万が一、もしかして…

 2007年6月19日に東京渋谷で起きた温泉施設の爆発事故で3人もの女性従業員の方が亡くなり、さらに巻き込まれた通行人も重体との報道に心を痛めている。
 まず驚いたのは東京に温泉井戸が144ヶ所もあるということ。それも伊豆諸島や小笠原諸島の話ではなく、渋谷の繁華街の真上にまであるのだから本当に驚く。何年か前に我が家の近所の豊島園あたりにも温泉施設ができて、東京都区内でも地下1000メートル以上も掘れば温泉が湧くことは認識していたが、掘削技術の進歩によって採算が取れるとなったら、たちまち100ヶ所以上も温泉が掘られたらしい。東京には銭湯しかない時代に育った者としては信じられない思いであるが、日本の首都など火山の真上にあるということを、イヤでも見せつけられた格好になってしまった。
 次に驚いたのは、ニュース番組で事故現場の近くに居合わせた街の人々の声を拾っていて、皆さん何が起こったのか一瞬判らなかったには違いないが、地震かトラックの衝突かと思ったなどという声ばかりで、私が見ていた報道番組ではテロかと思った人は1人もいらっしゃらなかったことだ。毎週のようにイラクや中東での爆弾テロのニュースが報道されているのに、1棟の建物が吹き飛ぶほどの大爆発に遭遇していながら、テロの可能性を考えた方々が少なかったことに、日本は本当に平和だということを改めてしみじみと思った。

 しかし私が本当に言いたいことは、何でこんな事故が起こってしまったのか、こんな事故を起こしてしまう体質は、この温泉施設の経営者だけの問題なのかということである。
 何でも地下1500メートルの深さから汲み上げる温泉には爆発性の天然ガスが含まれていて、これを給湯前にガスセパレーター(gas separator)という装置で分離するらしいのだが、この装置に何らかの故障があってガスが蓄積したところに何かの火が引火したのが今回の事故の原因ということである。海軍マニアであれば、重装甲が自慢だった太平洋戦争中の日本空母“大鳳”の最期を思い浮かべた方もいるかも知れない。公試排水量34000トン以上の大鳳は1944年6月のマリアナ沖海戦で米潜水艦の魚雷1発命中、不十分な応急処置のまま作戦行動していたところ、航空燃料庫から洩れ出した揮発性ガスが艦内に充満して約3時間後に大爆発を起こし、さらに2時間後に沈没した。わずか1発の魚雷のみで!
 引火性の気体の充満は巨大な空母でさえ吹き飛ばしてしまうのだ。そんなことは別に空母大鳳の戦訓を引くまでもなく、素人が考えたって判りそうなものだ。その最も危険な場所に何の対策も施していなかったということは、今回の事故に関する最大の驚きである。本当に万が一、もしかして装置に何か不具合が起こったら大事故に直結するという認識を欠いていたことは、経営者は大いに責められるべきである。

 だが万一の事故を予見していないということに関してもっと一般的なことを言えば、他の大勢の人々だってこの温泉経営者ばかりを一方的に指弾することが出来るのだろうか?
 例えば自動車の運転者。ちょっとの間だから良いだろうと思って、交通量の多い片側1車線の道路に駐車したことはないだろうか?別に片道1車線でなくともよい、またその道路が駐停車禁止だろうと禁止でなかろうとどっちでもよい、もし自分が車を停めている間に万が一、もしかして自転車や歩行者(特に目の不自由な人)がこれを避けようとして事故に巻き込まれる可能性までを常に想定しているだろうか?
 例えば路上で喫煙する人間。自分の吸ったタバコの火のついた灰が万が一、もしかして乳幼児の目に入る可能性までを想定しているのだろうか?
 自分が何気なくやっていることが招きうる重大な事故に関してはちっとも予見する努力すらしない人間が、今回のような事故が起こると経営者や責任者を一方的に追及するマスコミに相槌を打っている状況は、私は決して好ましいものとは思えない。“人の振り見て我が振り直せ”とは、今回の場合、必ずしも温泉井戸を経営するほどの金持ちにだけ適用される言葉ではないはずだ。


脳内仮想空間と脳外仮想空間

 ちょっとハマったゲームのページのコーナーで電車でGO!FINALのゲームを紹介した際、私たちのような古い世代は“うそこの電車”などで知らず知らずのうちに自分の脳内に仮想空間を作る訓練をしてきたと書いた。今回はもうちょっと深く掘り下げて考えてみる。
 “うそこの電車”とは“「嘘」+接尾語「こ」の電車”、すなわち架空の電車ということである。他にも“うそこの飛行機”とか“うそこの御馳走”とか“うそこの郵便局”など、当時の子供たちは何でもかんでも自分の頭の中に作り上げた架空のものを友達同士で共有することができた。女の子なら“ままごと遊び”、男の子なら“戦争ごっこ”も、“うそこ”の意味が家庭や軍隊にかなり限定されたものと考えてよい。

 こういう“うそこ”の遊びというのは、今になって考えてみると、子供なりに相当高級な精神活動を必要とするものだった。すなわち、例えば1本の紐なり棒なり、あるいは1個の箱なり小部屋なりを1台の電車と仮定するわけである。子供の脳の中には、これが実物の電車に置き換えられた仮想空間が形成される。このちょっと歪んだ部分が電車のドアだとか、ここに刺さっている釘が電車の運転装置だとか…。そして子供はまるで本物の電車を自分で動かしたり、客として乗車したりしている気になるのである。
 さらに重要なことは、子供はその仮想空間を仲間たちと共有していることだ。子供によっては脳の中に仮想空間として形成されるものが山手線や大阪環状線だったり、都電や市電だったり、あるいは東海道線だったりするかも知れないが、少なくともそこにいる子供たちの脳の中に、紐や棒や箱や小部屋を“電車”として認識する仮想空間が共有されていなければ、一緒に遊ぶことは出来ない。

 しかし最近のテレビゲームやパソコンゲームではこの仮想空間が脳の
に形成されることになる。昔に比べれば信じられないくらい高性能化した機械の力のおかげで、まるで本物そっくりの電車や飛行機が再現され、プレーヤー(子供に限らない)は視覚や聴覚を介してその仮想空間にアクセスしていくのだ。

 これは同じ“電車ごっこ”であっても雲泥の違いがある。つまり昔の子供たちはゲームの仮想空間を自分の
脳内に取り込んで意のままにコントロールしたのに対し、最近はプレーヤーたち自身が脳外の仮想空間に取り込まれて遊んでいるのである。しかも最新のゲームでは、一緒に遊ぶ仲間たちまでが機械の力で存在するようになり、機械が生み出したキャラクターと共に冒険に出たり、敵と戦ったりすることも多くなった。もちろん仮想の電車の乗客も機械が生み出したものであり、急ブレーキを掛けると苦情を言ったりもするが、別にプレーヤーは気にする必要もない。

 この変化は昔と今の人間そのものを根本から変えてしまったのではないか。昔の子供たちのように、遊びの仮想空間が自分の
脳内にあれば、その仮想空間内にいる仮想の自分自身もまた自分の脳内にいるのである。これは自分を客観的に見るということだ。
 こういう遊び方をした子供は、将来にわたって自分自身を客観的に観察して、自分と他者との関係を冷静に築いていくことが出来るようになる可能性が大きい。つまり自分の言葉や態度が相手にどう受け取られるか、あるいは他者が自分の期待するように接してくれないのは自分にどんな原因があるのか、そういったことを反省して人間関係を主体的に改善する能力が備わることになるのではないか。

 しかし子供の頃に生身の仲間たちと“ままごと”や“戦争ごっこ”をせずに、ゲーム機やゲームソフトが提供してくれる
脳外の仮想空間で、機械が生み出す仮想のキャラクターたちとしか遊ばなかったプレーヤーたちがどんな対人関係を築いていくようになるのか。これはちょっと考えただけでも恐ろしい。
 ゲームのキャラクターたちはちょっと相手が失敗したり、ちょっと喧嘩したり、あるいはちょっと飽きてしまったりしても、一旦リセットしてやり直せば、また新しい仲間を作り出すことが出来る。子供たちがゲームセンターなどで画面を眺めながら、「こいつは殺しておいて…」などと口走っているのを聞いて肌寒い思いをしたことも多い。

 こういうゲーム機やゲームソフトがすべて悪いとは言わない。とにかく昔の遊びに比べれば実に刺激的で面白いのだから…。ただこれらの
脳外仮想空間が発達してきた時代においては、それに拮抗するだけの脳内仮想空間を形成するために、生身の仲間同士もっとぶつかり合う訓練を大人たちが用意してやる必要があるのではないか。
 幸いなことに私自身の周囲のように理科系・医療系の分野では、イヤでも人間同士が生身で触れ合わねばならぬ局面も多いので、同僚たちも学生さんたちも生き生きとしている人が多いが、どうも最近の社会で信じられないような殺傷事件が続発する背景には、
脳内仮想空間の未発達な部分がどこかに存在しているんではないかという気もしている。


昔の遊園地

 私はつい先日、このコーナーで、私自身のカラー写真は中学の修学旅行の時が初めてだと書いた(私と写真)。また私が幼かった頃に地元の開業医だった父と遠出した記憶はないとも書いた(昔の開業医)。しかしこれらの話には唯一の例外があったことの物証を最近入手した。

 事の次第は次のようなものである。父の学生時代の同級生で、開業医仲間でもあるT先生という方がおられた。その先生は何でも京都の四条か五条あたりの大通りの交差点で洋服屋を営む大店のご子息で、もちろん物凄いお金持ちの坊ちゃんだった。戦前の学生時代から写真を道楽にしておられたという。
 とにかくお金持ちであるから、道楽と言っても普通の人の趣味などとは桁が違っていた。戦後もまだ一般家庭には普通のカメラさえ無かった時代に、何と16ミリ映画の装置を持っていたのである。8ミリ映写機が普及するよりずっと前の時代に…。
 そして昭和31年(1956年)11月3日のこと、そのT先生が私の一家を総天然色の16ミリ映画で撮影してくれることになった。可愛い坊ちゃんがいた家庭だからかどうかは知らないが、とにかく我が家は大騒ぎだったであろう。親類の女性2人も呼んで、一緒に豊島園の遊園地に繰り出すことになった。おそらく父もその日だけは休日の急患を半日だけ近所の別の開業医の先生に頼み、一家打ち揃ってイソイソと出かけたようだ。
 その時にT先生が撮影して下さった16ミリフィルムを最近になって父がDVDで再生できるように焼き直してくれた。その何コマかをここにご紹介したい。

 何しろ映画の俳優でもないのに映画に写るというので、父も親類の女性たちもかなり気合いが入っている。父などは遊園地に行くというのに、何と背広にネクタイを締めているのだ。そして普段は乗ったこともないタクシーを拾っている。桜にNの日本交通のマークも今は懐かしい。この通りは目白通りであるが、歩道には通称ペンペン草が生えていたものだ。

 今は東京都内を代表する遊園地の一つである豊島園の昭和30年代の様子がよく判る。園内中央にはおとぎ電車の線路で囲まれた大きな広場があって、そこは砂場があったり、ブランコがあったり、普通の公園と大して変わらない。他にボート池とか、馬場があって、馬場では馬方さんの曳く馬や馬車に乗れた。それにしても私の“御幼少の頃”である。両親の世代の大人たちにしてみれば、戦争が終わって10年、やっと落ち着いて自分の生活を送れる実感にひたっていたのではあるまいか。

 やはり大きな遊園地であるから、他にはないアトラクションもあった。もちろん当時はアトラクションなどという洒落た呼び方はせず、単に“乗り物”と言っていた。左は飛行塔と呼ばれた遊具で、飛行機の形をしたゴンドラが宙に浮かび上がって塔の周りを何周かグルグル回るだけのもの。右はお馴染みのおとぎ電車で、全長300メートルほどの軌道を1周して来るだけのものだった。
 最近のディズニーランドなどにある大掛かりなアトラクションに比べると何とも素朴な乗り物ではあったが、それでも子供心には十分興奮したものである。思えばこの後、全国各地の遊園地のアトラクションは格段の進化を遂げ、普通の遊具では“興奮”しない客を喜ばせるために、どんどんスリルに満ちたものになっていった。大阪のエキスポランドのジェットコースターが車軸の金属疲労のために事故を起こし、若いお嬢さんが亡くなったという痛ましい事故はまだ記憶に新しいが(2007年5月)、昭和30年代当時はまだそんな大事故につながるようなスリリングな遊具は登場していない。確かに上の飛行塔の支持架が折れれば危険だが、1周数十秒かけてゆっくり回っているだけだったから、最近のアトラクションに比べたらきわめて安全だったと言える。

 ジェットコースターだ、フリーフォールだと、かなりスリルのあるアトラクション、私はあまり乗りたくないが、ああいうものは要するに危険を体験する遊びである。もっと逆説的に言えば、「安全に危険を体験したい」という願望を満たすものだ。まかり間違えば生命を失いかねないほどのスリルを味わわせるためのものだから、その安全管理は徹底した厳しいものでなければならない。本当に生命を失ってしまっては何のための遊園地か判らなくなる。
 その安全管理が、遊園地の集客という経営主義に押し切られてないがしろにされたことが、先日のエキスポランドの事故の原因であろう。昔の遊園地などのんびりしたものだった。昭和30年代初頭の映像を見ればお判りのように、当時は遊園地などせいぜい幼稚園か小学校低学年くらいまでの子供(とその保護者)しかいない。5〜6歳くらいまでの子供相手なら、そんな生命を失いかねないほどのスリルは必要ないのである。
 そこへ10歳代、20歳代の若者たちまでを呼び込もうということで、遊園地のアトラクションはどんどんスリル満点なものに変貌していった。ジェットコースターにしても、ただアップダウンするだけでなく、高速でトンネルに突入し、宙返りし、後退し、スクリューのように錐もみになる…、そこまでやらなければ若者たちは見向きもしなくなってしまった。必要もないのに危険(スリル)を求める若者たちにも問題があると言ってしまえば簡単だが、そういう若者たちにスリルを提供して商売しようというのだから、安全管理に手を抜くなどとんでもない話だ。どうも最近の日本、金さえ儲かればそれで良いという経営哲学がはびこっていて、とても醜い国になってしまった。

 さてT先生の16ミリ映画であるが、カラー映像は前半の4分ほどで終わり、さすがに京都の大店のご子息にも負担が大きすぎたか、後半3分ほどはモノクロになっている。それでも前後7分ばかりの映像の記録だけで、当時の金で1万円近くしたのではなかったかと両親は言っている。現在で言えば軽く20万円、30万円かかっていたかも知れない。知り合いの一家の映像をほんの数分間撮影するために、それだけの大金をポンと出すとはやはりただ者の道楽ではない。
 左のモノクロ映像はウォーターシュートである。つい最近まで横浜の八景島シーパラダイスにもあったらしいが、やはり客足が遠のいて一昨年に営業終了したという。今時の若者たちには物足りないウォーターシュートであるが、昭和30年代の豊島園では最もスリリングな乗り物だった。畳のような平べったい船が30度くらいの傾斜のついたスロープを滑り降りてきて、高速で水面に突入する。そして物凄い水しぶきと共に、舳先に立った船頭さんが見事にジャンプするのである。着水した後、池を一周して船着場で客を降ろすと、船は次の順番の客のために再びスロープをワイヤーに曳かれてガラガラと登っていくのであった。

 現在、こうしてDVDに焼き直した映像を眺めていると、かなり楽しい1日だったはずであるのに、私にはこの時の記憶がほとんど無いのである。ただひとつ覚えているのは、遊園地前でT先生や親類の女性たちとも解散して私たち一家も帰路に着こうという時のこと。遊園地の正門前でタクシーに乗り込もうとする両親に対して、私がどうしても電車で帰ると言って激しくダダをこねたのである。それで母と弟だけはそのままタクシーで帰宅したが、私は父と一緒に西武池袋線の電車で帰った。
 この記憶だけはその後もずっと鮮明だったが、今回の16ミリフィルムの映像を見て、私の年齢といい、周囲の状況といい、ああ、この日のことだったかと今にして納得した。
「来た時みたいにニコニコして(タクシーに)乗ろうよ」と説得する父の言葉、運転席で苦笑いしながらこちらを見ている運転手さんの顔、それらは今も鮮明に脳裏にこびりついているが、何で私が頑として電車で帰ると言い張ったのか、その理由は全然覚えていない。
 T先生や親類の女性たちの手前、正装させられてタクシーに乗せられて、良い所を見せようと背伸びしていた私の一家のその日の窮屈な雰囲気に疲れてしまったのであろうと漠然と思っているが、いずれにしても両親やT先生には申し訳ないことであった。


機械は良くなったけれど

 先日の春の連休明け、私が大学の研究室で5年間使用していたWindows XPマシンの調子が突然おかしくなってしまった。ちょっとジョブの量が増えたり、数分間ポーズを置いたりしただけで、すぐにフリーズするようになってしまったのだ。これでは大学での作業の急場に間に合わない。
 早速パソコンショップに行って代わりのマシンを購入した。もちろんOSは最新のビスタ(Windows Vista)である。XPマシンでも通常の家庭や職場での使用には十分の機能を持っていたが、その後継OSということで確かになかなか凝った仕様になっている。Vistaの具体的な内容については、私などよりずっと詳しい人がいろいろな書籍やウェブサイトなどに解説しておられるのでそちらを参照して貰うこととして、初めてWindows Vistaを使った私の感想などを徒然なるままに書いてみよう。

 Windows Vistaは確かにきわめて優れたOSであることに間違いない。しかしこれだけのOSの恩恵を受けられるようになった背景には、パソコン自体の能力が飛躍的に増大したという状況があるのではないか。昔のWindows 95だとかWindows 2000の時代のマシンにVistaをインストールすれば、その場でたちまち凍りついたことであろう。今回、私がVistaマシンを購入するに当たってパソコンショップの店員さんから言われたのは、メモリーを1GBまで増設しないとVistaは動きませんよということだった。Vista自体がマシンに対してそれだけの能力を要求しているのである。

 ここで私のような古い人間が考えることは、それではVistaを動かせるような最新のマシンでWindows XPだとか、95や98などを動かしたとすれば、どんな作業プログラムでも軽々と、何のストレスも無く動かせるのではなかろうかということだ。本当は今度買ったマシンにWindows 98をインストールして、昔は重くてギクシャクしか動かなかったゲームソフトで遊んでみたい。

 結局は機械の性能が良くなっても、あれやこれやと新たな機能を盛り込んでしまうので、操作性は前と大して変わらなくなってしまう。この話は機械の性能ばかりではない。日常の時間や空間に関しても似たようなことが言えるのではないか。時間や空間などの余裕ができれば今の状況はずっと改善するという幻想は人間なら誰でも持っている。例えば私のカミさんなどは身の回りの整理や片付けが大の苦手であり、もっと広い場所さえあれば奇麗に片付けられると豪語していたが、少し広い家に引っ越してみれば何のことはない、広がったスペースを前と同じように散らかしているだけである。

 時間についても同じこと。忙しくて時間が無いから仕事が終わらないと訴える人はどこにでもいる。(ウチの家庭にもいる。)では人員が増えて1人当たりのノルマを減らして貰えば仕事を早く終わらせられるかと言えばそんな事はない。余裕のできた時間に余計な事をする、お茶を飲んでみたり、余計にお喋りしてみたり…。それで結局のところ仕事の終わる時間は前と大して変わらない。

 Windowsのゲームをスムースに動かそうと思ったら、Vistaマシンに乗り換えることではない。余分なソフトを降ろして機械のメモリーの負担を軽くしてやることだ。部屋を奇麗に片付けようと思ったら、広い家に引っ越すことではない。余分で不要なものを整理してしまうことだ。早く仕事を終わらせようと思ったら、人員を増やして貰うことではない。無駄な動きを省いて目先の作業に対する集中力を高めることだ。
 こういう努力のできない人が、高性能マシンを手に入れようが、広い家に引っ越そうが、お手伝いさんを雇おうが、せっかくの状況を活かすことは出来ないのではなかろうか。しかしカミさんを見ていてつくづく思うことだが、こういう努力の出来ない性分というものは確かにあるらしい。私は何らかの遺伝子の関与する先天的な気質だと思っているが、そういう人に忠告してあげても反発されるばかりなので、最近は黙って暖かく見守ってあげることにしている(苦笑)。

 ちなみにこういう時間や空間を有効に活かす能力とはいかなるものか。私の結婚生活○十年の観察からその実態がおぼろげながら見えてきた。それは「足し算」と「引き算」の違いである。

 カミさんは心ならずも夜更かししてしまうことが多いようだ。
「AもBもCもやったから(午前)2時になっちゃった。」
カミさんは完璧主義で、何事によらず中途半端な仕事はしない。おまけに責任感も強いから、Aという作業もBという作業もCという作業も、すべて誠意をもって完全にこなそうとする。そういう人柄だから多くの人たちから頼られて、さらに仕事が増えることになるのだが…。
 ところで今のカミさんのセリフはこういうことになる。
(作業開始時刻)+A+B+C=(午前2時)

 
しかし私は違う。例えば明日は朝早く起きなければいけないので、午前0時には寝ようと思ったとする。しかし今晩中にAとBとCという作業を仕上げなければいけない。この時、私はこういうふうに計算する。
(現在時刻)=(午前0時)−A−B−C

 つまりこれが足し算と引き算の違いである。私は午前0時に寝るためには、Aの作業は午後10時までに終わらせる、Bの作業は11時までに終わらせる、Cの作業は0時までに終わらせるというように予定を立てる。
 ところが「足し算型」の人間にはこの発想が理解できない。Aの作業には2時間必要なのに、何で1時間で終わるのよ、と食ってかかってくる。しかしこれは本来2時間の作業を1時間に“カット”するのではない、1時間で“完璧に仕上げる”のだ。そんなことは出来っこないと言うかも知れないが、集中力を高めれば可能なのだ。

 よくサッカーチームがゲームの終盤に相手の逆転ゴールを許したりすると、「ボールへの集中力が途切れてしまった」などと敗因を分析することがある。あの集中力とはいったい何だろうか。
 ボールへの集中というが、それはプレーヤーが全員でボールに群がることではない。ピッチのどこに立っていようが、ボールの現在位置と未来の予測位置、相手のプレーヤーの現在位置と未来の予測位置、味方のプレーヤーの現在位置と未来の予測位置、時々刻々変化するそれらの要素を常に考えているというのが、すなわちボールへの集中力ということではないか。肉体を酷使しながらも常に頭脳を明敏に保っておかなければ出来ない芸当である。

 これは仕事でも同じことだ。現在の作業段階に集中しつつも、次の作業段階への段取りを予め考えておく、また作業中に起こりうるあらゆる事態を先に想定しておいて、それぞれの対応策を決めておく。そういうふうに頭脳を働かせ続けることによって、通常なら2時間かかる作業を1時間で仕上げることは可能だ。かなり頭脳的には疲れるが…。

 こういう頭脳の働かせ方の出来ない人は空間の使い方もヘタで、家にはもう物を置くスペースも無いのに、通販のカタログで気に入った品物があるとたちまち飛びついてしまったりする。あるいはパソコンのメモリーに余裕が無いのに、新しいソフトを導入してしまったりする…。

 私はこういう性分は遺伝だと思っているが、一つだけ、時間を管理する能力を養成する訓練の話を読んだことがある。アメリカ海兵隊の士官養成課程では、制限時間内には到底達成不可能な量の課題を与えられて、それを完全に遂行するように求められるという。どこで課題と時間を妥協させるかを決断すると言うが、本当は頭脳の集中力を高めてすべての課題に立ち向かうということなのだろう。
 この話を読んだ時(野中郁次郎著「アメリカ海兵隊」中公新書)、私はまさに我が意を得たりという思いだったが、まさかカミさんをアメリカ海兵隊に入隊させるわけには行かないではないか(再び苦笑)。


熱中症にご用心

 2007年の夏はまた猛暑となった。私が小中学生の頃は、夏の気温のイメージはせいぜい摂氏30度、日中の最高気温が31度とか32度とか30度に端数がつくような日は稀だったような気がするが、そんな日でも夕方になると何となく涼しい風が吹き抜けたものだった。
 ところが35度とか36度とか、四捨五入すると40度になるような最高気温の日があるのが当たり前になったのはいつの頃からか。さらに今年(2007年)の夏の猛暑は記録づくめだそうで、ついに8月16日には埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で日本国内では史上最高の気温40.9度を観測したらしい。
 やはり地球温暖化の影響らしく、世界的に見ても気温は上昇傾向にあり、北極海の海氷面積は1970年代に比べて約6割くらいにまで減少しているとのこと。一刻も早く二酸化炭素排出を厳格に規制しなければ、人類文明の歴史は21世紀中に終わってしまうだろう。気温が恒常的に人間の体温を上回るようになれば、人類の生存自体が脅かされる結果になるのだから…。

 余談だが、最近は悪の根源のように言われる温室効果ガス筆頭の二酸化炭素、しかし地球上に生命が生まれることが出来たのはこの二酸化炭素による温室効果のお陰だったという説を読んだことがある。太古の惑星上では火山活動が盛んで硫黄やメタンガスなどと共に二酸化炭素も大量に排出されていた。火星は地球よりサイズが小さいために二酸化炭素を大気中に重力で引き止めておくことが出来ずに冷え切ってしまったのに対し、地球は適度なサイズだったために二酸化炭素を大気から逃がさず、その温室効果によって現在の生命が繁栄するのにふさわしい気温を保つことが出来たのだという。いずれにしてもそういう惑星規模の活動のさまざまな偶然のお陰で地球上には現在あるような生命が営まれるようになったわけだが、今や人類の経済活動そのものが惑星規模の活動にも匹敵するレベルになってしまったことだけは確かだ。早く手を打たないと今度は人類自身が地球上の生命を危機に追いやることになる。

 ところでこう暑い日が続くと、熱中症で亡くなる方々のニュースが相次ぎ、大変痛ましいことである。人間の体は摂氏36度から37度くらいの体温で最も効率的に生命活動が営まれるように設定されている。要するに生命を維持するためのさまざまな化学反応を制御する酵素にとっては、この体温の範囲が最適なのだ。寒ければブルブル筋肉を震えさせて体温を発生させ、暑ければ汗を出して気化熱で体温を放散させ、とにかく体の内部がこの最適温度になるように調節している。
 しかしあまりに暑すぎると、うまく体温を放散させることが出来なくなって体温が限界以上に上昇し、体内の反応が障害されて最悪の場合は死に至る。これが熱中症の中でも最も重篤といわれる熱射病である。うまく汗をかいて体温を放散させるように、汗の原料である水分と塩分の補給が大切であると、最近ではマスコミでもさかんに注意を喚起している。

 それでも熱中症で亡くなる方々のニュースを見ていると、何故こんなに若くて健康そうな人が熱中症で亡くなるの、と思うことが時々ある。20歳代、30歳代の方が炎天下で作業中に亡くなったというような例であるが、これは私にも思い当たることがあるので、この際つけ加えておく。
 真夏の暑い日に炎天下での作業、汗がダラダラ、咽喉はカラカラ…。こういう状況から私が連想することは、ああ、この後はビールが美味しいだろうな、ということである。意地汚いと笑うことなかれ。こういう時にビール好きは作業後の一杯のビールを楽しみに、ついつい無理をして水分補給をわざと怠ってしまうのである。これがいかに危険か。私は今年になってから報道された熱中症関連のニュースの中には、こういうことで犠牲になられた方が何名かいらっしゃったのではないかと疑っている。
 確かに真夏に体内の水分をカラカラに絞り出した後のビールは極上の楽しみである。しかし世のビール好きの方々よ、最近の温暖化した地球上にはもはやそんなオアシスのロマンは無いのだ。晩酌のビールが多少まずくなっても、こまめに水分補給に励もうではないか。

 さてこの水分補給という概念、人間の体は太古の昔に誕生して以来、体内の水分と塩分を使って体温放散させる発汗システムを完備させていたが、これが医学的に認識されたのはつい半世紀前後のことらしい。私は先年、父の従軍記をまとめて驚いたが、第二次大戦中の陸軍軍医は脱水症や水分補給に関していかにも無知だったのである。戦闘で負傷した兵隊たちが咽喉の渇きを訴えても水を与えなかったそうだ。当時は負傷者に水を飲ませたら死ぬと医師までが信じていたようである。部隊の移動に際しても、一応は自分の脚で歩ける護送患者を1人、行軍中に死なせてしまったと父は書いているが、炎天下に水分を制限して長距離を歩かせれば脱水を起こして死ぬのは最近の医学では常識だ。典型的な熱射病だったのだろう。
 そういえば先日フジテレビで放送していたドラマ「はだしのゲン」(8月11日放映分)の中でも、確かこんな医者のセリフがあった:「怪我人は水を飲みたくて頑張っているんだ、水を飲ませちゃいかん、飲ませたら安心して死んでしまうぞ。」広島の被爆者たちが水を欲しがって呻く悲惨なシーンである。第二次大戦までの日本の医学はこんなものだったらしい。
 陸軍ばかりでない。海軍で潜水艦に乗り組んだ斎藤寛さんという軍医の方の本(「鉄の棺−最後の日本潜水艦−」光人社NF文庫)にも、ちょっと私たちの世代の医師から見ると不思議な記載がある。斎藤さんの乗り組んだ伊56潜水艦は昭和19年10月、敵空母雷撃後50時間以上も駆逐艦に制圧されて潜航を余儀なくされた。海面から新鮮な空気を取り入れることもできないから二酸化炭素濃度が危険なレベルにまで上昇したばかりでなく、空調も止まった艦内の気温は摂氏42度近くにまでなった。すると最初のうち噴き出していた汗も最後の頃には出なくなり、これは脱水症状なのだが、斎藤さんはこれを汗腺の疲労と記している。つまり汗腺が疲れて汗をかけなくなったと思ったようだ。

 ところで私が医師になって初めて入局したのは東京大学の小児科学教室で、ここは脱水症の輸液療法に関しては日本でも先進的な講座だった。とにかく子供は一旦脱水症になれば大人よりも急速に症状が進行して死亡率も高い。私が入局した時は小林登教授だったが、その前任の高津忠夫教授が考案した“ソリタ”という輸液製剤があって、重篤な脱水初期にはとにかく電解質の中でもナトリウム(Na)を急速に補給してやるのが治療の第一段階、ここで用いるのが高濃度ナトリウムを含む“ソリタT1号”という製剤である。そして患者の体内循環水分量が確保されて尿が出るようになったらナトリウムの補給量は少し減らして代わりにカリウム(K)を補給してやるのが治療の第二段階、ここでは中濃度ナトリウムと中濃度カリウムを含む“ソリタT3号”という製剤を使う。
 私たちはこのことは学生時代から徹底的に教わった。T1号とT3号の他にもT2号やT4号もあったが、通常は1号と3号だけで間に合う。T1号とかT3号の“T”は東大の“T”だとか、高津の“T”だとか言って反感を持つ他大学の医局もあり、別のメーカーから別の名前で発売された製剤もあったが、どれも第一段階輸液は1号、第二段階輸液は3号という呼称だけは共通だった。

 多少専門的な話になるが、ソリタなど1号や3号の輸液は小児科だけでなく、外科や内科など他の大人の診療科でも使用するが、特に3号輸液は水分や塩分(電解質)補給の規格品として、大人の患者さんにも使いやすいようだ。
 しかし未熟児や新生児となると話は別である。大人より子供は水分や塩分の補給が難しい。いわんや未熟児においてはもっと難しい。体も小さいうえに水分や塩分を調節する腎臓の機能が未熟であるから、3号輸液を漫然と使っていると血液中のナトリウム濃度やカリウム濃度が狂ってきて、生命の危険を招く症例も多いのだ。そういう例に対しては塩化ナトリウム製剤(NaCl)や塩化カリウム製剤(KCl)のアンプルから新たに調合した液を用いる。
 私が調合の計算に用いた各電解質の最低必要量は次の通りである。
   ナトリウム(Na)体重1kgあたり毎日2mEq。
   カリウム(K)体重1kgあたり毎日2mEq。
   塩素(Cl)体重1kgあたり毎日3mEq。
   カルシウム(Ca)体重1kgあたり毎日0.1mEq。
   マグネシウム(Mg)体重1kgあたり毎日0.2mEq。
 これに水分の必要量体重1kgあたり毎日100mlを最大として、浮腫や嘔吐や下痢などに対応しながら、血液検査の結果をモニターしつつ、数時間ごとに輸液内容の組成や輸液速度を変えていったものである。もちろん輸液中の患者さんは経口的に食餌を摂取できないことが多いので、これにエネルギー源としてブドウ糖が体重1kgあたり毎分数mgが入るように、ブドウ糖液も加えた。
 こういう輸液の組成に関しては、医師によってそれぞれ自分の得意な計算法があるが、私の場合はこの方法で、かなり重篤な電解質異常や脱水の小児患者でも救命に成功している。

ちなみに上の単位のmEq(ミリイクイバレントまたはメックと呼ぶ)については、興味のある人は他のサイトで勉強して頂きたいが、例えば1価のイオンであるナトリウム(分子量23)の場合、1Eqとは6.02×1023個(アボガドロ数)のイオンであり、Na 23gに相当する。1mEqならば23mgである。2価のカルシウム(分子量40)の場合は1EqはCa 20gとなる。

 昭和63年の暮れ、重篤な御病気だった昭和天皇の病床に、「輸液の魔術師」と呼ばれた1人の内科医が召集された。おそらく天皇はその頃ほとんど意識も無かったのではないかと拝察するが、やはり国民が忙しい年末に崩御されるのは避けたい、できれば新年の松の内までもって頂きたいというのが皇室関係者の思惑だったであろう。また年末の国民を煩わせたくないというのは陛下御自身の無意識の願いであったかも知れない。
 そこへ輸液の魔術師を呼んだということは、たぶん陛下の腎臓はかなり弱られていたと思われるが、病床で輸液の魔術師がしたことは、上に私が書いた輸液成分の計算、つまり未熟児・新生児担当の小児科医なら誰でも日常やっていることだったはずである。あれが魔術師なら俺は神様だと思ったものだった。(註:この輸液の魔術師先生、実は今は私と同じ大学の内科の教授になっていたことを、最近学内に貼ってあったポスターで知った。内田俊也教授という。)

 熱中症の話からずいぶん脱線してしまったような気もするが、最後に生命にとって水とはかけがえのない物である。「星の王子さま」で有名なサン・テグジュペリは、1935年にリビア砂漠に不時着した自身の体験を「人間の土地」(堀口大學訳:新潮文庫)の中に書いている。飛行機が故障して砂漠の真ん中に不時着してから咽喉の渇きに耐えた3日間、遊牧民に救われて待望の水を飲んだ感想を次のように記している。それを紹介してこの項を終えようと思う。

 
ああ、水!
 水よ、そなたには、味も、色も、風味もない。そなたを定義することはできない、人はただ、そなたを知らずに、そなたを味わう。そなたは生命に必要なのではない。そなたが生命なのだ。(中略)
 そなたは、世界にあるかぎり、最大の財宝だ、そなたはまたいちばんデリケートな財宝でもある、大地の胎内で、こうまで純粋なそなた。(中略)そなたは混り気をうべなわない。そなたは不純を忍ばない、そなたは気むずかしい神だ…。
 でもそなたは、単純な幸福を、無限にぼくらの中にひろげてくれる。


右肩上がりの恐怖

 暑かった今年(2007年)の夏もやっと秋の気配を感じさせるようになってきた。今年も日本各地で猛暑が記録されたばかりでなく、北極の海氷面積が予想をはるかに越えるスピードで減少しつつあることも報告され、気温上昇は全地球的規模で進行していることは確実である。
 地球温暖化はもはや往年の核戦争の恐怖と同じように、ジワジワと肌身にしみて感じられる具体的な脅威となってきた。別に地球温暖化と言ったって、CO
などの温室効果ガスの排出によって単純に地球上の気温が上昇するばかりでなく、暖められた大気や海水の流れが変化して洪水や旱魃などさまざまな異常気象の原因となるから問題は深刻である。
 いよいよ目に見える危機となって迫ってきた地球温暖化問題に対して、遅まきながら各国政府とも環境問題への取り組みを具体的にアピールするようになったし、また各種メーカーも『環境に優しい』とか『エコロジー』をキーワードにした商品を宣伝するようにもなったが、はたして現在の人類社会にこの環境危機に対応するプログラムは備わっているのだろうか?また各国政府やメーカーのトップには環境危機の本当の意味が判っているのだろうか?

 例えば二酸化炭素排出の総量を規制するというが、これは単純に言えば単位期間当たり、つまり年間に排出する量を何%減らしましょうという話でしかない。これまで
100の量の二酸化炭素を出していたとすれば、これを80にしましょうということだ。すでに人類の経済活動によって地球環境に負荷された二酸化炭素量を何%減らしましょうというのではない。
 人類の経済活動の規模が小さかった頃は、少数の先進工業国が排出する二酸化炭素などはほとんどすべて地球上の森林の植物が光合成で吸収し、あるいは海水中に溶け込んで、温暖化への負荷として環境に蓄積する影響は無視しうるほど小さかった。しかしある時点で人類の経済活動が地球環境の復元力を超えて二酸化炭素を排出するようになったため、事態は最初は徐々に、そして次第に坂道を転がるように急激に悪化しはじめたのではないのか。
 だからこれまでの年間の排出量
10080にしましょうという程度の対策では、結局は地球環境の復元力を超えた分は毎年毎年、温暖化への負荷として蓄積していくのである。それでも何の対策もやらないよりは何かやった方がマシであるが、それでは人類の余命をいくらか延長するだけの効果しかないであろう。本来であれば、森林など地球環境の復元力を60とすれば、そのレベル以下にまで排出量を規制しなければ人類の未来はない。しかもその森林面積は伐採などによって年々減少しているのだ。

 エコロジー商品を買って、資源ゴミをリサイクルして、冷房の設定温度を1度上げて、夏はクールビズの軽装で過ごせば人類を救えるという論法は間違っている。これらはやらないよりはやった方がマシという程度の対策でしかない。例えば排気ガスを従来の50%に抑えた新しい自動車を開発したとして、これは環境に優しいと自己満足した運転者が従来の年間平均走行距離の2倍走れば元と同じことである。あるいは低公害車として人気を博して2倍の台数が販売されても同じことである。
 こんなことは直観で判るだろうに、先日の中越地震で新潟県内の自動車部品工場の稼動が停止し、国内の自動車製造に影響が出た時、業績好調な自動車産業が打撃を受けて日本経済が大変だと心配した日本人は多かろうが、これで自動車の生産が停滞すれば二酸化炭素の排出量が少しは減るだろうかと考えたヘソ曲がりはおそらく1人もいるまい。(私でさえ考えなかった。)

 以上は極端な話であるが、つまり二酸化炭素排出は人類の経済活動と連動していることが自明の理であるにもかかわらず、人類は経済活動だけは縮小させてはならないという強迫観念に取り付かれたまま、二酸化炭素の排出削減などと躍起になっているのである。焚き火にジャンジャン薪をくべながら、片方で懸命に燃え広がらないように水を掛けているようなものだが、結局のところ現在の人類社会にはこのジレンマから脱出するプログラムは備わっていないのだ。

 ヒトは誰でも物事が順調に発展・進歩していくことを喜ぶ。これは当然である。生まれたばかりの赤ちゃんの背が伸び、体重が増えていく、これは確かに喜ばしいことである。しかしこれが少年時代を過ぎ、青年時代を過ぎ、中年になってもまだ体重が増え続けたらどうか?
 経済でも同じことだ。産業活動が年々業績を伸ばしていくことが至上命題である現在の人類社会、昨日よりは今日の方が良い日だ、明日はもっと良い日だろう、そういう進歩とか発展は当たり前のことであり、その終着点のことは誰も考えなかった。どこまで進歩したら経済発展を止めるかというプログラムは現在の人類社会には備わっていない。右肩上がりへの異常な強迫観念のみで動いているだけだ。

 生物の体も最初の受精卵の段階から細胞分裂を繰り返し、発展に次ぐ発展を遂げて大人の体になっていくのだが、どこで細胞分裂を止めて休止期あるいは安定期に入るかというプログラムは最初からきちんとDNAの中に組み込まれている。そのプログラムが壊れた状態がガンであるが、現在の人類の経済活動は地球のガンとしかいいようがない。
 生物の細胞は、肝臓や腎臓を作る細胞であればそれらの臓器が完成した時点で細胞分裂を止める、皮膚の細胞でも日々垢(あか)として脱落していく分を補うだけの細胞分裂しかしなくなる。この生体の掟を破って無制限に細胞分裂を始めたガン細胞は、増殖しすぎて血管からの栄養分が十分に行きわたらなくなったところから自壊を始めるが、それでもまだ栄養分がある場所では細胞分裂を続けて、最終的に宿主(患者さん)を死なせてしまう。
 個体レベルでみても生物はきちんとした調節プログラムを持っているように見える。あるテリトリー内での個体数が増加しすぎると、生殖態度を変え、生活様式を変化させて新たな個体が誕生しないよう調節する生物もいるし、レミングの大量自殺なども個体減らしの一環なのではないか。

 人類の経済活動がガン化したのは明らかに産業革命の時点だろう。産業革命は各国家の経済的・軍事的拡張主義をもたらし、産業化社会が完成するにつれてその価値観は個人レベルにまで浸透していった。昔、高校時代か予備校時代の英語の副読本に次のような内容の随筆があったことを記憶している。
 昔のカリフォルニア(だったかどこだったか)の農夫は、生まれてから毎日毎日、毎年毎年同じような単調な生活を何十年も送ったあげく、人生に退屈して死んでいったものだが、現代に生まれた人々は、明日はもっと良い生活があるに違いないと思うから、なかなか人生を諦めきれないというような話だった。かなり極端な対比かも知れないが、ある意味で真理を突いている。
 農耕社会には進歩・発展しなければいけないという強迫観念は無かった。その代わり、明日はもっと良い日が来るに違いないという夢も無かった。しかしお陰で人類は地球環境を必要以上に破壊することもなかった。農民たちは毎年同じように穀物を育て、収穫してそれを消費し、余った分は近隣で売りさばいたり他の必需品と交換したりして1年を終えた。去年も同じだったし、来年も同じだろう。父母も祖父母も同じような人生を送ったし、子や孫も同じだろう。

 そういう人生は現代の我々から見れば、はたして生きるに値するのだろうかと疑問を投げかける人も多いかも知れない。明日の夢を追わずして何のための人生か、それが現代社会の価値観であり、また地球温暖化の元凶でもある。省エネ技術の開発とか、森林植樹だとか、何とか少しでも環境を守ろうとする試みがなされていることは心強いが、二酸化炭素排出量削減のための国際協調が話し合われるべき場において、各国の首脳と呼ばれるバカな連中(理科系の発想ができないバカという意味である)がいまだに自分たちのエゴを主張している現状を見れば、はたしてどのくらい効果があるのか?
 夢を追わずに単調な人生を送った農耕社会の住民たちを、我々は笑えるのだろうか。むしろ先にあの世に行った先祖たちは我々を見て、「夢を追ったあげくにあのザマか」と笑っているのではないか。御先祖様たちから見れば、クールビズの軽装を着て、毎日毎日株価が上がったの下がったの言って一喜一憂している我々の方が滑稽に見えるに違いない。

補遺:
 産業革命以降の人類の経済活動は、どこまで成長したら発展を止めるかというプログラムが内在されておらず、まさに地球環境にとってガンであると書いた。人間をはじめとする生物の体は、各臓器や器官ごとにどこまで成長したら細胞分裂を止めて安定期に入るかという遺伝情報が最初からDNAに組み込まれているので、生物の体はバランスの取れて安定した成長を続けることができるのである。その仕組みが壊れた状態がガン。
 では地球にできたガン、すなわち人類の経済活動を治癒することは可能なのだろうか。残念ながらそれは無理だろう。人間の体のガンに対する医学的療法を応用するとしても、ガンの外科的切除(CO
2排出企業の宇宙空間追放?)も放射線・抗ガン剤療法(企業殲滅?)も過激である。
 免疫療法と言ったって、それは正常な体の免疫機構を強化して、生体の異端者たるガンに立ち向かわせることであり、決してガン細胞自身がガンを治すことは出来ないのだ。地球のガンはまさに近代化を成し遂げた産業国家群である。そして地球を支配しているのもアメリカ、EU、日本、BRICsといった産業国家群である。ガン細胞にはガンは治せない。しかも地球温暖化の被害だけを受ける非産業国家群、すなわち地球環境にとっての“正常細胞”に相当する国々には温暖化問題に関する発言権はほとんど無い。免疫強化療法も無理だ。

 しかし考えてみれば、生物の体の各器官・各臓器がそれぞれ自分の分を守って全体の統制に服しているという生物学的事実…、これは実は大変なことなのである。生物の体の中は厳然たる格差社会、最初は1個の受精卵として同じDNAを持って平等にスタートしたはずなのに、成長するに伴って各器官・各臓器ごとの格差は著しく開いていくばかり。
 私がもし誰かの体の中のどこかの細胞に生まれ変わるとすれば、死ぬまで働き続けなければならない心臓の筋肉の細胞だとか、毎日糞まみれの直腸の細胞などは間違ってもなりたくない。できれば体の真ん中にあって常に美味しい栄養がまわってくる肝臓の細胞とか、好きなことだけ考えていれば優先的にエネルギーを補充してくれる大脳の細胞などが第一希望だ。
 しかし我々の体の中の細胞たちはそんな不平不満も贅沢も言わず、こんなつまらない文章を書いている間も私の心筋細胞は黙々と拍動してくれているし、直腸粘膜の細胞は…(これは文章にするのはやめておこう、3Kの仕事にはとても感謝しているけれども)。これを格差と言わずして何と呼べばいいのか。

 これが産業革命を経験してしまった人類の限界なのであろう。地球上に産業革命を興した一握りの産業国家群と、まだ産業化していない多数の非産業国家群が共存していた時代は、地球温暖化など問題にもならなかった。産業国家群の国内でも、一握りの資本家や貴族階級が多くの貧しい大衆の上に君臨していた時代は、
地球環境にとってはさらに良かった。
 まさに人類の歴史の皮肉である。人間は皆平等であり、誰もが同じように便利で満ち足りた生活をする権利がある。これは現代ではごく当然の人間平等の思想である。しかしすべての人間が等しく裕福な生活を享受できるだけのキャパシティは地球環境に備わっていない。
 地球上の国家は皆平等に産業化の恩恵を受けるべきである。しかし地球環境にはすべての国家に高度の産業化を許容するだけの余力はおそらくないだろう。人類はこの矛盾をどう解決すればよいのか?産業化の恩恵をすでに味わいつくしてきたアメリカや西欧社会、日本などに対して、これから産業化を成し遂げようとしているインドや中国をはじめとする国々の視線は、かなり厳しいものがあるはずだ。自分たちだけさんざん良い思いをしてきて、俺たちにはさせないというつもりなのか!

 人間(国家)平等の思想も、産業革命も、この200年前後の間に人類が成し遂げた偉大な業績である。しかし地球環境あっての人類であることを考えれば、21世紀の我々がどちらを優先すべきか、答えはおのずから明らかであろう。人類はもう産業化の夢は諦めなければならない。技術革新だけで地球を救えるとは私は考えていない。革命的な技術が開発・応用されるまで何十年も何百年も待つ時間的余裕はもう無いのだ。
 しかしながら、すでに産業化の恩恵を味わいつくしたアメリカ・EU・日本、これから味わおうとしていたBRICs・韓国・シンガポールなど、まだ味わうまでに成熟していないその他の諸国…、これらの国家間の格差は埋めなければならない。先進諸国が格差を固定しようと画策することは、もう一つの人類の業績である平等の思想までを破壊してしまう。体の中の細胞には厳然たる格差があるという生物学的原則を持ち出してはいけない。

 先進諸国はある程度国内の生活レベルが下がることを覚悟しなければいけないし、しかもそのシワ寄せは国民の中の貧困な層よりも裕福な層が負担しなければいけない。我が国は「痛みに耐えろ」と檄を飛ばした政治家を圧倒的に支持するような“高潔な”国民の多い国だから、まず大丈夫かも知れないが(本当かな?)、その理想をアメリカにもEUにも実行して貰うように説得しなければいけない。それ以外に、摂氏50度にも60度にもなった地球上で多数の人間が“熱死”する悲惨な状況を免れることは出来ないと思う。


飽食の男性諸君…

 先日、経済産業省が12年ぶりに実施した日本人の体格調査の記事が載っていた。工業製品の設計の規格に利用するためらしいが、理由はどうあれ、12年前に比べると男性は30歳以上の各年代で身長・体重・胸囲などがすべて増加して大柄になり、特に40歳代では体重の増加が著明で肥満度も高くなったのに対し、女性では20歳代から50歳代で身長は増加しても体重は減ってスリムになったと分析されたという。
 19歳から80歳までの男女計6742人を対象としたデータであるが、特に40歳代を中心として男女がこれだけ正反対の傾向を示したのには驚いた。この飽食の時代にあって、男は食欲に誘惑されるままに漫然と食べ続けて肥満になり、女は誘惑を断ち切って美容と健康を手に入れたとなると、男子の弱さをあからさまに見せつけられたようで、やはり男族の1人としては面白くない。

 調査対象の選び方など細かい点は報道されていなかったので、この調査がどの程度実相を表わしているかは断定できないが、この調査結果、実は最近の通勤電車の中などでよく実感することと同じなのだ。
 朝夕の通勤電車、私はターミナル駅近くからガラガラの電車に乗るので座席に座ることが多いが、段々乗客が増えてきて座席が埋まってくる、そして隣に1人分だけ空いている、こういう状況になると妙に落ち着かなくなってしまう。隣に座るのが男か女かで残りの乗車時間の居心地がまったく変わってしまうからだ。
 隣に女性が座ってくれれば良い、それも妙齢の女性ならなお良いが、中年男性に座られた時の居心地の悪さったらありゃしない(自分も中年〜初老のくせによく言うが)。男女の間の生理的好悪の感情も多少はあるが、別に10分内外の短い乗車時間に隣に誰が座ろうと関係ない。

 しかし男が座ると圧迫感が凄いことが多いのである。特に私より若い30歳代、40歳代と思われる男性にこういう人が多い。おそらく10歳代、20歳代の頃はスリムな青少年だったのであろうが、その時期の感覚で座席に割り込んでくるから、両隣の乗客には迷惑千万なことだ。若い頃よりも胴回りが太くなっているのに、それに自分で気がついていない。要するに自分の現在の体型に無頓着なわけだ。そんな中年男性が電車の座席にわずかな隙間を見つけると、老人・女性を差し置いて突進してきて尻を割り込ませてくる。
 昔は大体こういうみっともない行為をするのは中年の太った女性と相場が決まっていて、当時はそういう女性を「
オバタリアン」と呼んで嘲笑していたのではなかったか。今、座席に巨大な尻を突っ込んでくる中年男性諸君がまだ青年だった頃の話だ。まさか自分たちが将来オバタリアンと同じ行動をするとは…!

 私は座席が次第に埋まってきて、自分の隣に空席が残っていると、何とかこの席に女性が座ってくれないかと祈るような気持ちになる。(自分が立ってしまえばいいんだろうけれど、それも何か変な感じだ。私はもう50歳代後半の人間ですよ。)しかしこういう場合、女性は座席が空いていることを知りつつも座ろうとしない人が圧倒的に多い。
 ちなみに今回の経済産業省の調査が報道されてからずっと数えていたが、私の周囲の車内に1人分だけ空席が残っていた状況で乗り合わせてきた中年男性(40歳代前後と思われた人)16人中、9人はその座席に尻を割り込ませたが、中年女性7人中座った人は1人しかいなかった。ちなみにもっと若い女性は1人も座ろうとしなかった。

 女性の方が男性よりも美容や健康に気を配る傾向が強いのは残念ながら事実だと思う。中年男性でも引き締まったスリムな体型の人は多いが、そういう男性は日頃から運動不足の解消にも心がけるから通勤電車で1つ2つ空いている座席に無理して座ろうとはしないものだ。そんな男性の比率が女性よりも下がってきたということだろう。
 職場検診の項目に腹囲測定も加えられて、今後は“メタボリック症候群”は企業でも厄介者と見なされるようになるだろう。世の中にはさまざまな病気や薬の副作用でどうしても肥満になってしまう気の毒な方もいらっしゃるが、そうでない人にとっては肥満は自己責任である。自分の体型、ひいては自分の健康に責任を持てない人の比率が、こうまで女性に差をつけられたことは、男性の1人として嘆かわしいことだ。


絶対に無い

 病院で患者さんの診断などやっていて感じるのは、「何かの病気です」と診断することは比較的簡単だが、「何の病気もありません」と保証することはきわめて困難であることだ。これは臨床医でも同じだが(例えば健康診断で“異状なし”と判定されたからといって、検診項目に含まれていない病気まで無いとは言えない)、病理診断ではさらに顕著である。

 病理診断では、受診者の身体の一部(胃や腸など)を採取してきて(生検という)、それを顕微鏡で観察するわけだが、その中にガンがある、すなわち「悪性腫瘍です」という診断書を書くのは比較的簡単である。誰が見ても悪性の細胞が含まれていれば、病理診断を始めてまだ半年程度の駆け出しの病理医でさえ自信を持って言い切れることだって少なくない。もちろんその患者さんのこれからの闘病のことを考えれば胸が潰れる思いではあるが、少なくとも責任を持って診断する立場の者から言わせて頂ければ、有るものを有ると言い切ることは簡単である。

 しかし問題なのは、「ガンはありません」と断言するのは非常に困難、場合によっては不可能でさえあることだ。有るものは有るとは言えるが、見えないものを無いとは言えない。患者さんの検体を顕微鏡でくまなく探したけれどガン細胞は見つからなかったとしよう。ガンは無いと言えるだろうか?
 もしかしたら生検した受持医がきちんと病変から検体を採取していないかも知れない、もしかしたら(あってはならないことだが)別の患者さんと検体を取り違えているかも知れない。もしかしたら一生懸命に顕微鏡で観察したつもりでもわずかなガン細胞を見逃したかも知れない。もしかしたら自分はガンでないと判断した細胞も実はガンかも知れない、等、等…。
 「この生検の検体には悪性腫瘍はありません」と報告書に書く場合、我々病理医は次から次へといろんな事を悩んでいるのである。しかし我々が悩むということは、患者さんがガンの悩みから救われるということ、逆に我々が悩まずに報告書を書けるということは、患者さんにとっては実に一生を左右する運命の宣告であることを思えば、そんな悩みは贅沢である。

 こういう病理診断の難しさに関して、私の師匠であった
浦野教授がかつてさる御方の病理診断を担当された際、結果を聞き出そうと殺到するマスコミの記者たちを、その御方の御心は我々未熟な学徒を悩ませることはなかったという意味の書面でケムに巻き、ガンであるともないとも決して一言も洩らされなかったことを思い出す。おそらく記者たちも一般読者も何が何だか判らなかったであろうが、まだ駆け出しでも同業者の私にはその言葉の意味するところは十分に伝わったものであった。

 ところで見えない物を「無い」と断言することの難しさは病理医や臨床医に限ったものでもあるまい。紙を切ろうと思ってハサミを探したが見つからない、ハサミは本当に無いのか?眼鏡を使いたいのに見つからない、眼鏡は本当に無くなったのか?いろいろ心当たりはおありだろう。こういう状況で一番困るのは、TVのリモコンスイッチや携帯電話など、昔なら絶対無くならなかった道具が見つからなくなってしまうことだが、これについてはまた別の機会に…。

 見えない物は本当に無いのか?こういう質問で最も興味深く、また最も悩ましいのはおそらく次のような種類のものだろう。

 
神は本当にいないのか?
 死後の世界は本当に無いのか?
 宇宙人のUFOは本当に無いのか?


 
こういういわゆる超常現象を見たと主張する人がいる。超常現象を体験した人を知っているという人はもっと多い。さらに超常現象を体験した人を知っている人を知っているという人はさらにずっと多い。こういう話が積もり積もって、神は在る、死後の世界はある、宇宙人は地球に飛来している、ということが“真実”として語られるようになる。

 “理性的”に考えれば荒唐無稽な話である。有名なイギリスのネス湖のネッシーだって、結局は悪戯者のトリックに世界中が何十年も騙されていただけの話だった。それなのに湖で釣りをしていたら首の長い怪獣が水面に顔を出して釣った魚を取られたとか、ボートに乗って遊んでいたアベックのすぐ近くを恐竜が通っていったとか、まことしやかな“実話”が少年雑誌を賑わわせたものである。仮にネッシーが前世紀の恐竜の最後の1頭の生き残りだったとしても、100年200年前にはネッシーの親戚一同の群れが数頭ないし数十頭はいたはずであり、それらの話が残っていないのはおかしいと“科学的”に考えるべきだった。

 そういう物を信じるのは個人の自由であり、信じることによって心の拠り所となる人も多いだろうから、「信じてはいけない」と言う人は最近の日本では誰もいないだろう。むしろそういう変わった物を信じる人がいる方が議論のネタが増えて面白いという程度のものだが、でも本当に神はいないのか、果たしてそう言い切ってよいのか、私は時々考えてみる。

 神は見えない、科学的な存在の根拠がない、だから神は実在しない。これは個人の信仰のレベルを別とすれば、きわめて真っ当な“科学的”な議論である。少なくとも絶対の創造主を信仰する宗徒が少ない現在の日本で科学を学んだ人間であれば、当然そう考えるべきである。
 しかし病理診断で「絶対に無い」と断言することの不可能を知り尽くしている私には、たった一つだけ、この科学的態度の落とし穴がどうしても気になって仕方がない。
 神(あるいは神々)がこの世界を作り、生物を作り、人間を作った、それは多くの神話に見られる人類創生のモチーフであるが、これは科学的にはとんでもない話であって、むしろ人間が自分の姿に似せて神を作ったという方が自然科学的、社会科学的に正しい。

 では神が無ければ誰が人間を作ったのか?
 地球上の生物進化の過程で人間が生まれたのである。

 地球ができたのはほぼ46億年前だという。これは科学的に証明されるらしい。そして生命の材料である有機化合物が蓄積されて生命の原型が生まれたのが約40億年前、さらに多細胞生物が生まれたのが約12億年前。これらも科学的に証明されるらしい。
 地球上の生物は核酸の設計図と蛋白質の素材の組み合わせによって存在している。生物は核酸(遺伝子)の突然変異やら染色体の転座やらさまざまな偶然の蓄積によって、何億年もかけて進化してきたのだと“科学者”たちは主張する。
 しかしここに神という絶対者が存在しない場合、灼熱の時期を過ぎた地球上に生成された有機化合物が単なる偶然の繰り返しのみで、たった数十億年の間に人間にまで進化する確率はどのくらいなのか?私が気になって仕方がないのはこの一点である。
 ある珍しい事象が観察された場合、そんな事が起こるのは単なる偶然ではないと言ってはいけない確率が統計的に5%以下ということになると、ほとんどの“科学者”は喜んで科学雑誌に論文を投稿したりするのである。核酸と蛋白質が数十億年で人間にまで進化する確率は本当に5%以上あるのだろうか。地球のような惑星を20個並べて観察したら数十億年後に2つ以上の惑星でそれぞれ知的生命が誕生していたということである。
 こう書くと何となくそんな事がありそうな気もしてきたが、生命誕生と生物進化という事象はエントロピー減少を示すものであり、非常に珍しいどころか、自然界では決して起こりえない現象なのである。どこかお金持ちの研究所が世界最大級のスーパーコンピューターを何十台も並べて、人類が発生する確率を算出してくれない限り、生物進化の過程で何らかの外部意志が働くことは絶対に無かったとは言い切れないのが私の素直な気持ちである。


ミシュランの星

 最近日本のグルメ界が騒々しいと思ったら、東京でミシュランから星の認定を貰ったレストランがずいぶんあるらしい。話によるとミシュランから星を貰ったレストランの数は、東京がパリやニューヨークをダントツに引き離しているとのこと。ミシュランだか酒乱だか知らないが、フランスのタイヤメーカーの格付けガイドブックのことは私はこれまであまり興味なかったし、今後もそれほど関心も持たないだろう。

 ミシュランから一つ星、二つ星、三つ星の認定を受けた東京のレストラン・飲食店は、おそらくこれまで良心的に精進を重ねてきて、その努力が認められたものだろうから、お店のスタッフの方々には心から祝福を申し上げたい。しかし日本の場合、客どもは「あの店はミシュランの星の店だから美味しいだろう」とか「こっちの店はミシュランに選ばれてないじゃん」とか言って、自分の行く店を決めることが多いだろうから、私は日本のグルメ文化のためにはそれほど喜ばしいことではないような気がする。

 人類は太古の昔から常に腹を空かせて食べ物を探し求めてきた。そして現在、一部の先進国では余った食べ物を捨てるほどの飽食の時代を迎えたわけで、それはそれで一つの食文化を形成することになった(どうせ何百年も長続きする文化ではないが…)。
 人類飽食の良し悪しについてはここでは触れないことにして、それを一つの文化と見なす立場から言えば、幸運にしてこういう文化にめぐり合えた時代の人間であれば、それを判断する確固とした基準はしっかり自分の中に持っていなければいけない。つまり各個人が料理の良し悪しをしっかりと見極められる味覚を持ち、料理という文化に対する見識を高めたうえで、ミシュランでも何でもよい、人々が参考にできるような“一つの”判断材料を示すというのが本来の姿である。

 しかし日本人はこういうことが苦手だ。自分の頭で考え、自分の責任で判断することのできない国民だから、ミシュランのような“誰もが認める”権威者から下されたランク付けを無条件でありがたがってしまう。大相撲の力士番付とか高校野球予選大会のシード校などのように、ある程度歴然と力の差が判るもののランク付けならば問題はない。しかしグルメとか芸術とか、それを受け取る側の主観も入るようなもののランク付けは日本人には無理である。
 カミさんの音楽の世界でも同じだ。自分では音楽の良し悪しを聴き分けられないくせに“音楽通”を気取る人たちは、マスコミや評論家が良いと言って誉めそやしたアーティストを同じ口調で誉めそやしている。カミさんの同僚のいわばプロの人たちが口を揃えて「あれはひどい」という人たちであっても、マスコミや評論家が良いと言えば、自称“音楽通”の人たちもあれは良いと言っていることが多いので、私は可笑しくて仕方がない。

 しかしグルメも含めて、こういうことの自称“通”の人たちの会話は愛嬌だからまだいい。しかし一部のマスコミが煽る「良い病院ランキング」や「名医ランキング」は生命にかかわる問題だ。私の業界の内部から見ていて、あのランキングに名前の出る所は、たくさん論文を書いている施設である場合が多いとだけ言っておこう。医学界では患者さんを診るより論文を書いた医師の方が高く評価されるが、その医学界内部のランキングをマスコミがそのままパクっただけの情報でしかない。病院にかかる時は患者さん御自身がよく調べて、自分で納得のいく選択をされることをお勧めする。
 20年ほど前、私の母親はある重大な病気の手術をした。臨床と病理と経験していた私が見る限り、他の施設では到底ここまで出来なかったろうと舌を巻くほどの優れた診療と手術だったが、その病院は「良い病院ランキング」には名前も出ていなかった。

 さらに人間そのものの格付けはどうするのか。人間は本来平等だが、お付き合いしていくうえで何らかの判断を下さねばならなくなった場合、何を基準にするのか。例えば私は一応“教授”の肩書きであるが、“教授”は“助教授”より偉いのか。まあ、引き受けている責任の重さは確かに違っていて、その意味では“偉い”のかも知れないが、“教授”だから“立派だ”とか“人間的に優れている”などと思っていたら大間違いだ。
 人間的に立派でない教授もずいぶん知っている。「ブンブン、お前もだ!」と言われると恥ずかしいのでここらで止めておくが、そういう肩書きだとか、格式だとか、家柄だとか、そんなランキングでしか人間を判断できないバカが日本には多い。古代日本では朝廷の権威筋から下された八色の姓などというランク付けのお墨付きを貰ってありがたがっていたわけだから、日本人のバカは筋金入りということだろう。

 八色の姓(やくさのかばね)は壬申の乱後、天武天皇が豪族の姓を整理したもので、真人(まひと)、朝臣(あそみ)、宿弥(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)の8つ。上から順にランクされるらしい。
「俺、臣(おみ)ね。第6位だから連(むらじ)のあいつより偉いの!」
なんて心の中で自己満足していた古代の豪族のバカさ加減は、平成の日本人も血の中に受け継いでいる。今回ミシュランに選ばれたお店もこういうバカさ加減を競うことなく、これまでどおり味とサービスに精進して下さることを願っている。


ノロマのVista

 今年(2007年)の1月に発売されたWindowsの新しいOSであるVistaの評判は芳しくない。ほとんどボロクソである。私もXPマシンが壊れたので仕方なく5月から使っているが、その悪評には一理も二理もある。一口で言えば遅いのである。某社のパソコン新機種のキャッチフレーズで『Vistaがサクサク動く』というのがあるが、それは裏を返せばVistaはサクサク動かない、だからウチのパソコンをどうぞ、ということである。

 パソコンで仕事をしようと思ってVistaを起動しても、なかなか立ち上がらない。まるでWindows 95の時代に戻ったようだ。やっと立ち上がっても、Wordのようなワープロソフトが普通に素早く漢字変換できるようになるのさえモタモタしている。XPの方がずっとマシだった。おそらく奇麗なデスクトップの背景やらガジェットの表示に手間取って、肝心のアプリケーションソフトの起動にまで余裕がないのだろうが、これではまるで腹が減って食堂に駆け込んだのに、店のスタッフはテーブルの飾り付けだとか看板の準備にばかり気を取られて、なかなか料理の注文を取りに来てくれないのと同じような苛立たしさを感じる。

 一言で言えば、プログラマーは自分のプログラミングの美学に酔うばかりで、ユーザーが何を望んでいるのかに対して無頓着なのではないか。高性能のマシンが開発される見込みが立てば、その性能に目一杯の機能を搭載させたい、そればかりに目が向いているとしか思えない。マシンの性能に余裕を持たせればプログラムはサクサク動くはずだ。しかしマシンの能力の限界までプログラムの負担を掛けるから、ユーザーとしてはイライラさせられるばかりである。

 新しい製品が古いものより良いとは限らない。しかしVistaのために一つだけ弁護してやるとすれば、かつて坂井三郎さんがある雑誌に書いていたことを私は忘れられない。坂井三郎さんと言えば、私がこのサイトでも何ヶ所か触れているとおり、第二次大戦中の日本海軍のパイロットで、名機と言われた零戦を駆って連合軍と戦った撃墜王である。
 その零戦が海軍に制式戦闘機として採用されたばかりの頃、零戦の一つ前の機種だった96式艦上戦闘機(96式艦戦)との模擬空中戦が行なわれたらしい。零戦は引込脚(空中では離着陸用の車輪を翼内に格納する方式)のスマートな機体、一方の96式艦戦は一時代前の固定脚の機体だったが、海軍の腕利きのパイロットたちが二手に分かれて零戦と96式艦戦を操縦して模擬空中戦を行なったところ、96式艦戦が圧勝したという。それではと言うので、今度は互いに機体を交換して再び模擬空中戦をしたが、それでも結果は同じだった。

 つまり誰が乗っても旧式の96式艦戦は新型の零戦を圧倒したわけである。坂井さんが所属していた部隊のパイロットは最初誰一人として
零戦搭乗を希望した者はいなかったという。しかし実際の戦歴は皆さん御承知のとおりである。
 技術者が精魂込めて開発した後継機種は最初のうち劣っているように見えることがあっても、やがてはその優越性が証明されるであろうという逸話だが、こうなるとパソコンユーザーがVistaにイライラさせられるのはプログラマーの罪ではなくて、パソコン販売戦略の不備ということだ。1月にVistaが発売されるやいなや、前のXPはたちまちのうちに店頭から姿を消し、一般のユーザーは入手困難となってしまった。ワープロや表計算ソフトをサクサク動かしたいユーザーにとってはまったく迷惑な話だ。Vistaを搭載しても余裕を持って動く機種が出揃うまでは、XPや2000までを並列して販売するのがメーカーの良識というものではなかろうか。


外科医と内科医

 前項の最後に日本海軍の零戦搭乗員だった坂井三郎さんのことを書いたが、あの方の書かれた記事の中にはいろいろ自分の身になぞらえて考えさせられるようなものも多かった。坂井さんが書いたものの中で、もう一つ印象に残っているのは人間の適性ということだった。

 坂井さんは空中戦で一瞬の勝負を勝ち抜いてこられた人、その坂井さんが陸戦を勝ち抜いてこられた旧友と自分を比較されていたことがある。坂井さんの旧友は陸軍に所属しておられて、敵陣を攻略しようとしていた。目の前の丘を一つ越えたところが敵陣なのだが、敵の砲火が激しくてなかなか突撃できない。味方の兵士たちが次々に火炎瓶を持って突入しようとするが、すぐに撃ち倒されてしまう。坂井さんの旧友は敵の砲火の下で隠忍自重、やがてある名案を思いついた。
 撃たれた味方の兵士たちが持っていた火炎瓶からはガソリンがこぼれて、敵陣の方向へ流れ出しているに違いない。これに火をつければ…。
 彼は自分の木綿の褌を引きちぎって長く結び、それをガソリンに浸して導火線とし、石を括り付けて丘の向こうへ投げてから火をつけた。火は褌の木綿を伝って丘の向こう側へと走り、兵士たちが持っていた火炎瓶からこぼれていたガソリンに着火、火はそのまま敵陣へと向かい、弾薬集積所を誘爆させた。

 坂井さんはこういう戦い方は自分には無理であると書いておられた。困難な状況下で冷静な判断を働かせながら活路を見出していくというのは、戦闘機乗りだった自分には不向きであるというのだ。一方、この陸軍の旧友の方は、一瞬で勝負が決まる空中戦は出来ないと坂井さんに語ったという。

 要するに同じ軍人であっても、空中戦と陸戦とはまったく違う適性があるということだが、これは他の職業、たとえば私たちのような医者にも当てはまることである。医者で言えば、空中戦と陸戦の対比はちょうど外科医と内科医に相当する。一瞬の判断が必要とされるのは外科医、困難な状況が続く中で冷静な判断を保ち続けるのが内科医だ。小児科医は確かに一瞬の判断が必要であることも多いが、どちらかと言えば内科医だろう。

 よく名医とはどういう医者かという話題が出ることがあるが、名医か名医でないかを判断する一つの基準をお教えしておこう。それは外科の限界を知る外科医、内科の限界を知る内科医が名医であるということだ。これは昔から我が業界内で密かに言われていることである。
 外科医はメスで患者さんの身体を切開して病巣を摘出する、この技術は確かに内科医が持っていないものだ。自信過剰な外科医の中には、自分はメスで手術も出来るし、メスを持たない内科的診療は誰でも出来ると思って、自分こそ万能の医者だと思い上がっている人がいるが、こういう外科医は危ない。
 またメスを使えない内科医の言い分は、外科のやつらは手術に耐えられる患者さんしか診られないじゃないかということだ。つまり身体に切開を加えるためには、患者さんの体力もあり、肝機能や腎機能もある程度正常である必要がある。外科のやつらは全身状態がかなり悪い患者さんを診られない、それが高慢な内科医の理屈であり、こういう内科医も患者さんの外科手術のタイミングを逃すことがあって危険である。

 要するに外科医にも内科医にもそれぞれの適性があるが、自分の診療科の限界を知り、さらに自分の適性にも不得手な領域があることを認識している医者が名医である。すぐに手術しない外科医、あるいは手術治療の可能性を話してくれる内科医を探すのがよい。昔からいろいろな病院の医局で言われていたのは、すぐに切りたがる外科医と、手術に回したがらない内科医にはかからない方が良いということだった。


最近の雀荘

 先日、うちの学科の学生さんたちと雀荘に行った(スズメの巣ではない)。もちろん麻雀は別に私の学科の必修課目ではないが、男子学生40名前後のうち2卓以上囲めるメンバーが揃うというから大したものである。私たちが学生の頃は、講義や実習の最中まで「メンタンピーン!」とか「リーチ一発ツモドラドラマンガーン!」とか、変な中国語を口走る学生が何人もいたものだった。しかし某医大の教授から、昔の学生は講義をサボっていても雀荘を探せば見つかったものだが、今時の学生はビデオを借りて下宿に引きこもって独りで見ていることが多いという話を聞いたのが、もうかれこれ20年近くも前のこと。ましてテレビゲームやパソコンゲーム全盛のこの時代、仲間を4人も集めて麻雀をする学生さんなど絶滅危惧種かと思っていたら、何とうちの学科ばかりでなく、この間も小田急線の電車の中で麻雀の話に興じる学生らしき若い男子を見かけて、心強くもあり、ちょっと心配でもあった。

 私はマジメな学生だったから(本当です)、学生時代は麻雀はせずにもっぱら旅行に明け暮れていたが、小児科医時代に某病院に勤務したのが運の尽き、小児科医が4人いたから、重症だった患者さんが完治してめでたく退院した日などは、お祝儀麻雀などと称して揃って雀荘に繰り出したのだ。悪いことに病院前の大通りを渡ったところに雀荘があり、何か病棟に変化があれば看護婦さんたち(当時は看護師とは呼ばなかった)もそこへ電話してきた。また病棟がヒマならヒマで、毎日とは言わないが週に2〜3回も通うことが多かったから、やがて私も下手の横好きで麻雀を覚えてしまった。

 学生時代はそれほどやってみたいとも思わなかった麻雀であるが、覚えてしまうと面白くて、誘われるとついつい付き合うようになってしまった。中国共産党の毛沢東などは、麻雀牌を大きな音でガシャガシャ掻き混ぜながら同志たちと革命の密談をしたらしいが、政権を取った後はあれは反革命的遊戯であるとか言って人民の麻雀を禁じたというから、ずいぶん勝手な話だ。
 また日本海軍の山本五十六大将は、麻雀は運ばかりで面白くない、ブリッジのカードゲームをやれと部下に奨励したというが、勝負には運があり、幸運は長続きするものではないという教訓を知らなかったために真珠湾攻撃のような愚策を決行してしまったのかも知れない。確かに麻雀は70%以上は運とかツキとかいうものが決め手であり、私のような下手の横好きでも雀豪に勝てることもあるが(だから面白い)、長いことやっていると通算成績では結局実力相応の勝負になるということが判ってくる。だからそういう運やツキを知って、勝負事や交渉事の攻め時と退き時を見極めることは意外に重要である。

 ところで先日、学生さんたちと行った雀荘であるが、昔とはずいぶん様変わりしているのに驚いた。昔は学生同士、職場の同僚同士、必ず4人打ち揃って雀荘に出かけたから、店の方も一卓いくらで料金を設定するのが当然であった。だから雀荘に打ちに行くと、数個ある他の卓でもグループごとに「ポン」とか「チイ」とか大騒ぎしながら和気藹々とプレイしていたものだが、この間行った雀荘ではそういうのは『セット』と言って、『フリー』の客の方が優先なのだそうだ。
 確かに最近では4人“セット”になって雀荘に通う客などめっきり減ったことだし、そんな家族麻雀や友達麻雀の客ばかり相手にしていては雀荘も潰れてしまう。そこで雀荘の方も“フリー”で1人でやって来る本当の麻雀好き、勝負好きの客を優先するようになったらしい。麻雀勝負をしたいけれど仲間はつき合いが悪いというようなセミプロ級の勝負師たちが集まってきて、4人揃うと卓を囲むという感じ、だから雀荘内は昔のように賑やかではなかった。シーンと静まって黙々と勝負に徹している雰囲気である。その代わりタバコの煙は凄い。
 ああいう一種の張り詰めた緊張感も良いが、やはりうちの学生さんや先日の電車の中の学生たちのような若者たちもまた麻雀に戻ってきているようだから、私がかつて勤めた病院の向かいにあったような、皆でワイワイ騒ぎながら『セット』で打てる雀荘がまだどこかに無いものかなと、懐かしく思い出した次第であった。


20000日

 あれは高校2年生の秋の修学旅行の観光バスの中でした。奈良の斑鳩を見学して宿へ帰るところだったので、皆クタクタに疲れて、中には居眠りしてる人もいました。そんなバスの中で、私は数列後ろの座席に座っていたクラスメートたちの他愛もない会話に何気なく耳を傾けていました。
 クラスメートたちの会話は、自分たちがこれまで何日生きてきたかという内容でしたが、まだ高校2年生でしたから、生まれてから7000日も経っていないのです。私も薄暗くなった窓の外の景色をぼんやり眺めながら、これまで幼稚園、小学校、中学校とずいぶん長いこと暮らしてきたような気がしていたのに、それでもまだ生まれてから7000日も経っていないのかと、その日数の少なさに愕然とした覚えがあります。
 後ろの座席の会話は、やがて親や教師たち大人世代のことに移っていきました。彼らは大雑把に暗算しながら、大部分の者たちの親も、当時のクラス担任の教師もまだ20000日も生きていないんだと言って驚いています。
「でも世の中には20000日生きてきた人間がいると思うと不思議だよなあ。」
1人の者が妙に感嘆した声で言った言葉が印象に残りました。

 先日、ふとあの時のクラスメートたちの会話を思い出し、果たして自分はもう何日生きたのか計算してみて驚きました。あの時の一つの基準点だった20000日をとうに越してしまっているではありませんか。私が20000日目を迎えたのは一昨年(2006年)の6月初めでした。ちょうど私が現在の新しい学科の教員として初めての学生さんたち(1期生)をキャンパスに迎えて、いろいろと新規の講義などの準備に追われていた頃です。
 私もそれまで折に触れてあの修学旅行のクラスメートたちの会話を思い出すたびに、自分が生後20000日になった時は密かに1人でお祝いをしようと心に決めていたのですが、あまりの忙しさに忘れたまま1年半も過ぎてしまっていました。

 考えてみれば、私が生後20000日目を迎えていた頃、キャンパスに入学してきた学生さんたちは多くの者がやっと7000日目です。彼らから見れば、私は20000日も生きてきた不思議な人間なのかと可笑しくなりました。
 20000日の人間が7000日の人間に対して教壇の上から偉そうに講義をする、まったくの喜劇ですね。5000日や10000日余計に生きてきたからって人間はそんなに偉くなるものでしょうか?
 学生の講義ならまだ喜劇で済みますが、10000日や20000日の人間が7000日の人間に対して死んで来いと命令する、それが特攻隊でした。自分より後から生まれた人間から何千日もの月日を奪う、5000日や10000日余計に生きてきたからって人間にそんなことをする権限があるのでしょうか?
 また特攻隊の話か、そう思う前に現代の社会をよく見回してごらんなさい。10000日くらいしか生きていない隊員たちがイラクやインド洋で苦労してきた間、20000日以上生きてきた彼らの上司は業者に金をたかってゴルフ三昧、美食三昧の
日々を送っていたのです。
 国防の話ばかりではありません。おのれの金銭欲のためにマンション強度を偽装した者がおりました。何十年も耐用年数がある住居に何代にもわたって自分より若い者たちが居住する物件です、震災が起これば自分より若い者たちを危険に晒すことになる、そのことを十分承知していながら目先の金銭に目が眩んだ醜い者たちです。
 食品を偽装した者もおりました。若い人たちまでが口にする可能性の高い食品に偽装を施しておのれの金銭欲を満たそうとしたのです。マンションや食品ばかりではありません。今やこの国では20000日前後も生きてきた人間どもが、まだ10000日も生きていない若者たちを食い物にして、おのれの金銭欲、名誉欲を満たそうと汲々としています。何という醜い搾取国家でしょうか。これらは結局、我が国では特攻隊の時代から始まっていることなのです。
 人生の日数とは意外に少ないものですが、数千日、一万日と余計に生を重ねてきた人間は、まだそれほど生きていない者たちのために何をなすべきか、自分の胸に手を当てて真剣に考えなければいけません。今はまだ若く幼い者たちも、これから数千日、一万日も経てば、やがては次の世代のために身を削らなければならなくなる。そうやって国家も民族も続いていくのです。愛国心とは為政者や年長者のために死ぬことではありません。次の時代を担う者たちのために身を挺することこそが国を愛することだと思います。


「蛍の光」の思い出

 今年もまた別れの季節、3月が巡ってきた。卒業式シーズンを前にして、1年前もこのコーナーにあおげば尊しについて書いたが、今回はもう一つの卒業式ソングである「蛍の光」について書いてみよう。

 「あおげば尊し」は一部の“進歩的”と称する教師どもの反対で歌われなくなってしまった学校もあると聞くが、「蛍の光」だけは我が国ではず〜っと長いこと、卒業式ばかりでなくありとあらゆる別れの場面の歌として親しまれている。大晦日の紅白歌合戦では必ず過ぎ行く1年に対して「蛍の光」を歌って締めくくるし、船が目的港に入っていく時にも船内にこの曲が流される。(飛行機の着陸前ではこんなことはない。)あとパチンコ屋の閉店前にも…。

 とりあえず卒業式などで歌われる1番と2番を復習しておく。

 
一)ほたるの光 窓の雪
   書よむ月日 重ねつつ
   いつしか年も すぎの戸を
   明けてぞけさは 別れゆく

 二)とまるも行くも 限りとて
   かたみに思う ちよろずの
   心のはしを 一言に
   さきくとばかり 歌うなり


 昔の中国の晋の車胤という人は家が貧しくて灯火が買えなかったので、ホタルの光を集めて本を読んだ、同じ晋の孫康という人も雪明りで勉強したという故事から蛍雪という言葉が生まれたらしいが、ちょっと考えればお判りのように、ホタルの光や雪明りで本が読めるわけはないから、たぶん白髪三千丈の類の話と思われる。あまり暗い所で文字を読むと目が悪くなるから、良い子の皆さんは真似をしないように…。

 ただ戦前の日本だとか、社会主義時代の東欧圏だとか、電力事情の良くなかった社会では、本当に勉強したい若者たちが街灯の下などに集まって本を読んだという話はよく聞いたものだが、振り返って現代日本を見れば、豊かな電力の下(本当はそれほど豊かだと油断してはいけないそうだが)、一晩中電気を灯していても誰からも咎められない恵まれた環境であるにもかかわらず、一部の若者たちは本を読まなくなった、勉強もしなくなった。本来は勉強(学問)を志した者だけが集まる大学という場所にあって、勉強しない口実や言い訳をヌケヌケと口にする一部の大学生を見ていると、つくづくこの国は精神的にも飽食状態なのだなと思ってしまう。

 それはともかく苦心して書物を読んで学問に励んでいるうちに、いつの間にか歳月も過ぎて、学校の杉板の戸(掛け言葉)をあけて出て行く別れの日を迎えてしまった。出て行く者も後に残る者も別れの時を惜しみつつ、互いの幸を祈りあうというふうに歌は続いていくのであるが、実は「蛍の光」には今では歌われない3番4番の歌詞があるのをご存知だろうか。

 
三)筑紫のきわみ みちのおく
   海山とおく へだつとも
   その真心は へだてなく
   ひとつに尽くせ 国のため

 四)千島のおくも 沖縄も
   八州(やしま)のうちの 守りなり
   至らん国に いさおしく
   つとめよ我が背 つつがなく


 1番から4番まで、スコットランド民謡の旋律に稲垣千頴という方が作詞したものだが、何でこの3番と4番が歌われなくなってしまったのか、何となく判るような気もする。戦後GHQに禁止されたとも言われているが…。
 「筑紫のきわみ」とは九州の果て、「みちのおく(道の奥)」は陸奥をかけた東北地方の奥地のことだと思われるが、一部の地方を辺境呼ばわりしてはいけないということか。さらに千島列島や沖縄は戦後日本の領土から切り離されてしまった。(その後、沖縄だけは返還されたが…。)しかしそれ以上に、やはり“進歩的”教師どもやGHQにとっては、国のために尽くせ、などという箇所が許せなかったのであろう。
 しかも4番の歌詞は千島から沖縄まで日本(八州)の勢力圏内であるとしているが、これがかつて大日本帝国が栄華を誇った時代には、「台湾の奥も 樺太も」であったらしい。さらにいろいろなサイトを見てみると、それに続く歌詞「至らん国」は日本の勢力の及ばない国と解釈する人が多く、もしそうだとすると、そういう“国外地域”では“我が背(私の愛しい殿方)”は勇敢にお勤めになって下さいという意味になるので、これはもう海外領土攻略を振興する歌になってしまう。

 しかし4番の歌詞を素直に読み進む限り、それは誤った解釈ではないかと私は思っている。千島から沖縄までは日本の領土だと言っておいて、次の段でいきなり日本の主権の及ばない地域では勇敢に勤めよとはあまりに唐突である。
 “
至らん国”を“(主権が)至らない国”と否定形にしか読めないのは、現代国語しか知らない日本人の限界ではないのか。私が素直に読む限り、“至らん国”は“(我が背が)至らむ国”、すなわち愛しい殿方が行き着く国にしか思えない。つまり千島から沖縄まで我が国は広いけれども、どこに赴任しても勇気をもって身体に気をつけて勤めて下さい、という意味だ。海外侵略を肯定する歌詞ではない。
 それに何と言っても、掛け言葉で見事に意味が連携していく1番の歌詞を作る人が、そういう唐突な言葉を繋げるはずがない。1番では“
すぎの戸”で“年が過ぎる”と“杉の板の戸”を掛け、さらに“あけてぞ”で“年が明ける”と“戸を開ける”を掛けて、素直に意味が繋がっていくではないか。
 まあ、いずれにしろ、「至らぬ→至らん」なのか「至らむ→至らん」なのか、私も国文法など久しくご無沙汰であるから、これ以上理論的に分析することはできない。どなたか日本語の文法に詳しい方がいらっしゃったらお教え下さい。

 さて私も若い頃はこの「蛍の光」の1番と2番を歌って学校時代に別れを告げてきたわけだが、時は移って今度は自分が学生たちを送り出す立場になってしまった。いよいよ2年後には私の学科の第一期生たちも、たぶん卒業式でこの歌を歌って巣立って行くだろうが、その時にはまた別の感慨が湧くのだろうか。
 私の一番印象に残る卒業式はやはり高校卒業の時である。小学校卒業の時は、確かに物心ついて以来初めての巣立ちであり、それなりに晴れがましくもあり、淋しくもあったが、やはりまだまだ子供だった。中学高校は6年一貫教育で中学の卒業式はなかったから、次の節目は高校の卒業式である。
 私の中学・高校はよく生徒を遊ばせてくれた。戦前から自由主義教育の伝統があり、あまり校則も厳しくなく、校舎内では脱帽、来校者には会釈して挨拶、食い歩き禁止など、外面に表れる人間としての基本的マナーだけは知らず知らず徹底的に叩き込まれたが(禁酒禁煙などは昔は当然のこと)、それ以外は長髪にしようが政治運動に走ろうが教師に文句をつけようが、かなり大目に見て貰えた。しかし自分の判断でそれらをやった以上、自分で責任を取るのが当然というスタンスだった。
 もちろん勉強しろとも言われなかった。過剰な干渉はなく、生徒の自主性を最大限に尊重して見守って貰えたという思いは今でもある。私もそういう学校であったことを幸い、中高6年間を音楽部で遊び暮らした。数学の問題が意味さえわからず、答案にネコの漫画を書いて提出しても怒られなかった。(もちろん勉強しないのは自分の責任であり、学校や教師のせいで成績が悪かったなどとは口が裂けても言ってはいけなかった。)私はそういう自由主義的な校風が性に合っていたから、高校卒業の時は無性に淋しかった覚えがある。1分でも1秒でも長くここにいたいと思った。
 卒業式を見に来校した私の母親は、講堂2階の父兄席の高みから自分の息子を懸命に探したらしいが、卒業生の席にその姿は見えず、何と演壇直下のブラスバンドの中にいたので恥ずかしかったらしい。私は今でも「蛍の光」のメロディーを耳にすると、あの高校卒業の日の情景が目に浮かぶ。ブラスバンドの演奏する「蛍の光行進曲」に乗って次々と式場を後にするクラスメートたちが、私の方を見て笑ったり手を振ったりしていたのが、まるで昨日のようだ。

 ところでこの「蛍の光」の原曲はスコットランド民謡だが、これは決して別れの歌ではない。むしろ再会の歌である。原題は“Auld Lang Syne”、「オールド・ラングサイン」または「オールド・ラングザイン」と発音し、古い遠い昔という意味のスコットランド方言らしい。

 
Should auld acquaintance be forgot, and never brought to mind?
 Should auld acquaintance be forgot, and auld lang syne?
 For auld lang syne, my dear, for auld lang syne,
 we'll take a cup of kindness, yet, for auld lang syne.


多少の思い入れと共に意訳してみれば、大体次のようになる。

古い友人を忘れてしまって良いのか?もう思い出さないなんてことがあって良いのか?
古い友人を忘れてしまって良いのか?昔のあの頃を忘れてしまっても良いのか?

   (いや、良くないという反語)
昔のあの頃のために、友よ、昔のあの頃のために、
昔のあの頃のために、変わらぬ友情の杯を手に取ろう。

 幼なじみの友人でもいい、学校の友人でもいい、かつての同僚や先輩・後輩でもいい、何年ぶりかで再会した旧友と共に、昔の日々を思い出して酒を酌み交わそうという歌である。私は「蛍の光」の歌詞よりはこっちの方が湿っぽくなくて好きである。


日本語のアクセント

 日本語は高低のアクセントと言われており、英語などの強弱のアクセントとはまったく異なっている。だから我々日本人が英会話を習っても強弱のアクセントに慣れていないから、きれいな英語を喋れない。
 日本語の高低のアクセントとは、橋(
し)と箸(は)、飴(め)と雨(あ)のように、発音する時に音程の高低をつけることである。これらの例では小さい仮名で書いた方の音を低く発音するが、我々はこれで幾つかの同音異義語を耳で識別することが可能になる。雲(く)と蜘蛛()のように意味まで考えないと判らない言葉も多いが、例えば我々は“橋でご飯を食べない”し、“飴が降ってくる”のを期待したりしない。また花(な)と鼻(な)は同じ高低のアクセントでも、後に続く助詞のアクセントで、花が(赤いのか、鼻が(なが)赤いのか区別できる。

 ところで最近、私はある事件のテレビニュース報道で、非常に耳障りな高低のアクセントが気になったので、ちょっとこのコーナーに書きとめておきたい。皆さんはどう思われたか。
 その事件とは海上自衛隊のイージス艦が漁船に衝突したものであるが(この事件そのものに対するコメントは別項)、そのイージス艦の艦名「あたご」の発音が問題である。何人かのニュースキャスターがこれを「
たご」と発音していたが、私はこれが猛烈に気になった。イージス艦の艦名は山の名前から取られており、イージス艦「あたご」も愛宕山からの命名である。愛宕山と発音する時は確かに「たご山」だが、これが単独で艦名になって助詞で受ける時は「あたご」でなければならない。実際、海上自衛隊の幹部が記者会見した時には「あたご」と発音していた。

 旧帝国海軍にも「愛宕」という重巡洋艦があった。私がまだ小学生だった頃、夕方6時台のラジオ番組で戦記の朗読があり、佐藤太郎氏の『戦艦武蔵の最期』の朗読も聴いたことがある。その中で戦艦大和、武蔵以下、栗田艦隊がレイテ沖をめざして出撃する場面、愛宕が敵潜水艦の雷撃を受けて沈没する箇所の朗読で、確かに「あ
たご」と発音していたのを覚えている。

一瞬前まで艦隊の先頭を切って颯爽と走っていた1万トン重巡愛宕(あたご)が、次の瞬間には黒煙におおわれて海上に横たわってしまった。目の前にはっきり見ながらも、まるで嘘みたいに信じられない現実である。

 しかし「あたご」衝突事故の前、別の護衛艦「しらね」が失火で炎上した事件の報道の際は、確か「し
らね」と発音していたように思う。これは記憶が曖昧だが、ニュース報道を聞いていても別に違和感を感じた覚えがなかったから、たぶんそうだろう。この艦も山の名前を取っているが、山を指す時には「らね山」となる。ただこの護衛艦を「らね」と発音すると、「知らねー」に聞こえてしまうので、ニュースキャスターも自然に正しい発音をしたのかも知れない。

 日本語の高低のアクセントは非常に難しいものである。護衛艦の艦名に限らない。例えば箸は「は
」であるが、箸置き(しお)とか箸休め(しやすめ)と言う時にはアクセントが逆になる。また雨(あ)も雨模様(めもよう)とか雨降り(めふ)とか雨上がり(めあがり)と言う時にはアクセントが逆だ。
 この高低のアクセントは日本語の歌の作曲家や作詞家をずいぶん悩ませるものだそうだ。曲の音程に合わせて言葉のアクセントも上下させなければ変な意味になってしまうこともあるからだ。恋に破れた女が落ちてくる飴玉の中に佇んでいては情緒も何もあったもんじゃない。
 またある程度年長になってから流暢な日本語を習得した外国人は、この高低のアクセントをどのように勉強したのだろうか。とても興味が湧いてきた。生粋の日本人なら幼少時から高低のアクセントに馴染んでいるから、さほど困難でないが、これをいちいち意味を考えながら発音するのはかなり難儀だろう。私のような中年日本人にとっては、最近の若い女性たちが使い分ける「彼氏」の発音、「
れし」と「かれし」の意味の違いがまだよく判らない。


医療搾取国家日本

 今年もいよいよ新年度がスタートしたが、平成20年度から始まる幾つかの医療制度には、どう考えても腑に落ちないことがある。一つは後期高齢者医療制度で、これは75歳以上の高齢者全員から保険料を徴収して医療費に回すというもの、年金から天引きの形で取り漏れはないということだ。二つ目はいわゆる“メタボ検診”(特定健康診査と特定保健指導)で、これは40歳から75歳までの国民を対象に腹囲測定や血清コレステロール値の検診を義務づけて将来の成人病予防につなげるものだが、検診の効果が上がらない保険者(健康保険組合など)には高齢者医療費の追加負担をさせるという罰則的な処置が付随している。すなわちこのまま行けば、メタボの人(メタボの厳密な定義が無いのは問題だが)は将来的に企業などの求人対象から外されやすくなったり、逆に退職勧告の対象になりやすくなったりするであろう。

 確かに医療費はすでに破綻していると言ってもよい状況であるから、病気になりやすい年齢層の方々には応分の負担をして貰う(ある意味で受益者負担)、あるいは自分の健康に責任を持てないような自覚の無い人たちにも何らかのペナルティを課すというのは当然の処置であり、何でもかんでもバラまき福祉をやっていたら日本の財政も医療も破綻してしまう。だから私はこのこと自体を指して搾取と言っているわけではない。

 しかしそう言うことであれば、今回の後期高齢者医療制度やメタボ検診には重大な不公平がある。それは喫煙者に対する罰則強化が何も無いことだ。今さら言うまでもなく、健康に対するタバコの害は明らかであり、喫煙による慢性呼吸器疾患や肺癌の増加が国家の医療費政策にどれほどの負担となっているかを試算すらしないのはどういうことか。
 年を取るほど病気が増えるから保険料を余分に負担させる、肥満の人もまたそうでない人より病気に罹りやすいからペナルティを課す、それなら何で呼吸器疾患の元凶とも言える喫煙をやめられない人々には何の罰則も強化しないのか?
 しかも肥満の人は電車の隣の座席の人には窮屈な思いをさせるけれど別に病気をうつすことはないのに対し、喫煙者は明らかに周囲にいる非喫煙者に対しても呼吸器疾患のリスクを及ぼしているのである。我が国ではこんな不公平が罷り通るのか?

 喫煙者はタバコを買うときにすでに税金を払っている、喫煙者が自らの健康維持に目覚めて禁煙されてしまうと国家の税収が減る、だからこれだけ健康に害のあることが判っていても喫煙は大目に見て貰えるのだろう。あまりにも恣意的である。国庫の金になるから健康に悪い物でも国民に売りつけるというのであれば、それは清国にアヘンを売りつけた悪辣な大英帝国とまったく同じ搾取の原理である。
 昔、何かの資料で読んだが、タバコへの課税を大幅に増やして1本1000円以上にしてしまえばタバコの消費は抑制され、なおかつ国家の税収は増えるらしい。本来ならこれこそが医療費抑制と税収増加をもたらす妙薬なのだが、選挙の票読みが気になる政治家には無理であろう。

 高齢者やメタボからは福祉の恩恵を取り上げておいて、喫煙者は税金を払ってくれるから野放しにする、それが今回導入される医療制度の正体である、と言うことはつまり、喫煙者が食い潰した医療費の分までを高齢者や肥満者が代わりに負担させられるということだ。

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