その単語ちょっと待った
先日、東洋医学の素晴らしい効能を検証するNHK総合の番組を見ていて、一瞬頭の中が真っ白になった経験を紹介します。NHKの科学番組や医学番組の内容はさすが国営放送だけあって素晴らしいものがある。他の民放にはとても真似できないほど金のかかった映像を、これでもか、これでもかと言わんばかりに次々と繰り出してくるのは確かに圧巻です。
私が見ていたその東洋医学の番組の取材も解説もなかなか立派なもので説得力のあるものでしたが、腰痛のうち鍼治療の効かない症例は腰ではなく脳に原因があると説明する場面で、突然『PAG』という単語が出てきたのです。画面に提示された図にも『PAG』と書いてあるだけ。『PAG』って何…?番組を視聴されていた方は何万人、何十万人といらしたでしょうが、この単語が何の抵抗もなくスンナリ頭に入ってきた人は50人もいないはず、中枢神経系の特に脳幹部付近を深く探求されている医学研究者以外にはチンプンカンプンです。私の頭の中も『PAG』の単語が入ってきた途端、番組視聴の流れが中断されてしまい、腰痛に関する知識の取り入れは中途半端に終わりました。
PAGとは periaquedutal gray のこと、日本語に訳すと水道周囲灰白質、または中脳中心灰白質のことですが、そう書かれても大多数の視聴者にとってはまだ何の事やら分からん、というのが正直なところでしょう。医学を専門的に学んで、中枢神経系にも多少の関心を持っている人でなければ、この訳語を示されてもまだ理解はできません。私自身も後から調べて初めて知った言葉です。
灰白質(gray matter)とは脳や脊髄など中枢神経組織の中で神経細胞が集合している部分のこと。中脳の中心には脳脊髄液という液体が貯留している“中脳水道”という管が貫通しており、その周囲に存在する神経細胞の群れが『PAG』なのですね。そして腰痛に限らず身体のあちこちで感じた痛みの刺激は中脳を通って大脳に伝達されますから、この『PAG』と呼ばれる神経細胞群が伝達経路にいろいろ作用して微調整していると思われますが、その微調整機能に異常があると鍼治療でも軽減しない腰痛になる、たぶんNHKの番組はそう言いたかったのでしょう。
ずいぶん噛み砕いて書いてみましたが、以上のことをもっと専門的に理解するためには数時間程度の解剖学の講義を受ける必要があります。まさかNHKが数時間もの基礎解剖学の講義をやってから番組を制作することは不可能ですが、『PAG』などというチンプンカンプンな省略専門用語を丸ごと視聴者に投げつけるような放送をしてはいけません。こんなのは中枢神経を研究する学術会議の、さらに一部の分科会で専門家同士が使う言葉です。おそらく番組の制作スタッフは『PAG』を理解していなかったし、専門家にインタビューしたNHK科学部のスタッフも『PAG』を知らないのは恥ずかしいことかと勘違いして深く意味を追求しなかった、しかし何より最も反省しなければいけないのはそのインタビューを受けた医学の専門家で、相手が素人であるのを承知していながら『PAG』などという学者の狭い世界でしか通じない単語を何の解説も付けずに連発したと思われます。
NHKのインタビュアーに『PAG』を説明した専門家ってどういう人なんでしょうね。素人相手に専門用語を連発したら相手はそれを理解してくれないかも知れないと気が付かなかったのでしょうか。相手が同業者だろうが素人だろうが、自分の知っていることは当然相手も知っているとしか考えない、よく研究した優秀な専門家であればあるほど陥りやすい意外な落とし穴かも知れません。
しかし考えてみれば世の中にはこういう独り善がりな言葉が当たり前のように使われている場面が多いと思いませんか。取りあえず今回の『PAG』ですが、こういうアルファベットを羅列した専門用語の略称を学生や一般人相手に「ピーエージ−」と発音してはいけない。相手がその略称の正確な意味を共有しているとは限らないからです。そこに思いが至らなければいけない。
『NHK』は日本放送協会、『TBS』はTokyo Broadasting Systemを縮めたものということは知らなくても東京を中心にテレビ放送を行なっている民間放送局の1つ、『JAL』は日本航空、『ANA』は全日本空輸など、大多数の日本人が知っていると想定できるアルファベットの略称ならそのまま発音しても許されるし、むしろ「日本放送協会」と発音するよりは「エヌエイチケー」と発音するべきですね。
ただアルファベット3文字までの略称は、アルファベットをそのまま続けて読むのが原則らしいので、『JAL』や『ANA』の場合は「ジャル」や「アナ」ではなく、「ジェイエーエル」とか「エーエヌエー」と発音するのが正式かも知れませんが、やはりこれも聞き手と正確に意味を共有していることの方が大切です。
4文字以上のアルファベットの羅列は、例えばもう解散してしまった『SMAP』が「スマップ」、『JAXA』が「ジャクサ」、『ECMO』が「エクモ」、『ASEAN』が「アセアン」のように1つの単語のように発音することになっているようです。『OECD』を「オーイーシーディー」のような例外も少なくありませんが、いずれにしても話し手と聞き手の両者が同じ対象を共有していることが絶対に必要です。
専門家と一般人が同じ意味を共有できないことを想定しなければいけないのは先に書いたとおりですが、違う分野の専門家同士、あるいは同じ分野の専門家同士でも意味する実体が異なっている略称もあります。例えば『TB』、これはドイツ語で「テーベ−」と発音しますが、医療関係者にはこれは結核の意味、法曹関係者には刑法上の犯罪に該当するために必要な構成要件を意味します。また医療関係者同士でも『DM』は、代謝内分泌の専門家だけでなく大多数の医療従事者にとって糖尿病を意味しますが、他にも膠原病の専門家にとっては皮膚筋炎(dermatomyositis)という疾患、心臓病の専門家にとっては心臓が拡張する時に聴取される拡張期雑音、抗がん剤の専門家にとってはダウノマイシンという薬剤を意味したりしますね。一般人にとって『DM』はダイレクトメールですが…(笑)。
アルファベットの略称は書き物をする時には大変便利なものですが、会話や講義などでは常に相手と同じ意味を共有していることを確認しながら話を進めなければいけません。最初の『PAG』の話も、専門家にインタビューしたNHKスタッフは「それはどういう意味ですか」と食い下がらなければいけなかったし、専門家はインタビュアーに対して徹底的に噛み砕いた平易な単語で説明しなければいけなかったし、実際に放送される番組では視聴者に対して「痛みの伝達を微調整する中脳の神経細胞集団」くらいの用語を使うべきでした。
こういうアルファベットの略称以外にも、最近は分かったようで分からない外来語が多すぎると思いませんか。コンピューター用語でインストール、ディレクトリ、レジストリ、デバイス、ウィザード、アカウント、あとアルファベットの略称でOS、CPU、LANなど、など…、当初は初心者に対してきちんとした説明もないままに用語だけが先走っていました。メーカーの取り扱い説明書や仕様書もそうでしたし、ある程度パソコンを使いこなした同僚や先輩などの口頭の説明もそうでした。こんな言葉も分からないような奴は話にならんと言わんばかり。
そう思って気づいてみたらコンピューター以外の分野も同じ、アーカイブ(保存記録)、アイデンティティー(独自性)、ガバナンス(統治)、グローバル(地球規模)、モラトリアム(猶予)、リテラシー(活用能力)、プレゼンス(存在感)、プライオリティー(優先順位)、トレンド(傾向)、デフォルト(初期状態・債務不履行)、スタンス(立場)、スキーム(計画)、コミットメント(関与)、コンプライアンス(遵守)、レジェンド(伝説または伝説的人物)、レガシー(遺産)など、など…。
最近は新聞記事などでも簡単な邦訳さえ付けずにこういうカタカナ書きの言葉が溢れています。本来の母国語でも表現できるのにわざわざ外来語を使うのは、時代と共に新たに付加されたり変遷した概念を強調する意義も大きいですが、それにしてもちょっと行き過ぎの面があると思います。少なくともあと20年ないし30年の間は文字として書き記す場合にはカッコ付きで簡単な邦訳を併記する必要があるのではないか。あるターム(用語)のコンセプト(概念)やコンテンツ(内容)に関する十分なコンセンサス(合意)がまだ国民的に広く得られていないのではないでしょうか。
言葉は話し手が伝えたい内容を聞き手が正確に受け取らなければ意味がありません。だから相手が自分と同じ分野の専門家であるか、初心者であるかをきちんと把握することが先ず重要ですが、自分と相手との会話を傍らで聞いている第三者に別の意味が伝わってもいけない。医者同士がTB(結核)の話をしているのを傍らで聞いていた弁護士がTB(刑法の構成要件)と誤解する、あるいは看護師同士がDM(糖尿病)について話しているのを後ろで聞いていたおじさんが何のダイレクトメールの話かと聞き耳を立てる程度のことなら笑い話で済みますが…。
胃腸など消化管粘膜(mucosa:M)の下層を粘膜下層(submucosa)といってSMと記号で表します。胃や大腸粘膜にできた癌が粘膜下層に広がった時、外科医や病理医は「癌はSMまで行った」という言い方をすることがありますが、電車の中で周囲の乗客も多く乗っているのに大きな声でSM、SMと胃癌の症例の話を止めない外科医にハラハラした経験があります。鞭でしばき倒してやろうかと思いましたね(笑)。
あと医療系の大学の科目として、解剖学や病理学や生化学などは“学”を抜いて「解剖」、「病理」、「生化」などと日常的には呼んでいます。微生物学などは最近の学生さんたちは「微物」と縮めて呼ぶことも多かったですね。解剖学の実習や試験が終わると、学生さんたちは互いに「解剖終わった?」「うん、終わったよ」などと情報交換しているようでしたが、これが生理学だとやや困ったことになるのですね。私は特に女子学生さんに生理学だけは絶対に電車の中などで「生理」と呼ばないように注意したものでした。
オミクロン株の重症化について
蔓延3年目となった新型コロナウィルスも次々と変異を繰り返して、現在はオミクロン株がほぼ主流になってきた。昨年(2021年)後半に猛威をふるったデルタ株に比べて感染力が著しく高く、我が国でも比較的緩やかな感染状況のまま新年を迎えられたと安堵したのも束の間、1月18日現在、あっと言う間に1日の新規感染者数が全国で3万人越え、東京都でも5000人越えとなっている。(翌1月19日には全国で4万人越え、東京都で7000人越えとなってさらに急上昇中である。)
私が今回のオミクロン株の流行を最もよく表していると思うのは、この急激な新規感染者数の増加だけでなく、流行が先行した国や地域の医師たちから報道を通じてもたらされた情報である。
●確か昨年暮れだったと思うが、世界で最初に流行が確認された南アフリカの医師が述べていたこと、デルタ株の患者は肺の奥から絞り出すような咳をしていたが、オミクロン株の患者は喉で咳をしている。
●米軍基地を介して日本で最も早く感染拡大した地域の一つ、沖縄県の専門家会議座長の藤田次郎教授の言葉、1月9日の時点で県内入院中の約250名の患者で1人も人工呼吸器が装着されていない。
●その他WHOをはじめ欧米各国からもオミクロン株感染患者が深刻な重症化を示すリスクは乏しいという報告はあっても、私の知る限り逆の報告はない。
これはオミクロン株は従来のデルタ型などに比べて気道の浅い場所で炎症を起こすので、致命的な肺炎にはなりにくいということである。呼吸器の構造だが、我々が鼻腔や口腔から吸い込んだ空気は、咽頭や喉頭などいわゆる喉の部分を通って気管から気管支に入る。咽頭までは食物と同じ通り道だが、喉頭からは空気だけになって、気管支から先はどんどん細かく枝分かれしていき最終的に肺胞に至る。
肺胞は別の記事に写真を載せたような小さな袋になっているが、赤血球との間で酸素交換が行われるのは肺胞だけ、大まかに言えば鼻腔や口腔から気管支までの部分は空気の通り道に過ぎず、ここが完全閉塞されない限りは差し迫った生命の脅威になることは少ない。デルタ株などではその先の肺胞までが炎症で壊されてしまうので酸素を取り込むことができなくなって死の転帰を取ることになるのだが、オミクロン株では空気の通り道の炎症で済むことが多いので重症化が少ない所以である。
私が最も勇気づけられたのは沖縄の藤田先生の報告、250名の入院患者で人工呼吸器が1台も稼働していないという当時の状況だった。私は未熟児・新生児のICU(NICU)だったが、ICU勤務のスタッフにとって“人工呼吸器”という言葉はまさに戦慄すべきものだった。コロナのICUでも同じだろう。患者が自力で呼吸(自発呼吸)できるかどうか、つまり機械を装着して人工呼吸しなければいけないかどうか、それはICUの患者をケアするうえで最も重要なこと。早い話が人工呼吸器を装着すればケアの苦労は数十倍になると言ってもよい。
人は飲まず食わずでも1日や2日は耐えられるが、息ができないとなったら5分10分の間に勝負しなければ生命にかかわる。自分で呼吸してくれる患者ならしばらく目を離すこともできるが、人工呼吸器の患者は呼吸心拍モニターで四六時中監視しながら、熟練のドクターとナースが病棟に当番制で常駐しなければいけないということ。
私も浜松の遠州病院に勤務中、年末も押し迫ってから体重1000グラムに満たない未熟児が入院してきた。人工呼吸器が必要になれば年末年始は東京に帰れないなと思っていたら、その子は案に相違して人工呼吸器どころか酸素投与すら不要でずっと自発呼吸していてくれたから、私も東京で正月を迎えられた。人工呼吸器(コロナの病床ではECMOもある)が装着されているかどうかは、ICU勤務者にとってそれくらい天国と地獄の差があるのである。
さてコロナ患者の重症度分類、特に重症と中等症の区別は今ひとつ判然としない部分がある。多くの情報源によれば人工呼吸が必要な症例が重症に分類されるということだが、それならば1月9日時点での沖縄県の重症者はゼロということでよかったのだろうか。
オミクロン株は海外からはどうも軽症例が多いらしいということが報告されており、イギリスのように医療への負担が少ないから改めて経済的な制限措置はとらないといった極端な政策を継続する国もある中で、日本政府や各自治体および諮問機関の専門家たちは一様に厳しい見方を崩していない。
「重症化が少ないという報告もあるが、まだ未知の部分が多いウィルスだから油断してはいけない」
その一点張り。上気道主体の炎症だから重症化しにくいという海外の知見を覆すような根拠を持っているのだろうか。もちろんオミクロン株だって高齢者や基礎疾患を持つ人たちにとっては侮れない強敵であるし、決して楽観視してはいけない相手だということは私も十分わかっている。それにあまり楽観的な見通しを述べれば国民の中には気が緩んで集団飲食や遊興旅行などの歯止めが掛からなくなる人もいるだろう。
それは分かるが、新型コロナとの戦いはオミクロン株が最後ではなく、まだまだパイ株、ロー株、シグマ株と相手が変わってくることが予想される。オミクロン株より毒性が増す可能性は高くないとは思われるが、それこそまだ未知の領域で油断できないこと、仮に次に続く変異株が予想を裏切って再び重症化肺炎を引き起こすようになっていた場合、政府や自治体はまた緊急事態宣言などで国民に協力を要請することになるが、オミクロン株で必要以上に厳しい措置で国民に負担を強いたとすれば『オオカミ少年』になってしまうのではないか。
なあんだ、政府も自治体もオミクロンは大変だ大変だと大騒ぎしていたが、それほどでもなかったじゃないか、今度も大したことないだろう…となるのが心配だ。日本の権力者は民衆に対して「寄らしむべし、知らしむべからず」という論語の言葉を、「人民は一方的に従わせれば良い、その理由を教える必要はない」と勝手に解釈して封建的な統治原理としてきた。悪化する戦況をひた隠しにして国民の戦意高揚のため嘘をつき続けた大本営発表も然りだが、国民はちょっと甘い顔をすれば油断してまたコロナを撒き散らすだろうと不信感を抱いて海外の医療状況を否定し続けるのも同じこと。
私が気になっているのは1月9日の沖縄県の専門家会議の報告で、人工呼吸器がまだ1台も動いていなかったという“良い報告”である。その後すでに10日以上全国各地でオミクロン株の感染が急激に広がっているのだから、人工呼吸をしなければいけない重症例がどのくらいの数になったのか、そのデータは揃っているだろう。良い情報も悪い情報もすべて開示して国民の協力を求める姿勢が政府にも自治体にも専門家にも見られない、むしろ悪い情報だけを示すことで国民を脅して従わせようとしているようにも見えることが、私にとっては不安材料である。
コロナ重症例と人工呼吸器
前項でオミクロン株の重症化について書いてからわずか2週間たらずで事態は一気に悪化しています。新型コロナの1日あたりの新規感染者数は東京都内でもあれよあれよと言う間に1万人を突破、全国でも7万人から8万人とうなぎ登り、第1波の100倍以上、第5波と比べてもすでに3倍近い規模になっていますが、その割には重症者や死者が全国の病院に溢れて医療が破綻したという話を聞くことはないようです。高齢者や基礎疾患を有する方々への感染拡大がこれから本格的になってくることが予想されるので、まだまだ油断できませんが…。
ところで新型コロナの重症の判断基準の一つに、人工呼吸を必要とする症例というのがあります。東京都の分類、厚生労働省の分類など微妙に異なる部分はあるようですが、人工呼吸器またはECMO(体外式膜型人工肺)を必要とすれば間違いなく“重症”、しかし酸素投与を必要とするだけなら“中等症”というのは馴染みのない方々にとってはちょっと分かりづらいところがあるようです。
人工呼吸器が必要なら重症というのは誰にとっても理解できますが、苦しくて苦しくて酸素を吸入しなければいけないような状態が、何で重症じゃなくて中等症なんだよという疑問はある意味もっともです。しかしICU(intensive
care unit:集中治療室)勤務者にとって、単なる酸素投与と人工呼吸の間には格段の相違があるのです。今回は私のNICU(neonatal
intensive care unit:新生児集中治療室)での経験から、そのへんのことをお話しいたします。
単なる酸素投与というのは、患者さんを酸素テントに入れたり酸素マスクを装着したりして、大気中の酸素濃度21%よりも濃い酸素を吸入させてあげることです。大気中より濃い酸素を吸わせてあげれば、患者さんは横隔膜や胸郭の筋肉を動かして自分の力で肺を膨らませて酸素を赤血球に取り込むことができる、これなら中等症です。
しかし人工呼吸器や人工肺を使用しなければいけない患者さんは自力で肺を膨らませることができない。だから機械の力で強制的に肺を膨らませて酸素を送り込んであげなければ生きていけない。つまり機械が代わりに呼吸してあげる、というよりも、機械を使ってICU勤務者が代わりに呼吸してあげるという状況なわけです。
人間は飲食抜きでも1日や2日は持ちこたえられますが、酸素抜きでは10分も耐えられません。睡眠中でも無意識のうちに酸素が全身に供給されるのは、中枢神経系の脳幹部といわれる部分にある呼吸中枢が頑張って、自動的に呼吸運動を継続させてくれているからです。
人工呼吸器を装着した患者さんのケアに当たるICU勤務者は、いわばこの呼吸中枢の役割を代行しているのと同じですね。右の手描きの図は私が遠州病院のNICU勤務中に作成した人工呼吸患者ケアのチェックマニュアルです。あとからパソコンソフトで追加した赤字が人工呼吸器で、新型コロナ流行当初に日本政府は対策として人工呼吸器やECMOの増産を指示したなどと述べてましたが、それだけじゃダメなんですね。
人工呼吸中の患者さんは飲食ができませんから、代わりに青字で示した点滴で水分や電解質を補給しなければいけない、緑字で示したように心拍、血圧、血中酸素濃度、体温などの変動を監視しなければいけない、またこれらの項目を洩れなくチェックするだけでなく、それらを測定するモニター機器類が正しく装着され、正常に動作していることを確認しなければいけない。さらに自分で痰を出すこともできないから定時に気管や気管支に溜まった痰をきれいに吸い取ってあげなければいけない。
これだけのことを遂行できるドクターやナースは一朝一夕に養成できるものではありません。配属されてから最初の数ヶ月間は人工呼吸器を装着されていない患者さんのケアを学び、次の数ヶ月間で熟練者とペアになって人工呼吸が必要なICUの患者さんのケアを訓練し、独り立ちして夜間や日祭日の当直勤務に入れるようになるまでに1年近くを要します。たぶん現在新型コロナの患者さんのケアに奮闘されている成人のICUでも事情はほぼ同じでしょう。
高濃度酸素吸入だけであとは自発呼吸可能な患者さんならばどんなに苦しくても中等症、人工呼吸が必要にならなければ重症ではないという分類は、かつてICU(NICU)に勤務した私には当然のように受け入れられますね。前の記事でも書きましたが、人工呼吸が必要になった段階で患者さんのケアの手間は一挙に数十倍になるのです。今回のオミクロン株による第6波は、そういう意味での重症例による医療逼迫の度合いは第5波に比べて軽いのではないかと想像しています。
高齢者や基礎疾患のある患者さんではオミクロン株であっても人工呼吸が必要な重症に至るケースは少なくないと思いますが、今回の第6波による医療逼迫は、軽症例や中等症例であってもコロナ陽性者との濃厚接触によって勤務を休んで自宅待機しなければいけない医療従事者が増えたこと、医療現場に限らず消防、警察、物流、交通機関、ゴミ収集など社会のインフラを維持するすべての現場が逼迫したのと軌を一にしています。私の周囲だけでも、医療現場のかつての同僚や後輩や部下で自宅待機を強いられた者の数は第5波の時をはるかに上回っています。
ところで第5波の時に比べていくら人工呼吸器やECMOの稼働状況に余裕があるといっても、いつ高齢者や基礎疾患患者が重症化して人工呼吸を必要とするようになるか分かりませんから、ICUの現場の緊張感や警戒感が緩むことはないでしょう。何しろ「○○から入院しましょうね」とか「手術予定は○○です」とあらかじめ予定を組めるようなものではありませんから。未熟児のNICUもコロナのICUも状況は変わりません。
未熟児とコロナの違いは、まず未熟児は胴体が手掌に乗るくらいの極小サイズですから、人工呼吸用の管を気管に挿入するにしても、点滴の針を血管に刺すにしても、とにかく作業が細かい。プラモデルの細かい部品を接着するような手先の作業を強いられます。成人サイズのコロナのICUではそこまで細かい手作業は必要ないと思われますが、何しろコロナのウィルスを排出している患者さんが相手ですから、いつドクターやナースも感染してしまうかも知れない。これは未熟児相手だった私たちが感じることのなかったストレスであることは間違いありません。
ただし今のコロナのICUで働くスタッフには社会的な声援が届いています。最前線で戦う医療従事者への感謝や激励の言葉やメッセージはSNSやマスコミや駅広告などあらゆる場所に溢れているし、ブルーインパルスも東京上空などを演技飛行してくれたりもする、これはかつての未熟児のNICUにはなかったことでした。連日連夜の神経をすり減らしての激務に医師仲間の理解を求めても、「お前は未熟児が専門なんだから当たり前だろ」、「俺たちだって他の子供たちの診療で忙しいんだ」と、自発呼吸している患者しか診ていない同僚たちから罵詈雑言に近い言葉まで浴びせられた寂しい思い出もあります。私はそれで燃え尽きましたし、他の病院では自ら生命を絶ったドクターもいらっしゃいました。
オリンピックの光と影
今年(2022年)2月4日に北京で開幕を迎えた冬季オリンピック大会も無事に20日に閉会しましたが、まあ、やはりいろいろなことがありましたね。冬季と夏季の合わせて3大会が韓国・日本・中国と連続して東アジアで開催されたこと、偶然とはいえかなり珍しいことでした。特に日本と中国の大会はコロナ禍で経済刺激効果も観光振興策も今ひとつ盛り上がらず、コストパフォーマンスの悪い行事を押し付けられたというか、自ら招き寄せてしまったという不運もあります。
そんな中でも選手たちの活躍はいつもの大会どおりでした。私の印象に残ったシーンを幾つか挙げるとすれば、男子スノーボードのハーフパイプ競技で日本の平野歩夢選手が大技を決めて優勝した後、今大会までこの競技の人気を引っ張ってきたアメリカのレジェンド、ショーン・ホワイト選手が駆け寄って抱擁したシーン、良かったですね。まさに絵に描いたようなスポーツマンの世界です。女子スノーボードのビッグエア競技で日本の岩渕麗楽選手が大技を決めきれず4位に終わった時も、そのチャレンジを讃えて滑走直後に各国の選手たちが一斉に駆け寄ってきたシーン、これも素晴らしかったです。スポーツマンは良いなあと思わせてくれた瞬間でした。
男子フィギュアスケートの羽生結弦選手はオリンピック3連覇を期待されながら、前半のショートプログラムで氷面の凹みに引っ掛かってジャンプを失敗、惜しくも4位に終わってしまいましたが、競技終了後も恨み言を口にせずライバルを讃えるコメント、さすが世界中から注目される第一人者、スポーツマンシップの鑑でした。優勝もできなかったのに試合後に記者会見まで開かれ、その場で明かされたこと、これまでの競技人生で、心の中に9歳の自分がいて、そいつが跳べ跳べというから跳ぶんだ、跳んでも「お前ヘタだな」とか言われたが、今回の本番で挑んだ4回転アクセルは成功しなかったけれど初めて誉めてもらえた、9歳の自分と一緒に跳んだあのジャンプは今は満足だというコメントは圧巻でしたね。これまで無類の強さを誇った羽生選手が見ていた世界を、私もほんの少しだけ垣間見ることができたような気がしました。
他にも羽生選手を越えた銀メダルの鍵山優真選手、銅メダルの宇野昌磨選手、羽生選手が讃えた金メダルのネイサン・チェン選手(米国)も素晴らしかった。女子カーリングで日本史上初の銀メダル、男子ノルディック複合で28年振りのメダル(銅)獲得、今回はペア競技も頑張って日本チームも銅メダル(もしかしたら銀メダル)に手が届いたフィギュアスケート団体。またスキージャンプでノーマルヒルとラージヒルで金と銀のメダルを獲得した小林陵侑選手、女子スピードスケートで金メダル1つを含む4個のメダルを獲得した高木美帆選手の活躍も印象に残っていますし、その他にも日本選手団は史上最多の18個のメダルを獲得しました。表彰台に乗れても乗れなくても日頃の努力の成果を見せつけてくれた選手の皆さん、ここに書ききれなくて申し訳ありません。
日本選手団ばかりでなく、世界各国の選手たちも素晴らしかったですね。開会式と閉会式に上半身裸で旗手を務めた米領サモアのナサン・クランプトン選手には度肝を抜かれました。海底火山の噴火で参加できなくなったトンガ選手団へのエールだそうです。氷点下の北京の夜に裸でいられるのは日頃の鍛錬の賜物、良い子の皆さんは決して真似しないように(笑)。
しかしまたしても今回の選手たちの活躍に水を差すような事件が起こりましたね。女子フィギュアスケートのロシアオリンピック委員会(ROC)代表カミラ・ワリエワ選手のドーピング疑惑です。まだ弱冠15歳のロシア少女の尿検体から禁止薬物のトリメタジジンが検出されたとのこと、さらに他にも禁止薬物ではないがハイポキセンとカルニチンも検出されたそうです。現在世界の関係機関が真相究明に当たっていますから軽率な判断は避けたいと思いますが、いずれも心機能や代謝機能を改善する作用があり、選りすぐりの運動能力を持つ15歳の少女が服用すべき合理的な理由のある薬物ではありません。
薬物によって身体能力を高められた人間がオリンピック選手になって、真っ当に心身を鍛え上げてきた他の選手たちと競うのはフェアではない。しかしそれ以上に、若い選手たちが不自然に服用させられた薬物によって心身の健康を損ねてしまうことはあってはならないことです。旧ソ連の時代からロシア人のオリンピック選手たちは寿命が短いということは言われてきました。薬の力で筋肉を増強し、心肺の持久機能を向上させる、無理やり選手たちの肉体に負荷を加え続けてオリンピックの競技当日に最高潮になるように調整する、そんなやり方が選手たちの肉体をボロボロにしないはずはありません。
私と同じ医局出身の小児科医は、たとえ病気の治療のためでも、たとえばステロイド剤のような強力な薬はギリギリの局面になるまで使用しないことを信条にしていました。病気が治っても将来的に体質が弱ってしまうことを恐れたからです。本人も親も早く症状が収まるような強い薬を求めることが多いのですが、なるべく通常の薬剤のみで頑張るように励まし続けました。
その真逆、国家の威信のために選手の肉体を痛めつけてまで金メダルを取らせようとする国があるのは許せません。コーチやスポーツ団体役員もそうですが、それに加担して薬物知識を“悪用”する医師がいるのは嘆かわしい。いかなる薬剤をどのくらい服用させれば選手の肉体が強くなるか。またその薬剤の投与期間や投与方法をいかに変えれば検査でバレないか、そんなことばかり研究して国家から顕彰される医師がいるのでしょう。吐き気がする。
そもそもロシアは国家ぐるみで組織的ドーピングをする常習犯です。ソチ五輪の時は厳正に出入りが管理されているはずのドーピング検査用検体置き場に壁の穴を作り、そこから検体のすり替えを行なうなど悪質な手口が発覚したため、今でもロシアは国家としての選手団を派遣することが許されず、ロシアオリンピック委員会(ROC)などという中途半端な形でしか参加できないわけです。しかしROCになっても相変わらずドーピング常習国家の本質は変わらないのか。
ワリエワ選手を指導するコーチのエテリ・トゥトベリゼ氏にも疑惑が掛けられています。『101匹ワンちゃん大行進』で子犬を毛皮にしようと狙うクルエラのような雰囲気がある女性だと私は思いましたが、海外からの批判はともかく、選手を“素材”としてそれをいかに“製品”に仕立てるかがコーチの役目と考えているとか、ロシアの他のコーチからもトゥトベリゼの“工場”での“素材”は使い捨てで賞味期限が短いといった批判的な発言も伝えられました。さらに今回の銀メダリストのアレクサンドラ・トゥルソワ選手が試合後にエテリコーチの抱擁を拒否して、「やめて、あなたは全部知っていたんでしょ」と激昂して叫んだとか、いずれはロシアという中央集権国家の手で隠蔽されるであろう不祥事までが世界中に流れました。
このドーピング問題、現在のまま放置すればいずれは取り返しのつかない事態を招くことは明らかです。私は半世紀後のオリンピックでは選手たちの尿を採取したドーピング検査などは不要になると思いますね。その代わり、選手たちの皮膚や毛髪の検体から遺伝子を採取して、不自然なゲノム編集の痕跡がないかどうか、場合によっては家族や近親者の遺伝子検体ともども検査しなければフェアな競技大会が開催できなくなる懸念があると考えます。国威発揚に余念のない中央集権国家がスポーツ界を牛耳っている限り、早ければ20年後の大会あたりから疑惑が持ち上がるかも知れませんね。
サイト開設20年目に突入
深刻な環境危機の中、新型コロナウィルスのパンデミックを迎え、人類の存亡を賭けた戦いがかつてなかったほど重要視されなければいけない時代に、時代遅れの侵略国家によるウクライナ軍事侵攻などという馬鹿げた人為的危機が付け加わりました。そんな中で私のサイト『Dr.ブンブンの休憩室』はいよいよ20年目に突入しました。
東日本大震災と原発事故があった最初の10年間に匹敵する以上の激変があった次の10年間、本当はまだ満20年を迎えたわけではありませんが、いつこのサイトもサドンデスに至るか分からない状況なので、人類がサドンデスにならないことを祈りつつ、とりあえず話題として取り上げてみることにしました。
しかしその前に、ロシアも本当にバカな戦争に踏み込んだものです。最初プーチン大統領はウクライナのゼレンスキー政権など鎧袖一触で屈服させられると考えていたに違いないし、世界中の軍事・政治専門家も首都キエフは数日以内に陥落するとの予想が優勢でした。しかし侵攻後もう1ヶ月にもなるのにキーウ(キエフ)は持ちこたえているし、各方面のロシア軍の進撃速度も落ちている、また場所によってはロシア軍が後退しているとも伝えられています。
これって120年前も同じだったんじゃないかと私には思えますね。日露戦争も最終段階にきて、日本軍は大陸各地で薄氷の勝利をかろうじて収めていたが、ヨーロッパから極東に差し向けられたロシア大艦隊=バルチック艦隊がウラジオストック港に入れば日本海の制海権はロシアのものになり、大陸の日本軍は補給を絶たれて最終的に敗北するとの見方が、世界軍事専門家の間では常識だったのではないだろうか。当時洋上最強兵器だった戦艦が、バルチック艦隊に8隻、日本は開戦時6隻だったものが2隻喪失して4隻、倍の開きがあっては20世紀初頭の海戦の常識では日本海軍が十中八九負けるであろうと思われていたところ、日本は最強海洋国家だったイギリスと同盟を結んでいて情報戦や謀略戦で優位に立ち、さらに無線通信を活用してバルチック艦隊を完膚無きまでに撃滅した、日本の連合艦隊と今回のウクライナ軍に共通点を感じますね。
さらにその日本海海戦で日本艦隊の旗艦三笠のマストに飜ったZ旗、なぜか今回ウクライナに侵攻したロシア軍の戦車や軍事車両に“Z”の文字がペンキで書き殴られていて、プーチンによる軍事侵攻を支持する人々のシンボルにもなっているとのことですが、私は不思議に思っています。彼らにとっては120年前の祖先たちの大艦隊が滅ぼされた呪いの文字のわけですね。彼らは歴史を知らないのかしら。そしてその大艦隊敗北が帝政ロシアの終焉を早める契機になってしまった。今回のウクライナ侵攻だってロシア共産主義政権の致命傷になりかねない。
日本海海戦で旗艦三笠に掲げられたのは、昔から船舶同士の連絡に用いられた国際信号旗の“Z”、バルチック艦隊との決戦を控えて全艦隊の兵員に対し、
「皇國の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」
との訓示を込めた旗の意味だったのです。当時のアメリカやイギリスは領土拡張政策に狂奔する膨張主義のロシアに手を焼いていたが、現在のNATO同様、日本に支援はするが自分は戦わないというスタンスを崩しませんでした。まさにここにも当時の日本と現在のウクライナが重なる思いがします。
ただ私はロシア軍部隊の“Z”の文字は、軍事演習と騙して兵士たちをウクライナまで引っ張ってきた欺瞞の証拠だと考えています。ロシア軍の車両には“Z”の他に“V”の文字を書いたものもありますが、ロシア語で“Z”は西の頭文字、“V”は東の頭文字に当たるということなので、たぶんこれは軍事演習の“東軍”と“西軍”の記号だと思うわけです。陸上自衛隊の演習でも“赤軍”と“青軍”に分かれて、それぞれ目印の色旗を掲げてますが、それと同じことでしょう。軍事演習では両軍とも同じ形の車両を使うことが多いでしょうから、何らかの敵味方の識別記号が必要なのです。
命を的に敵地に攻め込むのに、わざわざこちらの所属が判別されるような記号をデカデカと書き殴っていくはずがない。実戦直前に消されるはずなのですが、その余裕さえなかった。つまりウクライナに送り込まれたロシアの兵士たちは、最初これは演習だと騙されて戦場に連れて行かれたのでしょう。それなのに1万人近くもの兵士たちが生命を失ってしまった。ロシア側は1351人だと公式発表した模様ですが、想定以上の戦死者が出たためにかなり過小報告しているようです。太平洋戦争末期のアメリカ軍でさえ、簡単に落とせると考えていた硫黄島作戦では、上陸初日だけで2000人以上が戦死したとされるのに、1週間後の国内向け報道で死者644人としか発表しなかった、それに通じる周章狼狽ぶりです。
現段階でも1万人規模の戦死者と、それに数倍する負傷者の補償金はどうするのか。さらにロシアはシリアあたりから傭兵を募集しているとも言われていますが、彼らの給料を払えるのか。演習と騙して動員した挙げ句の死傷者多数という事態に十分な補償で応えられなければ“第二次ロシア革命”も現実味を帯びてくるかも知れません。
さて現在人類が全力を上げて戦わなければいけない新型コロナウィルスへの注意が、愚かな侵略国家によって分散されてしまった感があります。日本ではこの年末年始から急激な爆発を見せた第6波が、3月に入ってようやく終息しかけたように見えたものの、また下旬になって再拡大の徴候が現れています。おそらくオミクロン株の変異種、またはデルタ株との混合型が出現したことに加えて、まん延防止等重点措置が全国で解除されたことにより人の移動が増加したためでしょう。
東京都の新規陽性者数のグラフ(いつものサイトより)を見ると、今回の第6波が非常に大きかったことがわかります。秋口から冬場にかけてあれほど大きな波に思われた第5波でさえかすんで見えるほど、一昨年の第1波や第2波などほとんど見えないくらいです。
このグラフで囲まれた面積が各波における累積陽性者であることを考えれば、第6波では第5波の数倍近い人たちの感染が確認されたことになります。第5波では私の知り合いで感染したり濃厚接触者になった人はほとんどいませんでしたが、今回は職場の人やかつての同僚たちが相次いで濃厚接触者になっています。彼らは医療従事者ですから、医療現場の人手不足にも拍車がかかったわけです。
しかし今回の第6波ではこれまでの波の何倍・何十倍もの人が感染したにもかかわらず、ECMOや人工呼吸器を使用しなければいけない重症者は相対的に少なかったようです。もし昨年や一昨年の時と同じ比率で重症化すれば、死亡者は医療機関だけでなく、介護施設や家庭にまで溢れ、全国いたる所で死屍累々の惨状を呈したでしょう。
だからと言って安心しても大丈夫というわけではなく、第6波の最初の頃に専門家も指摘していたとおり、オミクロン株は重症化しにくいと言っても、強い感染力で患者数が何倍にも増えれば重症者の実数は増える、つまり重症化率が1/5でも患者数が5倍になれば重症者数は結局同じになるということ。
それでも幸いにして重症者が人工呼吸器やECMOの稼働数をオーバーせずに済んだらしいのは、やはりオミクロン株の重症化率が想定よりも低かったことと同時に、ワクチン接種が進んでいたことが功を奏したと思われます。第6波の特徴は上のグラフで見れば分かるとおり、黄色系統の色で示される小児や若年者の感染が、青系統の高齢者をはるかに上回っています。これは新種株が若年者に罹りやすくなったというよりも、高齢者はワクチンで感染をブロックできていると考えるべきです。
それなのに、然るべき理由も無いのにまだワクチンを打たないと拒否していらっしゃる方がいるそうです。ワクチンなんか効かない、ワクチンを打つ方が実際の感染よりもリスクが高い、まあ、拒否の理由はいろいろあるでしょうが、そのあたりのことについては私も別の記事の中で書いてありますからお読み下さい。特に余病のある高齢者の方は、万一感染すれば重症化してただでさえ激務の医療従事者や介護関係者たちに大変な負担を掛けることになります。
そんなこんなの大変な時期に20年目に突入した私のサイトですが、まだまだwindows
7 のマシンが動いてくれるうちは細々とでも続けて行きたいと思っております。しかし開設当初の頃に比べるとネット環境も変わりましたね。私のサイトは最初の頃と比べて壁紙の色もコーナーのロゴも変わっていませんが、訪問者数を計るアクセスカウンターも無くなったし、掲示板の併設も止めたし、管理者(私)へメールを送るリンクボタンも無くなりました。
まあ、アクセスカウンターに関しては2011年頃に77777になったなどと喜んでいたこともあったし、さくらインターネットのサーバーにお引っ越しした時には10万を超えてもいましたが、結局は自分がアクセスすることも多く、何だか空しくなったので廃止しました。しかし掲示板に関しては、サイトを訪れてくれた見ず知らずの方々も含めていろいろ書き込んで下さり、会話が弾んだり議論を深めたり近況を教えて下さったりして楽しかったのですが、いわゆる誹謗抽象的な発言をする“荒し”という心ないことをする人もいらっしゃったり、関係ないサイト(一部は明らかに詐欺サイト)に誘導するリンクを貼り付けたりする人も出てきたので廃止しました。
さらに許せないのは、私宛のメールを送れるリンクボタンなどを公開しておくと、思いも寄らない事態が起きる可能性のあることが分かりました。一昨年から昨年頃にかけて、とんでもない内容のメールが大量に送られてくるようになったのです。○億円の金をあなたに贈りたい、私は現在独身の未亡人○歳です、私の恥ずかしい写真を見て、等、等。こんなメールが1日に何十通、時には何百通も届くので、大事な用件のメールが埋もれてしまうこともありました。誰か悪意のある知人がどこかに私のメールアドレスを流したのかとも疑いましたが、ハッと思い当たってこのサイトにあるメールのリンクボタンをすべて削除したら、1ヶ月後にピタリと止まった。
まあ、いろいろ大変な時代ですが今後ともよろしくお願いいたします。
新型コロナとの共生なるか
2022年の春以降、宮城県沖や北関東を中心とする地震とか、ウクライナに侵攻したロシア軍による市民虐殺など悪逆非道の戦争犯罪とかの報道に目が行ってしまいがちでしたが、無差別に襲いかかってくる“敵”は災害やロシア軍ばかりではありません。ちょっと目を離していた隙に新型コロナウィルスがどうなったのか、東京都の状況を改めて調べてみました。なお私はコロナ感染症の推移を見る際に、流行の波は都道府県ごとに大きさや時期が異なっていることもあるので、なるべく自分の実感に即して考えることができるよう東京都のデータに頼っています。
これは厚生労働省のサイトに公表されている東京都における新型コロナの新規陽性者数・重症者数・死亡者数の推移を表したグラフ、時系列を一致させて縦に並べてみました。
一番上の段が毎日の新規陽性者数、首都圏の報道番組や街頭の電光掲示板で表示され、我々を一喜一憂させている数字ですが、最初に世界の人々の前に現れた新型コロナウィルスのプロトタイプによる第1波、グラフの波はペチャンコで、第5波や第6波に比べると何かあったのというレベルです。しかしその割には重症者数や死者数が非常に多い。後の第3波や第5波には及びませんが、志村けんさんや岡江久美子さんなどの著名人も亡くなって、ほとんどパニック直前の状況にまでなりました。
感染の波は人から人へ強い伝播力をもってほとんど倍々ゲームの勢いで増え続け、ウィルスの感染力と人々の防御力が均衡状態を越えた時に終息に転じる。一時期、何人かの専門家がウィルス流行の波が終息に転じる理由が分からないなどと寝ぼけたことを仰っていましたが、ウィルス感染者が無制限に増え続けるような状況を経済に例えれば、それは“ネズミ講”で誰もが大儲けできるということです。しかしそんなことはあり得ない。現在流行中のウィルスの感染力に対して弱点を晒す人間がすべて感染しつくして飽和状態に達してしまえば感染の波は終息に転じますが、さらに強い感染力を獲得した新手の変異株が出現するか、人間側の防御態勢が弛緩するかした時に次の感染の波が到来します。
こうして新型コロナウィルスはベータ株、デルタ株、オミクロン株と感染力を研ぎ澄ます方向の変異を遂げて、第2波から第6波と流行の消長を繰り返してきました。直近の第6波は第5波に比べても数倍規模の大きさがあります。新規陽性者数の波で赤く塗られた面積が感染を経験した人の総数に比例するわけで、第6波で感染した人は第5波までに感染したすべての人の数よりもはるかに多いことが一目で分かります。実際に私の周囲でも、昨年まではコロナに感染したという人はおろか、感染者の濃厚接触者になってしまったという人も皆無でしたが、今年の第6波になってからは○○君が自宅待機になった、△△さんは発熱と味覚障害で検査したら陽性だった、などという人が続出しました。肺炎を起こして人工呼吸器で治療を受けた人さえいます。
第5波もそれなりに大きな波ではありましたが、第6波には及びません。しかしそれでも中段の重症者数が第6波よりはるかに大きいのは注目すべきです。新規陽性者数では第6波の方が第5波より大きいのに、重症者数では第6波の方が小さい。ただし東京都では重症者数の数え方が他府県と異なっていたり、途中から数え方を微妙に変えたりしていて、パンデミック全期間の比較が難しい点はありますが、厚生労働省の全国のデータでも同じ傾向が見られますから、第6波の主体であるオミクロン株は従来のデルタ株などに比べて重症化しにくいと考えてもよいだろうと思います。本当はこういう疾病の統計データを取る際には、全国一律の分類基準を使うべきであるとか、全期間を通じて集計基準を変えるべきではないというのが統計調査の基本中の基本ですから、東京都の専門家委員会の先生方には注文をつけたいところです。
ただ私が今回驚いたのは、グラフの下段を見ると第5波と第6波の死亡者数はほぼ同じ、むしろ第6波の方がやや多いくらいです。ニュース報道などでは、コロナ以外の基礎疾患や合併症で亡くなる人も多いということでしたが、20歳代から40歳代の元気な若年層の罹患者の比率も高かったことを考えれば、決してそればかりではない、オミクロン株といえどもいったん重症化してしまえば致死率はきわめて高いということかも知れません。ワクチン接種は副作用が甚大だとか効果が期待できないなどと言って反対する人も多いようですが、重症化を予防する根拠(エビデンス)は確認されているとのことですから、できれば規定どおりの回数を接種して人間側の防御因子を高めておくことは重要です。
ところで私はグラフ上段の新規陽性者数のところに第7波?と書き加えました。これは今年2月になって新規陽性者数が減少に転じて第6波も終息に向かうかと思われていた時、突然波が上がったり下がったり一進一退を示すようになった、これは人の動きの多い季節を迎えて人々の飲食や接触の機会が増えたためだろうというのが一般的な見解でした。しかし今のところ私は、第6波の終息中に第7波が重なってきたのではないかと考えています。
この後いよいよ来月(2022年5月)には人々が行楽で賑わうゴールデンウィークを迎えますが、ここで再び新規陽性者が劇的に増えてくるようならやはり第6波の続きだったと言えるし、人が動いた割には波が収まってくるようならBA2など新たな変異株による第7波だったと言えると思います。私には第6波とされる山が後半部にきてもう一つのピークを示しているように直感的には思えますね。統計的には別の要因が加わった所見と考えられます。
もしこれが第7波と考えてよければ、新型コロナの方も人間との和平に向けて準備を進めていると思われます。感染力は第6波のオミクロン株と同等のまま、いったん重症化すれば致命率は高いものの、重症化自体しにくくなってきている。人間の方もワクチン接種したり、さまざまな感染防止対策を講じたりして防御力を高めているが、コロナの方も毒性を下げて人間と共存できるように模索しているわけですね。ロシアのプーチンとはえらい違いだわ。
もうコロナに関しては2020年や2021年の状況に後戻りする可能性は低く、間もなく経済活動や文化活動を再開しても心配ない時代が近いと思いますし、場合によっては開放的な場所などでマスクを外しても大丈夫になるかも知れません。何しろこの2年間、私は新幹線も飛行機も乗ってないし、カラオケも飲み会も行ってないし、同僚や友人や教え子たちの写真もほとんど撮影していない、マスクで下半分隠した顔など撮りたくも撮られたくもありませんでした。
早くコロナの呪縛が解ける日を待ち望んでいますが、我々医療関係者は疾病から国民を護る防人ですから、防人がさっさと武器を置いて警戒を解いてしまうわけにはいきません。北朝鮮がすぐにでも弾道ミサイルを我が国土に撃ち込んでくるわけでないと分かっていても、やはり自衛隊員が一日たりとも防空監視を怠るわけにはいかないのと同じことですね。
行政監査とセカンドチェック
2022年4月23日、知床半島西岸を周遊する観光船「KAZUT」(19トン)が沈没して乗客14名が死亡、船長はじめ乗員乗客12名がいまだに行方不明になっているという痛ましい事故が発生した。船はカシュニの滝の沖合い水深115メートルの海底に沈んでいるのが発見されたが、行方不明の方々に関する手がかりはまったく掴めていないそうだ。亡くなられた方々のご冥福とともに、行方不明の方々の捜索が進展することを心から祈るばかりだ。
現場は非常に潮の流れが急で波も荒く、私も学生時代に友人たちと北海道旅行した際、観光船でまったく同じコースを遊覧したが、かつては船乗りに憧れていた私ともあろう者が、人生でただ一度だけ激しい船酔いを経験した場所でもある。胃内から突き上げてくる吐き気をこらえて船縁にしがみついたまま、海に流れ落ちる滝の景観など朦朧としか覚えていない。
今回の事故を起こした「知床遊覧船」という会社は、そんな危険な海域の自然を舐めていたとしか思えないような杜撰な運航体制が次々に明らかになっているようだ。斜里町を基地とする他の数社の遊覧船は、万一の時のために必ず複数の船が同時に運航するのに、この会社の船は他社の船が悪天候で引き返しても1隻だけで進んで行ったり、今回も他社はゴールデンウィーク後に営業開始するところ、一社だけ先に運航してしまったりという、同業者を出し抜くようなことをするばかりか、陸地と船の通信に事業無線ではなくアマチュア無線を常用していたとか、海事や船舶の経験の無い社長を運航管理者として登録していたとか、数々の関係法規違反もあるとのこと。
しかもさらに驚き呆れるのは、行政の関連機関による監査の甘さである。この会社は過去に何度か大事に至らない事故を起こしており、安全営業運航体制に問題があるかも知れないと考えなければいけないのに、知床半島沖が通話エリアに入っていない携帯電話を通信手段として届け出ていても何らお咎めは無かったようである。斜里町の観光船同業者や漁業者たちは薄々あの会社は危ないと思っていたようで、おそらく峻烈な内部告発にまではならない程度に、それとなく関連機関に通報めいたことはしていたのではないか。
今回の事故は法令遵守に手を抜いて営利に突っ走った運航会社が悪いに決まっているが、行政機関による監査の甘さも責められるべきである。船舶運航に限らず、日本ではあらゆる業務を行なうに当たっては、関係諸機関に届け出て行政の許可を得ることになっているはずだ。行政の担当者は各事業者から提出された申請書などに目を通し、不備があれば改善されるまで営業させない、そういう原則になっているのではないか。
別にこういう行政による監査は、すべての事業者が性悪で強欲で、知床遊覧船の桂田精一社長のように関係法規を無視して金儲けに突っ走るような人間ばかりだと疑いの目を向けることではない。営利活動をしようと思い立った事業者がそれぞれの営業目的、事業形態、具体的な設備や人員配置、予測される問題点などを詳細に記載した申請書類を提出してくるが、その適否を行政が責任を持って審査する、いわばセカンドチェック機能と考えられる。
セカンドチェックとはファーストチェックをした人、行政監査では申請書を提出した事業主になるわけだが、最初にチェックした人に見落としや間違いが無いかどうかを確認すること。行政監査以外の場面でもセカンドチェックはよく行われるが、最初の人がやったことを見直して誤りが無いことを確認する作業は意外に難しい。特に最初の人がある程度ベテランだったりすると、まあ、大丈夫かという安易な気持ちが先立ってしまい、ついつい面倒な確認作業の手を抜いてしまいがちになることも少なくない。
私もかつては病院で病理検査や細胞診検査などという検査業務に携わっていた。いずれも患者さんから採取された検体を顕微鏡標本にして、そこにガンが有るか無いかとか、炎症などの疾患を疑う所見が有るか無いかなどを診断して報告書を作成する仕事だが、これを誰か他の人がファーストとして診断した標本をもう一度見直して、最初に診断した人が正しいかどうかを確認するセカンドチェックを行なうこともあった。
この標本のセカンドチェックについて、昔あるベテランの細胞検査士さんが話していたことが印象深い。細胞検査士とは臨床検査技師の資格を取得した者がさらに業務経験を積んで、学会が施行する筆記・実技試験をクリアすると初めて認定される資格で、標本ガラス上に塗沫された細胞を“1個残らず”目を通してガン細胞の有無を検査してもよいというお墨付きを貰ったスタッフのこと。
当然学会からお墨付きを貰ったと言っても、自信を持って診断できるようになるまでにはさらに何年もの研鑽が必要であるが、あるベテランの細胞検査士さんの職場に、資格を認定されて間もない若手が配属されてきた。ベテランは行く行くはその若手に自分の後継者になって貰おうと思っていたが、その実力を養成するために、自分がファーストチェックをしたりセカンドチェックをしたりして若手を鍛えていたそうだ。ある時、自分がファーストチェックをした標本中にたまたまガン細胞が1個しか無かった、2センチ×5センチくらいのガラス面には何千個あるいは何万個という細胞が乗っているが(残念ながら一般的に細胞が何個乗っているか数えた人はいない)、それを1平方ミクロンの見逃しもなく隅々まで顕微鏡で観察しても1個しか無かった。
ベテランはその標本をわざと「ガン細胞無し」として若手のセカンドチェックに回したらしい。これはなかなか意地の悪い実力試しである。細胞の海の中からたった1個のガン細胞を見つけ出すだけでも大変な実力を必要とするのに、さらにベテランがファーストチェックをした標本のセカンドチェックをする時は、誰だって「あの人が最初に見たんだからたぶん間違い無いよね」という気の緩みが生じるのは人情だ。しかしその若手はきちんとたった1個のガン細胞を見つけ出し、さらに大先輩格の自分に対して堂々と“間違い”を指摘してきた。それでベテランはその若手を全面的に信頼して後継者に指名したという。
セカンドチェックに関する“ちょっとイイ話”だが、行政による事業者のセカンドチェックが正しく機能しているとは言い難い。「あの事業者なら間違いないだろう」、「事業者が法令をくぐり抜けようと画策することなんて無いだろう」という性善説でほとんどすべての申請書を許可しているから、今回の知床遊覧船のような事故も起きたのではないか。大事故は氷山の一角であり、1件の大事故が起こった背景には何件かのニアミス事故があり、さらに数えきれないくらいのヒヤリとする事例が隠れていると言われている。そのヒヤリの段階、せいぜいニアミス事故の段階で行政監査に基づく指導が正常に機能していれば今回の事故は未然に防げただろう。似たようなことは2018年の大阪地震でブロック塀が崩れて学童が1人亡くなった事件の時にも指摘した記憶がある。
何か事が起きるまでは行政の監査が甘いという体質は、私も自分が働いてきた業界の現場で経験している。私は医療教育の現場で働いてきたが、全国各地の大学における学部新設を審査する文部科学省の委員を2年間委嘱されたことがある。年間数回、10名ほどの委員が文部科学省に召集されて、各大学から提出された学部新設の申請書を審議するわけだが、1回に数件の申請があり、それぞれ数百ページに及ぶ書類や図面を綴じた資料が配付され、まず各件ごとに20分程度の時間で目を通してくれと言われ、その後30分程度“審議”して、「申請認可」とか「修正要求」とか決めることになる。短すぎませんか?
こんな形式的な審議で決まるんかいと思ってましたよ。セカンドチェックもヘッタクレもあったもんじゃない。一件だけ私が今も覚えているのは、A大学が看護学部を新設しようとした、しかし臨床教育できる施設が併設されていないから、学生の臨床教育は既設のB大学の看護学部に委託することで了承されていると、B大学の承諾書を沿えた申請書が提出されている、文部科学省の役人も他の委員もそれでOKという顔をしているので私が指摘したこと、B大学はA大学の学生も一緒に教育することになるが、倍の学生を教育することになるB大学のスタッフ増員を要求しなくてよいのか…。その場の誰もが「ハア」という顔をしていた、そんなもんです。
そんなことだから私の勤務していた大学でも、新校舎建設に当たって一悶着あった。おそらく大学経営者や管理者や事務方から“キレイ事”の申請書が学校建築方面に提出されていたのだろうが、薬学部や医学部や看護学科など大学経営者や事務方とツーカーの有力な学部や学科が床面積を贅沢に分捕ってしまったので、私が教えていた臨床検査学科の学生実習室などは窓の無い狭苦しいスペースしか割り当てて貰えなかった。おそらく有力学部がロシアのプーチンもどきに領地を占領したせいで、物置や倉庫など予備スペースと考えていたような小部屋で慌てて間に合わせたに違いないが、建築基準法など幾つかの法令に違反した実習室が行政監査の目を逃れて罷り通った裏には、今回の知床遊覧船事故における行政の失態にも通じる同じ背景があったのだろう。
コロナ禍のマスク論争
新型コロナウィルス新規陽性者数を表示してくれているいつものサイトによると、東京都で1日あたり最大2万人を越えた第6波の新規陽性者数も2022年5月末現在、着実に減少しているようです。第6波が消褪していく途中でわずかに増減を繰り返してちょっとハラハラさせられたのも、私は少し前の記事で第7波が重なったかも…と書きましたが、これは違っていました。年度の変わり目や連休で人の移動の増加によって、人間側の防御態勢が弱体化したために、ウィルスの一時的な反撃を許したものと解釈するべきかと思います。
第6波の大きさは驚異的かつ脅威的でさえあったのに、重症化率や死亡率が第1〜5波よりも少なくなって、医療現場のICUなどへの負荷は思ったよりも小さくなりました。世界各国でもコロナへの警戒を段階的に解除する動きが盛んになっています。これまで商業や観光など経済活動の縮小を余儀なくされたうえ、国と国との間の人の往来も長いこと制限されてきたところへ、どこぞの由緒ある大国ともあろう国が横暴な侵略戦争など始めたものだから、これ以上コロナを理由に逼塞していれば世界中どの国も本当に息が詰まって生命線を経たれるかも知れません。そろそろコロナ前の経済活動再開を目指す時期がきたのかも知れません。
ワクチン接種も高齢者や医療従事者や基礎疾患を持つ方々を中心にある程度普及した、新型コロナウィルスのPCR検査や抗原検査体制も以前に比べて充実した、経口的に服用できる治療薬も開発された、これで何とか行けるだろうということで、海外から観光客の入国再開に先立って試験的に幾つかの国から観光ツァーを受け入れてみたら、やっぱり新規陽性者が確認されてしまったという水を差されたようなニュースもあって、医療の専門家はまだ多少の懸念を示していますが、前にも書いたとおり、医療従事者は疾病から国民を護る防人ですから、このくらい大丈夫ですよなどと安易に請け合うことはできないのです。国防関係者が北朝鮮のミサイルなど恐るるに足らずなどと言われても国民として安心できないのと同じですから、経済活動再開に当たっては、あくまで医療側の意見として耳を傾けて下さい。
さてコロナ前への復帰という点で、特に我が国において象徴的なのが“マスク論争”です。政府や医療関係者から、「屋外で他人との距離が2メートル以上取れればマスクを外すことを推奨する」とか、「屋内でも会話が無くて密を回避できていればマスクを着用しなくてよい」とか、いろいろな試案が検討されているし、これからも最終的に決着するまでに紆余曲折があるでしょうが、一番大事なことは、政治家や専門家が言ったから絶対大丈夫というものではないということ。すべてはウィルス次第、日常生活の空間でウィルスを可視化できない以上、100%近い確率でウィルスを防ぐ手立てはありません。それを常に意識しておくべきです。
パンデミック当初の一昨年、例の巨大クルーズ客船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客が船内に隔離されていた時、隣の船室から食事の匂いが流れてくるとの乗客の談話がニュースで流れました。私は通路側客室の換気装置が独立しておらず、部屋から部屋へ空気の流れに乗ってウィルスが広がる可能性を危惧して、厚生労働省や国の諮問医療機関にその点を指摘するメールを送りましたが、返事はありませんでした。どうやら新型コロナはインフルエンザと同じ飛沫感染だろうから、換気ダクトを通って伝播することはないだろうと簡単にスルーされていたようです。
しかしその後、換気ダクトの出口からコロナウィルスが検出されたという報告もあったし、ダイヤモンド・プリンセス号の客室換気装置も三菱重工長崎造船所から図面を取り寄せて大規模な改善工事が施行されたというから、当初の私の危惧は正しかったんだろうと今でも思っています。政治家や専門家が言うことだって常に100%正しいわけではない。あれから2年、コロナについてもいろいろ分かってきましたが、特に次々と変異を繰り返す新種株についてはすべて確信をもって断言するまでには至っていません。
●ワクチンを2回ないし3回打っていれば大丈夫?:ワクチン接種済みの方でも感染しました。試験的に観光入国して陽性になったツーリストの方だって母国でワクチン接種していたはずです。
●マスクをしていれば大丈夫?:不織布マスクの網目をウィルス粒子が1個も通り抜けないという保証はありません。すべてのウィルス粒子がマスク表面で弾き返されるところを誰も目撃したわけではありませんから…。
マスクもワクチンもおそらく重症化を防ぐためにはある程度有功であると考えるのが、少なくとも現在の日本においては最も合理的であろうと思いますが、科学的根拠は盤石ではありません。公共の場所でマスク着用を拒否してトラブルを起こす御仁もいますが、彼らを法的に処罰するだけの合理的根拠はないのです。マスク着用義務を撤廃した国でもそれを機に感染が一挙に再燃した事実は確認されていないし、コロナよりタチの悪いロシア軍の脅威と戦っているウクライナ国民が、地下壕に密集して避難していても感染が拡大したという報道もありません。
じゃあ日本でももうマスクは不要ということにしましょうよ…というわけにも行かないところが今後の難しい課題かも知れません。マスクによる感染防御効果は、日本が諸外国に比べて感染者が少なかった有力な理由の一つと推測はされるけれど、100%確認されたものではない。しかし連日にわたる長時間のマスク着用の結果、顔面の皮膚炎が増加する、特に夏季は脱水症のリスクも増える、激しい運動をすれば呼吸が苦しくもなる、これらは医学的にほぼ確実なマスクの弊害です。
さらに学校の児童・生徒など若年層は、クラスメートや担任教師の顔を半分しか見せ合わないまま何年も過ごしてきたことが、これから先の人間関係形成に支障をきたさないか、そういう危惧もあります。マスクの有効性に関するポジティブなエビデンス(科学的根拠)に比べたら、マスクの弊害に関するネガティブなエビデンスの方が明白と言わざるを得ない面がある、そういう状況下で新型コロナに対する脅威が1年前2年前よりも軽減してきたことが、今後の難しい状況につながっていくということです。
こんなことを議論できるようになったのは、新型コロナに勝って感染を完全に封じ込められたからではありません、ウィルスが毒性を弱める方向に変異してきたうえ、人間もワクチンや治療薬などの武器を手にして、かつてのように死屍累々の最悪な状況だけは免れるようになったからです。ワクチン接種を完了しても3密に注意して生活していても感染してしまう人はいる、重症化するリスクはずいぶん軽減してきたが、まだ高齢者や基礎疾患を持つ人たちは感染すれば死亡のリスクが高い、我々はこれからはこのことをお互いに最優先で思いやらなければいけません。
これまで何年もマスク着用を強いられ、商売も思うようにできずコロナで生活が困窮した人たちは非常に多い、そういう人たちに対して今までのようにあまりにも厳格にマスク着用強制を主張するのはいかがなものか。
しかし一方で、もうコロナは心配ないんだからマスクなんか着けないというのも一理あるけれど、もし周囲にいる人が基礎疾患を持っている、あるいは家族に高齢者がいるなど、万に一つの感染をも恐れているかも知れないことは考えなくてよいのか。その人たちに万に一つの恐れが起こってしまった時には、マスク強制を好まない人が不自由を強いられる不利益よりもはるかに重大な結果を招きます。
2年半前に始まった新型コロナ感染症に終息の兆しが見え始め、経済活動再開も視野に入ってきた現在、我々が考えなければいけないのはまさにこのバランス、日本人がかつて誇りにしてきたお互いの礼節だと思います。やはり見ず知らずの赤の他人が周囲にいる時は、屋外であろうと屋内であろうとお互いにマスクを着用して、大声での会話はしない、飲食はしない、目の前にいるこの人はもしかしたらまだコロナへの感染を怖がっているかも知れない、感染したら困る事情があるかも知れないと思いやる気持ちを大切にしたいものです。
五つ星評価の功罪
『食べログ』というグルメサイトが飲食店を評価するアルゴリズム(計算方法)を変更したため、評価点が大幅に下がって客足が減ったとして、『韓流村』という焼肉チェーン店の運営会社がサイト運営会社の『カカクコム』を訴えたところ、東京地方裁判所で訴えが認められて『食べログ』側に3840万円の賠償を命じる判決があったそうです。『食べログ』側はもちろん判決を不服として控訴、チェーン店側も当初の訴えの賠償額6億3900万円に近づけるために控訴するようですが、こういうグルメサイトによる飲食店評価、私はけっこう根深い問題があると思います。
まあ、多くの日本人は料理店を選ぶにしても、音楽家や病院や人間を評価するにしても、自分の信念や感性による判断基準を持っていないので、ミシュランだとか名の通った評論家の権威付けされた評価を鵜呑みにしてしまうと、15年近く昔の記事で指摘したことがあります。グルメサイトで料理店を検索すると評価点の高い順にスマホなどの画面に表示されるから、確固たる自分の評価基準を持たない日本人は、グルメサイトで上位に表示された店に誘導されてしまい、今回の焼肉チェーン店もサイトのアルゴリズムが変更された途端、客足が一挙に減ってしまったらしいのですね。
かつては値段が高ければ美味しいだろう、つまり「高かろう、旨かろう」という実に情けない貧困な評価基準で料理を判断する日本人が多かったのですが、今では「(グルメサイトの評価点が)高かろう、旨かろう」というさらに情けないことになっている。そういう日本人顧客の貧困な判断基準を見越して、自分では料理もしない、飲食店経営の苦労も知ろうとしないグルメサイト会社の若僧が、勝手にアルゴリズムを作って他人を一方的に評価している。これがSNS時代の食通文化なんですかね。
もう12年ほど昔、剣豪・宮本武蔵について論じた記事の中で、日本は今や一億総評論家時代、自分は勝負をしない、他人に勝負をさせて、傍らであれこれ論評したり批判するだけ…と書きましたが、百花繚乱に見える日本のグルメ文化も案外そんな底の浅いものかも知れません。
ところで『食べログ』などで飲食店評価に使われる五つ星評価、私が一昨年に出版した書籍の評価にも使われてます。Amazonの売れ筋ランキングなど開いてみるとこんな感じ。
107件のグローバル評価による総合評価は星5つ中の4.2だそうですが、“評価はどのように計算されますか”のところをクリックしてみると、
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます
…ということのようです。
このアルゴリズム解説は今ひとつ理解できませんね。評価日時が新しいほど重く計算されるのは分かるとしても、Amazonで本を買った人による評価の方が重いというのはAmazon側の身勝手、他のサイトや書店で購入した読者の評価より価値があるという論理は破綻しています。まあ、出版後2年以上経過してもそこそこ売れ続けているから、別に著者の不利益はありませんが…(笑)。
ところでこういう五つ星評価、飲食店や書籍などの風評を落とすために、故意に星1つの低評価を書き込む悪意の輩がいたらどうするのか、せっかくの良い店や物への評価が不当に下げられてしまうんじゃないかと心配される人もいるでしょうが、それは意外に問題にならないんですね。
私の本もこの時点で星1つの低評価が7%ありますが、この評価を付けたレビューアーには大きく分けて2種類ありました。1つは本の出版当初、電子書籍の表示に不備があって白紙しか出てこないという不満をぶつけてきた人、ただしこれは出版社によるプログラムのバグの問題であって本の内容とは関係ない。これは出版社に対して苦情を言うべきであって、内容も読めない段階で低評価を下したら他の人たちの参考にならないとも考えず、ただ腹立ち紛れに星1つ付けただけの人たちでした。
もう1つは完全な確信犯で私の本の風評を下げようとした人、たぶん…というより絶対に私と同じ生化学を学生に教えている同業者で、しかも学生からの授業評価が低く、教育能力に自他ともに「???」が付く人。
どちらも困った人たちで、評価が始まった当初は“星5つ”と“星1つ”がほぼ拮抗していて、これから先どうなるんだろうと思ったものでしたが、出版後1年経ち、2年経ってみると、さらに多くの人たちが真っ当に評価ボタンをクリックし、さらに日時が新しい評価ほど重く判定されるようですから、一時の低評価集中の影響は薄まる傾向にあるようです。
故意に店や商品の評判を落としてやろうという悪意の試みは必ず失敗しますから、グルメサイトやAmazonなどの五つ星評価は、アルゴリズムがしっかりしている限り、頑張っている店や商品を拾い上げて顧客に提示する機能はそれなりに果たしていると言えると思います。
やはり問題はアルゴリズムの透明性と正当性、つまり各評価サイトは店や商品の何を重点的に評価しているかを公表すべきでしょうね。今回問題になった『食べログ』は、『韓流村』がチェーン店であることを理由に評価の重みを下げたと言われています。チェーン店は個別の店よりも評価を下げるというアルゴリズムに変更したことが問題を引き起こしたらしいのですが、今回の場合、チェーン店よりも個別の店の方を優位と見なす根拠をしっかり説明する責任があるのではないでしょうか。
今度こそ第7波
やはり新型コロナは侮ってはいけない難敵でした。しばらく前の記事の中で、5月の連休明けに第6波が少し再燃しかけた、もしかしたら第7波かも知れないと書きましたが、その後の記事で訂正したとおり、あれはたぶん連休明けなど人間側の防備の緩みにつけ込まれただけの話でした。あの小さな波が第7波であってくれたなら、コロナも人間との共生に踏み切ってくれた可能性もあるなどと甘い期待を抱いた私がバカでした。
いつものサイトのデータを見れば一目瞭然ですが、正真正銘の第7波はそんな生易しいものではありませんでした。第6波も収まってきたなあと思っていたら、7月に入るや、最初はゆっくりに見えたものの、1日あたりの新規感染者数が1週間でほぼ2倍になる倍々ゲームを繰り返して、あっと言う間に東京でもあの巨大な第6波を上回る新規感染者を出すに至ってしまいました。グラフの急峻な起ち上がりから見て、7月から8月にかけて1日あたり5〜6万人で頭打ちになってくれればラッキーとさえ言えるでしょう。
確かにBA5株などというオミクロン株の亜種は従来株に比べて感染力が高い上に、ワクチン接種による免疫をかいくぐって感染する能力が強いことから、かつてない感染爆発を示しているわけですが、実はそれだけではないと思います。第3波の頃の記事で、1日あたり500人程度の新規感染者が出ている東京では、都民の約6割が広範囲に行動すると見て、まだ自分は大丈夫と思って出歩いている都民7000人に1人が知らずにコロナウィルスを排出している勘定になると大雑把に見積もりました。これは感染源となり得る都民は通勤通学時の山手線2編成に1人前後ということです。
しかしオミクロンのBA5株が主流となった東京では1日あたり3万人の新規陽性者が確認されている。しかも行動半径の広い若年層が多いし、無症状者も目立つので、同じように超大雑把に計算すると、今では約100人に1人が気付かぬうちに感染源になっているということです。つまり第3波の頃は、気が緩んで旅行や酒席に参加しない限り、街中でコロナ感染者に遭遇する確率はきわめて小さかったと言えると思いますが、今や状況がまったく違う。。
今では比較的空いている山手線で出かけても、近くに乗っている乗客が感染者である確率は1/100、これは決して無視できる数字ではありません。しかも最近ではもうマスクなど必要ないという論調も出始めていますから、今回のBA5株による感染爆発は、ウィルス側の感染力と免疫回避力の増大だけでなく、感染源となる他者との遭遇率が飛躍的に増加していることも原因の一つです。やはり熱中症などのリスクに適宜対応しながら、マスク着用はまだ必要と考えますね。
グレゴリー・チャイティンの理論どおり、遺伝子は自らの生存と増殖に有利なように進化するようで、新型コロナウィルスもこれまでのところ、感染力は増大しても毒性は弱くなり、感染した人間が重症化もしないまま活動し続けて、次々と周囲に感染を広げていくような変異を遂げています。この経験的事実をもって、もうコロナは怖くないと主張する人々も増えていますが、しかしもう一つだけちょっと待てと言いたいのは後遺症の件です。
後遺症についてはまだほとんど何も分かっていないと言ってよい。ウィルスの増殖戦略にとっては、感染した人間にはただ自分の遺伝子を広めて貰えればいいだけの話ですから、用済みになった人間が後から後遺症に悩もうがどうしようが関係ない、だから後遺症まで弱める方向に変異を遂げている可能性は期待できません。むしろ毒性を弱めるのと裏腹に後遺症を起こしやすくなっていることだって無いとは言えない。
今のところ最も多く報告されている後遺症は倦怠感のようですが、これはもう本当に辛いようです。感染前は元気だったのに何ヶ月も動けなくなり、仕事も学業も覚束なくなる。さらに記憶障害、集中力障害などの中枢神経症状や、味覚・嗅覚障害、筋力低下や関節痛など運動障害、さらに呼吸困難も持続する人もいらして、それらに一生涯悩まされる人が今後増えるかも知れません。
こういうコロナ後遺症の全貌が見えてくるまでは、少なくとも医療従事者の立場からは、「コロナなんかただの風邪」というような根拠のない豪語は慎むべきかと思います。
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