し、守れるはずもない新しいマナーなどドヤ顔で押し付けてくる。まだ医療がかろうじて動いているうちに、もっと政治家としての頭を働かせろよ。
ついに医療崩壊！
今年（2020年）のクリスマスイブ、国内で3739人の新型コロナウィルス新規感染者が確認され、連日過去最多を更新し続けています。東京都内でも新規感染者数は過去最多の888人、年末には１日1000人に迫る勢いです。何より恐ろしいのは、新規感染者が１日何十人何百人出たと聞いても人々が驚かなくなったように見えること、戦争体験者の話によると、戦地の最前線にいても銃後で空襲を受けても、それが長期間に及ぶと戦火による人間の死に対する感覚が鈍麻していくそうですが、今の日本人も新型コロナ感染症に対して感覚が麻痺してきているのは明らかです。
最大の原因は政治家の不適切なメッセージでした。観光業界のドンと言われ、自民党内の影響力も強い二階幹事長の意向が反映されたせいでしょう、全国的に感染者数増加の兆しがあったのに、観光客の移動を奨励するGo To トラベル事業を中断しなかった、これで国民が安心して気を抜いてしまったことは確実です。適度に感染予防に気を配りさえすれば旅行に行っても安全なんだなと誰だって思うに決まっています。
おまけについ先日は菅首相の多人数会食参加に対して、西村大臣らが感染対策に気をつければ会食の人数は特に５人以下と限る必要はないなどと、信じられないほど愚かな擁護の答弁をした、これでおそらく年末年始に向けての国民の気の緩みは一気に加速すると思われます。
また今年の流行語にもなった“３密”という言葉を最初に提唱した小池都知事の場当たり的なご都合主義も問題です。都知事は４月から５月のコロナ第一波の後に“東京アラート”なる都内感染対策の指標を打ち出した。新規陽性者数が20人を超えるなど７つの指標が基準を超えたら警戒警報を出して、東京都庁やレインボーブリッジを赤くライトアップするというものでしたが、新規陽性者が800人を超えて、基幹病院の重症者ベッドがほとんど満杯状態になっても、再び都庁やレインボーブリッジが赤く染められることはありませんでした。これでは都民がもうコロナは大丈夫なんだなと勘違いしても仕方ありません。
政治家が適切なメッセージさえ発すれば感染者数が減少に転じるのは、第三波に対して歓楽街の休業要請など早めの対策を打った北海道の例を見るまでもありませんが、多くの政治家が自分の都合の良いことしか言わない、自分の人気取りと自己弁護と責任回避の発言しかしない、そしてそういう政治家どもの虚ろな言葉は、一応感染予防を申し訳程度に国民に丸投げするだけで、結局は人々の気持ちを緩めて人の移動と集合を奨励することになってしまう。
12月下旬に入ってからは、東京都医師会の尾崎会長は会見で、政府の空虚なスローガン「勝負の３週間」に対してこれから年末年始にかけての期間を「真剣勝負の３週間」と呼んで国民の一致団結を呼び掛けましたし、日本医師会の中川会長も、これまで使命感で持ちこたえてきた医療現場はもう限界だと悲痛な訴えを行いました。いずれも何もやってくれない政府や自治体には頼れない、言を左右するだけで自らの保身しか考えていない政治家には期待できない、最後の望みはもはや全国民に託すしかないという医療現場を代表した悲痛な苛立ちが私には感じられました。
非常事態の有事に責任感を持ったリーダーシップを発揮できる政治家を選んでこなかった日本国民、そういう人材を育てる政治的土壌の乏しかった日本で戦後75年あまりを過ごしてきた日本国民が、現在のこの局面で新型コロナウィルスに対する警戒心が緩んでしまったのは当然の成り行きでした。しかし医療現場では重症者用ベッドがほとんど飽和状態に近づいており、さらにこの半年以上の超激務に燃え尽きた看護師の離職も始まっているという。これがどんなに恐ろしいことか大部分の日本国民が気付いていないことこそ最大の危機といってよいでしょう。
春先からすでに“医療崩壊”という言葉はさんざん語られてきたけれど、いまだに病院は機能しているじゃないか、国民皆保険の制度下できちんと健康保険料も支払っていれば、明日からも何か心配事があれば診療機関で診てくれるだろう、それが大部分の国民の感覚でしょうが、少なくとも今後ワクチン接種が成功してウィルスを抑え込むまでの間に限って言えば、あまりにも楽観的に過ぎます。政府や自治体は病床を重点的に整備するなどとお題目を唱えているけれど、いくらベッドがあって人工呼吸器やECMOがあってもそれを管理する生身の医療スタッフがいない、特に重症者をケアできる熟練した看護師は激務に疲弊して多くは燃え尽きかけている。
看護師は医師に比べて給与の面で劣悪な条件で働いています。確かに重症患者が入院すれば24時間でも48時間でも連続勤務になる医師と違って一応８時間交代の勤務ですが、引き継ぎや残業などの時間を引けばせいぜい３～４時間足らずの仮眠で次の勤務に入ることもあるし、いったん勤務に入れば患者をケアするフロアに釘付けになって緊張を強いられる重労働です。そんな果てしない激務に明け暮れる看護師たちへの国民の思いやりも乏しい。看護師の子供が託児所での保育を拒否された、学校への登校を禁じられた、さらに看護師自身が地域で石を投げられたという報道もあった、これはまるで部落差別です。こんな状況でまだ現場に踏み止まってくれている看護師がいるということに、私は涙が出るほど感動しています。
しかし日本医師会長が言ったように、医療機関の使命感だけではもう限界です。いずれ必要な部署に必要なスタッフを揃えられない事態が到来するのは時間の問題でしょう。おそらく現在もどの医療機関でもコロナ感染患者を受け入れるために、他の部署から医師や看護師を配置転換して懸命な人員のやりくりをしていると思いますが、その努力が破綻した時に医療は突然崩壊します。そうなれば十分な医療を受けられなくなるのは新型コロナ感染患者だけではありません。がんや脳卒中や心筋梗塞、交通外傷や骨折や火傷、食中毒や誤嚥性肺炎や脱水症や熱中症、場合によっては小児の緊急疾患や妊娠分娩までが必要な時期に適切な治療を受けられなくなる可能性があるのです。
自分たちは“偉い”からどんな時でも優先的に医療機関に診て貰えると思っている政治家どもとこの危機感は共有できません。いざ医療が崩壊してしまえば我々一般国民は治療して貰えるかどうか選別されることになります。人工呼吸器など医療機材や治療薬などの物的資源だけでなく、医師や看護師など医療スタッフの人的資源が不足して医療が機能不全に陥った時、それは例えば大災害などに伴って救急患者が大量に発生する事態でも同じことですが、助けられる患者と助けられない患者を選別して、助けられる患者に医療資源を分配する、それはつまり助けられない患者を見捨てるという冷厳な事実を意味するわけですが、このことは古代ヒポクラテスの時代から現代の救急医学のトリアージにまで受け継がれる医療の大原則なのです。トリアージとは来院する患者を、(1)救命困難で重篤な者、(2)適切な医療を施せば救命できる重症者、(3)医療を必要としない軽症者の３つに分類して、不足している医療資源を(2)のグループに集中投入するということです。
新型コロナウィルス感染症に対するトリアージは、一般国民にとってあまりにもショッキングなためまだ報道されていないだけで、おそらくもう幾つかの医療機関ではすでに始まっている可能性があります。政治家どもの甘言を信じず、自分の身は自分で守る、人との不要不急な接触を断って３密を避けるだけでなく、コロナ以外の病気や怪我も可能な限り予防しつつ、この年末年始を乗り切ることが国民各自の義務です。
感染爆発の気配
2021年1月、新型コロナウィルスの世界的感染拡大はついに２年目に突入しましたが、依然として感染は終息するどころか、日本でもいよいよ恐れていた感染爆発の様相を呈してきました。
これは東京都の新型コロナ関連情報のサイトにあった今日までの毎日の新規感染者数の推移を表したグラフですが、昨年春の第１波、夏の第２波をはるかに凌ぐ大きな第３波に襲われている現状が一目で分かります。年が明けた1月8日には首都圏の一都三県に、さらに14日には大阪と名古屋を中心とした二府三県の他、福岡県と栃木県にも昨年４月以来２度目の緊急事態宣言が発令されました。
マスコミの報道で使用される新規感染者数のグラフは、最近では第２波より前を省略することが多いし、上記のサイトでも第１波のあたりは横にスクロールしなければ見えなくなっている。確かに感染流行が長期化してきたのでグラフの横軸をカットしなければ画面に表示しきれなくなったという理由もあるのでしょうが、グラフは物事を一目瞭然に供覧するための道具ですから、今回も新型コロナ感染症のパンデミックを正確に伝えるためには少なくとも第１波の最初から見えるように作らなければいけません。上のグラフは上記のサイトから引用したものの横軸を縮小して昨年3月までを一気に表示し、さらに縦軸を延長して各波の大きさの違いを強調してあります。
不正確な直感だけで物を言うことは慎まなければいけないし、実際私も第２波の初期の時には感染爆発かと見誤ってしまいましたが、わずか４ヶ月ばかり前のあの時に比べて感染者数を表すグラフの縦軸の数値が10倍になっていることを思えば、次の４ヶ月でさらに10倍をはるかに超えてくることもあり得ますから、ウィルスの専門家や疫学の専門家でない私でも、とりあえず現状に対するコメントだけ残しておこうと思います。
昨年暮れも私は感染者数推移を見守っていましたが、グラフの形を見る限り、10月頃から始まった第３波も11月末から12月初めにかけていったんは終息しかけていたのではないか。グラフに書き加えた青線の前半部のとおり、１日の新規感染者数の伸びが鈍化しています。しかしこれが年末から年始にかけて急激な増加に転じている。このグラフの形はまさに倍々ゲームの終末相を連想させるものです。
この感染爆発に向けての変化がなぜ年末の時点で見られたのか。私は２つの可能性があると思いますが、１つは新種の変異株による感染が重なってきたことです。これは従来型の新型コロナによる第３波自体は終息してきたところへ、変異株による第４波が重なってきたと考えるべきでしょう。ただし専門家はまだ日本では変異株による感染の広がりは確認されていないと言っていますが、まだ人類が遭遇してから１年程度しか経っていない未知のウィルスですから、イギリスや南アフリカやブラジルに出現した変異株だけがすべてというわけではない、知らないうちに日本国内でも新型コロナがまったく別種の変異を遂げていた可能性までも考えておくべきだと思います。
年末年始に感染爆発の入口への変化が起こった理由のもう１つの可能性は、やはりクリスマスや忘年会に向けての人々の行動意識の変化だと思います。グラフの急激な起ち上がりの原因は、ウィルス潜伏期を考慮すれば２週間前の12月初頭にあるはずです。グラフの形はほぼ平坦にまで鈍化した伸び率が一気にピークへ突き抜ける異質な変化を示していますが、確かに日本人にとって師走の声を聞く季節は、古い年に起こったイヤな事は何もかも忘れ去り、新しい年に向かって心が浮き立っていく特別な心理状態になる時期でもあります。
この時期の政府や自治体からのメッセージはきわめてまずかった。Go To キャンペーンによって旅行に行きましょう、外食も楽しみましょうと煽り立てながら、ただし感染防止も一応気をつけてね…と申し訳程度に付け加えるだけ、経済界のご意向や国民の欲求に対してまるで腫れ物に触るような当たり障りのないメッセージしか出しませんでした。たぶん医療現場では怨嗟と失望の声が渦巻いていたことでしょう。
もし12月初旬のあの時に、ウィルス専門家の提言を聞き入れて緊急事態宣言を含むもっと強力なメッセージを出していたら、年末商戦や帰省シーズンを控えた商店街や観光業者からは恨まれたに違いありませんが、年明けの感染爆発は抑止できていた可能性が高い。医療関係者の数よりは経済関係者の方が圧倒的に多数派なわけですから、選挙の票を考えれば当たり障りのない軽いメッセージだけ出している方が政治家どもの損得勘定にとっては有利なわけです。まったく日本にはこういう非常事態に危機管理のできるリーダーが育つ土壌が列国に比べて乏しいことを痛感します。
こうして後手後手ではあったが年明けの1月8日、首都圏の一都三県に緊急事態宣言が出されましたが、昨年4月の１回目の緊急事態宣言に比べて思ったように人出を抑制することができず、その効果の期待が薄いことから宣言の解除ができるのかどうか疑問視されています。12月の段階で早めに年末年始の人出を抑止する手立てを講じようとしなかった政治家、さらに政府や自治体がいかに無能であろうと自分だけでもウィルスから国を守るために旅行や会食などの行動を控えようとしなかった日本の大人社会は、あろうことか、その全責任を若者世代に押し付けようとしている（怒）。
現在日々の新規感染者の中では30歳代以下の若年層が半数以上を占めている。若者たちが自粛を守らず飲食街や遊技場で飲み歩き遊び歩き、不用意にウィルスに感染しては家庭や職場の高齢者に広めている、これが大人社会の思い描く感染拡大の構図ですが、大人にはまったく責任がないの？菅首相をはじめこの年末年始に多人数会食した議員や市長など政治家には責任ないの？
確かに一晩飲み明かしてマスクもせずに始発列車の中でだらしなく眠りこけている若者を見ると私も腹が立ちますが、では自分があの年齢だった頃、徹夜飲みとかしなかった？好きな時に好きな場所に遊びに行かなかった？卒業式や成人式はなくなった？学校へ行っちゃいけないって言われたことあった？人生の中で一番そういうことをしたい年頃にその機会を奪われた若者世代が今どういう風に感じているか分かろうとしてる？彼らと共にウィルスと戦わなければいけないわけだけど、大人は彼ら以上に犠牲を払う覚悟をしなければ若者たちはついて来ないよ、分かってる？
若者だけでなく、今は爺さん婆さんも緩んでいます。知り合い同士でマスクも外して食堂で大声で話し込みながら飯を食ってる、店先で袋菓子を分け合っている、年始の箱根駅伝は沿道での応援を控えるよう要請があったのに、中継画面には多数の爺婆の姿が見られた、先日○○駅で「何だ、全然ステイホームできてないじゃない」と不平を言う声がしたので振り返ったら初老婆２人連れが旅行用のキャスター付きスーツケースを引いて歩いてた…。
そういう自粛要請に従おうとしない老若男女に対して刑事罰・行政罰まで加えて規制した方が良いという雰囲気が徐々に醸成されている世間の雰囲気に危惧を感じます。国家権力が個人を取り締まることに国民の側から迎合していくその先にあるのは自由と民主主義の終焉です。
身勝手遺伝子
首都圏への２回目の緊急事態宣言発出後２週間を過ぎても新型コロナウィルスの流行はなかなか下火になりません。確かにこの１週間から10日程度で新規感染者数の伸び率がやや鈍化する傾向は見られてきましたが、重症者数はこれからがピークとなるのは明らか、しかも各病院の専用病床はきわめて逼迫してきて、症状が悪化しているのに入院先が調整できず、自宅療養のまま亡くなる方も出るなど、いよいよ医療崩壊は現実のものとなってきました。
そんな中、成人式が中止になったり延期になったりしてもほとんどの新成人は事態を真剣に粛々と受け止めて、感染防止を第一に心がける行動に終始されたという報道に胸を打たれる一方、ごく少数の若者が深夜まで公道の路上でマスクもせずに一升瓶を回し飲みして騒ぎまくり、警察が出動したというニュースもありました。ある民放報道番組のキャスター（カズレーザー氏）は、集団の中にはある一定の割合で他人に迷惑を及ぼす愚かな人間はいるものだと一刀両断でしたが、まあ当然のコメントでしょうね。
そうかと思うと1月16日、今年から大学入試センター試験に代わって始まった大学入学共通テスト第１日目の会場で、マスクから鼻を出したまま試験を受けていた受験生が失格になったという報道が議論になっていました。受験生への注意として“正しくマスクを着用すること”と注意書きがあり、さらに“監督者の指示に従うこと”とも書かれていたのに、前後計６回もマスクで鼻を隠すよう注意を受けたのに従わなかったということですから、これは仕方ないでしょう。“正しいマスク”に関する具体的な記載がないとこの受験生を擁護する向きもありましたが、この人の近くの席で解答していた他の受験生こそいい迷惑です。ただでさえ緊張でピリピリする入学試験で、隣の席の見知らぬ受験生が鼻を出してスースー呼吸しているのを感じただけでパニックになることだってありうる。そういう座席による不公平を可能な限り是正して、すべての受験生に公正な受験を受けさせることが試験監督官の最大の使命といってもよいのです。
成人式の深夜の路上で酒を飲んで騒いだ新成人とか、入試会場で鼻出しマスクを改めようとしなかった受験生とか、こういう人たちを一概に“無法者”と決めつけてもよいのか。確かにこういう人たちは公共のコミュニティの場に疫病を撒き散らす恐れがあるということで困った存在ではあります。では強制的に排除してしまえばそれで済むかと言えば、その場合には多かれ少なかれ個人の生活や信条に国家権力の介入を望むことになり、コロナは克服したけれど自由と民主主義はいつの間にか制限を受けてしまったということにもなりかねない。
路上で飲酒した若者や、マスクから鼻を出した受験生といった人たちは、おそらく積極的に社会に反抗する正真正銘の“アウトロー”というわけではないでしょう。私はある程度遺伝的に決定された性格が、その後の家庭や学校での躾によって増強されたり修飾されたりしながら発現しているのではないかと思います。そういういわば“身勝手遺伝子”、つまり自分の安楽や快楽のためならば周囲の他人がどう思うかなど無頓着な性格を決定する遺伝子の存在を、私自身身近に感じる場所があります。
私は最近は健診の仕事で平塚とか熊谷とか電車に１時間前後揺られて通勤することも多く、そういう時はグリーン車を利用します。普通の車両だと吊り革や手すりにつかまって立っていなければならず（接触感染の危険）、たまたま座席に座れても隣の狭い隙間に尻を入れてきた他の乗客が平気で咳き込んだりすることもあり（飛沫感染の危険）、それなら1000円程度の追加料金で毎日乗るわけでもないし、少しでも安心して乗って行こうと思うからですが、そう考える乗客は他にも大勢いらっしゃるようで、朝の通勤時間帯のJRのグリーン車両はほぼ満席なのですね。
グリーン車の座席はリクライニングシートになっていて、ご覧のように背もたれを20度くらい後ろへ倒すことができる。背もたれを最大限に倒すと確かに快適ですが、後ろの席に座った乗客は前の背もたれが30センチくらい迫ってきてかなり窮屈な状態になります。自分も最大限に後ろに倒してしまえば前との距離は保てますが、今度は自分の後ろの人が窮屈だろうと思って、なかなかそうできない人の方が多いようですね。
私はいつも二階建てグリーン車の二階席に乗りますが、途中駅での乗降による入れ替えも含めて観察していると、大体50～60人に１人か２人、多い時は４人か５人は後ろの席に他の乗客がいようがいまいが当たり前のように背もたれを目一杯倒します。この写真の人も満席状態の時からずっとこのように背もたれを倒して寝ていて、たまたま横浜駅で他の乗客がごっそり下車した隙に撮影したものです。
グリーン車に乗った途端、後ろの人のことも気にせず平気でリクライニングシートを倒す人たちは、たぶんこう書かれても「エッ、何でそれが悪いの？」と不思議な顔で聞き返してくるのではないでしょうか。そういう乗客の大部分は一見すると立派な身なりの会社員だとか、インテリの学生風の人が圧倒的に多く、彼らの顔立ちや表情を見れば、自分が後ろの人に窮屈な思いをさせてしまうかも知れないという意識など微塵も感じられないのです。本当に当たり前のようにあっけらかんと座席を倒すのですね。
本当は鉄道工場でグリーン車の座席を設計する人が、その座席に座る乗客の安楽ばかりでなく、背もたれを倒される後ろの乗客の窮屈のことまで配慮して、ここまで背もたれが倒せないように設計すべきだと思うのですが、そういう座席の構造になっていれば後ろの他人への配慮もなく背もたれを倒して安楽を貪ってしまう性格、それはやはり遺伝子に支配されていると考えるのが妥当と思います。
せっかくおおっぴらに酒を飲めるようになったんだから、社会の目も気にせず心ゆくまで仲間たちと飲んで楽しみたいという行動も然り、マスクで鼻まで覆ってしまうと息苦しいから、大学受験の時くらい呼吸を楽にして実力を発揮したいという行動も然り、傍から見ると迷惑な行動もすべては遺伝子の所業ではないのか。1970年代に『利己的遺伝子（the selfish gene）』という学説が一般にも紹介されたのをふと思い出しました。
この『利己的遺伝子』というのは、私のいう『身勝手遺伝子』とはちょっと違うと思いますが、例えばペンギンは海中に天敵のアザラシが潜んでいないのを確かめるために仲間が氷の上から落ちたのを見届けてから自分も海に飛び込む、つまり仲間の犠牲を期待する臆病な行動を規定する『利己的遺伝子』は、率先して海に飛び込む『利他的遺伝子』よりも増殖の機会が大きい、ザックリ言ってしまえばそういう遺伝子レベルでの損得勘定を説明するものでした。
しかし人間の『身勝手遺伝子』、新型コロナ流行のご時世でも酒を飲んで騒ぐ、鼻出しマスクで周囲に不安を与える、また遺伝子作用の強いものでは犯罪までは至らない暴走行為、弱いものでは先に述べたグリーン車の背もたれを大きく倒す、そういう性格を規定する遺伝子は我々の社会に適応していくためには不利になります。しかし集団で共同生活を営む人類社会では単なる迷惑行為の原因として排除される傾向が強い遺伝子でも、完全に集団中から消えることはない（遺伝子頻度は不変である）という人類遺伝学の大原則を表していると思います。路上で酒を飲んだ新成人を「そういう愚かな者は集団中に一定割合で存在する」と見放した民放キャスターのコメントもそういうことなのでしょう。
新型コロナウィルス流行の拡大から神経質になって、周囲の人々の野放図に見える行動につい批判的な目を向けてしまいがちな今日この頃ですが、人間のさまざまな行動を背後で支配するものは遺伝子であるという認識に立てば、どんな厄介な行動を起こす遺伝子も集団中から完全に消去することはできないのだという達観に至ります。不都合な遺伝子を集団から排除しようという古今東西の暴君たちの野心はすべて失敗しました。だから他人の野放図な行動にいちいち腹を立てて血圧を上げたりせずに、自分と自分の身内だけでもウィルスに感染しない予防に徹しましょう。
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