原発問題ふたたび

 2011年3月11日のことは昨日のことのように鮮明に思い出します。東日本大震災という未曾有の大地震によって東北地方の太平洋岸を中心に大きな人的・物的被害が発生した、あれからもう13年と言うべきか、まだ13年と言うべきか。

 震災と津波の被害だけでも想像を絶するものだったうえに、あの災害では東京電力の福島第一原子力発電所が津波を蒙って全電源喪失、制御不能になった原子炉が爆発して大量の放射性物質が環境中に放出され、その影響は風評被害まで含めて13年後の現在に至るも深刻なものがあります。しかし原子力災害の恐ろしさを身に沁みて知ったはずの日本国でしたが、4年後にはすでに“喉元過ぎれば熱さを忘れる”の例えどおり、国民や都民は国政選挙や都知事選挙で原発再稼働を推進する陣営の候補者を圧倒的に勝たせたと別の記事に書きました。

 そんな能天気な国家と選挙民に再び冷水を浴びせるような災害が選りも選って2024年1月1日、元日の午後に発生しました。能登半島を震源として北陸地方を襲った震災で、特に半島先端の輪島市や珠洲市に甚大な被害が出たのです。海底の地形が隆起して多くの漁船が港に閉じ込められたままになっていますし、私が驚いたのはあるニュース番組で流されていた一般登山客の撮影した動画映像、震源から140キロも離れた北アルプスの槍ヶ岳で元日登山を楽しんでいたら山頂がグラグラ揺れて危険を感じたそうです。つまり今回の能登の地震は単に能登半島が揺れただけではない、富山湾の海底から3000メートル級の槍ヶ岳山頂までを含む、おそらく数百キロ四方以上の範囲で揺さぶられたわけです。

 能天気な国民に冷水を浴びせたというのは、石川県志賀町にある志賀原子力発電所の電気系統が損傷を受けて一部がダウンしたこと、電源は複数あったため大惨事は免れたが、津波を被るなど罷り間違えば福島原発の全電源喪失という悲劇の二の舞になった可能性も確率的にはあったわけですし、さらに教訓とすべきは、今回の震源に近い珠洲市に日本最大の原子力発電所が建設される計画があったということ。関西・中部・北陸の3電力会社が珠洲原発計画を発表したのが1975年、以後28年に及ぶ住民の反対運動が実って計画が凍結されたのが2003年、まだ福島原発事故が起きる8年前のことでした。

 電力会社側は飲食や演芸や慰安旅行などの無料接待で住民を懐柔しようとしたり、竹村健一のような政府御用学者を呼んで講演したり、全国の原発誘致地区を引き合いに出して地域が豊かになったと謳うチラシを配ったりしたそうですが、反対派住民が負けずに頑張ってくれたお陰で珠洲原発は建設されなかった。原発誘致で栄えた地域の実例として電力会社が宣伝した中には、福島原発を抱える福島県双葉市もあったらしい。珠洲市はまさにあの二の舞になる可能性があったわけです。

 政府や電力会社の御用学者は、日本の原発は安全性が高いし、万全の対策を施す予定だから相当な地震や津波にも耐えるのだと、あの福島原発事故の後でさえしゃあしゃあと強弁していますが、富山湾海底から槍ヶ岳山頂までを揺り動かす巨大な地殻変動に、人間ごときの作った建造物が絶対に耐えうると断言できる能天気ぶりには呆れざるを得ません。

 最悪の事態を想定して対処することが苦手な日本人の精神構造は、必ずしも今に始まったことではありません。「そうならないようにする」と言ったって、そうなってしまうのが最悪の事態なのです。太平洋戦争中の1942年5月、翌月に予定されていたミッドウェイ海戦の図上演習(作戦シミュレーション)の席上、青軍(日本軍)と赤軍(米軍)の駒を動かして戦果と損害をサイコロで判定していると、青軍空母は赤軍に発見されて大打撃を受ける、連合艦隊参謀長の宇垣纏がこれでは都合が悪いと沈没した空母の駒を復活させて図上演習を続行したという有名な逸話がありますが、実際に実施された作戦がどうなったかは戦史が雄弁に物語っています。

 空母がほぼ全滅するという最悪の事態が事前に想定されたのを無視して、そうならないように注意するという参謀長の鶴の一声で強行されたミッドウェイ海戦、現実に一度沈んだ空母は元に戻せませんし、一度爆発した原子炉も元には戻せない。実は真珠湾攻撃の図上演習でも青軍空母は赤軍に発見されて打撃を食らうことになっていたが、幸いにして最悪の事態は起こらず作戦は戦術的に成功した、次も何とかなるさという神頼みの成功体験に味を占める上層部の能天気な精神構造は、あの時も現在も変わっていないのですね。

 もしも珠洲原発建設が強行されて今回の地震で損壊していたら、道路も鉄道も寸断され、海底隆起で港も使えなくなった能登半島先端から、どうやって住民を安全に避難させたのか。それを考えるのが“最悪の事態への対処”ということです。首相からして「万全の安全対策を講じて云々」などと口先だけの気休めを言っているようじゃ、ミッドウェイの戦訓も福島の教訓もあったものではない。

 もし珠洲市で原子炉爆発があったら、放出された放射性物質は偏西風に乗って首都圏や東海から東日本一帯に降下した可能性が大きいです。チェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故のあった1986年前後を境に、それまでは非常に稀とされていた若年者の甲状腺癌が私個人でも複数例診断するほど増えてますし、福島原発事故後アメリカ西海岸でも同様という記事を目にしたこともあります。それでも原発再稼働を推進する政治勢力を支持しますか。

 ただロシア・ウクライナ情勢緊迫で石油や天然ガス確保が困難になっていたり、二酸化炭素を排出する化石燃料の利用は地球温暖化の原因になることなど考慮すれば、私たち一般国民も電力エネルギーは無尽蔵にあるという認識を改めたうえで、原子力発電に代わる再生可能エネルギーへの転換の覚悟を決めるべきかと思います。


政治家の責任論

 新年度(2024年度)を迎えてもお上の国の政界をなおも揺るがしている自民党派閥パーティーのいわゆる裏金疑惑問題、早期幕引きを計りたい岸田政権は安倍派幹部を中心に国会議員ら39人の処分を発表しましたが、党則で2番目に重い処分である離党勧告を食らった世耕氏と塩谷氏とか、党員資格停止(下村・西村・高木氏)などはあったものの、全体的に処分が甘いのではないか、不公正なのではないかという批判が、野党や世論ばかりでなく身内の自民党内部からも出ている有り様です。

 まあ、私に言わせれば、政治家の責任感覚なんてこんなものですよ。2番目に重い離党勧告の処分なんて言っても、次の選挙で当選すれば禊ぎが済んだとしてまた復党を認めて貰える、党員資格停止なんて屁でもない、ヤクザや暴力団員が組織を守るために自分が実刑を食らって何年間か“刑務所勤め”をすれば、それが組織内での勲章にさえなる、それとまったく同じ構図ではないですか。無所属で戦っても勝算のある世耕氏なんかは「明鏡止水の心境で処分を受け入れます」などと世論受けを狙って殊勝に離党届を提出したが、選挙区の地盤がそんなに強くない塩谷氏は焦りまくって処分に不服を申し立てている、(笑)(笑)(笑)…という感じですね。

 そもそも岸田首相自身への処分がなかったことも与野党・世論の批判を浴びています。岸田派でも政治資金の不正があったのだから、派閥の頭領として何らかの処分が下るべきだという声が高まるのは当然ですね。岸田首相がどうやって自分自身の処分を下すのかは論理学的に実に面白い命題ではありますが…(笑)。党員資格停止を言い渡した瞬間、首相としての権限全般も消滅しますから、誰がその処分言い渡しの権限を持つのか、例のタイムパラドックスと同じ矛盾が生じてしまう。こうなったら岸田首相が鏡に向かって「お前、ダメじゃないか!このバカ!マヌケ!アホ!」と一喝し、「ハハッ、大変申し訳ありませんでした」と謝罪する動画をSNSに上げて、「戒告処分にしました」というのが一番世論受けするかも…(笑)。まあ、そんな諧謔のセンスは期待できませんけれどね。

 とにかく日本の政治家は別の記事にも書いたとおり、平安朝や源平合戦の世以来ずっと、天皇や皇族を楯として自らの最終政治責任を問われることを免れてきました。だから責任の取り方が分からない。政治倫理審査会に出頭して、「自分は何もしてません、何がどうなってるかも知りません、誰がやったかも存じません」と弁明して、それで説明責任を果たしたと思っている。自分はもとより誰も悪くない、個人的には誰も悪くないのにあんな不祥事が起きたとなれば、自民党という組織自体に悪が内在しているとしか言えないじゃないですか。そういう論理的帰結も分かっていない。

 「ボク、やってないもーん」「アタシも知らないもーん」
まるで幼稚園児みたいな言い訳を聞いて呆れる前に、これは自民党だけじゃない、野党を含む政治家だけでもない、日本国民全体に流れる責任回避パターンなのだということも自覚する必要があります。とにかく自分は悪くない、悪いのは自分以外の誰かです、またはそれを指示した上司や幹部です、最後は総理大臣です…となって、昔ならばこれら全てを御裁可なされた陛下に奏上申し上げましょうでケリが付いていたところ、そういう逃げ道がなくなったことで、自民党ではあの体たらく。

 この責任逃れの構造の末端は日本列島の家庭や職場の隅々まで毒してますから、下々の一般国民は『政治家のフリ見て我がフリ直せ』を胆に銘じて改めて自戒することに致しましょう。野党の皆さんも今の岸田政権をただ非難しているだけでは永久に政権は取れませんよ。


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